ロング ブラック パートナーズ。 会社案内

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ロング ブラック パートナーズ

私は長野県松本市の生まれでして、育ちはずっと東京だったものの学生のころからどこかで東京は肌に合わないという感覚がありました。 大学在学中に会計士試験に合格して監査法人トーマツに入社したのですが、1年経った時に盛岡事務所が設立されることになり、これ幸いと自ら希望して盛岡へ異動しました。 上司が2人だけの小さな事務所でしたが、それだけにジュニアながら色々な仕事を任せていただき、その中で地域の中小企業の実情というものに触れることになります。 盛岡での最後の仕事は、ある大手建設会社の民事再生案件でした。 地方における建設会社というのは地域経済における存在感が大きくて取引先のすそ野も非常に広く、そういう会社が行き詰ってしまったことで取引先も軒並み経営難に陥ったと記憶しています。 その案件で、ある個人の会計士の方が何とかして私的整理に持っていけないかとスポンサー探しに奔走していたと後になって知り、そこで初めて事業再生というスキームを知ることになりました。 もともと会計士になった時から中小企業の力になりたいという思いがありましたので、この方向性で私にも出来ることがあるのではないかと考え、当時『事業再生』(角川書店)という本を書かれた田作朋雄さんがパートナーを務めていたPwC FASに転職することにしました。 PwCに入ってからも、関西や中国地方といった地域の中小企業の現場に赴いて経営をサポートするという仕事に没頭し、4年目には当時チーム最年少マネージャーに昇格しました。 そのころはまだ独立は将来のことと考えていたのですが、そんな折に父が亡くなりました。 1月にがんと分かり、その年の5月には他界したのです。 このことがあって改めて人生は短いと心に刻まれ、独立を決心し、永井(崇志氏、パートナー)、太田(晃氏、パートナー)とともに2008年1月に設立したのがロングブラックパートナーズです。

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私は1994年に慶應義塾大学の法学部を卒業して、新卒で富士銀行(現みずほ銀行)に入行しました。 支店勤務を経て3年目に市場部門に異動し、債券ポートフォリオの運用業務に従事しました。 ここで4年ほど投資の経験を積みました。 日本中の金融機関が不良債権問題で経営危機に瀕していた時代で、富士、第一勧業銀行、日本興業銀行の3行統合が発表された時期にPwC FAS(現PwCアドバイザリー)に転職し、創成期だった事業再生チームにジョインしました。 PwCでは銀行や生命保険会社の破綻処理やバルクセール等の不良債権処理などを手掛けるとともに、当時日本に立ちあがった日系の企業再生ファンドと連携して地方企業の事業再生案件を数多く経験しました。 その過程で、財務リストラクチャリングが終わった後のターンアラウンドステージに関与する機会が乏しい財務アドバイザーという立場に飽き足らなくなり、企業再生ファンド業界に転職することにしました。 企業再生ファンドは2社に在籍したのですが、代表的なプロジェクトとしては、マッサージチェア最大手の株式会社フジ医療器の代表取締役社長を4期勤め、そこでターンアラウンドフェーズにおける企業経営のノウハウを身に着けることが出来ました。 ファンドの上司や同僚の協力、そしてフジ医療器の役職員の頑張りで、リーマンショックや東日本大震災を乗り越えて、安定的に利益を出すことが出来る優良企業に変革しました。 そのタイミングで、2012年にLBPへジョインすることにしました。 結果として銀行、アドバイザー、ファンドをそれぞれ6年ずつ経験してLBPに入ったということになります。

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ロングブラックパートナーズ株式会社• 対応分野• 法人名• ロングブラックパートナーズ株式会社• 〒106-0041 東京都 港区麻布台 1-7-2 神谷町麻布台ビル6階• 法人代表電話番号• ホームページ• 担当者• 若宮 照也 現在は、公認会計士・税理士・金融機関出身者・事業会社出身者等、多様なメンバー約50名で構成されています。 少人数のチームであることを生かし、各担当者が連携しながら丁寧な案件進行を心がけています。 設立年• 役員紹介• また、一般企業の社外役員にも就任し、経営に関するアドバイザリー業務も日常的に行っている。 ・株式会社ジェイトップ社外監査役 ・株式会社エル・アイ・ビー社外監査役 京都大学経済学部卒 公認会計士.

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