無間 意味。 Aviciiの由来・意味

地獄の種類と階層(八大地獄)と苦しみ・人は死んだらどうなるか?

無間 意味

キーワードから検索• AKB48『恋愛無間地獄』の歌詞が人気! AKB48の9thアルバム『僕たちは、あの日の夜明けを知っている』が、2018年1月24日に発売され、さっそくオリコン・週間CDアルバムランキングで1位となりました(2月1日)。 このアルバムには、新曲 『恋愛無間地獄』(作曲:前嶋康明、作詞:秋元康)が収録されています。 HKT48の指原莉乃(25)が1月18日、東京ドームシティホールの初ソロコンサート、アンコールではじめて披露しました。 本来は、指原とNGT48の荻野由佳(18)、AKB48の込山榛香(19)との3人組ユニットで歌う曲ですが、この日は、同郷・大分出身の大御所歌手、南こうせつ(68)がサプライズ登場。 みごとなデュエットとなりました。 失恋の切なさ、苦しさがにじみ出た歌詞が、さっそく人気のようです。 ネット上には、次のようなつぶやきがあふれています。 ・『恋愛無間地獄』は切なくて良曲 ・『恋愛無間地獄』とっても良きでした ・『恋愛無間地獄』苦しさや辛さがあるけど、でも愛してるって感じ沁みるなぁ ・『恋愛無間地獄』好きな世界観だな ・『恋愛無間地獄』なんかねー、好きになる予感。 今までにない莉乃ちゃんの感じだもん。 鬼リピートして聴こうっと。 AKB48『恋愛無間地獄』の歌詞から変化を読み解く さて、この『恋愛無間地獄』では、何度も失恋を繰り返し、抜け出せない女性心理が切々と歌詞につづられています。 他にも、『ヘビーローテーション』『Everyday、カチューシャ』『ギンガムチェック』『真夏のSounds good!』など、多くの曲に登場するパターンです。 しかし、AKB48が誕生して13年。 当初のターゲットからファン層が広がり、今やAKB48は国民的アイドルグループとなっています。 最新の調査では、30代から50代の大人ファンが多めになりました。 こうしたファン層の成長、変化にあわせて、歌詞も変化してきているといえます。 AKB48『恋愛無間地獄』の歌詞、正しい読み方と意味は? 永年、アイドルグループをヒットさせ続けてきた秋元康の歌詞は、 大衆の声を代弁している、といってもよいでしょう。 その秋元康が作詞したAKB48の新曲、『恋愛無間地獄』には、タイトルを見ても分かるとおり、仏教の言葉が使われています。 不確定な時代を生きる私たち、指針を求めて仏教の言葉に関心を持ち始めている世相を、敏感に感じ取ってのことかもしれません。 ただ、一般には耳慣れない言葉のため、ネット上には、こんなつぶやきがありました。 ・『恋愛無間地獄』ってどうして無限地獄って書かないの? ・そういえばアルバム曲『恋愛無間地獄』無限じゃなくて無間だからググった。 勉強になった。 まず、 正しい読み方は「むけんじごく」。 無限(むげん)ではなくて、無間(むけん)です。 苦しみの休まる間の無い地獄と書きます。 死んだあとの苦しみの世界です。 人は、死ねばどうなるのか。 遅かれ早かれ、必ずぶち当たる未来です。 「無間地獄」は、インドの言葉で 「阿鼻地獄」といいます。 新聞などに、悲惨な事故現場を「阿鼻叫喚地獄」と報じられることがありますが、苦しみが絶え間なく続き、「苦しい、苦しい」と、叫ぶジゴクです。 絶えず苦しみがやってくる最悪の世界と説かれています。 木の葉が「落ちる」のと違って、地獄へは 「堕ちる」の字を使います。 苦しい状態におちいって、抜け出せない状態のことです。 現代の言葉でいえば、 「ハマる」に、ニュアンスが近いかもしれません。 ですから、歌詞の中にも、 きっと 私気づかないうち カルマ 背負ってたのね という歌詞もあります。 カルマとはもともと仏教の言葉で、業と訳されています。 仏教では 「ごう」と読みます。 インドの言葉でカルマといい、 「行為」のことです。 ゴウという言葉の響きからか、「あの人は業な人(運の悪い人)だ」「私ほど業な者(不幸な者)はない」などと、悪い意味で使われていることが多いようです。 しかし、業とは、悪い行為だけをいうのではありません。 善い行いは「善業」、悪い行いは「悪業」といいます。 「行為」と聞くと私たちは、身体の行いだけをいうと思いがちですが、仏教の「業」は三方面から教えられています。 これを 身・口・意(心)の「三業」といいます。 三業の中で最も重く見られるのは何でしょう。 一般には身や口で他人に分かるような悪事をしなければ誰もとがめませんが、仏教では「心(意業)」を重視します。 心の思うことに従って口が言い、身が行うのですから、 最も重いのは心です。 口や身は心の命令に従って動くのであり、心こそが私そのものなのです。 仏教の根幹・因果の道理では、 私たちの身口意の行為(業)が、目に見えない不滅の力(業力)となって残り、その業力が「因」となって、種々の「縁」と結びついて、私たちの運命(結果)を生み出す、と説かれています。 AKB48『恋愛無間地獄』の歌詞から思い出す仏典に説かれた地獄 AKB48『恋愛無間地獄』の歌詞から思い出したのが、 「刀葉林(とうようりん)地獄」という名前の地獄です。 仏典に説かれる「刀葉林地獄」には、愛欲に溺れる人間の裸形が露出されています。 この地獄へ堕ちた人がふと見ると、天を摩すような大樹がある。 葉は刃のごとく鋭く、焔を噴いている。 樹上には好みの異性が、満面笑みを浮かべて、自分を手招きしている。 罪人のかつての恋人ではないか。 恋しさのあまり、いても立ってもおれず、その人は我を忘れて木に登っていく。 すると刀葉が降ってきて、罪人の肉を割き、骨を刺し、全身血だるまになるが、情欲は一層激しさを増す。 やっとの思いで近づいて、満身の力で抱きつこうとすると、相手は忽然と消えうせて、今度は樹の下から誘う。 愛恋の情ますます燃え盛り、樹を下りようとすると、地上に落下した刀葉が、今度は逆に上に向かって牙をむき、ズタズタに肉を刻み、骨を削る。 絶叫する痛みだ。 ようやく地上に下りると、想い人の姿はそこにはない。 樹上からまたも呼んでいる……。 かくて限りなく登り下りを繰り返す地獄であると説かれています。 別れては恋しく、会えば敵同士となって傷つけ合う。 満たされなければ渇き、満たせば二倍の度を増して渇く。 恋愛の実態を表して余すところがありません。 仏教の意味からいえば、曲名を『恋愛刀葉林地獄』としたほうが正確かもしれませんね。 AKB48『恋愛無間地獄』の歌詞の意味が深い!のまとめ ここまで、AKB48の新曲、『恋愛無間地獄』の歌詞を見てきましたが、いかがだったでしょうか? 失恋の苦い経験は、誰でも持ち合わせているもの。 そこから抜け出せずに、苦しんでいる人が少なくないからこそ、失恋をテーマにした曲が共感を呼び、多くの人に受け入れられるのでしょう。 まさに、愛とは巨大な矛盾であり、それがなくては生きられず、それによって傷つくもの。 恋は甘い花ですが、それをつむには、おそろしい断崖のはしまで行く勇気がなければなりません。 では、この傷、苦しみから抜け出すには、どうすればよいのか? 地獄の苦しみを教えたのが仏教なら、その解決を教えたのも仏教。 こちらの記事が、そのヒントになるかもしれません。

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念仏無間 の内容・解説

無間 意味

『地獄草紙』 地獄とはどんな世界なのでしょうか? 「 地獄」というのは、中国の言葉で、インドの言葉では、 「 捺落迦(ナラカ)」と言われます。 日本語でも「 奈落の底」といわれるときの 「 奈落(ならく)」という言葉となって使われています。 地獄は、私たちが、死に変わり、 する世界でも、最も苦しみの激しい世界です。 そして 最も転生する可能性が高い世界でもあります。 では地獄とは一体どんな世界なのでしょうか? 地獄はどこにある? では、地下に地獄という場所があり、を信じない人は、死んだら地獄へ行くそうです。 イエスも地下にある地獄に降りていったと伝えられています。 ところが仏教では、どこかに地獄という場所があるのではありません。 自らが生みだす苦しみの世界です。 ですから、軽業師なら針の山もへっちゃらで、ボクシングのヘビー級チャンピオンなら地獄のとも互角に渡り合って、オリンピックの水泳選手なら血の池でも大丈夫と思うかもしれませんが、どんなに運動神経がよくても、地獄の苦しみをかわしたり、逃れることはできません。 地球の地下にあるのなら、ロケットで月にでも行けば堕ちないかと思っても、逃れられません。 まったく同じ町に住んでいても、ある人は、受験地獄に苦しみ、またある人は、借金地獄に苦しみます。 それは、場所が悪いのではなく、 自らのたねまきが生みだした報いなのです。 地獄は死後にあるの? それについてお釈迦さまは、 「 従苦入苦 従冥入冥」(大無量寿経) と説かれています。 「 苦より苦に入り、やみよりやみに入る」 と読みます。 今苦しんでいる人は、死んだ後もジゴクの苦を受ける。 この世のジゴクから、死後の地獄へと堕ちてゆく、という意味です。 この世の地獄で苦しんでいるので、その結果、死後の地獄に堕ちていくのです。 この世の地獄とは? この世のジゴクとは、 何のために生きているのか分からず、 毎日がで暗いことをいいます。 「 人間に生まれてよかった」という生命の歓喜がなく、 「私ほどなものはない」と他人を恨み世間を呪い、 「こんな辛いのなら死んだ方がましだ」 と苦しむ暗い生活が、この世のジゴクです。 ですから、この世のジゴクを「 自業苦(じごく)」と書くこともあります。 このような現在が真っ暗闇の生活を送っている人は、死後も必ず真っ暗闇の地獄へ堕ちて苦しまねばならないことを 苦より苦に入り、やみよりやみに入る、と説かれています。 では、死後の地獄とはどんな世界なのでしょうか? 死後の地獄の種類は? 死後の地獄には、八熱地獄、八寒地獄、孤地獄がありますが、 「 八大地獄」といわれるのは、八熱地獄のことです。 八大地獄とはどんな地獄かというと、 お釈迦さまは、『 長阿含経』にこのように説かれています。 「 八大地獄あり。 (中略) 第一の大地獄を 想と名づけ 第二を 黒縄と名づけ 第三を 堆圧と名づけ 第四を 叫喚と名づけ 第五を 大叫喚と名づけ 第六を 焼炙と名づけ 第七を 大焼炙と名づけ 第八を 無間と名づく」(長阿含経) 色々なお経や菩薩の論、高僧の釈をまとめられ、日本で一番親しまれている源信僧都の『 往生要集(おうじょうようしゅう)』の言葉遣いでは 1. 等活地獄、 2. 黒縄衆合、 3. 衆合地獄、 4. 叫喚地獄、 5. 大叫喚地獄、 6. 焦熱地獄、 7. 大焦熱地獄、 8. (阿鼻地獄) の8つの地獄となります。 その様子は、お釈迦さまの説かれた『 正法念経(しょうぼうねんぎょう)』や『 観仏三昧経(かんぶつざんまいきょう)』などの、 菩薩の『 大智度論(だいちどろん)』や 無著菩薩の『 瑜伽論(ゆかろん)』、 天親菩薩の『 倶舎論(くしゃろん)』など、菩薩の書かれた論によって、 またに詳しく教えられています。 それぞれどんな苦しみの世界なのでしょうか? 八大地獄のありさま 1.等活地獄(とうかつじごく) 八大地獄の中で最も苦しみの軽い地獄が 等活地獄(とうかつじごく)です。 によって、等活地獄に堕ちます。 この等活地獄に堕ちた人は、お互いに顔を見合わせると憎しみが沸いてきて、つかみ合いのケンカを始めます。 みんな手に鉄の爪が生えて、鋭い刀のように相手をひっかき合い、鮮血はあたりに飛び散り果ては肉もなくなるまで争います。 白骨だけが残ると、そこへ獄卒がやってきて骨を粉々に砕きます。 すると、一陣の凉しい風が吹いて、どこかで「活!活!」と叫ぶ声がします。 この声を聞くと粉々になった骨がいつの間にかくっついて、元の骨組みになり、辺りに飛び散っていた血や肉もたちまち、元の身体になります。 そしてまた、鉄のツメで引っかき合って、苦しみが絶えない世界です。 それがどれくらい続くかというと、人間界の900万年を一日一夜にして500歳の寿命と説かれているので、約1兆6千億年という気の遠くなるような長さです。 2.黒縄地獄(こくじょうじごく) に加えても造ると、次の「 黒縄地獄(こくじょうじごく)」に堕ちます。 ここでは獄卒のが、罪人を熱鉄の地に臥せて、熱鉄の縄を縦横に押しつけ、その縄に随って熱鉄の斧や鋸をもって引きさくと説かれています。 また、険しい断崖絶壁の上に連れて行かれ、真っ赤に焼けた鉄の縄でがんじがらめに縛られて、刀の生えた熱い地面に突き落とされ、火を吐く犬に食われます。 食い尽くされると生き返り、また断崖絶壁の上に連れて行かれ、突き落とされることを繰り返します。 投身をした人はここに堕ちます。 黒縄地獄の期間は、等活地獄の8倍、苦しみは10倍です。 3.衆合地獄(しゅうごうじごく) さらにの罪を犯すと「 衆合地獄(しゅうごうじごく)」に堕ちます。 ここでは2つの石山の間に追い込まれて押しつぶされたり、砥石にかけられたり、鉄臼で餅のようにつかれたりします。 この地獄の木の上には、美女がいます。 「あなたを慕ってここまで来たのに、どうして来て抱いてくださらないの?」 というので、木に登ろうとすると、葉がカミソリのように鋭く、ずたずたに切り裂かれます。 血だらけになりながら木の上にたどりつくと、美女は木の下にいます。 今度は降りようとすると、またカミソリの葉に切り裂かれ、これを永遠に繰り返します。 これを刀葉林地獄といいます。 また、未成年に対して強制わいせつを働いた人は、自分の子供がいます。 その自分の子が、鬼に鉄の杖やキリやかぎ爪で局所を刺され、釘打たれています。 それを見せつけられて、自分が火に焼かれる何倍も苦しみます。 期間は、黒縄地獄の8倍、苦しみは10倍です。 4.叫喚地獄(きょうかんじごく) さらに飲酒をした人は、「 叫喚地獄(きょうかんじごく)、に堕ちます。 ここでは、鬼に責めたてられながら、熱い地面でいられたり、あぶられたり、大鍋に投げ込まれ煎じ煮られたりします。 口を鉗子で開かれて、どろどろに赤く溶けた銅を流し込まれ、五臓六腑を焼かれます。 「なんと無なんだ、こんなに苦しんでいる私をなぜそんなにいじめるのだ」 と鬼を恨み、許しを請うと、 「自分で造った悪業の報いなのに、なぜおれを恨む」 とますます怒り、 「悪い行いをする前に恐れてやめればよかったのに、なぜ悪い事をした、今更後悔しても遅いのだ」 と決して許されません。 期間は衆合地獄の8倍、苦しみは10倍です。 5.大叫喚地獄(だいきょうかんじごく) さらにをつくと、「 大叫喚地獄(だいきょうかんじごく)」に堕ちます。 ここでは、焼けた鋭い針で舌を突き刺され、声を出すことができません。 その上ではさみで舌を抜かれます。 舌が抜けると、また生えてきます。 目もくりぬかれます。 期間は叫喚地獄の8倍、苦しみは10倍です。 6.焦熱地獄(しょうねつじごく) さらに邪見の罪によって「 焦熱地獄(しょうねつじごく)」に堕ちます。 ここでは熱鉄の地面に寝かされ、せんべいか肉団子のように叩きつぶされ、熱い鉄鍋であぶられます。 或いは下から上まで串刺しにされ、焼き鳥のように焼かれます。 大火災の中に投げ込まれ全身の穴という穴から火を噴き始めます。 この地獄の火に比べると前の5つの地獄の火は雪か霜の如しと説かれています。 ということは、地獄の火をガソリンで火になっているようなものだとすれば、焦熱地獄の業火は、原爆のようなものです。 7.大焦熱地獄(だいしょうねつじごく) さらに、を守っている比丘尼を誘惑すると 「 大焦熱地獄(だいしょうねつじごく)」に堕ちます。 ここは至るところ火で燃えています。 燃えていないところは針の穴ほどもありません。 普通の火なら消すことができますが、地獄の炎は不滅の火ですので、消すことができません。 たきぎや枯れ草のように焼かれます。 また、炎の刀で皮膚をはぎとられ、肉を火で焼かれた上に、赤くぼこぼこ沸騰した鉄を注ぎ係けられます。 大聖熱地獄は、焦熱地獄のさらに10倍の苦しみです。 8.阿鼻地獄(無間地獄) さらに、親殺しの 五逆罪や、仏法を謗る 法謗罪を犯した者は、 「 阿鼻地獄(あびじごく)」に堕ちます。 阿鼻地獄に堕ちると、手足の節々から火炎が吹き出し、その苦しみがひまなくやってくるので、「 (むけんじごく)」ともいわれます。 この地獄の寿命は8万劫です。 1劫は、4億3200万年ですから、その8万倍です。 その間、片時も休む間なく、大焦熱地獄の1000倍の大苦悩を受け通しとなります。 その大苦悩とはどれくらい大きいのでしょうか? 地獄の苦しみの程度 お釈迦様は『 賢愚経』に 「 どんなたとえを使っても、地獄の苦しみは説けない」 と説かれています。 それでも弟子たちは、 「何とかたとえでなりとお教え頂けないでしょうか」 とお願いすると、お釈迦様は、このようなたとえで教えられています。 「朝100本の槍で貫かれ、 昼100本の槍で貫かれても死なず、 晩にまた100本の槍で貫かれ、 毎日300本の槍で貫かれて、 もう体につながった処のない程になる。 その苦しみをどう思うか?」 「わずか一本の槍でつかれた痛みさえ、どんなにか分かりません。 ましてや1日300本でつかれる苦しみは心も言葉も及びません」 すると、お釈迦様は豆粒ほどの小さな石を拾われて、 「この石と向こうにみえるヒマラヤ山とどれ程違うか」 「それは、大変な違いでございます」 「毎日300本の槍で貫かれる苦しみを、この石だとすれば、地獄の苦しみはあのヒマラヤ山のごとしだ」 と言われています。 これでは私たちに、地獄の苦しみを分からせることは、私たちが犬や猫にテレビやパソコンの説明をするよりも、大変なことであったに違いありません。 地獄と聞くと、虎の皮のフンドシのや釜ゆでの釜や、針の山、血の池を想像して、そんなもの子供だましのおとぎ話だと、あざけったり笑ったりするのは、苦しみをあらわす表現であることを知らないからです。 自業自得のによって、自ら生み出す世界が地獄なのです。 そしてこの果てしない苦しみから離れる方法が仏教に教えられているのです。 それは仏教の真髄ですので、小冊子とメール講座にまとめておきました。 一度目を通しておいてください。 メニュー•

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インファナル・アフェアの意味・由来

無間 意味

無間地獄(阿鼻地獄)とは 無間地獄(むけんじごく)は、 阿鼻地獄(あびじごく)ともいいます。 阿鼻は、阿鼻叫喚の阿鼻です。 無間地獄は、の中でも最も苦しい世界です。 一体どんな世界なのでしょうか? 無間地獄の名前の由来・無間とは 「 無間地獄」の「 無間」とは、 インドの言葉の「 阿鼻」を中国語にしたものです。 意味は、「 間が無い」と書くように、 休む間もなく、苦しみ続けるということです。 普通、学校の勉強でも 会社で仕事をするにしても、 昼休みのような休憩があります。 ところが、無間地獄には、昼休みはおろか、 どんな小さな休憩もありません。 たて続けに苦しみを受け続けます。 一体どんな世界なのでしょうか? 無間地獄の様子 には、 無間地獄の様子をこのように描かれています。 無間地獄へ堕ちるまで まず、無間地獄に堕ちる無間業という罪を犯した人は、 死ぬと二千年の間、たった一人で泣きながら 真っ逆さまに堕ちていきます。 これを「 頭下足上(ずげそくじょう)」といいます。 なぜ今さら後悔するのだ。 誰一人助けてくれる者はない。 この苦しみをひとすくいの水だとすれば、 無間地獄の苦しみは、大海のような苦しみだ」 と叱責します。 すると確かに下の方から聞こえてくる罪人たちの 阿鼻叫喚の悲鳴を聞くと、 苦しみが10倍になって悶絶し、堕ちていきます。 無間地獄の情景 無間地獄にたどり着くと、 高さ8万由旬・8億キロメートルの七重の鉄の城に行きます。 これが「 無間の火城」です。 周りは、7重に鉄条網で取り囲まれ、その周りに刀の林があり、 四隅には、体長40由旬・400キロメートルの銅の番犬がいます。 牙は剣、歯は刀の山、舌は鉄のムチ、すべての毛孔から猛火と臭い煙を噴き出して、 稲妻のような眼光で見張っていますので、脱出は不可能です。 獄卒は、18人のがいて 64の眼を持ち、かぎのように曲がったむき出しの牙が上に向かって 火が流れ出し、無間の火城に満ちています。 頭の上に牛の頭が8つあり、それぞれ18本の角があり、 一本一本の角から猛火を噴き出しています。 城の中には鉄のはたほこというものがあり、 矛から旗が垂れていて、炎がほとばしり、 城の中に満ちあふれています。 四方の門の敷居の上には80の釜があり、 沸騰した銅が流れ出して城内を満たしています。 ちなみに銅が溶けているということは、 1083度以上の赤くトロトロにとけた銅です。 室内には、8万4千の鉄の蜂と大蛇が毒と火を吐いています。 百千の雷のように咆哮し、鉄の雨を降らせています。 また、五百億の虫がくちばしから火を吐きながら 落ちてきます。 無間地獄で受ける苦しみ 無間地獄の猛り狂った燃え下がる炎が、 罪人の皮に穴をあけ、肉に入り、 骨の随まで焼き尽くします。 東西南北の四方から、 間断なく炎が放射されてくるので、 間断なく焼かれ、苦しまなければなりません。 苦しみに責められた悲鳴が聞こえてくるので、 他にも罪人がいるらしいことだけがわかります。 口を熱鉄の金具で開かれ、 舌を抜き出され、牛皮のじゅうたんのように広げられ、 100の鉄釘でとめられます。 口の中に熱鉄の砲丸を入れられ、 溶けた銅を注ぎ込まれます。 無間地獄の苦しみの程度 無間地獄の苦しみの大きさは、 他ののすべての苦しみの合計の 1000倍以上の苦しみです。 そのため、無間地獄に堕ちた罪人が、 無間地獄の次に苦しみの激しい大焦熱地獄を見ると、 のように見えます。 もし無間地獄の苦しみを説こうとしても、 1000分の1も説くことができません。 譬喩でたとえることさえもできません。 もし無間地獄の苦しみを話す人と聞く人がいれば、 どちらも血を吐いて死んでしまいます。 無間地獄の刑期 無間地獄の刑期は、 『 観仏三昧経』には、無間地獄についてこう説かれています。 「 これらの罪人は、このに堕し、八万四千大劫を経歴する」 1劫は気の遠くなるほど長い期間で、 4億3200万年ともいわれます。 1劫を4億3200万年として、 八万劫の苦しみを受けるとすれば、 人生80年と無間地獄の期間を比べるとどうなるでしょうか? 長さにたとえて、 人生を1ミリだとすれば、 無間地獄は地球10周半になります。 ほとんど永遠に想像を絶する苦しみを 受け続けなければならないのです。 では、どんな人が無間地獄に堕ちるのでしょうか? 無間地獄に堕ちる罪 どんな人が無間地獄に堕ちるのかというと、 五逆罪を造った人と、 法謗罪を造った人です。 『 観仏三昧経』にはこのように説かれています。 「 方等経を謗り、五逆罪をそなえ…(中略)… 衆罪をそなうる者、身は阿鼻獄に満ちる」 「 方等経を謗り」というのは 大乗仏教を謗る法謗罪です。 『 涅槃経』には、このようにあります。 「 もし父母、仏および弟子において不善の心を生じ、 悪業をおこさん。 かくの如きの果報、阿鼻獄にあり」 父母に不善の心を起こして造る悪業が五逆罪、 仏および弟子に不善の心を起こして造る悪業が法謗罪です。 『 十往生経』には、 「 この経を読誦する者あるを見るに或いは相瞋恚し、 心に誹謗を懐き…(中略)…に堕ち、 八万劫中大苦悩を受く」 と説かれています。 このように、五逆罪と法謗罪は、 無間地獄に堕ちる恐ろしい罪なので、 「 無間業」といわれます。 では、五逆罪と法謗罪とは、 それぞれどんな罪でしょうか? 五逆罪とは 五逆罪というのは親殺しをはじめとする、 5つの逆恩の罪です。 これは、手にかけて親を殺すのは もちろん五逆罪ですが、 心を最も重く見る仏教では、 親を恨んだり、 「 邪魔だなー」とか 「 うるさいなー」などと 心で思っただけでアウトです。 また、 「 こんなに苦しいのなら死んだほうがましだ」と思うのは、 親が産みさえしなければこんなに苦しまなくてもよかったのに、 と親を恨んでいるのですから、五逆罪です。 このようなことを思ったことがあれば、 無間地獄に堕ちます。 法謗罪とは 法謗罪とは、仏教を謗る罪です。 「 仏教なんて子供だましだ」 「 聞く必要はない」 などと謗るのはもちろんですが、 仏教に説かれていることを 「 そんなことはおとぎ話のようなものだろう」 と疑ったり、軽んじたりするのも、 法謗罪です。 お釈迦さまは『 涅槃経』に、 すべての人の本当の姿を 五逆、謗法の者と教えられ、 そしてこの果てしない無間の苦しみから逃れる方法を 教えられたのです。 それは仏教の真髄ですので、 小冊子とメール講座にまとめておきました。 一度目を通しておいてください。

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