青色 発光 ダイオード で ノーベル 賞 を 受賞 した の は。 中村修二

青色発光ダイオード(青色LED)で、日本人3人がノーベル賞

青色 発光 ダイオード で ノーベル 賞 を 受賞 した の は

発明に関しては0%です。 彼の貢献は、発明されていた青色発光ダイオードを低価格で量産化するための技術開発の目処を付けたこと。 これも立派な業績ですが、ノーベル賞に値するかどうかは、ノーベル賞委員会が値すると判断したものなので、私が判断する立場ではありません。 ・ 素材(窒化ガリウム)はすでに、世界中で使われていた段階です。 ・ きれいな青色は、もっと大昔にできていました。 それを長寿命化したのが名古屋大学の赤崎研究室です。 高い輝度も赤崎先生の後を継いだ方たちで実用化されていました。 ・ 日亜は、窒化ガリウム結晶の製造工程に、中村先生が中心となって開発した404特許という技術を数か月間利用し、低コスト化、量産化しました。 その時世界で初めて「量産品の市販」をしたわけです。 ・404特許は、一般的に用いられた既知の技術「気相成長法」に、さらにガスを吹き付け気流を調整するものです。 ・ その後はそれより有効な方法が出てきたので、すぐに、中村先生の特許による方法は使われなくなりました。 【 おまけ 】 発明の権利は、個人か会社かという論理で、マスコミを抱き込み、東京地方裁判所とカリフォルニア大学に、青色発光ダイオードの発明者だと信じさせることに成功し、地位とお金をせしめた手法は、好きになれませんが、中村先生以降、同じ傾向の研究が盛んになったのは、彼の功績だと思います。 なお、将来にわたって日亜が利益を得るはずだと裁判所が誤認した青色発光ダイオードの基本特許は、名古屋大学が有していて、低価格で世界に公開しています。 bimsonhotelさんは、大きな誤解をしていらっしゃいます。 東京地裁が、「青色発光ダイオードの基本特許」で、将来にわたって得るだろうとした利益は、600億円。 そのうち200億円を中村先生が得るのが妥当としたのが、判決ですよ。 bimsonhotelさんの引用元は分かりませんが、数値も、根拠も全然違っています。 もしかすると、裁判を有利にするために中村先生が流した情報をうのみにしていらっしゃいませんか? 裁判に悪用されることになった世論のミスリードに気づいた読売新聞は、その後、安定な青色発光ダイオードが名古屋大学の赤崎研究室で開発された経緯を特集記事にしました。 事実上、中村先生発明説の撤回です。 すでに価値なしとして404特許を放棄していた日亜に対し、東京高裁で不利になることが予想された辣腕の弁護士は、地裁での勝訴を捨て、スピード和解を積極的に進めました。 ちょっと誤解がありますね。 中村氏の貢献は、「輝度が高く、かつ長寿命の青色LEDの製造技術の開発」だけなんですよ。 けど、これがなければ、世界に普及しなかったのです。 ノーベル物理学賞としては赤崎、天野両氏が順当で、中村氏は完全両氏のオマケであることは言うまでもない。 (ついでいうと、田中耕一さんや山中伸弥教授のノーベル賞も海外受賞者のオマケと感じる。 )ちなみに、中村氏受賞の陰で、窒化ガリウムインジウムを初めて青色LEDの材料として開拓した松岡隆志東北大教授が受賞を逃しました。 特許については、改良技術が確立したために、日亜は維持を打ち切ったのです。 メーカーの特許は改良技術がメインになれば、旧い技術に特許権維持を打ち切るのはよくあることです。 ただ、渦中の特許権者を中村氏に移転しなかったのは、今、会社の名誉を思えば失策でしたね。 アメリカに対する憧れが強く反日本の人みたいですね。 先日も日本批判をしていましたが受賞時の海外のインタビューでは日本は差別が横行している国だとか研究者は日本を捨ててアメリカに来るべきだとか、会社を相手取って裁判を起こし得た8億円の一部もアメリカに寄付したみたいです。 全ての科学者が拝金主義で動いているわけではないし海外から自分の価値観を押し付けるのはどうかと思います。 アメリカに憧れるわりに学生のインタビューでは彼の英語が分からないと言われてました。 日本を批判しながら現役を退いたら日本に帰るかも・・・だとか。 中途半端なかんじの人というイメージ。 先にLED赤色緑色の発明をした東北大のなんとか教授も同時に受賞させるべきじゃないでしょうか。 彼の発明が無ければ白色のLEDもできなかった。 政府から何か章をあげてほしい。 そのとおりです。 中村氏は量産化に成功したものの開発したのはあくまで先のおふたりです。 それに赤瀬氏 会社 に対して中村氏は 訴訟は会社名 訴訟を起こしている経緯があります。 従って赤瀬氏らと中村氏とには遺恨があり、関係はよくありません。 私は日本的と言われようと、中村氏の行動には疑問を呈さずにいられません。 ようするに金が欲しかったとしか思えない。 それにノーベル賞を日本の新聞だけが日本人3人受賞と報じたが中村氏は2001年にはすでにアメリカ人であり、これはおかしいと思う。 他国のメデイアはすべてアメリカ人又は日系アメリカ人というような報じ方であり、それが正しいと思う。 日本のメデイアはバカじゃないかと思うよ。 会社を相手取って訴訟を起こした時も一斉に中村氏の味方になっているが、おかしいと思うね。 偉そうに日本の研究環境がどうこう言える立場かと思う。 もともとノーベル賞は生産化や製品化で成功した人にはあまり賞を与えない。 基礎研究に対して与えることが多いのだが、赤瀬氏との裁判はいたみわけとなっているためにそういう意味では公平な選び方とも言えないことはない。

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青色の発光ダイオードがつい最近まで作れなかった理由を教えてくだ...

青色 発光 ダイオード で ノーベル 賞 を 受賞 した の は

光技術の革命 LEDは電圧を加えると発光する半導体素子で、電気エネルギーが直接光エネルギーに変換され、発熱などのロスが生じないことから、省エネルギーの発光体として注目されていた。 発明は1962年で、当時ゼネラル・エレクトリック社の研究者だったニック・ホロニアックJr. 氏によるもの。 当初は赤色のみだった。 後に西澤潤一・東北大学教授により、高輝度の赤色LED・緑色LEDが開発され、日本はLED研究の中心地の一つとなる。 さらに黄緑色LEDも開発されたが、光の3原色(赤・緑・青)のうち残る青の開発は難航。 適切な素材がなかなか絞り込めないのが原因だった。 青色LEDの実用化で、すべての色の光をLEDで作り出すことが可能になり、工業製品としての応用範囲が劇的に広がることになった。 基礎を作った名古屋の2人 赤崎勇氏は、1929年鹿児島県出身。 京都大学理学部化学科卒業後、松下電器産業入社。 同社東京研究所基礎研究室長、名古屋大学教授を歴任。 青色発光ダイオードの材料となる窒化ガリウム(GaN)の結晶化などに成功した。 天野浩氏は、1960年静岡県出身。 名古屋大学工学部電子工学科卒業、同大学大学院博士課程中退。 工学博士。 名古屋大学助手、名城大学教授など歴任。 赤崎教授の共同研究者。 怒りのノーベル賞受賞 中村修二氏は、1954年愛媛県出身。 徳島大学工学部卒業、同大学大学院修士課程修了。 工学博士。 大学院修了後、徳島県の日亜化学工業に入社。 同社で窒化ガリウム結晶の量産化に成功した。 だが、後には日本企業の研究環境に失望し、カリフォルニア大学に移籍することになる。 また退社後、日亜化学に対し、この製造法の特許権の個人への帰属の確認および会社への承継の際の対価支払いを求める裁判を起こし、日本の企業慣習と「職務発明」の際の特許権個人帰属の問題に一石を投じることになった。 中村氏は、受賞決定後の記者会見でも「怒りがすべてのモチベーション」と、日本企業と社会に対する不満をぶちまけていた。 日本のノーベル賞受賞者は22人に 今回の受賞決定で、湯川秀樹氏(1949年物理学賞)から連なる日本のノーベル賞受賞者(外国籍含む)は総計22人となった。 内訳は物理学賞10人、化学賞7人、医学・生理学賞2人、文学賞2人、平和賞1人。 日本人のノーベル賞受賞者 受賞年 賞 氏名、業績 2012 医学・生理学賞 山中 伸弥(やまなか・しんや) 京都大学iPS細胞研究所長・教授(受賞時) 業績:さまざまな組織の細胞になる能力がある「人工多能性幹細胞(iPS細胞)」を開発 2010 化学賞 根岸 英一 (ねぎし・えいいち) 米パデュー大学特別教授(受賞時) 業績:「有機合成におけるパラジウム触媒を用いたクロスカップリング」に成功 鈴木 章 (すずき・あきら) 北海道大学名誉教授(受賞時) 業績:同上 2008 物理学賞 南部 陽一郎 (なんぶ・よういちろう) 米シカゴ大学名誉教授(受賞時:米国籍) 業績:「自発的対称性の破れ」の発見 小林 誠 (こばやし・まこと) 高エネルギー加速器研究機構名誉教授(受賞時) 業績:「CP対称性の破れ」を理論的に説明した「小林・益川理論」を提唱 益川 敏英 (ますかわ・としひで) 京都大学名誉教授(受賞時) 業績:同上 化学賞 下村 脩 (しもむら・おさむ) 米ボストン大学名誉教授(受賞時) 業績:「緑色蛍光タンパク質(GFP)」の発見・開発 2002 化学賞 田中 耕一 (たなか・こういち) 島津製作所フェロー(受賞時) 業績:生体高分子の同定および構造解析のための手法の開発 物理学賞 小柴 昌俊 (こしば・まさとし) 東京大学名誉教授(受賞時) 業績:岐阜に建設された素粒子観測装置、カミオカンデで素粒子ニュートリノを世界で初めて観測 2001 化学賞 野依 良治 (のより・りょうじ) 名古屋大学理学部教授(受賞時) 業績:ルテニウム錯体触媒による不斉合成反応の研究 2000 化学賞 白川 英樹 (しらかわ・ひでき) 筑波大学名誉教授(受賞時) 業績:電気を通すプラスチック、ポリアセチレンの発見 1994 文学賞 大江 健三郎 (おおえ・けんざぶろう) 作家 業績:『個人的な体験』(1964)などの作品を通じ、現実と神話が密接に凝縮された想像の世界をつくりだし、現代における人間の様相を衝撃的に描いた 1987 医学・生理学賞 利根川 進 (とねがわ・すすむ) 米マサチューセッツ工科大学教授(受賞時) 業績:「抗体の多様性生成の遺伝的原理」の発見 1981 化学賞 福井 謙一 (ふくい・けんいち) 京都大学工学部教授(受賞時) 業績:化学反応と分子の電子状態に関する「フロンティア電子理論」を樹立 1974 平和賞 佐藤 栄作 (さとう・えいさく) 元首相 業績:非核三原則を提唱するなど太平洋地域の平和に貢献 1973 物理学賞 江崎 玲於奈(えさき・れおな) 米IBMワトソン研究所主任研究員(受賞時) 業績:半導体におけるトンネル現象の実験的発見 1968 文学賞 川端 康成 (かわばた・やすなり) 作家 業績:代表作『伊豆の踊子』(1927)や『雪国』(1935-1937)を通じ、微細な感受性をもって日本人の心の神髄を表現した 1965 物理学賞 朝永 振一郎 (ともなが・しんいちろう) 東京教育大学教授(受賞時) 業績:水素原子のスペクトルの観測データと予測値のずれの解決に超多時間理論が有効であると考え、これを発展させた「繰り込み理論」を完成 1949 物理学賞 湯川 秀樹 (ゆかわ・ひでき) 京都大学理学部教授(受賞時) 業績:原子核の陽子と中性子を結びつける粒子、中間子の実在を理論的に予言した カバー写真:左から天野教授、赤崎教授、中村教授(時事).

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日本の3氏に2014年度ノーベル物理学賞—青色LEDの開発で

青色 発光 ダイオード で ノーベル 賞 を 受賞 した の は

光技術の革命 LEDは電圧を加えると発光する半導体素子で、電気エネルギーが直接光エネルギーに変換され、発熱などのロスが生じないことから、省エネルギーの発光体として注目されていた。 発明は1962年で、当時ゼネラル・エレクトリック社の研究者だったニック・ホロニアックJr. 氏によるもの。 当初は赤色のみだった。 後に西澤潤一・東北大学教授により、高輝度の赤色LED・緑色LEDが開発され、日本はLED研究の中心地の一つとなる。 さらに黄緑色LEDも開発されたが、光の3原色(赤・緑・青)のうち残る青の開発は難航。 適切な素材がなかなか絞り込めないのが原因だった。 青色LEDの実用化で、すべての色の光をLEDで作り出すことが可能になり、工業製品としての応用範囲が劇的に広がることになった。 基礎を作った名古屋の2人 赤崎勇氏は、1929年鹿児島県出身。 京都大学理学部化学科卒業後、松下電器産業入社。 同社東京研究所基礎研究室長、名古屋大学教授を歴任。 青色発光ダイオードの材料となる窒化ガリウム(GaN)の結晶化などに成功した。 天野浩氏は、1960年静岡県出身。 名古屋大学工学部電子工学科卒業、同大学大学院博士課程中退。 工学博士。 名古屋大学助手、名城大学教授など歴任。 赤崎教授の共同研究者。 怒りのノーベル賞受賞 中村修二氏は、1954年愛媛県出身。 徳島大学工学部卒業、同大学大学院修士課程修了。 工学博士。 大学院修了後、徳島県の日亜化学工業に入社。 同社で窒化ガリウム結晶の量産化に成功した。 だが、後には日本企業の研究環境に失望し、カリフォルニア大学に移籍することになる。 また退社後、日亜化学に対し、この製造法の特許権の個人への帰属の確認および会社への承継の際の対価支払いを求める裁判を起こし、日本の企業慣習と「職務発明」の際の特許権個人帰属の問題に一石を投じることになった。 中村氏は、受賞決定後の記者会見でも「怒りがすべてのモチベーション」と、日本企業と社会に対する不満をぶちまけていた。 日本のノーベル賞受賞者は22人に 今回の受賞決定で、湯川秀樹氏(1949年物理学賞)から連なる日本のノーベル賞受賞者(外国籍含む)は総計22人となった。 内訳は物理学賞10人、化学賞7人、医学・生理学賞2人、文学賞2人、平和賞1人。 日本人のノーベル賞受賞者 受賞年 賞 氏名、業績 2012 医学・生理学賞 山中 伸弥(やまなか・しんや) 京都大学iPS細胞研究所長・教授(受賞時) 業績:さまざまな組織の細胞になる能力がある「人工多能性幹細胞(iPS細胞)」を開発 2010 化学賞 根岸 英一 (ねぎし・えいいち) 米パデュー大学特別教授(受賞時) 業績:「有機合成におけるパラジウム触媒を用いたクロスカップリング」に成功 鈴木 章 (すずき・あきら) 北海道大学名誉教授(受賞時) 業績:同上 2008 物理学賞 南部 陽一郎 (なんぶ・よういちろう) 米シカゴ大学名誉教授(受賞時:米国籍) 業績:「自発的対称性の破れ」の発見 小林 誠 (こばやし・まこと) 高エネルギー加速器研究機構名誉教授(受賞時) 業績:「CP対称性の破れ」を理論的に説明した「小林・益川理論」を提唱 益川 敏英 (ますかわ・としひで) 京都大学名誉教授(受賞時) 業績:同上 化学賞 下村 脩 (しもむら・おさむ) 米ボストン大学名誉教授(受賞時) 業績:「緑色蛍光タンパク質(GFP)」の発見・開発 2002 化学賞 田中 耕一 (たなか・こういち) 島津製作所フェロー(受賞時) 業績:生体高分子の同定および構造解析のための手法の開発 物理学賞 小柴 昌俊 (こしば・まさとし) 東京大学名誉教授(受賞時) 業績:岐阜に建設された素粒子観測装置、カミオカンデで素粒子ニュートリノを世界で初めて観測 2001 化学賞 野依 良治 (のより・りょうじ) 名古屋大学理学部教授(受賞時) 業績:ルテニウム錯体触媒による不斉合成反応の研究 2000 化学賞 白川 英樹 (しらかわ・ひでき) 筑波大学名誉教授(受賞時) 業績:電気を通すプラスチック、ポリアセチレンの発見 1994 文学賞 大江 健三郎 (おおえ・けんざぶろう) 作家 業績:『個人的な体験』(1964)などの作品を通じ、現実と神話が密接に凝縮された想像の世界をつくりだし、現代における人間の様相を衝撃的に描いた 1987 医学・生理学賞 利根川 進 (とねがわ・すすむ) 米マサチューセッツ工科大学教授(受賞時) 業績:「抗体の多様性生成の遺伝的原理」の発見 1981 化学賞 福井 謙一 (ふくい・けんいち) 京都大学工学部教授(受賞時) 業績:化学反応と分子の電子状態に関する「フロンティア電子理論」を樹立 1974 平和賞 佐藤 栄作 (さとう・えいさく) 元首相 業績:非核三原則を提唱するなど太平洋地域の平和に貢献 1973 物理学賞 江崎 玲於奈(えさき・れおな) 米IBMワトソン研究所主任研究員(受賞時) 業績:半導体におけるトンネル現象の実験的発見 1968 文学賞 川端 康成 (かわばた・やすなり) 作家 業績:代表作『伊豆の踊子』(1927)や『雪国』(1935-1937)を通じ、微細な感受性をもって日本人の心の神髄を表現した 1965 物理学賞 朝永 振一郎 (ともなが・しんいちろう) 東京教育大学教授(受賞時) 業績:水素原子のスペクトルの観測データと予測値のずれの解決に超多時間理論が有効であると考え、これを発展させた「繰り込み理論」を完成 1949 物理学賞 湯川 秀樹 (ゆかわ・ひでき) 京都大学理学部教授(受賞時) 業績:原子核の陽子と中性子を結びつける粒子、中間子の実在を理論的に予言した カバー写真:左から天野教授、赤崎教授、中村教授(時事).

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