ハプスブルク家 あご。 【歴史】ハプスブルク家の呪いか?17世紀の王家に見られる独特なしゃくれ顎は近親結婚の影響が大きいと科学者

ハプスブルク家

ハプスブルク家 あご

肖像画が残っているのでそれらを見ると、とんでもなく鋭角な顎をもっている人がチラホラ。 あのマリー・アントワネット、マリア・テレジアなども受け口だったという説もありますが、肖像画によるとそうではなかったようです。 ハプスブルク家の彼らは、割と近親で結婚することが多かったようで、より血が濃くなっていったとか。 このことからも、受け口は遺伝することがわかります。 そして、今までは骨格だけが遺伝するものだと思っていましたが、遺伝によって顔つきや歯並びはかなり影響されるようです。。。 歯並びまでとは。。。 恐ろしい。 自分の子供ができる時は、骨格だけは似ないで欲しいですね。 てか、お子さんをお持ちの受け口の方に遺伝について聞いてみたいです。 オフ会でお会いした方々に聞いた限りだと、100%ではないにしろ、受け口は遺伝による影響も大きいように感じます。 でも家族には全く受け口はいないっていう人もいますから不思議ですね。 そういう人は環境や習慣の問題で受け口になってしまったのでしょうね。 私は高校生の時ぐらいから受け口だったようで(のちにアルバムで確認しました)父親の遺伝を受け継いでます。 しかし4つ下の妹は顎はシャープですが、 受け口ではないです。 しかも似ておらず姉の私が言うのもなんですが、周りが言うとおり美人です。 私には小4・小1の娘が2人いますが、きれいな横顔をしています。 定期的に歯科に連れていきますが、反対咬合と言われたことは一度もありません。 ただ、主人も高校生の時に顎が狭いせいで歯並びが悪かったらしく、歯列矯正をしていますので、もしかしたら私たちの歯並びを受け継いでるかもしれません。 女の子は父親の遺伝を受け継ぐ、とよく言いますので、おそらく受け口にはならないような気がします。 私は高校を卒業したころから受け口が目立ち始めました。 母はEラインで歯並びもきれいですが父が・・・。 残念な横顔です。 私の兄はEラインではありませんが受け口ではありません。 hanasakiさんが言われるように女の子は父親の遺伝をより多く受け継ぐとよく言われますね。 ただ娘の同級生は完全に反対咬合でお母様もそうです。 受け口が遺伝することは少なからずありますね。 私にも娘が二人いますが受け口ではありません。 ただ私も成人を間近に控えて目立ち始めたので、 矯正歯科で定期的にチェックしもらっています。 12月いよいよ手術です。 ひろさんのブログには助けられています。 私の通っている歯科では手術直後は噛みあってないことの方が多いが、 術後矯正できちんと噛みあうように持っていくと言っています。 きっとひろさんの噛み合わせもきれいになると思いますよ! お互い装置撤去までまだまだですが、ここまで頑張ったんですから 必ず良い結果が待っていると信じましょう!! はじめまして。 いつも読ませていただいています。 手術お疲れ様でした。 私は主婦で、現在反対咬合のため術前矯正中です。 私は父親の噛みあわせを受け継いでいます。 父親と娘は似る、、が、確かに確率的には高いかもしれません。 でもうちには幼い男の子が二人いますが、上の子は主人に似て綺麗な正常で、下の子が私と同じ反対咬合です。 今まで口元にコンプレックスを抱いて生きてきましたので、下の子には必ず矯正をして、きれいにしてあげたいです。 小さい頃から、矯正してあげるとその分矯正期間もかなり長くなりますが、抜歯することもなく、顎も出ずに治療することができるそうです。 私も自分の顎についてはあきらめていますが、子供には大丈夫だと思います。 逆に受け口のままの人のほうが、ヨーロッパを牛耳ったり、猪木さんらのように、強く生きていける事もあるわけで、無理して病名をつけて、大事な、お金や時間を費やし、なんの責任も執らない、知ったかぶりで見ず知らずの、あなたや、矯正歯科、歯医者の紹介で、上手いか下手かも判らなく面識もない口腔外科医に、世界に一つだけの特徴を持った体をゆだね、骨、神経を切り、この上ない痛い思いをし、他者には理解できない個々の後遺症、痛み、苦しみ、それゆえの、そこからくる将来への不安や無責任な医者と戦かっていく人もいるわけです。 経験者なら、そう易々と勧められないと思いますけど。 他の経験者の意見、感想 求む。 もう一度、同じ手術を体験したいですか? 戻ってしまった人や失敗した人は悔しさのあまり、したいと言うでしょう、でも気持ちは自然と逃げ出したいと思うはず。 早く忘れたいか、思い出したくもないでしょう。 経験者なら。 手術中の写真とか見ても、絶対、嫌になりますよ。 後遺症で不定愁訴、違和感を訴えても、異常無しと応えられてしまえば、一般的にそこまでですからね、今は。 そんなんでもタダでは診てくれないですよね。 ぴ炉君 ゆちゃく されたら 痛み抱えたまま 丸裸っすぜ。 子供だから、矯正の知識もなく成人しました。 一人娘もしっかり受け継ぎました。 子供が歯が生えはじめて、逆歯だとわかった時は、またつらい思いをしました。 二歳半からやっと見つけた医科大で 近所の歯科医は皆、学校上がってから来なさいと、学校上がってからでは、いじめられるんです! 今、治療中です。 装置ですぐに歯は正常に戻るのですが、下あごの発達を抑えるためにまだまだ、時間とお金がかかります。 はっきり言って、かたわ者です。 私はそう思って生きてきました。 手や足が不自由な人は、同情され、いたわりの気持ちで見てもらえますがも、こちらは軽くみられ、ばかにされるんです。 家の子もそうですが、子供のころからの矯正で治るんです。 でも保険が適用されません。 すごくお金がかかるんです。 歯科医の先生が上手か下手かは罹る者にはわかりませんが、完璧にいじめられるし、辛い思いをするのがわかっています。 私は辛い治療も、痛い治療も子供にはさせます。 今後、将来、受け口の人が辛い思いをしないために、治療のための保険適用を望みます。

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【歴史】ハプスブルク家の呪い。17世紀の王家に見られる独特なしゃくれ顎は近親結婚の影響が大きいと科学者

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650年近く広大な土地を支配した王家をご存知でしょうか。 ヨーロッパに君臨したハプスブルク家は、結婚、征服を繰り返し世界への支配を拡大してきました。 途中からオーストリアとスペインに分かれ別々の領土を支配していたわけですが、 緊密な関係を維持し自分たちのを繰り返していました。 カルロス2世 近親婚の影響をもろに受けた人物 血が濃くなるほどその影響は顕著になり、 スペインハプスブルク家の最後の皇帝となった『』は、幼少期には衣服を身につけた動物のようだったと言われています。 この記事では、『 沈まぬ帝国と呼ばれたハプスブルク家になにが起きていたのか』その歴史を紐解いていきたいとおもいます。 スポンサーリンク Contents• 世界に君臨した巨大な王朝、ハプスブルク家とは 画像 ルドルフ1世1291 より引用 ハプスブルク家はヨーロッパで最も影響力があり、傑出した王家のひとつでした。 したこと。 「 結婚は他の者にまかせておけ。 汝は結婚せよ Let others wage war: thou, happy Austria, marry 」という家訓のとおり、 ハプスブルク家は 領土を、結婚や征服、同盟の締結などにより領土を格段に広げていったのでした。 ラス・メニーナス 画:ベラスケス こちらは スペイン・ハプスブルク家の象徴ともいえる絵『 』です。 真ん中に映る愛くるしい少女は、カルロス2世の姉 です。 この絵は皇帝視点で描かれており、奥の鏡のなかに皇帝夫妻が写っていることでも有名ですね。 詳細: ハプスブルク家の一族が苦しんだ「下顎前突症」 (カール5世(Karl V. , ハプスブルク家出身の神聖ローマ皇帝 こちらの肖像画は、スペインハプスブルク家の絶頂期に君臨した 『 神聖ローマ皇帝、カルロス1世とも呼ばれる 』です。 両親の血を引いて生まれつき アゴの筋力が弱く、下顎前突症であり、また幼少期の病気により鼻腔が閉塞気味であったため、 多くの肖像画でも見られる通り、一見すると非常に下あごが突出してるように見え、常に口の開いた状態だったとされています。 これがの末、子孫に引き継がれていきます。 は次々と領地を開拓し、『世界最大の植民地帝国』を築いた人物です。 非常に優れていたとされており、 度重なる戦いをへて、いざ自分が地位をゆずる時には、 これまで余は経験不足やあまりのむこうみずさなどによって、多くの過ちを犯してきた。 しかし、けっして誰かを傷つけようという意図はもっていなかった。 もし万一そんなことがあったとすればここに許しを請いたい と言って、涙で演説がとぎれたという人柄のわかるエピソードも残っています。 スポンサーリンク 近親婚の影響を最も受けた、スペインのカルロス2世 は、 スペイン ハプスブルク家最後の皇帝です。 ハプスブルク家では近親交配により身体が脆弱にうまれる傾向が高く、 生まれる子供は幼くして亡くなり、また王妃も度重なる出産により亡くなるといった事態が多くありました。 まさに断絶間近の王家にとって、カルロス2世は「希望の子」だったのです。 しかし一家が喜んだのもつかの間、• 奇跡の子と呼ばれた カルロス2世の容姿は妻が怯えるほどで• また 知性にも影響が出ており適切な判断が下せず• スペインとその近隣諸国を適切に支配することができなかった といわれています。 これが16世代にわたる近親交配の結果であり、結局彼は子供を残すことができなかったため、 スペインのハプスブルク家はカルロス2世の代で断絶することとなりました。 ちなみに近親係数云々についてはこちら ()にまとめております。 その影響は、後世にうまれたマリー・アントワネットにも 若き日 乗馬服のアントワネット 1771年、ヨセフ・クランツィンガー画 1775年に、 オーストリアの国母と慕われたの末娘として生まれた。 あまり知られていませんが、 彼女にもハプスブルク家の「顎と下唇」は受け継がれています。 母マリア・テレジアが、娘を授かったときの言葉が残っています。 雪のように白く、真珠のように輝きのある肌に豊かな頰。 これは私のお母様に似たのね。 この子にとってきっと宝物になるわ。 長い顎と突き出した下唇はハプスブルク家からの贈り物よ。 物事に不満を持たず、いつも微笑んでいる子に育てましょう。 そうすれば下唇が目立たずにすむわね 画像:母 マリア・テレジアと夫フランツ・ヨーゼフ マリーアントワネットの肖像画 フランス革命により残酷な最期を迎えた ですが、 フランスへ嫁いだ時、国民の大多数は平和の象徴として大歓迎したといいます。 そしてなめらかな白い肌で、 生き生きした瞳、鷲鼻は貴族的とされ「 ハプスブルク家特徴の受け口もかわいいとされた」そうです。 参考記事: スポンサーリンク そもそもなぜ近親婚がタブーとされるのか (フベラスケス最後の肖像画は、フェリペ・プロスペロ皇子) こちらは先ほど出てきた カルロス2世の兄、。 肖像画に反映されているとおり、皇子は身体が弱くわずか4歳でこの世を去りました。 そもそも近親婚が禁止されている理由は、• 血が近いと同じ「劣等遺伝子」「欠損」を保持している可能性があり• それが強く子供に受け継がれる可能性があるからです。 劣等遺伝子 が顕著に受け継がれた場合、よくも悪くも普通から外れる可能性が高いといいます。 これが美形だったり優秀な能力を持っていたりすれば良いのですが 、 ハプスブルク家にみられる「下顎前突症」などわかりやすく表面化してしまうことがあるのです。 スペインハプルブルク家、5代にわたる近親婚の経緯 名門スペイン王室として、臣下や格下の諸侯との結婚などありえなかった。 透けるような白い肌、高貴な青い血を守るため、狭いなかで血族結婚を繰り返したハプスブルク家。 高貴な血を守ること、プライドは、王家断絶より重要なことだったのでしょうか。 (詳細:) スポンサーリンク ハプスブルク家の終焉 Portrait of Maria Theresa of Habsburg, Francis I, Holy Roman Emperor, and their thirteen children は1918年11月、帝国の崩壊はヨーロッパの自由の始まりであったとも言われています。 ハプスブルク家の複雑な歴史をかんたんに紹介した文として、 13世紀から20世紀にかけて現在のドイツ、オーストリア、スペイン、イタリア、ベルギー、オランダ、チェコスロバキア、ユーゴスラビア、ルーマニア、ポーランド、ハンガリーにおいて帝国、王国、公国、公国の統治者を輩出した とアラン・スクが言葉を残して います。 顎だけではない、宮廷に作られた子供たち 顕著な例として取り上げた について今回色々な文献を調べました。 悲しいことに顎だけではなく、が解剖医師により残されていました。 If birth is a beginning, of no man was it more true to say that in his beginning was his end. From the day of his birth they were waiting for his death. wikipedia. 参考記事: スポンサーリンク あとがきにかえて 名声に権力に富、一度手に取ると、人間はどんな道でも走ってしまうのでしょうか。 それがよくない結果を生み出すとわかっていても。 国を背負って戦いながらも進まないといけない、それを次世代に渡さなければいけない、といったプレッシャーは計り知れないものです。 その中でも希望を託して生まれてきた子供達、ただしゃくれているとかそういう問題でなく、「身体も辛く痛かっただろうなあ」とか色々なことを考えてしまいます。 しかしどんな形であれ宮廷の宿命を全うした彼らは今頃、生まれ変わって平和な生活を送っていたらいいなあ、と思うのでした。 (植民地云々の話しはおいて、ここにおくのはあくまで、宮廷の子供視点での解釈です)血族結婚についてはこちら にまとめております。 ハプスブルク家シリーズはこちら• その他関連記事• スポンサーリンク この記事を書くために参考にさせていただいたサイト• theguardian. open. museodelprado.

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バイエルン王女アレクサンドラ(ドイツ) 「透明な巨大ピアノ」の妄想に取り憑かれた王女 アレクサンドラは、バイエルン王国第2代国王 ルートヴィヒ1世の娘。 ナポレオンの甥から結婚の打診があったものの、生まれつき虚弱体質だったため断り生涯独身だったそうです。 彼女はいくつかの精神病を患っており、そのせいで異常に潔癖性。 服は白いものしか着ることができなかったそうです。 また、 「子どもの頃に巨大で透明なグランドピアノを飲み込んで、それが体内にまだある」という妄想に死ぬまで取り憑かれていました。 フランス語の児童文学をドイツ語に翻訳したり、いくつか小説も執筆しました。 作品はWeihnachtsrosen(クリスマスの薔薇)、Feldblumen(地面の花)など。 本の世界に生き49歳で亡くなりました。 フェルディナント1世(オーストリア) 全くと言っていいほど喋らなかった王様 オーストリア皇帝フェルディナント1世は精神面が弱く、人前で喋ることがほとんどなかったそうです。 政治はほとんど有能な宰相メッテルニヒにお任せで、彼はひたすら静かに宮廷で時間を過ごしました。 ほとんど唯一と言っていい、フェルディナント1世が喋った記録が、有名な「クネーデル」の逸話。 ある日、 「アプリコットのクネーデル」が食べたいと注文したフェルディナント。 シェフは 「アプリコットはいまシーズンではないですから、別のものを作って差し上げます」と言いました。 余は皇帝であるぞ、余はクネーデルが食べたいのだ! と大声で叫んだのだそう。 ちなみにクネーデルとは、マッシュポテトと小麦粉をベースにいろいろな具材を足して蒸したり茹でたりした料理です。 1848年、ヨーロッパ各地でウィーン体制打倒を掲げる労働者の暴動が相次ぐ。 オーストリアでも3月革命が勃発し、宰相のメッテルニヒはイギリスに亡命。 フェルディナント1世も退位させられます。 次の皇帝に就任したのは、国民から「不死鳥」と敬愛され68年もオーストリア帝国を支えることになる、有能な君主フランツ・ヨーゼフ1世でした。 ルートヴィヒ2世(ドイツ) メルヘンの世界に生きた王様 バイエルン王ルートヴィヒ2世は子どものころから夢見がちな少年で、騎士物語や神話が大好きだったそうです。 バイエルン王になってからは、中世風のノイシュヴァンシュタイン城や、湖の上に浮かぶ島にヘレンキームゼー城という壮麗な城を建てたり、 自分が思い描くメルヘンの世界の実現を追い求めました。 このような城や建物の建設に加えて、普墺戦争の敗北による賠償金で財政はひっ迫。 ルートヴィヒ2世は現実世界から目を閉ざすように、ますます自分の世界に閉じこもるように。 昼夜が逆転した生活を送り、夜中に森を駆け回ったり、誰もいない所に話しかけたり、様々な奇行で人々の眉をひそませた。 1886年、ルートヴィヒ2世は廃位され、翌日にシュタルンベルグ湖で水死体で発見されました。 この死の真相は未だに謎のままです。 マリア・エレオノーラ王妃(スウェーデン) 腐乱した夫の死体を愛した女王 マリア・エレオノーラの夫は、スウェーデンの英雄グスタフ・アドルフ。 当時ヨーロッパで最も美しいと称されたマリアは、夫を異常なほど熱愛していました。 ところが1633年、夫は背後から撃たれて死亡。 マリアは絶望のあまり、棺桶に入った夫の遺体と共に1年近く部屋に閉じこもり、部屋を暗くして蝋燭だけを立てて、慟哭する日々を過ごしました。 娘のクリスティーナも母の命令でその部屋で一緒のベッドで寝ていましたが、遺体は腐乱し始めていたため、病気にかかってしまいました。 PR 5. マリア1世(ポルトガル) 子どもを失い気が狂った女王 1777年から1816年までポルトガルの王座に就いた女性。 もともと精神的に不安定な一面を持ち「狂女ドナ・マリア」とあだ名されるほどでした。 それは夫と息子を相次いで亡くした1786年〜1788年から顕著になり、 夜中であるにも関わらず、発作的に息子のことを思い出して大声で泣きわめいたり、 息子の遺品をさも本人であるかのように慈しみ他人には触れさせないなどの奇行が目立つようになったそうです。 ただし彼女の治政は、ナポレオン戦争が起きる前までは、科学や学問を推奨、商業、工業、軍備を拡張して安定したものでした。 クリスチャン7世(デンマーク) 道徳的に荒れた生活を送った王様 デンマーク王クリスチャン7世は統合失調症で、症状が現れない時は明晰な判断をすることがありましたが、国の政策が支離滅裂な指示に左右されるときもありました。 しかし基本的には政務には無関心で、そのせいで侍医のヨハン・ストールンエンセの専制を招きました。 クリスチャン7世はひどく退廃的な生活を送り、特に性生活はひどく、 「1人の妻を愛し続けるなんて、イケてない」 という理由で妻以外の女と寝ることを公式アナウンス。 堕落した性生活を送りました。 カルロス2世 1661 - 1700(スペイン) いくつも障害を持っていた王様 カルロス2世はスペイン・ハプスブルグ家最後の国王。 生まれつき病弱で疾患を患っており、咀嚼が困難だったので常によだれを垂らしており、また知的障害もあったためまともに教育を施すことすら難しかった。 そのため、特に執政らしいことは行うことはなく、宮廷で日々を過ごしました。 2回目の結婚のあたりからますます 精神状態は悪化し、 前妻の遺骸を墓から掘り起こして手元に置くなど、奇行が目立ち始めたそうです。 また、性的不能だったため彼の代でスペイン・ハプスブルグ家は断絶しました。 まとめ 支配正当性のために近親相姦を繰り返す、というのは歴史上よく見られましたが、それが慣習化すると酷いことになる例だと思います。 王には意思決定をするだけの能力がなく、単にお飾りに過ぎなくなり、職業政治家の宰相や官僚が幅を効かせるようになってしまう。 それは組織の老朽化や新陳代謝の悪化を招き、支配正当性どころか亡国への道を歩む。 宗教でも政治でも何でもそうですが、「純粋性」を追い求めるとろくでもないことになるのですね。 ・関連書籍.

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