三 回 見 たら し ぬ 絵。 【井川絵見】四月は君の嘘の登場人物、キャラクター紹介

見たら死ぬ系 (みたらしぬけい)とは【ピクシブ百科事典】

三 回 見 たら し ぬ 絵

呪いというものは、色々なものがあります。 古くは、新しくはTwitterなどのSNSを利用したデジタルグラッジとも言える電子の呪いです。 そのどれもが形を変えても、 『人が人を憎しみで殺す』ことには変わりはありません。 人の歴史の中で戦いが切っても切れないのと同じで、憎しみが存在する限り呪いも無くならないのではないでしょうか。 恐ろしいものとは、この世の中には沢山あります。 ですが、その本質に存在する『死』とは、人が作り上げた最も純粋な【恐怖】なのではないでしょうか。 この憎しみとはどこから生まれるのでしょう。 人に騙されたから? 家族や大事な人の死? はたまた境遇や不平等? 弾圧された日常でしょうか? ともあれ、憎しみとはその理由も違う上に、その憎しみを向ける対象ですらも違うといっていいでしょう。 では、これからご紹介する一人の画家は、一体なんに向けて『憎しみ』を向けたのでしょう。 時を経て、それが『呪い』に変わるほどの憎しみを。 こちらの絵をご覧ください。 【閲覧注意・自己責任にてスクロール、閲覧ください】 ……有名な絵ですよね。 最近はネット発信の【見てはいけない】、【検索してはいけない】というテーマのものには必ずと言っていいほど登場する絵です。 鏡台なのか、椅子なのか曖昧なデザインのアンティーク風の椅子に、目にすっぽりと穴が開き、妙なシーツのようなもので嵩を上げられ、祀られた真っ白な顔の長い髪の女性の首。 なんとも言えない表情で、くりぬかれた瞳でどこかを見つめています。 退廃した砂漠のような風景にぽつんと存在するそれは、見る者を不安に陥れるのでした。 この絵には、このような言われがあります。 私のような人も多いのではないでしょうか。 それでも、この【3回見たら死ぬ】というジンクスはなくならないのでしょう。 もしかすると、本当に誰か死んでいるのでは? ……ファンタジーかもしれませんが、あの絵の目が無い女性を見ると、あながち虚言とも思えなくなってしまうのが不思議です。 さて、非常に気味の悪い絵ですが、なぜこの絵が呪いの絵などと呼ばれるようになったのでしょう。 それは、この絵の作者であるズジスワフ・ベクシンスキーの人生にその起因があります。 ポーランドに生まれ、ポーランド語だけを話し、ポーランドから外に出ることもなく、生涯を終えました。 彼の生前から、その退廃的で命の終わりを思わせる画風から『終焉の画家』と異名を持つほど、その筋では有名な画家だったのです。 少年時代にはナチスによるポーランド侵攻をその身に体験しており、それが後の画風に影響したかはわかりません。 不気味で恐怖を煽る独特な画風から、彼の人間性が注目されましたが、彼自身は少し内向的ではあるものの、陽気で話好きだったそうです。 彼の人生は壮絶でありました。 1998年に妻が亡くなり、悲しみに暮れていた翌年。 今度は音楽評論を生業としていた息子が、うつ病を患った果てに自殺を遂げたのでした。 ベクシンスキーは、息子の死を現実のものと受け入れられなかったようで、息子の死後にも関わらず、『もし私がくたばった時に備えて』という手紙を息子に宛てて、壁にピン止めしてあったそうです。 ベクシンスキーは自宅に押し入ってきた二人の若者に、17か所も刃物で刺され死亡しました。 妻の死、息子の自殺、そして彼自身は殺されてしまったのでした。 ベクシンスキーは、政治に対する不満と、マスコミ嫌いも相まって、生涯ポーランドを出ることはありませんでした。 ですが同時に、その愛するポーランドで家族と自らの生涯を奪われた……そう言ってもいいのではないでしょうか。 彼が追い求めた数々の呪いの絵。 ベクシンスキーはもしかすると、自らの人生を見透かしていたのかもしれません。 ではないと、こんなにも絶望的な絵を描き続けることは出来ないとは思いはしませんか。 確かに、あの絵は不気味で不安を煽りますが、ベクシンスキーの絵はどれもあの絵に引けを取らないクオリティですし、一貫して死を象徴した画風です。 しかし、そのロジックは意外に簡単なものでした。 ネットがこの絵を勝手に『呪い』にしてしまったのです。 ベクシンスキーの不幸な人生と、この不気味な絵を合わせ、面白がって誰かが『3回見たら死ぬ』としたのでしょう。 そもそもベクシンスキーは、建築画の出身だったそうです。 心理学などは一切学んでいません。 ですので、彼の絵にそう言った計算めいたものはありません。 彼は絵の他にも写真も携わっていたといいます。 人の呪いとは、もっと理由のないものなのではないでしょうか。 愛が理屈でないように、憎しみも、きっと純粋な本能なのです。 ……ということは、もしかすると誰かが無差別に人を呪い続けたいために、故意にベクシンスキーの絵が利用された……という見方もできるのではないでしょうか。 もしも、そうなら。 その人間の【存在】そのものが、【呪い】であり、それを生み出した人間自体、【呪いそのもの】なのかもしれません。 あなたは何度、この絵を見ましたか? 【関連記事】.

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阪神が“取られたら取り返す”大山が勝ち越し適時三塁打/阪神タイガース/デイリースポーツ online

三 回 見 たら し ぬ 絵

昨日ひさしぶりに間違いだらけのクトゥルフ神話TRPGでエゴサしてたらニコニコ動画と言うサイトに辿り着いたのでタグを辿ってファンアートを見ていました。 大昔のコンテンツらしくファンアートは2017年頃から投稿されてなかったのですが、昨日見たら一件増えていたのでブログを書こうと思いました。 こちらになります。 知っている人もいるかもしれませんがこの方は霧隠魔理沙と鬼塚キスメの立ち絵を提供してくれた徳の高い方です。 注意書きに無断転載禁止とあるのでぼくがブログで晒すこと自体ほぼ迷惑行為なんですが、DLして画像として添付するのではなくリンク貼りなのでセーフだと思いました。 だめそうなら記事ごと消します というわけで三年ぶりかつおそらく最後になるファンアートが立ち絵をくれた人だったので、よくもまあ最後まで見たなぁと根気に感心してブログを書こうと思いました。 当たり前ですけどこの方は1期リアタイ勢のひとりです。 古参だから偉いとかそういう話ではないですが、ぼくが視聴者ならとっくに飽きて最終回なんか上がったって聞いても絶対に見ないと思うので、何年にも渡って関心を持ち続けることはすごいことだと思います。 特にファンアートというのはけっこうシビアで、流行ってなきゃ描かれないし相当好きじゃなきゃ伸びないジャンルの絵は描けません。 これは当たり前のことだと思います。 絵を描くのには物凄い労力が必要なので上げたところで誰も見ないようなジャンルじゃ心身の消耗と釣り合わないですからね。 中には金も絡んで同人ゴロみたいな言われ方をしている極端な例もありますが、基本的には悪いことではないと思います。 ぼくも自分の力では何も生み出してないカスですが一応動画を投稿してたので、そういう結構な労力がかかっていることがちょっとわかります。 なのでファンアートを貰うということはそういう芸術のセンスがある人に行動を起こすほど心を動かしてもらえたんだなと感じられて昔も今も結構嬉しいんですね。 だったらツイッターでRTやリンクを貼るとか、コメントをするとか、許可を取って動画のエンドカードやサムネに使わせてもらうとか少しでも自分が持ってる数字を還元して恩返しすればよかったのにと思わないこともないですが、内気なうえに硬派気取りなのでそういうのはできなかったんですね。 この方に関してはもちろん立ち絵を提供した以上最後まで見届けようという優しさも絶対あると思いますし、その優しさに対して5年だか7年だか数えるのも嫌になるような年月をかけて待つことと見ることを強いるという仕打ちで返した畜生がぼくです。 と言うわけで立ち絵を貰ったことをもうちょっと話します。 ぼくはカスなのでお礼なら貰ったときに言ったしどんな理由があっても視聴者をひとりだけ特別扱いするのは違うでしょというツッパリ心があり、この場で改めて感謝したり称賛したり視聴者にもそうするよう求めたりすることはしません。 たとえ思ってなくても言うだけ言っとけよって感じですね。 それはおいといて、魔理沙とキスメの立ち絵をくれたこの方は数少ない「この人がいなければこの動画はこの形では存在できなかった」という関係者のひとりです。 たぶん他にはミストさんの表情差分コラをくれた人くらいのもんですね。 ツイッターを消しちゃったのでその人は今となってはもう誰なのかもわかりません。 ぼくにコミュニケーション能力があって無駄なプライドがなければもっとたくさんの人と関わったり力を借りたりしながらもっといいコンテンツを作ることができたんでしょうが、そういうことはしてこなかったので全てこの方たちが自分から動いてぼくに力を貸してくれた結果です。 また絵を見ればわかると思いますがめちゃくちゃ上手いです。 ぼくはカスなのでたとえ善意で提供してくれた立ち絵だったとしてもちょっと使うのは嫌だなぁ…と思う出来だったら何かに理由をつけて封印していたに違いありません。 自分では描けないくせに大した根性ですね。 あの頃はTRPG動画もぼくの動画も人気絶頂で勢いがあったので、実際魔理沙の立ち絵を頂いて使い始めてから露骨に使われたがっている立ち絵のファンアートがちらほら出てきたものなんですが、「これポロっと貰っちゃったけどクオリティクッソ高いんだな…」ってあとからすごさに気付かされました。 ただで貰えるもんじゃないですよ。 そして立ち絵でひとつ面白い現象があって、あの立ち絵にはいろんな表情差分があるのですが表情のレパートリーにセリフが寄りそっていくということがありました。 先にその時どの表情をしているのかというイメージがあってそれに合わせたセリフが湧いてくるというプロセスの繰り返しの中でキャラの立ち振る舞い全体が立ち絵に寄っていくという感じです。 どうしてもシリアス寄りの内容で起こる出来事の毛色もパターン化されてたので、頂いた全ての差分を活かしきることはまるでできなかったわけなのですが、そういう現象もあってあの2キャラに関しては二次創作であることを棚上げしてもぼくがひとりで書いたものではないんだなと思います。 誰なのかもわからなくなってしまいましたが、ミストさんの立ち絵をくれた人の功績もみなさんならよくわかると思います。 確かツイッターでくれた人の友達が作ったという話だった気がします あれがなければミストさんはあのクソうぜえにやけ面しか表情がなく、最終局面でもずっとヘラヘラしていたということになります。 それはそれでミストさんらしいですが、シリアス顔があったことで原作には異常なほどなかった人間臭さを付加できました。 ああいった場面の数々も、シリアス顔差分がなければ着想すること自体不可能だったわけです。 そして最後に描いてもらった絵も動画本編の爽やかな結末とマッチしてていいですね。 あの動画の中ではプレイヤーとしてのミストさんも夜霧野ミストさんも大した役者だったと言えると思うので、オスカー賞を受賞しているのも頷けます。 クズのようで聖人のようでちゃんと人間らしいところもあったりする面白いキャラクターですね。 決戦後のほうが逆に人間臭く感じられるのが好きです。 決戦前は何があってもめげないすごいやつなんだなーって感じでスーパーヒーローみたいに見えるんですけど、後になってみるとこいつも人間なんだなって感じる描写が無数にありますね。 人間と言うのは人の間と書くように、クリア後のミストさんはどんな風になっても家族として受け入れてくれる竜宮島の人々や信じて一緒に戦ってくれるアルヴィスの面々、同じ立場で志を共にするニンジャスレイヤー飛影、帰りを待っている人などたくさんの人の間に存在しているからちゃんと人間に見えるということなんでしょう。 やりたいようにやっただけでそういう意図があってあのようになったわけではないんですが、そうだったことにします。 リアル童貞の人、そこまで考えて… そう考えるととっくに廃れたクソゲーのクソ主人公を弄ることにここまで執着したぼくも間違いだらけを最後まで追い続けた人と同じようなものを持っているのかもしれません。 なんだかんだ言って長くやってきた活動なのでいろんな人がいるようですね。 見始めたときは小学生だったとか魔理沙の三十路ネタで草生やしてたら自分が先に三十路になっちまったとか親が間違いだらけ見てて知ったとか、コメント読んだり検索したりするといろいろあって笑えます。 見た人がどうなろうとぼくの人生には何の影響も関係ないんですが、親子や兄弟姉妹など家族で一緒に見ているという人もたまにいてそういうのはいいなと思います。 ぼくは別段オタクに理解のある家族ではなく、創作をやっていること自体が全く知られていないし教えようとも思わないので羨ましくもあります。 家族はぼくにもいるのでぼくの動画を見てどこかの家族が仲良く過ごすのはいいことだと思いますが、この動画のおかげで友達ができたとか恋人ができたという人はなんかムカつくのでいてもうれしくありません。 空想の世界にすがって一生日陰で生きようや。 通知がいっぱい来ててビックリしてたらブログが書かれていた! お久しぶりです。 静画の引用リンク大丈夫です、お気遣い下さり有難うございます。 問題ないです。 徳は低い方なので扱いは雑で大丈夫です。 気軽にいじってください、はい。 優しさというより、単にいつかさんの描くお話が面白くて好きなので完走できました。 引き込まれるんだなぁ。 こちらもツイッターでやり取りした際にお話ししたので割愛しますが、わたしの方こそいつかさんがいたからこそ描きあげられたものですので。 オムライスの添えのパセリくらいの気でおりますが、そう言っていただけると嬉しいですフヘヘ。 オスカー絵は動画を観た瞬間思いついた構図でとても楽しく描けました。 いつかさんの正直なツッパリ心、好き。 改めて自分の行動を振り返ると、思い切ったことしたなあと思いますし、好きなものに対する情熱って凄まじいんだなと痛感しました。 立ち絵導入回は定期的に見返してはニヤニヤしてます。 エヘヘ。

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【閲覧注意】3回見たら死ぬ絵を検索したら大変なことになったけど生きてる

三 回 見 たら し ぬ 絵

呪いというものは、色々なものがあります。 古くは、新しくはTwitterなどのSNSを利用したデジタルグラッジとも言える電子の呪いです。 そのどれもが形を変えても、 『人が人を憎しみで殺す』ことには変わりはありません。 人の歴史の中で戦いが切っても切れないのと同じで、憎しみが存在する限り呪いも無くならないのではないでしょうか。 恐ろしいものとは、この世の中には沢山あります。 ですが、その本質に存在する『死』とは、人が作り上げた最も純粋な【恐怖】なのではないでしょうか。 この憎しみとはどこから生まれるのでしょう。 人に騙されたから? 家族や大事な人の死? はたまた境遇や不平等? 弾圧された日常でしょうか? ともあれ、憎しみとはその理由も違う上に、その憎しみを向ける対象ですらも違うといっていいでしょう。 では、これからご紹介する一人の画家は、一体なんに向けて『憎しみ』を向けたのでしょう。 時を経て、それが『呪い』に変わるほどの憎しみを。 こちらの絵をご覧ください。 【閲覧注意・自己責任にてスクロール、閲覧ください】 ……有名な絵ですよね。 最近はネット発信の【見てはいけない】、【検索してはいけない】というテーマのものには必ずと言っていいほど登場する絵です。 鏡台なのか、椅子なのか曖昧なデザインのアンティーク風の椅子に、目にすっぽりと穴が開き、妙なシーツのようなもので嵩を上げられ、祀られた真っ白な顔の長い髪の女性の首。 なんとも言えない表情で、くりぬかれた瞳でどこかを見つめています。 退廃した砂漠のような風景にぽつんと存在するそれは、見る者を不安に陥れるのでした。 この絵には、このような言われがあります。 私のような人も多いのではないでしょうか。 それでも、この【3回見たら死ぬ】というジンクスはなくならないのでしょう。 もしかすると、本当に誰か死んでいるのでは? ……ファンタジーかもしれませんが、あの絵の目が無い女性を見ると、あながち虚言とも思えなくなってしまうのが不思議です。 さて、非常に気味の悪い絵ですが、なぜこの絵が呪いの絵などと呼ばれるようになったのでしょう。 それは、この絵の作者であるズジスワフ・ベクシンスキーの人生にその起因があります。 ポーランドに生まれ、ポーランド語だけを話し、ポーランドから外に出ることもなく、生涯を終えました。 彼の生前から、その退廃的で命の終わりを思わせる画風から『終焉の画家』と異名を持つほど、その筋では有名な画家だったのです。 少年時代にはナチスによるポーランド侵攻をその身に体験しており、それが後の画風に影響したかはわかりません。 不気味で恐怖を煽る独特な画風から、彼の人間性が注目されましたが、彼自身は少し内向的ではあるものの、陽気で話好きだったそうです。 彼の人生は壮絶でありました。 1998年に妻が亡くなり、悲しみに暮れていた翌年。 今度は音楽評論を生業としていた息子が、うつ病を患った果てに自殺を遂げたのでした。 ベクシンスキーは、息子の死を現実のものと受け入れられなかったようで、息子の死後にも関わらず、『もし私がくたばった時に備えて』という手紙を息子に宛てて、壁にピン止めしてあったそうです。 ベクシンスキーは自宅に押し入ってきた二人の若者に、17か所も刃物で刺され死亡しました。 妻の死、息子の自殺、そして彼自身は殺されてしまったのでした。 ベクシンスキーは、政治に対する不満と、マスコミ嫌いも相まって、生涯ポーランドを出ることはありませんでした。 ですが同時に、その愛するポーランドで家族と自らの生涯を奪われた……そう言ってもいいのではないでしょうか。 彼が追い求めた数々の呪いの絵。 ベクシンスキーはもしかすると、自らの人生を見透かしていたのかもしれません。 ではないと、こんなにも絶望的な絵を描き続けることは出来ないとは思いはしませんか。 確かに、あの絵は不気味で不安を煽りますが、ベクシンスキーの絵はどれもあの絵に引けを取らないクオリティですし、一貫して死を象徴した画風です。 しかし、そのロジックは意外に簡単なものでした。 ネットがこの絵を勝手に『呪い』にしてしまったのです。 ベクシンスキーの不幸な人生と、この不気味な絵を合わせ、面白がって誰かが『3回見たら死ぬ』としたのでしょう。 そもそもベクシンスキーは、建築画の出身だったそうです。 心理学などは一切学んでいません。 ですので、彼の絵にそう言った計算めいたものはありません。 彼は絵の他にも写真も携わっていたといいます。 人の呪いとは、もっと理由のないものなのではないでしょうか。 愛が理屈でないように、憎しみも、きっと純粋な本能なのです。 ……ということは、もしかすると誰かが無差別に人を呪い続けたいために、故意にベクシンスキーの絵が利用された……という見方もできるのではないでしょうか。 もしも、そうなら。 その人間の【存在】そのものが、【呪い】であり、それを生み出した人間自体、【呪いそのもの】なのかもしれません。 あなたは何度、この絵を見ましたか? 【関連記事】.

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