ヒッチ コック 映画 術。 サスペンス映画の王様・ヒッチコック監督の面白くておすすめの作品5選

映画術 ヒッチコック/トリュフォー

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バーグマンとの長い友情 ヒッチコックとバーグマンの友情は、たとえば「マイ・ストーリー」(バーグマン自伝)などで楽しそうに書かれている。 ヒッチコックは「夕方6時を過ぎないと決してマティニーを飲まなかった。 人のグラスをいっぱいにしておくのが好きだった。 彼はわたしに底なしという名誉称号をたてまつった」飲み過ぎたバーグマンが「ヒッチ、わたし眠くなったわ」「眠りなさい。 その間に食事を作っておくから」バーグマンが目をさますと真夜中だった。 ヒッチコックが向かいのソファで眠っており片目をあけたのでこう聞いた「ヒッチ、食事は」「忘れていたよ。 そして「汚名」のラスト近くベッドに横たわるバーグマンを、伝記作家ドナルド・スポトーは「ヒッチコック映画と生涯」でこう書く。 憂さ晴らしのパーティーでFBIのデブリン(ケーリー・グラント)にあい、南米に逃げたナチス一党と彼らの計画をさぐりだす任務を打診される。 すてばちなアバズレ女ふうにグラントにからむバーグマンがみものだ。 彼女にはテクニックを超越する輝かしい素質があると、イングリッドと舞台で共演したマクスウェル・アンダーソンは言った。 ハリウッド入りした当初は「スウェーデンからきた健康な雌牛」などと評された、よく笑う大柄で無邪気な女優は、いまや押しも押されぬアメリカ映画界の頂点にかけあがっていた。 吸い込まれるような笑顔。 スクリーンを圧倒する堂々たるグラマーぶり。 ワインセラーに秘密があるとデブリンはにらみ、中に入れる鍵を手に入れるようアリシアに頼む。 姑(レオポルディーネ・コンスタンス)はアリシアを臭いと見ぬくのだが、ベタ惚れの息子は母親をうるさがるだけだ。 アリシアの正体がわかったとたんセバスチャンは「母さん、母さん。 助けてくれ」と泣きつく。 母親は(それみたことか)ことを荒立てずヒ素で毒殺しようと提案する。 マザコンの息子とモンスター姑を「彼らが映画をおもしろくした」とヒッチコックはほめた。 クロード・レインズは「汚名」でみごとオスカー助演男優賞を受賞している。

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アルフレッド・ヒッチコック

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ヒッチコックの現存するサイレント時代の全作品を、デジタル修復で完全復元した「ヒッチコック9」が、東京・東劇で1週間限定上映されることが決定した。 一挙上映は、京都に続き世界で2番目 『恐喝 ゆすり 』より、撮影時のヒッチ・コック監督 様々な映画手法を取り入れ、その後の映画界に多大なる影響を与えて、ハリウッドの帝王とも称されるアルフレッド・ヒッチコックは、ハリウッドに渡る前にイギリスで多くの作品を手がけている。 初期作品は保存状態も悪く、散逸したものもあった。 そこで、英国映画協会が、現存するヒッチコックのサイレント時代の全9作品を、1コマずつデジタル修復を施し、このたび完全復元し蘇らせたのが「ヒッチコック9」だ。 『快楽の園』 先日世界で初の全作品上映が、MOXIV京都にて行われ、期間限定でありながらも連日多くの観客がつめかけた。 東京での上映もとの声が高まったことで、今回1週間限定で東京・東劇での上映が急遽決定した。 上映されるのは、監督デビュー作となった『快楽の園』 1925 をはじめとして、『下宿人』 1927 『ダウンヒル』 1927 『リング』 1928 『ふしだらな女』 1928 『農夫の妻』 1928 『シャンパーニュ』 1928 『マンクスマン』 1929 『恐喝 ゆすり 』 1929 の全9作品。 全作品を一挙上映するのは、京都に続いて今回の東京での上映が世界で2番目となる。 また現時点ではこの9本のソフト化も未定とのことで、貴重な鑑賞の機会となる。 『ふしだらな女』 初日の『恐喝 ゆすり 』上映後は映画評論家・監督の樋口尚文と、映画監督の深田晃司、2日目の『下宿人』上映後は映画監督の篠崎誠のトークイベントも行われ、また京都同様、今回も9作品中6作品で古後公隆によるピアノとチェロの生演奏が楽しめる。 上映期間は2017年3月18日から24日まで。 smt-cinema. 2017. 10 13:40• 関連記事.

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再びヒッチコック特集3 汚名(1946年 サスペンス映画)

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・フ・ヒッチコック ( eph ch、9年~) ので、後にでも活躍。 『の』と呼ばれた、20世紀を代表するである。 にAFIが作成した『を感じる』では、9本の作品が選出され、見事となっている。 ちなみにに、彼の代表作『』であった。 作品の特徴としては「 な」が、ではありえないほど連続で起こる点が挙げられる。 例を挙げると『北北西に進路を取れ』ではがごと崖から落とされそうになったり、に襲われたりする。 また『特員』では偽警官、偽に命を狙われたり、でのスングな潜入など。 このありえない偶然の連続が強な緊感を生み、往々にして見られる「褄が合わない点」への疑問を観客に抱かせず、に没頭させている。 ある種のたちはのをに撮る。 はのをに撮る。 まさにこの名文句通りの作であった。 ヒッチコックの巧みな技法は・スコセッシ、ウェス・、、など多くのにを与えている。 経歴 9年、のストーンに生を享ける。 は店兼の卸売商で、三人のん中だった。 幼少時のにまつわる逸話としては 「やんちゃが過ぎた為にに連れられ、染みの警官の手で留置場に入れられ、その恐怖体験がに傾倒するきっかけとなった」という話が本人の口からられている。 ただしこれは、の名手である自分の生い立ちを脚色した可性が高い。 の時にが死去。 会社の技師として働きながら美術学科で絵の勉強をしたは、宣伝部を介してのに入る事となる。 の・を重ねて実績を積み、脚本・助を経験。 そして年、 『快楽の園』のとして。 3作の 『下宿人』は初ので、行・評価ともに高く、大成功を収めた。 次々と作品を発表する中、を務めていたマ・ルとする。 折時代はからトーへと移行が始まり、新たなるは的に需要が高まっていた。 には『』を発表。 という間における騒動を絶妙ので描き出した本作をもって、ヒッチコックの名は一気に高まった。 長らくで活動していたヒッチコックだったが、やがての都・に活動の場を移す。 10年の 『』を皮切りに、色の強い作品から・まで、多様な作品を世に送り出す。 しかし年代後半から低迷、に陥ってしまった。 そんな彼をから救ったのは、後にとなった大、をに起用した 『ルMをせ!』であった。 その後もヒッチコックとは 『裏』『泥棒』でもを組み、いずれも大を記録。 勢いに乗った彼は 『知りすぎていた男』『』『北北西に進路を取れ』『』『』と、彼の作品群の中でも最も知名度の高い、まさにに残るを連発。 を迎えることとなった。 なの頃の権を獲得している。 には、ので、自身がした短編を毎週放送する 『ヒッチコック劇場』が。 ・のように、自ら解説として出演していた。 また、一部作品は彼がも務めた。 これもでを集め、まで放送された。 の吹替はが担当し、のんびりとしたり口調で染みが深いも多い。 しかしの 『マーニー』以後はやや精を欠き、が落ちる。 産業の低迷も拍をかけた事も一因に挙げられているが、加えてに『 ・ノオ』が開、この新たなの登場でヒッチコックのは古いと観客が感じ始めてしまったのも原因の一つだった。 しかしの 『』ではを絞殺するをスングに描き出し、ヒッチコックの復活を内外にする結果となった。 だが依然高かった意欲に反して、代も後半を迎えた彼の体からは最その意欲に耐える体は失われていた。 に 『・』を撮し、これがとなる。 実はヒッチコックは次に『ナイト』というーのを撮しようとしていた。 脚本、、も決まり、にも大掛かりなを作り上げ、あとは撮を始めるだけだったのだが、高齢で病を抱えた体にを感じたヒッチコックは自らにこれ以上作りをすることが出来ないと伝え、『ナイト』は幻の作品となった。 によりナイトの叙勲を受けるが、その4か後に腎不全を起こし、・で亡くなった。 主な監督作品 時代 開年 邦題 原題 備考 快楽の園 THE PE 作 16 山鷲 THE UN 現存しているのは僅かなのみ 下宿人 THE ヒッチコック初の 17 下り坂 DOWLL ふしだらな女 THE G 18 の妻 THE RMER'S WE CHGNE 19 マンクスマン THE MAMAN 初トー作品 0 ストリー・グ TREE と O AND THE K ! DER! 版有 『MY』 1 勝負 THE SKIN 2 あり怪事件あり RH AND 第十 NUER 3 からのワルツ R' E WZ 4 暗殺者の THE MAN EW TOO MUCH 5 三十九 THE THTY- S :4位 6 最後の日 THE タージュ 7 第3逃亡者 AND I 8 THE LADY VANHES 9 窟の I 時代 開年 邦題 原題 備考 10 作品賞 受賞 特員 FOGN REST 11 夫妻 AND. 断崖 ION 12 逃走 R 疑惑の OF DOT 救命艇 FT 14 ・ヴォージュ BON VOY の冒険 E MAHE 同上 ? 15 い恐怖 SLLBOUND 16 汚名 OUS 17 パラン夫人の THE E 18 ロープ E 19 のもとに UNDER RN 10 恐怖症 HT 11 見知らぬ乗客 RS ON A T 12 私はする I CO 14 ルMをせ! DL M FOR DER 裏 RE OW 15 泥棒 TO CH A TF 16 の災難 THE WH 知りすぎていた男 THE MAN EW TOO MUCH 『暗殺者の』の 17 間違えられた男 THE WR MAN 18 VEO 19 北北西に進路を取れ BY W 0 3 THE B 4 マーニー MN 6 引き裂かれたテン N CN 9 トパーズ 11 Y 16 LY 時代では『下宿人』『暗殺者の』『三十九』『』、時代では『裏』『』『北北西に進路を取れ』『』『』といった、通ならもが知っているであろうを数多く手がけている。 特に『北北西に進路を取れ』『』『』は上に残るとして、の常連である。 もちろんその作品のほとんどはで、のような出来事がに降りかかるものばかりであり、これだけ恐怖を描き続けたはヒッチコックぐらいである。 観客をすさまじい緊感と恐怖の底へ込む、巧みな演出手腕が最大の特徴であった。 そのため彼が を作るにあたってまず取り掛かっていたのは、の作成だったという。 『』のをはじめとして、技術面で後世に多大なを与えた新な演出も多く、は彼の技術を存分に継承し、の評価を得ている。 しかし、これほどたくさんのを手がけたヒッチコックであったが、つくづく賞には縁がなかった。 賞には5度に渡ってノミネートされたが、結局受賞はなし。 当時のではは軽視されていただったのが大きな理由の一つであった。 『』が特殊効果賞を受賞できない点からも、への軽視が伺える。 10年の『』で作品賞を受賞したものの、「これはであったデヴィット・O・ズに与えられたもの」と本人はっている(実際、作品賞の像を受け取るのは、ではなくである)。 ズは数多くのに携わっている名である。 には、業界に多大な功績を残した人物に与えられる『アービング・G・グ賞』を受賞したが、これは「頑ったで賞」的な意味合いが強いものであった。 、授賞式で像を受け取ったヒッチコックは「THANK 」という一言だけの、彼らしい皮たっぷりのスを披露している。 エピソード・人物 自ら出演していたや番組では、流暢かつ的な、親しみやすい話し方でを集めていた。 対談したも、まるでと話しているかのような流暢なの進みぶりに好感を持ったとっている。 とにかくそののは抜群で、彼が大衆のを得たのは、の手腕のみによるものではなかった。 ちなみには、彼のことを「の」と評している。 しかし一方、基本的に人づきあいが苦手で、皮屋であったとされる。 プライベートではの自宅に篭ることが多かった。 このの体質には、や観客からの評価をかなり気にする繊細な性格がしていたようだ。 その打たれ弱さたるや、酷評されると底まで落ち込んでいたほどらしい。 若い頃から晩年に至るまでの長いキャの中でも変わらずを飛ばす実と感性の持ちでありながら、3度に渡って長いに陥ったというとも、おそらく関係ではない。 彼自身その性格をわかっており、の作品のことはすぐに忘れて常に次の作品の事を考えるようにしていたという。 彼の孫がいうには 「しつけに厳しかったが、物静かで、とてもいい祖であった」ようだ。 一方、 関係者の間では、の扱いが酷いというのが上がっており、に嫌われた原因の一つとして知られる。 ヒッチコックはを『畜』呼ばわりし、彼らが演技らいような演出も気で使った。 これは撮時に常にを想像し、観客に最も効果的なを見せる事を最優先していた為である。 ヒッチコックとプライベートでも親交の深かった・の自宅には、ヒッチコックの 重なメモが残されている。 それには打ち合わせ中などに思いついた皮溢れる言葉が書かれている。 自身のにはほぼ必ず 出演する他、の予告には自ら出演してその内容や魅を直接観客に説明していたことで知られている(同時期のに共通する特徴である)。 彼の 遠にも判別できるっぷり独特のはあまりにも有名。 もともとは低予算でもまともに雇えなかった時期に仕方なくやっていたことだったのだが、彼のそのユーモラスな姿がに受け、やめたくてもやめられなくなったというのが相らしい。 、特に知的でな印のを好んで起用していた。 その中でも・には特別な感情を抱いていたとかいないとか。 生涯に渡ってマ夫人との関係を維持し、らしいはなかったが、『マーニー』のッピ・ヘドに関係を迫って断られたことが晩年までのの原因であったともされており、いろいろあったのはなようである。 そのマ夫人は、時には脚本の執筆に協するなど、陰にに彼を支えた功労者であり、では「の」を支えたもう一人のとさえ称されている。 一般的に使いやすいと言われるアズ・出身の(ダスン・、など)を起用せず、昔ながらのであるケーリー・トや・スチュワートを好んで起用していた。 ただのでを使わざるを得なかった事もあったが。 ヒッチコックは晩年、ケーリー・ト、・スチュワートに代わるが存在しない旨の発言を残している。 が屋で、小さいころから散々を見続けたせいで、 大の&嫌いであった。 そのため彼のでは、剥製にされていたり、を投げられたり、にもが押し付けられられたりと、の扱いがやたら酷い。 そして『』では、とうとう恐怖と嫌悪の的にされ、人々に襲い掛かるとして演出された。 しかしマ夫人によれば、生きているは嫌いだが は大好きだったとの事で、「だから『』を作ったんじゃないかしら」と冗談交じりで話している。 『ヒッチコック劇場』で放送する作品について、ヒッチコックは試写室でその出来をしていたが、いい作品は 「d」という一言だけで称賛し、駄作には何も発言せずに試写室から退室していたという。 関連動画 ヒッチコック劇場の のまんま! 関連項目•

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