玄倉 川 水難 事故 ブログ。 玄倉川水難事故から丸15年経とうとしている

玄倉川水難事故の生き残りの現在!DQNの川流れの詳細やその後まとめ

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現在はこのブログは削除されているようですが、内容からも本人だろうと言われています。 たまにね私、ふとあの時の事を思い出すんだ。 幼稚園の頃の事故あれは一体なんだったの?どうして私の家族なの? 小さい頃私がママを殺したんだ。 私さえ居なければママは生きていたんだ。 パパがね私を抱いててママがパパに助けを求めていたんだ。 手を伸ばしてね一生懸命流されないようにしてたんだ。 (引用元:コズミック) けどねパパまで水に連れていかれそうで怖かったんだ。 だからねパパやめて!って言ったんだ。 そしたらパパがママの手を離したの。 そしたらママ水と一緒にいなくなっちゃたの。 これって私のせいだよね。 ごめんね本当に…。 ママに逢いたいです。 小さい頃もずっとママが欲しかった。 皆にはママがいて私には居なくて悲しかった。 (引用元:コズミック) 今でもママが戻ってきてほしいと思っている。 あと優香にも戻ってきてほしいんだ。 私には妹がいたんだよ。 ママがいなくなっても明るい朝香でいてねって色んな人に言われた。 そう簡単に言うなと思ったよ。 けど私なりに頑張ってきた。 毎日明るく生きてる。 (引用元:コズミック) これが、その加藤朝香さんが書いたとみられる日記の一部です。 当時、加藤朝香さんは幼稚園児でした。 そのことからも、内容が玄倉川水難事故の生き残りの加藤朝香さんで間違いないようです。 加藤朝香さんだということが、バレてしまいネット上でこの日記が拡散されてしまいました。 その後すぐに加藤朝香さんのブログはすべて削除されることとなりました。 生命保険殺人陰謀説.

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玄倉川水難事故、通称DQNの川流れ

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どうも、漫画アート芸術家の粕川です! 本日は制作実績の記事となります。 2019年7月に、いつもお世話になっているアマテラスチャンネル様からの発注で「DQNの川流れ~自然を侮るヤンキーたちの末路」という漫画を制作させていただきました。 「DQNの川流れ~自然を侮るヤンキーたちの末路」は、Amazon以外の場所でもダウンロードできる場所があるのですが、 2019年9月2日時点で2800ダウンロードを超えているようです。 さらに 「DQNの川流れ~自然を侮るヤンキーたちの末路」は、Amazon売れ筋ランキングで青年マンガ部門無料Top100において、7位にまで上がりました! 日を追うごとにランキングは下降していきましたが、 無料ダウンロードとはいえ有名作品「金田一少年の事件簿」より上位につけていたこともありました。 筆者は「DQNの川流れ~自然を侮るヤンキーたちの末路」を描くなかで、感じた学びがありました。 この記事では 「DQNの川流れ~自然を侮るヤンキーたちの末路」の元となった事件を紹介するとともに、漫画を制作するなかで感じた学びについて書いていきます。 スポンサードリンク 「DQNの川流れ~自然を侮るヤンキーたちの末路」を無料で読みたい人はこちらから 漫画「DQNの川流れ~自然を侮るヤンキーたちの末路」は、Amazonで無料ダウンロードすることで読めます。 ここでは漫画の雰囲気をお伝えするため、「DQNの川流れ~自然を侮るヤンキーたちの末路」の初めの2ページのみ掲載します。 「DQNの川流れ~自然を侮るヤンキーたちの末路」の打ち合わせをした後、筆者が漫画のネームを描き、ネーム内容を確認してもらいました。 その後、クリップスタジオペイントEX 漫画制作ソフト とペンタブを用いて、完全デジタルで漫画制作をしています。 編集の方が「DQNの川流れ~自然を侮るヤンキーたちの末路」に込めた思いは以下の記事に書かれているので、興味のある方は以下の画像か文字リンクをクリックしてご覧ください。 幼い子供をふくむ若い男女計13名が、自然の怖さを無視したために川に流されて亡くなりました。 DQN(ドキュン)とはインターネットで使われる俗語で、非常識かつ反抗的な人を意味します。 そんなDQNの人たちが、川流れにあった事件でした。 「河童の川流れ」ということわざが言葉の元になっているため「川流れ」とありますが、ダムや海などでの水難事故も該当します。 DQNの川流れの犠牲者になった人たちはDQNと呼ばれるだけあって、自業自得といわれても仕方ない対応をしています。 以下にDQNの川流れの概要を書いてみます。 スポンサードリンク DQNの川流れ(玄倉川水難事故)の概要 1999年8月13日、神奈川県にある会社「富士繋」で働くトラック運転手の一家とその関係者が、玄倉川でキャンプをしていました。 メンバーは6名の子供と、若い男女合わせて25名いました。 彼らは川の中州 なかす という危険な場所で、キャンプを始めてしまいます。 中州とは、川の上流から流れてきた堆積物がたまった場所のことで、川の水位が低い時は陸地にもなります。 しかし 天候が変化して川の水位が増せば、水没してしまう危険な場所なのです。 山奥の天気は変わりやすいので、いつ川が増水するか分かりません。 さらに事件当時、玄倉川の近辺は熱帯低気圧が近づいており、大雨洪水注意報が出ていました。 そんな危ない状況でもかまわず、DQNは中州でキャンプをしてしまったのです。 まもなく豪雨になり、玄倉ダムは放流予告の警報をならしました。 ダムが放流すれば川は増水します。 ダムの管理者は何度も退避するようDQNに言いましたが、若者たちは無視。 ダムが放流した後21時10分ころ、警察がやってきて若者たちに避難するように言いました。 しかし若者たちは警察に暴言をはき、警告に従いません。 このときDQNは「警察にそんなこと言われる筋合いはねえ」と文句を言っています。 メンバーのうち危険を感じた7名は現場から退避しましたが、18名は中州に残り続けました。 この時点で川の勢いは増し、水位も上がっていたので、中州から移動するのも危ない状況です。 メンバーの中には子供もいたので、避難するのは翌朝の方がよいと警察は判断しました。 18名は、そのままテントのなかで寝てしまいます。 翌14日の5時35分には雨の勢いがさらに増して、水位は大人のヒザ下あたりまで上がっていました。 前日に退避していたメンバーや警察が、18名に避難するよう警告しましたが誰も動きません。 この時点では中州から対岸まで陸続きになっていたので、なんとかなると思い警察は帰ってきます。 しかし 8時30分ころ、ついに中州は水没してしまいました! 大人の腰くらいの高さまで水位は上がっており、対岸までは80メートルも距離がありました。 テントも流されてしまい、18名はパラソルにつかまってなんとか水流をこらえている状態です。 まもなく救助隊がきましたが、暴風雨のため救助がうまくいきません。 また霧が濃く谷間の地形であるため、救助用ヘリコプターも出せない状況でした。 玄倉ダムは人命救助のため一時的に放流を止めました。 しかし大雨なのですぐ満水し、放流しなければ玄倉ダムが決壊する危険にさらされます。 このため5分後には、また放流を開始。 その後テレビカメラもやってきたので、18名の惨状は生放送でテレビ中継されることになりました。 救助隊が必死で救助活動をしているなか、18名のリーダーは驚きの暴言をはきます。 自分たちが原因でこの事件を起こしたにもかかわらず、「モタモタするな」「仕事なんだから早く助けろ」などと叫びました。 AM11時30分ころには、水位が大人でも胸の高さまで達します。 もはやパラソルも流され、18名は濁流をこらえるのが限界にきていました。 ついにテレビカメラが生中継するなか、18名は全員流されてしまいます! この瞬間1才の幼児を抱いていた伯父が、陸に向かって子供を放り投げています。 近くにいた人が川に飛びこんでくれたので、1歳の子供は助かりました。 18名が流された方向には、下流につながる崖のように高い堰堤 えんてい がありました。 ただでさえ暴風雨のなかで堰堤に落ちるというのは、滝つぼから流れ落ちるようなものです。 18名の内リーダーを含む5名は、岸辺に流れついて助かりました。 しかし、残り13名は堰堤から流れ落ちて亡くなってしまったのです。 この事件がきっかけで、 台風の強度を示す表記が変更されることになりました。 これまでは台風の強さを示す尺度として「弱い台風」という言葉がありました。 しかし「弱い」という表記は、台風の脅威を軽視させる危険があります。 そのためDQNの川流れ以降は、台風の強度を示す表記が「強い」や「非常に強い」に変わったのです。 DQNの川流れリーダーが言った驚きの暴言! DQNの川流れで助かったグループのリーダーは、驚きの暴言をはいています。 流された人の救助をしている救助隊に向かって、「テントを回収したら返してくれ」と場違いな発言をしているのです。 さらに地元の人が差し入れでくれたおにぎりを食べたリーダーは、「まずい!」といっておにぎりを地面にたたきつけたといいます。 反省の色がまったく見えないのです。 また、これだけの事件を起こしたら生還者は謝罪の会見をすることがあるもの。 しかしDQNのリーダーは、最後までなんの謝罪もありませんでした。 これら非常識な言動がテレビで放送されてしまったので、DQNのメンバーは大きな非難にさらされました。 世間の見方としてはDQNの川流れの被害者たちに同情しつつも、自業自得という意見が多数出ています。 DQNの川流れは、川に流されて13名が亡くなる悲惨な結末となりました。 しかし同じくらい、DQNのありえない言動が衝撃的な事件だったのです。 スポンサードリンク 2019年8月14日に起きた新・DQNの川流れ なんとDQNの川流れから20年経った2019年8月14日に、新・DQNの川流れと呼ばれる事件が起こっています! 新・DQNの川流れは、大分県玖珠町の大谷渓谷近くでおきました。 天候が悪いなか、中州でバーベキューをしていた18名の車が増水のために水没。 DQNの川流れと同じような状況になった18名は、消防署に救助連絡を入れました。 1999年のDQNの川流れから20年後の同じ日に、共通点が多い事件が起こったのです。 筆者は、何か意味深な感じのするニュースだと思いました。 DQNの川流れから学べること DQNの川流れから学べることがあります。 それは、 自然の脅威を甘く見てはいけないということです。 毎年夏になると、渓流付近でキャンプなどを楽しむ人たちがいるものです。 自然は美しい場所ですが、同時に怖さもあります。 山奥では、いつ天候が悪化するかわかりません。 キャンプを楽しみながらも、いざというときの安全対策はしておく必要があります。 たとえば中州ではキャンプをしないとか、天候が悪い時は山奥でのキャンプを避けるとか、人の忠告は素直に聞くとか。 DQNの川流れは、自然の怖さを思い知らせてくれる事件です。 DQNの川流れが起きてから20年が過ぎ、あの事件を知らなかったり、忘れてしまった方がいるかもしれません。 そんな方たちにDQNの川流れのような事件があったことを思い出してもらい、教訓にしてほしいとの思いから「DQNの川流れ~自然を侮るヤンキーたちの末路」が作られることになりました。 二度とDQNの川流れのような事件を起こさないためにも、自然のなかでキャンプなどをするときは、十分気をつけて行いましょう! DQNの川流れの概要を知って「DQNの川流れ~自然を侮るヤンキーたちの末路」を読みたくなった方は、以下のリンクをクリックしてAmzonから無料ダウンロードをしてください。 その後、自分の中で漫画とアートは一つとなり「漫画アート」の創作を始める。 2010年~2013年ころにFC2やSeesaa 無料ブログ でブログを書いていました。 2016年9月にワードプレスでブログ「天才漫画アート芸術家」を立ち上げ、今に至る。 漫画描き、絵描き、ブロガー、漫画アートYouTuber、Webライターなどをしています。 これら全部ひっくるめて漫画アートです。 僕にとって生きること全体が漫画アート!漫画アートは僕にとって表現をこえた宇宙であり、生きることそのもの。 詳細なプロフィールページはただいま作成中。 漫画アートで世界を変える(change the world with manga art)!これが筆者が向かうところです。 1000年に一人の天才クリエーターと確信する漫画アート芸術家は、「漫画アートで人類史上の最高傑作を生みだす!」という目的へ向けて、今日も容赦なく爆進していきます!.

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玄倉川水難事故で生き残った少女のメッセージ

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この記事の目次• 「玄倉川水難事故」とは~13名もの死者を出した史上最悪の水難事故 「玄倉川水難事故」は、1999年8月14日に神奈川県足柄上郡山北町の玄倉川で発生した、13名もの死者を出した史上最悪とも言うべき水難事故です。 blogimg. ただ、この「玄倉川水難事故」は多くの犠牲者を出した痛ましい水難事故である一方、 ある理由から世間から大バッシングを受けた事故でもあるんですよね。 そのため、この「玄倉川水難事故」は後に 「DQNの川流れ」と呼ばれることに。 そして、現在も毎年お盆の時期になると、ネット民にネタとして語り継がれており、良い意味で注意を喚起する教訓として使われているようです。 「玄倉川水難事故」の事故現場とは? 玄倉川は、隣接する丹沢山地の最高峰・蛭ヶ岳や檜洞丸、塔ノ岳など急峻な山を水源とし、相模湾からの湿った空気を高い山々で引き受けるため、冬季を除いて降水量が多いのが特徴です。 丹沢山地の最高峰・蛭ヶ岳 「玄倉川水難事故」の遭難事故現場について、これらの気象条件と地理的条件からWikipediaには次のように解説されています。 玄倉川は降雨量によっては急激に水位を増す可能性の高い渓谷である。 玄倉ダムも渓谷を堰き止める形で建設されたものである。 遭難現場は砂防用に造られた立間堰堤上流の、水流が湾曲する地点に広がった堆砂地で河床幅は約100メートル、堰堤より2メートル高かった。 冒頭に掲げられた遭難現場の写真からは 傾斜の少ない地形がキャンプの適地にもみえるが、植生があまりない場所であることからも窺えるように、豪雨の際は水没する地点である。 wikipedia. goo. また、「玄倉川水難事故」が発生するポイントにもなった、「玄倉ダム」の位置関係を地図で示すと次の通り。 blog. so-net. 玄倉ダムで放流が行われた場合、現場がどのような状況になるのかは想像に難くありません。 実際、事故現場には 玄倉ダムの放流による注意喚起を促す立て看板が複数設置されている場所でもあるんですよね。 もちろん、放流前にはけたたましいサイレンが鳴らされますし、 被害者はそのサイレンを何度も耳にしていたはずなのです。 事故があった当時は、 河川敷でのキャンプが流行っており、しかも、深夜に ペルセウス座流星群が観測できる時期でもあったんですよね。 そのため、事故現場は、お盆休みを楽しむ家族連れやカップルで非常に賑わっていたそうです。 fc2. この雨は長時間に渡って降り続き、事故当日である8月14日の早朝5時35分には、気象庁は事故現場を含む神奈川県内全域に 大雨洪水警報を発令しています。 事故現場近くの丹沢湖のアメダスには、玄倉川が増水した事故当日の午前8時までの総雨量は114mm、救助が開始される午前10時には、1時間に38mmと猛烈な降雨が記録されています。 そんな中、史上最悪の水難事故、「玄倉川水難事故」が発生したのです。 「玄倉川水難事故」の時系列まとめ 次に、「玄倉川水難事故」発生の経緯について、 時系列に沿ってみていくとにしましょう。 ただ、あまり詳細に記述しても煩雑になるだけなので、ごくごく簡単にまとめてみたいと思います。 大部分のキャンパーは、この時点で退避したようです。 降雨から半時も経たないうちに退避警告を発していたことからも、事故現場がどれほど危険な場所なのかが推測できますね。 13日:16時50分 神奈川県全域に大雨洪水注意報が発令されています。 また、19時40分頃には雨足がさらに激しくなり、事故現場から5km上流にある 玄倉ダムが放流予告のサイレンを鳴らしています。 13日:19時50分頃 ダム管理職員が2度目の巡視を行い、 被災者グループに直接、退避を勧告 するも拒否されています。 その後、ダム管理事務所は「これ以上は危険」と判断し、地元の松田警察署に通報しています。 13日:20時20分 玄倉ダムが放流を開始しています。 大雨時に放流せずにそのまま貯水していると ダムの決壊が起こる可能性があり、さらに甚大な被害が想定されることから、放流は避けられなかったようです。 そして、21時10分には、 ダム管理職員と警察官が3度目の退避勧告をするのですが、もはや直接勧告することができない状況になっていて、その後も拡声器での退避勧告を続けました。 14日:5時35分 雨は更に激しくなり、神奈川県全域に大雨洪水警報が発令されました。 また、この頃には再度、 ダム放流のサイレンを鳴動しています。 この頃までは、なんとか歩いて川岸に辿り着ける程度の水位だったようです。 14日:6時35分 豪雨による増水により、貯水機能の乏しい 玄倉ダムが本格的に放流を開始します。 7時30分頃には、警察官がテントまで2メートル付近まで近づき、退避を呼びかけるも眠っていたのか反応はありませんでした。 しかし、7時50分頃には 遂にテントに濁流が流れ込んできたようで、被災者グループは事の重大さに初めて気付くも、すでに両川岸は遠く、どちらの岸にも自力では戻れなくなっていました。 14日:8時4分 自力での退避が不可能となり、岸に退避した社員から消防に119番通報で 救助要請が入りました。 テントはすでに流され、 中州に取り残された18人が、川床の一番高い部分で一塊となり、パニック状態でただ濁流に耐える状態に…。 14日:9時07分 足柄上消防組合から救助隊5人が、通報を受けて現場に到着しています。 すぐに、渡渉による救助を試みますが、激しい水流のために断念しています。 10時10分には、 救助ヘリコプターの出動が要請されるものの、熱帯低気圧による強風と、低く垂れこめた濃雲のため二次災害が懸念され、却下されてしまいました。 1999年8月14日:11時38分 水位は胸にまで達し、 遂に中州に取り残された18人が濁流に流されてしまいました。 1歳の甥を抱いていた叔父が、とっさに子供を岸に向かって放り投げ、岸で見守っていた別グループの人に救い上げられて助かっています。 また、この子供の父親とその姉を含む 大人3人、子供1名も奇跡的に対岸に流れ着いています。 8月15日:8時30分頃 自力で対岸に泳ぎ着き、そこで一夜を過ごした4人の生存者が救助されました。 8月16日から警察・消防・自衛隊340人体制での捜索を実施 警察・消防・自衛隊は340人体制で捜索開始するものの、流れ出した流木など浮遊物が多く、捜索は困難をきわめました。 結局、 8月29日までに濁流に流された13人全員の水死体が丹沢湖で収容されました。 「玄倉川水難事故」がDQNの川流れと呼ばれる理由~リーダーの悪態&暴言 この「玄倉川水難事故」は、犠牲者の中には全員が死亡した一家もあるという、非常に痛ましい事故なのですが、前述の通り、 「DQNの川流れ」とも呼ばれていることも事実なんですよね。 被災者グループが事故の前後で取ってしまったDQNな態度や言動が、その理由となっているのですが、それがどうしてこうまで広まってしまったのでしょうか? 実は、「玄倉川水難事故」は事故の重大性から、 ほぼ生放送に近い形で全国に放送され、多くの人がテレビの前で固唾を飲んで、被災者グループの救出を祈っていたのですが…。 それとともにネットを中心に、「被災者グループはこんなことも言っていた」、「あんな暴言も吐いていた…」なんて様々な証言が次々と寄せられることになります。 たちまちネット上では炎上騒ぎとなり、拡散につぐ拡散がされた末に、 誰かが名付けた「DQNの川流れ」という名称が大ウケし、やがて1人歩きしていった…というわけです。 今回はそんな DQNたちが放った暴言の数々についてまとめてみました。 退避勧告をしたダム管理職員や地元警察官、心配する地元住民に対する暴言 大雨の中必死に退避を促す警察官やダム管理職員に対して、被災者のリーダーは鼻で笑いながら… 「早く失せろ、殴るぞ」 「放っておいて。 楽しんでるんだよ!」 などと暴言を吐いたそうです。 避難を勧めた私に対する彼らの態度は高圧的で不愉快極まりない物であった。 「水高が増えるから中州では止めた方がいい」といった私に若い男が 「大丈夫だよ。 俺達は馴れてるから」と冷笑しながら反論。 それでも 「私は地元の者だが、川は氾濫するよ。 高台に行った方がいい。 子供もいるんでしょう?」と冷静に忠告したが、リーダー格が 「放っておいて。 楽しんでんだよ」と放言したのを皮切りに 「地元の人は臆病」「見張りを置くから平気」 「田舎人は他人のプライバシーを侵すのが趣味ね」などとの声が広がったので、 私は呆れ果てて帰宅したのである。 我が山北町はキャンプ地としては人気が高く大勢の方が来訪するが、 都会人は自然に関する知識が心もとない。 「見張りを置くから平気」という暴言がその象徴で、 大雨時の川の急激な増水率を考慮すれば「見張り」はほとんど役にたたない。 しかも地理に詳しい地元の人間を嘲笑する様では、救いようの無いバカである。 そしてあのような結果に。 テレビや新聞では「悲劇」のように取り扱っていたが、 私に言わせれば単なる 「バカどもの必然的結末」にすぎない。 そもそも彼らがキャンプしていた場所は「キャンプ場」ではない普通の「川原」である。 (本来の「キャンプ場」はもっと高台)即ち彼らは死ぬべくして死んだのだ。 同情の余地など無い。 ただ可哀相なのは子供だ(子供には大人のような判断能力が無い) 「あのおじいさんのいうとおりにしようよ」と言った小さな女の子の言葉が忘れられぬ。 無念だ。 sakura. しかし、気付いた時には既に歩いて川の両岸へは辿り着けない状態になっており、グループは中州の一番高い場所で一塊になって、救助隊の到着を待ちました。 yahoo. 既ににっちもさっちもいかない状況の彼らにとって、救助隊は言わば救世主です。 もちろんその様子はテレビでライブ配信されていたわけですから、ネットを中心に大炎上に発展することに…。 地元住民が差し入れた手作りのおにぎりを「まずい」と地面に叩きつけたリーダー そんな被災者グループのリーダーなのですが、あれほどまでの危機的状況の中、 なんと数少ない生存者の1人として救助されています。 blog58. fc2. さらに、多くの仲間が濁流の流されているにもかかわらず、救助隊に対して 「テントを回収したら返して欲しい」と要求した…なんて話もあるようです。 仲間の心配ではなく、テントの心配をしていたわけで、ここまでいくと一周回って、むしろ清々しいくらいのDQNっぷりです。 「玄倉川水難事故」に遭ったグループやリーダーの加藤直樹とは 「玄倉川水難事故」で中州に取り残されたのは18人ですが、前日までは25人のグループでした。 度重なる警告を鼻で笑って無視をした末に、いざ身に危険が迫り、救助を受ける立場になっても、暴言や悪態の限りを尽くした、この被災者グループは一体何者なのでしょうか? まずは、この「玄倉川水難事故」に、「DQNの川流れ」なんて別名をつけられる最大の原因となった、被災者グループのリーダーをご紹介しなければなりません。 「玄倉川水難事故」に遭ったグループのリーダーとは? 「玄倉川水難事故」に遭った被災者グループのリーダーは、 「株式会社 富士繁(ふじしげ)」という産廃業者に勤務していた加藤直樹という男性でした。 事故当時の年齢は31歳で、驚くべきことに3児の父親だった言います。 DQNグループのリーダー・加藤直樹が救助されたシーン 「玄倉川水難事故」に遭ったグループのメンバーについて 最後まで警告を聞き入れず、最終的に中州に取り残され、流されてしまった18人の被災者は、「富士繁」の社員とその家族、および社員の婚約者や友達でした。 最終的に亡くなった13人は、「富士繁」の社員5人とその妻2人、さらに痛ましいことに1歳から9歳の子供4人と、社員が連れてきた女性2名という内訳だったと言います。 一方、濁流に流されながらも生き残った5人は、大人3人と子供2人ですが、 なんと生き残った大人のうちの1人は、加藤直樹本人で、子供2人はいずれも加藤直樹の子供だそうです。 「玄倉川水難事故」の生き残りのその後と現在 被災者したDQNグループの中心が「富士繁」の社員だったため、バッシングの矛先は当然、会社「富士繁」自体と生き残りのメンバー、特に 日本全国に醜態をさらした、リーダー加藤直樹に向いたことは言うまでもありません。 そこで、生き残りのメンバーと会社「富士繁」のその後と現在、そして「玄倉川水難事故」がもたらしたいくつかの影響について、紹介しましょう。 生き残りのうち3人の大人のその後は? リーダーである加藤直樹はもちろん、生き残った大人3人全員が、事故後に会見などは開いていません。 つまり、自らの傲慢な振る舞いによって、 世間を騒がせ、地元民や警察、救助隊などに迷惑をかけてしまったことを謝罪することは一切ありませんでした。 ここではあえてDQNリーダー以外の氏名は伏せますが、残りの生き残り2名についても、名前などが特定され、現在ではすっかり晒されてしまっているようです。 生き残りの2人の子供のその後 生き残りの2人の子供は、被災者グループのリーダーでり、暴言や悪態の限りを尽くした 加藤直樹の娘さんと息子さんであることが特定されています。 実は、2人の子供さんについても、現在ではしっかり名前まで特定されているのですが、子供に罪はないってことで、ここでは名前を伏せさせていただきます。 具体的な名前や事故の名称など詳細は伏せてありましたが、すぐに特定され、当時大変な話題になりました。 ネットを中心に大騒ぎになったためか、現在ではブログは閉鎖されていますが、コピペが残っていたので、こちらにも引用しておきます。 たまにね私、ふとあの時の事を思い出すんだ。 幼稚園の頃の事故あれは一体なんだったの?どうして私の家族なの? 小さい頃私がママを殺したんだ。 私さえ居なければママは生きていたんだ。 パパがね私を抱いててママがパパに助けを求めていたんだ。 手を伸ばしてね一生懸命流されないようにしてたんだ。 けどねパパまで水に連れていかれそうで怖かったんだ。 だからねパパやめて!って言ったんだ。 そしたらパパがママの手を離したの。 そしたらママ水と一緒にいなくなっちゃたの。 これって私のせいだよね。 ごめんね本当に…。 ママに逢いたいです。 小さい頃もずっとママが欲しかった。 皆にはママがいて私には居なくて悲しかった。 今でもママが戻ってきてほしいと思っている。 あと優香にも戻ってきてほしいんだ。 私には妹がいたんだよ。 そう簡単に言うなと思ったよ。 けど私なりに頑張ってきた。 毎日明るく生きてる… ーーー 引用:少女がブログ上で書いたとされる日記。 2chblog. 5歳の女の子が経験するには辛すぎる内容で、胸に迫るものがありますが、その一方で、 救助してくれた人々への感謝の気持ちが綴られていないという理由で炎上したそうです。 確かに、自身の辛すぎる心情のみを吐露した内容で、周りに対する気遣いや感謝の気持ちなどは一切含まれていない内容です。 ですが、元々そちらに向けて書いた記事じゃないわけですし、周りに対する配慮が足りないのは、きっと親譲りなんでしょうね。 また、子供の生き残りのうち、もう1人も加藤直樹の息子さんでしたが、息子さんについては、現在の様子などは 一切不明のようです。 ただ、あの強烈なDQNなお父さんを見て育ったわけですから、きっと立派なDQNに成長されている可能性が高そうなんですが…偉大なる反面教師にしていてくれることを祈るばかりです。 DQNグループが勤務していた「富士繁」のその後も絶賛営業中! 「玄倉川水難事故」で被災したDQNリーダー・加藤直樹を含む、5人の社員が勤務していた 「株式会社 富士繁」は、現在でも絶賛営業中なのだとか。 近年、「富士繁」が有する戸塚工場が 近隣住民との間に、騒音問題を起こしている…なんて話もあるようです。 「玄倉川水難事故」のその後、気象庁も台風の表現を変更 「玄倉川水難事故」で大雨をもたらしたのは、紀伊半島の南海上で発生した熱帯低気圧でした。 「玄倉川水難事故」後、気象庁は、同じ台風の強さでもより危険性を感じられるように 表現の改変を行っています。 ・台風の強さを表す「弱い」「並みの強さ」を、「強い」「非常に強い」「猛烈な」に変更。 ・台風の大きさを表す「ごく小さい」「小型」「中型」を、「大型」「超大型」に変更。 このように、 熱帯低気圧や台風の威力を甘く見ないように、より怖いと思えるような表現に変更しています。 総額4800万円もかかった救助費や捜索費は地元の自治体が負担 実は、「玄倉川水難事故」に関わる一連の救助作業や、事故後の遺体捜索のために、 地元自治体が4800万円もの公費を使ったそうです。 goo. 本来なら、救助され生き残った人や会社に請求しても良さそうなものですが、被災者がそのたとえ 一部分でも負担したなんて話は…やはり一切ないようです。 まとめ いかがでしたでしょうか。 1999年8月14日に起きた、13名もの死者を出した水難事故「玄倉川水難事故」の経緯、この痛ましい事故が「DQNの川流れ」と呼ばれている理由、生き残りのリーダーをまとめました。 現在も、お盆の季節がやってくるたびに、 注意喚起のネタとして度々話題に上る「DQNの川流れ」。 自然の怖さを再認識すると同時に、DQNな言動がいかに社会から袋叩きに遭う危険な行為なのか、 2つの大切なことを教えてくれる教訓として、これからも語り継がれていくでしょう。 とは言え、この事故でお亡くなりになった13名のご冥福をお祈り致します。

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