土井 たか子 山 が 動い た。 信仰の人、護憲の人・土井たか子さん逝く

信仰の人、護憲の人・土井たか子さん逝く

土井 たか子 山 が 動い た

元衆院議長で旧社会党委員長・社民党党首を務めた土井たか子氏が20日に肺炎で死去していたことが28日、分かった。 85歳だった。 葬儀・告別式は近親者で済ませた。 社民党が同日発表した。 土井氏は昭和3年、神戸市生まれ。 44年に旧社会党公認で衆院初当選、連続12期務めた。 61年に同党委員長に就くと、「おたかさん」の愛称で人気を上げ、平成元年の参院選で「マドンナ旋風」を巻き起こした。 社会党の躍進、自民党の過半数割れを導き、「山は動いた」の名言を残した。 5年、非自民による細川護煕(もりひろ)政権が誕生し、女性初の衆院議長に就任。 8年から15年まで社民党党首を務めたが、党勢を立て直せず、17年の衆院選では自身が落選、引退した。

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土井たか子

土井 たか子 山 が 動い た

福島みずほの人権いろいろ1911 福島みずほの人権いろいろ 月刊誌『部落解放』好評連載中コラムを福島みずほさんのご了解を得て、転載いたします。 「参議院議員・弁護士 福島みずほのWebsite」は 土井たか子さんを思う 土井たか子さんが亡くなられたのは二〇一四年九月二〇日。 ちょうど五周忌ということで、神戸市で集会を開いた。 懐かしの映像が流れ、これまた懐かしい特徴のある声が流れる。 土井さんは、安保関連法・戦争法の強行成立を見ずして亡くなってしまった。 いまこそ憲法を守り、生かさなければならない。 いまこそ土井さんの志を継いでがんばろうという集会だった。 雇用における男女平等を追求した。 生活保護の受給にあたり女性と男性で必要な摂取カロリーが違うということで差が設けられていることが問題であるととりあげ、変えさせた。 国籍法で、お父さんしか子どもに国籍を継承させることができず、お母さんは与えることができないいわゆる父系血統主義から父母血統主義への転換を実現させた。 国際人権なんて言葉がないときから、国際人権の活動をされていたのである。 公害被害の現場に行き、国会のなかで質問し、とりくんでいた。 土井さんの志でまずいちばん継ぎたいものは、護憲である。 憲法九条を改悪させない闘いはまさに正念場である。 生活保護における女性差別の問題は憲法二五条の問題である。 二五条は文化的な最低限度の生活を営む権利を規定している。 憲法二四条は、家族のなかの個人の尊厳と両性の平等を規定している。 この条項を入れるために努力したのは、ベアテ・シロタ・ゴードンさんであるが、ベアテさんと土井さんが社会文化会館のホールで対談をしたことがある。 憲法二四条ができたために民法の家制度や男女不平等は廃止された。 二人のゆったりとした対談は楽しいものだった。 もうお二人とも亡くなってしまったが。 第二に、社会民主主義である。 「強きをくじき、弱きを助け」とよく土井さんは言っていた。 「山が動いた」と土井さんが言ったときに問題になっていたのは消費税の導入。 その消費税はこの一〇月一日から一〇パーセントに。 輸出大企業は、消費税が一〇パーセントになろうが二〇パーセントになろうが、何も困らない。 輸出戻し税というかたちで日本政府から還付金をもらうことができる。 一〇パーセントになれば一〇パーセント分、二〇パーセントになれば二〇パーセント分還付してもらうので、何も困らないのである。 でも、年金生活者、低収入の生活者など、多くの人は困るのである。 サラリーマンの人も言う、実質賃金の目減りであると。 そのとおりである。 かつての映像のなかで土井さんは言う、「生活が政治につながっていない。 そのことが問題だ」と。 いま、まさに人々の暮らしと無縁のところで官邸主導で政治が行われている。 消費税が上がった分、法人税や所得税の累進課税が下がり、帳消しになっている。 公平な税制の実現こそやらなければならない。 第三に、土井さんが二〇〇一年に発表した土井ドクトリンである。 北東アジアにおける安全保障構想であり、北東アジアにおける非核化構想で、六カ国協議のもとになったものである。 この間、米朝会談、朝鮮半島における南北会談などが行われており、この北東アジアにおいてどう平和を構築していくのか、まさにいまこの土井ドクトリンの北東アジアにおける平和構想を思い出している。 土井さんは右往左往しない人で、そこが大好きだった。 憲法九条を守り、生かそうと、国会のなかで仁王立ちになっていた。 そこが好きだった。 歌が上手で、一緒に入った神楽坂女性合唱団(初代団長は料理研究家の小林カツ代さん)では、よくソロで、さまざまな平和の歌などを歌っていた。 私のパーティーなどでも「マイウェイ」などを朗々と歌ってくれた。 宝塚の男役のような感じで、兵庫県出身の土井さんは宝塚を受験したことがあると聞いたことがある。 本人に確認してはいないが、歌は本格的であった。 土井さんのリサイタルショーをやろうと思っていたが、それはもうできない。 そして、土井さんは勲章をもらわなかった。 女性初の衆議院議長だったこともあり、勲章をもらわないかという打診はあったが、生前辞退しつづけ、死後ももらわなかった。 そこもとても土井さんらしいと思っている。 土井さんに口説かれなければ、私は議員にはならなかっただろう。 そして、土井さんは実に多くの女性を励まし、応援しつづけてくれた。 日本国憲法を守り、生かすことを多くの人と引き継ぎ、がんばりたい。

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土井たか子氏 墓場まで持ち込んだ?北朝鮮の秘密

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女性初の衆院議長で日本社会党と社民党で党首を務めた土井たか子氏の死去によって、北朝鮮の不都合な真実が封印された可能性があるという。 土井氏は肺炎のため20日に兵庫県内の病院で死去。 85歳だった。 社会党党首として「おたかさんブーム」を巻き起こすなど一時代を築いた一方で、北朝鮮との親密な関係が批判されたこともあった。 政府関係者は「拉致について何か知っていたと思われますが、もう聞くこともできません」と話した。 永田町関係者は「集団的自衛権の問題や中国との独自外交ルートで存在感のある村山富市氏に比べて、土井氏は目立った活動をしていませんでいた。 病気をしていたと聞いていましたが、最近は政界への影響力はほとんどなかったと言えるでしょう」と振り返る。 一時代を築いた人物だった。 愛弟子ともいえる福島瑞穂・前社民党党首(58)はツイッターを通じて「護憲を貫き、女性政治家として、政治家として、戦後政治を牽引してきた人生でした。 わたしは、1998年立候補を説得され、憲法を守るために立候補を決意しました。 政治の母親が亡くなったようで、本当にショックです」と憔悴感も漂わせる追悼コメントを出した。 さらに「わたしは、土井チルドレン。 政治の母の遺志をついでいきます」と気丈につづった。 土井氏は1990年前後に「おたかさんブーム」で政界を席巻。 86年に社会党委員長に就任し、89年の参院選で女性候補を多く擁立した「マドンナ旋風」により、自民党を過半数割れに追い込んだ。 このとき発した「山が動いた」の名文句は歴史に残るものに。 93年には女性として初めて衆院議長に上り詰めた。 しかし、2000年代になって急激に人気を落とすことになる。 02年と04年に小泉純一郎元首相(72)が北朝鮮を訪問。 北朝鮮は拉致の事実を認め謝罪し、蓮池薫さん(57)ら拉致被害者が帰国した。 別の永田町関係者によると「土井氏は北朝鮮による拉致を否定する趣旨の発言をしたり、北朝鮮はすばらしい国だと主張したりしていたこともあり、『全然違うじゃないか』と批判されました」。 批判がやむことはなく、03年の衆院選で土井氏は小選挙区で落選、比例復活に追い込まれ、党首を辞任した。 05年の衆院選では比例代表で出馬し落選。 06年に社民党名誉党首となり、国政から退いた。 結果的には北朝鮮寄りの姿勢があだとなったわけだが、どうして北朝鮮に近かったのか。 世界各国から贈られた金ファミリーへのプレゼントが飾られている北朝鮮の「国際親善展覧館」には、土井氏が贈ったつぼが展示されている。 それだけに親密な関係が疑われていた。 政府関係者は「土井氏は拉致問題や北朝鮮の不都合な話について、何らかの情報を知っていたと思われます。 これまで土井氏はこれらについて一言も話しませんでした。 そして、文字通り墓場まで持っていってしまいました」と明かす。 別の政府関係者も「社会主義国の北朝鮮にとって社会党はつながりやすかった。 だからこそ土井氏が何かを知っているはずという話になるわけです。 もっとも何を知っているかという具体的なことは分かりません。 だからこそ土井氏に話を聞きたかったんです」と無念さをにじませた。

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