会 いたい ん だ 今 すぐ その 角 から 飛び出し てき て くれ ない。 首を曲げると痛い時の治し方

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会 いたい ん だ 今 すぐ その 角 から 飛び出し てき て くれ ない

監督生が記憶喪失 ツイステキャラが、ちょっとヤンデレかな? グリム大好きです! ネームレスです 地雷畑にご案内~! [newpage] ズキズキする頭。 だるい背中。 私は布団から這い上がろうとした。 今日も今日とて、学校へ行く準備をしなくてはならない。 今日の講義は、確か神話についてだったような気がする。 私はうつ伏せになって布団をかぶろうと思ったが、いつもの布団のさわり心地ではない。 異変に気がついて私は布団をまくった。 うっすらと目を開けると、私のそばで男の人とが眠っていた。 オレンジ色の髪の毛、左目に赤いハートマークがある。 男の子はくせっ毛らしい。 私は自分の手に疑問を持った。 私はもうちょっと手が小さかった気がする。 それに髪の毛。 長い髪の毛が、見えない。 頭を触ると、ショートカットになっていることに気がついた。 自分の服装を確認すると、見慣れない制服。 あれ、私夢の中にいる? 私はこの夢の中を散策するために、ベッドから降りようとする。 そうするとそばで眠りこけていた男の子が私の動きに気がついて目を開けた。 「うわっ、なんだよ…お前、起きたなら教えてくれよ。 監督生っ…よかった、目を覚ましてくれたんだな…。 ごめんな、俺、」 監督生? 私は首をかしげて相手を見た。 ネコのような目つき。 彼は私のことを知っているようなそぶりで話をしていく。 私が後頭部を中心に痛みが走る。 男の子が一方的に話すから、私はただ聞くしかなかった。 その様子が、おかしいと感じたらしい。 「監督生、どこか、痛むのか?そう、だよな、ホント、ごめん…今更…」 そう言って私に手を伸ばす。 男の子にこうやって触られるのは苦手だ。 私はとっさに体を引いた。 男の子は私のことを見て眉間にしわを寄せた。 「っ、当然だよな、その反応。 でも俺たちはもう」 「あの、ここはどこですか?」 「…は、何言ってんだよ。 ここ、保健室。 さっきも言っただろうが」 「保健室?」 「…変だぞ、監督生」 不満げな顔で私にそう言うけれど、どこの、保健室だ。 私はあたりを見渡した。 私の通っている学校の保健室ではない。 もうちょっと癒やしグッズがあったはず。 私が挙動不審であることに、目の前の男の子はおずおずと口を開いた。 「あの、さ。 俺のこと分かる?」 「初対面なのに分かるはずありません」 ぴしゃりと告げると男の子は目を丸くさせた。 強く言いすぎただろうか。 そう思ったけれど、このままじゃこの夢は覚めることはない。 ベッドから降りて保健室を飛び出ると、大きな廊下に出た。 廊下には誰もいない。 夕方の、オレンジ色の光が差し込んでいる。 「待ってくれっ!監督生!!逃げないでくれ!!」 裸足のまま私は廊下を走る。 後ろから、あの男の子の声が聞こえたけれどかまっていられない。 外に出たいのに、廊下がただただ続くだけ。 息を荒げで周囲を見渡すと、右頬にダイヤマークがついている男の子と目が合った。 その男の子は隣にいるクローバーマークのある男の子を放っておいて私に近づいた。 「監督生ちゃん!?」 「ひっ!」 「ちょ、ちょちょ、監督生ちゃん大丈夫なの?めっちゃ混乱してない?保健室から飛び出して来ちゃったの??起きたばっかりなんでしょ、ベッド戻ろうよ」 「おい、ケイト…監督生、吐き気はないか?大分走っていたみたいだが…。 顔色が悪い、どうした、エースになにかされたのか?」 「や、」 「…怖がらないでくれ、もう、俺たちは何もしないから…信じてくれ」 ひょろりと背の高い男の子たち二人がじりじり近づいてくる。 この人たちは私を知っているけれど、私は知らない。 この人たちなんて、知らない。 私は怖くなって、伸びてくる手を避けるように退いた。 その様子に二人は困惑したような表情を浮かべている。 そして二人とも困ったような表情を浮かべる。 「どうしたんだよ、俺たちがまだ怖いか?」 そう言ってクローバーマークを頬につけている、眼鏡をかけた男の子はまた私に手を伸ばす。 怖くなって私は来た道を戻ろうとすると背後から声が聞こえた。 「何をしているんだい…。 監督生!?目を覚ましたのか、よかった…?どうしたんだ、監督生、顔色が悪い」 「リドル!監督生の様子が変なんだ」 「そうそう、なんか俺たちに今まで以上に怯えちゃっている感じ?あー、まあ仕方ないって思うけど?」 「監督生、まだ保健室で休んだ方がいい」 真っ赤な髪の毛に、堂々とした物言い。 誰か助けて。 この状況を誰か説明して。 そう願っていると、私を追いかけてきたハートマークの男の子が私を見つけて名前を呼んだ。 その名前は聞いたことがない綴り。 逃げようとした動きを見逃さなかったハートマークの彼は「先輩!監督生捕まえて!ください!」と叫んでいる。 その言葉を聞いた私の近くにいた三人は、私の腕をつかんだ。 「やめっ、やめて!」 「!?」 「なんか、様子変なんです!監督生…」 腕を捕まれて動けなくなっていると、クローバーマークの男の子はにっこりと笑って「よし、確保だ」と言い切った。 そして水を出され、彼らに見下ろされた状態で言葉を待った。 先ほどのメンバーのほかにスペードマークが頬に描かれている男の子も来た。 ひどく焦っている様子だ。 「監督生!目を覚ましたんだなっ!…よかった、このままずっと目を覚まさないかと思った…」 そう言って私を抱きしめようとするが、私は怖くなって後ろに下がると、目を見開いて傷ついたような顔をする。 スペードマークの男の子はゆらりとまた近づこうとすると、赤毛の男の子に「キミは下がって」と冷たく言われていた。 「すまなかったね、怖かっただろう…」 赤毛の男の子はそう言って私をまた座らせる。 スペードマークの男の子へ、先ほど私を追いかけてきたハートマークの男の子が耳打ちした。 「は?監督生が!?」 「ちょちょちょい!デュースくん!」 いきなり大きな声を出されて体を小さくさせると、スペードマークの男の子はしまったといわんばかりの表情で口元を手で覆った。 私はそっとうつむいて自分の指先を見た。 私の手は洗い物やコップの消毒などで荒れに荒れていたのに、きれいな手になっている。 先ほど逃げている間、窓を見たとき私は別人だった。 ショートカットになっている髪の毛。 大きな瞳。 薄い唇。 私じゃない。 私が怯えたことにハートマークの男の子はバシッとスペードマークの男の子の背中を叩いた。 強い力だったから私にもいい音が聞こえた。 「ばっか、声でけぇって!!」 「二人とも、静かに!!」 ぴしゃりと赤い髪の毛の男の子が言い放つと、二人とも静かになった。 冷や汗もかいている。 くるりと向き直る男の子。 「キミは…ボクのことが分かる?」 「いい、初対面ですよね…」 「…キミの名前は?」 「…」 名前を告げるべきなのか。 もしも彼が悪い奴だったら危険だ。 それに、昔話でも聞いたことがあるけれど名前は魂を表す。 だから簡単に告げちゃいけないと聞いたことがある。 私は疑うように男の子を見ていると、男の子はにこりと笑って口を開いた。 「ボクはリドル・ローズハート。 この学園、ナイトレイブンカレッジの二年生。 寮はハーツラビュル寮で、寮長をしている。 よろしく」 そう言って私に手を差し出した。 名前の綴りからして、ここは日本じゃないしアジア圏ではないことが分かる。 私は迷ったあげく、その差し伸べられた手を握った。 男の子でも小柄だから、小さい手だと予想していたが、しっかりとした大きな手。 暖かい。 「私は…」 名前を告げると周りにいる人たちは驚いたように私を見た。 そして、リドルくんが笑顔を浮かべながらこう聞いた。 キミは女の子?と聞いてきた。 私は素直に首を縦に振ると、周りにいた彼らは驚きの声を上げた。 え、まさか。 そう思いながら私はリドル君を背中にして胸元を少し開けて自分だけで、確認するが、堂々たる女子だ。 「キミはここがどこで、どんな場所か知ってる?」 リドル君は少し鋭い目つきで私を見て聞いてきた。 私は首を振って答えると、リドル君は考えるそぶりをした。 「トレイ、ケイト、学園長先生を呼んでこよう」 「そんなせかさなくても私はここにいますよ」 「わっ、学園長」 「神出鬼没だな…」 真っ黒い、カラスのような羽やローブをまとい、顔にはマスクをつけておしゃれなハットをかぶっている男性。 私を見下ろしていて、いささか怖い。 私は怖くて後ろに下がろうとすると、学園長と呼ばれた男性は私の腕をつかんでそのまま抱き上げた。 「すみませんが彼女を借りますね。 ああ、そうだ、今のうちに挨拶をしていた方がいいのではないでしょうか?」 学園長がにこりと笑う。 見ず知らずの男性にお姫様抱っこをされて怖いと思わない人はこの世の中にどれだけいるのだろう。 私は小さくなって、周りを囲んでいた彼らを見た。 学園長が抱き上げたから、私は彼らと少しだけ目線が近くなる。 「、俺はトレイ・クローバー。 よろしくな。 寮はリドルと一緒で、学年は三年生だ」 「俺はケイト・ダイヤモンド。 気軽にケイト先輩って呼んでね!監督生ちゃん」 緑の髪の毛の先輩は、トレイさん。 こっちのちゃらちゃらしてそうな人はケイト先輩?覚えられるだろうか。 そして、先ほどから元気がない二人組も前に出てきた。 「俺はデュース・スペード。 俺とお前は同じ、一年だ。 よろしくな」 「エース・トラッポラ。 「ふふ、そんなに驚きますか?ここが」 「!」 私ははじかれたように学園長を見た。 学園長は、仮面をつけているから目の動きが分からない。 それでも口は笑っている。 控えめにうなずくと、学園長は「そうですか」とうれしそうに答えた。 学園長は私を抱いたまま、高級そうな天鵞絨のソファに腰掛けた。 「気がついているかもしれませんが、ここは貴方が知っている世界ではないのです。 こちらをご覧ください」 学園長は長い、指揮棒のような物を取り出して7つの肖像を指していく。 この方々はグレート・セブンと呼ばれた、偉大な方々らしい。 彼らはこの世界にかつて存在した偉大なる存在。 彼らに憧れている生徒ばかりらしい。 「生徒?」 「ええ。 この世界、ツイステッドワンダーランドは魔法が使える人間と使えない人間が共存している世界。 私たちが今いる場所はこのツイステッドワンダーランドにある、魔法士養成学校、ナイトレイブン・カレッジ。 こカレッジは4年制です。 そしてこのカレッジに通う生徒は入学時に魂の資質に対応するいずれかの寮に振り分けされます。 グレート。 セブンに倣った7つの寮。 でも貴方は」 この世界に来たのは二ヶ月も前のこと。 そしてその二ヶ月の間、以前は使われていた寮に一時的に所属していて学園生活を謳歌していたのですよ、と悲しい顔で言われた。 私にそんなことを言われても、覚えていない。 私はつい先日まで…あれ、なん、だっけ…。 なにして、たんだっけ…。 眠たくなってきた…。 「ああ、大丈夫ですよ。 ショックの連続で疲れたのでしょう。 お休みなさい」 学園長の体は冷たいのに、眠気が訪れてきた。 私はずり落ちないように、学園長にすがるように首に腕を巻き付かせた。 ひどく、眠い。 「そう、ぐっすり眠りましょう…。 私は体の不調はないからとりあえず学校へ行くことにした。 サボったらサボった分だけ学校に行きにくくなるのは学習している。 男の子用の制服に身を包んで寮を出た。 振り分けられたクラスの教室へ行くと、昨日、顔を合わせたエースくんとデュース君がいた。 「よ、おはよ。 大丈夫か?」 「おはよう…うん、大丈夫」 「…そっか、なあ、今日の二つの目の授業はお前が得意な授業でさ、よく俺に終えてくれてくれてたんだ」 「、そうなんだ」 歯切れの悪い会話だったけれど、私はそそくさと椅子に座った。 よかった、ここの学園の椅子は固定じゃないから好きなところに座れる。 昼食時間になり、みんなはどんな風に昼食をとっているのかと気にかかった。 バンと大きな音を立てて獣耳をつけている、銀髪の男の子がずかずか近づいてきた。 私を見下ろしている瞳は、少し潤んでいる。 そして私のことをひょいっと俵のように担ぐと外へ向かっていく。 記憶がない、のなら…いいや、何でもねぇ。 レオナさん、連れてきましたよ」 植物園に連れて行かれた。 お昼休みに、誰かいるのかと、周りを見渡していると「ここだ」と低い声が聞こえた。 けだるそうに歩いてやってきたのはこちらも獣耳をつけた、褐色肌の男の人。 鋭いまなざしで、左目には傷がある。 この人気質じゃない。 私を見下ろして、何かを待っている様子だった。 「…監督生、目が覚めたんだな。 怪我も治ったみてぇだな」 私は視線を右往左往させていると、俵のように担いでいた男の子は私を地面に下ろした。 「悪かったな、突然。 俺はジャック・ハウル。 この人はレオナ・キングスカラー。 サバナクロー寮の寮長だ」 「ジャック、いい。 おい、草食動物、飯はまだなんだろ、食っていけ。 さっさと本調子に戻しやがれ。 」 ぶっきらぼうにそう言って、私を呼んだ。 私はついていっていいのか分からないで固まっていると、ジャックくんが私の腕をつかんで引っ張る。 私とジャックくんがレオナさんについていくと、奥の方でもう一人男の子がいた。 「あっ監督生!目が覚めたんスね…よかった、あのときは本当に」 「ラギー!!!」 レオナさんが、しゃべり出した男の子へ、言葉を紡がせないように割って大声を出した。 私は驚いてジャックくんの後ろに隠れる。 レオナさんはその行動を見て、すまなさそうな顔をした。 でもすぐに切り替えて私に「適当に座っとけ、」と言った。 ジャックくんは背が大きいから、隠れることができる。 私はジャックくんの腕をつかんで離さないでいると、先ほど声をかけようとした男の子が近づいてきた。 「あ、あのさー。 俺は、ラギー・ブッチ。 アンタはどのパンが好きっすか?」 ラギーくんは、どこかぎこちなく声をかけてきた。 私は特にないので「なんでも、いい」と小さい声で伝えると、ラギーくんは泣き出しそうな顔で笑ってサンドイッチをくれた。 ジャックくんは私に紙パックのジュースをくれた。 ぎこちない昼食会。 レオナ寮長は私のことをずっと見ていた。 私が目を合わせると、レオナ寮長は私の背後に座って、頭を擦り付けた。 見られてる?じっとりとした視線はどこからかと周りを見渡すと、青白い光が階段奥で見えた。 私は足音を消して近づくと、その人物は、待っていたかのように私を見た。 「…記憶がない方が、幸せだよ。 キミは」 「え」 「魔法が、使えたことは、喜んでもいいのかもね」 見慣れない青い服。 彼は誰だろう。 それに記憶がない方が幸せってどういうことだろう。 聞き返そうと思ったけれど、彼は服の襟を立てて顔を隠して、素早く私の前からいなくなった。 そうしている間に夜は更けていく。 そうだ、グリムにツナ缶…?グリム? グリムって、誰? 思い出そうとすると頭が痛くなる。 そして痛みと共にもやがかかる。 どうしてだろう。 頭を抱えながらも私は椅子から立ち上がり、外の空気を吸いに出かける。 慣れた手つきで勉強道具をしまってコートに手を伸ばした。 寮からでると、ひんやりとした空気が私を包み込んだ。 夜のツンとした匂いも、静けさも好きだ。 私は草木が生い茂るところまで足を運ぼうとした。 「監督生っ、目を覚ましたのかっ!この日をどれだけ待ったことか!!」 歓喜に満ちあふれている声に私は振り向いた。 突然の衝撃。 体は地面に押し倒された。 私は怖くなって「やめて!」と金切り声を上げるが離れてくれない誰か。 ぐっと押しのけようとしても、ぎゅっと押しつぶされて苦しい。 「ぐ、っむ、んー!」 「ああ、ようやっと目を覚ましたのか。 よかった。 ずっと目を覚まさないからここしばらくは生きた心地がしなかった。 あのまま目が覚めなかったらキミの心臓を食べるところだった。 キミがこんなにも暖かい、僕を認識してくれている…幸せだ…。 そうだ、ここの傷跡もちゃんとある、僕だけの」 「やめ、っ!」 私は力一杯押しのけると、私を突然抱きしめて地面に押し倒したのは角が生えた、美しい顔の男性。 襟足の長い髪の毛。 瞳は涙で潤んでいる。 でも、雰囲気が違った。 熱っぽいまなざしで私の体を触ろうとする。 怖くて私は逃げるように走って行くが、その男の人が私の腕を力いっぱいつかんだ。 「痛いっ!!」 「っ、すまない、君のことは二度と傷つけることはしないと誓ったのだがうれしくて、悪かった、嫌わないでくれ、本当に…すまない、僕を嫌わないでくれ」 私に懇願するようにつかんだ腕は放さず、額を押しつける。 私よりも体が大きい男性は、まるで子どもだ。 「わ、わかりました、から、離してっ、いやっ」 「マレウスっ!やめるんじゃ!!」 びゅんと飛んできたのは小柄な少年。 でも、少年にしてはかわいらしい顔つきだ。 私の腕をつかんでいた男性は、その声にはっとして顔を上げた。 美しい瞳からは大粒の涙が溢れていた。 少年は男性の首根っこをつかんだ。 「すまなかったのぉ、この戯け者が…。 また会おう」 切なそうに微笑んだ少年は、独特の言い回しをしていた。 「もう大丈夫じゃ、散歩をしてもかまわない」と付け足して、角の生えた男性を引き取った。 先ほど、角の生えた男性は、二度と傷つけることはしない。 と言った。 どういう意味なんだろう。 図書室で、魔法薬学の勉強をしようと思っていたので廊下を歩いていた。 曲がり角で大きな影ができていたので私は廊下の外側を歩こうとしたら、その影は私を囲い込んだ。 顔を上げると、そこには、見るからに機嫌の良さそうな男性と、紳士そうな男性がいた。 顔は瓜二つ。 「こんにちは、小エビちゃん」 「こんにちは、どこかへ行かれるのですか?」 二人は私を見下ろしてニコニコ笑っている。 怖い…。 何考えているか読めない。 返事に困っていると、機嫌がよさそうな方がぎょろりと目を動かして返事を促す。 「ねえ、聞こえてるよね…無視するなよ」 「フロイド…これは失礼しました。 ああ、記憶を無くされているんでしたっけ。 聞いていますよ。 貴方のこと。 私はジェイド・リーチ。 こちらはフロイド・リーチ。 私たちは、記憶を無くす前は…友達だったんですよ。 それはもう仲睦まじい関係で」 にこりと笑ったジェイドさんは、何か期待をしているようなまなざしだ。 消えるような声で「こんにちは」と返事をすると、二人は息をそろえた。 「ねえ、小エビちゃんはこれからどこへ行くの?オレも一緒に行く~」 「何かお手伝いできることがありましたら何なりを申しつけください」 「何もありません、失礼します」 圧迫をかけられている時には、私は冷静になって論破するべきだ。 脳みそを動かして私はさっと通り過ぎようとすると、双子の彼らは私の行く道を阻んだ。 「…聞いてる?オレの話。 オレ、ちゃんと目を見て話したよね、ちゃんと待ってあげてるんだけど…記憶がなくなっても物わかりが悪いのは変わらな」 「フロイドのことは気にしないでください。 これから行く場所があるなら我々がその間まで荷物持ちでもしましょうか?」 ひやりとしたその冷たい物言い。 顔を上げると、私を見下ろすその瞳とぶつかる。 怯えた表情の私が閉じ込められている。 怖くて動けなくなっていると「おー、監督生。 これから図書館行くんだよな。 待たせて悪かった」と陽気に話しかけるトレイ先輩が現れた。 トレイ先輩が私の肩をつかんで二人の間を通り抜けた。 ほっとしていると、フロイドさんの声が聞こえた。 「横取りなんてつまんねぇことすんなよ」 「はは、さ、行こう。 監督生」 トレイ先輩がそのときどんな表情をしてたかなんて私は確認しなかった。 双方に冷たい空気が宿っていたから私は口を開くこともできなかった。 トレイ先輩と一緒に図書室へ向かい、私は魔法薬学の本を集めた。 トレイ先輩はすごくうれしそうに私の隣で勉強を教えてくれた。 生暖かい、真綿で首を締め付けるような空気。 そしてぴしりと足下から冷えるような冷たい空気。 昼食時間になり、私は自分の荷物を抱えながら食堂へ向かう。 「あっ!!いたいた!おーいっ、監督生!監督生!!」 大きな声で私のことを呼んだ人がいる。 周囲を見渡し、その相手を探す。 そうすると背後からどんと衝撃が襲った。 私は後ろを振り返って相手を見ると、褐色肌に、様々な装飾品が見えた。 爽やかそうなその笑顔と裏腹に私を抱きしめる力は男の子そのものだ。 骨がきしむ。 「久しぶりだなっ、これから俺たちと一緒に食事をしないか?ジャミルが作ってくれたんだ。 ほら、好きだった果物の盛り合わせだってある」 そう言って私の腕を引っ張ってどこかへ歩き始める。 私は驚いて声を上げようと思ったけれど食堂で注目を浴びるのは嫌だ。 しばらく黙って歩いていると、中庭に上等なテラス席が用意されていた。 そこには果物の盛り合わせはもちろん、スパイシーな香りがした。 男の子は私の手を引いて椅子に座らせて、その隣に座った。 「あの、貴方は…?」 「ん?あ、そうか、記憶がないんだっけ。 俺はカリム・アルアジーム」 にこりと笑って私の頭をなでる。 私は少しよろめいた。 そうするとすぐに慌ててカリムさんは「すまない」と謝った。 料理の準備をしているのはジャミル・バイパーというらしい。 カリムさんとは打って変わって、ジャミルさんは少しだけ思い詰めたような顔をしていた。 私は今日の食事、食堂でパンを買ってレオナさんたちと一緒に食べる約束をしていたのだ。 少しだけ焦って私はカリムさんに断りを申し出た。 「カリムさん、ごめんなさい。 私、レオナさんたちと食べる約束をしてて」 「いいだ、後から俺が言っておくからさ!確かお前はイチゴが好きだったよな!!はい、これ!」 カリムさんは太陽のように笑って私のさらにイチゴを盛り付ける。 どうしよう。 困っている顔をしていると、カリムさんは私の唇にイチゴを押しつけた。 私は慌てて口を開けると、カリムさんは満足そうに笑った。 「うんうん!…もっと食べてくれ…オレ、お前とこうして一緒にいられてうれしいんだ」 「?」 「俺たちは、友達だったんだ。 なあジャミル」 「…ああ」 「まずは友達から、ってやつだ」 目を細めて私のことをうっとり見つめる。 先ほどとは打って変わったカリムさんの表情に私が戸惑っていると「ジャミル~」とジャミルさんに話しかけていた。 [newpage] 寮に帰って私は部屋掃除した。 記憶を失う前の私はどんなことをしてきたのか気になった。 日記とかつけていたらすごくうれしいんだけどなぁ。 一抹の願いを胸に、机の中や、メモ帳を探ったが何一つ出てこなかった。 カレンダーの裏とか、教科書に落書き程度でもあるかと思ったが見当たらなかった。 というか、教科書は真新しくて使われた形跡がない。 部屋の中のクローゼットや机の裏を調べたが出てこなかった。 早くお風呂に入って眠ろう。 そう思って談話室に降りると、大きな鏡が、揺れた。 鏡の面がゆらりと水面のように揺れたので悲鳴を上げてしまった。 「な、なに、いま、揺れた!?」 私は怖がりながらも、鏡に近づいて触れてみた。 鏡の向こうで何かが動いている。 ぴしりと鏡にひびが入ってしまったが、そのひび割れた部分に、私の姿が映っている。 泣いている私だ。 足下には花びらが散っている。 割れていない大きな部分を見ると、私が写っていて、向こうで桜が降っていた。 「花?どうして、私は泣いているの」 目をこらしてもっと見ようとすると、大きな鏡の面が動いた。 大きな桜の木の下で、膝を抱えて私が泣いている。 私の足下にはバラバラになった教科書や本が散らばっていた。 それをよく見ると…あ。 ネコが現れた。 宝石を身につけたネコだ。 耳がちょっと青い火で燃えてる?のかな。 そのネコは私の傷ついた手をなめていた。 泣いている私は手から血を流している。 よく見ると腕は青いあざがあった。 靴の跡もあった。 もしかして、私は蹴られたのかな。 鏡の面はまた揺れた。 今度は、海の中?なのか。 二匹の、海の生き物が私に巻き付いていた。 私は苦しくて腕を伸ばしている。 もがき苦しむ私、でも巻き付いている、海の生き物は手放すことはない。 また鏡の面が揺れた。 今度は夜になっていた。 角が生えた怪物が、この寮のてっぺんに登って私の首を締め付けて今にも落とそうとしている。 首が無性に苦しくなった。 角が生えた怪物は大声で言っている。 「やあ!もう体の方はいいのかい?」 元気よさげに私に話しかけてくる…確か、ルーク副寮長だ。 リドル寮長がこの間いろいろと教えてくれた。 ルーク副寮長は私を見つけると、にっこり笑って私の肩に手を置いた。 一体何を考えているんだろう。 顔を上げて、ルーク副寮長を見上げる。 「また、一緒に狩りをしようじゃないか!これから時間はあいているかい?」 「え」 「ルーク。 元気そうね、監督生」 階段を降りてルーク副寮長と私の間に入ってきたのはヴィル寮長だ。 ヴィル寮長は私を見て満足そうに笑った。 きれいな微笑みなのに少し怖いと感じる。 私は彼らのやりとりを見ているときに、小柄な少年もやってきた。 「っ、キミ…あの」 「エペル、黙りなさい。 監督生、これから一緒に中庭でお茶にしましょう?私、貴方とおしゃべりをしたかったのにいつも周りにはあいつらが…いるから中々声をかけられなかったのよ」 ヴィル寮長は私の腰に手を添えて歩くように促す。 男の人に触られることは最近度々あったけれど、この、本能的な恐怖は収まらない。 ヴィル寮長も顔かたちは美しくても中身は男性だ。 ルーク副寮長も私が歩き出すことにうれしそうに笑っている。 ただ、エペルくんは不安そうに私を見つめていた。 中庭に移動すると、いつの間にか準備されていた椅子と狩りに使う道具。 もしかして私を連れてくる気満々で誘ったのだろうか。 ヴィル寮長がエスコートしてくれた椅子に押しかけると、テーブルにはいくつかのリングと果物ナイフが置いてある。 「あ、ボク。 リンゴの細工が得意なんだ。 見せてあげる」 エペルくんはルーク副寮長とヴィル寮長が神妙な表情で相談している姿を確認しながら小声で言った。 エペルくんはナイフを使ってリンゴに切り込みを入れた。 「ボクは…キミの味方でいたかった。 でも、ボクは、弱虫だからできなかった。 謝って済むことじゃないぐらい、分かってる」 「それって、記憶を無くす前の私のこと、ですか?」 無言になるエペルくん。 でも無言は肯定を意味する。 私はチラリとヴィル寮長を見ると気がついた寮長は私に手を振った。 私はにこりと笑ってエペルくんに視線を向ける。 「エペルくんはグリムって知ってる?」 「…思い出したの?」 「思い出してはないけど、グリムっていうネコがいたはずなの」 思い出せないのに、グリムって言うネコの姿だけは思い出すことができる。 でも、どこかに書き留めておかないと忘れてしまう。 グリムのことを思い出そうとすると頭痛がする。 「ほかにも、教科書が真新しいなんておかしいでしょ。 制服も、新品の匂いがしたの」 「…っ、…」 エペルくんは私の様子を見て、無言ながらも手を進めている。 「ボクは、正直…。 寮長や副寮長のことを尊敬している。 だから、キミには思い出してほしくない。 思い出さないで、キミが幸せになれるならボクはっ」 「エペル、どうしたんだい?顔色が悪いよ」 ルーク副寮長がエペルくんの肩を叩くと、エペルくんは顔を上げた。 エペルくんはそのままルーク副寮長に連れて行かれて、狩りのやり方を教えてもらっていた。 私は椅子に座ってその様子を見ていると、日焼け止めを塗りに戻ってきたヴィル寮長が私に話しかけてきた。 「久しぶりの学校は慣れたかしら?」 「はい」 「そう、よかったわ。 ねえ、今日はウチの寮に泊まっていかない?いろいろ貴方と話したいことがあるの。 貴方と話したいことが沢山あるのに、ほかの寮のやつらがすかさず貴方を奪ってしまうから、今日ぐらいいいでしょう?お泊まりに必要な物は私が責任を持って準備するわ。 貴方に似合うパジャマも用意したのよ」 そう言ってヴィル寮長は懐かしそうに微笑んだ。 「この、リンゴ…」 エペルくんが作ったリンゴに気がついたヴィル寮長は、まるで忌々しい物を見るかのような顔つきに変わった。 きれいな人が怒ると怖いと聞いていたけれど、こんなに怖いとは。 私も彼が作ったリンゴを見ると、そのリンゴには何かのマークが描かれていた。 『魔法も使えない未熟者が私たちと同じ空間にいるなんて耐えられないわ。 私の僕になりなさい』 「え」 ヴィル寮長の声が聞こえた気がして顔を上げると、ヴィル寮長は機嫌良く笑っている。 「…私、魔法が使えなかったんですか?」 「そんなわけないでしょう?この学校は魔法士養成学校なのよ。 それなのに魔法が使えないなんてあるわけないでしょ。 おかしなことを聞くわね」 「です、よね…」 「貴方は魔力も豊富で、月夜の下で輝く花の魔法は美しい物だったのよ。 今日、私の部屋に来て見せてほしいものだわ。 貴方は私のことを尊敬する寮長だと言ってくれたのよ。 きっと記憶が戻らなくても、そう思ってくれると信じているわ」 ヴィル寮長の目が怖い。 私を見下ろす目は、熱をはらんでいる。 椅子から立ち上がってヴィル寮長は私の頬に手を伸ばして添えたり、艶めかしく胸を触ったり、指を私の指に絡めたりする。 「あ、の」 「かわいい、怯えちゃって…。 その噂は瞬く間に学園に広がった。 別に魔法が使えようが使えないであろうがどうでもいい。 他人のことより、自分がすべてだと思っているこの学園。 ある日。 リドル氏は、彼と魔獣を見つけると罵声を浴びせていた。 気にもとめない監督生に向かって寮長は魔法で作り出したステッキで叩いたこともあった。 力なく床にひれ伏す監督生を気遣う魔獣。 その様子を誰一人として助けることはない。 『なぜボクのそばを離れるんだ!!ボクがいなくて困るのはキミだろう!この役立たず!!』 真っ赤な血が、見えると、リドル氏はうれしそうに笑った。 レオナ氏は、寮生を使って教科書を滅茶苦茶にしたり彼が使っている物を壊していった。 ジャック氏がいつも止めに入ったり、レオナ氏をとがめることがあった。 しかしジャック氏一人じゃなにもできない。 レオナ氏に目をつけられたら居場所を無くすかもしれないという監督生の気遣いはジャック氏を絶望させた。 『またジャックか?テメェは俺の言うことが聞けねぇのか?誰が勝手にほかの雄に尻尾振れって言った。 お前は誰の物なのか分かってんのか』 アズール氏は徹底的に監督生の居場所を奪っていった。 リーチ兄弟は寮を取り返したいのなら水の中で追いかけっこをして耐えてみろといった。 海から這い上がろうとするたびにリーチ兄弟は『帰る場所なんてないんだから』『まだ元の世界に帰るつもりなんですか?』と笑ってまた沈めた。 「どうして監督生は、耐えられるの」 彼が好きだと言っていた桜の木。 バラバラになった教科書も蹴り飛ばされた背中の跡も、見るに堪えない物だった。 監督生は泣いているのに、どうしていいかわからない。 魔法が使えない人間の愛し方なんて知らないからだ。 寮長は、いいや、みんなはどれが正解で、どれが正しい愛情表現なのか分からない。 だから傷つけて、所有物だと周囲に見せびらかす。 「泣いてるのに」 「…元の世界に帰るためになら、耐える」 学園長は、寮長がキミに愛を抱いていることに気がついてわざと元の世界に帰る手段を潰している。 問題児ばかりのこの学園が今ひとつとなろうとしているのなら、学園長は喜んで手を下すだろう。 「イデア寮長だって、弟に会いたいと思ったら全力を尽くすでしょう?」 彼の首には、あのマレウス・ドラコニア氏にしめられた跡があった。 ああ、これに腹を立てたんだろうな、ヴィル氏。 ヴィル氏に不愉快だと切り捨てられたこの大きな桜の木。 来年はもう花を咲かさない。 当然の結果だった。 精神衛生的によろしくないあの光景に、どうしようもない現実にグリム氏は暴走してしまった。 魔獣の恐ろしさを初めて知った。 言葉も通じず、大地には青白い火を噴き放ち天空の覇者となっている。 7つの寮が力を合わせてもかなわなかったのに、監督生は諦めなかった。 魔法は使えないけれど魔法道具は使える。 監督生は魔法道具を使ってグリム氏を懸命に助けようとした。 監督生はグリムを正気に戻そうとして、オーバーブロットになったその石をつかんだ。 そしてグリムの暴走は止まった。 しかしここで問題が生じた。 グリム氏は暴走が止まるが魔力を失い存在を保てなくなった。 グリム氏は監督生の姿を見て幸せそうに笑って消えた。 監督生はオーバーブロットに触れてしまい闇の魔法に取り込まれた。 監督生はその結果、魔法が使えるようになった。 魔法が使える体につくり変わるから記憶が混乱したのだろう。 目を覚ました監督生が記憶を失っていると、寮長たちはこぞって喜んだ。 ゼロから関係を作ることができると息巻いていた。 人間の愛し方なんて知らない彼ら。 監督生が女性だとわかると彼らはさらに喜んだ。 記憶がない監督生は今日も、彼らから逃げられない。

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#49 希望の戦士たち、超高校級に追いかけられる

会 いたい ん だ 今 すぐ その 角 から 飛び出し てき て くれ ない

湖畔の城は、日にまし重きをなした。 長浜 ( ながはま )の町には、灯のかずが夜ごとのように 増 ( ふ )えてゆく。 風土はよし、天産にはめぐまれている。 しかも、城主に人を得て、 安業楽土 ( あんぎょうらくど )の国とは、おれたちのことなれと、 謳歌 ( おうか )せぬ領民はなかった。 ここで一応。 秀吉 ( ひでよし )の家族やら家中の人たちを見覚えておくのも無益でなかろう。 なぜなら、彼の幸福は今の家庭にあるし、彼が一国の 主 ( あるじ )として持った家中の備えもここに整ったかの観があるからである。 まず、家庭には。 母があり、妻がある。 そして近頃、子もあった。 於次丸 ( おつぎまる )どのという。 けれど、 寧子 ( ねね )が生んだのでも、彼が他の女性にもうけた子でもない。 ふたりの仲に子がないのはさびしかろ。 そう主君の信長がよくいうことばから、信長の第四子をもらって、養子としたのである。 秀吉の弟、あの中村の 茅屋 ( あばらや )で、よくピイピイ泣いていた弟の 小竹 ( こちく )は、いまはすでに、立派な武将となって、 羽柴 ( はしば )小一郎 秀長 ( ひでなが )と名のり、そのかたわらに業を 援 ( たす )けていた。 また、妻の弟の木下 吉定 ( よしさだ )も。 それにつながる親族たちも。 重臣には、 蜂須賀彦右衛門 ( はちすかひこえもん )、 生駒甚助 ( いこまじんすけ )、加藤作内、増田仁右衛門、すこし若い家士のうちには、彦右衛門の子、父の名をついだ小六 家政 ( いえまさ )、 大谷平馬吉継 ( おおたにへいまよしつぐ )、 一柳市助 ( ひとつやなぎいちすけ )、 木下勘解由 ( きのしたかげゆ )、 小西弥九郎 ( こにしやくろう )、 山内猪右衛門一豊 ( やまのうちいえもんかずとよ )など、 多士済々 ( たしせいせい )といえる。 いやもっと、元気いっぱいで、いつも 騒々 ( そうぞう )しく賑やかなのは、小姓組であった。 ここには。 福島 市松 ( いちまつ )がいる。 加藤 虎之助 ( とらのすけ )がいる。 仙石権兵衛 ( せんごくごんべえ )がいる。 芋 ( いも )の子やら雀の子やら分らないのがまだ沢山いる。 よく喧嘩があった。 たれも止めないのでいい気になってやる。 大きな福島市松などが、よく鼻血を出して、鼻の穴に紙で 栓 ( せん )を かってあるいているのが見かけられたりする。 どうした? とも誰も 訊 ( き )かない。 かれらはよい侍になるのが目的なので、侍のみがいるこの城中に起居していることは、すでに 学寮 ( がくりょう )にいる学生も同じだった。 いいこと悪いことみんな 真似 ( まね )する。 取捨分別 ( しゅしゃふんべつ )はおのずから知るに任せてある。 中でこの頃、急に大人しくなったのは虎之助である。 同輩の 茄子 ( なす )や芋が何をして遊んでいようと、 「われ関せず」 というような顔して、 午 ( ひる )まで 側仕 ( そばづか )えをすますと、書物をかかえて、さっさと城下へ出て行ってしまう。 「あいつすこし生意気になったぞ。 この頃、書物などかかえこんで」 とかく、いじめられるが、この頃は、前のようにかんかんに怒って来ない。 にやにやして、いつもすうと行ってしまう。 市松も、彼と性が合わないので、 「大人ぶっていやがる」 と、甚だ 怪 ( け )しからんように、年下の小姓仲間をよく 煽動 ( せんどう )した。 虎之助は、ことし十五、去年から城下の軍学者 塚原小才治 ( つかはらこさいじ )のやしきへ授業にかよっているのである。 小才治は同姓塚原 土佐守 ( とさのかみ )という剣人の 甥 ( おい )とかいうことだった。 いずれにせよ、その頃にはまだ道場という設けはなく、ひとりの師から軍学の講義もうけるし、槍術や剣道やまた武士の礼法戦陣の心得など、すべてを教えられるのだった。 きょうも。 虎之助はそこから帰って来た。 もう 黄昏 ( たそがれ )に近く、西日の影が、町の豆腐屋や織物屋の軒に赤々とさしこんでいる。 「何かしら?」 と、虎之助は足をとめた。 すると、そこの軒ばに たかっていた群衆が、わッと家のまえを開いた。 逃げそこねて、ころぶ子がある。 老婆がつき倒される。 泣き声で人のうしろへかくれこむ女がある。 な、なにを、寄りたかって、げらげら笑うか」 酒屋だ。 奥から、よろよろと 藪 ( やぶ )から大虎の現われるように、酒徳利を片手に、出て来たのは、酔っぱらいである。 頭のよこに、 盃形 ( さかずきなり )の 禿 ( はげ )がある。 よくよく酒の好きな しるしと、一度見たものは忘れまい。 長浜城の 足軽頭 ( あしがるがしら )、 木村大膳 ( きむらだいぜん )の手についている足軽で、どういうところから来た名まえか、 市脚 ( いちあし )の 久兵衛 ( きゅうべえ )と名のる男だった。 けれど、町のものは、そんな面倒な呼びかたはしなかった。 禿久 ( はげきゅう )といっても、とら久といっても、あああの足軽かと誰も知っている。 その有名なのは、禿のためではなく、飲むと暴れるからだった。 ところが、 (おれが出世しないのは、この癖があるからよ。 これさえやらなければ、五百石や七百石の士分にはなっているのだ) と、彼自身、よく豪語するとおり、実際、その腕力にいたっては、 へたな侍たちの及ぶところでなかった。 戦場での功名手柄も、かぞえきれないほどあると、彼が威張るのも、嘘ではないのである。 その証拠には、何をやっても、組頭の木村 大膳 ( だいぜん )は、知らん顔して、彼を重用しているのでもわかる。 また、町の奉行でも、 「また、 禿久 ( はげきゅう )か」 訴えを聞くだけで、 一 ( いっ )こう 懲 ( こ )らしてはくれない。 彼の武勲を知っているし、また組頭の木村大膳を 憚 ( はばか )っている加減もある。 だから、この虎は、いい気になって、ややもすると、 横鬢 ( よこびん )の盃形の禿について、肩をいからすのである。 「これやあ、こう見えても、生れつきのものじゃあねえぞ。 そもそもは 洲股 ( すのまた )の戦いで、斎藤方の 湧井将監 ( わくいしょうげん )てえ八十騎持ちの侍に出会い、あの河原でだ、そいつの槍を、ふん 奪 ( だ )くろうとしたら、突いて来やがった。 交 ( か )わしたはずみに、肉をチョッピリ 削 ( そ )がれたのが、いまもって、この美男子の玉に 瑕 ( きず )となっている。 何を笑う。 やい、おれの禿を笑ったな。 戦 ( いくさ )の味も知らねえくせに、この おびんずるめ」 いまもこの調子で、ここの酒屋の奥で昼酒をのんでいるうちに暴れ出し、酒屋の雇人をなぐりつけたあげく、あやまりに出た老婆をうしろ手にしばりつけ、裏口から逃げ出そうとした亭主をつかまえて、 威嚇 ( いかく )しては酒をつがせ、酒をあおっては、自慢ばなしを独り言に談じていたものである。 それを門口にむらがって見物していた近所隣の者が、何かのはずみに、げらげら笑ったので、笑えばすぐひがむこの虎は、 猛吼 ( もうく )して立ち上がり、いきなり群衆を割って、往来へあらわれて来たものらしい。 もちろん、彼の足どりはもういいかげん怪しいので、女子供もよく逃げて、ひとりも爪にかからなかった。 けれど、そこに、ぽつねんと、さっきから逃げもせずに立っていた少年がある。 虎之助だった。 禿久 ( はげきゅう )は、ぬうっと、顔を寄せて行った。 逃げるかと思いのほか、一歩もうごかないので、 癪 ( しゃく )にさわったにちがいない。 「チビ。 汝 ( わ )れや何だ」 虎之助は、ぷんぷんと襲う、酒のにおいに顔をしかめながら答えた。 「御城内の 於虎 ( おとら )だよ」 「なに、虎だと」 彼は鼻を鳴らして、あいての小さい体を見おろした。 身なりのわりに眼は大きい。 その眼を、なお大きくみはったまま、虎之助は、禿久を 睨 ( ね )め 返 ( かえ )していた。 「わ、は、は、は。 こいつは奇遇だ」 突然、禿久は身を 反 ( そ )らして、 仰山 ( ぎょうさん )に笑い出した。 そして虎之助の顔を、壺を持つように両手で持った。 「おまえも於虎か、おれも大 とらだ。 兄弟分になろう」 「いやだ」 「そういうない」 「きたない」 押しつけて来る 顎 ( あご )を、突き 退 ( の )けた。 怒りっぽい禿久が妙に怒りもせず、こんどは虎之助の手くびを握って、 「一杯交わそう。 兄弟分のさかずきだ」 もとの酒屋の軒へ引っ張り込もうとする。 虎之助はうごくまいとする。 彼の腕の根が抜けるか、禿久の腰がくだけるか、果てしなく引っ張り合っていた。 体重はないし、あいては有名な 強力 ( ごうりき )足軽、ずるずるッと酒屋の軒下まで持ってゆかれた。 あたりに見ていた近所 界隈 ( かいわい )の老若男女は、 「あれッ、あれッ、かわいそうによ」 「お小姓さん。 逃げなされ」 「たまるものか、その とらに取っ 捕 ( つか )まっては」 騒いではいるが、相手は恐いし、救う 術 ( すべ )もなかった。 だが、虎之助は、顔いろもかえていなかった。 片手に抱えていた書物を、酒屋の内へ 抛 ( ほう )りこむと、 「やめないか」 と、口を への字にむすんで、相手に念を押した。 「来いッたら来いッ!」 禿久が、 遮 ( しゃ )二 無 ( む )二、腕を引っぱると、虎之助は身をねじって、空いている左の手で、 脇差 ( わきざし )を抜いた。 「わッ、ちッ、ちくしょうッ」 刃ものを見ると、彼の 熟柿 ( じゅくし )のような顔も、一瞬に、さっと青ざめた。 その筈である、どうやって斬ったものか、禿久の片腕が、ごろんと、下に落ちていた。 もちろん鮮血はほとばしっていた。 酒気のあったせいか、それは 夥 ( おびただ )しい血だった。 虎之助の胸から 袴 ( はかま )へもかかって、見ていた者の眼をおおわしめた。 「や、やりゃあがったな」 禿久は猛然、むしゃ振りついてきた。 脇差はすッ飛んだ。 巨 ( おお )きな体躯と、小さい体が、たちまち上になり下になりして、土と血に まぶされた。 いかに猛勇な禿久も、腕の一本を 失 ( な )くしては、もう日頃の威力もなかった。 それに出血はひどく、見るまに貧血して、ぐったりと、虎之助の下に組みしかれていた。 「 羽柴家 ( はしばけ )の恥さらしめ。 弱いもの 虐 ( いじ )めの極道め」 虎之助はそう云いながら、相手の眼や鼻が くしゃくしゃになるほど 拳 ( こぶし )でぶん撲っていた。 「…………」 遠く逃げ 退 ( の )いて見ていた人々は声を出すのも忘れていた。 あとの 祟 ( たた )りを恐れてではない。 あまりに予想が 外 ( はず )れたからである。 虎之助は、脇差や書物を拾って、もとのように書物をかかえると、遠く見ている人々へ。 「もう大丈夫だよ。 たれか酒屋の年よりの縄を解いておやり。 それから、この足軽は、 奉行所 ( ぶぎょうしょ )へ渡すといいよ。 それが一ばんいいよ」 云いすてると、彼は見向きもせず立ち去った。 長浜城の 狭間 ( はざま )にはもう 燈灯 ( ともしび )がついて、夜となった町の辻には、いつまでもがやがや人が 躁 ( さわ )いでいた。 真っ暗な石井戸のそばで、たれか水でも浴びているような音がする。 主命で探しに来た市松は、闇をすかして、 「 於虎 ( おとら )かあ」 と、よんでみた。 「おうい」 と、のろまな返辞がする。 市松は怪しみながら側へ寄って、 「何をしているんだ、この夜中に」 と、裸の虎之助を見まもった。 「洗濯だよ、洗濯だ」 ざぶざぶ小袖と 袴 ( はかま )を洗っている。 市松が、 泥溝 ( どぶ )にでも転げ落ちたのかときくと、うむと、 頷 ( うなず )いて洗っている。 違うともいわないのである。 「殿さまがお呼びだ、すぐ来い。 さむらいのくせにして、 泥溝 ( どぶ )になぞ落ちるやつがあるか。 何のために毎日、兵法を習いに通っておるんだ」 叱言 ( こごと )を云いながら、市松は先に行ってしまった。 あかあかと燭の見える本丸の一間のほうへ。 小姓部屋へもどって、虎之助は着ものを着かえ、やがて秀吉のまえに行って、何用ですかと伺った。 席には酒が出ていた。 足軽頭の木村 大膳 ( だいぜん )は、そのかたわらに 苦 ( にが )りきっていた。 虎之助はちらとその人を見て、また主人の 唇 ( くち )もとへ眼をかえした。 「於虎、そちは今日、えらい事をやりおったそうではないか。 大膳がきつう立腹いたし、これへ来て、わしへ訴えおる。 道理でもある。 どうするか」 「どうもいたしません」 「どうもせぬと」 「はい。 相手の者が悪いんですから」 「足軽組の久兵衛とかいう者の片腕を斬ったというではないか、その方が」 「いたしました」 「家中の喧嘩は 両成敗 ( りょうせいばい )の 掟 ( おきて )、その方の身をわたせと、ここへ参って、大膳がわしを困らせおる。 渡されてもよいか」 「よろしゅうございます」 「左様なことを申さずと、そちはまだ少年、大膳へここで手をついて 謝 ( あやま )ったがよかろう。 わしの見ておる前で」 「いやです」 「なぜ」 と、秀吉の眼が、燭にキラとした。 「わたくしに落度はありません。 また、わたくしは殿さまの側小姓で、殿さまが、御家臣から迫られて、お 裁 ( さば )きに困るようなことは 仕 ( つかまつ )りません」 「ははは。 云いおるわよ。 よしよし、然らばわしは 関 ( かま )わん。 大膳、何といたすか」 木村大膳は、さっきからじっと虎之助の横顔を見ていたが、 「やはり、於虎の身は、てまえに下しおかれとう存じます」 と、いった。 秀吉はちょっといやな顔をして見せたが、大膳の次のことばで、また明るく 冴 ( さ )え直った。 大膳はこういうのである。 「配下の久兵衛が、とかくよろしくないことは、存じております。 けれど町なかの往来で、一小姓に、あのような目に 遭 ( あ )わされたとなると、組頭として、黙視いたしかねましたので、最前のようなお訴えをいたしましたが、いま、於虎の 面 ( つら )だましいを見て、にわかに考え方がちがって来ました」 「どう違ってまいったのか」 「ねがわくば、於虎をてまえの家の養子に乞いうけたいものでござる。 さもなければ、てまえの組の 士 ( さむらい )にいたしたいものですが」 「よかろう。 於虎さえ、異存なければ。 大膳の子にならんか」 「養子などに参る気はございません。 真 ( ま )っ 平 ( ぴら )です」 「養子とて、軽んずるな。 この秀吉も、養子じゃが」 「でも、いやです」 「あははは。 あの通りだ。 大膳なんといたすか」 「いたしかたありません。 あきらめましょう。 しかし 清々 ( すがすが )しゅうござる。 よいお小姓、よいお小姓」 大膳はしきりに彼を眺めたり 賞 ( ほ )めたりしながら、秀吉の杯をいただいていた。 いい機嫌に酔っていた。 木村大膳が 吹聴 ( ふいちょう )したものとみえる。 虎之助の沈着と 胆気 ( たんき )は城内でも評判になった。 いや城下の街ではそれ以上のうわさだという。 「於虎、そちも 故郷 ( くに )の母へ、便りなど書いてよろこばしてやれ。 この後は、百七十石に 加増 ( かぞう )してくれるぞ」 秀吉からも、そういわれた。 かれの得意は思うべしであった。 いよいよ勉強し奉公に励んでいた。 けれど納まらないのは、同じ年頃の生意気ざかりが同室している小姓部屋の 誰彼 ( だれかれ )である。 ここでは、福島市松が年上で、また一番の古顔として、その下に 平野権平 ( ひらのごんぺい )だの、 片桐助作 ( かたぎりすけさく )だの、加藤孫六、 脇坂甚内 ( わきざかじんない )、 糟屋 ( かすや )助右衛門などという大供小供が、非番でさえあれば、ひとつ池の 蛙 ( かわず )みたいにがやがや 躁 ( さわ )いでいた。 「於虎、於虎」 「なんだ、市松」 「こっちを向いて返辞をしろ。 書 ( ほん )ばかり読んでいないで」 「読んでいてもいいだろう」 「ここは寺子屋ではない」 「うるさいな。 何の用さ」 「みんなも聞いていてくれ。 おい、助作、孫六、甚内、聞いていろよ」 「聞いているよ。 於虎に何をいうのか」 「この頃、生意気ぶっておるから、云い聞かせておくのだ。 こら於虎、貴さま少し成人したと思って、悪くなったぞ」 「どうして」 「御加増になったと思って、急に威張っておるじゃないか」 「たれが威張ってなどいるもんか」 「いや、大きな 面 ( つら )をしている。 怪 ( け )しからん」 「そう見えるのだろ」 「みんなもいっている。 わしだけの言葉じゃない。 御加増になっても、貴さまはまだおれの下役だぞ。 …… 洲股城 ( すのまたじょう )におった頃、貴さまは 青洟 ( あおばな )を垂らして、母親の手にひかれて来たろう。 あの頃のこと忘れるなよ」 「たれだって、小さい時は、 洟 ( はな )を垂らすさ。 それがどうしたい」 「みろ、その口ぶりからして、生意気になったことを! われわれだって、いまにみろ、きっと、大きなてがらをあらわして、貴さまなぞ、見返してみせるから」 「おう、結構だ。 どんな功名かしらぬが、立ててみせてもらいたい」 「立てずにおくか。 おびんずるめ」 「なにを」 「なにが何だ」 両方一しょに立ちかけた。 ほかの小姓はあわてて止める。 福島市松が 逸 ( はや )まって、片桐助作のあたまを 撲 ( なぐ )ってしまう。 仲裁人 ( ちゅうさいにん )を撲るやつがあるかと助作が撲りかえす。 あっちで取っ組む、こっちで 掴 ( つか )みあう。 小姓頭の 堀尾茂助 ( ほりおもすけ )が、舌うちしながら駈けて来た。 茂助の 一喝 ( いっかつ )にようやく鎮まったものの、ついこの頃、 貼 ( は )り 代 ( か )えたばかりの 襖 ( ふすま )が破れ放題に破れているし、そこらの調度や机や書物なども乱脈に取りちらかって、目もあてられない有様である。 「殿さまのお眼にふれたら何とするか。 はやく片づけろ。 そして襖のあなを貼っておけ」 茂助は叱って、それぞれに勤めをいいつけた。 獅子 ( しし )の児や 豹 ( ひょう )の子をひとつ 檻 ( おり )に入れておくと、彼らに退屈させておくことが、何よりも危険を生じやすかった。 その獅子の児や豹の子が、絶大な楽しみとしていることは、城外へ出て青空を見ることだった。 その点、秀吉からゆるされて毎日 塚原小才治 ( つかはらこさいじ )の道場に通っている虎之助が、たれからも 嫉視 ( しっし )の 的 ( まと )とされていたのは無理もない。 「於市、あしたは殿さまのお供だぞ。 助作、権平のふたりもお供に加われ。 朝はお早いかも知れぬから、そのつもりで 不覚 ( ふかく )すな」 前の晩、組頭の堀尾茂助からそう云い渡されていた三名は、どこへお供するのか、秀吉の出先はわからなかったが、ともかく 欣 ( うれ )しさに眠れないほどだった。 さむらい十騎ばかり、小姓四人、あとは 御小人 ( おこびと )の 口取中間 ( くちとりちゅうげん )など、同勢はそれだけだった。 夜明けとともに城を出て、 伊吹山 ( いぶきやま )のほうへ駈けて行った。 狩猟 ( かり )にということであったが、鷹も犬も連れていない。 どこまでお 出 ( い )でですか」 伊吹の 麓 ( ふもと )まで来ると、さむらいの一人が訊いた。 秀吉はつねに先駆しながら、 「どこまでという定めはない。 日暮まで駈けあるいて帰るまでじゃ」 「鹿、兎でも追い出しましょうか」 「よせよせ。 大いに意味がある」 「はて。 何ぞほかに、思し召がおありですか」 「ある」 「お聞かせ下さい」 小姓組の堀尾茂助、福島市松など、秀吉に せがんで云った。 秀吉は馬を立てて、眉に迫る 伊吹山 ( いぶきやま )を仰ぐ。 さむらい達もみな 手綱 ( たづな )をやすめ、各 、汗ばんだ顔を 山巒 ( さんらん )に吹かせていた。 知っておるじゃろう」 「存じております」 「では、 劉備玄徳 ( りゅうびげんとく )の名は」 「 後漢 ( ごかん )の英雄でしょう」 「そうだ。 孔明 ( こうめい )を迎えて 蜀 ( しょく )を 征 ( せい )し、三国の一方を占めて帝座にのぼった人物。 この人がまだ志も得ず、孔明にも会わず、同族の 劉表 ( りゅうひょう )に身を寄せて、いわば高等食客をしていた壮年時代に、こんなはなしがある」 「はあ。 どんなはなしです」 「一日、劉表と同席して、酒をのんでいたが、ふと 厠 ( かわや )に立ってもどって来た玄徳の顔を見ると、涙のあとが見える。 日月 ( じつげつ )の過ぎるは早く、人生には限りがある。 ……玄徳はその時の何不自由ない境遇を怖れたのですね」 「わしもだ。 無事は恐い。 いまの秀吉はあやうい幸福にくるまれておるからな。 きょうは、そう気づいて、 腿 ( もも )の肉を 削 ( けず )りに出たのだ。 うんと汗をかこうと思う」 「では、殿には、ひそかに玄徳の志をお抱きですな」 「ばかを申せ。 わしに 望蜀 ( ぼうしょく )の意はあるとしても、あんな山地の一方に屈して、 曹操 ( そうそう )、 孫堅 ( そんけん )ごとき者と争い、 互角 ( ごかく )に一生を終るなど、手本とはいたしたくない。 彼は、日没する国の英雄、わしは日 出 ( い )ずる国の民、秀吉の望みはちとちがう」 「働き 栄 ( ば )えがありますな。 われわれもこの先は」 「もとよりだ。 腿に肉を蓄えるなよ」 「だいじょうぶです」 茂助がいうと、片桐助作、平野権平なども、 「痩せています。 この通りに」 と、鞍のうえの 腿 ( もも )を叩いた。 「もっと痩せろ。 そち達、少年の肉は、刀のごとく 鍛 ( う )って 鍛 ( う )って細身にするほど斬れ味はよくなるものだぞ。 さ、つづいて来い」 平野へ下るのかと思うと、 七尾 ( ななお )村から伊吹へ向って、山道を登りはじめた。 腹も 空 ( す )いた、 喉 ( のど )も 渇 ( かわ )きぬいて来た。 二刻 ( ふたとき )あまりも山野を駈けたあとである。 「どこかないか。 湯漬 ( ゆづけ )なと 所望 ( しょもう )するところは」 午下 ( ひるさ )がりの陽をあたまから浴びながら、秀吉以下の者たちは、伊吹の 裾 ( すそ )を馬けむりあげて降りて来た。 「ありました、ありました」 先に、 麓 ( ふもと )の小部落へ駈け入っていた福島市松が、すこし駒を返して来て、曲り道で手を振っていた。 秀吉以下、近づくと、 「この先によい寺があります。 三珠院 ( さんじゅいん )という 真言寺 ( しんごんでら )が」 と、すぐ先に立ってゆく。 一叢 ( ひとむら )の 幽翠 ( ゆうすい )につつまれて 閑寂 ( かんじゃく )な 庫裡 ( くり )や本堂が見える。 秀吉は山門に駒をすて、近侍たちとともにぞろぞろと入って行った。 声をかけても、誰も出て来ないのである。 秀吉はかまわず本堂へあがって、本堂のまん中にひとり坐っていた。 にわかに庫裡のほうで、人の気はいがしはじめた。 寺僧の耳に通じたとみえる。 それとまた、城主の休息という思いがけない不意打ちに、寺僧たちは 狼狽 ( ろうばい )もしたにちがいない。 「騒がすな、気の毒だ。 ただ早う茶をひとつくれい。 喉が 渇 ( かわ )いた」 秀吉の声が本堂ですると、 側 ( わき )の一室に見える 衝立 ( ついたて )のかげで、 「はいッ、ただ今」 と、はっきり返辞がきこえた。 衝立のほうを振向いて、秀吉はひょいと小首をかしげた。 すずやかな声であったが、女とも思われない。 寂 ( じゃく )とした 伽藍 ( がらん )のせいか、よく澄み 徹 ( とお )って、しかも 可憐 ( かれん )なうちに力がある。 「…………」 黙然と、礼儀をし、 小袱紗 ( こふくさ )に茶碗をのせて、秀吉の前にすすめる。 待ちかねて秀吉の手は、すぐ両手にそれを持って、がぶがぶと一息に飲んだ。 大茶碗に七、八分のただの ぬる湯であった。 「 稚子 ( ちご )。 もう一服」 「はい」 少年は立ってゆく。 寺の稚子と、彼は見た。 すぐ二服めを運んで来た。 白湯 ( さゆ )は前よりもすこし 熱 ( あつ )加減で、量も半分ほどしかない。 秀吉は、ふた口に飲みながら、眼を少年の顔に向けていた。 「稚子」 「はい」 「名は何というか」 「 佐吉 ( さきち )と申します」 「佐吉か。 こんどは、容易に運んで来なかった。 程経て、菓子を持って来た。 それからまた少し間をおいて、前の茶碗よりずっと小ぶりな 白天目 ( しろてんもく )に緑いろの 抹茶 ( まっちゃ )をたたえ、足の運びもゆるく、貴人にたいする作法どおり、物静かに秀吉のまえに置いた。 「これで 渇 ( かつ )も 医 ( い )えた。 うまかったぞ」 「ありがとう存じます」 「……む、むう」 秀吉は何か、こううめいた。 少年の 容貌 ( かおだち )は稀に見るほどよく整っていた。 知性の美といおうか、長浜の小姓部屋にいる於市、於虎、於助、於 権 ( ごん )などという者どもとは、その 言語挙動 ( げんごきょどう )にしても、著しくちがっているところがある。 「 幾歳 ( いくつ )になる? そちは」 「十三歳でございます」 「 苗字 ( みょうじ )はないのか」 「家代々、石田を姓としております」 「石田佐吉というか」 「そうです」 「この近郷には、石田姓が多いようだな」 「けれど、わたくしの家は、石田の中の石田です。 たくさんある石田とはいささか違います」 何を答えるのも 明晰 ( めいせき )で、妙に怖れたり はにかむふうなど少しもなかった。 「石田の中でもすこし違う石田とは……どういうわけだな」 秀吉は、微笑をふくむ。 佐吉はそれに答えて、 「この近郷で、いちばん 旧 ( ふる )い家がらですから」 と、いって、また、 「 粟津 ( あわづ )の 戦 ( いくさ )で、むかし、 木曾義仲 ( きそよしなか )を射とめた 石田判官為久 ( いしだのほうがんためひさ )という人は、わが家の御先祖だと、父から聞いておりました」 「ほう、その頃から、 江州 ( ごうしゅう )の武家であったか」 「はい。 建武 ( けんむ )の頃には石田源左衛門という方が、 菩提寺 ( ぼだいじ )の過去帳にものっております。 それからずっと後は、この辺の御領主だった 京極家 ( きょうごくけ )に仕えましたが、いつの頃からか浪人して、 梓 ( あずさ )の 関 ( せき )の近所に住み、郷士になってしまいました」 「あの関の 址 ( あと )の附近に、石田屋敷という名がいまもあるが、そちの先祖の地か」 「はい。 仰せのとおりです」 「両親は?」 「ございません」 「そちは僧になるつもりで、寺入りしておるのか」 「いいえ」 首を振った。 ニコとしたまま黙っている。 その 笑靨 ( えくぼ )までが、知性の光に見える。 秀吉は、ふいに、 「 住持 ( じゅうじ )はおるか」 と、訊ね、佐吉が、おりますと答えると、これへ呼べといった。 佐吉は、はいと、素直に返辞して立ちかけたが、 「ただいま御家来衆から、お 湯漬 ( ゆづけ )をさしあげいとのおことばで、住職も 厨 ( くりや )にはいって立ち働いておりまする。 ほかならぬ御城主への御膳、人手にまかせられぬと、先ほども仰っしゃって、取り急いでおるところでございますが……お召しはおいそぎでございましょうか」 「ああそうか。 ならば後でもよろしい」 「いずれ、お膳ができ次第、ごあいさつに参られましょう」 佐吉は 天目 ( てんもく )を下げて行った。 秀吉はすっかり気に入ってしまった。 脆弱 ( ぜいじゃく )な文化や、 爛熟 ( らんじゅく )しすぎた知性には、 逞 ( たくま )しい野性を配することが、本来の生命力を復活するひとつの方法だし、また、余りに粗野で豪放にすぎる野性にたいしては、これに知徳の光をそそぐことによって、初めて完全に近いひとつの人格なり新しい文化なりを構成することができるのではあるまいか。 日頃もであったが、いま佐吉を見て、秀吉はしきりと、そんなふうに、長浜の小姓部屋にある人材を考えていた。 どうして、彼がそんなふうに、常に小姓部屋などを気にしているかといえば、彼は、老臣や重職の者よりも、そこにいる年少の 輩 ( やから )を一ばん重要に 観 ( み )ていたからである。 十三、四になっても、まだ時々、 洟汁 ( はなじる )を垂らしていたり、甚だしきは寝小便をしたり、取っ組んだり、泣き 喚 ( わめ )いたり、始末におえない存在ではあったが、秀吉のこころでは、小姓部屋こそ、人材の 苗床 ( なえどこ )、わが家の宝でもあると、そこから伸び育つ者を楽しみに注視しているのであった。 「……十三か。 十三にしては、ちと出来すぎてはいるが?」 しきりと、そんなことを、彼は 呟 ( つぶや )いたりしていた。 そこへまもなく住職があいさつに見えた。 三珠院の住職は、佐吉の身の上について、秀吉からいろいろ問われたのに対してこう答えた。 「養育はしておりますが、長く寺におくつもりではございませぬ。 当人の意志も 沙門 ( しゃもん )になく、両親も 歿 ( ぼっ )しておりますから、家名を 興 ( おこ )させねばならぬ身でございまする。 あれの母方と拙僧とは、遠縁にあたりますところから、何ぶんよい成人を遂げるようにと、ひそかに祈っておりますが、どうもすこし内気なほうで、女かなどとよう訊かれることなどございますから、武士の中に立つと、一家を持つようになれるかどうか、案じられております」 秀吉は、おかしそうに、 「内気じゃと、あれがか。 ……あはははは。 とんでもないことだ。 まあよい、そういう者であれば、わしにくれぬか」 「え。 ……くれいと仰せあそばすのは」 「取り立ててくれよう。 長浜の小姓部屋へもらってゆきたい。 当人にたずねてみい。 秀吉に随身するや否やと」 「ありがとう存じまする。 否やのあろうはずはございませぬが、とにかく、思し召のほどを申し聞かせ、後刻、御返辞に伺わせまする」 「どれ、そのまに、湯漬の馳走にあずかろうか」 「御案内を」 と、寺僧たちは、彼を客院に案内した。 そしてほかの家臣たちをもそこに迎え、うやうやしく給仕した。 食事の終った頃、住職はあらためて、 稚子 ( ちご )の佐吉を 伴 ( つ )れて来た。 「どうだ、返辞は」 秀吉から云った。 住職は佐吉を顧みて、 「このとおり大喜びでございまする。 佐吉、ようく、おねがいをなさい」 「…………」 佐吉は秀吉を見て、 にことしながら、両手をつかえた。 何もいわなかったが、秀吉は満足な眼をもってそれに答えた。 「城中へ参ったら、あれらの者と仲よくせねばならぬぞ。 おとなしいと思うて、あまり 虐 ( いじ )めるな」 「はい」 「茂助。 面倒を見てやれよ」 「かしこまりました」 堀尾茂助は、佐吉に向って、ていねいにいった。 「小姓 頭 ( がしら )の堀尾でござる。 これからは、何分とも」 すると佐吉も、いんぎんに向き直って、挨拶を返した。 「この近郷の郷士、 石田源左衛門 ( いしだげんざえもん )が子、佐吉と申す不つつか者でございます。 よろしくお引きまわしのほどを」 これが十三の少年とは思えなかった。 その成人ぶった 容子 ( ようす )を見て、於市や於権は、寺を立つとき、そっと 囁 ( ささや )きあっていた。 「オイ、こんどの稚子は、於虎なんかより、よっぽど、生意気そうだぞ」 「さむらい 雛 ( びな )みたいに、いやに澄ましていやがる」 「雛ならいいが、 らっきょうみたいなやつだ」 「いまに皮を 剥 ( む )いてやろうよ」 しかし秀吉が馬をよせて鞍上にまたがると、みなぴたりと黙っていた。 伊吹のうえに 夕月 ( ゆうづき )を見ながら、秀吉は長浜城へ帰った。 もちろん佐吉もその日から彼のうしろに従っていた。 秀吉が目をつけたところは、彼の 機転 ( きてん )を見て、その才能に期したのであるが、やがて 卵殻 ( らんかく )を割った 雛鳳 ( すうほう )は、見事、それを裏切らなかった。 一年のうちに幾つという 城国 ( じょうこく )がぞくぞく滅亡し去った。 新人が立ち、旧人は 趁 ( お )われ、 旧 ( ふる )い機構は、局部的に 壊 ( こわ )されてゆく。 そしてまた局部的に、新しい城国が建ち、文化が 創 ( はじ )められて来た。 そして容易に安定の見えない 風雲裡 ( ふううんり )の歳月は、決して人に 腿 ( もも )の肉の肥えるほどな暇は与えなかった。 長浜 ( ながはま )の城へ、令が下った。 出陣の目的は。 反信長勢力の 壊滅 ( かいめつ )にある。 越前はつい先年、そこの朝倉一族をほろぼして、とうに彼の 統業圏内 ( とうぎょうけんない )におかれていたはずであるが、一年ともたなかった。 その主力は、ここでも、明らかに、一向門徒の武器と財力と信仰に結束した旧朝倉の残党、その他の混成軍だった。 軍、外交、経済、あらゆる 懸引 ( かけひき )は国々の方針によって、何とも簡単でない。 晩秋、 越山 ( えつざん )はもう白かった。 そこを越えて、越前へはいった信長軍の主力は、 丹羽 ( にわ )五郎左衛門 長秀 ( ながひで )と、 羽柴筑前守秀吉 ( はしばちくぜんのかみひでよし )。 一揆はたちまち征服された。 翌年、両将は雪にとざされぬうちに、 凱旋 ( がいせん )した。 春は、天正二年となっていた。 けれど、一月もすぎると、またふたたび越前の領内には、騒然たる空気があがっていた。 「始末のわるい! ……」 と、さすがの信長も舌打ちした。 けれどまた、それに 癇 ( かん )を立てて、一方的に 焦躁 ( しょうそう )することを、彼はひそかに 戒 ( いまし )めていた。 この期間を、信長が、もっとも急務としていたのは、かえって、内政の充実と、軍備の再編成。 そして自己の勢力圏内にある民心に、将来の 泰平 ( たいへい )と、統業の実を示すにあった。 その一つとして。 彼は、七ヵ国にわたる大道路の改修や 架橋 ( かきょう )に着手していた。 美濃、尾張、三河、伊勢、伊賀、 近江 ( おうみ )、 山城 ( やましろ )をつらぬく国道である。 往来の幅を、三間半と定め、道の両わきに樹木を植えさせた。 そして無用な関所は 撤廃 ( てっぱい )した。 通商も、一般の旅行も、極めて軽快になった。 この道を歩み、並木の育ちをながめる者は、もう信長を天下の 司権者 ( しけんしゃ )と認めていた。 認めないでも 讃 ( たた )えぬはなかった。 いかに精兵強馬の 金剛軍 ( こんごうぐん )をもって、焦土の占領地を満たしても、一般領民は、それをもってすぐ永久の支配者とは想像しなかった。 かれらは治乱興亡のあわただしきを見、また精兵弓馬や 城塁 ( じょうるい )の一朝のまに 儚 ( はかな )い消滅を告げて来たのを、土とともにながめて来た古い習性をもっている。 矢さけびや鉄砲の音にも、黙々と耕している彼らとて、やはり 唖 ( おし )でもなく盲でもなかった。 正直な声を出せば、この世を、個々の生命を、やはり謳歌したい人間だった。 夏になると、信長はまた令を発して、兵馬を 長嶋 ( ながしま )へうごかした。 長嶋征伐は、こんどで四度目である。 しかもその前の三度が三度とも、不利な 戦 ( いくさ )に終っている。 その第一回には、弟の織田彦七を死なせ、翌 元亀 ( げんき )二年のときは宿将 勝家 ( かついえ )が負傷し、 氏家卜全 ( うじいえぼくぜん )が戦死し、去年の出征には、部将の林新二郎以下たくさんな戦死があるなど、苦杯を喫しつづけて来た敵である。 この始末の悪い敵にたいして、信長はこういっていた。 「さきに 叡山 ( えいざん )を焼き払って、自分の態度は、厳然と示してある。 よって、しばらく彼らの反省と 悔悟 ( かいご )をわしは待っていたのだ。 果たして。 六万の大兵に配するに、織田家の 驍将 ( ぎょうしょう )はほとんど 轡 ( くつわ )をならべたといっていい。 柴田、丹羽、佐久間、池田、前田、稲葉、林、滝川、佐々などの諸将が参加し、羽柴秀吉もまた一部隊をひきいて出陣していた。 籠城していた男女千余人をみなごろしにして、これを焼き払ったのを手初めに、次々の小城や 砦 ( とりで )を粉砕し、翌月の中旬には、中江、長嶋の二城をとりかこんで、これを 陥 ( おと )すと、火を放って、 阿鼻叫喚 ( あびきょうかん )する城内二万余の宗徒を、一人のこらず焼き殺してしまった。 そうなるまでも、宗徒の男女は一人として降伏しようとはしなかったのである。 或る宗徒の一団七、八百人の隊は、残暑の 陽 ( ひ )が かんかん 焦 ( い )りつける炎天へ、半裸体のまま 刀槍 ( とうそう )を手に 揮 ( ふる )って、城中から突き出し、 「な、む、あ、み、だ、ぶつ」 「な、む、あ、み、だ」 「な、ま、い、だ」 「なまいだ、なまいだ」 と、一せいに念仏をとなえながら斬り死にしたというような猛烈な抵抗をしたのだった。 ために織田軍の損害も少なくなかった。 信長の一族中だけでも、 従兄 ( いとこ ) 信成 ( のぶなり )、伊賀守 仙千代 ( せんちよ )、又八郎信時など、いずれも戦死し、織田 大隅守 ( おおすみのかみ )、 同苗 ( どうみょう )半左衛門なども 深傷 ( ふかで )を負ってしりぞいたが、後まもなく死んだ。 そのほか、将士の戦死八百七十余人、負傷者は、炎日の 陰 ( かげ )へ運びきれないほどだった。 犠牲は大きかった。 物慾の 飽満 ( ほうまん )だけなら、すでに今の信長は、七ヵ国の領主として、十分に事足りていよう。 名誉や空名を欲するなら、かれは京都へむかって或る運動もできる立場と位置にある。 領界の不安を除くだけの意味なら、もっと保守的にも、もっと 妥協 ( だきょう )的にも、他に方法はいくらもある。 かれが真に望んでいるものを実現するには、どうしても、犠牲の大はしのばねばならなかったのである。 英雄の 苦衷 ( くちゅう )は実にここにある。 では、彼の欲していたものは何かといえば、破壊でなく、建設にある。 彼の理想している組織と文化を築くことにあった。 信長と会ったこともなく、信長の生活も 為人 ( ひととなり )も知らないくせに、近頃よく信長のうわさを 交 ( か )わす堂上の 公卿 ( くげ )たちのうちには、 「信長。 あれはやはり 田舎者 ( いなかもの )じゃ。 料理の味も知らぬ」 とか、 「 壊 ( こわ )し大工も同じことで、壊すことには、 驀 ( まっ )しぐらじゃが、建てることはようせぬ男よ」 などと、一ぱし名評を下したつもりでいるような口吻を、今もって、陰ではいっている者も多かったが、事実は、徐々にそうでない信長を洛中にも見せて来た。 長嶋を平定して、まず東海道から伊勢にわたる多年の 大患 ( たいかん )をとりのぞくと、翌天正三年の二月二十七日には、上洛の途にのぼっていた。 彼が七ヵ国にわたって改修を命じておいた国道も、はや完成して一路京都につづいていた。 両側に植えさせた並木も、みなよく育っていた。 あれにはなりたくないものよ」 信長はよくそんなことを左右に語って、自分の 戒 ( いまし )めともし、また部将をも暗に 訓戒 ( くんかい )していた。 木曾 義仲 ( よしなか )のことをいったのであろう。 義仲の弱点は武人のたれにも一応はある弱点である。 いや人間のたれもが得意となれば 陥 ( お )ち入りやすい 穽 ( あな )である。 信長自身のうちにも、そろそろその危険が反省されていたにちがいない。 花の三月。 入洛 ( じゅらく )すると即日、彼は 参内 ( さんだい )していた。 天機奉伺 ( てんきほうし )の 伝奏 ( てんそう )を仰いで、その日はもどり、あらためて堂上の 月卿雲客 ( げっけいうんかく )を招待して、春の大宴を張った。 またその 公卿 ( くげ )たちへは、彼は多くの金品を贈った。 兵馬倥偬 ( へいばこうそう )の世にかえりみられず、この名誉ある権門たちが、ひどく物に貧しく、その貧しさに いじけて、すこしも、君側の 朝臣 ( あそん )であり 輔弼 ( ほひつ )の 直臣 ( じきしん )であるという、高い 気凛 ( きりん )も誇りも失っているのを、あわれに感じたからである。 金品ばかりでなく、彼はこのなかに、自己の 気魄 ( きはく )を輸血する気をもっていた。 さきに彼は、朝廷の恩命があっても 拝辞 ( はいじ )したが、こんどはすすんで 参議 ( さんぎ )に任官し、従三位に 叙 ( じょ )せられた。 また、 内奏 ( ないそう )をとげて、南都の東大寺に秘蔵伝来されている 蘭奢待 ( らんじゃたい )の 名香 ( めいこう )を 截 ( き )るおゆるしをうけた。 この 香木 ( こうぼく )は 聖武 ( しょうむ )天皇の御代、中国から渡来したもので、 正倉院 ( しょうそういん )に 封 ( ふう )じられて、 勅許 ( ちょっきょ )がなければ、観ることすらゆるされないものだった。 蘭奢待 ( らんじゃたい )。 この文字のなかに、東、大、寺の三字がかくしてある。 主上からこれをいただいた者は、足利 義政 ( よしまさ )以後、信長だけであった。 辰 ( たつ )の 刻 ( こく )、お蔵びらき。 名香は、六尺の 長持 ( ながもち )に秘せられてある。 一寸八分の香木のために、この盛儀が 執 ( と )り行われたばかりか、ために奈良の町といい近郷の 伽藍 ( がらん )や名所といい、諸国から集まって来た人出で、春の空も 埃 ( ほこり )に黄 ばむばかりであった。 「どうも、仰山だな、信長のやることは少し……」 若い奈良法師たちのうわさを聞くと、そういう者もあるし、またこういう者もあった。 「政治だよ。 信長は、あれでなかなか政治家なんだよ」 信長はたしかに武人にして政治家でもあった。 世間の 具眼者 ( ぐがんしゃ )が、彼をそう 観 ( み )たのは、 中 ( あた )っている。 けれど、その時代の「政治」というものは、現代でいうところの「政治」とは相違があった。 「政治」ということばそのものが、もっと高潔であり明朗であったのである。 今日のごとく 穢 ( よご )されていなかった。 人間の天職のうちでいちばん遠大な理想と、広い仁愛を奉行し得る職として、諸人は常にその職能に 景仰 ( けいこう )と信望をかけていた。 もちろん長い歴史のうちには、その政治をにぎっても、民衆の信頼を裏切った 司権者 ( しけんしゃ )はいくらもあり、すでに前 室町 ( むろまち )政治のごときもそれだったが、さりとて民衆は、政治そのものを 卑 ( いや )しめたり疑ったりはしなかった。 奉行する「人」の 如何 ( いかん )にあることを知っていた。 「政治」というその 気高 ( けだか )いことばまでが、あたら 卑 ( いや )しい私慾の徒の表看板かのように地に 堕 ( だ )してしまったのは、明治末期から大正、昭和初期にかけてのことで、本来の「政治」とは、飽くまで、人間の職能として、最高の善事を奉行するものでなければならない。 その職府にある大臣や高官を、あたかも無能な愚人のように 揶揄 ( やゆ )したりするとき、それは小市民の 諷言 ( ふうげん )や皮肉味をお茶 うけのように軽くよろこばせたりするか知らぬが、その時代下の民衆はかならず不幸であり不安であるにきまっている。 故に、大臣高官は、 威重 ( いおも )く、入るにも出るにも、常に 燦燗 ( さんらん )とあって欲しい。 民衆はそのほうが頼もしくまた安泰を感じるのである。 如才 ( じょさい )ない政治家だの民衆の 鼻息 ( びそく )ばかり 窺 ( うかが )っている大臣などは、いつの世でも民衆は見ていたくない。 民衆の本能は、高い 廟堂 ( びょうどう )にたいして、やはり 土下坐 ( どげざ )し、礼拝し、 歓呼 ( かんこ )して仰ぎたいものである。 形では上下の区別があっても、そのときその治下の民衆は大きな安心と国家の 泰平 ( たいへい )を感じるからである。 信長はそういう庶民性をよく見ていた。 蘭奢待 ( らんじゃたい )を賜わるべく、勅許を仰いだのも、一個の身に、名香の 薫 ( かお )りを持ちたいだけの小慾ではなかった。 むしろ自己の光栄と存在を、全土の民衆のうえに 薫々 ( くんくん )と行き渡らせたいための盛事だったというほうが適切であった。 また、こういう行事から、彼はたちまち、 公卿京紳 ( くげけいしん )の文化人と接触し、深交をむすんで行った。 愛馬趣味もあった。 一面に文化人と 融和 ( ゆうわ )を計りながら、信長はまた決して、民衆を置き去りにはしなかった。 自分の愛馬六十頭を出して、 加茂 ( かも )の馬場で大競馬を催し、それには莫大な費用と善美をつくして、市民の観覧をゆるし、数日にわたって、一般の老幼男女を楽しませた。 けれど彼は、何をして遊んでもそれに 溺 ( おぼ )れない自己をいつも持っていた。 相国寺 ( そうこくじ )へ三条、 烏丸 ( からすまる )、 飛鳥井 ( あすかい )の諸卿を招いて、 蹴鞠 ( けまり )を催したときである。 今川義元の一子 氏真 ( うじざね )は、蹴鞠の名手といわれていたが、その日も、晴れがましく 装束 ( しょうぞく )して、庭上で得意の 鞠 ( まり )を蹴って見せた。 「あざやか。 氏真どのは」 公卿 ( くげ )たちはみな 褒 ( ほ )め 称 ( たた )えたが、信長はあとで、侍臣にこういったということである。 「あわれ、今川氏真をして、鞠を蹴る 伎 ( わざ )の十分の一でも、文武に心を入れていたら、 可惜 ( あたら )、 洛陽 ( らくよう )に 余伎 ( よぎ )の人となって、諸人の見世物には 曝 ( さら )されまいものを……。 祖父以来の 駿 ( すん )、 遠 ( えん )、 三 ( さん )の三ヵ国を他人に取られて、ただ一個の鞠をいだき、得意がっておるあの 容子 ( ようす )は……さてさて、見るもなかなか 不愍 ( ふびん )であった」 徳川家康は、ことし三十四歳、その後は、 浜松 ( はままつ )の城にいた。 子の三郎 信康 ( のぶやす )も、はや十七となった。 信康のほうは、岡崎に在城している。 むかしからのことだが、相かわらずここの士風は土くさい。 京風の 華奢 ( きゃしゃ )軽薄な文化は とんと入って来ない。 いや入れないのであろう。 君臣の生活も、一般の風も、時代や流行の影響なく、依然として三河色だ。 地味で質実でひとえに節約を旨としている。 たとえば婦人の服色でも、眼を刺すような色柄は見られぬし、髪ひとつ 結 ( ゆ )う 紐 ( ひも )にしても、 費 ( つか )い捨てにしていないのがわかる。 男の服装はなおさらで、茶、 暗藍色 ( あんらんしょく )、せいぜいが 小紋 ( こもん )か 霰 ( あられ )ぐらい。 律義者 ( りちぎもの )の子だくさん、という 諺 ( ことわざ )のように、この国の特徴は、どこの軒からも 嬰 ( あか )ン 坊 ( ぼう )の声がよくすることである。 その頃、浜松、岡崎を通る旅人がきっということは、 「どこの辻も、 がきだらけじゃないか。 こんなに国中で子どもばかり生むから、ここの貧乏はいつまでも直りはしない」 と、いう評だった。 天正三年。 三方 ( みかた )ヶ 原 ( はら )以後、わずかまる三年とも経たないうちに、その興隆ぶりを、同盟国の織田や、敵国の武田とくらべてみても、 (なるほど、これじゃあ……) と、無理もないことを誰もうなずこう。 まず織田家の 勃興 ( ぼっこう )ぶりを数字のうえで見ると、ここ足かけ三年間に、足利 義昭 ( よしあき )を追い、浅井、朝倉を滅ぼして、急激にその領地を拡大している。 武田家は、三年前の三方ヶ原以後、およそ十一万石の地を 伐 ( き )り取り、全土で百三十三万石の富強を擁している。 それにひきかえ徳川家は、ここ三年ほどのあいだに、八万石の減地を示していた。 「忘るるな、この 稗 ( ひえ ) 粟 ( あわ )の軽い飯茶碗は、殿さまがそち達を好んで 飢 ( ひも )じゅうさせよとて、下されているものではない。 年ごとに武田勢に御領地を 伐 ( き )り 奪 ( と )られてしまうためじゃ。 お国を強うするには、造作もない。 こういう中で、岡崎城の家中近藤平六は、 新規 ( しんき )御加増となった。 もとより戦功があったからこそであるが、平六は心のうちで、 「なにやら申し訳ない」ような気がしてならなかった。 君恩のかたじけなさ、いうまでもないが、それだけ君家の 禄 ( ろく )を喰い 減 ( へ )らす気がした。 そうかといって、戦陣の恩賞を辞退するのも主家に対してよろしくない。 「近藤。 貴公はまだ、 大賀 ( おおが )どのの所へ行っておらぬそうではないか」 「は。 つい…… 取 ( と )り 紛 ( まぎ )れて」 「早く参って、新規御加増の 采地 ( さいち )は、どこの村か、どこを境とするか、よく 地方 ( じかた )のお指図を 承 ( うけたまわ )って、戴いたものは戴いたようにしておかねばいかんじゃないか」 「はあ、今日は、帰りに立ち寄って、よく大賀どのから伺いまする」 番頭 ( ばんがしら )から 叱言 ( こごと )をいわれて、近藤平六は大いに恐縮した。 その夕方彼は退出のもどりに、徳川家切っての 出頭人 ( しゅっとうにん )、 大賀弥四郎 ( おおがやしろう )のやしきを訪ねた。 おそらく浜松にも岡崎にも、大賀弥四郎ほどな屋敷を構えていたものはなかったろう。 彼は、三河 遠江 ( とおとうみ )三十余郷の代官だった。 また、地方 吟味 ( ぎんみ )、 税取立 ( ぜいとりたて )、岡崎浜松の勘定方や軍需品の買入役など、およそ経済方面の要務は、ほとんど兼ねているといっていい。 だから彼の門には、客が市をなした。 外部はそうでもないが、一歩邸内にはいると、ここばかりは岡崎ではないようだった。 建築庭園にも、召使の男女の 装束 ( しょうぞく )にも、都の 華美 ( かび )がそのままある。 客があれば、かならず贈り品が一緒に入り、奥に通れば、かならず 美酒佳肴 ( びしゅかこう )が主客のあいだに出る。 「……どうも好かん」 主 ( あるじ )の大賀弥四郎が出てくるあいだ、近藤平六は、借物のように、 豪奢 ( ごうしゃ )な書院にぽつねんと待たされていたが、自分の加増という用向きで来ているくせに、心は甚だ楽しまない。 「やあ、失礼失礼」 出て来た。 弥四郎である。 四十二、三の 巨男 ( おおおとこ )で、 盤広 ( ばんびろ )な顔に黒 あばたがいっぱいだ。 しかし、非常な才人であることは、その応対ですぐわかる。 ひと 事 ( ごと )のような気はせん。 妻ともはなしていたことだが、近藤どのも、お子は多いし、一族では本家分。 あははは、まあ、よかったよかった」 まったく、わが事のように、 欣 ( よろこ )んでくれるのである。 三河者の 朴訥 ( ぼくとつ )を、そのまま自分としている平六には、そのよろこびが、嘘かほんとかなどと疑ってみることもできなかった。 「いえ、赤面です。 さしたる戦功もないのに、御加増とは、まったく思いもよらぬ恩命で、なにやら却って、肩身がせまい気がいたしまする」 「なに、肩身がせまいと。 御加増をうけて、肩身がせまいといったのは、古今、近藤平六をもって、 嚆矢 ( こうし )とするじゃろう。 いや、 其許 ( そこもと )は実に、正直者じゃからのう。 そこがまた、勇者たる質のある 所以 ( ゆえん )かもしらぬて」 「なんですか、 番頭 ( ばんがしら )のおことばには、新規に戴いた采地の 地境 ( じざかい )とか、おさしずを承れと、申されて参りましたが」 「ありがたいお沙汰をうけながら、いつまでも、どうして来ないかと、わしも思っていたところじゃ。 いま御采地の 地方絵図 ( じかたえず )をお示しする。 まあ、きょうはゆっくりして行くがよい」 いつの間にか、もう平六の前にも 主 ( あるじ )の前にも、美々しい膳部や酒器が並んでいた。 それを運んで来たり、酒間をとりなす召使の女にしても、岡崎や浜松の女の 肌目 ( きめ )ではなかった。 わざわざ京都から 抱 ( かか )え入れたものらしい。 酒はきらいでないし、自分たちが日頃、惜しみ惜しみ飲んでいる粗製とはまるでちがう。 人間、誰しもこういう 一夕 ( いっせき )の悪かろう筈はない。 平六はすっかりいい気もちになった。 「もう……もう充分でござる。 お 暇 ( いとま )いたします」 「采地の事情も地境も、よく分ったろうな」 「わかりおります。 いろいろどうもお世話で」 「むむ。 ……ところで、近藤」 「はあ」 「自分の口から申しては恩着せがましいが、こんどの恩典も、実はこの弥四郎が、それとなく君前へおとりなししたればこそ、お沙汰が下ったのだぞ。 ……それだけは、記憶してくれい。 この大賀を疎略には思うまいが」 「…………」 平六は、 うんも すんも答えなかった。 興ざめた顔して、弥四郎の あばたを見まもっていた。 「お暇いたす。 御免」 近藤平六は、急に腰をあげた。 弥四郎はおどろいて、 「や。 もはや帰るとは」 「は。 帰ります」 「何か気にさわったのか。 貴公が、めでたい御加増となったのは、この大賀弥四郎の推挙によると、正直にいったのが……気にさわったのか」 「いや、そんなわけでもござらぬが、どうも不快で」 「そういえば、急に顔いろもよくないが」 「悪酔いしたかもしれません」 「酒は強いお身なのに」 「体の ぐあいでしょう」 匆々 ( そうそう )に、席を立って、平六は門を辞してしまった。 その日、別室のほうに、もうひとり客が来て飲んでいた。 これも大賀と同様に、岡崎の家中で羽ぶりのよい山田八蔵という御蔵方随一の出頭人だった。 よほど親しい間とみえ、八蔵はずかずかとそれへやって来て、 主 ( あるじ )弥四郎へむかい、 「ちと、 逸 ( はや )まった口外をなすったな。 あいつ、何か感づいて帰ったのではあるまいか」 と、いった。 弥四郎にも、同じ不安があったらしく、 「日ごろ、お人好しの平六といわれている人間、いと無造作に、こっちの恩を感じるかと思いのほか、急に いやな顔をして帰った。 ……どうやら俺のことばの裏を、変に 覚 ( さと )ったらしい気ぶりもある」 「では、生かしておけまい」 「そこまでの大事はまだ洩らしていないが……」 「 蟻 ( あり )の穴からという 喩 ( たとえ )もある。 拙者が追いかけて」 と、山田八蔵は、すぐ庭門のほうから出て、平六のあとを追った。 近藤平六は、送りに出て来た大賀の召使たちにも、ひと口のことばも交わさず、表門のくぐりから外へ出て来た。 そして宏壮な門を出て、黙ってふり向いていたが、 「……べッ」 と、 唾 ( つば )するように、何かつぶやいていた。 裏門から廻った山田八蔵は、その影をはやくも見つけて、 「どこで斬ろうか?」 と、土塀に身を 貼 ( は )りつけながら徐々に近づいて来た。 すると近藤平六は、表門から塀づたいに十歩も行くと、すぐ 塀際 ( へいぎわ )の 溝 ( みぞ )へ向って、屈みこんでいた。 どこの屋敷でも、すこし大きな構えとなると、かならず塀のまわりに 溝渠 ( みぞ )があり水がながれている。 そして、涙をこすりながら、 「ああ、 清々 ( せいせい )した」 と、つぶやいて、とことこ行ってしまった。 山田八蔵はその 容子 ( ようす )を見て、急に気が変った。 やはり彼がふいに辞去したのは、体の加減で、ほんとに悪酔いしたものにちがいない。 そのほかに深い意味があるように考えたのは、こっちの考え落ちだったと、思い直したのである。 とかく、大事のまえには 事勿 ( ことなか )れだ。 飲み直そう」 と、手をたたいて、京美人の 侍女 ( こしもと )たちを呼びあつめた。 ここばかりは、百難 克服 ( こくふく )、 挙藩 ( きょはん )一 致 ( ち )の窮乏岡崎の城下ながら、岡崎の外のようだった。 豊かなる「物」と 貪慾 ( どんよく )な精神とが、門を閉じて私慾の小国を作っていた。 近藤平六は、 物頭 ( ものがしら )の 大岡忠右衛門 ( おおおかちゅうえもん )の私宅を訪ねた。 「せっかくでござるが、新規の御加増は、そのまま殿へ返納いたしたく存じますから、御面倒ですが、その手続をお取りねがいたいので」 「何、御加増をお返しする? ……大賀殿のところへ伺ったか」 「行きました。 その結果」 「何としたわけだ」 「嫌になりましたから」 「ばかなことをいっては困る。 然るに、大賀がいうには、このたびの御加増も、ひとえに、自分が蔭にまわって、殿へ御推挙をしたためであるなぞと」 「そんなことを申されたか」 「大賀から恩をきるなど、耐えられません」 「大賀どのは一体がああいうお人なのだ。 この先とも、あのお方の憎しみをうけては、御奉公もし 難 ( にく )うなる。 まあ、まあ」 「いやでござる」 「強情だな、貴様も」 「お 頭 ( かしら )こそ、 諄 ( くど )いでしょう」 「何といおうが、御加増返納などという手続は取りようがない。 ところが数日の後、近藤平六はのこのこ浜松へ行って、家康へ目通りを乞い、ありのままを君前で 披瀝 ( ひれき )した。 「平六 微賤 ( びせん )ではございますが、大賀ごときに 追従 ( ついしょう )して、禄地を増し賜わらんなどという 穢 ( きたな )い心は持ちません。 左様な禄なら一粒なりとも、受けては武士の汚名と存じおります。 「…………」 家康も困った顔していた。 何しろ藩の財務にかけては、 懸 ( か )け 替 ( が )えのない才腕をもつ大賀であった。 「平六。 ……平六」 「はッ」 「いささかの加増は、家康が 心遣 ( こころや )りじゃ。 弥四郎の取り なしによるものでないことは、分っておろうが」 「でも、大賀の申すように世間に聞えましては」 「まあ、聞けい。 ……そちも忘れてはいまい。 わしが岡崎に在城の頃、或る年、田を見廻りに行くと、泥田の中に、百姓どもと打ち 交 ( ま )じり、大小を 畦 ( あぜ )において、そちも、そちの妻子も、稲を植えていたことがあろう。 ……あの時、わしは何というたか。 あの折の約束を、いささか今日、果したまでであるぞ。 ぐずぐず申さず受けておけい」 「はッ」 と、いったきり、平六はもう返すことばもなく感涙にむせんでいた。 そのことばを、家康も忘れず、平六も思い出して泣いたのであった。 武田 勝頼 ( かつより )は三十の春を迎えていた。 亡父 ( ちち )の信玄よりは遥かに 上背丈 ( うわぜい )もあり、骨ぐみも 逞 ( たくま )しかった。 美丈夫と呼ばれるにふさわしい風貌の持主であった。 と、故信玄の遺命はよく守られて来た。 けれど、年々その忌日には、 恵林寺 ( えりんじ )をはじめ諸山の 法燈 ( ほうとう )は秘林の奥にゆらいで、万部経を 誦 ( よ )みあげていた。 勝頼も、その日は、兵馬の事を廃して、 毘沙門堂 ( びしゃもんどう )のうちに 慎 ( つつし )み、眼に新緑を見ず、耳に 老鶯 ( ろうおう )を聞かないこと三日にわたっていた。 扉 ( と )をひらいて、 躑躅 ( つつじ )ヶ 崎 ( さき )の 館 ( たち )から、香煙を払った日である。 返書は、それがしより 認 ( したた )めてつかわしますゆえ」 と、一通の書面をわたした。 あたりには誰もいなかった。 大炊介の 容子 ( ようす )では、特にそういう折を見はからっていたようでもある。 「……お。 岡崎から?」 勝頼は、手にとると、すぐ封をやぶった。 あらかじめ、彼の胸にも受信の用意があるものにちがいない。 読み下してゆくうちに、その顔にもただならぬ色が動いた。 凛々 ( りんりん )と、夏近い若葉青葉に、 逞 ( たくま )しい声して 鶯 ( うぐいす )が啼きぬいている。 勝頼は、その若いひとみを、きっと窓外の天へ向けていたが、 「心得た。 その方より答えてやれ」 と、いった。 跡部 大炊介 ( おおいのすけ )は、はッと、彼の 面 ( おもて )を見あげ直して、 「そのように申し 遣 ( や )って、よろしゅうございますか」 と、念を押した。 勝頼はもう決然と、 「よしッ。 天の与えたもう機を逸してはなるまい。 お気づかいなものではございません」 「 遺漏 ( いろう )はあるまいが、 ぬかるなと、書中、申し添えてやれよ」 「承知いたしました」 大炊介は、 文殻 ( ふみがら )を返していただくと、ふかくそれを 懐中 ( ふところ )に秘して、また 倉皇 ( そうこう )と 退 ( さが )って行った。 私邸へではない。 館 ( たち )の内の一棟のほうへ。 そこは、他国の使臣や、諸方に放ってある 諜者 ( ちょうじゃ )などが、よく迎えられるところで、本丸やこの 曲輪 ( くるわ )とも絶縁された一 秘閣 ( ひかく )であった。 大炊介がそこへ入って、 幾刻 ( いくとき )ともたたないうちに、表の政務所のほうでは、にわかに 繁忙 ( はんぼう )なうごきが現われていた。 軍触 ( いくさぶ )れが発しられたのである。 夜になると、その混雑はなお増していた。 夜どおし、人影がうごき、城門の出入りはやまなかった。 夜が白みかけると、城外の馬揃いの広場には、すでに、約一万四、五千の兵馬と 旌旗 ( せいき )が、朝霧の底に、 粛 ( しゅく )として濡れていた。 まだぞくぞくと集まってくる将士があるらしい。 出陣を触れる貝が、日の出までに、幾たびか、甲府の町々を呼びさましていた。 ゆうべ手枕で 一睡 ( いっすい )したのみであった勝頼は、もう全身を 鎧 ( よろ )って、すこしも眠たげなものを顔に留めていなかった。 人いちばいな健康と、大きな将来への夢は、彼の肉体に、今朝の新緑のような若い露をたたえていた。 父の信玄が 亡 ( な )い後も、この三年間、彼は一日だに、 安閑 ( あんかん )としてはいなかった。 甲山 峡水 ( きょうすい )の守りは固いけれど、 遺封 ( いほう )をついで、それに甘んじているべくは、余りに彼の胆略と武勇は、父以上に備わりすぎている。 勝頼は、名門の出に多い、いわゆる不肖の子ではなかった。 むしろ、自負と、責任感と、天質の勇武があり過ぎたといっていい。 いかに秘しても、信玄の 喪 ( も )は諸国に洩れた。 機逸すべからずである。 小田原の北条も態度がちがって来た。 なおさらのこと、織田、徳川など、隙さえあれば、領界から 侵犯 ( しんぱん )して来る。 偉大な父をもった子は楽ではない。 しかもなお、彼は父の名を 辱 ( はずかし )めていなかった。 どこの 戦 ( いくさ )でも、五分に戦うか、かならず利を得て帰った。 やがて、何かの大機会に、 晴信入道信玄 ( はるのぶにゅうどうしんげん )ここにありと、 忽然 ( こつぜん )、世にあらわれてくるのではないか) と、いうような 疑心暗鬼 ( ぎしんあんき )のうわさが、諸国にみだれ飛んでいるくらいだった。 以て、彼がここ三年の、信玄亡きあとの努力と経営は 窺 ( うかが )われる。 「御出陣の前に、 美濃守 ( みののかみ )どのと、 昌景 ( まさかげ )どのが、しばしの間、お目通りを仰ぎたいと、申し出られておりますが」 はや立とうとしていた折である。 穴山梅雪 ( あなやまばいせつ )から勝頼へこういう取次があった。 馬場美濃守も 山県 ( やまがた )昌景も、ふたりとも父以来の功臣である。 勝頼は、ふとこう 訊 ( たず )ね返した。 「両名とも、出陣の身支度は、ととのえておるか」 「 鎧 ( よろ )うておられます」 梅雪の答えに、そうかと 頷 ( うなず )いて、やや安心したらしく、 「通せ」 と、ゆるした。 まもなく、馬場、山県の両将は打ち揃って勝頼のまえに出た。 果たせるかな、勝頼の予感はやはり 中 ( あた )っていた。 「昨夜、おそくの御陣触れ、とるものも取りあえず、かくは馬揃いまで馳せ参じましたなれど、つねにも似ず、御軍議もなく、いかなる御勝算あっての御出馬か。 この二将は、さすがに信玄仕込みの老練なので、勝頼の胆略にも武勇にも、大して心服していなかった。 日頃から勝頼もそれを感じている。 だが、ふたりの持説とする、 (ここ数年は守るに 如 ( し )かず) と、いうような保守主義は、彼の性情としても、若さからも、承認できないことだった。 「いや決して、無謀な出陣はせぬ。 くわしくは大炊がふくんでおる。 計 ( はかり )は密なるをもってよしとする。 そこへ迫るまでは、味方にも告げぬつもり。 悪 ( あ )しく思うなよ」 勝頼はそういって、巧みに、両将の 諫言 ( かんげん )を避けた。 馬場、山県の両将は、あきらかに、不快な顔いろを見せた。 といわれたことが、心外らしかった。 信玄以来の宿将たる自分たちにも計らず、これほどな大事を、跡部大炊などの輩と、軽々に決めて、兵馬をうごかされるなどとは……と、ふたりは同じ心を眼に見合って、しばらく 呆然 ( ぼうぜん )としていた。 やがて、美濃守が、 面 ( おもて )を 冒 ( おか )して、もういちど勝頼へいった。 そして、なお、 「お身たちの、案じてくれるは 欣 ( うれ )しいが、勝頼とて、今日の大事はぞんじておる。 御旗楯無! そのことばを聞くと、両将とも手をつかえて、心にそれを拝した。 この二品は、武田家に伝わる軍神の神体であった。 御旗というのは、八幡太郎義家の軍旗、また楯無というのは、家祖 新羅三郎義光 ( しんらさぶろうよしみつ )の 鎧 ( よろい )なのである。 どんなことでも、この 宝器 ( ほうき )のまえに 神盟 ( しんめい )したことは、 違 ( たが )えないということが、代々武田家の鉄則であった。 勝頼が、その 神誓 ( しんせい )の下に、起ったと云いきっては、もう二臣の諫言も、それを 強 ( し )いる余地はない。 君家の安危は、思い 断 ( た )つにも断たれなかった。 で、大炊の陣場を訪ねて、 「仔細は貴公から聞けとのお 館 ( やかた )の仰せであったが、いったい、いかなる秘策があって、かくは急に、御出兵と相成ったのか」 と、問い 糺 ( ただ )すと、跡部大炊介は、人を払って、得々とその内容を打ち明けた。 彼がいうところの機密な計とは、次のようなことであった。 家康の子、徳川信康がいま守っている岡崎の 財吏 ( ざいり )に、大賀弥四郎なる者がいる。 その大賀は、以前から自分を通して、武田家に内通し、お館におかれても、ふかくゆるしておられる。 おととい 躑躅 ( つつじ )ヶ 崎 ( さき )に来た使いは、その大賀弥四郎から密書をたずさえて来たもので、「機はいまや熟した」と報じている。 何となれば。 この二月以来、信長は 入洛 ( じゅらく )していて、 岐阜 ( ぎふ )は留守だし、加うるにその以前、信長が長嶋門徒の 剿滅 ( そうめつ )にかかったとき、家康から援軍を送らなかったので、二国同盟の信義も、このところ少しおもしろくない感情に 疎隔 ( そかく )されている。 いま甲軍の疾風のごとく、三河に出て、 作手 ( つくで )あたりまで攻めて来るなら、大賀は岡崎にあって、内部を 攪乱 ( こうらん )し、城門をひらいて甲州勢を迎え入れよう。 家康はきっと、伊勢か美濃路へでも逃げ 退 ( の )くことになろう。 「どうです、これこそ、天来の福音ではござるまいか」 大炊 ( おおい )はすべてが、自分の 画策 ( かくさく )であるかのように誇って話した。 ふたりは、もう何もいうことを欲しなかった。 跡部大炊とわかれて、自分たちの隊へもどって帰る途中、暗然と、顔を見あわせて、 「……美濃どの。 おたがいに、生きて亡国の山河は見たくないものだな」 と、 沁々 ( しみじみ )、山県三郎兵衛がささやくと、馬場美濃守もうなずいて、 「お身にしても、また、それがしにしても、早や人間の 定命 ( じょうみょう )には達しておる。 このうえは、よき死に場所を得て、先君のおあとを慕い、われわれが、 輔佐 ( ほさ )の任に足らなかった罪を、お詫び申すより道はない」 と、沈痛な眉をして云った。 馬場、山県といえば、信玄の 麾下 ( きか )に、その人ありと、多年、四隣にその名の聞えていた勇将である。 ふたりの髪には、はや白いものが 増 ( ふ )えていた。 信玄が死んでから後、急にそれは目立っていた。 甲山の緑は若く、 笛吹川 ( ふえふきがわ )の水はことしも強烈な夏を前に、 淙々 ( そうそう )と永遠の生命を歌っていたが、別るる山河に、 (再び 汝 ( なんじ )と 相見 ( あいまみ )えることを得るかどうか) と、無量な思いを抱いて立った将士がどれほどあったろうか。 信玄亡きのちの甲軍は、やはり 昔日 ( せきじつ )の甲軍ではなかったのである。 どこかに一抹の悲調と無常があった。 旗ふく風にも、足なみの音にもあった。 たとえば落日の赤さも、 朝陽 ( あさひ )の赤さも似ているようにである。 部隊部隊の旗じるし 馬簾 ( ばれん )などを見ても、また勝頼の前後をかためてゆく旗本たちの 分厚 ( ぶあつ )な鉄騎隊を見ても、甲軍衰えたりとは、どこからも見えなかった。 彼の豊かな頬には、かぶとの 眉廂 ( まびさし )にちりばめてある 黄金 ( こがね )が映じて、いかにもこの壮年の大将の前途を華やかに想わせたものだった。 彼は気負うほどな実績を、信玄の死後にも挙げていた。 徳川家の領域へ出て、そちこちの小城を攻め取ったり、 明智城 ( あけちじょう )を奇襲して、信長の鼻を明かしたり、また、不利と見れば、疾風のごとく、 還 ( かえ )り去るのも見事だった。 わけてこんどの出陣には充分の画策がある。 遠江 ( とおとうみ )から 平山越 ( ひらやまご )えにかかり、やがて目標の地、三河へ攻め入ろうと、その夜、河原をまえに野営していた時である。 対岸から泳いで来る敵方の侍があった。 見張の兵が、すぐ生け捕ってみると、これは小谷甚左衛門、倉地平左衛門というふたりで、徳川の士だが、徳川家の兵に追われて逃げて来たものと分った。 二人は、勝頼の面前へ、すぐ自分らを連れて行って欲しいと希望した。 何やら重大なことを急に告げたいというのである。 「なに? 小谷甚左と、倉地のふたりが、逃げて来たと……?」 勝頼は、待つ間も もどかしそうであった。 彼には何か思いあたりがあるらしく、 胸躁 ( むなさわ )ぐ心の影は、 眉 ( まゆ )にもすぐあらわれていた。 家康はゆうべよく眠らなかったらしい。 何か、非常な心痛をいだいているかのように見える。 今朝の顔は 腫 ( は )れぼったい。 新緑の生々たる朝だ。 かつて三方ヶ原の戦いのときでも、この浜松城の門を開け放しにして、敵の包囲軍を前に、 大鼾 ( おおいびき )で眠ってしまったほどな人だ。 きのう、岡崎の家中近藤平六が、目通りをねがい出て、 御加増返上、 という前例のない事件を持ち出し、平六一流の武士的良心から、極めて率直に、大賀弥四郎の 卑 ( いや )しいことばやその無礼を訴えて帰ったそのあとからのことである。 家康になだめられて、平六は感泣しながら、返上の願いは撤回して 退 ( さが )ったが、家康の胸には、深い憂いが残っていた。 と、不審を感じ出したのである。 主君たるものが、自身の重用している臣下にたいして、疑いを抱くほど、不幸の大なるものはなかろう。 心痛の深いものはあるまい。 外部の百難も、四隣の強敵も、それは恐るるに当らない。 むしろ敵なき国は亡ぶ、という真理をうしろに、よろこんで逆境また逆境を克服してゆく快味もある。 けれど、君臣のあいだの 疑心暗鬼 ( ぎしんあんき )は、ふところの敵である。 ひいては藩全体の病患ともいえる。 これを 治 ( じ )すには名医のごとき老練と政治的な果断が 要 ( い )る。 心身の疲労はここに原因があった。 「さむらい部屋に、又四郎はおるか。 見てまいれ」 小姓のひとりがすぐ、はいと答えて立って行った。 やがて、彼のいる書院の外に、肩肉の固そうな、色の浅ぐろい、三十がらみのさむらいが手をつかえた。 石川 大隅 ( おおすみ )の 甥 ( おい )で、典型的な三河武士である。 「お召しでございますか」 「オオ。 何やらちと退屈をおぼえた、そちを相手に、 象戯 ( しょうぎ )でもさそうかと思うて。 盤 ( ばん )をこれへもて」 妙なことがあるものと、又四郎は変に思ったが、主命なので、象戯盤を持って来た。 「久しく手にせぬから、そちには 敵 ( かな )うまいな。 ……そちは陣中でもよくやりおるそうだから」 駒をならべ始めた。 そして家康はまたうしろを見て、 「小姓たちもみなも、次へ 退 ( さが )って休息しておるがいい。 下手象戯 ( へたしょうぎ )をのぞかれると、よけい気が惑うていかぬもの」 と、笑って云った。 (おまえは陣中でもよく象戯をさしているそうだから、さだめし強いだろう) さむらいが主君からこんな 賞 ( ほ )め 方 ( かた )をされるのは名誉でないはずだが、石川又四郎にとっては、尠なくも不名誉ではなかった。 それには、こんな理由があるからである。 或る年の合戦に、家康は、敵の小城を取り詰めて、自身たびたび攻め口を巡視していた。 するといつも、城壁の上から、家康のほうへお尻を向けて、叩いて見せる敵兵がある。 「憎いやつだ」 家康は舌打ちして通ったが、翌日通ると、また塀の上にその尻が見える。 頻りと叩いている様子である。 「たれぞ、あの 醜 ( みぐる )しいものを、射落せ」 供の中にいた石川又四郎が、はッと答えながら、斜めに弓を持って、駈け出して行った。 そして、城壁の下へ、近々と寄って、矢ごろを 測 ( はか )り、丁ッと射ると、矢を立てた尻は、見事、下へ転げ落ちた。 ところが、とたんに城中からも、 ひょうッと、一本の矢が飛んで来て、又四郎の 喉 ( のど )に突き立った。 当然、彼は仰向けに倒れた。 味方は、声をあげて、 快哉 ( かいさい )をさけんでいたが、その 体 ( てい )に驚いて、たちまち彼のそばに駈け寄り、家康のそばまで、抱えて来た。 「…… 不愍 ( ふびん )な」 と、家康は、自分の手で、矢を抜いてやった。 そして、 「小屋へ 退 ( さ )げて、よく養生させてつかわせ」 と、命じた。 その晩、家康は陣所のうちで、 干飯粥 ( ほしいがゆ )を喰べていたが、ふと、 箸 ( はし )の間に、 「もう息をひき取ったであろうな」 と、左右へ訊ねた。 では息のあるうち、ひと目、見舞うてやろう」 と、箸をおくとすぐ、夜中なのに、傷病兵のいる小屋へ出向いて行った。 前触れも何もないので、軽い負傷者は、笑いばなしなどしていたし、重傷者は横たわって 呻 ( うめ )いていた。 家康が入ってゆくと、そこの一隅に、 蝋燭 ( ろうそく )を一本立てて、 象戯 ( しょうぎ )をさしている男がある。 見ると、そのひとりが又四郎だった。 「喉の 矢瘡 ( やきず )はどうした?」 と、呆れながらたずねると、 「好きな象戯をさしていると、痛みも忘れております。 明日は、御陣所へ 罷 ( まか )り出て、役目に就けるかと存じます」 と、 坐住居 ( いずまい )を直して答えた。 「ばかを申せ、もっと寝ていなければいけない」 叱って帰って来たが、家康は内心、 欣 ( うれ )しかったらしい。 あくる日、彼が首の根に布を巻いて、具足を着込み、まるで俵みたいな恰好して出て来たのを見ると、にやりと笑った。 家康が満足なときに洩らす微笑であったという。 彼の象戯には、こういう履歴があるので、 (あれは、喉に穴があいても、役目を怠らない男だ。 いわんや、象戯の好きぐらいに、心を 囚 ( とら )われる気づかいはない) と、主君から保証されたかたちになっていたのである。 今、その象戯盤を間において、又四郎は主君のお相手を命じられたが、駒をならべ合ったのみで、家康はいつまでも駒をうごかそうともしなかった。 「……いざ。 どうぞ」 当然、自分のほうが強い。 又四郎は、こう先手を 促 ( うなが )した。 「…………」 家康は眼をこらして、彼の顔をただ見ている。 主従ふたりが、どんな象戯をさしていたか、小姓も侍臣もいなかったので、知るものはない。 初めは、静かだった。 家康と又四郎とで、何か、密談でもしているふうであった。 そのうち、象戯の駒音が、すこし聞えた。 と思うと、まもなく、 「無礼であろう」 「無礼ではありません」 「いまの手は待て」 「待てません」 「主にたいして、そちは」 「たとえ、盤上の遊戯でも、勝敗のこと、主従の別はないはずでござる」 「強情なやつ。 待たぬか」 「 御卑怯 ( ごひきょう )でござる」 「こやつ、卑怯といったな、主にたいして」 大声で争いが始まったと思ううちに、家康の声で、おのれッと、起ち上がった様子。 つづいて、盤の駒が、一面に飛んだような物音と共に、大廊下のほうへ、だだだだと、逃げてゆく跫音がした。 「捕えろ、又四郎めをッ」 追いかけながら、家康はあたりへ怒号した。 手に脇差を抜いている。 「殿ッ、殿。 いかがなされましたか」 駈けつけて来る家臣たちへ、家康は口を極めて怒りをもらした。 象戯 ( しょうぎ )をさしているうちに、いつか主従の見さかいも忘れ、余りに暴言を吐くので、 懲 ( こ )らしめてくれようとしたところ、さらに 悪罵 ( あくば )を放って、逃げて行ったというのである。 「近ごろ、わしの 恩寵 ( おんちょう )に 狎 ( な )れすぎて、図に乗っていた又四郎のやつ。 是が非でも引っ捕えて、 窮命 ( きゅうめい )申しつけねばならん。 すぐ 縛 ( から )めて来い」 いつにない激色である。 大勢して 捜 ( さが )して見たが、もう城中にはいなかった。 夜になって、彼の住居を、追手の者がとり巻いたが、ここにもいない。 「夕方、岡崎の方へ、馬をとばして逃げて行った」 と、いう者がある。 それに石川又四郎の早足というものは、浜松第一の聞えがあった。 これも家康に 従 ( つ )いて戦場へ急いだ時のことである。 日頃、うわさを聞いていたので家康が、 「わしの馬に追いつけるか」 と、 戯 ( たわむ )れに 訊 ( たず )ねたところ、又四郎は、 「いとやすいこと」 と、答えたので、ひとつ困らしてやろうと、家康は、乗馬に 鞭 ( むち )を入れて駈けた。 ところが、一時は先へ駈け抜けても、やがて閉口するであろうと考えられていた予想を裏切って、その晩、宿泊する部落まで行くと、又四郎は先に着いて平然と待っていたので、 「 稀代 ( きたい )な足だ」 と、人々から驚かれたことがある。 その又四郎が必死で逃げたら、どう追っても捕まるまいと、追手の者は、先にあきらめていたのである。 だが、岡崎にも、すぐ 通牒 ( つうちょう )がまわったので、彼の所在は、きびしく 詮議 ( せんぎ )されていた。 すると、それから三日目か四日目ごろの夕方。 大賀弥四郎と並んで、岡崎の 御蔵方 ( おくらかた )支配をしている山田八蔵のやしきへ、そこの裏門をどうのり越えて入って来たか、ぶらりと裏庭にすがたを現わした男がある。 邸内の小侍を通じて、 「ぜひ、お目にかかりたい。 ……折入って、極く内密に」 と、主人八蔵に面会を求めた。 それが石川又四郎であった。 やがて一室に通された。 それも客書院でなく、奥まった密室である。 「どう召されたのだ。 ……いったい、そのお姿は?」と。 知らないはずはない。 浜松でも岡崎でも、隠れないうわさにのぼっている又四郎の境遇である。 「折入って、貴殿の義心に、おすがりに来ました。 彼の父 大隅 ( おおすみ )と八蔵とは、かつて同じ役目にいたこともあり、幼少から八蔵の顔はよく見知っていたのである。 「なに。 武士の情けに訴えてと。 どうしたのだ? ……」 「実は、かようでござります。 浜松の大殿と、 象戯 ( しょうぎ )のうえで、つい雑言を吐き、無礼者めがと、あわやお手討になろうとしましたが……戦場でなら知らぬこと、武士が象戯のうえの言葉ぐらいで死んでは無念。 いかに主君であろうと、多少の功名もあるさむらいを、余りなお仕打と」 「待て待て。 ……では、浜松を 逐電 ( ちくてん )いたして、 御詮議中 ( ごせんぎちゅう )とかいうのは、貴公のことだったか」 「はッ、拙者でございます」 「何たることだ!」 慨然 ( がいぜん )と、山田八蔵は声を 昂 ( たか )めた。 ……よろしい、 匿 ( かくま )って進ぜる。 案じぬがよい」 「か……かたじけのう存じまする」 「いったい、浜松の殿は、御名君の質ではあるが、どこか 冷 ( ひや )やかだ。 ときには 冷厳酷薄 ( れいげんこくはく )、お家のためには、何ものをも犠牲にして顧みぬところがある。 打てばひびくというふうに、又四郎も図にのって、その血気と 鬱憤 ( うっぷん )を、不平らしいことばの 裡 ( うち )にちらちら洩らした。 「まあ、湯にでも入って」 八蔵はやさしく情けをかけた。 情熱に感じやすい若者へは、甘やかし過ぎるほどよく 宥 ( いた )わった。 四、五日、彼はここに匿われていた。 そのうち噂もうすらいだ。 国外へ脱出してしまったものだろうという見解が、一般に又四郎の行方に下されて来たらしい。 「石川。 ……貴公のことばをお伝えしたところ、大賀殿にも、非常なおよろこびだ。 ぜひ会おうと仰せられる。 こよい、そっと 伴 ( つ )れて来いとのことだが……同道してくれるか。 もちろんそれがしが 伴 ( つ )いてゆく」 潜伏 ( せんぷく )している彼の部屋へ、 主 ( あるじ )の八蔵が来ての話しである。 又四郎は、眼に歓びを見せて、 「ぜひ、御同道を」 と、両手をつかえた。 懐中 ( ふところ )へ入って来た 窮鳥 ( きゅうちょう )にたいして、山田八蔵が何を語らったか。 彼と大賀弥四郎との関係を考えあわせれば、あえて 詮索 ( せんさく )するまでにも及ばない。 ふたりは夜に入ると、おたがいに、黒い 頭巾 ( ずきん )を 眉深 ( まぶか )にして、裏門からそっと出て行った。 大賀弥四郎のやしきは 彼方 ( かなた )に見えて来た。 そこを指さして、山田八蔵が何か彼の耳へ 囁 ( ささや )きかけると、 「 謀叛人 ( むほんにん )ッ。 汝らの 企 ( たくら )みはもう明白だ。 「 上意 ( じょうい )!」 又四郎に組みつかれていた。 だッと、大地に投げ伏せる。 そして馬乗りだ。 逆らうので、又四郎は二つ三つ彼の顔の真ん中へ 鉄拳 ( てっけん )を喰らわせておいてから、 「騒がない方が身のためだろう」 と、穏やかに 諭 ( さと )した。 八蔵はあらん限りの抵抗を試みたが、その無意味を覚ると、 脆 ( もろ )くもさけんだ。 「く、くるしい。 手を、手をゆるめてくれ」 「云い分があるのか」 「まったく貴様は上意をうけて来たのか。 すべては殿のおいいつけである。 詐 ( いつわ )ってお城から逃げ出したのも、汝ら一味の企みを探らんためにその方のやしきへ逃げ込んだのも……」 「む、む。 ……では、あざむかれたのか」 「歯ぎしりしたところで、もう及ぶまい。 潔 ( いさぎよ )く君前で自白したら、せめて打首ぐらいはおゆるしになろう」 かねて岡崎の奉行とも 聯絡 ( れんらく )はあったらしい。 又四郎は彼を 引 ( ひ )っ 縛 ( くく )ると、その体を小脇にかかえて 疾風 ( しっぷう )のように駈け出した。 そして奉行所に 抛 ( ほう )りこみ、またたく間に、人数をととのえて、大賀弥四郎の 邸宅 ( ていたく )を包囲した。 奉行の大岡孫右衛門や、その子伝蔵や、また今村彦兵衛などは、又四郎の友人として、討手の中に参加していた。 来たものは、殺陣だった。 上意! 君命! と叫びかかる意外な人数であった。 さきに又四郎の手で縛られた山田は、すぐ浜松へ廻送され、一切を自白したかどで、一命はゆるされたが、髪を切って、 懺悔 ( ざんげ )の一文をあとに残し、どこへ去ったか行方知れずになってしまった。 で、 首魁 ( しゅかい )の大賀弥四郎の陰謀は、吟味までもなく、明白であった。 「厳刑に処せ」 と、家康の怒りは、いつになく 峻烈 ( しゅんれつ )をきわめた。 打首 ( うちくび )、 磔 ( はりつけ )、二日にわたって、 夥 ( おびただ )しい血が、大賀一個の叛心のために、士気粛正の犠牲にされた。 ついきのうまで、ひとつ領土に語らい合っていた人も、相見て 笑 ( え )みを見交わしていた者も、いまは刑場の 他人 ( ひと )として見送られた。 傷 ( いた )ましい極みである。 しかも国境の近くには、武田勢の進出というただならぬ 緊迫 ( きんぱく )の中だけに、領民の憎しみも強かったが、悲しみも深かった。 あわれなのは、大賀の妻であった。 取調べの 口書 ( くちがき )によると、彼は捕われる幾日かまえに酒の上であろうが、妻に向って、 (これしきな生活は、まだおれを満足さすものではない。 いまにそなたも、 御台様 ( みだいさま )と諸人から仰がれるようにしてやるぞ) と、 謀叛 ( むほん )の旨をほのめかした。 妻は驚き、かつ嘆いて、 (冗談もほどにして下さい。 わたくしは、現在の 贅沢 ( ぜいたく )ぐらしさえ、幸福だとは思っていません。 今でもなつかしく思うのは、あなたがまだ 中間 ( ちゅうげん )勤めをしていた頃の貧しい暮しです。 あの時分のあなたは、妻にも真実があり、人様にも真実につきあい、夫婦ともに行く末をたのしんで、明け暮れよく働きました。 ……それがお 上 ( かみ )のお目にとまって、今日、 御譜代衆 ( ごふだいしゅう )でさえ、 真似 ( まね )のできないほどな御出世をなさりながら、何が不満で、そんな 企 ( たくら )みをなさいますか) と、問いつめ、泣いて意見したが、大賀は せせら笑って、耳にも入れなかったらしい。 彼女がそのとき 良人 ( おっと )に予言した天罰の日は、 覿面 ( てきめん )に今日、弥四郎を迎えに来た。 それは一頭の赤い馬であった。 すると外の辻に、もう民衆が騒いで待っていた。 ひとりは 幟 ( のぼり )を持っている。 また同じ文字のある小旗を弥四郎の 襟 ( えり )くびにも 挿 ( さ )した。 幟 ( のぼり )と馬が先に歩き出すと、その後から大勢の者が、 螺 ( かい )をふいたり、 鉦 ( かね )を叩いたり、笛太鼓も入れて、 囃 ( はや )し立てて行くのだった。 その雑然たる音階は、 罵 ( ののし )るごとく、 嘲 ( あざけ )るごとく、 蔑 ( さげす )むごとく、笑うごとく、一種不思議な交響を町中にひろげて行った。 「けだものが行く。 けだものが送られて行く」 「けだもの 囃子 ( ばやし )。 けだもの囃子」 石を投げるもの、 唾 ( つば )するもの、子どもまでが 真似 ( まね )て、 「ひとでなしッ!」 と、さけぶ。 役人も止めないのである。 もっとも止めたら、民衆はもっと 激昂 ( げっこう )して抗争を捲き起すかもしれない。 さいごには、弥四郎の首に板をはめて、両足の 筋 ( すじ )を 断 ( き )り、城下の辻に生きながら首だけ出して埋められた。 側には、 竹鋸 ( たけのこぎり )がおいてあるので、往来の旅人まで憎んでその首の根を 挽 ( ひ )いたという。 いかに不義を憎むにしても、ちと 惨刑 ( ざんけい )のようだが、大賀弥四郎もさいごまで太々しいところを見せている。 彼のため、ことごとく斬刑に処された念志ヶ原の刑場を通ったとき、彼は馬の三頭からあたりを見まわして、 「みな先に行ったか。 おれは 殿軍 ( しんがり )とみえる。 先とはめでたいものよ」 と、 呟 ( つぶや )いていたという。 けだもの囃子がすむと、庶民はもう忘れたような顔していたが、家康は胸のうちで自分の不明を責めていたにちがいない。 世は戦国と誰もいう時勢である。 だからたまたま、調法な男を見出すと、つい 寵用 ( ちょうよう )する。 奢 ( おご )りも見のがしておく。 財務の 名匠 ( めいしょう )たることは、戦陣の名将たる以上、人間として 難 ( むずか )しいものとみえる。 武田勝頼の大軍は、すでに三河に入っていた。 そしてなおも大行軍の途中にあったのである。 「 征 ( ゆ )かんか? 還 ( かえ )らんか?」 勝頼の迷いは深刻だった。 落胆のほども思うべしである。 実に、こんどの出動は、ただただ大賀弥四郎の内応一つにあった。 作戦、目標、すべて岡崎の内部から、 攪乱 ( こうらん )と呼応のあることを、かたく期して来たのである。 のみならず、甲軍の方策は、早くも徳川方に読み抜かれてしまったわけである。 「ここまで来ながら、むなしく還るのも 潔 ( いさぎよ )くない。 ……というて、 うかと前進もならず」 彼の 剛毅 ( ごうき )な気性は、ひたすらそこに悩んだ。 また、 甲州発向 ( こうしゅうはっこう )の際、しきりと 軽挙 ( けいきょ )を 諫 ( いさ )めた馬場や 山県 ( やまがた )の両将にたいしても、意地がはたらいた。 「兵、三千は 長篠 ( ながしの )へ向え。 小山田 昌行 ( まさゆき )と、 高坂昌澄 ( こうさかまさずみ )の二将は、別れて 長篠 ( ながしの )へすすんだ。 そして、 篠場野 ( しのばの )あたりに、陣していた。 何ら、 成算 ( せいさん )のない勝頼は、 二連木 ( にれんぎ )や 牛窪 ( うしくぼ )などの部落を放火して、いたずらに 示威 ( じい )して廻っただけであった。 吉田城へはかからなかったのである。 なぜならば、この時すでに、家康と信康の父子は、内乱者の清掃を一気にかたづけて、疾風のごとく、 薑 ( はじかみ )ヶ 原 ( はら )まで、兵馬をすすめて来たからだった。 勝頼の大軍が、進退に迷って、単なる面目のためにうごいて来たのとちがって、徳川勢は、内部の 叛逆 ( はんぎゃく )どもを血祭りとして、 「亡国か。 興国か」 の大きな衝動をそのまま抱いてここに駈けつけて来たのであるから、兵数は 劣弱 ( れつじゃく )でも、意気ごみは、彼とはまるで違っていた。 薑 ( はじかみ )ヶ原では、 先鋒隊 ( せんぽうたい )と先鋒隊とのあいだに、二、三度、小 ぜり合いがあっただけである。 長篠へ」 と 長駆 ( ちょうく )、急転回して、一たん徳川勢にうしろを見せ、他に期するものあるが如く、遠く去ってしまったのである。 長篠! ここは 宿怨 ( しゅくえん )の戦場だ。 それはまた、不落の 堅城 ( けんじょう )といわれている。 もと、永正年間には、今川家が抑えていた所である。 地形、交通、あらゆる角度から見て、ここは軍事上、重要な地点だった。 ここを持つ持たないは、単に一城の価値だけではなかった。 だから、 戦 ( いくさ )のない日でも、長篠の城には、あらゆる策謀の手、裏切り、流血など 反覆 ( はんぷく )常なきものが繰返されて来たのである。 いま思いあわせると、さきに小山田、高坂の一部隊をさし向けたのみで、主力は吉田を衝くと見せ、急にまたここへ 迂回 ( うかい )して来たのは勝頼の巧みな 偽動進軍 ( ぎどうしんぐん )だったかも知れない。 窮 ( きゅう )したりとはいえ、二日も三日も無策にうごいて、むなしく兵馬を疲らすような凡将の彼ではなかった。 東北の 搦手 ( からめて )は、すべて山といってもいい。 大通寺山、 医王寺 ( いおうじ )山など。 濠 ( ほり )は自然にながれている大野川、滝川の二流を、幅ひろく 繞 ( めぐ )らし、その幅は、三十間から五十間もあった。 崖の高さも、低いところで九十尺。 高いところは百五十尺もある絶壁だった。 水深は五、六尺にすぎないが、激流だった。 もっとも、場所によって、怖ろしく深いところもある。 しぶきをあげ、渦巻いている 奔湍 ( ほんたん )もある。 平常、この水流の地理は、おそろしく秘密が厳守されている。 水深を考えたり、写筆を 携 ( たずさ )えたりなどして 佇 ( たたず )めば、何者であろうと、お 濠番 ( ほりばん )は、望楼のうえから一発の 下 ( もと )に射殺してかまわないことになっている。 この 天嶮 ( てんけん )の濠をなしている河流をへだてて、西南の一部は、平野であった。 有海 ( あるみ )ヶ 原 ( はら )、 篠場 ( しのば )の 原 ( はら )などと呼ばれている。 その野末を、 船着山 ( ふなつきやま )の連山がかこみ、 鳶 ( とび )ヶ 巣山 ( すやま )も、そのうちの一峰であった。 「何と、物々しい……」 城将の 奥平 ( おくだいら )貞昌は、その夕方、望楼に立って、余りに入念な敵の配置に、身の毛をよだてた。 物見の者の 通牒 ( つうちょう )を綜合してみると、 搦手 ( からめて )方面の大通寺山には、武田信豊、馬場信房、小山田 昌行 ( まさゆき )などの二千人。 西北には、一条信龍や 真田 ( さなだ )兄弟の隊や、また土屋昌次らの二千五百が陣している。 滝川の左岸には、小幡隊、内藤隊。 南方の 篠場 ( しのば )の原の平地には、武田 信廉 ( のぶかど )、穴山梅雪、 原昌胤 ( はらまさたね )、菅沼 定直 ( さだなお )などの三千五百余。 また、遊軍とみえ、有海ヶ原いちめんに、山県隊、高坂隊の旗じるしが、夜目にも 翩々 ( へんぺん )とうごいて見えた。 さらに。 攻城はその夜から始まって、十一日のたそがれまで、八方から攻めたて、城中の者は防戦に息つく間もなかった。 篠場の平地にいる甲州勢は、 筏 ( いかだ )を組んで滝川の激流にうかべ、城の 野牛門 ( やぎゅうもん )を目がけて、幾たびも近づいて来た。 鉄砲、大石、木材などが、無数の筏を沈没させた。 が、彼らは 怯 ( ひる )まない。 筏は、あとからあとからつながって来る。 城兵は、油をそそぎ、 炬火 ( たいまつ )を投げた。 河も燃え、筏も燃え、人間も燃えた。 「あまりに短兵急。 眇 ( びょう )たる小城一つに、犠牲のみ大きすぎる」 山県三郎兵衛は、勝頼の指揮にたいして、時折、心痛した。 老将の眼から見ると、 総帥 ( そうすい )たる人のそういう心理は案じられるものだった。 西北の一条隊や土屋隊の如きは、地下道を 鑿 ( ほ )りはじめたのである。 地下道は本丸の西の 廓内 ( かくない )へ 鑿 ( ほ )り抜けて出る計画の下に、夜も日もついで、 坑口 ( こうこう )から土をあげた。 蟻 ( あり )の穴のように、無数に盛りあげられた土山を見て、城将もさてはと気づき、城中からも坑道を 鑿 ( ほ )り出した。 そして、火薬を仕掛け、敵の坑道を、爆砕してしまった。 甲軍の死者は、このときだけでも七百余人といわれている。 地下道戦に失敗した寄手は、こんどは空中作戦の 挙 ( きょ )に出た。 大手門のまえに、幾ヵ所も、 井楼 ( せいろう )を構築し始めたのである。 井楼の様式もいろいろあるが、ふつうは巨材を 井桁 ( いげた )に組み上げ、それを何十尺の高さにまで築いてゆく。 これは都市城壁をもつ中国では古くから行われている戦法で、車をつけた移動 井楼 ( せいろう )などもあった。 日本では、城の位置が、各地とも、山岳の山城本位から低地の平城主義に移って来た傾向とともに用いられ出したものである。 守将の奥平貞昌はまだ二十四歳の若さで、城兵五百余人の生命と、この一城の運命を 担 ( にな )ったが、彼は沈着に、寄手のあらゆる奇手に対して、よく機を見、よく 酬 ( むく )い、よく変じ、よく処した。 四ヵ所の井楼が完成した十三日の未明である。 武田勢は、夜明けもまたず、それへ 攀 ( よ )じ登って、銃口を並べ、また 焔 ( ほのお )の枯れ柴や 油布 ( あぶらぬの )へ 分銅 ( ふんどう )をつけて、火の鳥のように、大手門の内へ投げこんだ。 そこここへ落ちてくる焔に、城兵たちの消防に努める影が赤く映る。 井楼のうえの空中戦は、一斉に火ぶたを切って、それを狙い撃ちした。 ここまでは圧倒的に、甲州軍の成功が予測されていた。 ところが、夜来、城頭に立ったきりで、眠りもせず見まもっていた青年守将が、ひとたび、 「撃てーッっ」 と、令をさけぶと、たちまち天地を 震撼 ( しんかん )して、かつて甲州の将士の耳には、聞いたこともない 轟音 ( ごうおん )が、城の数ヵ所から火を吐いた。 小銃の力を、何十倍にもしたような、巨銃であった。 井楼は粉砕された。 次々と、地鳴りして崩れ、そのうえにいた銃手や指揮者は、あらかた戦死したり重傷を負った。 徳川家の経済貧困はいうまでもなく、上下質素が平常であったが、新鋭な武器の購入には、どんな犠牲も払っていた。 富力のある武田家が、文化の移入に不利な地勢にあるにひきかえて、三河、 遠江 ( とおとうみ )は中央に近く、海運の便もあったので、富める甲州軍の持たないものをも、貧しい徳川勢はすでに備えていたのである。 とにかく甲州方は、よほど巨銃の威力に驚いたとみえ、 「無理押しすな」 と、それ以来、攻撃手加減が変って来たのは事実であった。 「 躁 ( さわ )ぐに及ばぬ」 貞昌 ( さだまさ )は、兵の 妄動 ( もうどう )を 戒 ( いまし )めた。 夜が明けてみると、寄手の兵が、大岩巨岩を、搦手の谷へ、ただ転げ落していただけのものだった。 「もしあわてて、城の一角でも崩れたかと度を失って 躁 ( さわ )いだら、敵に虚を衝かれたろう」 貞昌は笑って云った。 それは、怒るよりも、 哭 ( な )くよりも、深刻なものだった。 巨銃は長く使用にたえない。 小銃の 弾 ( たま )もない。 弓や矢では防ぎに足りない。 「城中 兵糧 ( ひょうろう )は、もういくらもないぞ。 いたずらに、力攻めして兵を損傷するには当らん」 十三日の総攻撃以後、寄手は求めて血みどろになることを 熄 ( や )めてしまった。 城を 繞 ( めぐ )る滝川と大野川一帯の河中に、 杭 ( くい )を打ちこみ、大綱を張りまわし、岸にはすべて 柵 ( さく )を 結 ( ゆ )って、孤城 長篠 ( ながしの )を、文字どおり、蟻の這い出るすきもないほど、完封してしまった。 「……なに、もう兵糧は、四、五日分しかない? それ以上、持ち 耐 ( こた )える糧食は、何物もないのか。 何物も」 奥平三九郎貞昌は、今日、あらためてまた、その窮迫を訴えに出た 粮米方 ( ろうまいがた )の武士を前にして、幾度も念を押した。 だが貞昌は、その言葉を、そのままに受けきれなかった。 城中五百の生命を、もう四、五日限りと断じてしまうと同じだからである。 「実地に見せい。 城中、 隈 ( くま )なく歩いたところで、方六町しかない小城である。 結果は、三九郎貞昌に、より以上、絶対的な覚悟を与えただけである。 節食はもちろん、喰えるものは喰い尽し、穀倉の中の土まで 篩 ( ふるい )にかけてつないで来た奉行の苦心を聞くと、彼は、何もいえなくなった。 黙々、帰って来ると、大勢の将士がいる 武者溜 ( むしゃだま )りの真ん中にどっかり坐ってしまった。 人々は、貞昌の顔色に、すべてを読みぬいていた。 「 勝吉 ( かつよし )! ……勝吉はおろうが」 ふいに 面 ( おもて )をあげて、 洞窟 ( ほらあな )のような 大床 ( おおゆか )の人影をみまわした。 明 ( あか )り 採 ( と )りの 狭間 ( はざま )に近く 凭 ( よ )って、黙然と膝をかかえていた 従兄弟 ( いとこ )の奥平勝吉が、 「これにおりますッ」 明晰 ( めいせき )に答えて、前へ進み、じっと、 眸 ( め )をあげたまま両手をつかえた。 三九郎貞昌は、彼を見ていた眼をふと一同に移して、 「ほかの者も聞け。 いまもつぶさに調べたが、城中の 糧 ( かて )は、 剰 ( あま )すところ、あと四、五日分しかない。 死馬を喰い、草を喰うとも、幾日をつなぎ得よう。 ……そこでだ」 と、ふたたび勝吉へ、その眼を転じて、 「いま岡崎にお 在 ( わ )す殿の許へ、わしの書状をもって、 後詰 ( うしろまき )の催促にまいってくれい。 大任じゃぞ、勝吉。 よいか、そちに命じる貞昌の心を 酌 ( く )めよ」 「……あ。 お待ちください」 「何か」 「お断りします。 ……城外の河には 逆茂木 ( さかもぎ )をうちこみ、縄を張りめぐらし、鈴を 結 ( ゆわ )いつけ、岸には高く 柵 ( さく )を結いまわしてある寄手の警備に恐れて、 所詮 ( しょせん )、そちには突破できぬというのか」 「何をもって……」 勝吉は、苦笑して答えた。 「城中にいるも死、城外へ出るも死、ふた途はありますまい。 私がお断りするわけは、自分、若年でこそありますが、守将たるあなたの一族です。 ここは飽くまでそれがしの死所でござる。 故に、城外へ出ることはできません」 すると、薄暗い隅のほうで、おうッ…… 嗚咽 ( おえつ )に似たような声をあげた者がある。 貞昌の家来、 鳥居強右衛門 ( とりいすねえもん )とよぶ軽輩であった。 みな、彼を振向いた。 そして、 強右衛門 ( すねえもん )か、と軽く知ると、眼の中へも入れない顔をした。 陪臣 ( ばいしん )の端くれで、五、六十石にすぎない軽輩と、身分を 蔑 ( さげす )んだわけではない。 全城一心のいまだ。 生死を共に期しているいまだ。 そんな けじめは誰にもない。 律義者 ( りちぎもの )の子沢山というが、この男も、まだ三十六というのに、子どもは四人もかかえている。 微禄 ( びろく )なので、平常の貧乏は、岡崎にいても、城下で指折りのほうである。 内職もやる、百姓仕事もする、それでもなお喰えないとみえ、非番の日は、 腫物 ( できもの )だらけな子どもを負い、 洟垂 ( はなた )らしの手をひいて、諸家の弓直しや具足の手入れなどさせて貰って 糊 ( のり )をしていた。 もっとも、彼の妻が生来弱いので、子を生むとか、病床にいるとか、とかく事欠きがちなので、久しぶり戦場から帰っても、強右衛門は、 暢々 ( のびのび )するひまもなかったのである。 また、こういう妻には、こういう良人が、よく配偶されているように、強右衛門は、世俗でいう「気ばたらき」の至ってない、 鈍々 ( どんどん )として、ただ真正直が取柄だといわれるような性格だった。 ……というて、むなしく援軍の来るのを待つもどうか。 わずか四、五日しかない 兵糧 ( ひょうろう )を喰って」 三九郎貞昌は、再度、 呻 ( うめ )くようにいって、左右の者の顔を、一つ一つながめた。 たれか、勝吉に代るべき、よい使いはないものかと物色しているような眼で。 「…………」 果てしない沈黙がつづく。 そのあいだを、 搦手 ( からめて )かどこかで小銃の音が聞える。 小競 ( こぜ )り合いと見て、それには誰も動じなかったが、当面の問題には、まったく 困憊 ( こんぱい )のいろを 漲 ( みなぎ )らしていた。 強右衛門は、武者溜りの隅のほうから、のそのそと、這いすすんでいた。 守将、副将のそばへ寄るほど、上席の者が座を占めているので、身を 容 ( い )れる余地はなかった。 「御評議中でございまするが……強右衛門から、おねがいのこと、申しあげてよろしゅうございましょうか」 人々のあいだから、低く両手をつかえて、彼の丸い背がおそるおそる云った。 守将の貞昌が、じっと、それへ 眸 ( ひとみ )をそそいだ。 「なんじゃ、 強右衛門 ( すねえもん )」 「ただ今、勝吉様へ仰せられていたお使いの役目は、御一族でなければいけませんでしょうか」 「左様なことはない」 「てまえでは、勤まりませぬか。 そのお役目、強右衛門めに、おいいつけ下さいませんでしょうか」 「なに。 出来るものなら」 「……?」 貞昌もすぐ答えかねた。 彼の鈍重を危ぶみもしたが、日頃、広言一つ吐かない男が、ふいに云い出したことなので、やや 愕 ( おどろ )いたふうでもある。 ず、ず、と強右衛門は 巨 ( おお )きな体を無意識に押しすすめて来た。 そして懸命に、 「おねがい致しまする。 てまえに出来ることならば、おつかわし下さいませ」 と、 額 ( ひたい )を 床 ( ゆか )にすりつけた。 人々はただ彼を見まもっていた。 みな貞昌と同じ感を抱いていたにちがいない。 なぜなら彼のすがたにも声のうちにも怖ろしい真実の光が見えていたからである。 その時、ひとりの城兵が、あわただしく駈けて来た。 手に密封された一通の書面を持ち、 「今しがた、 弾正曲輪 ( だんじょうぐるわ )の 外土居 ( そとどい )を見廻っていると、土民のすがたに 窶 ( やつ )した男が、河向うから声をかけ、 矢文 ( やぶみ )としてこれを射込んで来ました。 ……どうやらお味方の密使らしく思われました」 と、いうのであった。 さては! と人々は希望の眼をかがやかした。 三九郎貞昌は、すぐ 被 ( ひら )いて、一読していたが、しきりとその手紙を鼻にあてて 嗅 ( か )いでいた。 文面には、籠城の見舞や、信長自身の動静が、細々書いてある。 主要は、何分にもいま、信長の立場は、多端なので、徳川殿からしきりに御催促はあるが、急に、派兵もでき難い。 貞昌は、苦笑した。 やがてその内容を、一同へ読み聞かせてから、 「甲州の智者にも抜け目があるの。 これは偽手紙とはっきりと云い 断 ( き )れる。 なぜならば、信長はつねに京都へ出入りし、 公卿 ( くげ )たちと文事のやりとりもあろうに、筆墨に心を用いぬ筈はない。 この 墨 ( すみ )のにおいを 嗅 ( か )いでみるに、 京墨 ( きょうずみ )のあの芳香はどこにもせぬ。 貞昌はさっきからじっと自分の前に平伏している 強右衛門 ( すねえもん )に向って、初めて力づよく、こういった。 「強右衛門。 その一心ならば、きっと寄手の重囲を脱けて、使いの役を、果し得よう。 ……行くか。 参ってくれるか」 「おゆるし下されば、ありがたいしあわせでござりまする」 強右衛門は飽くまで大言を吐かないのである。 見ている者でも不安なほど、平身低頭したままであった。 「たのむぞ」 貞昌は、その一言を、 満腔 ( まんこう )からいった。 城兵五百の生命と、徳川家の浮沈のためだ。 主君とはいえ、彼のほうからこそ、手をついて頼みたいところだった。 「行け。 よいか」 「はい」 「そちが、身支度をととのえるあいだに、岡崎の兄 貞能 ( さだよし )へ宛ててつぶさに書面を 認 ( したた )めておく。 なお城中の切迫している実情は、直接御主君家康様へ、口上をもって申しあげるように」 「かしこまりました。 三九郎貞昌より、岡崎の殿へ申しあげ、われらすべてここに討死いたすとも、きっとそちの子はお取り立てを願うておくぞ。 その儀は、くれぐれ心にかけぬがよい」 すると強右衛門は、頭を横に振って、いかにも 屈託 ( くったく )なく答えた。 「 憚 ( はばか )りながら、殿こそ、そんな御心配は、御無用にぞんじまする。 強右衛門はいま、妻子のために働くのではございません。 城中五百余の方々のお身代りに立つ覚悟……。 それゆえにこそ強く大きく振舞えますものを、 御斟酌 ( ごしんしゃく )では、却って、強右衛門 奴 ( め )が、臆病に相成って困りまする」 その晩、強右衛門は部屋へさがって、ただひとり、針を持って、 縫物 ( ぬいもの )をしていた。 針と糸も、戦陣では、さむらいの 嗜 ( たしな )みのひとつだった。 彼は、かねて敵方の死骸から 剥 ( は )いでおいた人夫の短い衣服を膝にひろげている。 その 襟 ( えり )を解いて、中へ、城主貞昌の密書を縫いこんでいるのであった。 同役の者とみえ、時々、 板扉 ( いたど )を細目にあけて、 「強右衛門。 ……まだいるか。 まだ出かけないか」 彼の大任を案じて、 他人事 ( ひとごと )ならず、心配してくれているらしい。

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首を曲げると痛い時の治し方

会 いたい ん だ 今 すぐ その 角 から 飛び出し てき て くれ ない

『東日本大震災から6年 記憶を未来へ』 3月11日で、東日本大震災から6年となります。 東日本大震災のあと、岩手、宮城、福島県では 合わせて26局の臨時災害放送局が立ち上がりました。 安否確認情報や、生活情報を被災者自身らが足で広い 極限の中で放送を続けてきました。 ~~ しかし臨時災害放送局は6年の月日が経つうち その役目をおえたり、経済的、マンパワー的な問題で閉局したり 一般のコミュニティーFM,いわゆる商業放送に切り替えるなどして消えていき 現在は6局ほどになっています。 そのうちの1局が「りんごラジオ」です。 宮城県亘理郡山元町。 ここでは636人が津波の犠牲になりました。 何もかもが流された沿岸部は6年がたとうとする今、大規模な農地としての開発が進み、 内陸部に移設された常磐線の駅の周辺には見違えるような復興団地が開発されています。 ~~ しかし被災当時、山元町は完全に外部の情報を遮断され 町内の情報も共有できない事態に陥りました。 キー局もこの町をほとんど取材しなかったため 町の人々は自分たちのおかれた状況がつかめません。 被災者にとって一番大事なのは水や食料、医療関係の情報だったのにです。 ~~ そんなとき立ち上がったのがこの山元町で定年後を過ごそうとしていた 東北放送の元アナウンサー高橋厚さん(74 歳)でした。 「山元町から発信する山元町のための放送局」が必要だと確信し、奔走した高橋さんは、 2011年3月21日午前11時に「臨時災害放送局」として「りんごラジオ」を開局したのです。 ~~ 番組は全て自分たちで制作、多忙な日々が続きました。 2014年に高橋さんは脳内出血で倒れ、復帰も危ぶまれました。 病を乗り越えて現在もマイクの前にいます。 存続問題などを抱えながらも、6年たつ今、町に必要な情報を模索しながら 放送を続けています。 ~~ 文化放送でも震災後にその奮闘ぶりを取材しましたが 去年から今年はじめにかけて再び、りんごラジオを訪ね 取材しました。 ~~ 実はこの「りんごラジオ」 過去に一度、小説に登場したことがあります。 この小説は「希望の地図」。 作者は「流星ワゴン」などの作品で知られる直木賞作家の重松清さん。 ~~ 震災の翌年にりんごラジオなどを取材した重松清さんは その後「希望の地図 3・11から始まる物語」という小説の形を借りたルポルタージュを執筆したのです。 そこで今回は、 重松清さんと共に山元町を訪れて取材しました。 ~~ 6年が過ぎた被災地に立った重松さんがどんな言葉で変わりゆく町を語り、 りんごラジオをはじめとする町の人々の想いを受け止めるのか。 ぜひ、放送をお聞きいただきたいと思います。 取材の際、「りんごラジオ」に出演した重松清さんと 報道スポーツセンター関根英生部長 番組を進行する高橋厚さんと真理子さんご夫妻 ~~ このほか、今年の3月11日は生放送で 石森が震災発生依頼取材してきた被災者のかたがたに リアルタイムでお話を伺います。 詳しくは以下をご覧ください。 ~~~~~ 『文化放送報道スペシャル 東日本大震災から6年 記憶を未来へ』 3月11日 土 午後1時00分~2時55分 パーソナリティ 石森則和(文化放送報道記者)、小川真由美(フリーアナウンサー) ゲスト 普天間かおり(歌手) 番組内(1時20分頃) 『シリーズ被災地の真実 希望の声をつなげて ~作家重松清さんが訪ねる被災地山元町とりんごラジオの6年』 出演 重松清(直木賞作家)高橋厚、真理子夫妻(山元町臨時災害局「りんごラジオ」) 黄色いハンカチ 東日本大震災から間もなく6年、また3月11日がやって来ます。 文化放送では3月11日 土 の13:00~15:00、2時間特番として 「文化放送報道スペシャル 東日本大震災から6年 記憶を未来へ」を放送します。 今回は、作家の重松清さんが宮城県の被災地・山元町を訪れ、 町の臨時災害FM局~「りんごラジオ」を震災から6年振りに訪問しました。 2時間の特番中、メイインパートとなる1時間がこの重松さんパートになります。 重松さん自身が足を運び、目で見た被災地の現実と5感で感じた 6年という時間の重みを伝え話す「特番in特番」をお聴き頂きます。 是非、3月11日 土 はAM1134、FM91. 6にダイヤルを合わせて下さい。 慰霊碑が光沢のある「みかげ石」のため、正面に奉じられ、風にたなびく 黄色いハンカチが映っています。 ハンカチの一枚一枚には慰霊のことばや励ましのことばが綴られていました。 12年前のバレンタインデー 2005年2月14日に東京・府中市で起きた事件を覚えていますか? 現場は当時の「多摩中央信用金庫」の駐車場。 営業課長だった後藤博樹さん(当時39歳)が、帰宅しようとしたところ、 男に包丁で腹などを刺されて殺害されました。 未解決のまま事件から12年になるのを前に、先週、母親のリウさんが 報道各社の取材に応じて下さいました。 『本当に大事な、かけがえのない息子でした』 リウさんは、真実の情報を提供して欲しいと、 現場の遺留品である腕時計の写真を掲げながら訴えました。 (写真:警視庁提供) 犯人の男が後藤さんともみ合った際に落とした「GUESS(ゲス)」社製の腕時計。 1995年モデルで、蛇腹式のバンドに付け替えられているのが大きな特徴です。 電池も3回ほど交換されているとのこと。 警視庁によりますと、男は20~40歳くらいで、身長は170~180センチほど。 やせ形で血液型はO型。 京王線府中駅の方向に走って逃走したそうです。 リウさんは、 『人には命の限りがあり、時間に限りがある。 できるうちに、できることをやりたい』と、 自ら街頭に立ち、情報提供を呼びかけ続けています。 情報は、府中警察署の捜査本部で受け付けていて、 電話番号は、042ー360ー0110 です。 現場には行ってみるもんだ 報道ブログ・・・誰も更新しねえな。 そこでアタシ、韓国・ソウルに行ってきたのでご報告。 平昌冬季五輪まであと1年ということで、日本のメディアでは現地でのイベント等が紹介されてたよね。 平昌からわずか200キロのソウルは全然盛り上がってにゃい。 グッズもなければ旗もない。 空港でやっとこんなものを発見。 やはり朴槿恵大統領の知人、崔順実被告と五輪組織の問題が水を差しているのか・・・。 光化門広場には大統領を糾弾するオブジェが・・・。 ソウルや近郊の名所は行きつくしているので、崔被告の娘で話題の梨花女子大へ。 日本で言えばお茶の水女子大。 ここなら裏口入学させたくなるわな。 日本大使館前に行ってみると、慰安婦少女像がこんな感じに。 隣には見張りのテントがあり、市民団体が常駐してた。 現場には足を運んでみるもんだな。 東京・原宿で大行列ができる韓国発の氷菓、ソルビンも待たずに堪能できたし・・・。 今年の注目国は、アメリカ、韓国、英国の3つ。 身銭切ってバシバシ行くことにするか・・・。 BIG6、開幕! アメリカは9・11テロ事件から15年。 きょうはまず、グラウンドゼロの方向に向かって黙とう。 あの日... 、自宅でテレビを見ていたら、WTCに2機目が突入。 当時の報道部長から数分後に電話があり、「ニューヨークへ行ってください」と指示を受けたのを思い出す...。 さて、週末、私は神宮球場へ。 BIG6が開幕したからねー。 今秋の東京六大学野球も明治が軸。 エース宮台(3年 湘南)に加え、速球派の山本俊(4年 西春)や小林(1年 横浜翠嵐)にメドがついた東大にも期待。 来月のドラフト会議では、大学、高校生ともに投手が豊作と言われているけど、六大学もそう。 明治の柳(4年 横浜)、立教の田村(4年 報徳学園)と澤田(4年 大阪桐蔭)、それに慶應の加藤(4年 慶應義塾)など。 開幕日の学生応援席は無料なので行ってみたのだけど、野手でプロ注目の早稲田・石井(4年 作新学院)の本塁打が見られてよかったわ~。 プロ野球もMLBも見れば楽しいけど、BIG6もなかなか。 (チアと肩くんで校歌が歌えるなんてココだけ)。 どうなる!? 首都被災時の交通規制 防災の日の9月1日。 東京都と埼玉県の境に近い日光街道、国道4号線で 警視庁により、ある訓練が行われました。 首都直下地震などが起きた場合に 緊急車両が通れるよう、一般車両を規制する訓練です。 都心と埼玉方面を結ぶこの国道、およそ10キロを 30分間にわたって通行止めにして行うもので 過去の最大規模となります。 (昨年までは幹線道路の数百メートルを10分程度規制) 訓練が開始されますと 防災型信号機の矢印表示が、直進から、交差する道に曲がるように変わり 警察官らは、走行中の一般車両を、う回路に誘導しました。 10キロの区間には14の交差点がありますが それぞれの交差点にかけつけた警察官は2人、多くて4人。 それに対して訓練が行われた午前10時の交通量は毎時5000台。 少ない人数でいかに安全に一般車両を誘導できるかが問われます。 この日のために用意された乗用車やトラックなど数十台の前には がれきに見立てた箱が並べられました。 警視庁や、国土交通省のレッカー車やフォークリフトが 車をどかしたほか、ショベルローダーががれきを片付け パトカーや救急車が走るための車線を確保しました。 そのほか、ギアがPに入ったワンボックスカーを 警察官が5人がかりで、人力で押し出す姿もありました。 訓練時間は30分間でしたが 画像の大型トラックは結局時間内に動かすことはできず 課題は残りました。 また、本当の震災が起きた時に、動かした車を置くスペースが ビル街にあるのか?という疑問も感じました。 この国道4号を含む6つの一般道路と高速道路は 震度6弱以上の地震が発生した時に、「第一次交通規制」として 一般車両の通行を禁止する「緊急自動車専用路」に指定されています。 「第一次交通規制」が行われると 一般車両は環状7号線から都心方向への通行ができなくなるほか 環状8号線から都心方向への流入も抑制されます。 東日本大震災で都内は最大震度5強だったため、 6弱以上で行われる第一次交通規制は実施されませんでした。 しかし都心部では大渋滞が発生しました。 あの日、中継車で東北の被災地に向かうのに 都内を出るまで6時間以上かかったことを思い出します。 警視庁は今回の訓練で 災害時にどの程度の渋滞が発生するかや、 周辺道路への誘導が適切に実施できるかなどを確認し、 今後の対策に生かす方針です。 遺体のすべてを発見 東京・目黒区の碑文谷公園の池で、阿部祝子(ときこ)さん(当時88歳)の 切断遺体が見つかった事件。 きのう、新たに阿部さんのものとみられる右腕の骨が見つかりました。 「とう骨」と呼ばれる、ひじから手首にかけての骨で、 池の南東部の底に沈んでいるのをダイバーが発見したそうです。 最初に阿部さんの遺体の一部が池から発見されたのは、6月23日。 これで遺体の全ての部位が見つかったことになり、 およそ2ヶ月にわたった捜索は終了しました。 この事件では、阿部さんを殺害して現金数十万円を奪ったとして、強盗殺人などの疑いで 近所に住む池田徳信(やすのぶ)容疑者(28歳・死体遺棄罪で起訴) が 警視庁に再逮捕されています。 事件を受け、碑文谷公園は閉鎖されていますが、今後、公園の開放については 警視庁と区が調整していくということです。 52年前の銅メダル リオデジャネイロオリンピック4日目、きのう行われた 競泳男子800メートルリレーで日本チームは見事に銅メダルを獲得しました。 800メートルリレーでのメダル獲得は1964年の東京オリンピック以来、 52年振りの快挙ということで、きょうのスポーツ紙はほぼ全紙が1面トップ扱いでした。 何紙かの紙面には52年前のメダリスト~800メートルリレーメンバーの白黒写真が 掲載されていますが、2年前に迅英はその時のリレーメンバー3人 ~岡部幸明さん、庄司敏夫さん、岩崎邦宏さんにインタビューを行っています。 残る1人、福井誠さんは残念ながらすでに亡くなっていました。 その時拝見した銅メダルと一緒に撮影した岡部さんです。 '64年の東京五輪で日本競泳陣はメダルラッシュが期待されていたにもかかわらず、 最終日の最終種目の男子800メートルリレーまでメダルゼロ、国民の期待と注目を 一身に集める中のレースだったことは想像に難しくありません。 さぞすごいプレッシャーだったことだろうと思い、3人にお聞きしましたが、 総じて「そうでもなかった」と言います。 そして「アメリカ以外には勝てると思った」「冷静だった」とも。 今回のリオ五輪800メートルリレーの銅メダルメンバーの会見を聴いていると、 52年前のメダリストたちの姿とコトバとダブる。 トビウオスイマーのDNAは確実に受継がれているのだろう。 証言 東京・秋葉原の歩行者天国で男女17人が死傷した無差別殺傷事件の発生から 8日で8年を迎えました。 現場となった交差点にある献花台の前では 通りかかった様々なかたが足を止めて手を合わせていました。 ~~~ あの日、先に現場に到着した奥山記者(当時)に続き秋葉原に入りました。 秋葉原に着くと、 加藤死刑囚が乗って人々に突っ込んだトラックが警察署に運びこまれるところでした。 現場では混乱の極みの中、たまたま居合わせた皆さんが 医師や救急救命の心得のあるかたの指示のもと救命活動にあたりました。 ~~~ 被害者が全て搬送されたあと、 助けた皆さん自身もその惨状に大きなショックを受けており 取材に答えてくださるのは困難な状況でした。 ただ、私の持っていた文化放送の名前入りのマイクを見た男性は 「自分はトラックドライバーで、文化放送をいつも聴いている。 ラジオは信頼できる」として、証言してくださったのです。 ~~~ このかたは都内に住むトラックドライバーの沖正水さん。 以前から救急救命に関心が高く 人工呼吸用のマウスピースも持ち歩いていました。 沖さんは職業上、加藤死刑囚の運転するトラックの動きが目にとまり 突っ込んでくる様子を目撃していました。 ~~~ 自分が助けようとした人に、黒い札(救助の優先度を選別するトリアージで死亡と判断された場合につけられる札)がつけられていく悔しさをかみしめながら 次の人は、次の人はと、助けていきました。 警察や救急隊員が手一杯だったあの状況下で、 救助にあたった沖さんたちの功績は本当に大きなものでした。 警察署は皆さんに感謝状を贈っています。 沖さんの話を聞くたびに とっさにこのような事態に遭遇したときに 「自分だったらどこまでできただろうか」と自問自答してしまいます。 ~~~ 一時は歩行者天国も中止された秋葉原ですが 今は明るさを取り戻しています。 地元のかたがたが連携、警視庁などとも協力して 防犯活動に努めていることも大きいでしょう。 「いつもと違うことはないか?」という目を持てるのは そこで暮らし、或は仕事をしている人々です。 ひとりひとりの防犯意識、またいざというときの心得の大切さを感じます。 ~~~ 献花台に気付いた通行人は「ああ、もうそんなにたったのか」と話していました。 あれ以来、毎年ここで手を合わせている沖さんですが 年々人々の記憶の中からこの事件が風化していくのを憂いています。 伊勢志摩サミット無事終わる。 5月26日、27日、伊勢志摩サミットが開かれました。 サミットの会場となっている賢島の志摩観光ホテルからは車でおよそ40分。 メディアの代表者が会場に取材に行き、 そこから送られてくる音声や映像が各メディアに配信されます。 それらをもとに、記者が記事を書いたりレポートをしたりするのです。 個人的には世界中の報道関係者が同じ場所で同じものを取材する、ということに 感じるものがありました。 文化放送もこの中にブースをひとつ持ち、 そこから番組を生放送したり、ニュースのレポートをしました。 この部屋には基本、技術さんと2人ぼっちではありましたが、 準備には迅英部長、同じく国会担当の山本記者、 宿泊施設を確保してくださった報道のみなさんの尽力がありました。 (大変なのよ) サミットが始まってからも報道デスクのみなさんや、連日編集をしてくださったウラのりかずさん 各番組の担当者さんや、 本社と現地の技術さんとの「絆」を感じながらの放送でした。 旧知の記者に再会することも多く あちらこちらで、旧交を温めている姿も見受けられました。 そんななか、「あ、石森さん!」と声をかけてくださったのは、記者ではなく 警視庁の報道担当者のかたでした。 サミットには全国の警察署からの応援と合わせ2万人の警察官が配備されています。 今回は賢島周辺に集中していますので、かなりの「密度」ということになります。 賢島の手前に設けられた臨時保安所や、伊勢神宮周辺などにも取材に出かけましたが お話を聞けば、皆さんの生活や仕事への警備の影響は少なくありませんでした。 ただし「守ってもらえてありがたい」とか 「警備が厳しいのは仕方がない、終了後の経済効果に期待したい」などの声が目立ちました。 英虞湾には60を超える島々があるほか入り江や森も多く 不審者や不審物の発見には地域の目が欠かせないとして 事前に何度も警備についての説明や協力要請があったとのこと。 住民のみなさんも大変協力的で、防犯意識の高さを感じました。 ~~~ さて、IMCの敷地内には「三重情報館」という展示施設も開設されました。 ここには三重県や日本の最新技術や伝統工芸などが展示、実演されていました。 これは江戸時代から伝わる「からくり人形」。 お茶を運んできて、茶碗を茶卓から持ち上げるとそこで停まり 再び置くと振り向いて戻っていきます。 木製で動力はゼンマイ。 ペッパー君のご先祖様です。 いったいどういう人が持っていたのだろうと聞きましたら 大名など、財力のある人が「見せびらかすために」持っていたのだそうです。 では、現在のロボットはどうなのか? からくり人形の横には、最新のロボットが展示されていました。 そこでロボットの開発者のかたに話を聞くと 「以前、ロボットは『人間の代わりに何かをするもの』と思われていましたが 現在は『人間の生活、心や体をサポートするもの』になりつつあります」とのことでした。 からくり人形の職人さんと、最新のロボット技術者が 互いにリスペクトしながら歯車について立ち話をしているのを見て 受け継がれてきた日本のものづくりの技術や文化に思いを馳せました。 もともとは海外メディアにそういった日本の技術や文化を伝えるのがこの施設の目的なのですが 隣のエリアの伊賀忍者ショーなどに見入っている外国人記者が多く、 ちょっとあららという感じではありましたが。 ~以下蛇足~ 会場内を移動中、 ロボットのペッパー君に「三重県についてのクイズで僕と勝負をしよう」と言われ 受けて立ちましたが、惨敗。 おまけに半笑いのペッパー君(主観)に 「惨敗記念」の写真をとられ屈辱の図。 ただ一つ 秩父宮ラグビー場に、スーパーラグビーのサンウルブズの応援に行くはずだったのが、隣の神宮球場から聞こえてきた法政の応援歌に誘われて、またしても東京六大学野球へ。 第2試合の東大対立教を観戦。 メディアで話題の145キロ左腕、宮台くん(湘南:3年)が、甲子園常連校出身者をズラリと揃えた立教打線を完封。 打線もプロ注目の澤田(大阪桐蔭:4年)に集中打を浴びせた。 (つええええええええー) 早稲田の学生時代から幾度となく通った神宮で、これほど感動したゲームはない。 (赤門はええの) 偏差値70超の応援部員が泣いている。 センター試験で90%超の正答率を叩き出したであろうチアが駆け寄ってくる。 スタンドの現役東大生やOB、私のようなニセ者も含めて歓喜の嵐。 すでに明治に1勝しているけど、シーズン2勝は実に8年ぶり。 高校野球で強豪校とは言えない超進学校の出身者が揃う東大。 それが、大阪桐蔭だの浦和学院だので固めたチームに勝つんだもんなあ。 弱くても勝てます... なんてタイトルのドラマがあったけど、私たちにも勇気をくれる赤門旋風。 東大の応援歌「ただ一つ」も「闘魂は」もフルで歌えるので、また、なりすまし応援行くべ。 (宮台、ホントいいP!) 東京六大学野球 「今年の東京六大学野球は立教と東大が強い。 他の4大学も紙一重」 アマ野球好きの友人からそんな話を耳にしたので、久しぶりに神宮球場に出かけることにした。 お目当ては第2試合の慶應対明治。 外苑前で降り、秩父宮ラグビー場を右手に見ながら球場に近づくにつれ、第1試合が白熱しているのであろうか、早稲田のブラスバンドが奏でる応援歌「紺碧の空」がだんだん大きくなってきた。 チケット売り場で学生証を見せ、ワンコインで入れる応援席へ。 目の前に球場のパノラマが開けてくると同時に、一塁側を埋めた立教の応援席から割れんばかりの拍手が降り注いできた。 母校・早稲田の敗戦。 主戦・澤田を崩せず、最終回、満塁のチャンスを潰したらしい。 しかし、きょうの目的は慶應の応援。 チアに促されるままに、応援席のほぼ中央に座った。 学生や院生時代、何十回となく通った学生野球の聖地。 30年前、隣の席で「明治をぶっつぶせ~」と大声を挙げていた彼は今何をしているのだろう。 「早慶戦ってこんなに盛り上がるんだ... 」と妙にはしゃいでいた彼女は、幸せに暮らしているだろうか。 青春時代の甘酸っぱい思いがふとよみがえってきた。 今は、この春、慶應に進んだ娘と「明治をぶっつぶせ~」を連呼している。 「加藤、おさえろ~」「柳町~、放り込めぇ」などと叫んでいる。 娘も学年を重ねていくうちに、神宮でさまざまな思いを身にまとうようになるのかもしれない。 そして、やがては親として子どもと一緒に「明治をぶっつぶせ~」をリフレインすることになるかもしれない。 伝統の東京六大学野球。 数々の名勝負を生んできた年月は、個人の歴史であり親子の歴史でもある。 地域の声に耳を傾けて 熊本県益城町。 熊本地震でもっとも被害が大きかった地域です。 避難所に入りきれず、車の中で生活する家族は 車をとめた校庭で、 炊き出しのスープを幼い娘に食べさせていました。 普段は別の家で暮らしてるおばあちゃんも 築100年以上の立派な農家の家が壊れてしまい 車の中で一緒に生活しています。 おばあちゃんは 「こんなことなら長生きするんじゃなかった」とこぼします。 「もうこれで老人ホームで暮らすことになるわ」とも。 避難している人の疲れはたまり、 複数の避難所で、口論などが起きているといいます。 避難所で暮らす家族に「どんな物資が必要か」を尋ねようと 「今一番欲しいものは何ですか?」と聞くと 「やすらぎです」という答えが返ってきました。 ただ、救いなのは 熊本の皆さんは、普段から人と人との結びつきが比較的強いということです。 熊本城の近く、熊本市立城東小学校の避難所では 震災から二日目には、被災者自身が様々な役割を担う組織ができあがっていました。 若い世代の地域のリーダーが それぞれの人脈を縒り合せ支援の輪を広げていました。 物資に関しても「どこにどんなものが必要なのか、必要でないのか」を 地元に学部がある東海大学の学生らが調査してまとめ 機敏に対応していました。 また、別の避難所では、そこに避難していた高校のサッカー部のメンバーらが 物資を配布するボランティアにまわりました。 東日本大震災でもそうでしたが 被災者が被災者の悩みを聞き、互いに助け合うという構図がみられます。 被災者が被災者を支援する構図が生まれてくる背景には 行政の対応が後手に回りがちだということもありますが それ以上に「地域の人のことは地域の人が一番よく知っている」 ということが挙げられます。 ですから行政も、自治会長など地域のリーダーの話をよく聞くなどして 地元の求めているものを きめ細かく把握する必要があると思います。 今回も指定の避難所ではない所で自主避難をしている人が多いため 行政は実態を把握しにくく、 物資や健康面でのケアが心配されています。 余震に怯えながらも、幼い子や高齢者がいるために自宅から出られず そのため物資がなかなか得られない人もいます。 こういうケースこそ、地域の人から聞いた情報を活かすべきです。 くまモンが泣いている~熊本地震取材 熊本地震の取材に行ってきた。 空路、福岡(博多)に入り、博多から熊本県北部の荒尾まで在来線。 博多から5時間もかかってしまった。 被災した熊本城。 遠目からも大天守の瓦が落ちているのが見える。 城は熊本県民の誇り。 多くの方から「お城がこんなになってしまって」という嘆きの声を聞いた。 重要文化財の櫓や長塀まで倒壊していて見る影もない状態。 震度7が2回。 それ以降も震度5強を超える大地震の連鎖は、清正公が築いた名城を無残な姿に変えていた。 城の復旧には10年余の歳月と巨額の資金が必要になる。 観光へのダメージも大きいはず。 熊本市内で倒壊したビル。 断水地域も多く、温泉が出る公衆浴場には2時間半待ちの列が。 普通に顔が洗えてお風呂で足を伸ばせる自由すらないのが被災地の真実。 益城町の状態はもっと深刻。 本瓦の家は大半が倒壊。 亀裂ができて主な道路は通れない。 「ここは子どもも教職員も全員被災者」... 避難所の飯野小学校で校長の声が胸に響いた。 我々報道陣は数日の取材で戻れるけど、被災した皆さんは先の見えない生活が続く。 どんな言葉で現状を伝えても、本当のところは伝えきれないのが実にもどかしい。 期間中、各避難所のリーダーらたくさんの方にご協力をいただいた。 元文化放送アナで東海大教授の小林寛子さんには、自宅への宿泊も含めてお世話になった。 現地で必要なのはモノより現金。 浮いた宿泊費は、あす、小遣いをプラスして義援金として現地に送りたい。 つなぐミサンガ。 東日本大震災の後、 被災地では多くの人が 住まいや仕事を失いました。 避難所で暮らした方も大勢いましたが 自宅などで暮らしたかたも多かったのです。 ところが避難所には人手も物資もたくさんあったのに 自宅に残った被災者のところへは、 物資も情報もほとんど届かない そんな時期がありました。 職を失い、収入の途絶えた被災者には 痛手になりました。 実はこれ、 今の熊本の被災地も 良く似た状況にあります。 東日本大震災によって被害を受けた宮城県気仙沼では 職を失った被災者が少しでも収入を得るために 「あるプロジェクト」が生まれました。 それが 「気仙沼ミサンガプロジェクト」です。 当時、被災者の悩みを聴くボランティアをしていたみなさんが 「職を持たないストレスに悩む人の多さ」に気づきました。 そして 手作りのミサンガを販売し、 その収入がほぼそのまま作り手に入る、 「ひとりひとりが個人事業主になれる」しくみを作ったのです。 失礼を承知で書けば、 売上自体は高額ではありません。 しかし 働いて、その対価を得られるという経験は 被災者の皆さんを力づけました。 さらに 一つひとつのミサンガに つくり手の名前を明記することで、 どこか遠いところに住む買い手と 気仙沼のつくり手を直接つなぎ、 単なる商品の売買ではない "つながり"を生み出しました。 さて、 この気仙沼ミサンガプロジェクトのスタッフは 自分自身も被災者です。 熊本の被災状況を見て、 その痛みがわかるだけに このほど 被災された障がい児者のご家族、 又は母子家庭に ミサンガの売上から義援金を送ることにしました。 事務局長の平田さんは自らを振り返り こう語ります 「震災後、何をするのにもお金が必要でしたが、 様々な義援金を頂いたのは7月以降でした。 また、障がいを抱えての被災者は本当に大変でしたが 私には何も出来ず 胸が痛くなったことを覚えています」 ミサンガについての問い合わせは 以下のHPからどうぞ。 伊勢志摩サミットPART2 石森記者に先を越されましたが先月末に迅英もG7伊勢志摩サミットの 会場となる志摩観光ホテル視察会に参加してきました。 まずは伊勢神宮で参拝。 安倍総理はおそらく各国首脳を伊勢神宮参拝のエスコートがしたい のでしょう。 が、各国首脳に「神道」の精神が理解できるだろうか? 志摩観光ホテルは石森記者も書いているように、 ベイスイートとクラッシックが主要会場になります。 加えて志摩観光ホテルが昭和26年に開業した当時から建つ 「旧館」も使用するとの事。 ~手前の赤い屋根が「旧館」~ 少し気になったのが、関係者の本音とも取れる呟き~ 「島だから警備がしやすいというのは妄想。 隠れるところが一杯ある」 確かに、警備の盲点が結構ありそうだというのが迅英の感想です。 と思いました。 石森記者、どうですか? 震災と性的マイノリティ。 ぜっんぜんブログの更新をしておりませんでした、涙子です。 ご無沙汰してます、お元気ですか? 私は相変わらずデカくて団子頭です(^w^)。 11日で東日本大震災から5年。 ニュースパレードでは10日間にわたって震災特集を放送しました。 その中の1つの取材レポートを担当しました。 私が取り上げたテーマは、「震災当時、性的マイノリティの皆さんはどんな困難を抱えていらしたのか、そしてこの5年で何か変わったのか」ということ。 "LGBT"という言葉をよく耳にするようになりましたよね。 レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー、の頭文字をとった言葉。 LGBTをはじめとする性的マイノリティに該当する方は、13人に1人とも言われています。 私たちの身近にいらっしゃるんですよね。 でも、私自身が震災当時にこうした方々の大変さに思いをはせていたかというと、反省しなければなりません。 そして私のような方が多いのでは、と思ったんです。 一緒に知りましょう、と。 宮城県仙台市を訪ねました。 何も分からない、見知らぬ私の突然のお願いにもかかわらず、取材に応じて下さったお三方。 はいどーん。 佐賀柊咲さん、小浜耕治さん、小野寺真さん。 皆さん、超優しい! 小浜さんは男性パートナーと暮らしています。 佐賀さんと小野寺さんは、体は女性、心は男性です。 性的マイノリティの皆さんは、通称名で呼び合っていたり、ネットだけでつながっていることが多いのだそう。 だから本名、住所を知らない。 友達の安否確認がしづらく、不安だったそうです。 トイレやお風呂が男女別で、入れなかった方も。 避難所では集団での寝泊り。 マイノリティカップルが知られたくないプライベートを知られてしまう・・・男性同士、女性同士のカップル。 名札をつける場合、本名や性別がばれてしまうことも。 知られたくない方も、強制的にカミングアウトさせられてしまう辛さ・・・伺わなければ知らないままだったことが沢山ありました。 性的マイノリティどうしが、普段から繋がっていなければ助けられないとひしひしと感じた、とおっしゃるお三方。 社会との繋がりも。 同じような思いを抱いた方は東北じゅうにいらっしゃいました。 震災前に9つだたグループが、いまや50以上。 3月21日には、東北全体を巻き込んだイベント「OUT IN JAPAN 東北プロジェクト」が開催されます。 会場は震災からちょうど5年、3月11日にオープンした被災地復興支援ライブハウス、仙台pit。 沢山の個性が、普段からどれだけ繋がっていられるか。 いざというときにその繋がりが反映されるんですよね。 お話を伺ったあと、石巻の日和山公園に連れて行ってくださいました。 津波が押し寄せる前の写真の後ろに広がる、今の石巻の海。 津波が飲み込んでしまった景色。 忘れてはいけない、伝えていかなくちゃいけない。 これからも私なりに、お伝えし続けようと思います。 団子頭で、取材を続けやすっ! 伊勢志摩サミットの会場周辺は今 5月26、27両日に三重県志摩市で開催される伊勢志摩サミット。 難民問題や過激派組織「イスラム国」への対応などが焦点となります。 ~~~ 会議が行われ、各国首脳が宿泊するのが 英虞湾に囲まれた賢島の、志摩観光ホテルです。 4月5日分までで、一般からの予約をストップしますが それまでは、一泊10万円するにもかかわらず満室です 1951年開業の旧館「クラシック」は作家の山崎豊子さんが贔屓にし 「華麗なる一族」の舞台にもなりました。 こちらは英虞湾を一望するのが新館の「ベイスイート」 敢えて小さく作ったエントランスを入ると 9千粒の真珠で作ったシャンデリアが迎えてくれます。 全館で5万粒の真珠が使われているのです。 何より素晴らしいのが屋上庭園からの英虞湾の眺望。 海に浮かぶのは真珠養殖の筏。 サミット開催時には 「核入れ」というアコヤ貝に真珠の核を入れる大事な作業があります。 警備担当者によれば、作業する船に目印となる旗を付けるなど セキュリティをしっかりすることにより 作業を止(と)めたりはしないとのことです。 あくまでも住民の生活、業を尊重するとのこと。 ~~~ 世界中の報道機関が拠点とする国際メディアセンターは 県営サンアリーナという体育館。 でもまだ目立った準備はされておらず、 トイレを洋式から和式に改修しているぐらいでした。 テレビの放送スタジオやラジオ局などのブースが並ぶことになります。 外務省から予約が入っているのは4月1日から。 体操教室に子供を連れてきたお母さんは「え?聞いていません」と戸惑っていました。 ~~~ さて、賢島はおよそ100人が住む生活の場でもあります。 複雑な入り江もあり、警備は簡単ではありません。 そこで、三重県は官民参加の会議を立ち上げ 情報提供など、警備に県民の協力を求めました。 三重県の鈴木英敬知事は、住民との協力体制を組んだことについて 「地域のことをもっとも知っているのは住民だから」と答えてくれましたが サミット開催地以外の地域にも言えるなあと感じました。 鎌倉においでよ 先日、鎌倉で出会った斎藤美代子さんは 地元、手広中学校の校長先生でした。 定年の年、東日本大震災が発生し 隣の集合住宅に福島のご家族が 紙袋ひとつで避難されてきたといいます。 これをきっかけに鎌倉のお母さんがたが動きました お母さんがたで構成される未来・連福プロジェクトは 発生した年から、毎年夏休みに 福島のこどもたちを鎌倉に招待する活動を始めたのです。 6回目の夏となる今年は、 原発に近い双葉町(に住んでいた)子供たちを招待します。 宿泊するのは毎年建長寺。 もちろん海にも行きます。 「海に遊びに行けなくなった子供たちに 鎌倉の海を見せてあげたい」 5年の間に、なんだかんだで 家族も合わせ150人ほどが参加するようになってきました。 鎌倉だからできたこともあります。 まず、福島の子供たちのために 琵琶などの伝統芸能の演者らが協力してくれるようになりました。 また、母親グループ自体には政治的宗教的な背景ありませんが 鎌倉の古刹を含め、お寺、神社、キリスト系協会などが 持ち回りでバックアップしてくれるようになったといいます。 高橋さんは言います。 福島の同じ町から呼んでも 区域や状況によって支援金があったりなかったりします。 家族の表情にも差があるのです。 それが気になります・・・と。 でも、 「こどもらは一緒に海を見て、遊ぶうちに同じ笑顔になるんです」とも。 費用は募金などが頼りです。 鎌倉の大仏殿は川を遡った津波で全壊するなど何度も倒壊し いつしか大仏さんは露座になりましたが 風雨に耐え、今も多くの人に愛されています。 海のある町、鎌倉の母親たちは その大仏さんのいる高徳院の前で 手製の募金箱を持ち、 観光客に声をかけ続けています。 仮設住宅にて 昨夜の『シリーズ被災地の真実 震災から5年、南三陸は今』 お聴きくださってありがとうございました。 番組前半で出てきた、山内夫妻宅でのお写真 こんなに大事に飾ってくれててビックリしました。 伺った時は夕方で、インタビューさせていただいてから お宅を失礼する頃にはすっかり日は暮れてまして、 山内さんの奥さんが 「真っ暗だから、通りまで懐中電灯つけてあげる」 と、見送りをしてくれたのですが 『大丈夫ですよー、寒いですし、こちらで失礼しますー』 なんて言ったのですが 「いいから、いいから、真っ暗だもん、そこまで見送るね」 と親切に懐中電灯を照らしてくれて 本当に寒かったのと、申し訳ないと思い 『この辺で大丈夫ですから~、ありがとうございました~』 と別れてから... 大人の言う事は聞きましょうという事を実感。。。 通りに出るまでガチで真っ暗でした。。。 (出ても暗かったけど... ) 文化放送で放送されました 『シリーズ被災地の真実 震災から5年、南三陸は今』 ですが、3月11日~地方局でも放送されます!! 放送局と日時は、、、 山口放送 3月11日(金) 21:00~22:00 東北放送 3月12日(土) 20:00~21:00 北陸放送 3月12日(土) 20:00~21:00 ラジオ福島 3月13日(日) 13:00~14:00 山陰放送 3月13日(日) 16:00~17:00 福井放送 3月13日(日) 21:00~22:00 東海ラジオ放送 3月20日(日) 17:00~18:00 和歌山放送 4月 3日(日) 19:00~20:00 京都放送 4月 3日(日) 19:00~20:00 STVラジオ 4月 3日(日) 27:00~28:00 になります! 伊里前福幸商店街 更新が遅くなってしまった・・・(反省) 先日、くにまるジャパンでお話させていただいた 「伊里前福幸商店街」 2011年、東日本大震災の津波で商店街も流され 1/3は廃業 1/3は個人商店として再開 1/3が今の形で商店街として再開 その再開した伊里前福幸商店街 取材時、ちょうど移転の最中でした。 道路を挟んで山側にあった仮設の商店街 海側に新たに"仮設商店街"を作っていました。 なぜ、"仮設"から"仮設"なのかというと 盛土し本設を目指しているんです。 その伊里前福幸商店街の店舗の一つ "造り酒屋"ではなく、お酒の販売のみの 純粋な酒店 「佐藤酒店」さん 店主の佐藤裕さんは22歳 震災時はまだ高校生でした。 高校卒業後4代目店主として活躍されている佐藤さん 「まずはおしゃべりに来て下さい!!」 と話してくれました。 イケメンの若い漁師さんも居たり、もちろん買い物にくる おばあちゃんが居たり、心地よいお店でした。 夜は飲み屋としてカウンターで飲めるお店も兼ねたいと 春にはスタートを目指して色々手続きを頑張っているそうです。 とにかくポジティブでウェルカムな佐藤さんでしたので 一度足を運んでみてください!! 語られぬ戦い 画像は宮城県南三陸町にある志津川中学校の仮設住宅です。 今年の6月あたりから、ようやく災害公営住宅などへの移転が始まります。 ところが、取材した80代のご夫妻が災害公営住宅に入れるのは、来年の夏。 1年以上の「入居時期格差」が発生しています。 なぜ、住宅の移転には、これほどまでに時間がかかってしまうのでしょう。 そこで南三陸町役場を訪れ 復興事業推進課 公営住宅整備係長 杉本明さんに聞きました。 ~~~ QR:災害公営住宅の整備状況は? 杉本さん:戸数はトータルで738予定。 そのうち104が完成、入居が始まっています。 今年度末には140が完成予定で現在検査等の手続き中で平成28年度末完成を目標に整備しています。 QR:入居時期にこれだけの格差があるのはなぜですか? 杉本さん:整備戸数がかなりあり、一度に整備するのが困難だからです。 このため事業手法を色々考えています。 「URからの買い取り」「宮城県への業務委託」「地元の建設業者による木造協議会からの買い取り」など色々な事業手法です。 UR一社で全部するのは困難ですから。 いっぺんに入居はなかなか難しいですね。 例えば木造戸建ては、地元業者の協議会にお願いしていますが、職人さんのマンパワー的な問題もあります。 QR:ほかに理由はあるのですか? 杉本さん:あとは申し上げにくいのですが・・・ 今の町の職員の体制が少ないというのもあると思います。 災害公営住宅整備係は7人ですが、ほとんど県外からの派遣なのです。 言い訳にはできませんが、確かにそれもあるのです。 QR:津波では町役場の職員も多くが犠牲になったと伺いました。 杉本さん:それもあります。 役場の職員は300人だがその3分の1は県外からの派遣です。 派遣元となる各自治体にも、応援に出せる人数には限りがあるのですが、 まあ、そこはわたしらの頑張りしだいで早期完成は可能だと思います。 QR:職員の皆さん、疲れてはいませんか? 杉本さん:土日も出勤することがあり、体調こそ崩していませんが、 みな、かなり疲れているとは思います。 ~~~ 杉本さん自身も兵庫県の職員でした。 兵庫県では、阪神淡路大震災で建物が壊滅したあと そこに新築、再建された建物を調査する仕事を担当していました。 東日本大震災の後、兵庫県から南三陸町への派遣を打診された時、 「自分が役に立てるなら」と決意し、応じたといいます。 しかし実際に来てみると、厳しい現実が待っていました。 ~~~ 杉本さん:震災から4年でもこういう状況かと正直思いました。 日々いろんな課題が毎日出てくる状況。 正直綱渡り状態です。 ですが、着実に進めている実感はあります。 震災から5年。 町外の仮設に住む人がそこが「住みよい町だ」と感じた場合、 南三陸に戻ってくるかどうか・・・。 町としては早期に災害公営を完成させて戻って頂きたい。 災害公営住宅は今、滑走路を走っている状況なのです。 あと1年で飛行機は飛びたちます。 そのあと入居されたかたがたの家から、いつか笑い声が聞こえてくるといいなと思うんです。 ~~~ 先日、南三陸町の佐藤仁町長に聞いたところ、住宅政策の遅れには 「相続登記をしてない土地がずいぶんあったことも大きかった」といいます。 「100坪ぐらいの土地に70人の権利者がいて全員からはんこをもらわなけれないけなかった」と。 やはり、大きな要因としてマンパワー不足は否めません。 しかし、現場では住民の気持ちを慮り、それを理由にする職員は多くはありません。 それ故、家族を故郷に残し,遠い被災地で激務に耐えている人々のことは、なかなか語られてこなかったのです。 それでも杉本さんらは、単に住宅の整備だけではなく、災害公営住宅に入居することでコミュニティから断絶しないよう、入居前に住民同士の顔合わせの機会を設けるなど、考えうる限りのことをやろうとしていました。 ~~~ 東日本大震災の復興支援のため岩手県大槌町に派遣されていた兵庫県宝塚市の45歳の職員は、土地区画整理事業などを担当していましたが2013年に仮設住宅で自ら命を絶ちました。 その後、民間企業の労災に相当する公務災害に認定されました。 ~~~ ただ、亡くなった職員は決して被災地を見放したわけではありません。 仮設の部屋に残された遺書には、こう書かれていたのです。 「大槌はすばらしい町です。 大槌がんばれ!!」 文化放送ウェンズデープレミアム 『シリーズ被災地の真実 震災から5年、南三陸は今』 放送日:2016年3月9日(水) 午後7時00分~8時00分 「被災地の真実 あれから5年 南三陸は今」 「モアイ」の「モ」は、イースター島のラパヌイ語で「未来」 「アイ」は「生きる」という意味です。 「未来に生きる」 それが彼らの呼び名です。 建造された理由は諸説ありますが イースター島では、いずれも海を背にして立っており 住民の皆さんを見守ってきたのかもしれません。 ~~~ 1960年に宮城県南三陸町を襲ったチリ地震津波をきっかけに友好を深めたチリから 2013年、東日本大震災に被災した南三陸の皆さんを勇気づけようと贈られたのがこのモアイです。 ~~~ 震災発生時から東北で取材をさせていただきましたが 翌年、小谷ディレクターと取材したのが南三陸町でした。 今回は、その時出会ったみなさんに再びお会いしました。 ~~~ 2012年に仮設住宅で取材に応じてくださったみなさんは 今もそのまま仮設住宅にお住まいでした。 住宅政策の遅れは、経済格差などを生み出し 人口流出などにもつながっています。 ~~~ その一方で、希望の種を探すのも今回の目的でした。 番組では「希望」という言葉を使っていますが 取材した感覚では「約束」という言葉に近い気がしました。 この町で暮らし続けることを選んだ皆さんの 「ともに幸せな未来を生きる」約束です。 ~~~ 仮設住宅で一緒におじいちゃんおばあちゃんの話を熱心に聴いている小谷ディレクター (最近お国言葉のヒアリングに長けてきた)の表情を見ていて思いました。 「リスナーさんにも、このコタツに一緒に入って話をゆっくり聴いていただきたい」と。 そんな気持ちでお聴きください。 ~~~ 文化放送ウェンズデープレミアム 『シリーズ被災地の真実 震災から5年、南三陸は今』 放送日:2016年3月9日(水) 午後7時00分~8時00分 劇団員女性殺害事件で画像公開 東京・中野区で去年8月、劇団員の加賀谷理沙さん(当時25歳)が殺害された事件。 未解決のまま間もなく半年となりますが、警視庁は今日、画像を公開しました。 まず、加賀谷さんが事件に巻き込まれる直前の去年8月25日午前0時半頃、 自宅近くのコンビニ店内で買い物をする姿。 (画像・警視庁提供) 加賀谷さんは、白と黒のボーダー柄のワンピースにピンクの半袖カーディガンを着ています。 いずれも事件後、なくなっています。 次に、この画像で加賀谷さんが背負っているとみられるリュックサック。 (画像・警視庁提供) リュックは縦およそ34cm、横およそ33cm、黒の合皮製で、 このリュックも事件後、なくなっています。 また、以前にも公開されたトートバッグ。 (画像・警視庁提供) 縦およそ40cm、横およそ38cm。 このトートバッグも事件後、なくなっています。 そして、こちらも加賀谷さん宅からなくなっている、イチゴ柄の布団カバー。 (画像・警視庁提供) チャック付きで、おそらく掛け布団カバーと思われますが、加賀谷さんは敷布団カバーとして 使っていたとみられるということです。 加賀谷さん宅からは、上記の衣服やリュック、トートバッグ、布団カバーなど 10数点がなくなっていて、犯人が持ち去ったとみられています。 情報提供は、警視庁中野署特別捜査本部、03-5342-0110 まで。 その頃、私は... ブルブルしながら JR気仙沼線の歌津駅に居ました。 あ、こんにちは のりかずのウラの方です。 気仙沼線の歌津駅、ホームは高台の上にあるのですが 駅舎は高台の下にあったので津波の被害にあいました。 で、今 JR気仙沼線はBRTで運行しているので BRT用の駅舎があるんです。 昼間は一時間に1本 他に、利用者がいれば 「どちらまで行かれるんですかぁ~?」 とか 「いつも使ってるんですかぁ~?」 とか 「電車からバス(BRT)に変わって何か違いますかぁ~?」 とかインタビューしたかったのですが 自転車はあるのに だ・れ・も・い・な・い しかーも、次のBRTが来るまで40分以上ある!! (その頃旨そうな丼を食べてる人がいる!!) 駅舎と言っても無人駅! もちろん売店も無い! 雪は降ってなかったけど寒い!! 『そっちどぉ?』とか電話かけてくる人がいる!!!(イラっ 独り淋しい思いをしていましたら 『まもなく、のぼり、前谷地行きがまいります。 (区間によって、線路があった場所を走っています) 取材は続きます。 丼ぶりも店主の目もキラキラしてた この「キラキラいくら丼」がたべられるのは 宮城県南三陸町『さんさん商店街』の「松原食堂」さん。 『さんさん商店街』は 震災から1年もしないうちにオープンした仮設商店街です。 復興をになう地元の事業者32店が軒を連ね、 連日多くの観光客でにぎわっています。 ツアーバスが停められる大きな駐車場もあります。 飲食店の共通メニューである「キラキラ丼」は目玉商品となり さんさん商店街を有名にするきっかけにもなりました。 「南三陸をもっと知ってもらおう」として、 町外や県外に向けた商品を展開しています。 ただし近隣の仮設住宅の人はあれは「観光客向けだ」といいます。 キラキラ丼というのは比較的高価な海鮮丼で 日常生活の買い物には必ずしも向いていないからです。 商店街側もそれはわかっています。 でも、わずかながら南三陸にきて定住してくれるひとが増えたり 町民とつながりを持つ人が増えたのも事実です。 「松原食堂」は 元々は志津川にあった歴史ある食堂でしたが 津波に流されてしまいました。 でも店主ら家族は歯を食いしばり、 プレハブの商店街で再び歩き始めたのです。 この店を4年ぶりに訪ねました。 南三陸には元々商店が集まった商店街がなかったため 復興商店街でやっていけるのか?当初は不安だったといいます。 しかし、互いに切磋琢磨することができたほか 違う業種のお店からも学ぶことが多かったといいます。 でも、店主はそっと話してくださいました。 キラキラ丼という目玉があったから 皆さん来てくださって商店街はもりあがった。 でも、かつて、毎日、日常の食事をしに 地元の皆さんが来てくださったことも忘れてはいないのです。 松原食堂には昔ながらのメニューも並んでいます。 松原食堂は、近く本設される商店街には参加せず、 商店街の近くに頑張って店を再建する予定です。 さんさん商店街も良かったけれど 今よりも広い店舗で 昔みたいに地元のみんなが来てくれる、 たくさんの人が集まれる店を作るんだと意気込んでいました。 階段 南三陸町志津川中学校の校庭に設置された仮設団地。 そこにいくための階段の途中で、息が切れました。 階段の上のプレハブに住んでいるのは、 ここが避難所だった時代から取材をしている80代のご夫婦です。 階段の下には海鮮丼で全国的に有名になった仮設商店街がありますが 老夫婦がこの階段を下りることはありません。 日常の食事にはならないからです。 頼みは別の車道から登ってくる移動販売車です。 おじいさんは言いました。 やっと来年の夏、災害公営住宅に引っ越せるんだ。 僕は聞き返しました。 「え?来年?」 被災地では復興事業の遅れから、 住民の高台や新たな住居への引っ越しに1年以上の「格差」が生まれているのです。 それはそのまま「経済格差」にもつながります。 南三陸を訪れた人は、この風景を見て、復興への工事が進んでいると思うことでしょう。 かさ上げ工事です。 もしかしたら、この巨大なピラミッドの上に町が造られるとお思いかもしれません。 でも、これは、山を切り崩した土を一時的に置いているだけ。 整地はもっと先の話です。 東京オリンピックをはじめ様々な理由で工事にかかわる人材や資材は不足し、 それらにかかるお金も高騰しています。 移転を待ちきれない人々は、故郷をあとにし、町の外に家を構える人々もいます。 人口の流出は深刻です。 父親と仕事を失いながらも残ることを決めた被災者の男性は、このピラミッドを見てこう言いました。 「私の思っていた復興とは違いました。 海も山も変わってしまった。 やむなく町を離れた皆さんは、この風景を見て、いつか故郷に帰りたいと思うでしょうか」 手分けをして取材をしたノリカズDが指摘しなければ、 僕はあれほど保存の可否をめぐって話題になった「防災庁舎」を見失うところでした。 ピラミッドの隙間で、まるで忘れられたかのように放置されています。 それでも希望はありました。 店を継いだ若者、放課後に集って未来を語り合う高校生 そして彼らを頼もしく思う大人たち。 未来への階段を、一歩一歩上り続けています。 夫をあの防災庁舎で亡くし、この春、子供が神奈川の大学に入学が決まった母親は 「子どもは、いつかこの町に帰りたいと言うけれど、 大学でいろんな人と出会い、自分の道を決めればいい」と語りました。 そして目を細めながら、 「この5年間は大人にとってはそれほどの変化がなかったかもしれないけれど 子供らにとっては驚くほど成長した5年間でした」とも。 お母さんは、このあとどうするのですか?と聞くと 笑ってこう答えてくれました。 私はずっとここにいます。 子供たちを待っています。 テント ご無沙汰をしてしまってますね。 のりかずのウラの方です。 東日本大震災からまもなく5年 先日、南三陸へ行ってきました。 2012年に、南三陸の取材をしているのですが 南三陸町の歌津地区の仮設住宅近くにある 「あづまーれ」と呼ばれているテント 今回、取材に行く前に 「4年前に伺った"あずまーれ"って... 」 と問い合わせたところ 『あー、まだありますし、みなさんもいますよー!是非来てくださーい!』 と明るい返事があり、伺ってきました。 このテント、学校の校長先生とかが運動会の時に 観覧席として使っているテントと同じモノです。 震災後に設置された"あづまーれ"と呼ばれるこのテント 何をする場所かと言うと... はい、カフェなんです。 2012年に伺った時と変わった事は ・雨風避けのシートで覆われた ・利用者が多少減った と言う感じで、5年近くこのテントは変わりなく カフェあづまーれとして稼動していました。 このカフェ、仮設住宅に住んでいる皆さんが集う場所で、 みなさんマイカップを持ってやってきて、和やかにお話を されていました。 2012年の時点ではこのテントいっぱいに人が来ていて 外部からの支援もあり、マイカップが無くてもお茶は飲めていたのですが 支援も少なくなり、マイカップを持ってこなければならないそうでしたが 代わる代わる仮設住宅からおばあちゃんおじいちゃんが集まっていました。 取材についての事は、また後日放送やこちらでお話しますが あづまーれに来ていた、おばあちゃんやおじいちゃんが 『お兄ちゃん何処から来たの~?東京??この前の雪大変だったね~大丈夫だった?』 とか 『お兄ちゃん前にも来てくれたよね~』 とか 『お!文化放送!!えーと、なんだっけ... 夜中に聞いてるぞ!!』 とか 超フレンドリー&超親切に接してくれて 東北人の寛大さと言うか強さを改めて実感。 あづまーれ以外でも今回の南三陸取材で東北人の強さを感じたのですが 今日はこの辺で。 2025年問題 「2025年問題」をご存知ですか? 団塊の世代の皆さんが全員75歳以上の後期高齢者となるのが「2025年問題」 日本は5人に1人が75歳以上という、かつてない高齢社会を迎えます。 これに対して全国の病院にあるベッドは約158万床です。 その差は僅か31万。 この死亡者の数と病院のベッドの数の差は 今後10年でほぼ「0」になると予想されています。 「病院で一生を終える人でベッドが埋まってしまう」恐れがあるのです。 果たして国の財政が持つのか?という話になってきます。 そうなってくると「在宅医療」という選択肢も大切になってくるわけです。 在宅医療を進めたい厚生労働省は当初、在宅診療に高い診療点数を設定しました。 しかし『高齢者用の集合住宅を運営する会社と医師が契約し、 医師が一度に何人もの高齢者を診療した報酬を運営会社にバックする「患者紹介ビジネス」』が 横行するようになりました。 必要もない患者さんのところにも訪問をする事態が起きていたのです。 このため同一の建物で診療した場合の診療報酬などを4分の1に減らした経緯があります。 お金さえ配れば思惑通りに物事が進む、というわけでもないのです。 小澤先生は在宅医療に取り組む人材がもっと必要だと考え、 2013年からクリニックでの人材育成に取り組んできました。 ただ、各地域での連携が欠かせないということもあり、 もっともっと医師や看護、介護関係の仲間を増やすために 一般社団法人「エンドオブライフ・ケア協会」を設立して活動範囲を全国に広げています。 在宅医療の環境整備は、すでに時間との競争になっています。 銃器対策部隊も参加 年始恒例の警視庁「年頭部隊出動訓練」。 今年も神宮外苑絵画館前で今朝、行われました。 機動隊を先頭に、女性警察官部隊や警察犬部隊など、およそ2800人と およそ150台の車両が行進しました。 今年もまた逆光ですねー。 逆光サイドに位置するのは分かってたものの、 今朝は「雲が多め」と天気予報で言ってたので、うまく撮れるかもと思ったのですが・・・。 2020年の東京オリンピック・パラリンピックなどを見据えたテロ対策の一環として、 今年は銃器対策部隊も初めて参加しました。 そして何より、今年は5月の伊勢志摩サミット。 高橋清孝・警視総監は訓示で、 「極めて厳しい国際テロ情勢の中で開催され、日本警察の真価が問われる重要な警備となる。 全国警察のリーダーとして役割を果たさなければならない」と述べました。 今年は新国立競技場の建設計画の見直しで工事が遅れたため、例年通り絵画館前で行われましたが、 来年の年頭部隊出動訓練は、別の場所になるんでしょうね。 終わらないニュース 今年一年をふりかえる番組『マイクの1年』を作っていると、毎年のことながら「忘れていたニュース」に気づかされます。 いずれのニュースも「当事者にとってはまだ終わっていないのだ、」と心に留め置かなければいけないと思います。 ~~~ 取材した音を聴いていますと、文字に起こせない音の大切さに気が付きます。 例えば、ため息交じりの告白とか、次の言葉が選べずに躊躇している「間」とか、怒りに震える声とか、決断の前の深く息を吸い込む気配とか。 ラジオには画像はありませんが、そういう部分もきちんと伝わればいいなと思います。 本年もお聴きいただきありがとうございました。 どうぞよい年をお迎えください。 文化放送ではAM1134、FM91. 6でお楽しみください。 新国立競技場の採用案決まる 2020年東京五輪・パラリンピックのメーンスタジアムとなる新国立競技場の新たな建設計画を担う設計・施工業者の選定で、政府は22日、ふたつの応募案から建築家の隈研吾さんが手掛けたA案の採用を決めました。 画像は記者会見で説明する隈さんです。 建設財源は、総工費の上限1550億円に関連経費などを加えた約1581億円のうち、国が2分の1、都とスポーツ振興くじで4分の1ずつを負担することで合意しています。 記者会見で完成イメージ図を見たのですが、五重の塔などに用いられる「垂木」をイメージさせるひさしが特徴。 国産の木材が使われています。 建設コストはともかく、木材の多様は維持費にどう影響するのかなと思いました。 その会見の夜、宮城県南三陸町の仮設住宅に住むかたとお話ししました。 以前から継続して状況を伺っている農家のかたです。 宮城県内では、仮設を出た後の住宅の再建計画が決まっていない世帯が 3297世帯に上っています。 (10月末現在、宮城県調べ) 事情は様々ですが、住民のかたによれば住宅の再建や修理などに踏み切らない理由のひとつに「オリンピック」がありました。 建設資材など住宅に係る費用がオリンピックの影響で高騰しており、それが落ち着くのを待っているというのです。 ただし、生活再建支援金・加算支援金を申請できる期間は平成30年4月10日まで。 また、もともとのルールでは2年間使用となっていたプレハブの仮設住宅もまもなく震災から5年を迎え、傷みも激しくなっています。 ですからどのタイミングで住宅再建に踏み切るのかが難しくなっています。 被災者のかたは「五輪の盛り上がりに水を差すつもりはないけんど」と前置きしながらも 「オリンピックを日本でやるのは、もう少し先でもよかったんじゃないかなという声も聴くんだよね」と話してくださいました。 昭和5年生まれの野坂さんの享年は85歳。 10代前半の壮絶な戦争体験は「火垂るの墓」に象徴 される数多の小説やエッセイに描かれ、一貫して戦争の愚と暴走する権力への批判を 発信し続けた作家でした。 私事ではありますが、迅英の父も今年9月に亡くなりました。 父は昭和3年生まれでしたから ほぼ野坂さんと同年代、享年は86歳、父からも戦争体験を随分聞かせてもらいました。 ~空襲の話、疎開の話、戦地で死んだ先輩や友人の話、ひもじかった終戦直後の話~などなど。 戦後70年。 10代で終戦を迎えた方は野坂さん然り父然り、皆さん80代です。 残念ですが、 戦争体験を直にお聞きできる機会は時間の経過とともに少なくなってきます。 では、はたして戦争体験世代の次世代たる私たちはさらに次の世代に、父や野坂さんが 残してくれた「命掛けの体験談」を語り継ぐことができるのだろうか? 青山からの帰り道、考えさせられた。 覚せい剤14億円分を密輸 覚せい剤をスーツケースに入れてウガンダから密輸したとして ウガンダ国籍の45歳の男が覚せい剤取締法違反などの疑いで警視庁に逮捕されました。 押収量は、なんと20キロ。 末端価格およそ14億円相当です。 写真の白色の結晶は覚せい剤。 男はこれを透明のビニール袋に入れ、それを2袋ずつ、 今度はコーヒーの袋に詰めます。 さらにそれを3~4個ずつ、緑色のレジ袋のようなものに入れ、 スーツケースに敷き詰めていたそうです。 コーヒー袋の数は25個。 男は、緑色の袋を隠すように、上から衣類を入れていたということです。 が、羽田空港の税関職員がこれに気づき、現行犯逮捕となりました。 コーヒー袋には、それぞれ800~900グラムずつ覚せい剤が入れられていたわけですから、 重さでまず気付かれると思わなかったのでしょうかね。 ちなみに、覚せい剤20キロというのは、手荷物での持ち込みによる密輸では 過去最大量ということです。 従来のAM放送と全く同じ内容で、 周波数は91. 6MHZです。 従来品のラジオだとFMは90MHZまでの周波数しか受信できないものが 多いようですが、最近発売されたラジオは108MHZまで受信が可能なものが主流です。 通称は【ワイドFM】 ほぼ関東一円で受信が可能な放送になります。 文化放送をぜひFMラジオでもお聴きください。 ちなみに周波数の91. 6MHZは語呂合わせで『キュー・イチ・ロー』と覚えて下さい。 キューイチローなるゆるキャラもデビューをしています。 GREAT! 東京モーターショー2015 東京モーターショーのプレスデーに取材に行ってきました。 今回は、各メーカーが自動運転の最新技術を発表しており、試乗もできます。 自動運転の開発が進む背景には「政府の後押し」があり、 自動車業界は2020年ごろの実用化を目指しています。 「自動で縦列駐車してくれる車」に乗ってみたのですが まるで透明人間が運転してくれているみたいで、その技術には驚きました。 これなら、若者からお年寄りまで、安心して乗れるだろうとは思いました。 ただ、実用化にあたっては、道路交通法を大幅に変える必要がありますし、 もし事故が起きたら誰の責任になるのかという問題もあります。 そのあたりも合わせて検討しなければなりません。 さて、近年、往年の名車のコンセプトを引き継ぐスポーツカーが相次いで発表されていますが、 今回は、それがさらに顕著です。 たとえばトヨタの「S-FR」。 「ヨタハチ」こと、トヨタスポーツ800の再来とも言われる小型のスポーツカーです。 (でも、「ヨタハチ」というよりは「ハコフグ」っぽい) トヨタの最近のスポーツカーと言えば若者を狙った「86」がありますが、 「86」は、想定よりも上の年代に多く購入されたこともあり、 「S-FR」は、車重も価格も軽めになるようです。 マツダも、ファン待望のロータリーエンジンを復活させた 「マツダ スポーツ コンセプト」を発表しました。 1960年代の名車「コスモスポーツ」とともに展示しています。 販売間近の車でも、ホンダ新型NSXなど、スポーツカーの再来が目立ちます。 1960年代にトヨタ2000GTの開発にかかわったヤマハ発動機もスポーツカーを発表し、 国内9社目の自動車メーカーとなるのか注目されます。 うっかり見てくるのを忘れました。 このように各メーカーは、走りそのものの楽しさを知ってもらうことで 若者の車離れを食い止めようとしています。 ただ、かっちょいいスポーツカーを開発すれば、それで若者が帰ってくるのでしょうか? 自分自身を振り返ってみれば、車を好きになったのは 「車好きだった父」の影響が大きい気がします。 親、兄貴、先輩、友人... 「車の魅力を知っている人」の車に同乗し、思い出を共有するのが 車が好きになる近道のように思います。 生まれて初めて乗った車、免許を取って最初に乗った車、初めて誰かを乗せた車 最初に手放した車を覚えていますか。 車は単なる移動手段ではありません。 必ず思い出とともにあります。 今回の展示では、過去の名車のスピリットを受け継いだ車が多いのですが、 それは単なるレトロ趣味なのではなく、 その車が愛された時代への、憧憬も込められているのではないかと思いました。 成功した人は失敗した人 今年のノーベル医学生理学賞に決まった大村智・北里大特別栄誉教授さん。 大村さんは1974年、静岡県伊東市の土に含まれていた細菌の一種から 抗寄生虫薬「イベルメクチン」の元となる物質を見つけました。 イベルメクチンは、オンコセルカ症(河川盲目症)や リンパ系フィラリアなどに劇的な効果を発揮し、 主に熱帯地方で多くの人を救っています。 ~~~ 今回の受賞はその成果を称えるだけではなく、 「発展途上国に蔓延する伝染病の治療薬開発にもっと目を向けるべきだ!」 というメッセージも込められているのかもしれません。 薬を開発するのに、製薬会社は巨額の投資をしますが こうした病気が蔓延する地域は貧困にあえいでおり薬を買うのも難しい状況なので 結果として、なかなか開発が進みません。 一種の悪循環と言えるでしょう ~~~ しかし、大村さんは 「とにかく『科学者は人のためにならなければだめだ』と言われてきた。 人のために少しでも役に立つことは何かと考えてきた」と語ります。 そして土探しのため、今も財布に小さいポリ袋を入れて持ち歩いているといいます。 ~~~ 横浜で開かれた大村さんの講演を聞いた製薬関係者のかたや薬剤師さんは 嬉しそうにこう語ってくださいました。 「薬の開発では、私たちの仲間の研究者が自然界から気の遠くなるような量のサンプルを採取して、 ほんのわずかな薬のもととなる物質を探し続けています。 地道な努力が実を結び、世界中の人の治療に役立っています。 そうした成果と努力が認められたことがうれしいのです」 ~~~ 大村さんは記者会見で若い世代に向け、 こんなメッセージをくださいました。 「成功した人は失敗を言わないですよ。 でも人より倍も3倍も失敗している。 だから1回失敗したからってどうってことないよ。 これは交通事故全体の32.4%を占めていて、 このうち自転車側に何らかの違反があった場合が半数を超えているそうです。 そこで、交通ルールを指導したり、ヘルメットの着用など自転車の安全利用を呼びかける 「自転車安全利用指導啓発隊」が、警視庁内に発足しました。 啓発隊は、隊長以下14名。 すべて交通部の警察官で構成されています。 専用自転車のクロスバイクに乗り、ヘルメットを着用。 専用ウエアか制服で活動するとのことです。 警視庁では、交通事故による年間死者数を150人未満に抑える 「チャレンジ・アンダー150(いちごーまる)」をスローガンに掲げています。 町イチ! 村イチ! 全国の町や村が一堂に会し、特産品や郷土芸能、観光資源などを 都会の人たちにアピールするイベント、「町イチ! 村イチ! 2015」が 東京・有楽町の東京国際フォーラムで開催されています。 第3回を迎える今回は、日本全国の3分の1以上にあたる およそ330の町と村が参加。 会場には、特産品の展示・販売コーナーのほか、 地元の食材を使った郷土料理の食堂などが並び、 ステージではご当地キャラも続々登場しています。 初日の今日は、宮崎県高千穂町の、「高千穂の夜神楽」も披露されました。 このほか、移住・定住相談コーナーや とれたての野菜、果物を販売するマルシェもあります。 あす23日(水・祝)も、午前10時~17時まで開催されます。 Give Peace a Chance 免許証入れを掃除していましたら、緑青にまみれたスーベニア・メダルが出てきました。 コインを販売機に入れると、そのコインがぺちゃんこにプレスされてメッセージが刻まれるアレです。 ~~~ 今から10数年前、仕事でニューヨークに行ったときにつくったものです。 仕事が終わった後、僕はジョン・レノンが撃たれた現場「ダコタハウス」前に立ちました。 ジョンが、愛するオノ・ヨーコさんと暮らした自宅アパートです。 ただ、その現場には事件について何の痕跡も見つけられず、モニュメントも無く、 あまりにもあっさりしていて、意外に思ったものです。 ジョンのアルバムを聴きながら、僕は高層ビルにのぼり 文字通りの「おのぼりさん」としてこのメダルを刻みました。 眼下に広がるマンハッタンの街を今でも鮮やかに思い出せます。 ~~~ ジョン・レノンというと無暗に平和を唱える「仙人みたいなオジサン」と思っているかたもいるかもしれません。 でも、どんなことを歌っているのかご存知ですか?少し引用してみます。 ~~~ 「平和をわれらに」では、こう歌っています。 「いろんな主義の人がいるよね。 異なる主義 異なる主張、異なる宗教・・・ だけど結局のところ、そんな僕らが求めているのは『平和をよこせ』ってことだけなんだ」 また、「イマジン」の歌詞はこうです。 「僕のことを夢見がちなヤツだと君は言うかもしれないね。 でも、この夢を見ているのは僕だけじゃないはずさ」 「夢」は必ず叶うとは限りませんが、諦めたとたんに可能性は0になります。 それは少し、「平和」に似ているような気がします。 ~~~ ところが、ジョン自ら「夢」を否定している歌があります。 それは「GOD」という曲。 『God is a Concept by which we measure our pain』 「神様なんて、痛みを測る概念に過ぎない」 『I just believe in me Yoko and me』 「僕は僕自身(と妻)だけを信じる」 ジョンは宗教を否定しているのではなく、 「権力者や思想家、アーティスト等を盲信せず、世論に流されず 自分自身を信じて物事を考えるんだ」と歌っているのです。 この歌には一度も「平和」や「戦争」という言葉は出てきませんが これもまたSNSが発達した今、大切なメッセージに思えてきます。 ジョンはこう続けます。 and that reality. The dream is over』 ~~~ 安保関連法が成立した日、タクシーの運転手さんが怒っていました。 『お客様の前に乗せた若者のグループが、国会前の集会を見ながら笑うんですよ。 〜俺ら金持ってるから戦争行かなくていいし〜って』 『どういう意味です?それ』 『経済的徴兵制 経済的事情から自衛隊に入隊する人が増える状況 のことを言っているみたいで。 私どれだけ彼らに言いたいことがあったか』 ~~~ 安保関連法では、政治家が、私たちの命にかかわることを決定したり承認することになります。 主義主張はどうあれ、有権者としてそこだけは忘れずにいたいものです。 18歳に選挙権年齢が引き下げられた今、これからは若者自身も 「自分のこと」として戦争や平和について考えることになるでしょう。 and that reality. The dream is over. ~~~ 緑青にまみれたメダルをつくったあの高層ビル。 今から思えばあれはNY世界貿易センターでした。 もしジョンが生きていたら、僕らにどんなメッセージを届けてくれたでしょうか。 世田谷一家殺害事件 東京・世田谷区の住宅で、宮沢みきおさん一家4人が殺害された事件から 今年で15年となるのを前に、警視庁はきょう、 これまでの捜査で判明した情報をまとめたものを、ホームページで公開しました。 日本語のほか、英語、韓国語、中国語でも掲載されています。 犯人が着ていたものと同じ型のトレーナーを販売していた全国の店舗の一覧表や、 事件の百箇日目に現場近くに置かれていたお地蔵様などを掲載。 また、当時の記憶を思い出してもらうため、事件発生前後の新聞の番組欄、 その年の主な国内の出来事、流行語なども掲載されています。 元々は内部資料としてまとめたもので、今後は情報誌の形にして 捜査の際や行事などで一般にも配布するということです。 捜査幹部は、 「月日がたったからこそ言えることがあるかもしれない。 どんな情報でも良いので寄せてほしい」と話しています。 情報提供は、警視庁・成城警察署特別捜査本部 03-3482-0110 まで。 有権者は18歳 少し前の話になりますが、 先月、国会内で高校生100人と国会議員らが議論しあう催しがありました。 この催しを取材するのは二回目なのですが、今回は特別な意味がありました。 それは選挙権年齢が18歳に引き下げられることが決まってから 初めての開催だということです。 それもあってか 与野党の幹部のあいさつも「有権者」としての高校生を意識したものでした。 興味深かったのは、与野党の何人かの幹部が 自らの政策を宣伝するのかと思いきや、 『もちろん私たちは自分の政策に自信を持っていますが 皆さんは私たちの言うことも疑ってください』と話したことでした。 互いに政策を主張し、批判しあっている議員らが、 この場では大人として「自分で考えることの大切さ」を説いたのです。 18歳に選挙権年齢が引き下げられるにあたり 「学校で政治をどう教えるか」が課題になると言われています。 でも、世の中の人がどのように働き、どのように暮らし、 何に困っていて、何を求めているのかを知ることも、 選挙で投票するためには大切なことなのではないかと思います。 これらは教室にいるだけでは知ることができません。 10代から、できるだけ様々な立場の人と 実際に触れ合う機会を持つことが必要なのではないかと思いました。 その上で、自分で考える力を身に着けることが大切なのかなとも。 ・・・あ、でも大人の自分もできていなかったりして。 大雨特別警報 9月10日、気象庁が茨城県と栃木県に大雨特別刑法を発令。 直ちに鬼怒川の水が溢れた茨城県常総市の若宮戸へ向けて出発。 しかし・・・現場が近づくに連れ、渋滞が激しく車が前に進めない状況に。 道路があちらこちらで冠水のため通行止めになり、県内の鬼怒川にかかる橋が すべて通行不可になった。 行き先を変更し、石下地区へと向かう。 昼、雨は上がったものの、水かさは増える一方。 わずか10分ほどで20センチくらい水位があがり、 車が次々と水没。 道路は封鎖となっていく。 見えていた地面もあっという間に見えなくなり、我々も直ちに避難するよう指示を受ける。 田畑も水没。 稲の穂先も完全に水に浸かってしまい、まるで大きな湖の中にいるかのような景色が広がる。 警察、レスキュー、ボートをつんだ自衛隊の車両が次々、現場にむかい、 救助活動が行われた。 警察によると、救助要請がひっきりなしに入っているという。 現場近くで、救助されたばかりの男性と遭遇。 わずか10分ほどの間にトラックの窓のところまで水が上がり、車の屋根に避難。 2時間後にボートで救出されたあと、トラックは水で流されていったという。 間一髪の救助。 「自然の怖さを思い知らされた」と語った男性の言葉が耳にこびりついている。 ご当地キャラ、大臣を囲む。 いやー。 生まれて初めて、「ご当地キャラの声を録音する」という取材をしてきました。 11月5日は「津波防災の日」なんです、ご存知でしたか? 大きな地震が起きたら、津波に備えてすぐに高台へ逃げること、 家族とは、あらかじめ逃げる場所を決めておくこと、など 日ごろから津波に対する防災意識を持っておくことって大切なんですよね。 やってらっしゃいますか? 津波防災への取り組みを多くの人に知ってもらおう、つーことで、 各地のご当地キャラクター達が「津波防災ひろめ隊」を結成しました! ふなっしーやくまモンたちが今日、山谷防災担当大臣のもとを訪れ、お披露目会が行われましたー! ご当地キャラが大臣を囲む絵、はいどーん。 左から、しんじょう君、ちっちゃいおっさん、ふなっしー、山谷大臣、くまモン、きいちゃん。 津波防災のポーズ、つーのも披露されました。 はいどーん。 "急いで、高い所へ"を表現!(ちっちゃいおっさんは腕が上がらないと嘆きながらの撮影でしたw) 津波への備えの大切さを改めて痛感したと同時に・・・・・ちっちゃいおっさんとふなっしーの掛け合いトークが面白いことを実感w。 漫才のようでしたよ。 「津波防災ひろめ隊」のご当地キャラクターたちは、これから避難訓練にあわせて開催されるイベントに参加したり、ブログなどで津波防災の取り組みを紹介したりするということですよー。 ちょっと空気が真夏の感じと違ってきましたが、まだまだ暑い毎日。 体調など、大丈夫ですか? ニュースパレードで毎日お送りしている、夏企画。 今年のテーマは「戦後70年~戦争を風化させないために」。 21日(金)放送分の夏企画を担当させて頂きました。 この方のお話を聞きたいっ! とマイクを持ってお邪魔したお相手は、高見のっぽさん。 そうです、あのこども番組「できるかな」の、のっぽさんです。 こどもの頃、大好きな番組でした... のっぽさんのマネをして、段ボールでいろいろ作ったりしたもんでした... その、のっぽさん。 のっぽさんが7歳のときに戦争が始まりました。 戦争が始まったときのこと、疎開先のエピソード、お兄さんのこと・・・ 「できるかな」ではずっと言葉を発することのなかったのっぽさんが話す、戦争のこと。 お時間あらばぜひ、お耳になさってみて下さい。 特設サイトは 風々吹くな~日航ジャンボ機墜落事故から30年 2015年8月12日。 御巣鷹の尾根に、日本航空123便が激突してから30年となりました。 今年も、ご遺族や日本航空の関係者らが慰霊のための登山を行いました。 急な斜面には「足場」として材木が並べられたほか、 工事作業車専用だった道路も解放されて途中までは車で行けるようにはなりました。 しかし高低差180メートルの急な山道は、決して楽ではありません。 恥ずかしながら私も何度か足を休め山頂を見上げました。 斜面には数えきれぬほどの墓標やお地蔵さんが佇んでいました。 30年の間にはご遺族もお歳を重ねられ、お子様を亡くされたお父さんお母さんも80代のかたが目立ちます。 登山口に用意された杖にすがるように、息も絶え絶えに登られます。 愛おしそうに小さなお地蔵さんの頬を両手で包んだ80代の女性は「もうこれで最後かもしれないね」と語りかけました。 「昇魂之碑」周辺にたどり着けば、小さな広場が整備されています。 午前10時半、ご遺族のみなさんはここで「安全の鐘」を鳴らし、子どもたちが空に向けてシャボン玉を飛ばしました。 「風々吹くな、シャボン玉飛ばそ」とても穏やかな光景です。 でも、この歌詞は悲しすぎます。 娘さんを亡くされた81歳のお母さんが思い出すのは、ここが臨時のヘリポートであった時の光景です。 ここは機体の機首部分が激突た跡地です。 お母さんはここから南東の方向に目をやりました。 遥か向かいの山の稜線が一部だけ凹んでいるのがわかります。 真横になって突っ込んできたジャンボの、右の主翼が削り取ったあとです。 乗務員は最後まで、垂直尾翼を失った機体を立て直そうとしていました。 当時正確な墜落時間が判明するまでに16時間。 お母さんは「娘には外傷がほとんど見られませんでした。 ですから早く救出されていれば助かったかもしれないと思ってしまいます」と打ち明けました。 今、ここにいないのと同じだけの確かさで、娘さんはあの日「行ってきます」と出て行ったのです。 ~~~ 尾根の登山道等を管理し続けている黒沢完一さん(72歳)は遺族の高齢化とともに追悼施設を訪れる人が減ってきたと教えてくださいました。 あの時、捜索や救出に村を挙げて協力した上野村の人口も半分ほどになったといいます。 ただ、その一方で祈りを捧げる人たちの中には、日航機事故だけでなく、鉄道やバスの事故、震災で命を失った人たちの遺族の姿も見られるようになりました。 ~~~ 日航機事故の遺族会(8. 12連絡会)の皆さんは、これまでの30年間、ただ打ちひしがれるだけではなく自ら調査研究活動も行い、公共輸送事業者に対して抜本的な安全対策を要求してきました。 そうした姿勢に共鳴して、ほかの事件事故の遺族同士の交流も深まっているのです。 この日も東日本大震災の津波で息子さんを亡くされた紫桃隆洋さんにお会いしました。 「命の大切さを語り継ぎ、声を上げ続けることが、公共交通や学校の安全意識を変えると思います」と話しました。 9歳だった健君を亡くした8. 12連絡会の美谷島邦子さんは言います。 「失われた命を生かしたいのです」 ~~~ この事故では事故の関係者20人が書類送検されるも全員が不起訴になり、責任の所在は曖昧なままとなりました。 私がかつて群馬県警の担当記者だったころ、膨大な資料を広げ「後世に残る捜査をしようと思った」と話してくださった当時の担当警察官も亡くなりました。 ~~~ 慰霊碑に献花した日本航空の植木社長の囲み取材で、日航の広報担当者が「もう質問はありませんね」と切り上げようとした時、最後に質問をぶつけてみました。 「社長はあの日のことをどのように覚えているのですか?」 一瞬、不意を突かれたような表情になった社長は遠い目をして答えました。 「事故の翌日、私は副機長としてフライトしなければなりませんでした。 事故のショックで操縦席に座ってからも動揺を隠せず足が震えました。 しかし、隣に座る機長を見ると、いつもと変わらず凛とした表情で乗務していました。 その時、どんな状況でも安全を守り抜く機長になろうと決意しました」 ~~~ 日航内でも社員の9割以上が事故後の入社です。 新入社員に至っては生まれる前の事故になりました。 安全への誓いを若い世代にどう伝えるのか、その重要性が益々高まっています。 久々の更新になってしまいました。 こんにちワ、ウラ・のりかずです。 猛暑日は終わった感はありますが まだまだ残暑が、、、 ちょっと涼しいネタ(?)を えー、先日ですが鳥取と島根の合区の取材......... ではなく、母方の実家のある鳥取県米子市へ ちょっと行ってきました。 仕事が終わって、20時過ぎの羽田発米子行の飛行機に乗り 米子鬼太郎空港に到着したのが21時半前。 空港の前から米子駅行きのバスも出てるのですが 『JR境線は鬼太郎列車が走ってる』と言うのがキニナル! よし、電車移動にしてみよう!! で、米子空港駅へ く、暗い... 、飛行機の乗客でこの駅に来たのは私だけ、、、 どうやら乗客みなさんバスかタクシー等で移動された模様。 単線の無人駅で、一人は心細かったです。。。 電車を待つコト20分強 あ、来た! 暗闇から、こいつは... わ゛ーーーーーっ!!! め、目玉おやじ仕様!!!!! 暗闇で見るとちょっと怖いです! で、乗車したら。。。。。。。 一応、乗客は数名居たのですが、関東で平日の22時前に 電車がガラガラってコトは無いですし、初めて乗ったので このシートは更にビビりました(笑)。 ちなみに天井も... 写真を撮り忘れたのですが、到着した米子駅 『0番ホーム』というホームでした! アナウンスに鬼太郎やねこ娘の声があったりと 乗っててちょっと面白いとも感じました。 私が乗車したのは"目玉おやじ"仕様でしたが 他にも何種類かあるそうです。 夏休みに米子鬼太郎空港へ行く!とか ちょっとキニナル!と言うリスナーさん!! 米子に行くとき、乗ってみてはどうでしょう? フリースクールに通っていても義務教育と見なせるか。 不登校になった子どもたちの学習指導や教育相談を行っている民間の施設「フリースクール」。 不登校の小中学生は12万人近くに上っており、このうち約4000人が全国に約400あるとみられるフリースクールに通っています。 ~~~ ところが、こうしたフリースクール。 「スクール」と名前についてはいますが。 法的には「学校」とは認められていないのです。 本来だったら義務教育を受けるべき小中学生が通っているのに法的には「学校」と認められていない・・・。 このために公的な経済支援が受けられなかったり「元の学校長が認可しなければ義務教育を卒業した資格が得られない」状況にあります。 ~~~ こうした問題を解消するため、今、自民・公明・民主・維新・共産・社民の国会議員で作る「超党派フリースクール等議員連盟」が新しい法律「多様な教育機会確保法案」を提出しようとしています。 (画像参照) 子どもが不登校になった場合、保護者が「個別学習計画」を作成して市町村の教育委員会に申請します。 そこでもし認定されれば、子どもは教育委員会の職員などから学習面の支援を受けながらフリースクールなどで教育を受けることができます。 これによって保護者は義務教育の就学義務を果たしたと見なすというものです。 ~~~ ところが。 歓迎する声がある一方で、フリースクールの創設者の一人はこの法律の仕組みに疑問を呈します。 問題なのは、親が提出した子供の教育計画をもとに「教育委員会がそれを認める」ことが条件になっている点です。 不登校になった子は、学校にいけなくなっている期間がある程度長いために「ごく基本的な掛け算」なども、できなくなっているケースが少なくありません。 その場合、たとえば学習指導要領などをもとに一律の合格基準をつくってしまうと基準をクリアできない子供が出る懸念があるというのです。 そして「この法案は、教育委員会などが、今まで自分たちの目や手の届かないところにあったフリースクールを自分たちが影響できる枠内に取り込もうとしているに過ぎない」と主張します。 実は、こうした考え方は、フリースクールの関係者の間でよく聞かれました。 こうした懸念に対し、法案作成チームの馳浩議員は「フリースクール関係者」を含む専門家が参加して子供ひとりひとりの状況に合わせて判断をするため「上が決めた一律の基準で切り捨てる」という懸念は誤解だと言います。 ~~~ また、フリースクールの関係者からは公的な経済支援をどのように行うのかについても懸念が出ています。 「大手教育産業などの参入が加速化するやりかただと、親などが協力してやってきたフリースクールが淘汰されたり、進学率を競うようになって、本来の目的からかけ離れたものになる恐れがある」というものです。 このため子供一人一人に金券を配り、自分にあった学校にそれを支払って通学する「バウチャー制度」が検討されています。 ~~~ フリースクールはその名の通り、子どもが無理せず、自由に学べる場だからこそ学校に通えない子供の受け皿になってきました。 フリースクールがフリースクールである理由を失わないような制度設計が必要だと思います。 警視総監が交代 警視庁のトップ、警視総監。 きょう付で第92代警視総監に高橋清孝(たかはし・きよたか)氏が就任、 高綱直良(たかつな・なおよし)前総監から事務引き継ぎを受けました。 高橋・新総監は、これまで警視庁の警備部長や警察庁の警備局長を歴任。 北海道警本部長の時には、洞爺湖サミットの警備を指揮するなど 警備・危機管理のスペシャリストと言われています。 座右の銘は、「強くなければ生きていけない、優しくなければ生きる資格がない」。 就任会見で高橋・新総監は、「強さと優しさを兼ね備えた警視庁を体現し、 期待と信頼に応えたい」と抱負を述べました。 今後は、来年の伊勢志摩サミットと、開幕まで5年を切った 東京オリンピック・パラリンピックの警備体制づくりにも 取り組むことになります。 八王子スーパーの現場模型を公開 東京・八王子市にあったスーパー「ナンペイ大和田店」で アルバイトの女子高校生2人とパート従業員の女性が射殺された強盗殺人事件。 今月30日で発生から20年となるのを前に、警視庁はきょう、 現場となったスーパーを3Dプリンターで再現した模型を公開しました。 スーパーは1階部分。 2階に現場となった事務所がありましたが、 2階には外階段を使わないと行けない構造になっていました。 つまり、レジを閉めた後は、外階段を通って売上金を事務所まで運んでいたとのことです。 建物全体の3D模型は、実寸の70分の1、事務所は28分の1。 科捜研が、現場の写真を元に数値化し、石こう粉末に接着剤を混ぜたものを 吹き付けて作製したとのことです。 事務所内の時計は事件が起きたとみられる午後9時20分頃を示しているほか、 斜めに傾いた冷蔵庫など、事件直後の現場の状況が詳細に再現されています。 スーパーはすでに取り壊されて駐車場になっていることから、 捜査員や関係者の「記憶を喚起させ、情報を寄せて欲しい」とのことです。 情報提供は、警視庁八王子署捜査本部、直通電話 042(646)4240まで。 いよいよ「夏企画」がスタート! いやー、関東甲信地方が梅雨明けしましたねぇ。 毎日ものっすごく暑いですが、お身体、大丈夫ですか? こまめに水分を摂って、熱中症にならないようにお互い気を付けていきませう~! やってきた夏! 夏といえば、毎年恒例、「ニュースパレード夏企画!」!! いよいよ22日(水)からスタートします! 全国32局が、テーマに沿ったレポートをお送りします。 今年のテーマは、「戦後70年~戦争を風化させないために」 ただ今、各局さんから続々とレポートが届いています。 私も取材する予定、さてさてどんな話題を取り上げましょう・・・。 様々な角度から捉えた"戦後70年"、是非お耳になさって下さい! 詳しくは ほーてーがっ! やー。 昨日くにまるジャパンに記者として初めてお邪魔しました。 何とも不思議な気分でしたなぁ・・・懐かしいスタジオ。 くにまるレポーターズでお話した話題は「法廷画」。 裁判の模様や被告人の表情などを教えてくれる絵のことです。 私が初めて裁判のレポートを担当した時に隣の傍聴席に座っていたのが、法廷画家さん。 その手際の良さと絵の見事さに釘づけになりそうだったんですよ。 てことで、その法廷画家さんにお話を伺いました。 伺ったのは、フジテレビのニュースで法廷画を担当されている、石井克昌さん。 法廷画家歴25年目というベテランさんです。 法廷画を描くために法廷内にいる時間は、長くて15分。 速報に至っては1分で描くのだそう。 アウトラインだけなら何と15秒で描けるそうです!ひえ~っ! 被告人だけが放っている雰囲気を、いかに絵で伝えられるかを考えて描いていらっしゃるそうです。 顔が薄い人は描きにくく、女性より男性のほうが描きやすいとのこと。 職業で描きやすいのは、送検後も変化する人が殆どいないという、政治家だそうです。 警視庁によりますと、今江容疑者が去年夏、昆虫愛好家の集まりで テナガコガネを購入して繁殖、増えたものをインターネットオークションに出品し、 神鳥容疑者が落札したということです。 テナガコガネは中国やチベットなどに分布する昆虫ですが、 日本では天然記念物の在来種「ヤンバルテナガコガネ」を保護するため 2006年2月に特定外来生物に指定されました。 今江容疑者は、自宅近くの住宅にテナガコガネや昆虫の標本などを大量に保管、 将来は昆虫館を開くつもりだったと供述しているということです。 なお、テナガコガネをめぐる立件は、全国初ということです。 飲酒運転させないTOKYOキャンペーン 今月はすでに暑気払いの予定が入っているという方、 いらっしゃいませんか? 飲酒の機会が増えるシーズンを前に、警視庁や東京都などが 「飲酒運転させないTOKYOキャンペーン」を実施しています。 キャンペーン初日のきのう、東京・江東区の「ららぽーと豊洲」で 啓発イベントが行われました。 キャンペーン隊長に任命されたのは、元ミス鹿児島で 元極真空手全日本選手権チャンピオンでもある、歌手の前田瑠美さん。 空手着姿で登場した前田さんは、飲酒運転の根絶を呼びかけ、 瓦割りや空手の演武を披露しました。 余談ですが・・・ 写真のピーポくん、いつもより身長が高かったような。 通常はもう少し、小柄だった気が・・・。 あ、ピーポくんは「1人」しかいないから、 「いつもより」とか「通常」などという表現は適してませんねー! 「飲酒運転させないTOKYOキャンペーン」は、今月7日までです。 ゆう活。 きょう 7月1日)から2か月間の日程で始まった、霞ヶ関での「ゆう活」を取材しました。 国家公務員の勤務時間を最大で2時間早めて、夕方をプライベートで活用することをめざします。 霞ヶ関では、大臣など幹部が「はやく帰んなさい」と省内の見回りをしました。 政府が推奨する「ゆう活」は朝方勤務にすることで夕方のプライベートの充実を目指すもので、 今回の対象は22万人。 早朝、地下鉄が混んでいたのはこれなのか? ~~~ 内閣府のオフィスに行くと、各自のパソコンに「〇〇時に退社します」と書かれたPOPが貼ってありました。 ・・・そういう「宣言」をしなくても帰れる職場の空気を作らないとね。 ~~~ さて、夕方の時間の使い方については「英会話の勉強」や「スポーツの練習」などが想定されていて、仕事のスキルアップにもつなげてほしいとか。 でも、実際に職員に聴いてみると「子どもと一緒にご飯が食べられるのがうれしい」という声が多かったです。 普段は、子供の寝顔しか見られないからとか。 なるほど。 ただ、ある女性職員はこう打ち明けてくれました。 『「国会に当たると」残業せざるを得ないんです。 子供たちが、残念がるんです』 ~~~ 霞が関では国会質疑で使う大臣らの答弁書を未明まで作成することも少なくないのです。 このため去年4月、自民党の国対と各委員会の委員長が「質問通告(事前に何を聞くか伝えること)の期限は委員会の前々日の18時まで」と申し合わせました。 これには女性職員を支援する意図がありました。 ~~~ ところが今も前日まで答弁作成作業が続くことがあります。 委員会によっては、与野党がアレコレもめちゃって日程が前日に決まりーの、だから質問者も急に決まりーの、指名された議員も急に質問を用意しなくてはいけねーので、大臣側の答弁もそのあとでないと作れない。 いつになっても帰れない。 麻生財務大臣も昨夜の会見で、この現状について「なんとかするべきだ」と嘆いていました。 「まあ記者らも夜遅くまで追いかけてきて残業してるがな」と皮肉られましたけど。 ~~~ 夜に開かれた、とある記者会見で、隣に座った知らない女性記者のパソコンに、 何か小さな紙が貼ってありました。 「なんて書いてあるんだこれ?」と思って横目で見ると(イヤラシイ) 「ママがんばってね」 ・・・ママ、かんばってたわ、マジで。 クロマグロ77!(ブラジル'66風) ブラジル'66風に"クロマグロ77"って??? ん??? って感じですよね(^^;)。 3月のこのブログで書かせて頂きました、葛西臨海水族園のクロマグロ。 ラス1になっておりました・・・。 水槽の環境に何か問題があるのかも、と、サメやタカサゴを入れて調べていたのですが、昨日、新たにクロマグロ77匹が入れられました。 (ちなみに、from高知だそうです) 今日から水槽を泳ぐクロマグロの群れを見ることができますっ! ただ・・・・水槽を見ると驚くことが・・・・・百聞は一見にしかず。 はいどーん! こ・・・格子!な黄色いテープがガラス全面にっ!!! これ、実は・・・・マグロに「ここにガラスがありますよー!衝突注意ですよー!」と知らせるためのテープなんだそうです。 輸送用の車や船では使われている方法なのですが、水族館の展示水槽で行われるのは異例のことだそう。 それだけマグロのことを心配しての措置、なんですね・・・・。 マグロたちが水槽に慣れてきたら、このテープは剥がされるそうです。 生き残っていた1匹と、新たに加わった77匹の群れ。 動きが一緒ではないんですよ。 1匹だけ、逆に泳いだりしているんです。 ・・・・・仲、悪いのかな・・・・ と思って尋ねてみましたら、そうではないそう。 なんと、マグロは同じ大きさ同士が群れるんですって! 今まで水槽にいたマグロは、4歳。 140センチ。 新たにやってきたマグロは、1歳。 90センチ。 なので、群れに加わっていないんですって! ですから今後、77匹が大きくなって、同じくらいのサイズになったら、一緒に泳ぐかもしれないそうです。 面白いですねー! そして個人的な感想として・・・・「まだまだ、マグロ入れられるよな・・・・」 と思ったら!これは、わざとでした! 水槽で安定的にマグロを飼育するには、同い年のマグロばかりでは良くない、ということで、年齢をずらして加えていくんですって! ですから、今まで通りの大きなマグロが沢山泳いでいる水槽に完全復活するのは、1~2年後になりそうとのことでした。 その時を楽しみに待ちましょう~! 最初にお話しした、環境調査のために入れていたサメとタカサゴは、徐々に水槽から取り出されています。 一方のアメリカ。 週明けにジェブ・ブッシュ元フロリダ州知事が大統領選出馬をアナウンスすれば、潮目はどう変わるだろう??? 専門家お2人を取材してきた。 写真は東京財団上席研究員の渡部恒雄さん。 民主党の重鎮だった渡部恒三の長男。 東北大歯学部卒でアメリカ政治や安保を専門にするユニークな経歴。 20年近くお世話になっている方。 こちらは元アメリカ議会予算委スタッフで元民主党衆院議員の中林美恵子さん。 今は早稲田大の准教授。 96年のクリントンVSドールのときから、ワシントンDCに住んでいた中林さんには世話になりっぱなし。 アメリカ政治に精通したお2人が、ジェブやヒラリーの強みと弱みをどう語るか、近々、「ニュースパレード」等で放送しますよー。 (説得力、抜群!) 解説はアタシ。 2000年の上院選ではヒラリー陣営の下っ端スタッフ。 92、96、00... と3回、大統領選を見てきたし、「三度のメシよりヒラリーが好き」という男だからねー。 (しかし、この写真、説得力ねえなー) コインロッカー内死体遺棄事件で似顔絵公開 JR東京駅のコインロッカーに入れられたスーツケースから 先月31日、女性の遺体が見つかった事件。 警視庁は女性の似顔絵3枚を作成し、きょう公開しました。 丸の内署によりますと、死後、数ヶ月が経っているとみられることから 幅広く情報提供を呼びかけるため、3人の捜査員がそれぞれ 似顔絵を描いたということです。 (警視庁提供) 女性は70歳~80歳くらいで、身長は140cmほど。 ボタン付きの白っぽいカーディガンのようなものを着ていて、 額には5mmほどの腫瘍があるということです。 遺棄されたのは4月26日頃とみられ、保管期限が切れた先月31日に 管理会社の職員がスーツケースを開けたところ、中から遺体が見つかったものです。 情報提供は、丸の内警察署・捜査本部 03-3215-0577(直)まで。 愛川さんは文化放送では断続的に足掛け10年以上「生放送」のパーソナリティを つとめ、最後の番組は2008年に終了した 「キンキンのサンデーラジオ」~日曜13:00~16:00の生放送だった。 その前身の「キンキンのサタデーラジオ」から数えると2年4カ月、迅英は キンキンにとてもかわいがってもらった。 「偲ぶ会」友人代表で弔辞を読んだ大橋巨泉さんは 『僕はキンキンのファンだった。 友達にして最高の男だった』と述べ、さらに同じ昭和9年生まれの仲間に向かって 『まだまだそっち 天国 にはいかない。 ~中略 何故なら 戦争がどんなにひどいものかってことを知らない人たちが、新しく、法律、無理やり作って日本を戦争できる国にしようとしている今、とにかくもうひと踏ん張り、ふた踏ん張り頑張って、君の分まで戦ってみたいと思っています。 だから安心して、安らかに、眠ってください』 と結んだ。 遺影のキンキンが嬉しそうに笑っていた。 あなたもターゲットになるかも。 年金加入者の個人情報、約125万件が流出した問題。 日本年金機構の水島理事長は議員からの追求に、 「さらに被害件数が多くなる可能性」を認めました。 職員が「メールに添付されたファイルを不用意に開いてしまったこと」に 批判の声があがっていますが(確かにそうなんだけど) 「標的型メール」というのは実に巧妙。 その会社が入っている保険組合からのメールを装ったり ターゲットになった人の仕事に関わる催しの案内だったり・・・。 今回も「厚生年金基金制度」に関わるメールをよそおっていたとか。 最近やりとりがなかったところから突然メールが届いたとか なぜかフリーメールで送られてきたりとか、 そういう場合は疑ってかかったほうがよいようです。 もちろん大事な情報にはパスワードをつけて管理することをお忘れなく。 「オレなら騙されないぞ!」ではなく 「オイラも騙されるかもしれない」・・・と思っていたほうがよいかも。 さて、今回の問題。 日本年金機構は個別に電話やメールをすることはないとしています。 詐欺にひっかからないよう、ご自身で気を付けるだけではなく ご家族にもお伝えしましょう。 怪しいなと感じたら「日本年金機構、相談専用電話窓口」0120-818211まで。 男は、去年9月に香港から覚せい剤が密輸された事件の捜査で浮上したのですが、 その際に密輸された液状の覚せい剤は、およそ8キロ。 粉末に合成すると、末端価格でおよそ7億円に上るということです。 (画像:警視庁提供) 国際スピード郵便で成田空港に空輸された荷物は「ラー油」の瓶で、 中に入っていたのは赤く着色された覚せい剤でした。 男は覚せい剤密造グループの一員とみられ、自宅からは 薬品や覚せい剤の製造機器、製造マニュアルなどが押収されました。 警視庁は今後、ラー油を装った覚せい剤密輸事件についても関連を追及する方針です。 箱根・大涌谷の噴火警戒レベルが2に。 神奈川県の箱根山。 大涌谷周辺に影響を及ぼすような小規模な噴火が起きる可能性があるとして 気象庁は6日、噴火警戒レベルを1から2(火口周辺規制)に引き上げました。 箱根町は大涌谷の半径300メートル以内に避難指示を出し、箱根ロープウェイは運休に。 その朝は別の取材に行く予定だったのですが、急遽、大涌谷に向かうことになりました。 ~~~ 小田原から箱根登山鉄道に乗り換えたのですが、緊迫感は無く、登山客や観光客が座席を埋めており、仕事モードの自分が浮いている感じ。 ただ「警戒レベルの引き上げによって、ロープウェイが運休になりました」という車内アナウンスは頻繁に流れていました。 ~~~ 途中、強羅の駅で改札を出ると、土産物屋さんのおばさんとお兄さんが何やら不機嫌そうに立ち話。 話を伺いに行くと・・・「あんたたち、ちゃんと報道してよ!箱根全部が危険みたいに受け取られて、いつものGWなら店の前に行列ができるのに、今年はさっぱりよ」 箱根湯本や強羅、芦ノ湖などの観光施設は通常営業しているのですが、警戒レベルの引き上げによって客足が遠のいています。 7日には町と観光組合が今後の対策を話し合いました。 ~~~ 運休が決まった箱根ロープウェイの発着駅に着くと、日本人の観光客の姿はまばらだったのですが、外国人のグループが途方に暮れているのが目につきました。 言葉の壁があるためですが、災害に関する情報が伝わっていなかったことは今後の課題だなと思いました。 ~~~ 大涌谷に続く国道は手前1キロの三叉路で通行止めになっています。 「できれば、大涌谷の今の様子を伝えたい」そう思っていたところ、お客さんがこなくなって手持ち無沙汰になったタクシー運転手さんと意気投合。 「実は大涌谷が遠くから見られるポイントが二か所ある」ことを教えてくださいました。 ~~~ 中継車と合流してその場所に行ってみますと、2.7キロほど離れた山の中腹から白い湯気が吹き上がってるのが見えました。 地元のかたがたは、「いつもに比べて特別に水蒸気が多いようには思えない」とおっしゃっていましたが、中には「地面がズンッと跳ね上がるような、いつもの地震とは違う揺れを感じた」というかたもいらっしやいました。 ~~~ これを書いている7日も火山性地震が観測されていて、一連の活動による地震の回数は体に感じない地震を含めて1000回を超えています。 大きな被害が出ない事、また、地元経済への影響が少ないことを願いますが、同時に、万一噴火警報が発令されるような事態になったり避難指示範囲が広がったりした場合には、躊躇せずに安全確保をしていただきたいと思います。 (注:画像中央付近で白い湯気があがっている場所が大涌谷です。 望遠撮影ではないため湯気は小さく見えますが、その右側にある建物(名物の黒たまごなどを製造する売店など)と比較すると規模がわかるかと思います。 画像をクリックすると拡大できます) ゴジラと言えば宝田明 六本木のミッドタウンの中庭広場に入り口付近にリアルなゴジラのモニュメントが出現した。 映画「ゴジラ」の第1作の主演男優が宝田明さんです。 去年の12月、NHKのトーク番組で宝田さんは女性アナウンサーから 「戦争を全く経験していない世代に伝えたいことは」と問われ、 「国家の運命というのは、たかが一握りの人間の手によってもてあそばれている 運命にあるんですよ。 だから間違った選択をしないよう、国民は選挙を通じて... 」 と話はじめたところ男性アナウンサーが突然、 「その辺は各自、思うところがあるでしょうから... 」と、制止するかのように割って入った。 『今の時代は戦前の空気に似ているといわれる。 そのころの空気を知っている 80代の映画人が世代の責任を負って語りはじめた。 中略 菅原文太は生前に「戦前もみんな"平和の為"と言っていろんなことがはじまった」 と話していた。 香川京子は「国民の命を守ると言うのは簡単」と当時と今をダブらせる。 中略 かつての治安維持法、国家総動員法、満州国建設、南部仏印進駐も "日本を守るため"だった』 示唆に富んだ意見だと思う。 地平アイこさん。 会ってきました。 地平アイこさんに。 「本日はご来店まことにありがとうございます」と言ってくれました。 地平アイこさんは東芝が開発した人型ロボット。 「 地球の 平和」「 アイデア」「 コミュニケーション」から名づけられたそう。 日本橋三越本店で、2日間限定で受付スタッフとしてフロアやイベントの情報をお客さんに伝えるお手伝いをしたんですよ。 まばたきや首をビミョーに動かす感じがまー、人間っぽい! 顔や両腕など、なんと43カ所も動くんですって!ひゃ~! そんな地平アイこさん。

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