まちぶせ カバー。 石川ひとみ

『まちぶせ』 三木聖子と石川ひとみ

まちぶせ カバー

のデビュー・シングルとしてに発売された。 」と語っているが、彼自身は元々ユーミンの歌謡曲らしくない作風が好みだったので、この歌謡曲風な「まちぶせ」が気に入らず、「メロディに大分抵抗してアレンジしたような気がします。 いろいろ被せてしまえ、みたいな(笑)」とアレンジを振り返っている。 一方、詞に関しては「の歌ですよね(笑)。 メロディはともかく、詞は彼女でなければ書けない世界」と高く評価もしている。 収録曲 [ ]• Side A: まちぶせ 作詞・作曲:荒井由実、編曲:松任谷正隆 の映画『』(監督:)では、原作であるの小説での「」()と差し替えられる形で使用されている。 Side B: 少しだけ片想い 作詞・作曲:荒井由実、編曲: こちらはで、原曲は荒井由実のアルバム『』に収録されている。 参加ミュージシャン [ ]• ドラム:• ベース:• エレキギター:• アコースティックギター:• キーボード:• パーカッション:• コーラス:シンガーズ・スリー,ザ・ムギフミ 石川ひとみのシングル [ ] 「 まちぶせ」 の 初出アルバム『』 懐かしきリフレイン リリース 時間 3分36秒 (作詞・作曲) チャート最高順位• 週間6位()• 1981年度年間33位(オリコン)• 1981年度年間10位(ザ・トップテン)• 1981年度年間21位(ザ・ベストテン)• 3位()• 2位() シングル 年表 (1981年) まちぶせ (1981年) (1981年) 収録アルバム 『 』 セシルの部屋 1 まちぶせ 2 ためらい 3 石川ひとみによる「 まちぶせ」は、に11枚目のシングルとして発売された。 また、同年10月に発売された次作のシングル「」も三木聖子のカバーである。 で石川のシングルでは唯一10位以内にランクし(最高6位 ・同年年間ランキング33位)、また『』でもランクインした(最高3位・9週連続ベストテン入り、ザ・ベストテン同年年間ランキング21位)。 さらに同年暮れの『』にもこの曲で初出場を果たした。 収録曲 [ ]• まちぶせ(3分36秒) 作詞・作曲:荒井由実/編曲:松任谷正隆• 懐かしきリフレイン(3分32秒) 作詞:/作曲:/編曲: 「まちぶせ」までの石川ひとみ [ ] NHK人形劇『』の主役としての活躍やバラエティー系テレビ番組出演はあったものの、のデビュー以来、歌手としての石川ひとみは鳴かず飛ばずであった。 「まちぶせ」までに10枚のシングルを発売しているが、での最高位は2枚目「」の42位であり、うち3枚は100位以内へのランキング入りすらしなかった。 そのため本人も、今後について考え悩んでいたという。 三木聖子のカバーのこの歌をシングルとして歌うことになったときには、「この歌だったら、これが私の歌手生活のピリオドになっても悔いはないな」と思ったという。 18歳で上京しデビューしたとき「最低4年は頑張ろう」と考えたその4年目、またちょうど10枚目のシングルでもあり 、「この曲で歌手としては一区切りつけるつもりだった」という。 シングル制作の経緯 [ ] ディレクターのは、前作「」でのノスタルジックなサウンドの完成度に自信を持ち、次のシングルとして同じ路線上にある「懐かしきリフレイン」を制作した。 ところが、綿密なディレクションにもかかわらず、完成したトラックはシングル曲としてのインパクトが弱く感じられ、採用を躊躇してしまう(結局「まちぶせ」のB面に収録される)。 打開策を模索すべく、過去にから発売されたアイドルのシングルを研究する中で、石川と同じ事務所に所属していた三木のシングル曲「まちぶせ」のカバーを発案した。 デビュー前にに在籍中、講師から本曲を課題曲として与えられ毎日歌っていたという 石川は、仮歌を録音時に「この歌大好きだったんですよー、これシングルになりませんかねぇ」と発言し、いつになく積極的な石川の発言に自信を深めた長岡は、シングル発売を本格的に進めた。 過去に小ヒットに終わった楽曲のカバーについて、社内の制作会議など周囲から多くの反対意見を受けたものの、各方面への度重なる説得を経て、発売にこぎつけた。 三木の時と同じくアレンジは松任谷正隆が担当し、「前回と同じようにやりたい」とのディレクターの要望から、同様のアレンジが組まれた。 歌入れ時の様子を石川は、「詞の内容が自分の経験そのままで思い入れは強かったです。 録音中もなんか違うんですよ、背中のあたりが。 その感覚は後にも先にもこのときだけでしたね」と後に語っている。 チャート成績 [ ] ランキングが上がり出したのは、発売後2ヶ月以上経ってからのことだった。 じわじわとランキングが上昇し、8月3日付けでようやくトップテン入り(9位)を果たす。 その間、7月21日には本曲をタイトル曲としたアルバム『』が発売され、石川のオリジナル・アルバムでは最大のセールスを記録している。 シングルはその後、最高位6位を記録し、11月過ぎまでランクインが続いており、3-4ヶ月おきにシングルカットする当時のアイドルの曲としては異例のロングヒットとなった。 の歌番組『』に本曲が初登場したのは、シングル発売から3ヶ月後の7月16日放送「今週のスポットライト」(22位)であった。 その後8月6日にベストテン入りし、8月27日と9月10日に最高位3位を記録した。 ベストテン入り合計9週、1981年年間ランキング21位であった。 本曲のヒットにより、石川ひとみは歌手としても有名になり、『』出場も果たす。 そのときの石川は豪華なドレスで「まちぶせ」を歌いながら、感動の涙が止まらない様子であり、歌い終わると駆け寄ってきた先輩歌手たちに肩を抱かれていた。 荒井由実のセルフカバー・シングル [ ] 「 まちぶせ」 の 初出アルバム『』 リリース 時間 7分2秒 チャート最高順位• 週間5位() シングル 年表 () まちぶせ (1996年) (1996年) ミュージックビデオ - 収録アルバム 『 』 Called Game 9 まちぶせ 10 松任谷由実が再び荒井由実名義で発表した28枚目のシングルで、にからリリースされた(TODT-3810)。 三木、石川の時と同じく松任谷正隆がアレンジを担当したが、前2作とは異なり、風のアレンジになっている。 28枚目のオリジナルアルバム『』に、album versionを収録している。 元々東芝EMIの若年スタッフがダメ元で企画した「荒井由実コンサート」(1996年8月13日 - 15日)の一環として発表された。 シングル発売の旨は「KATHMANDU PILGRIM」ツアーの最終日(1996年6月23日)に突然発表された。 本人曰く「あれは今までの活動サイクルを変える折り返しだった」。 1996年に系で放送された番組『』のエンディングテーマに使用された。 の登場週数は12週、チャート最高順位は週間5位、累計37. 2万枚のセールスを記録した。 収録曲 [ ]• まちぶせ Single Version. まちぶせ(オリジナル・カラオケ) 作詞・作曲:荒井由実 編曲:松任谷正隆 参加ミュージシャン [ ]• エレクトリック・ギター:松原正樹• コーラス:松任谷由実 その他のカバー [ ]• まちぶせ• - 1996年、シングル「」に収録• - 2003年、アルバム『KAYOMANIA』に収録(フランス語)• - 2005年、アルバム『インスピ・復刻盤2』に収録• - 2006年、アルバム『名曲集』に収録• - 2007年、カバーアルバム『』に収録• - 2009年、アルバム『the covers of my color』に収録• - 2009年、アルバム『』に収録• - 2012年、アルバム『アイドルKAY』に収録• - 2012年、シングル『Zero-Shaft Princess Vocal Collection 03』に収録• - 2014年、アルバム『Lady 〜Tiara Love Song Covers〜』に収録• - 2014年、シングル『あの頃のヒットソングを アイドルが歌ってみたら みんな元気になった! 』に収録• - 2015年、アルバム『宇野美香子? 昭和ポップスを歌う』に収録• - 2016年、カバーアルバム『』に収録• 脚注 [ ]• 「あの人はいま '70年代アイドル篇」『』2011年8月20・27日合併号、 188頁。 朝日新聞 be on Saturday: p. 2017年10月21日• 別冊宝島2611『80年代アイドルcollection』p. Smart FLASH 光文社 2016年9月23日• 「名曲お宝音楽祭」 2019年4月6日放送• 外部リンク [ ]• 松任谷由実オフィシャルサイトによる紹介ページ•

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三木聖子と石川ひとみの「まちぶせ」~2人の歌手の違い~

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三木聖子と石川ひとみの「まちぶせ」~2人の歌手の違い~ 「まちぶせ」という曲が紹介される時、石川ひとみさんと三木聖子さんという二人の歌手についても語られることが多いと思います。 作詞作曲は荒井由実(松任谷由実)さん、編曲はどちらも松任谷正隆さんで、違いはあれど、曲の雰囲気に大きな違いはありません。 三木聖子さんの「まちぶせ」はオリコン最高47位、石川ひとみさんの「まちぶせ」はオリコン最高6位で、TBSのザ・ベストテンは最高3位にランクインしました。 石川ひとみと三木聖子について 石川ひとみさんと三木聖子さんは3歳違いで、三木聖子さんの方が年長者。 三木聖子さんは女優としてデビュー、石川ひとみさんは歌手としてデビューしています。 三木聖子さんの「まちぶせ」はデビュー曲、石川ひとみさんの「まちぶせ」は11枚目のシングルです。 石川ひとみさんは「まちぶせ」がヒットするまで、2枚目のシングル「くりみ割り人形」のオリコン最高42位という順位が自身の売り上げ記録でした。 石川ひとみさんは当時、子どもに人気だったNHKの人形劇「プリンプリン物語」で主役のプリンプリンの声を担当し、認知度は高かったと思いますが、なかなかヒット曲が出ず、「まちぶせ」のリリースを最後に引退する予定だったそうです。 石川ひとみと三木聖子の歌い方の違い 三木聖子さんの「まちぶせ」は、デビュー曲であるということ、「まちぶせ」の歌詞は、三木聖子さんの実体験をモチーフに荒井由実さんが書いたということもあって、三木聖子さんは「まちぶせ」を歌うに当たって相当気合が入っていたと思います。 サビの「胸の奥でずっと…」の「お」と「く」の間ぐらいで声がひっくり返るような部分がありますが、他のシングルやアルバム曲を聴いてもこういった部分は全く出てこないため、これは三木聖子さんの歌い方のクセというより、やはり強い思い入れや気持ちの表れだと思います。 石川ひとみさんの「まちぶせ」は、この曲が最後の曲なら悔いはないと思いで歌っただけあって、歌手としてのキャリアの集大成のような渾身の歌声で歌われています。 天性の高い歌唱力と相まって、まるでミュージカルの劇中歌のような起伏のある感情表現が印象的で、最後のサビの「胸の奥でずっと」の「と」の終わりの部分の声のかすれ感じに背中がゾクゾクっとした方も多かったのではないでしょうか? 二人の「まちぶせ」が発表された年のヒット曲 三木聖子さんの「まちぶせ」は1976年6月25日、石川ひとみさんの「まちぶせ」は1981年4月21日にリリースされました。 当時ヒットしていた曲を何曲か挙げてみます。 三木聖子の「まちぶせ」が発表された当時のヒット曲• およげ!たいやきくん(歌手:子門真人)• 木綿のハンカチーフ(歌手:太田裕美)• 横須賀ストーリー(歌手:山口百恵)• なごり雪(歌手:イルカ)• 山口くん家のツトム君(歌手:斉藤こず恵) 石川ひとみの「まちぶせ」が発表された当時のヒット曲• 長い夜(歌手:松山千春)• ブルージーンズ・メモリー(歌手:近藤真彦)• 白いパラソル(歌手:松田聖子)• もしもピアノが弾けたなら(歌手:西田敏行)• ハイスクール・ララバイ(歌手:イモ欽トリオ) 「まちぶせ」を求めた時代 「まちぶせ」に限らず楽曲がヒットするには、曲のクオリティーがとか、歌が上手い下手とかというよりも、時代が欲しているタイミングでリリースされることが重要だと思います。 「まちぶせ」は、そのメロディーと歌詞から、いかにも歌謡曲という作風。 三木聖子さんが「まちぶせ」を歌った1976年は、「まちぶせ」のような哀愁漂う歌謡曲はポピュラーで、それ故に、そういった作風の楽曲群から一歩前に出るのは難しい時期だったのかもしれません。 1979年近辺からはYMOやニューミュージックブーム、80年代に入るとアイドルブームといったように、日本の音楽界は転換期を迎え、世間はこれまで耳にしたことのないような新鮮な音楽で満たされて行きました。 こういった状況がピークを迎えようとしている1981年にリリースされた石川ひとみさんの「まちぶせ」は、かえって新鮮で多くの人の耳に留まったことと思います。 石川ひとみさんが「まちぶせ」をリリースした頃、私は中学生で、石川ひとみさんってルックスはアイドルなのに歌唱力はアイドルのそれでなく、かつ、楽曲の雰囲気も他のアイドルソングのようにキャピキャピキラキラしておらず、石川ひとみさんという人と「まちぶせ」という楽曲に他とは違う強い個性を感じました。 まとめ 三木聖子さんと石川ひとみさん、どちらの歌う「まちぶせ」もとても素晴らしく、比べてどちらが良いというものではありません。 石川ひとみさんの「まちぶせ」がヒットしたのは、ちょうどその時代が「まちぶせ」のような楽曲を欲していたこと、キャリアを重ねて歌唱力と表現力に磨きのかかったベストコンディションの石川ひとみさんが歌ったこと等、様々な要因が絡み合った結果だったような気がします。

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まちぶせ

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来歴・人物 [ ] 生い立ち [ ] (現:)出身。 出生は、が東海地方に上陸()した直前で、台風のさなかすやすやと眠っていたという。 2歳の時に海部郡美和町に転居した。 子どもの頃はおてんばな女の子だった。 (七宝幼稚園)時代には近所の男の子と田んぼの中で大喧嘩し、泥だらけになって帰宅したこともあった。 小学6年(正則小学校)時にはに熱中し、エースで4番を務めた。 スポーツ以外では幼稚園の頃からを始め、小学6年のにの、のど自慢番組『』に出場し の「」を歌い優勝し、それが初めてのTV出演となった [ ]。 中学生(美和中学校)時代は軟式テニス部に所属。 ダブルスでは前衛を務めた。 当時から大きなひとみで、一際かわいらしさが目立っていて、男子生徒の間で早々に親衛隊が形成された。 名古屋短期大学付属高等学校(現:)卒業。 高校2年時、系で放送されていたオーディション番組『』でチャンピオンとなる。 同番組のオーディション1週目ではの「」を歌ったが、歌詞を間違えたため思わず「ごめんなさい」と叫んでしまい、収録のVTRを止めたことがある。 駅にあったの広告を見て同校に見学へ行ったが、その日は偶然入試の日だった。 同校職員に「もしよければ受けていただいてもいい」と言われたため受験したところ、合格する。 デビュー〜ブレイク [ ] 、のより「」で歌手デビュー。 同年、全国58大学で構成されるから「'78マスコット・ガール」に選ばれるなど、デビュー当時からルックスと歌唱力が高く評価され、大学生を中心に絶大な支持を得る。 そのためか男性誌を中心に水着姿でのグラビア撮影が多かったが、石川は水恐怖症だったので芸能界入りするまでは水着を1着も持っていなかった。 なお石川は、自らの水恐怖症の原因として、生まれて6日後に襲来したの影響を示唆している。 には11枚目のシングル「」(のカバー)がヒットする。 それまでヒット曲に恵まれなかった石川は、同曲を最後の曲とするつもりだったという。 同曲のキャンペーンで全国を駆け回り、「歌の楽しさを思い出して、辞めるのはやめようと思った」という。 「まちぶせ」がロングヒットを記録したため、次のシングル曲として予定されていた「」の発売見通しが立たず、にわか雨の時期を過ぎてしまったということもあって発売見送りとなった。 代わりに「まちぶせ」と同じく三木聖子のカバー曲である「」が発売された。 この年、念願だった『』に初出場を果たす。 なお、「にわか雨」は2年後のに16枚目のシングルとして発売された。 からまでの『』でとして主役のプリンセス・プリンプリンの声を担当し 、同局の歌番組『』ではと司会を務めるなど、歌手活動以外でも活躍、『レッツゴーヤング』では1978年にサンデーズに加わったと顔が似ているとも言われていた。 ブレイク以降〜B型肝炎発病まで [ ] 1982年2月、のによる「」と、5月「」を発売した。 この2曲はファンの間では評判が高かったものの、ヒットにはつながらなかった。 1982年、ので、高校生の川越進氏の作詞作曲による、石川自身が歌唱した「パープル ミステリー」が同年の年間優秀曲に選ばれ、一部歌詞を改編し1983年2月にシングル「」として発売された。 その後6月、「」が発売された。 この時は、新曲キャンペーンとして、ミニFMステーションを模した「にわか放送局」を日本各地で開局し、その場で集めたリクエスト曲やアンケートを元にしたを織り交ぜた、新曲発表会、サイン会を行った。 1983年9月、「」発売。 その後、雑誌『』の衝撃館をはじめとした露出度の高いグラビア写真を発表した。 この頃から、脱アイドル路線を模索し、その後も露出度の高いグラビアが、『』や『』などにも立て続けに公開され、1984年11月、「心変わり」が発売された。 この間は脱アイドルとしての方向性を模索するために、TVドラマに出演するなど、様々な分野への挑戦を行った時期といえる。 1984年12月23日、立川WILLで行われたクリスマスライブで、石川自身が「今まで、色々なことに挑戦してきたが、来年からは歌に全精力を傾けてゆく」という決意を表明した。 1985年5月、「」発売。 この楽曲はのコマーシャルソングに使用された。 1986年4月「」発売。 1987年、初めてのミュージカル「はだかの王様」の主演が決定し、リハーサルに忙殺される中、発病。 病状が悪化し入院に到った。 闘病中にそれまでスタッフとして石川を支え続けていたは、石川に対し発病前と何ら変わらずに接し、精神的に支え続けた。 休業〜復帰後 [ ] 退院後にから契約を破棄されたため、しばらく芸能界を退いていたが、翌に復帰する。 、でデビュー以来バックバンドを務めていた、作・編曲家のと結婚した。 その後、から2年間『』に出演(ぬいぐるみのと共演)するなど、ファミリー向け活動を展開している。 映画『』のの大ファンであり、友人であると「柴又ツアー」と称して映画ロケ地の柴又界隈を廻ったことがある。 3月、新聞の取材を受けるために訪れていたホテルのラウンジで、寅さん役のと遭遇。 色紙の持ち合わせがなかったため無地のレポート用紙にサインを書いてもらい、現在も額縁に入れて大切に保存しているという。 この時、渥美からサイン入り写真との交換をリクエストされたため、偶然持っていた自身の写真をお返しとして渥美に渡した。 その後はによるCDアルバムをリリースしているほか、やに関する講演活動も取り組んでおり、闘病記には『いっしょに泳ごうよ』()がある。 近年の活動 [ ] 2015年の暮れから浅草のアミューズ・カフェ・シアターにてアイドル時代のオリジナル曲を中心とするライブ活動を開始。 デビュー40周年を迎えた2018年には1983年の「」以来、実に35年振りとなる9枚目のオリジナル・アルバム「わたしの毎日」を発売、7月にはアルバム発売記念ライブ、10月には40周年記念コンサートを開催、さらに2019年2月には東京と名古屋で追加公演を開催している。 ラスカル 京田誠一 COCC-15896 オリジナルアルバム [ ]• (1978年12月21日)• (1979年6月21日)• (1980年2月21日)• (1980年10月21日)• (1981年7月21日)• (1981年11月21日)• (1982年6月21日)• (1983年8月21日)• (2018年6月20日) 子供向け音楽• 夫妻で制作したオリジナル曲で構成。 一五一会シリーズ のレーベルから発売。 みんなの一五一会〜唱歌・童謡編(2004年5月21日)• With みんなの一五一会〜フォークソング編(2005年9月21日)• With みんなの一五一会〜RADIO DAYS(2006年6月21日)• ライブ・アルバム [ ]• カバー・アルバム [ ]• THE REBORN SONGS~すずらん~(2013年5月29日) タイアップ曲 [ ] 年 楽曲 タイアップ 1979年 のテレビ人形劇「」OP主題歌 NHKのテレビ人形劇「プリンプリン物語」ED主題歌 1985年 「」イメージソング 1989年 みなしごハッチ 系テレビアニメ「」OP主題歌 1991年 元気あげるね 系特撮テレビドラマ「」OP主題歌 ターミナル フジテレビ系特撮テレビドラマ「不思議少女ナイルなトトメス」挿入歌 1999年 世界中が宝物 系テレビアニメ「」OP主題歌 2003年 キミらしいまま アニメ映画「」ED主題歌 2006年 だいすき! ラスカル テレビアニメ「」OP主題歌 タイアップ曲(未商品化曲) [ ]• 懸賞用の非売品のみ存在する。 カセット [ ]• (1978年9月10日)• HITOMI SONGS(1979年9月10日)• 石川ひとみ・全曲集(1985年12月05日)• 石川ひとみベストアルバム(1989年12月5日)• 不思議少女・ナイルなトトメス(1991年2月1日)• 元気あげるね(作詞:、作曲:、編曲:)• ターミナル(作詞:、作曲:本間勇輔、編曲:岩田雅之) ベストアルバム [ ]• クション(2001年11月17日)• 石川ひとみベストセレクション(2002年4月25日)• 石川ひとみ SINGLES コンプリート(2007年8月17日)• Myこれ! Liteシリーズ 石川ひとみ(2010年4月21日)• ザ・プレミアムベスト 石川ひとみ(2012年11月21日)• 40th 石川ひとみアンソロジー(2018年3月21日) CD-BOX [ ]• 78-86 ぼくらのベスト 石川ひとみCD-BOX(2002年9月19日)• 78-86 ぼくらのベスト2 石川ひとみCD-BOX(2004年1月7日) ビデオ [ ]• Tenderly(1983年)• 参加作品 [ ]• トリビュートアルバム『ザ・ピーナッツ トリビュート・ソングス』(2016年9月7日) 「」(とデュエット) 出演作品 [ ] テレビ番組 [ ]• (、1978年 - 1979年)• (、1979年 - 1982年) - プリンセス・プリンプリン 役(声の出演。 主題歌も担当)• (、1979年 - 1980年)• (TBS、1980年)• (、1980年 - 1981年)• (、1980年 - 1981年) - 司会• (TBS、1980年 - 1981年)• (、1981年 - 1982年)• (フジテレビ、1982年) - 山川友代 役(声の出演)• (、1982年 - 1986年) - 司会• (テレビ朝日、1985年 - 1986年) - 三ツ江真由子 役• 水曜ドラマスペシャル 水曜日の恋人たち 同棲の傾向と対策(TBS、1985年11月6日)- 橋口きょう子 役• (、1989年 - 1990年) - 主人公・ハッチ 役(声の出演。 主題歌も担当)• 第1シリーズ(TBS、1991年) - 前田先生 役• 秋の山(、1997年 - ナレーション• (NHK、1997年 - 1999年) - 司会• (NHK、1999年)• ((制作局)、、、、、、、1999年 - 2003年)• (NHK、2002年5月26日)• (NHK-BS、2010年1月10日、会場:栃木県・宇都宮市文化会館)• ラジオ [ ]• 石川ひとみ 青春メモワール• 土曜の夜はドヨヨ電リク(1979年10月 - 1980年3月、)• (2009年3月 - 2013年3月、) テレビCM [ ]• サッポロ一番 中華そば(1980年)• ブラザーミシン オーパス8(1981年)• カップスープ(1982年 - 1983年)• モイストシャンプー・リンス(1983年)• HAIG(1984年)• (1985年)• (1985年) ラジオCM [ ]• ナノクリスフェア(2018年) WebCM [ ]• ホソカワミクロン化粧品 ナノクリスフェア(2018年) 書籍 [ ] 著書 [ ]• こころ魅かれて やさしい風のくちづけ(1980年7月、)• いっしょに泳ごうよ 愛が支えたB型肝炎克服記(1993年11月、) 写真集 [ ]• 妖精の旅立ち(1978年11月、ペップ出版)• Je t'aime(1982年7月、、撮影:波多健二、山崎邦彦)• 心変わり(1984年11月、ワニブックス、撮影:) 脚注 [ ]• 月刊BOMB(1981年12月号)• 月刊BOMB(1981年12月号)• 映画ファン(1979年3月号)• 月刊BOMB(1981年12月号)• 月刊BOMB(1981年12月号)• 月刊BOMB(1981年12月号)• 宮根誠司の青春ソング(関西テレビ、2012年1月2日放送)• (1981年7月2日号)• 朝日新聞 be on Saturday: p. 2017年10月21日• いっしょに泳ごうよ• 宮根誠司の青春ソング(関西テレビ、2012年1月2日放送)にて。 なお、石川の著書『いっしょに泳ごうよ』の記述によれば、渥美は石川の闘病についても知っており、励ましの言葉をかけてくれたという。 の同名曲のカバー。 の同名曲のカバー。 ORICON STYLE. 2016年8月11日. 2016年8月12日閲覧。 顔出しで出演し、エンディング「ハッピー・アドベンチャー」を歌唱した回もあり。 関連項目 [ ]• - 同じ年にデビューした歌手 外部リンク [ ]• - 公式サイト• - TEICHIKU ENTERTAINMENT•

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