くり から もんもん。 倶利迦羅

倶利迦羅紋紋

くり から もんもん

入れ墨状の文様を持った 入れ墨は比較的簡単な技術であり、野外で植物のが刺さったり怪我をしたりした際に、入れ墨と同様の着色が自然に起こることがあるため、の少ないの誕生以降、比較的早期に発生し普遍的に継承されて来た技術と推測されている。 古代人の皮膚から入れ墨が確認された例としては、アルプスの氷河から発見された5300年前のが有名であり、その体には入れ墨のような文様が見つかっている。 また、1993年に発掘された2,500年前のアルタイ王女のミイラは、腕の皮膚に施された入れ墨がほぼ完全な形で残されたまま発掘されている。 日本のに作成されたの表面に見られる文様 は、世界的に見ても古い時代の入れ墨を表現したものと考えられており、縄文人と文化的関係が深いとされるやの間に入れ墨文化が存在()したため、これも傍証とされる。 続くにあたるの倭人(日本列島の住民)について記した『』には「男子皆黥面文身」との記述がある。 黥面とは顔に入れ墨を施すことであり、文身とは身体に入れ墨を施すことであるため、これが現在確認されている日本の入れ墨の最古の記録である。 また『』と後の『東夷伝』には、• 「男子皆黥面文身以其文左右大小別尊之差」(魏志倭人伝)• 「諸国文身各異或左或右或大或小尊卑有差」(後漢書東夷伝) と、共通した内容の入れ墨に関する記述が存在し、入れ墨の位置や大小によって社会的身分の差を表示していたことや、当時の倭人諸国の間で各々異なった図案の入れ墨が用いられていたことが述べられている。 では、これら倭人の入れ墨に対して、中国大陸の沿岸地域にあった地方の住民習俗との近似性を見出し、『断髪文身以避蛟龍之害』と、他の生物を威嚇する効果を期待した性質のものと記している。 目的 [ ] 個体識別 [ ] 入れ墨は容易に消えない特性を持ち、古代から現代に至るまで身分・所属などを示す個体識別の手段として古くから用いられて来た。 で入れ墨されていた収容者番号 有名な例ではのが、戦闘中に負傷した際に優先的に輸血を受けられるよう左の腋下に血液型を入れ墨()していたほか、などのに収容された人々は腕に収容者番号を入れ墨されていた。 人間以外の家畜やペットに対しても個体認識のために入れ墨や焼印が行われて来た歴史があり、かつての欧米では囚人の管理用に広く用いられたほか、近年でも時の各収容所において入れ墨による識別が行われていたことが知られている。 また、こうした強制的なケースばかりではなく、出漁中に事故に遭う可能性のある漁師が、身元判定のために入れ墨するケース(類似にのが好んで入れていた「深川彫」など)や、首を取られてしまえば身元不明の死体として野晒しになるおそれのあった日本のの雑兵が、自らの氏名などを指に入れ墨したケースなども知られている。 刑罰 [ ] 罪を犯した者に対して顔や腕などに入れ墨を施す行為は、からに存在した のひとつである 墨(ぼく)・ 黥(げい)と呼ばれた刑罰にまで遡るとされる。 墨刑は額に文字を刻んで墨をすり込むもので、五刑の中では最も軽いものだった。 の将軍・(黥布)は若い頃に顔に罰として入れ墨を施されたことから逆に自ら黥を名乗ったと伝えられている。 『』中にも、元年四月に、の反乱に加担したに『即日黥』(その日に罰として黥面をさせた)との記述 がある。 この記述は、海人の安曇部の入れ墨の風習を、中国の刑罰と結びつけて説いた起源説話とされている。 阿曇野連は漁民でもある海部(あまべ)を統括する氏族であり、河内飼部は馬の飼育にかかわる河内馬飼部(うまかいべ)のことであり、また鳥の飼育をするのが(鳥飼部)である。 これらは、生き物を飼う職能集団であるという共通性がみられる。 飼育している生き物からの危害を避け、威嚇する意味も含めて、こうした呪術的意味を含み黥面をしていたと推側する研究者もいる。 また『日本書紀』10年10月には宮廷で飼われていた鳥が犬にかみ殺されたので、犬の飼い主に黥面して鳥飼部(とりかいべ)としたとの記述 がある。 江戸時代には左腕の上腕部を一周する1本ないし2本の線(単色)の入れ墨を施す刑罰が科せられた。 施される入れ墨の模様は地域によって異なり、額に入れ墨をして、段階的に「一」「ナ」「大」「犬」という字を入れ、五度目は死罪になるという地方もあった。 ファッション [ ] 米国における入れ墨は、1960年代末に世界的に流行したに取り入れられ成長したため、その図案や表示するメッセージなどにおいて両者は不可分の関係にあり、ドラッグ・カルチャーとの関連からヒッピー達が好んだやに由来する や的な図案が多く好まれていた。 近年の日本では、ヒッピー文化の影響を受けた両親を持つ以降の若年層にが、ファッションとしての意味合いで入れ墨を施すことが流行している。 こうした「入れ墨のファッション化」と日本国内のの影響により、アニメのキャラクターやアイドルなどを入れ墨する事例も現れている。 入れ墨といえば前述の反社会性ばかりが取沙汰された時代があったが、歌手の安室奈美恵が自らの亡き母親や息子の名前を入れ墨にしている事例からも解るように、一部の人たちは「愛する対象との同一化」や「憧れの対象との同一化」を図るための自己表現の為の装飾道具に変化しつつあると主張している。 また、このような大衆社会の風潮に対して、大手企業を中心としたマスメディアでは「入れ墨」を従来の入れ墨と同様に反社会的なサインとして関連付けてイメージ誘導する例 が見られる。 美容用途 [ ] ヘナを用いて手に文様を描く女性: シンガポール 女性の眉や唇などに針の深度を浅くしたアートメイク・タトゥー(数年で薄くなるが完全に消えはしない)を施すほか、南アジアやアフリカの女性が施すヘナ(植物性の染料)を用いて手に模様を描く(染料なので消える)ことが行われている。 と呼ばれるエアブラシを用いて皮膚表面に色素を定着させ、針を使った入れ墨に近い描画を可能とした技法も存在する。 この手法では一度描いた文様を油性溶剤を用いて消し去り、新たに描き直すことも可能であるため、一般的な入れ墨では忌避されるような図案であっても大胆に描くことが可能であり、入れ墨を入れる前に図案が自分に合うかどうか事前に確認する用途にも用いることができる。 (ただし針を浅く入れるライトタトゥーをおこなえば、数年で消えてしまうようにする事も可能である。 ) 美容用途の入れ墨は人間以外に対しても行われており、色素が薄い白毛の犬などの鼻部に生じてしまうを隠すために黒色の入れ墨を施し、での評価を上げるケースなどが知られている。 性的装飾 [ ] 主に性的サービス業に従事する女性が、男性の性的興奮を高める性的装飾として入れ墨を施す文化が各国に存在しており、女性器の周辺を装飾している場合も多い。 東南アジアの一部の国においては、適齢期に婚期を逃した独身女性が眉部に太幅の眉毛の形状(ちょうど日本のに流行した眉毛の形である)に入れ墨を施すことで、特定の男性に限定されずに幅広く恋愛を行う意思(=夜這いへの誘い)を示すサインとする習俗がある。 組織帰属の証 [ ] 日本のや中華系のなど、反社会的な組織の構成員の多くが入れ墨を入れている。 欧米においても、ロシアのマフィアや米国の団体が入れ墨を構成員の象徴として用いている。 日本の暴力団関係者が入れ墨をする理由としては、社会からの離脱と帰属組織への忠誠を表す、痛みに耐えて消えない刻印を背負うことで覚悟を示す、また「彫り物をしている」と流布することで周囲を威圧する、等が挙げられる。 その図案は日本の伝統的な題材を描いたいわゆる「和彫り」が主流である。 特定の犯罪組織への帰属を示す入れ墨の存在により当該犯罪組織からの離脱が困難になる場合があるため、米国においては自発的な犯罪組織脱退者に対して入れ墨除去手術の費用を公的に負担する場合がある。 反社会的な組織に限らず、近代国家においても、国家への帰属意識・忠誠の確認として入れ墨を入れた例がある。 においてが義勇軍の名目で参戦した時、実際にはその名に反して多くの者が軍から寝返ったばかりの兵士であり、人海戦術の使い捨ての駒とされた。 そのため少なからぬ数の兵士が、自ら国連軍に投降し、そうでなくても捕虜となった義勇軍兵士たちは、中華人民共和国への帰参を望まなかった。 中国義勇軍の捕虜たちの3分の2を占める1万4000人が大陸ではなく、台湾への渡航を希望した。 台湾への渡航を希望する者は、自らの意思で、あるいは半ば強制されて、国民党への忠誠・を表す文言を入れ墨として入れた。 医療関係 [ ] 手ぬぐいを噛んで痛さに耐え恋人の名を刻む江戸時代の女郎。 『』、1888年 器具を使ったから「洋彫り」、手で彫ったから「和彫り」とは一概に分類できず、絵の画風や全体の様子で判断する。 和風の絵でも筋は器具で、ぼかしは手彫りで行うなど、手法はにより千差万別である。 現在は痛みの少ない機械彫りが主流であるが、日本の伝統的な手彫りの場合は激痛を伴う。 痛みに耐えるために口に咥えるタオルが歯ぐきからの血で滲むこともある。 そのため、暴力団などの間では手彫りが一種のステータスとなっている。 現在では技術の進化、向上により肌へのダメージが最小限に抑えられていて、彫師の技術はそこで判断することもできる。 手法及び用語 [ ] 手彫り(テボリ) 柄の先で針を束ね、手を動かして肌に墨を入れる。 羽彫り(ハネボリ) 手彫りの技術。 針を皮膚に刺した後、針先を跳ね上げることで、穿孔が広がり色素が多く入る。 突き彫り(ツキボリ) 手彫りの技術。 隠し彫り(カクシボリ) 腋下・内股など他人には見られにくい場所に、花びらなどで隠れた名前や言葉、淫靡な絵を彫る。 毛彫り(ケボリ) 人物や動物の毛の部分を彫ること。 通常よりも細い針で彫ることが多い 筋彫り(スジボリ) 下書きとしてボカシの前に全体の輪郭を彫る。 ボカシ(あけぼの) 墨の濃淡や各色を用いて、全体を彫っていく。 ツブシ 塗りつぶすこと シャッキ 手彫りの音 マシーン彫りの様子 機械彫り(キカイ・マシーンボリ) 磁石の磁力または、モーターの回転運動を用い、機械の上下運動により肌に針を刺す。 束ねられた針には、浸透圧により墨が蓄えられる構造。 ライナー・マシーン ライン(筋彫り)を行うための「ライナー」と呼ばれる入れ墨器具。 シェーダーマシーン シェーディングを行うための「シェーダー」と呼ばれる入れ墨器具。 シェーディングとは、ツブシやボカシ、カラー等の施術を指す意味の用語。 半端彫り(ハンパボリ) 彫りの痛みに耐えられない、費用が続かないなどの理由により、入れ墨が途中で終わっていること。 白粉彫り(オシロイボリ) 血行が盛んになると浮き出ると言われている彫り物のこと。 創作上のものであり、現実には不可能である。 蛍光塗料を用いて、に浮かび上がる入れ墨は存在するが、通常の状態でも絵は見える。 二重彫り 刺青を入れた人物の図柄を入れること。 水門破り、花和尚魯智深、九紋龍史進など。 額 図柄の周囲の雲や波を彫ったもの 抜き彫り 額を彫らずに主題だけを彫ったもの 古梅園 和彫りのインクとして使われる用の固形は、奈良の製の和墨が良いとされ、明治時代の彫師の間では、古梅園製の「桜」が定番として使用されていた。 続きを別の彫師が彫る際、墨の銘柄が違っていると色が変わってしまうため、共通してこの銘柄が使われたのだという。 菜種油煙の上質な墨が刺青にはいいとされており、現代では梅花墨、金神仙、五つ星紅花墨などが使われている。 医療的側面 [ ] 等の殺菌方法では血液中の全ての種類のを死滅させることはできないため、施術用の針やの再利用は等のウイルス感染の原因となる。 そのため、血液の付着する施術用の針やインクは使い捨てにする必要がある。 昭和の頃に和彫りの入れ墨を施した者に対してはを行うことができない場合がある。 MRI検査の際に金属が多く含まれる顔料を使用した入れ墨がある部分に、や痛み、入れ墨の変色が発生することや、MRI画像にが入ることがあるためで 、このようなトラブルは入れ墨に使われるインクの成分 特に酸化鉄やその他の金属成分が原因とされる によって発生する。 そのため病院ではMRI検査の前に患者に入れ墨の有無を確認することがある。 ただし、このような事例は平成以降に製造されたタトゥーインク(酸化鉄などをチタンなどの磁性を帯びない金属で代替しているインク)の場合には稀であり 、は火傷のリスクに比べてMRIによる診断を行う有用性の方が非常に高いとしている。 MRI撮影を行う場合でも、入れ墨がある部分に冷却材などを当て、医療従事者が細心の注意を払い、異常があれば即座に撮影を中断できるような体制を作ることが求められる。 入れ墨の除去 [ ] 美容外科では入れ墨の除去手術が行われている。 その方法としては、皮膚の表面を削り等で顔料を吸い取る、自家をする、で色素を分解する、入れ墨が小さい場合には縫い合わせる、といったものがある。 入れ墨の除去手術をしても手術痕は残る上、複数回の手術が必要となるため患者は苦痛に耐え続けなければならず、が適用されないため多額の費用も必要であり、種々の困難を伴う。 入れ墨を施す際には、除去手術が極めて困難であることを十分に考慮する必要がある。 日本における入れ墨 [ ] 入れ墨の歴史 [ ] 上古まで [ ] ・期の日本は、世界でも有数の入れ墨文化を有していたと考えられている。 縄文時代の土偶には入れ墨を思わせる紋様が描かれているほか、によるとの男はみな入墨をしていたという。 同書には、水に潜って漁をするときのまじないとして入れていたものが装いに転じ、地域や階級によって刺青が異なるとも書かれている。 、4世紀になると入れ墨を施した埴輪(黥面埴輪)が登場すようになるが、6 - 7世紀ごろになると、入れ墨の文化は徐々に廃れていくものとなる。 古代の地方には入れ墨の習俗が存在せず、入れ墨の習俗を有する地域の人々は外来の者として認識されていた、との主張も存在する。 さらに、には蝦夷が入墨をしているという記述があり、全員入墨をしていたという邪馬台国と大和朝廷とでは、入墨に関して正反対の態度が窺える。 これに対して、顔に入れ墨と思しき線が刻まれた人物埴輪が地方からも出土 している例や、出土地域による図案の違いから類型化もなされている事実などが、反証として挙げられている。 ただ、近年の研究では、アイヌのいれずみは縄文の形式を踏襲したものであり、弥生時代、古墳時代の黥面は、大陸側の龍文化の影響を受けて成立していたことが示されており、日本列島の東西黥面文化さらに大陸文化が混じることで、古代日本のいれずみ文化が形成されていたことが指摘されている。 また『古事記』『日本書紀』にみる黥・文身の内容は、事実の記録ではなく、当時の国際情勢から政治的に操作されての記述であることが指摘されている。 奈良時代 - 戦国時代 [ ] 古代の日本における入れ墨の習俗が廃れるのは、およびの渡来によるの伝来以降と考えられる。 の乗組員達に入れ墨の習俗があったとされ、後に発生した集団もまた入れ墨を入れており、海上交易や漁撈を生業とする人々の間では、呪術と個体識別の目的で広く入れ墨が施された。 この他、やといった人々や、儒教と対立したの僧侶によって、入れ墨の技術が継承された。 出身者であり、書寫山を開いたは、胸にの入れ墨を入れていた。 日本においてはの説話が有名だが、経文を直接身体に書き込む行為は、仏法への帰依とその加護を得る目的で広く行われた。 現代のやなどの盛んな地域では、経文を身体に入れ墨する習慣が一般的に見られる。 中世に入ると人々の日常生活を描いた絵画が残されるようになるが、これらの絵画に入れ墨をした人々が描かれている例は見られない。 また、戦国時代には死を覚悟した雑兵達が、自らの名や住所を指に入れ墨で記す目的の習俗があった。 江戸時代 [ ] 撮影、明治初頭 17世紀頃になると、入れ墨に対する記録が残されるようになる。 当時、入れ墨による芸術、表現の文化は社会であまり見かけないものであったが、江戸神田の釣鐘与弥左衛門には文字の入れ墨で「南無阿弥陀仏」とあったことが知られている。 江戸や大阪などの大都市に人口が集中し始めたことから、犯罪の抑止を図る目的で入墨刑が用いられるようになり、1720年(5年)には、が中国の明王朝で行われていた墨刑(入れ墨刑)を採用した。 そのようなことから江戸の後期頃になると、罰としての「入墨(いれずみ)」(烙印)と、「彫り物(ほりもの)」(芸術表現)とで呼称を分けて、そこでの意味を区別する風潮が生じていた。 こうした風潮に伴って、古代から継承された漁民の入れ墨や、経文や仏像を身体に刻む僧侶の入れ墨といった、様々な入れ墨文化が都市で交わった。 現代に続く日本の華美な入れ墨文化は、中期に確立された。 ・期(18世紀後半)になると、侠客の間で刺青を誇示することが目立ってきた。 江戸火消しや鳶などを中心として『 』を見せるために好んで施した。 それは江戸時代での美意識を形成するものとなっている。 当時中国趣味が流行して『通俗忠義水滸伝』(18世紀後半)など翻案物が多く出版され、寄席・講談などで演じられるなどブームが起こり、物語に登場する豪傑たちの活躍を刺青にするのが明治期まで流行った。 水滸伝は登場人物に刺青が施されている()こともあり、にも通じるいわゆる「漢」の勇壮さを江戸期の人々に印象付け、刺青文化の発展に強い影響を与えた。 江戸時代末期には、を代表とするなどの技法を取り入れて洗練され、装飾としての入れ墨の技術が大きく発展した。 国芳は華やかな刺青に覆われた勇壮な男たちを描いた『通俗忠義水滸伝豪傑百八人之一個』シリーズを10年(1827年)より出版し、全身に刺青を施すという刺青史上画期的なブームを作った。 また同じ文政年間ごろから、墨だけでなく朱や藍が入れられるようになった。 背中の広い面積を一枚の絵に見立て、水滸伝や武者絵など浮世絵の人物のほか、竜虎や桜花などの図柄も好まれた。 額と呼ばれる、筋肉の流れに従って、それぞれ別の部位にある絵を繋げる日本独自のアイデアなど、多種多様で色彩豊かな入れ墨の技法は、この時代に完成されている。 11代将軍の年代 19世紀前半)に入れ墨の流行は極限に達し、・・・など肌を露出する職業では、入墨をしていなければむしろ恥であると見なされるほどになった。 刑罰で入れ墨を施された前科者がより大きな入れ墨を施すことでこれを隠そうとする場合もあった。 はしばしば禁令を発し、厳重に取り締まったが、ほとんど効果は見られず、やがてその影響は階級にも波及して行き、やの次男坊・三男坊や、などの中にも、入れ墨を施す者が現れるようになり、図案にも「武家彫り」や「博徒彫り」といった出身身分の違いが投影された。 小見川の藩主などは、一万石のを持つれっきとしたでありながら入墨を入れていたと言われる。 ただし正容は幕府に不行跡を理由に隠居を命ぜられた。 時代劇で有名な江戸町奉行のに入れ墨があったとの伝承が残されているが、これを裏付ける資料は発見されていない。 また、当時の武士階級の間では、入れ墨のある身体を斬ることに対して、その性への恐れから生じた忌避感情が存在していたことも記録 されており、市中では帯刀できない町人にとって、刃傷沙汰を避ける自衛策としての側面もあった。 明治以降 [ ] 以降、近代国家体制の構築に邁進した新政府は外国人の目に対する配慮から、1872年(明治5年)の太政官令によって入墨刑を廃止するとともに、同年11月にが発令したを受けて旧幕臣出身である東京府知事が発した布告によって、装飾用途の入れ墨を入れる行為を禁止 し、既に入れ墨を入れていた者に対しては警察から鑑札が発行された。 入れ墨を施す行為は厳しく取り締まられ、当時の彫師達は取り締まりを恐れて住居を転々と移した。 他方、日本の伝統的入れ墨の芸術性と高い技術は外国船の船員を通じて世界に広く知られ、に英国のとアルバート皇子が来日に際して日本の入れ墨師による入れ墨(花繍)を彫った。 また、に皇太子時代のロシア皇帝(の従兄弟にあたる)とギリシャのが来日した際にも両腕に龍の入れ墨を入れたことも知られている。 その後、時を経るごとに入れ墨はある程度黙認される存在へと移行し、(の祖父)のように禁令後に入れ墨を入れながら政治家として活躍する人物も現れた。 普請現場で働く。 威勢の良い男で、入れ墨をしている。 (『童謡妙々車』(刊行年:嘉永8年(1855年)~明治7年( 1874年)より)。 また、入れ墨の持つとしての側面や嗜虐性も大衆文化のなかで再び焦点化され、明治期のの『』や昭和初期のの「」などの小説世界に入れ墨を施した登場人物が描かれた。 また推理小説で名を馳せたも多くの作品で入れ墨をモチーフとして、あるいは小道具として多用している。 戦後 [ ] 終戦後の1948年(昭和23年)、米国政策の一環として、入れ墨は再び合法化されることとなった。 欧米を主とした海外からの日本の伝統的な入れ墨に対する関心の高まりにも関わらず、明治以降の非合法化されてきた印象は払拭されず、1960年代以降、娯楽の中心だった映画が入れ墨と「ヤクザ」との結びつきをドラマチックに焦点化し()、大衆文化の中で「入れ墨=ヤクザ」のイメージが広く形成された。 現代では、海外のタトゥー文化( の趨勢に呼応した芸能人やアーティスト、ファッションモデルなどから影響を受けて入れ墨(タトゥー)を施す若者が増加傾向にある。 おしゃれを楽しむためのツールとして「ファッションタトゥー」「プチタトゥー」「ワンポイントタトゥー」を施す女性もいる。 また入れ墨を扱った「TATTOO girls」 など入れ墨を主要な題材としたファッション雑誌も各種出版された。 一方で、入れ墨保有者が結婚や出産などに際して、家庭や教育で支障をきたすこともあり、親の入れ墨を理由に子どもが学校でいじめを受ける、逆に親の脅威から敬遠されて友人ができないなどの事例もある。 また、海水浴場で入れ墨をした者の入場を禁じる条例が物議を醸すなど、公衆の場で受け入れられているとは言い難い事例も存在する。 こうした風潮が形作られたことを法律の拡大解釈であり、警察の示威行為とみる意見もある。 呼称 [ ] 日本において入れ墨が施されて来た理由は、身体装飾・個体認識・社会的地位や身分の表示・宗教上の理由など多種多様であり、その歴史的経緯はいくつかの曲折を経たため、多様な呼称が存在する。 紋身 ( もんしん )• 倶利迦羅紋々 ( くりからもんもん )• 紋々 ( もんもん )• 彫り物 ( ほりもの )• タトゥー など様々な表現で呼ばれており、入れ墨を施す行為も 墨を入れる、 彫るなどと表現されるほか、苦痛と金銭的な負担をかけて『 がまん』と呼ぶ場合もあるとされる。 なお、近年のマスメディアによる報道、法律・条例の条文では、 入れ墨という呼称が用いられる。 古来より、 入墨や 彫物という呼称が多く使われる。 ほか歴史的に 黥 ( げい )、 文身 ( ぶんしん )、 箚青(とうせい、さっせい)のほか、 入黒子(いれぼくろ)といった呼称がある。 日本の伝統的な入れ墨を 和彫りと呼ぶのに対して、欧米における入れ墨の呼び名である タトゥー () を 洋彫りと呼び分けている場合もあるが、両者に本質的な違いはなく、図案や描画の技法に違いがあるのみである。 日本社会における取り扱い [ ] 法的・社会的規制 [ ] 被施術者側 [ ] 2007年の三社祭では都迷惑防止条例違反の疑いで逮捕者を出した 入れ墨に対する法的規制は、敗戦後の1948年(昭和23年)、の公布とともに解かれた(それまではで処罰対象だった。 人権侵害の疑いがあることからGHQにより入れ墨禁止が条文より外された)ため、現在の日本では入れ墨そのものに対する法的規制は存在しない。 明治以降の法規制の結果、入れ墨に対する規制が生じるものとなっている。 社会にみる規制行為 入場制限 入れ墨を入れた者はで定められた浴場を除いた入浴施設 (、、、、など)や遊園地、、、、などへの入場を断られることがあるがこれは各施設の規則によるものであり法的な制限はない。 施設管理者に逆らった場合は(刑法130条前段)の構成要件に該当し、入れ墨をした者が退場を求められても従わなかった場合は(刑法130条後段)の構成要件に該当する。 しかし最近では外国人も多くいるため入場を規制しない施設や入れ墨をシールで隠す対応を取れば入場を可能とする施設が出てきている。 ただしでは入浴を拒む理由として入れ墨が認められていないために公衆浴場法で定められた公衆浴場では入れ墨を入れてたものも入浴が可能である。 愛媛県のなど温泉でありながら公衆浴場である場合などは入れ墨を入れたものの入浴を認めている場合がある。 2010年1月、「入れ墨お断り」の看板を無視して入浴施設に入ったとして建造物侵入罪に問われた裁判で、被告に懲役7ヶ月の実刑判決(求刑・懲役1年)が言い渡された。 神戸市の須磨海岸では、「須磨海岸を守り育てる条例」によって、「入れ墨その他これに類する外観を有するものを公然と公衆の目に触れさせること」が禁止されている。 では地元暴力団「」が介入する例が度々確認されており、逮捕者も出ている。 雇用 就職採用に当たり身体検査のある企業への就職には制限がある。 公務員ではなど一部の職種において、入れ墨も「身体上の不具合」として採用していない。 入れ墨が原因で懲戒解雇されるか、もしくはマイナス評価を与えられたり、の観点から雇用契約を破棄されたりと、社会生活上様々なリスクを負ったケースも報告されていた。 2012年2月の大阪市の事例では児童福祉施設で働く30代の市役所職員が子どもたちに入れ墨を見せて脅していたという件で、大阪市長は全職員を対象にアンケート調査を行い、入れ墨が他者の目に触れる可能性のある職員に関しては、直接市民と接することのない部署へのを行った。 大阪市による入れ墨調査について回答を拒否した職員に対しては戒告処分となったが、最高裁判所はこの 訓告処分を合法とした。 スポーツ界 は12月に、入れ墨をした選手を2018年4月以降、高校生以下の全柔連主催大会で出場禁止にすることを決定。 この年、入れ墨をした中学生選手が出場してから対応を検討してきた。 では各クラブが厳重注意という形で通達をしている。 ではのような例がある。 ではライセンス取得のために、皮膚移植やレーザー除去した選手もいる。 2014年時点で日本ボクシングコミッション(JBC)のルールブック「試合出場ボクサー」の項には、入れ墨に関する記述があった。 では2月に相撲規則の力士(競技者)規定を改定し、これまで部屋の師匠が口頭で伝えてきた入れ墨(他、伸びた爪や過度なによるひげ)禁止を明文化、力士会で関取衆にも伝えた。 施術者 [ ] 医師法 暴力団員、またその関係者に対する逮捕を主な目的とするために、平成時代では医師法を適用することでの取り締まりを行おうとした。 しかし、2018年11月の大阪高裁の判決では、タトゥーは歴史や現代社会で美術的な意義や社会的風俗という実態があることを踏まえ、「医師の業務とは根本的に異なる」として医行為には当たらないと判断した。 また、彫り師と医師という職業の違いについては、以下のように言及している。 「彫り師やタトゥー施術業は、医師とはまったく独立して存在してきたし、現在においても存在しており、社会通念に照らし、タトゥーの施術が医師によって行われるものというのは、常識的にも考え難い」 「タトゥーの施術において求められる本質的な内容は、その施術の技術や、美的センス、デザイン素養などの習得であり、医学的知識及び技能を基本とする医療従事者の担う業務とは根本的に異なっている」 さらに、彫り師に医師免許を求めれば、憲法が保障する職業選択の自由との関係で疑義が生じるとも述べ、入れ墨の施術には免許が必要ではないとした。 その他• (暴力団対策法)24条で、指定暴力団員がに入れ墨を施す行為などを禁止している。 一部の地方自治体では、などによって、未成年者に入れ墨を施す行為が禁止されており、違反して入れ墨を施術すると処罰される (強要でなくても処罰される)。 蝦夷・アイヌ・琉球の入れ墨 [ ] のハジチ では「 ハジチ(針突・ハドゥチ・パリツク・ピッツギ)」と呼ばれる入れ墨文化があった。 ハジチは女性のみが行い、奄美・琉球人であることを示すことで日本本土や中国の人攫いから身を守る役割があったとされる。 さらに、魔よけや後生(死後の世界)への手形とする民間信仰、成人儀礼としての意味もあり、美しさの象徴ともされた。 はでは11, 13歳に施す成女儀礼であり、またそれがないと後生(グソー)に行けないと著作に記しており、かなり強制力があったようである。 では14歳くらいから施し始め、少しずつ文様を増やしていく。 文様には地方によって微妙な違いがあり 、両手に23の文様を彫りこんで完成とし、その頃が結婚適齢期とされていた。 文様のそれぞれには太陽や矢といったさまざまな意味がこめられていた。 宮古島の場合は手背や前腕に彫り、文様が多彩で、下、貧困にあえいでいた島であるので、米のご飯をたべる女性に育って欲しいという文様(食器、箸など)もある。 が沖縄県として日本に併合された後も、しばらくこの旧習は維持されたが、(明治32年)10月21日に沖縄県にもハジチ(入れ墨)禁止令が出されたため、ハジチの習俗は廃れた。 しかし、昭和初期までハジチを施す者がみられ、1980年代まで生存していた。 同調査のの数字と比較しても2倍近くに増加しており、今後もこの割合は上昇するものと予想されている。 警察官は州ごと異なるがおおむね夏制服(半袖)着用時に隠れるならば容認される。 しかし、他人から見えるタトゥーをしている人を採用しない会社は多い。 軍隊では身元確認となるため規制が緩かったものの(認識票)が普及したことで実用上の意味は無くなっている。 さらに2010年以降からは厳格化が進んでおり、陸軍では夏用制服を着た際に見えないように肘から先への入れ墨を禁止し、海兵隊は腕、首、顔への入れ墨を禁止 、海軍、空軍でも年々基準が厳しくなっている。 タトゥーに批判的な声もあり、(当時)やその他責任が求められる職業に就く立場からの批判も出ていた。 イギリス [ ] 海洋国家として20世紀初頭まで世界の超大国であったイギリスは、太平洋諸島のポリネシア人がしていた刺青を船乗りが真似たことから刺青文化が本格的に始まった。 19世紀末に世界一周航海をしたは、日本に寄港した際にの彫千代という彫師に龍の刺青を彫らせた (従兄弟のもその10年後に世界一周航海で日本に立ち寄った際に長崎で龍の入れ墨を入れたという)。 主に刺青は船乗りや労働者階級のファッションという傾向が強く、労働者階級の人間は刺青を全く隠さずに仕事(肉体労働物、食堂の従業員、駅のスタッフ、バスのドライバー等)に従事していることが多い。 反面中間階級以上では刺青はあまり見受けられず、アーティストや芸能界以外では好ましくないものとされるケースが多い。 台湾 [ ] で撮影された、の女性 もともとの住民であるにおいては、男女ともに顔や手に入れ墨を入れる風習があったが、日本統治時代に禁止された。 ただし、原住民族にとって宗教的な意味のある重要な文化であるため、なかなか廃れず、1930年代までひそかに実施された。 現在、1名のみ、入れ墨を入れたセデック族の女性が生存している。 台湾のは大陸起源の集団と台湾起源の集団が存在するが、どちらの集団も日本との深いつながりを有するため、その施す入れ墨も日本の影響を強く受けており、入れ墨とといった日本やくざのスタイルを模倣することが広く行われていた。 中華圏では貴族階級が派手な入れ墨を入れる宮廷文化が存在していたことも有り、入れ墨が各界で活躍しているの固有文化でも有ることから、庶民の差別感情も低いと言われている。 の通り、朝鮮戦争の元捕虜で、台湾への渡航を希望した者について、国民党への忠誠を示す入れ墨を入れた例もある。 中国本土 [ ] 公的には入れ墨は禁止されており、入れ墨のある者は軍人を含む公務員に採用されない。 しかし実際には多くの彫師が店を構えていて、ほとんど取締りを受けていない。 近年では欧米由来の図案のものが多く見られるほか、北京周辺や東北では、日本・韓国の影響で日本風の入れ墨を入れる者も多い。 2018年1月、中国本土の放送に関する監督庁である国家新聞出版ラジオ映画テレビ総局は、入れ墨のあるは低俗であるとして、テレビ、ラジオ番組で取り上げない方針を打ち出している。 歴史的にはの時代にはすでに盛んに行われていた。 その後棒打ちの刑や打ち首の対象となったため一時途絶えたが、その後も慣習は残り、1920-30年代には上海などで、モダンな断髪とともに刺花(入れ墨のこと)が下流社会の男女の間で流行した。 韓国 [ ] 韓国では漢語由来の文身( 문신:ムンシン)と呼ばれる。 儒教の影響が強い現代の韓国では、以降に日本から流入した文化と言われているが、実際には初期に入れ墨の習俗があったことが記録されている。 「」中の(1397-1450)時代の記録には、王世子(後の)の側室と女官が対食(テシクあるいはパンドンム)と呼ばれるにふけったスキャンダルが記されており、宮中の女性同士が互いの愛情の証として「朋」という文字の入れ墨を尻に密かに入れるという風習があったことが記録されている。 近年の韓国ではをするために入れ墨を入れるものもいて、摘発されている。 韓国ではが施行されているが、入れ墨が全身にある場合は軍務に服す代わりに公益勤務対象になるという法律がある。 このため、兵役を逃れようと全身に入れ墨を入れる者がいる。 ただし、この全身への入れ墨を入れるという行為が、兵役逃れを目的としたものだと認定されると、兵役免脱の罪になる。 フィリピン [ ] スペイン統治時代からの文化が発達していた関係から、独特の図案の入れ墨を結社のメンバーの印として入れる習俗がある。 特に有名なのは、犯罪結社であるの印として有名なUFOマークの入れ墨である。 タイ・ラオス・カンボジア・ビルマ [ ] タイには「サクヤン」と呼ばれる独特な宗教的入れ墨文化が存在する。 魔除けとして寺院にて僧侶の手により、経文や図柄を入れ墨する習俗があり、毎年3月にはナコーンチャイシー郡の寺「ワット・バン・プラ」で、数千人が集まる入れ墨を儀式とした奇祭がとり行われる。 軍人や警察官にも入れ墨を入れている者が多く、その内容は弾避けに効果があるとされる呪文や経文であることが多い。 ニュージーランド [ ] マオリの族長。 1769年 族の入れ墨は(モコ)と呼ばれている。 イギリスの植民地政策のもと、1840年にイギリス領ニュージーランドが成立する。 ニュージーランド政府の政策により、モコ文化は一度途絶えることになった。 しかし20世紀の後半になって復興運動がおこり再興された。 美術大学の教授など、比較的社会的地位の高いとされる人間が、彫り師業を行っているケースがみられるのが特徴的である。 音楽への反映 [ ] 入れ墨はと相性がよく、 、、のシンガー やダンサーの多くが入れ墨を保有し、また音楽のテーマとして枚挙に暇がないほど取り上げられていることでも知られている。 2019年には歌手のが自らのヒットソング「七つの輪」を略して「七輪」と彫ったところ、調理器具の「」と混同されるなど様々な指摘が飛び交い炎上、結局、「七指輪」に修正した。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 中の説明には、 "Most have marks on the face, chest and shoulders, which suggest tattooing and probable incision with bamboo. " と記載されている。 暴力団関係者に必ず入れ墨があるという訳ではなく、のように入れ墨を禁止する暴力団も存在した。 1992年の施行以降は、暴力団組織の化(地下組織化)が進行したため、一般人に紛れて生活する上で不都合な入れ墨をしない構成員が増えている。 江戸の斬首刑を担当していたは、取捨てとされた斬首後の死体を使って、依頼を受けた刀の試し切りを行って報酬を得ていたが、入れ墨や身体にできものの無い死体だけを選り好んで使っていたとされる。 違式詿違条例によって禁止された行為の中には、• 春画等の販売• 男女混浴の風呂営業• 男女相撲・蛇遣い等の見世物• 無届けで外国人を雑居させる行為 などが含まれており、罰則には罰金以外に(鞭打ち)が含まれるなど、全体主義国家における生活統制を彷彿とさせる内容であり、旧江戸町民の生活を厳しく制約した。 実施から8ヶ月が経過した明治6年7月のわずか1ヶ月間での逮捕者が1608名、罰金額696円30銭という記録が残されており、多くの江戸習俗がこの条例によって命脈を断たれるか、条例の施行されていなかった地方へ逃れた。 「倶利迦羅紋々」とはが姿を転じたから転用された言葉であり、その姿が江戸時代に好んで入れ墨の図案とされ、現代でもこれをが好んで入れることから付けられた入れ墨の別称であり、略されて「紋々」とも呼ばれる。 公衆浴場(いわゆる銭湯)に関しては公衆浴場法に則り、公衆の衛生を維持するための施設となっているため、入れ墨の有無だけでは入浴を拒否できない。 一部の入浴施設が入場を制限していることについて国会にて質疑が行われ、衆議院議長名で入れ墨を理由にした入場制限は認められないと答弁が行われた。 出典 [ ]• 入れ墨状の線が刻まれた土偶の• 《尚書・呂刑》云:「墨罰之屬千,? 罰之屬千,? 罰之屬五百,宮罰之屬三百,大辟罰之屬二百,五刑之屬三千。 日本書紀 巻十二 履中天皇元年(庚子四〇〇)四月丁酉十七 『夏四月辛巳朔丁酉。 召阿雲連濱子詔之曰。 汝與仲皇子共謀逆。 將傾國家。 罪當干死。 然垂大恩而免死科墨。 即日黥之。 因此時人曰阿曇目。 亦免從濱子野嶋海人等之罪。 於倭蒋代屯倉。 日本書紀 巻十四 雄略天皇十年(丙午四六六)十月 『冬十月。 鳥官之禽。 爲菟田人狗所囓死。 天皇瞋。 黥面而爲鳥養部。 於是信濃國直丁與武藏國直丁侍宿。 相謂曰。 我國積鳥之高同於小墓。 旦暮而食。 尚有其餘。 今天皇由一鳥之故而黥人面。 太無道理。 惡行之主也。 天皇聞而使聚積之。 直丁等不能忽備。 仍詔爲鳥養部。 [ ]• 日刊SPA! () 2016年5月24日. 2017年10月28日閲覧。 2017年9月1日. 2017年10月28日閲覧。 NewSphere. 株式会社ザッパラス 2016年3月27日. 2016年11月9日閲覧。 William A. Wagle and Martin Smith 2000. AJR 174: 1795. Tobias Franiel, Sein Schmidt and Randolf Klingebiel 2006. AJR 187. Kreidstein, M. , Giguere, D. , and Freiberg, A. 1997. Frank G. Shellock and John V. Crues 2004. Radiology 232: 635—652. Food and Drug Administration, Center for Food Safety and Applied Nutrition. Office of Cosmetics and Colors fact sheet: tattoos and permanent makeup Rockville, Md: U. Food and Drug Administration, 2000• 古事記 中卷 一代神武 『尓 伊須氣余理比賣者立其媛女等之前乃天皇見其媛女等而御心知伊須氣余理比賣立於最前以歌答曰 「賀都賀都母 伊夜佐岐陀弖流 延袁斯麻加牟」(かつがつも いやさきだてる えをしまかむ) 尓 大久米命以天皇之命詔其伊須氣余理比賣之時見其大久米命 黥利目而思奇歌曰 「阿米都都 知杼理麻斯登登 那杼' 佐祁流斗米」(あめつつ ちどりましとと など さけるとめ) 尓大久米命答歌曰 「袁登賣尓 多陀尓阿波牟登 和加 佐祁流斗米」(をとめに ただにあはむと わが さけるとめ)』• 入れ墨と思しき線が刻まれた人物埴輪の• 明治14年12月27日 東京日々新聞 「ここに英国両王孫殿下の花繍(かしゅう、入れ墨)せられし事を聞き及び、文明国の王族さまがなさることだ、身体髪膚を毀傷せぬなどの、近い国の唐人の寝言は聞くにはおよばぬ抔と、国に禁令のあるにもかかわらず、大坂の下等勇み連は、自分もおこなってもよいだろうと入れ墨師のもとに押しかけた」• 「長崎市摂津町野村幸三郎、大黒町姓不詳ノ又三郎ノ両名ハ、連日皇太子殿下御乗船ニ御召入ラレ殿下ハ両腕に 龍の刺文ヲ施サレ、希親王殿下及士官数名モ、各両人ニ托シ刺文セラレ、皇太子殿下ヨリハ25円、希親王殿下ヨリハ1円ヲ下賜セラレ、其他士官ヨリハ、8円ヲ与ヘラレタル由。 Margo DeMello 2007. Encyclopedia of body adornment. ABC-CLIO. 168. 『文身 デザインされた聖のかたち』ミネルヴァ書房 2019• pinky-media. 2019年7月26日閲覧。 YOMIURI ONLINE 2010年9月9日• (PDFファイル)• 由来の呼び名とされる。 読売新聞 2010年1月12日• 時事通信2015年7月24日• 2012年5月17日. 2012年5月17日閲覧。 2016年11月11日. の2016年11月21日時点におけるアーカイブ。 2016年11月21日閲覧。 - 読売新聞、2016年12月16日• - 日刊ゲンダイ、2016年6月7日• - 映画「アメイジング グレイス」〜儚き男たちへの詩〜公式サイト• - デイリースポーツ、2014年7月9日• 読売新聞オンライン 2019年2月26日. 2019年3月25日閲覧。 産経新聞 2010年9月8日• 北海道日高国(明治以降)のことではなく、当時の大和(畿内)から見た東方の国(坂東、東北など)を指すことに留意• 「沖縄では元は入墨によって、女の故郷がおおよそ知れたくらい、少しずつの相違があった。 」 「海南小記」 柳田國男著 「柳田國男全集1」 ちくま文庫 p333• 南島針突(ハジチ)紀行 1983 市川重治 那覇出版社 那覇• Harris Interactive 2016年2月26日閲覧。 web. archive. org 2015年5月9日. 2019年8月24日閲覧。 web. archive. org 2019年8月24日. 2019年8月24日閲覧。 web. archive. org 2016年3月12日. 2019年8月24日閲覧。 雄松堂広報誌、2003年06月• 産経新聞社・産経ニュース(2018年1月23日)2018年1月23日閲覧• 2016年5月22日. 2016年5月23日閲覧。 AFPBB News. 2016年3月3日閲覧。 しらべぇ 2015年3月26日. 2019年8月28日閲覧。 AFP BBNews 2008年11月10日 記事中より抜粋 『7月に国境沿いで始まったタイ軍とのにらみ合いでは、装備で圧倒的に優位に立つタイ軍に対し、カンボジア軍兵士らは自国の護身の風習にならって仏像を身に付け、 魔除けの呪文を体に入れ墨した。 Williams, Kathryn. Rock n Roll Bride. 2019年7月26日閲覧。 www. msn. com. 2019年7月26日閲覧。 Hayes, Paul 2017年9月21日. The Guardian. 2019年7月26日閲覧。 front-row. 2019年7月26日閲覧。 関連項目 [ ]• - ジャパニーズ・マフィア:のを参照。 (英語版)• (英語版)• (英語版) 関連書籍 [ ]• 斎藤卓志 『刺青墨譜 : なぜ刺青と生きるか』 春風社、2005年。 斎藤卓志 『刺青』 岩田書院、1999年。 Ian Buruma and Donald Ritchie, The Japanese Tattoo (英語)• 中野長四郎 『刺青の真実 : 浅草彫長「刺青芸術」のすべて』 彩流社、2002年。 市川重治 『南島針突(ハジチ)紀行 : 沖縄婦人の入墨を見る』 那覇出版社、1983年。 『いれずみの文化誌』 、2010年。 玉林繁 『文身百姿』 文川堂書房、1936年。 宮下規久朗 『刺青とヌードの美術史: 江戸から近代へ』 日本放送出版協会、2008年。 小山騰 『日本の刺青と英国王室:明治期から第一次世界大戦まで』 藤原書店、2010年。 桐生眞輔 『文身 デザインされた聖のかたち:表象の身体と表現の歴史』 ミネルヴァ書房、2019年。 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するメディアがあります。 (入れ墨の入った部位のMRI診察における注意点、英語).

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和牛焼肉 ぐりぐら

くり から もんもん

江戸時代の彫り師 現代のメディアでは、刺青を施す者を「彫り師」と言いますが、江戸時代では「文身師」と言われていました。 江戸時代後期、文化・文政(1800年初め~)の頃、江戸に政治や文化などが集まり江戸の町が発達し、また、芝居・小説・歌舞伎などといった娯楽も盛んになったことで、江戸の町が華やかになっていきます。 そんな中、当時の人気浮世絵師の一人「歌川国芳」が発表した「通俗水滸伝豪傑百八人」という浮世絵が江戸の町で流行します。 これは中国で書かれた有名な小説「水滸伝」に登場する豪傑たちを視覚化した、とても力強く男らしい絵が描かれた作品であり、江戸の庶民たちを魅了しました。 出典:CINRA. NET この水滸伝シリーズの絵柄は、和彫りが好きな人ならご存知の人も多いのではないでしょうか。 そう、背中一面に勇ましい水滸伝に登場する豪傑たちをいれるのが、この時から流行り出したのです。 水滸伝シリーズは和彫りを代表する図柄ジャンルの一つです。 この頃から庶民の間で刺青ブームが起こり、墨をいれることを専門にする文身師(彫り師)が生まれていくのです。 刺青を専門に彫る職人は、もともとは浮世絵など版木彫りをしていた職人が多かったと言われています。 その中でも「鳶職」は江戸の町でも目立つ存在だったと言われています。 理由の一つに、江戸時代に町火消し制度が発足されると、彼ら鳶職人がその役を担っていくからです。 「火事と喧嘩は江戸の華」 また、喧嘩の仲裁役なども行っていた鳶職人は、頻繁に起こる火事や喧嘩のたびに現れるので、町人間からとても人気を得たと言われています。 また、 鳶職以外にも大工、 左官、駕籠かきといった職人たちが、自分の肌にいれた刺青を見せ合い、 勇み肌を競い、刺青ブームを巻き起こすのです。 図柄は水滸伝のヒーロー、龍や倶利迦羅紋紋(くり からもんもん)などが職人たちの間で人気があった言われています。 職人同士が勇み肌を競い合ったことや、自分の生涯の仕事の覚悟を決めるために刺青を彫っていたのです。 このような時代背景から、職人たちの間で刺青に対する独自の美学を形成されていくのです。 そして、職人の刺青保有率が高いことから、職人=刺青のイメージが定着したのです。 刺青をいれている職人が多いのはなぜ?鳶職人と彫り師についてのまとめ 日本の刺青文化を調べると縄文時代までさかのぼります。 刑罰の一つとして行われた「入れ墨」や恋人同士で行う「入れぼくろ」など、色々な時代背景を受け継承され現代に受け継がれているのです。 日本の刺青は、見る人によって様々な思いを掻き立てる、とても独特なカルチャーの一つです。 時に人々を魅了するモノであったり、時にネガティブなイメージを持たれたり、それは様々です。 しかし、現代になっても職人たちの間で刺青をいれている人は多く、これから10年、50年、100年経っても職人たちの間では独自の刺青文化が受け継がれ、また美徳の一つとして残るのでしょう。 この先、日本の刺青に対する世論や価値観は、一体どのように変化しているのでしょうか? とても楽しみですね。 \おすすめ記事/ このサイトは反社会勢力の活動を助長するためのものではありません。 タトゥー(刺青)を刺れている人、いない人、双方がタトゥー(刺青)を意識しないで同じ空間を心地よく共有できることを目的としたサイトづくりを目指しています。 私は、これまでにたくさんの「タトゥーを隠す専用商品」を使ってタトゥーを隠してきました。 日本の商品だけじゃなく海外の商品も多数試しました。 色々な商品を使ったからこそ分かる細かい情報や使用方法を公開しています。 タトゥーあるなし関わらず、一人ひとりが相手を尊重し、思いやりを持つことで無用なトラブルは未然に防げます。 日本もいつかタトゥーのある外国人や様々な文化に対して、寛容な社会になることを期待して。

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くりからもんもんに対する憧れ

くり から もんもん

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