鎌倉 幕府 場所。 鎌倉の3つの御所(大倉幕府・宇都宮辻子幕府・若宮大路幕府)めぐり

鎌倉府

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鎌倉は心霊スポットが多い? そもそも鎌倉は心霊スポットが多い場所でもあります。 鎌倉幕府があり、武士が自決した場所や源頼朝などの有名な武将のお墓があったり、太宰治が恋人と心中した浜辺もあります。 とかく鎌倉は歴史的なスポットが多いのです。 エリアとしては鎌倉駅から歩いて20分以内の場所にも幾つかの心霊スポットがあるので、車がなくても徒歩で肝試しに行くこともできます。 場所によって街灯がなく暗いので、懐中電灯は必須です。 それからあんまり森の中に行くと事故や事件に巻き込まれる恐れがあるので、女の子同士で行くのは危険です。 また、進入禁止のところなどは基本的に深夜に限らず入ってはいけないので、行かないでください。 では、筆者が経験したり聞いた話を元に、鎌倉の心霊スポットを見ていきましょう! 鎌倉の心霊スポット1:サザエさんの家 高校生の頃に流行って、みんな夏休みになると肝試しに行っていました。 非常に有名な鎌倉の心霊スポットです。 なんでも鎌倉にサザエさんの家族構成と同じ「磯野」さんというお家があり、タラちゃんに当たる子が一家を皆殺しにしたとかなんとか。 …近所の高校の先輩が友達と夏休みに行ったそうです。 家は荒れ果てていて、ほとんど廃屋だったようです。 懐中電灯を持ってすべての部屋を開けたのですが、住民は何年も前に居なくなっていたので、廃屋のまま残されており何もなかったようです。 最後に一部屋奥に残っていたおり、最後にそちらにみんなで行ったそうです。 タンスがポツンと置かれていたのです。 何でタンスだけ残っているんだろう、と誰かがいい、懐中電灯を上に照らすと、亡くなったとされるタラちゃん以外の家族が宙からこちらを見下ろしていたそうです。 よくできた話だなと思ったのですが、心霊写真が取れたとかカメラが壊れたとかはよく聞いていたので、結構怖かったのを覚えています。 起きる心霊現象 カメラが止まる、人影が見える、落武者がいる。 また、隠し扉だか地下室があるとか。 周りは住宅街なので民家があるのですが、若宮大路という通りの裏路地なので、夜は暗いです。 音がするなら大きく聞こえそうです。 現場の住所 今はないようです。 鎌倉駅から海に向かって行く途中に鶴岡八幡宮の大鳥居があります。 その近くに若宮大路公園があるのですが、その手前の路地を曲がった先です。 今は回転寿司屋さんですが、昔デニーズがあり、夜までやっており駐車場があるからここに車を止めて肝試しに行くというのが定番でした。 デニーズ懐かしいですね。 ちなみにその近くの鎌倉簡易裁判所も昔人骨がたくさん出てきたとかいう話がありますが、ここら辺は鎌倉幕府時代の戦火だったのです。 鎌倉の心霊スポット2:腹切りやぐら ここはこないだ昼間に鎌倉観光として行ってきました。 なので詳しいアクセスなどはこちらから見てください。 写真つきです。 「霊処だから参拝以外の目的で入らないで」 と書かれているのが有名です。 こちらは大学生の時に友達3人と行きました。 夕方に行ったのですが、凄く怖かったです。 山のハイキングコースの入り口にあるので、昼間は登山客も居て周りに民家もあるので普通ですが、夜は明かりもないので一歩先も見えないほど真っ暗です。 山の景色です。 手前に鎌倉幕府滅亡の地である東勝寺跡があります。 鎌倉幕府終焉の地で、北条高時らが追い込まれて自ら火を放ち、自害した場所です。 それで腹切りやぐらがあるわけです。 腹切りやぐらは卒塔婆が立っており、お花とかいつもあるので定期的に参拝しに来ている人がいるのでした。 一応「参拝目的で入らないで」と書かれているので、手を合わせて来ました。 特に霊的な現象は起きなかったのですが、山のハイキングコースから人が降りてくるんじゃないかという不思議な気配を感じていたのを覚えています。 写真を撮影したらオーブがたくさん写っていました。 起きる心霊現象 落武者の霊が出ると言われています。 写真にオーブが写ると言う心霊現象をよく聞きます。 心霊現象というか、周りが住宅ですので、多分なんども通報されて警察が来ているようです。 心霊スポットの住所 アクセス方法に関しては前回取材してきたのでこちらの記事を参考にしてください。 鎌倉の心霊スポット:小坪トンネル 鎌倉でもっとも有名な心霊スポットと言ったらやはり小坪トンネルです。 高校生の頃にトンネルの隣の材木座や逗子に住んでいる同級生が居たので、よく遊びで行ったりしていました。 地元の人には普通の場所ですので、バイクなんかで逗子や葉山方面に行く時は日常的に通る場所です。 鎌倉から由比ヶ浜海岸に向かい、国道134号線に入る前に左折して逗子方面、横須賀線の線路の向かう方へ行くとあるトンネルです。 連続で2つ続いているトンネルです。 抜けると横須賀線の踏切が左にあります。 ちなみにこの踏切も心霊スポットで有名です。 心霊現象 経験談の前に、よく聞く話をご紹介します。 いろんなパターンがあるのですが、よくあるのは車で夜に走っていると突然ズシンと車の屋根に何かが落ち、トンネルを抜けて見てみると何もないというもの。 別のパターンで、小坪トンネルを夜に走っていると、後ろからきたパトカーに止められて、 「どうして屋根に人なんか乗せてるの!」と言われるというもの。 また別のパターンではトンネルを歩いていると車の上に上半身だけの女の人を乗せて走っている車を見つけるというもの。 また、トンネルを抜ける直前に、トンネルの上から鎌を持った上半身だけのおじいさんが落ちてきて、追っかけてくるというもの。 また、ボンネットか何かにものが落ちる音がして、後から見たら手形がたくさん付いていた、と言う今ではよく聞く心霊話のパターンです。 小坪トンネルは上が危ない 以上がよく知られた心霊話なのですが、実はトンネルの内部ではなく、実は外部、それもトンネルの上の山が本当の心霊スポットと言われています。 テレビなどのメディアで一時期小坪トンネルが取材さえれていた 夕方のニュースでもよく出ていた のですが、地元の人の間では、本当はトンネルの横にある階段を上がっていき、さらに森の奥にある階段を登ったところが本当にヤバイ心霊スポットと言われています。 逗子方面から車で鎌倉方面に向かって行き、最後のトンネルの手前を左に曲がると不審な階段があります。 その階段は上がっていくことができ、上がると広い空き地があります。 小坪トンネルの上の空き地になるのですが、空き地を抜けると古い井戸と、階段があります。 夜は真っ暗で何も見えないのですが、何でもこの階段を上がっていくと、フェンスで閉鎖されたかつて住宅だった空き地?のような場所があり、そのフェンスの先が最強の心霊スポットと言われています。 実際に大学生の頃に友達と一緒に行ったのですが、確かにフェンスがあり、奥に何か空き地かなんかがありました。 暗くてわからなかったのですが、あとでなんかん心霊番組かラジオで、芸人がそのフェンスを超えたところで奥から人が出てきた追っかけてきた、と言う話をしていました。 実際に聞いた心霊話 長くなってしまっていますが、実際に小坪トンネルに行った友達の身に起きた心霊話がまだあります。 高校の同級生のA君は大学生の夏休みに小坪トンネルに毎週のように行っていたのですが、現場では特に何も起こらなかったようです。 しかしある時バイト中に一緒に行った別の友達から着信があり、電話に出ると「もしもし?」と聞くと「もしもし?」と返し、「どうしたの?」と聞くと「どうしたの?」と彼の声で聞き返してきたのです。 携帯によくある故障ですが、電話口の友人は一緒に行ったまた別の友人にも同じ電話をしていたようです。 あとはバイクが止まった友達や、行った一週間後にみんな事故にあったなどの話を結構聞きました。 鎌倉の心霊スポット2:鶴岡八幡宮 蓮池 これは実際に自分が高校生の時に聞いた話です。 高校生の夏休みに横須賀の友達と花火大会に行き、その帰りに鶴岡八幡宮に行ったのですが、境内を警備している警備員の方がこんなことを行っていました。 なんでも夜中夜勤の休憩中に警備室で仮眠していると、お腹の上を上半身だけの落武者がスーッと通っていく、というのです。 鶴岡八幡宮は鎌倉の初詣の定番スポットで、夏にはお祭りもあるので人が多くて賑やかな場所です。 でも実は鶴岡八幡宮の境内の蓮池で心霊写真が撮れるとよく言われております。 行ったことがある人は知っているかもしれませんが、入り口から右に入ったところにある蓮の葉が夏に茂る蓮池です。 確か女の人が映るとか聞いたのですが、警備室には落武者の霊が出るんですね..。 鎌倉の心霊スポット4:源頼朝の墓 行ったことがないのですが、心霊写真が撮影できると言われているスポットです。 お墓の前でオーブや人の顔が映ると言われております。 情報は、以上です。 鎌倉の心霊スポット:旧マクドナルド 由比ヶ浜店 余談ですが、北野誠さんのラジオかなんかで聞いたのですが、昔由比ヶ浜海岸に向かう若宮大路にあったドライブスルーできる某ファーストフード店も有名な怖い話があります。 ラジオで聞いたのは昔その大きな駐車場の裏にある事務所でスタッフの子が自殺して、それからその事務所で幽霊が出る、というもの。 すでに取り壊されているのですが、その前は戦前に劇場があり、いろいろ心霊現象が起きていたようですね。 多分上記の写真の周辺です。 風化しつつある鎌倉の怖い話だから、40代50代以降の人とかに聞くしかない。 材木座海岸 個人的には聞いたことがないのですが、由比ヶ浜海岸の隣の材木座海岸でも浜や海に出るようです。 基本的に海の近くに住んでいる人なら誰でも心得ているのですが、 「お盆の時期に海に行くな」という注意があります。 みなさんがよく知っている海水浴場や川や海なんか海難事故が過去に何度も起きているものです。 なのでお盆に行くと亡くなった方が帰ってくるので、サーファーなんかはお盆に海に入ると足を掴まれて溺れると言われており、お盆の海は危ないのです。 材木座もサーフィンの名所で、私も大学生の頃に材木座に住んでいる友達の家で遊んで海水浴場の営業時間が終わる夕方にボードを持って波乗りしにいったものです。 友達がすごい足をつかんできたので、それ以来一切サーフィンはしていません。 情報は、以上です。 鎌倉の心霊スポット:稲村ヶ崎 太宰治が入水自殺して、一緒に海に入った女の人だけ亡くして戻って来た場所です。 桑田佳祐さんの映画『稲村ジェーン』のロケ地でもあり、ここから江ノ島と海岸と134号線が見えるので非常に景色の綺麗な場所です。 江ノ島からヨットとかボートで逗子のハーバーまで行く道なのか、結構船の事故が多くて、崖のところかどこかに慰霊碑とかがあるようです。 公園の入り口から山手に向かって階段があり、登っていくと展望台があるのですが、夜に行くとヤバイので行かない方がいいと色んな人に言われた記憶があります。 昼間に行ったことがありますが、屋根付きの展望台にベンチがあります。 夜はカップルがいそうで、そういう意味で行かないようにしています。 近くの浜辺から稲村ヶ崎の崖を見ると、下の方に石が切り抜かれた窓があります。 戦時中に敵船を打つための人的兵器の基地だったようです。 ここにもいろんな歴史があります。 鎌倉の心霊スポット:朝比奈切通し ここは地元の人でないと知らないと思います。 金沢八景から金沢街道を通って大船方面に行く途中で、朝比奈峠という場所があります。 ここを曲がって鎌倉まで行くわけですが、峠の下に朝比奈切通しという北条泰時が作った切通しがあります。 鎌倉と六浦までのショートカットとして交通や物資の運搬なんかに使うために崖を切り通した場所です。 今は人が通らないし夜は街灯ひとつない真っ暗な闇なので、誰も近づかないです。 ここは友達が行ってきて写真なんかを撮っていました。 全部オーブが写っており、別日に自宅で記念撮影したものなんかにも全てオーブが写っていたのですが、本人は仏教上の理念から「問題ない」と言っておりました.. 笑 鎌倉の心霊スポット:城ヶ島砲台 今度はちょっと鎌倉からちょっと車で行ったところにある心霊スポットも見ていきましょう。 有名な城ヶ島砲台です。 個人的には地元の同級生と今でも夜釣りに行くスポットなので馴染みの場所ですが、さすがに砲台のトンネルのあるところまでは怖くていかないです。 行く意味もないのですが。 城ヶ島は今グランピング施設とかがあって、レジャーのスポットで人気です。 海岸の景色が綺麗なので、デートとかで昔よくドライブで行きました。 実はこの城ヶ島公園の片隅に砲台跡があります。 太平洋戦争の頃の東京湾要塞の一部がここにもあったのです。 東京湾の入り口になるので、昔はもっと人口で作られた島の海堡があったようですが、今は海に沈んでいるようです。 残っていれば軍艦島みたいなスポットになってたのかな。 地下施設の遺構が残されており、現在は入れませんが、かつては地下洞窟みたいなのに入れたようです。 夜は暗すぎて本当に怖いので、ドライブで来ても怖がりにはまず無理なスポットです。 あと周辺は有名な事件なんかもあるので、女の子同士なんてもちろん行かない方がいいです。 鎌倉の心霊スポットに行く時はお気をつけて 鎌倉の心霊スポットの特徴は歴史的な事件と関わっている場所が多いところが多いです。 殺人があったとか、自殺があったとか、そうした心霊スポットよりも歴史的なミステリースポットが集まっているイメージです。 まあ、だからと言って危なくないわけではないのですが。

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それが、源頼朝によって鎌倉に幕府が置かれることになったのです。 源頼朝が鎌倉に幕府を開いたその理由には 関東の武士団の勢力が関係してきます。 そもそも武士の成り立ちは、関東の農民たちが自分たちの土地や財産を守るために武装したということが始まりとされています。 当時、関東では朝廷に任命された国司や目代が土地を奪ったり、過剰に税を徴収するなどして勢力を振るっていました。 しかし、地域の住民や関東の武士団たちは苦しめられていました。 当時の武士団は歴史上は豪族であり、その地域の実力者なのですが、国司に歯向かうような立場にはなかったのです。 そこで、特に武士の中でも実力者である平家や源家と親戚関係を持つようになります。 特に源頼朝は富士川の戦いによって平家に勝利し勢い付いていたので、京都に上洛して朝廷を治めようという動きを見せていました。 しかし、関東の武士団の想いは朝廷のある京都に入ることではありませんでした。 武士団の願いは 「朝廷に干渉されたくない」という想いだったのです。 源頼朝はこの想いを汲み、実行に移すことで武士団の信頼を益々得ることになったのです。 「鎌倉」が源頼朝に選ばれた理由 では、江戸幕府滅亡まで約 680年間も続いた武家政権の幕を開けた源頼朝が、「鎌倉」という地を幕府を開く場所として選んだ理由を具体的に見ていきましょう。 このような地形は 守りやすく攻めにくい地形であると言えます。 源頼朝が鎌倉を根拠地とした当時は平氏との戦いが多い時期でしたので、平氏に攻め込まれた場合を想定して自身の本拠地の防御を整える必要性がありました。 その点、鎌倉の地形は自然の要塞となっていたので源頼朝にとってとても都合が良かったのです。 鎌倉の地は歴史の教科書では「天然の要害地」と表現されることがあります。 また、この土地は、元々源頼朝の先祖の土地であったことから縁のある土地でした。 地形から考えると源頼朝にとって好都合であった点は具体的には以下の通りになります。 当時、山を最小限だけ切り取って鎌倉と各地を結ぶ道を作ったとされていますが、江戸時代には東海道は天下の街道として賑わいをみせました。 このことは、現在は国道1号線が東海道に沿って開通している様子からも想像できるでしょう。 その想いを汲んで、源頼朝は朝廷のある都「京都」ではなく、離れた土地、関東で幕府を開きました。 武士の想いとは、具体的には以下のような内容だと考えられます。 鎌倉幕府と切り通し 最後に、鎌倉幕府が作った 「切り通し」について説明します。 鎌倉幕府は、鎌倉を取り巻く山々に切り通しを作ることで鎌倉につながる街道と鎌倉をつなぎました。 本来、切り通しは道幅が広いものもありますが鎌倉の切り通しは、一様に道幅が狭く人が一人分くらいしかと通れないように作られています。 切り通しについて理解を深めていきましょう。 本来、切り通しは道幅が広いものもありますが、鎌倉の切り通しは一様に道幅が狭く人が一人分くらいしかと通れないように作られています。

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鎌倉幕府。 これは日本で初めて武家政権が誕生しました。 その地は鎌倉です。 源頼朝が開いた鎌倉幕府は現在のどのあたりで、今はどうなっているのでしょうか。 詳しく解説いたします。 鎌倉幕府の現在 源頼朝が開いた鎌倉幕府は、鶴岡八幡宮から東へ5分ほど進んだところにあります。 大蔵幕府跡という場所です。 付近には、源頼朝の墓を示す案内板もあり、源頼朝の墓もあります。 かつて鎌倉幕府が開かれていたところは、現在では清泉小学校という小学校の敷地になっていて、住宅街の中に校舎と運動場があります。 今から約820年ほど前に、この場所には多くの武士が集まり、日本で初めての武家政権が産声をあげました。 初めての武家政権ということもあり、緊張感があたりいったいを支配していたのではないでしょうか。 清泉小学校の敷地の東側には、「東御門」と書かれた石碑もあります。 大蔵幕府には4つの門があったと言われています。 鎌倉幕府の移動 実は鎌倉幕府は場所を二回も移動しています。 最初は、大倉御所と呼ばれ、源頼朝から3代将軍の源実朝までがここで政治を行っていました。 この大倉御所が上述でご紹介した場所です。 源頼朝が鎌倉を選んだ理由として、鎌倉の土地の特徴である三方を山に囲まれており、南には海があり、攻め込まれにくい地形をしていた点があげられます。 また、源頼朝の父である義朝の根拠地であったことも理由の一つとしてあげられます。 源頼朝は鶴岡八幡宮および宮と南側の海を結ぶ若宮大路を軸として、まちづくりを行いました。 この周辺には、有力御家人の家や役所がありました。 源氏の血筋が途絶えた跡は、北条氏が執権を握り、幕府を運営していきます。 1225年、北条泰時は大蔵にあった幕府の役所などを鶴岡八幡宮の南側に引っ越ししました。 若宮大路の東側を南北に走る宇都宮辻子という道に面するかたちで、「宇都宮辻子御所」と呼ばれる御所が造営されました。 鎌倉幕府は同じ年に、京から藤原頼経を4代将軍として迎えました。 北条政子が亡くなったため、心機一転を図って引っ越ししたと言われています。 引っ越しした地を選んだ理由は北条氏の家があったためと考えられています。 この宇都宮辻子御所の跡地には、宇都宮稲荷神社があります。 神社のあたりが御所の南門があった場所と推定されています。 この神社の前にも御所があったことを示す碑が建っています。 それから11年後の1236年には、北条泰時はまたも引っ越しをします。 宇都宮辻子御所の北側へ移したのです。 この引っ越しの理由ははっきりとしていません。 4大将軍藤原頼経が病気だったのではないかとも言われています。 鎌倉幕府が滅びるまでの1333年までの約100年間、ここに幕府がありました。 この場所が一番長いですね。 若宮大路の東側、鶴岡八幡宮のすぐ南に位置する住宅街が若宮大路御所のあった場所の跡地には、やはり石碑が建っているだけです。 鎌倉幕府のおさらい ここで、鎌倉幕府のおさらいをしておきましょう。 「いい国つくろう鎌倉幕府」の言葉でお馴染みの鎌倉幕府です。 歴史が苦手な方もこの言葉だけは覚えている方も多いのではないでしょうか。 そうです。 鎌倉幕府は1192年に誕生します。 終わりは1333年。 約140年もの間続きました。 鎌倉幕府が源頼朝が作りました。 日本で初めての武家政権です。 この武家政権は江戸時代まで続きます。 その礎を築いたのが源頼朝です。 鎌倉幕府を開いた源頼朝とは 源頼朝は源義朝の3男として生まれます。 出身は現在の名古屋であったと言われています。 頼朝は父と一緒に平清盛と戦いました。 有名な源氏と平氏の戦いです。 しかし、敗北してしまいます。 義朝は殺され、頼朝は静岡県の伊豆に追放されてしまいました。 頼朝はずっと平氏に見張られて過ごしていたのです。 それから20年後、後白河法皇の子どもである以仁王から平氏を倒せという命令が届きました。 願ってもないチャンスです。 頼朝が、妻である北条政子の父、北条時政と一緒に平氏に戦いを仕掛けます。 すると、もともと平氏が嫌いであった武士が続々と集まってきました。 その数はなんとなんと数万にも膨れ上がりました。 かの有名な源義経もかけつけました。 源頼朝は平氏との戦いを義経に託しました。 頼朝自身は何を行ったかというと、鎌倉で武士が中心となって政治を行う仕組みを作り始めたのです。 これが鎌倉幕府の始まりです。 義経はとうとう1185年に壇ノ浦の戦いで平氏を滅ぼしました。 ですが、朝廷から褒美をもらったり勝手な行動をとったため、頼朝が怒ってしまいます。 なんと頼朝と義経が対立してしまったのです。 義経は鎌倉から追放されてしまいました。 そして、頼朝は鎌倉に幕府を開き、鎌倉幕府が誕生したのです。 そんな頼朝ですが、小さい頃は苦労したと言われています。 頼朝には腹違いの兄弟がたくさんいました。 頼朝は3男ですが、兄2人は討ち死にし、父は味方の裏切りで死んでしまいます。 実は頼朝も平清盛に殺されそうになったのです。 しかし、平清盛の母の懇願から命だけは助かったのです。 頼朝はとても優しい武将で、敵である武将を捕らえたりしても乱暴をしたりしません。 過去に敵であった人物でも気に入って側近にしたりしていました。 女性にも優しく、命も助けています。 ものすごく男らしい一面があるのが頼朝です。 鎌倉幕府の特徴をあげるとしたら 鎌倉幕府の特徴としては以下の役職があったことがあげられます。 ・将軍:鎌倉幕府のトップ、実際はお飾りだった ・執権:将軍の補佐を行う、鎌倉幕府の事実上のトップ ・連署:執権の補佐を行う ・評定衆:政策の決める役職、後に寄合衆に取って代わられた ・寄合衆:北条氏の家臣の集まりだが、後に評定衆の役割を行うように ・引付衆:裁判を行う ・政所:政治を行う ・侍所:軍事・警察を管理する ・問注所:御家人の訴訟を取り扱う ・六波羅探題:京都で、貴族と西国の武士を監視する ・守護:任命された国の御家人のチェックや、その土地の軍事を管理する ・地頭:任命された国の管理や税金の取り立て、犯罪の取り締まりを行う ・鎮西奉行:九州地方の御家人のトップ ・奥州総奉行:東北地方の御家人のトップ ・蝦夷代官:北海道(蝦夷地方)の管理を行う この基礎を作ったのが源頼朝です。 頼朝はとても頭がよい人物だったのでしょう。 また、鎌倉幕府で重要なのがご恩と奉公です。 幕府は御家人や武士に土地を与えるのがご恩で、その代わりに御家人が恩返しに幕府のために精一杯精力を尽くすことが奉公です。 中には、土地を失った貧しい武士が奉公のために鎌倉へ駆けつけ、恩賞として3つの土地をもらったと言う作り話があるほどです。 まとめ ・鎌倉幕府の跡地は清泉小学校になっている ・現在は石碑しかない ・鎌倉は地形的に有利だった 清泉小学校は私立の小学校で昭和22年に建てられています。 鎌倉幕府の跡地をなぜ買うことができたのかなどは不明です。 いずれにしても何かしらの権利関係があるのかもしれません。 みなさんも一度は鎌倉幕府の跡地を訪れてみてはいかがでしょうか。 武士社会の先駆けとなった頼朝の知識や知恵を盗めるかもしれません。

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