トップリーグ 神戸製鋼。 トップリーグ神戸製鋼対サントリーで見えた日本ラグビーの未来

ラグビートップリーグ「パナソニック」「神戸製鋼」2強時代突入か?

トップリーグ 神戸製鋼

略歴 [ ] 創部。 からまでラグビー部として、、の3冠(7連覇)を独占した。 松尾雄治が林敏之との対談で神戸製鋼について「10連覇すると思っていたぐらい」と語るなど、全盛期のチームの強さは際立っていた。 特に、、、、、、弘津英司、、武藤規夫、、大畑大介ら日本代表級の主力選手を多数擁したほか、当時現役であった 、にも選出されたなど、外国人選手を他チームに先んじて活用し、日本を代表する名門チームに成長していった。 との相違点は地元の高校生を1から育成せず、体の出来上がった有望な大学生をリクルートし「勝ち方」を教え込んだところにある。 に始まったでは最終節に逆転し、初代リーグチャンピオンとなった。 しかし、トップリーグ上位8強によるトップ8トーナメント・ではに敗れる不覚を味わい、初代カップチャンピオン、2冠を逃した。 は 2003年-2004年シーズン以来のリーグ戦1位になったが、トップリーグプレーオフ準決勝でに敗れた。 に発生したでは、練習場の灘浜グラウンドがになる被害もあったが、本拠地・神戸の地域復興に全面的に協力。 単なる企業内のチームとしてだけでなく地域密着型のチーム運営を目指している。 この成果もあり、「ベストファンサービス賞」を何度も受賞している。 現在では、トップリーグ各チームが実施している、「ファン感謝祭」を、最も早く定期開催したチームでもある。 ホームゲームは、神戸総合運動公園陸上競技場などで行わわれる。 2007年-2008年シーズンは関西地区(旧関西社会人リーグ)唯一のトップリーグ所属チームであった。 2008年-2009年シーズンからチームのマスコットキャラクターの コーロクンが誕生し、チームの様々なイベントに参加している。 チームの概要 [ ] この節のが望まれています。 「歴史あれど伝統なし」の時代 [ ] 当チームは、に創設された(以下、全国社会人大会)の第2回大会に出場するなど、関西の社会人チームとしてはと並んで歴史を有するチームであったが、長らく、全国社会人大会では『万年8強止まり』と言われる程度のチーム力しかなかった。 その原因として、社会人ラグビーの世界では長らく、強力な(以下、FW)力を武器とした、いわゆる テンマンラグビー というプレースタイルが主流となり、創設以来FWが弱かった当チームは、関西リーグでは、近鉄やといった強力なFW力を有するチームに最後は根負けするケースが多く、全国社会人大会ではさらに苦戦を強いられる結果が続いていた。 さらに後述の関連事項となるが、当チームはそのような時代に、ほぼ毎日欠かさず練習を行っていたが、その結果、けが人が毎回のように続出し、公式戦になると決まってベストメンバーが組めない状況にもしばし陥っていた。 加えて、、、といった名門大学チームからの加入者が少なくないにもかかわらず、『いいチームだけど強くないチーム』というありがたくないレッテルも貼られていた。 そんなチーム状態の流れを払拭するべく立ち上がった選手がいた。 監督制を廃止 [ ] がに就任した際、当時のチーム事情として、監督制の下では『練習をやらされている』という意識が選手間に根強く残っており、そのため、試合で結果が出ないと結論付け、監督制を廃止した。 その上で、選手一人一人に自主性と、考える力を養わせるという意味合いも込めて、主将がチームのまとめ役となるが、練習方法や試合への戦略、さらに試合に出場するメンバー選出については、チーム全員で決めるという形に改めた。 さらに、週の練習日数、時間が長すぎるとして、合同練習は基本的に週3回とし、加えて練習時間も、社業が全て終了した夕方から2時間程度という形に大幅に改めた。 そしてこの考え方は次期主将のにも受け継がれた。 1987年度に、林敏之から主将を受け継いだの下、当チームは初めて全国社会人大会、日本選手権を制覇。 以後両大会で7連覇を達成し、平尾の後も、、が主将を歴任したが、がに当チームのヘッドコーチに就任するまで、主将が事実上の監督の代行を務めるといったシステムを踏襲した。 したがってその間、大学ないし高校時代に主将を経験した選手が多く加入していた。 また、当チームが連勝街道を驀進していた頃、当チームに倣って監督制を廃止した社会人チームもいくつか出現し、社会人ラグビーの世界では、監督制の廃止が一種のブームになったこともあった。 また後述するが、当チームが1987年度から1994年度までの7年間、日本選手権並びに全国社会人大会で優勝を果たした一番の要因は、監督制を廃止したことにあるという見方もできる。 新日鉄釜石の8連覇を阻止 [ ] 度の全国社会人大会において、当チームは初めて同大会の決勝に進出した。 相手は6年連続日本一の。 結果は、『13人つなぎのトライ』 を許すなど、0-22と完敗。 そして、この大会を勝った釜石は、1月15日に行われた日本選手権も制し、両大会の7連覇を達成した。 この新日鉄釜石との敗戦がきっかけとなって神戸製鋼は黄金時代への第一歩を踏み出した。 翌度のシーズン。 前年度まで同志社の主力選手だったが加入。 さらに主将である林が本職であるロック(LO)ではなく、FW第1列(プロップ。 PR)にコンバートするなどして、弱点だったフォワードに厚みが増した。 そしてで行われた同年度の社会人大会準決勝で、同大会8連覇を目指す新日鉄釜石と再び対戦することになった。 前年度とは違い、終盤まで一進一退の攻防戦が続いたが、直前に勝ち越して勝利。 ついに釜石の8連覇を阻止した。 しかし、決勝では強力FWを擁するトヨタに敗戦した。 度、英国留学から帰国した平尾誠二が加入。 で開催された同年度の全国社会人大会準決勝で、三度、新日鉄釜石と対戦。 前年同様、一進一退の攻防戦が続き、結果は9-9の引き分け。 抽選の結果、新日鉄釜石が決勝へと進出した。 度の全国社会人大会(花園)の1回戦で、と対戦。 終盤までリードしながら、ノーサイド直前に逆転&を許し、1点差で逆転負けした。 この頃の当チームは、『力はあるけど勝ちきれないチーム』と言われた。 だが翌年度以降、黄金時代を築くことになる。 「オープンラグビー」で初の日本一 [ ] 、林から主将を受け継ぐことになった平尾は、当時弱かった FWに固執せず、バックス(以下、BK)をどんどん多用するという、大学のラグビーチームが志向している「オープンラグビー」(展開ラグビー)にチームスタイルを改めた。 そのことは、社会人ラグビーの長年にわたる風習ともなっていた、「テンマンラグビー」の決別を意味することにもなった。 しかし、同年の関西社会人リーグでは、近鉄、といった強力なFW力を持つチームに敗れ、平尾のチーム作りに疑問を呈するラグビー関係者もいたが、全国社会人大会(秩父宮)では、平尾が当初から目指してきたオープンラグビーが開花し、優勝候補筆頭だった三洋電機に競り勝ち、東芝府中戦ではことごとく横展開からBKのトライが決まって快勝。 初の社会人大会優勝を果たした。 またに行われた日本選手権(。 以下、日本選手権は国立開催のため表記なし)では、を後半圧倒。 初のラグビー日本一の座を手中にしたが、この優勝が当チーム7年連続日本一の第一歩となるのである。 3連覇達成 [ ] 1989年、当時現役のウイング(以下、WTB)選手、が加入したが、当時、社会人チームに加入した外国人選手については、1年間の社業業務を務めなければ公式戦に出場できないという日本ラグビー協会の規約があり、そのため、ウィリアムスは同年度シーズンの公式戦に出場することができなかった。 しかしながら、全国社会人大会(花園)決勝でを破り、1月15日の日本選手権でも早稲田大学に58-4で圧勝し、両大会連覇を果たした。 そして1990年度のシーズンから、上述のウィリアムスが公式戦に出場することになるが、後述する通り、奇跡のトライを生むことになる。 1990年度の社会人大会(秩父宮)決勝は、監督擁する、との対戦となったが、その試合は日本のラグビー史に今も語り継がれる、歴史的な試合となった。 強力なFWを擁する三洋は後半30分過ぎまで16-12とリード。 しかもここまで、神戸製鋼はトライが1つもなかった。 終盤になって当チームは、繰り返し連続展開からトライチャンスを試みるが、三洋の強力ながことごとく決まる展開となり、22mラインの攻防戦で常に後退を強いられる展開となった。 時計が後半40分を過ぎ、に入った。 当チームは切り札である、ウィリアムスにボールを集めようとするが、なかなかボールがウィリアムスまで渡らない。 後半41分頃、三洋の選手がタッチに蹴出した瞬間、宮地監督は立ち上がり、勝利のポーズを見せたが、主審のはノーサイドの笛を吹かず、そのまま試合は続行。 後半43分頃、ウイングとして出場しながらも、この時点ではフルバック(FB)の位置にいたをライン参加させ、ゲインラインの突破を図るものの、三洋ディフェンスに見破られ、ハーフウェイライン上で状態となってしまう。 その状態から素早くボールを出した当チームは、大西一平が再度縦をついてラック状態へと持ち込むと見せかけて、スクラムハーフ(SH)の萩本光威が素早くボールを出し、これを受けた、スタンドオフ(SO)のがパスを放ったが、センター(CTB)のがホスピタルパスを嫌って見送った(スルーした)ために、同じくセンターの平尾がワンバウンドでパスを受けた。 だが、このパスが三洋ディフェンス陣に動揺を与え、一瞬三洋の選手が立ち止まってしまう。 その状態から平尾がついに切り札・ウィリアムスへとパス。 ウィリアムスは約50mを独走。 一方三洋も、が懸命にウィリムアスを追うが、ゴールエリア付近で振り切られ、ウィリアムスは細川にGKを決めやすくさせるため、ゴールエリア中央へと持ち込んでトライ。 16-16の同点となった。 この時点ではまだ両者優勝の状態であり、日本選手権出場権規約によりトライ数の多い三洋が出場権を握っていたが、細川が冷静にGKを決め、18-16でついに逆転。 奇跡の全国社会人大会3連覇を達成した。 その後1991年1月15日に行われた日本選手権では、が主将を務めるを終始圧倒。 こちらも3連覇を達成した。 充実の大西主将時代 [ ] 1991年度、主将は平尾からにバトンタッチされた。 大西はFWの選手である立場もあってか、平尾主将時代にはともすれば軽視されがちだったコンタクトプレーの徹底など、ハード面を重視した。 また、当時現役ので、1年から早稲田大学のSHとして活躍した堀越正巳、出身のWTBが加入し、2人は1年目からレギュラーの座を射止めたが、この2人の加入により、BK陣はそのまま当時の日本代表レベルに匹敵する陣容となった。 選手層に厚みを増した当チームは、全国社会人大会(花園)決勝で前年に引き続き三洋電機と対戦したが快勝し4連覇。 1月15日に行われた日本選手権では、これまた前年に引き続き明治大学との対戦となったが、ここでも快勝し、4連覇を達成した。 1992年度、当時現役のフランカー(FL)だったが公式戦に出場できることになったが、大西は、イーガンがLOもこなせることに着眼し、大八木をFLにコンバートさせた。 全国社会人大会では、2回戦で対戦した、準決勝で因縁の対戦となった三洋電機、決勝の東芝府中と、いずれも厳しい戦いを強いられたが勝利して5連覇を達成。 1月15日に行われた日本選手権でも、に勝利してこちらも5連覇を達成した。 1993年度、イアン・ウィリアムスが古傷が癒えない理由から欠場が目立つなど、決してチーム状態は万全とはいえなかったが、全国社会人大会決勝(花園)で三洋電機に快勝して6連覇。 1月15日に行われた日本選手権では、主将の明治大学と対戦。 中盤で苦戦するシーンも見られたが、最後は貫禄勝ちを収めてこちらも6連覇を達成。 この勝利を花道に、大西は主将を細川隆弘にバトンタッチした。 難産の末の7連覇達成 [ ] 大学のスター選手がこぞって加入 [ ] 1994年度、新日鉄釜石と並ぶ全国社会人大会と日本選手権7連覇に挑むシーズンとなった当チームに、当時の強豪大学チームの中心選手がこぞって入社。 明治から(CTB)、早稲田から(WTB)、法政から(No8)、同志社から(Pro)、から(CTB)らがそれぞれ加入することになったが、一方で後述するが、これらのスター選手が一斉に同一年度に加入したことにより、当チームがこれまで培ってきたチームカラーが大きく変化することになり、一時は7連覇危うしと言われた遠因を作ることにもなった。 ワールドにまさかの敗戦 [ ] 1994年、で関西社会人ラグビーリーグ戦最終日が行われ、当チームは同リーグ6連覇と、公式戦通算72連勝をかけてワールドと対戦することになった。 そして、この試合には上記の新加入選手も出場していたが、一方でこれまで6連覇の中心選手であり、前年度まで3年間主将を務めてきたがこの試合の先発メンバーから外れることになり、ひいてはこのことがきっかけとなって、ちょっとした内紛状態が発生することになる。 加えて当時、はほぼ引退を覚悟していた状態、またウィリアムスは故障が癒えず、それぞれ公式戦に一度も出ていなかった。 平尾は後年、この年のチームの有り様について、チームにしっかりしたビジョンを見せられなかったこと、新人には練習量も少ない社会人ラグビーで『こんな楽なんだ』と勘違いさせてしまっていたことなど、後悔をにじませる言葉を述べている。 24-25でワールドに敗れ、公式戦の連勝記録は71でストップ。 しかもわずか1点差の敗戦だったとはいえ、試合のペースは終始ワールドに奪われていた。 この試合には、元木、吉田の加入により古巣のスタンドオフ(SO)にコンバートした平尾も出場していなかったが、全国社会人大会を迎えるにあたって、チームの内情は空中分解寸前の状態だったといえる。 平尾が主将代行に [ ] 加えて最悪の事態が待っていた。 当年度より秩父宮と花園の両方で試合が行われることになった全国社会人大会1回戦の戦(花園)で、主将の細川がを断裂してしまった。 試合のほうは大勝したものの、次の試合以降、事実上監督の代行を務める当チームにとって、その主将不在という、非常事態が発生した。 本来ならば副将である冨岡洋が主将代行を務めるべきであるが、スタメンから外れることも少なくなく、心もとない状況であったことから、当年度の残る公式戦については、平尾が主将代行を務めることでチームの意見は一致。 また、細川との確執状態が伝えられた大西も以降の公式戦に出場した。 2回戦のサントリー戦(秩父宮。 以降決勝まで同場。 )は予想以上に苦戦を強いられたものの35-28で制した。 準決勝は因縁の三洋電機戦だったが、何とかこれもクリア。 決勝は東芝府中との対戦となった。 7連覇達成 [ ] 満場のファンで埋まった決勝戦は、これまでのモヤモヤした戦いを一掃するかのような、当チームらしい内容のゲームとなり、終わってみれば37-13で快勝。 ついに新日鉄釜石と並ぶ、全国社会人大会7連覇を達成した。 試合後の表彰式で、普段めったに人前に見せたことがない平尾が涙したことも印象的であった。 の日本選手権は、V1を果たしたときの相手である大東文化大学であったが、実力差は明らかだった。 前半に48-0とリードすると、後半も手を緩めることなく加点し続け、同大会史上初の100点ゲームとなる、102-14で圧勝。 ここでも、新日鉄釜石と並ぶ7連覇を達成した。 番号 選手名 出身 1 2 同大 3 4 マーク・イーガン 5 同大 6 同大 7 8 明大 9 10 同大 11 早大 12 明大 13 14 15 同大• 主将の細川隆弘が怪我のため、平尾誠二が主将代行を務めた。 獲得タイトル [ ]• 優勝9回(1988,1989,1990,1991,1992,1993,1994,1999,2000)• 優勝2回(2003,2018)• トップリーグカップ優勝1回(2019)• LO、PR• CTB、SO• LO、FL• FB、CTB• CTB• WTB、FB• FL、No8• CTB、SO• WTB• CTB• (FL、No. (WTB、CTB)• SO、FB• (LO)• No8• CTB• WTB、FB• CTB• FL その他選手• No8、FL• No8、FL• WTB• マーク・イーガン LO、No8• FB、WTB• CTB、WTB• SO、SH• WTB• CTB• WTB• CTB• (LO)• (FB)• (FL)• (CTB)• (WTB)• (FB)• (PR、HO• SO、SH• WTB、FB• WTB• CTB• CTB• WTB• LO、FL、No. LO、FL、No. CTB• WTB• WTB• CTB• WTB• UTB• UTB• CTB• WTB• SO ユニフォームスポンサー [ ]• 胸 -• 右袖 -• 背中上 - ,• 背中下 - 脚注 [ ] []• ベースボールマガジン社『ラグビー 戦後70年史』p9• 後ににも選出された。 フォワード FW 8名が得点源となり、スクラムハーフ SH は球出し、スタンドオフ SO はタッチキックなど主にキックプレーに特化させ、残る5人のバックス BK は概ねディフェンスに回ってもらうというプレースタイル。 、プレーがゲームプランの中心となる。 - 読売新聞• ベースボールマガジン社『ラグビー 戦後70年史』p32• ベースボールマガジン社『ラグビー 戦後70年史』p10• 大西自身の著書、『戦闘集団の人間学〜勝つために、組織は、個人は何をすべきか〜』によると、自身の代わりに当チームに加入してからはほとんどLOのポジションだったマーク・イーガンがNo8のポジションに入ることになったことで、主将の細川隆弘と言い合いとなり、ひいては1994年度のシーズン限りで引退を決意することになったと述べられている。 の2日前であった。 - 公式サイト 関連項目 [ ]• (新日鉄釜石ラグビー部時代に同じく・7連覇を果たした)• (かつて存在した社会人ラグビーチーム、練習グラウンドは神戸にあった)• (このチームとのの開幕戦からトップリーグが開幕した。 神戸市が本拠地のスポーツチーム [ ]• (登録上の本拠はであるが、過去に久光がを運営した経緯上、神戸市が練習拠点)• 陸上競技部 外部リンク [ ]• - トップリーグによるチーム紹介.

次の

神戸製鋼と平尾誠二の温故知新。雨の日、社員選手の一礼に感じた事。

トップリーグ 神戸製鋼

略歴 [ ] 創部。 からまでラグビー部として、、の3冠(7連覇)を独占した。 松尾雄治が林敏之との対談で神戸製鋼について「10連覇すると思っていたぐらい」と語るなど、全盛期のチームの強さは際立っていた。 特に、、、、、、弘津英司、、武藤規夫、、大畑大介ら日本代表級の主力選手を多数擁したほか、当時現役であった 、にも選出されたなど、外国人選手を他チームに先んじて活用し、日本を代表する名門チームに成長していった。 との相違点は地元の高校生を1から育成せず、体の出来上がった有望な大学生をリクルートし「勝ち方」を教え込んだところにある。 に始まったでは最終節に逆転し、初代リーグチャンピオンとなった。 しかし、トップリーグ上位8強によるトップ8トーナメント・ではに敗れる不覚を味わい、初代カップチャンピオン、2冠を逃した。 は 2003年-2004年シーズン以来のリーグ戦1位になったが、トップリーグプレーオフ準決勝でに敗れた。 に発生したでは、練習場の灘浜グラウンドがになる被害もあったが、本拠地・神戸の地域復興に全面的に協力。 単なる企業内のチームとしてだけでなく地域密着型のチーム運営を目指している。 この成果もあり、「ベストファンサービス賞」を何度も受賞している。 現在では、トップリーグ各チームが実施している、「ファン感謝祭」を、最も早く定期開催したチームでもある。 ホームゲームは、神戸総合運動公園陸上競技場などで行わわれる。 2007年-2008年シーズンは関西地区(旧関西社会人リーグ)唯一のトップリーグ所属チームであった。 2008年-2009年シーズンからチームのマスコットキャラクターの コーロクンが誕生し、チームの様々なイベントに参加している。 チームの概要 [ ] この節のが望まれています。 「歴史あれど伝統なし」の時代 [ ] 当チームは、に創設された(以下、全国社会人大会)の第2回大会に出場するなど、関西の社会人チームとしてはと並んで歴史を有するチームであったが、長らく、全国社会人大会では『万年8強止まり』と言われる程度のチーム力しかなかった。 その原因として、社会人ラグビーの世界では長らく、強力な(以下、FW)力を武器とした、いわゆる テンマンラグビー というプレースタイルが主流となり、創設以来FWが弱かった当チームは、関西リーグでは、近鉄やといった強力なFW力を有するチームに最後は根負けするケースが多く、全国社会人大会ではさらに苦戦を強いられる結果が続いていた。 さらに後述の関連事項となるが、当チームはそのような時代に、ほぼ毎日欠かさず練習を行っていたが、その結果、けが人が毎回のように続出し、公式戦になると決まってベストメンバーが組めない状況にもしばし陥っていた。 加えて、、、といった名門大学チームからの加入者が少なくないにもかかわらず、『いいチームだけど強くないチーム』というありがたくないレッテルも貼られていた。 そんなチーム状態の流れを払拭するべく立ち上がった選手がいた。 監督制を廃止 [ ] がに就任した際、当時のチーム事情として、監督制の下では『練習をやらされている』という意識が選手間に根強く残っており、そのため、試合で結果が出ないと結論付け、監督制を廃止した。 その上で、選手一人一人に自主性と、考える力を養わせるという意味合いも込めて、主将がチームのまとめ役となるが、練習方法や試合への戦略、さらに試合に出場するメンバー選出については、チーム全員で決めるという形に改めた。 さらに、週の練習日数、時間が長すぎるとして、合同練習は基本的に週3回とし、加えて練習時間も、社業が全て終了した夕方から2時間程度という形に大幅に改めた。 そしてこの考え方は次期主将のにも受け継がれた。 1987年度に、林敏之から主将を受け継いだの下、当チームは初めて全国社会人大会、日本選手権を制覇。 以後両大会で7連覇を達成し、平尾の後も、、が主将を歴任したが、がに当チームのヘッドコーチに就任するまで、主将が事実上の監督の代行を務めるといったシステムを踏襲した。 したがってその間、大学ないし高校時代に主将を経験した選手が多く加入していた。 また、当チームが連勝街道を驀進していた頃、当チームに倣って監督制を廃止した社会人チームもいくつか出現し、社会人ラグビーの世界では、監督制の廃止が一種のブームになったこともあった。 また後述するが、当チームが1987年度から1994年度までの7年間、日本選手権並びに全国社会人大会で優勝を果たした一番の要因は、監督制を廃止したことにあるという見方もできる。 新日鉄釜石の8連覇を阻止 [ ] 度の全国社会人大会において、当チームは初めて同大会の決勝に進出した。 相手は6年連続日本一の。 結果は、『13人つなぎのトライ』 を許すなど、0-22と完敗。 そして、この大会を勝った釜石は、1月15日に行われた日本選手権も制し、両大会の7連覇を達成した。 この新日鉄釜石との敗戦がきっかけとなって神戸製鋼は黄金時代への第一歩を踏み出した。 翌度のシーズン。 前年度まで同志社の主力選手だったが加入。 さらに主将である林が本職であるロック(LO)ではなく、FW第1列(プロップ。 PR)にコンバートするなどして、弱点だったフォワードに厚みが増した。 そしてで行われた同年度の社会人大会準決勝で、同大会8連覇を目指す新日鉄釜石と再び対戦することになった。 前年度とは違い、終盤まで一進一退の攻防戦が続いたが、直前に勝ち越して勝利。 ついに釜石の8連覇を阻止した。 しかし、決勝では強力FWを擁するトヨタに敗戦した。 度、英国留学から帰国した平尾誠二が加入。 で開催された同年度の全国社会人大会準決勝で、三度、新日鉄釜石と対戦。 前年同様、一進一退の攻防戦が続き、結果は9-9の引き分け。 抽選の結果、新日鉄釜石が決勝へと進出した。 度の全国社会人大会(花園)の1回戦で、と対戦。 終盤までリードしながら、ノーサイド直前に逆転&を許し、1点差で逆転負けした。 この頃の当チームは、『力はあるけど勝ちきれないチーム』と言われた。 だが翌年度以降、黄金時代を築くことになる。 「オープンラグビー」で初の日本一 [ ] 、林から主将を受け継ぐことになった平尾は、当時弱かった FWに固執せず、バックス(以下、BK)をどんどん多用するという、大学のラグビーチームが志向している「オープンラグビー」(展開ラグビー)にチームスタイルを改めた。 そのことは、社会人ラグビーの長年にわたる風習ともなっていた、「テンマンラグビー」の決別を意味することにもなった。 しかし、同年の関西社会人リーグでは、近鉄、といった強力なFW力を持つチームに敗れ、平尾のチーム作りに疑問を呈するラグビー関係者もいたが、全国社会人大会(秩父宮)では、平尾が当初から目指してきたオープンラグビーが開花し、優勝候補筆頭だった三洋電機に競り勝ち、東芝府中戦ではことごとく横展開からBKのトライが決まって快勝。 初の社会人大会優勝を果たした。 またに行われた日本選手権(。 以下、日本選手権は国立開催のため表記なし)では、を後半圧倒。 初のラグビー日本一の座を手中にしたが、この優勝が当チーム7年連続日本一の第一歩となるのである。 3連覇達成 [ ] 1989年、当時現役のウイング(以下、WTB)選手、が加入したが、当時、社会人チームに加入した外国人選手については、1年間の社業業務を務めなければ公式戦に出場できないという日本ラグビー協会の規約があり、そのため、ウィリアムスは同年度シーズンの公式戦に出場することができなかった。 しかしながら、全国社会人大会(花園)決勝でを破り、1月15日の日本選手権でも早稲田大学に58-4で圧勝し、両大会連覇を果たした。 そして1990年度のシーズンから、上述のウィリアムスが公式戦に出場することになるが、後述する通り、奇跡のトライを生むことになる。 1990年度の社会人大会(秩父宮)決勝は、監督擁する、との対戦となったが、その試合は日本のラグビー史に今も語り継がれる、歴史的な試合となった。 強力なFWを擁する三洋は後半30分過ぎまで16-12とリード。 しかもここまで、神戸製鋼はトライが1つもなかった。 終盤になって当チームは、繰り返し連続展開からトライチャンスを試みるが、三洋の強力ながことごとく決まる展開となり、22mラインの攻防戦で常に後退を強いられる展開となった。 時計が後半40分を過ぎ、に入った。 当チームは切り札である、ウィリアムスにボールを集めようとするが、なかなかボールがウィリアムスまで渡らない。 後半41分頃、三洋の選手がタッチに蹴出した瞬間、宮地監督は立ち上がり、勝利のポーズを見せたが、主審のはノーサイドの笛を吹かず、そのまま試合は続行。 後半43分頃、ウイングとして出場しながらも、この時点ではフルバック(FB)の位置にいたをライン参加させ、ゲインラインの突破を図るものの、三洋ディフェンスに見破られ、ハーフウェイライン上で状態となってしまう。 その状態から素早くボールを出した当チームは、大西一平が再度縦をついてラック状態へと持ち込むと見せかけて、スクラムハーフ(SH)の萩本光威が素早くボールを出し、これを受けた、スタンドオフ(SO)のがパスを放ったが、センター(CTB)のがホスピタルパスを嫌って見送った(スルーした)ために、同じくセンターの平尾がワンバウンドでパスを受けた。 だが、このパスが三洋ディフェンス陣に動揺を与え、一瞬三洋の選手が立ち止まってしまう。 その状態から平尾がついに切り札・ウィリアムスへとパス。 ウィリアムスは約50mを独走。 一方三洋も、が懸命にウィリムアスを追うが、ゴールエリア付近で振り切られ、ウィリアムスは細川にGKを決めやすくさせるため、ゴールエリア中央へと持ち込んでトライ。 16-16の同点となった。 この時点ではまだ両者優勝の状態であり、日本選手権出場権規約によりトライ数の多い三洋が出場権を握っていたが、細川が冷静にGKを決め、18-16でついに逆転。 奇跡の全国社会人大会3連覇を達成した。 その後1991年1月15日に行われた日本選手権では、が主将を務めるを終始圧倒。 こちらも3連覇を達成した。 充実の大西主将時代 [ ] 1991年度、主将は平尾からにバトンタッチされた。 大西はFWの選手である立場もあってか、平尾主将時代にはともすれば軽視されがちだったコンタクトプレーの徹底など、ハード面を重視した。 また、当時現役ので、1年から早稲田大学のSHとして活躍した堀越正巳、出身のWTBが加入し、2人は1年目からレギュラーの座を射止めたが、この2人の加入により、BK陣はそのまま当時の日本代表レベルに匹敵する陣容となった。 選手層に厚みを増した当チームは、全国社会人大会(花園)決勝で前年に引き続き三洋電機と対戦したが快勝し4連覇。 1月15日に行われた日本選手権では、これまた前年に引き続き明治大学との対戦となったが、ここでも快勝し、4連覇を達成した。 1992年度、当時現役のフランカー(FL)だったが公式戦に出場できることになったが、大西は、イーガンがLOもこなせることに着眼し、大八木をFLにコンバートさせた。 全国社会人大会では、2回戦で対戦した、準決勝で因縁の対戦となった三洋電機、決勝の東芝府中と、いずれも厳しい戦いを強いられたが勝利して5連覇を達成。 1月15日に行われた日本選手権でも、に勝利してこちらも5連覇を達成した。 1993年度、イアン・ウィリアムスが古傷が癒えない理由から欠場が目立つなど、決してチーム状態は万全とはいえなかったが、全国社会人大会決勝(花園)で三洋電機に快勝して6連覇。 1月15日に行われた日本選手権では、主将の明治大学と対戦。 中盤で苦戦するシーンも見られたが、最後は貫禄勝ちを収めてこちらも6連覇を達成。 この勝利を花道に、大西は主将を細川隆弘にバトンタッチした。 難産の末の7連覇達成 [ ] 大学のスター選手がこぞって加入 [ ] 1994年度、新日鉄釜石と並ぶ全国社会人大会と日本選手権7連覇に挑むシーズンとなった当チームに、当時の強豪大学チームの中心選手がこぞって入社。 明治から(CTB)、早稲田から(WTB)、法政から(No8)、同志社から(Pro)、から(CTB)らがそれぞれ加入することになったが、一方で後述するが、これらのスター選手が一斉に同一年度に加入したことにより、当チームがこれまで培ってきたチームカラーが大きく変化することになり、一時は7連覇危うしと言われた遠因を作ることにもなった。 ワールドにまさかの敗戦 [ ] 1994年、で関西社会人ラグビーリーグ戦最終日が行われ、当チームは同リーグ6連覇と、公式戦通算72連勝をかけてワールドと対戦することになった。 そして、この試合には上記の新加入選手も出場していたが、一方でこれまで6連覇の中心選手であり、前年度まで3年間主将を務めてきたがこの試合の先発メンバーから外れることになり、ひいてはこのことがきっかけとなって、ちょっとした内紛状態が発生することになる。 加えて当時、はほぼ引退を覚悟していた状態、またウィリアムスは故障が癒えず、それぞれ公式戦に一度も出ていなかった。 平尾は後年、この年のチームの有り様について、チームにしっかりしたビジョンを見せられなかったこと、新人には練習量も少ない社会人ラグビーで『こんな楽なんだ』と勘違いさせてしまっていたことなど、後悔をにじませる言葉を述べている。 24-25でワールドに敗れ、公式戦の連勝記録は71でストップ。 しかもわずか1点差の敗戦だったとはいえ、試合のペースは終始ワールドに奪われていた。 この試合には、元木、吉田の加入により古巣のスタンドオフ(SO)にコンバートした平尾も出場していなかったが、全国社会人大会を迎えるにあたって、チームの内情は空中分解寸前の状態だったといえる。 平尾が主将代行に [ ] 加えて最悪の事態が待っていた。 当年度より秩父宮と花園の両方で試合が行われることになった全国社会人大会1回戦の戦(花園)で、主将の細川がを断裂してしまった。 試合のほうは大勝したものの、次の試合以降、事実上監督の代行を務める当チームにとって、その主将不在という、非常事態が発生した。 本来ならば副将である冨岡洋が主将代行を務めるべきであるが、スタメンから外れることも少なくなく、心もとない状況であったことから、当年度の残る公式戦については、平尾が主将代行を務めることでチームの意見は一致。 また、細川との確執状態が伝えられた大西も以降の公式戦に出場した。 2回戦のサントリー戦(秩父宮。 以降決勝まで同場。 )は予想以上に苦戦を強いられたものの35-28で制した。 準決勝は因縁の三洋電機戦だったが、何とかこれもクリア。 決勝は東芝府中との対戦となった。 7連覇達成 [ ] 満場のファンで埋まった決勝戦は、これまでのモヤモヤした戦いを一掃するかのような、当チームらしい内容のゲームとなり、終わってみれば37-13で快勝。 ついに新日鉄釜石と並ぶ、全国社会人大会7連覇を達成した。 試合後の表彰式で、普段めったに人前に見せたことがない平尾が涙したことも印象的であった。 の日本選手権は、V1を果たしたときの相手である大東文化大学であったが、実力差は明らかだった。 前半に48-0とリードすると、後半も手を緩めることなく加点し続け、同大会史上初の100点ゲームとなる、102-14で圧勝。 ここでも、新日鉄釜石と並ぶ7連覇を達成した。 番号 選手名 出身 1 2 同大 3 4 マーク・イーガン 5 同大 6 同大 7 8 明大 9 10 同大 11 早大 12 明大 13 14 15 同大• 主将の細川隆弘が怪我のため、平尾誠二が主将代行を務めた。 獲得タイトル [ ]• 優勝9回(1988,1989,1990,1991,1992,1993,1994,1999,2000)• 優勝2回(2003,2018)• トップリーグカップ優勝1回(2019)• LO、PR• CTB、SO• LO、FL• FB、CTB• CTB• WTB、FB• FL、No8• CTB、SO• WTB• CTB• (FL、No. (WTB、CTB)• SO、FB• (LO)• No8• CTB• WTB、FB• CTB• FL その他選手• No8、FL• No8、FL• WTB• マーク・イーガン LO、No8• FB、WTB• CTB、WTB• SO、SH• WTB• CTB• WTB• CTB• (LO)• (FB)• (FL)• (CTB)• (WTB)• (FB)• (PR、HO• SO、SH• WTB、FB• WTB• CTB• CTB• WTB• LO、FL、No. LO、FL、No. CTB• WTB• WTB• CTB• WTB• UTB• UTB• CTB• WTB• SO ユニフォームスポンサー [ ]• 胸 -• 右袖 -• 背中上 - ,• 背中下 - 脚注 [ ] []• ベースボールマガジン社『ラグビー 戦後70年史』p9• 後ににも選出された。 フォワード FW 8名が得点源となり、スクラムハーフ SH は球出し、スタンドオフ SO はタッチキックなど主にキックプレーに特化させ、残る5人のバックス BK は概ねディフェンスに回ってもらうというプレースタイル。 、プレーがゲームプランの中心となる。 - 読売新聞• ベースボールマガジン社『ラグビー 戦後70年史』p32• ベースボールマガジン社『ラグビー 戦後70年史』p10• 大西自身の著書、『戦闘集団の人間学〜勝つために、組織は、個人は何をすべきか〜』によると、自身の代わりに当チームに加入してからはほとんどLOのポジションだったマーク・イーガンがNo8のポジションに入ることになったことで、主将の細川隆弘と言い合いとなり、ひいては1994年度のシーズン限りで引退を決意することになったと述べられている。 の2日前であった。 - 公式サイト 関連項目 [ ]• (新日鉄釜石ラグビー部時代に同じく・7連覇を果たした)• (かつて存在した社会人ラグビーチーム、練習グラウンドは神戸にあった)• (このチームとのの開幕戦からトップリーグが開幕した。 神戸市が本拠地のスポーツチーム [ ]• (登録上の本拠はであるが、過去に久光がを運営した経緯上、神戸市が練習拠点)• 陸上競技部 外部リンク [ ]• - トップリーグによるチーム紹介.

次の

トップリーグカップ2019・トップ4決まる!

トップリーグ 神戸製鋼

強すぎるぞ!!パナソニック・神戸製鋼2強時代突入か? 今年のトップリーグは上位チームと下位チームの差がそんなになく、どの試合も面白いという特徴があるんですが、それでもやっぱりこの2チームは別格だと皆さんも薄々感じていらっしゃるのではないでしょうか。 去年優勝の覇者である神戸製鋼は今年も引き続き強いですし、今年のトップリーグのサブキャッチコピーは「パナソニックの逆襲」と常々言ってきた通り、パナソニックは大暴れの活躍を見せてくれています。 このパナソニックは、去年の順位は6位だったのですが、その理由もお話していこうと思います。 2020年はパナソニックの逆襲 パナソニックは第1節のクボタ戦に34対11で勝利し、第2節の相手はヤマハ相手に1敗を喫してもう負けられないトヨタでしたが、蓋を開けてみたら40対20で大勝しました。 トヨタ戦では、最後、もうボールを切ってもいいところ、後半42分 にフィリモニ・ワンカイナベテ(23番FB)がトライを取りにいき、しっかりトライを取るおまけ付き。 トヨタファンは、フィリモニ選手に対して、「憎たらし~!!」と思ったことじゃないでしょうか。 パナソニックが昨年6位の理由とは? 皆様、もうお忘れかもしれませんが、パナソニックの昨季の順位はなんと6位。 昨季のトップリーグ順位がこちらです。 1位 神戸製鋼 2位 サントリー 3位 ヤマハ発動機 4位 トヨタ自動車 5位 NTTコミュニケーションズ 6位 パナソニック 7位 クボタ 今年の強さからは信じられないと思いますが、2004年度もパナソニックは7位で、それ以来のひどい成績だと記事にもなっていました。 でも、昨年、パナソニックの成績がなぜ振るわなかったかの理由は皆さんすでにお分かりのことと思います。 そうです。 昨年のワールドカップ日本代表の活躍はパナソニックのおかげといっても過言ではないです。 パナソニックからは日本代表選手がなんと6名も選出されています。 パナソニックは、前身の三洋電機時代から、日本ラグビー発展への貢献は素晴らしく、僕らファンからしてみたら頭がほんと上がらないです。 神戸製鋼も一時期、母体が業績不振となった時もあったんですが、そんな中でもラグビーに対しての援助を惜しまなかった過去があります。 この2チームがあってこその、昨年のワールドカップでの日本代表の活躍があったと言えます。 じゃあ、なんで日本代表やサンウルブズに選ばれると成績が振るわなくなるかというと、 日本代表に選ばれたということは、日本代表の合宿に参加することになりますし、サンウルブズでも試合をするわけで、日本代表やサンウルブズの合宿や試合が終わって、いざトップリーグが始まるよ、となるときには、選手も疲れていて、練習どころではなくなるわけです。 記事によると、パナソニックでは、そんな時こそ若手が活躍するチャンスと言っていましたが、それでも主力選手が疲労で出れないとなると辛いはずがありません。 ですが、今年のトップリーグでは遂に、「俺らも本気だぞ!!」と言った本気ぶりが出ていることと、裏を返せば、昨年、主力選手が日本代表やサンウルブズに呼ばれていた時に、若手が頑張ってくれたことで、選手層が厚くなったことが強さの秘密としてあります。 まだまだその強さを温存しているように見え、パナソニックに勝てるチームはいるのかなと思うくらいです。 パナソニックの選手層の厚さとは 今、お話した選手層の厚さについてですが、トップリーグでは後半はリザーブが全員出てくるような状況が多く、23人で戦うというのが見て取れるかと思います。 大学選手権だと、残り5分とかになって全員が出るといったことが多かったり、高校ラグビーだとリザーブの数は多いものの出さないことが多いですが、トップリーグに関しては、選手交代が早いんですよね。 パナソニックで言えば、HO の坂手淳史選手が、後半には堀江翔太選手に交代するよ、といった勢いですし、僕が凄いなと思うのは、ハーフ団を変えることができることです。 つまり、前半は、内田啓介選手(SH)と山沢拓也(SO)がゲームプランを作っておいて、後半には、小山大輝選手(SH)と松田力也選手(SO)に代わるといった具合です。 昨年のワールドカップでの日本代表では、SHの流大選手から田中史朗選手に代わるというのを覚えているかと思いますが、SOまで代えるチームはあまりないです。 SHが前後半で変わると、テンポが変わるのはご存じのことかと思います。 リコーでも、マット・ルーカス選手(元サントリー)が、SHの控えとしていて、彼が出ることで試合のテンポが変わるということはあるんですが、SOまで変えるというのは見ないです。 ただでさえSHが代わることでテンポが変わるのに加えて、さらにSOまで変えてくるわけですからね。 しかも、交代によりレベルが下がるわけでもなく、ほぼ同じ実力か、逆に時にはそれ以上かという選手が出てくるのは、敵にとっては脅威でしかないでしょう。 後は、全チーム総当たりの長い戦いであることを考えると、後半から出てくる堀江選手なんてパワーが有り余っているのが見えるわけです。 そこが、トヨタやクボタに圧勝できている要因じゃないかと思います。 パナソニックと神戸製鋼の選手層の厚さは、リザーブの選手が他のチームに行ったとしたら、ほぼ全員レギュラーになれるんじゃないかというぐらいの実力でで、他のチームからしてみたら羨ましくて仕方ないことでしょう。 今回のトップリーグが総当たりの長丁場であることを考えると、この選手層の厚さが敵のチームにはボディーブローのように効いてくることでしょう。 日本の選手も海外選手も優秀な選手が多く隙が無いような状態と言えます。 ただ、しいて言えば、福岡堅樹選手が(WTB)セブンズへ行ってしまうというのがあります。 福岡堅樹選手は、WTBでも別格で、福岡選手の代わりは早々、いないわけで、そんな選手がいなくなることは戦力ダウンなのは明らかなので、その影響がどうなるのかが見ものかと思います。 昨年優勝の覇者、神戸製鋼 神戸製鋼は、第1節のキヤノン戦で50-16と大勝。 接戦になると言われた第2節のヤマハ戦では接戦の末36-24で勝利。 ヤマハのクワッガ・スミス選手(7番FL)が大活躍だった試合です。 ヤマハは今季、トップリーグ1のスクラムの強さと言われていますが、神戸製鋼もしっかりイーブンの強さを見せ、こちらも隙が無い、といった状態です。 昨季に優勝した自信から来る強さというものも半端無いです。 パナソニックと同じく選手層が厚く、神戸製鋼は特に前3のやり方がオシャレだな~と思います。 というのも、みなさんご存じの中島イシレリ選手(PR)はリザーブで後半から登場するんです。 スターティングメンバーで言えば、1番PR 平島久照選手(37歳)、2番HO 平原大敬(33歳)、3番PR 山下裕史(34歳)と、なんと3人とも30歳オーバーなんです。 これは他の動画で言ったと思うんですが、PRやHOのポジションって辛いよというのをお伝えしてるんですが、前3って、年が行けば行くほどいぶし銀になっていくんです。 職人気質のところがあって、年を重ねれば重ねるほど技術がついてくるポジションらしく、ウィングやフルバックよりも選手年齢が長い、ということがあります。 神戸製鋼の最初の前3はベテランを出し、疲れた後半に、リザーブで元気なイシレリ選手が投入されるといった具合で、そういったところに選手層の厚さを感じるわけです。 前3の選手層の厚さと言うと、ワールドカップの南アフリカのような戦い方ができるわけです。 ワールドカップの南アフリカは、先発、リザーブのどっちの実力が上、下、関係なく、6人の優秀な前3がいて、前後半に分かれて出てくるわけです。 同様のことをやっている神戸製鋼は強いわけです。 そして、10番SOの ダン・カーターと、5番LOのブロディ・レタリックは別格ですねー。 敵チームも特にヤマハ戦では、ダン・カーターを狙いうちしていましたが、それでも活躍するのは凄いですし、レタリック(204㎝121㎏)の走る量と強さが、今年の神戸製鋼をさらに強くしている気がします。 トム・フランクリン選手は、身長が2mあるんですが、レタリックが来る前はLOだったのが、今年は、FLに下がったといった具合です。 今年は2mを超える選手が3人揃うというパワーを代表するチームな上に、ダン・カーターを中心とするバックスの上手さもあり、隙が無い状態です。 リチャード・バックマンやラファエレティモシーらセンター陣の上手さだけでなく、ウィングには強いアタアタ・モエアキオラがいるといった具合で、こんな神戸製鋼に勝てるチームがいるんだろうか、と思うほどです。 神戸製鋼とパナソニックの共通点とは この2つのチームの共通点は何かと考えた時に出た答えが「 ポゼッション率が高い」とぃうこと。 つまり、ダン・カーターの素晴らしいキックがあるんだけど、簡単に蹴らないんです。 まるで去年までのサントリーを見ているかのようです。 サントリーは今年は例年以上にキックを蹴っているのと逆に、神戸製鋼とパナソニックの2チームはポゼッション率が高く、早く言えば、簡単に蹴らない。 そんなチームの方が強いわけなんですが、そんな試合って疲れるじゃないですか。 だけど、この2チームはそれができるんです。 なぜなら、そう、選手層が厚いからです。 このラグビースタイルで言えば、疲れも他のチームより少ないながらも高いパフォーマンスで長く活躍するチームなんじゃないか、だから強いんじゃないかと思いました。 神戸製鋼は、トップリーグ1「個」で打開できる選手が多いチームという印象です。 もちろんパナソニックもそうなんですが、パナソニックで言えば、福岡堅樹のような選手が、神戸製鋼は多いんじゃないかと。 言い方を変えると、困った時に「個」で打開しがちなチームは、ちょっと劣勢になるとチームのまとまりが無くなるという表裏一体の部分もあります。 僕的に言うと、チームとしてのまとまりはパナソニックの方があって、神戸製鋼は困った時には、やっぱり誰かが打開するチームで、そうなると、「イエローカード」が怖いチーム、イエローカードには要注意ということになります。 これを書いたもう一つの理由は、皆、血の気が凄くて、いつ乱闘が起こってもおかしくないような選手が多いんです。 そこが、「イエローカード」が出なきゃいいなーって思うところです。 4月11日全勝対決なるか? この2つのチームの実力が、他のチームと比べて抜きんでているということは、4月11日の直接対決まで、下手すれば全勝の流れになるんじゃないかと考えてしまいました。 そのぐらいこの2強は突出しています。 とすると、神戸製鋼は、全勝対決まで山が3つあるかなと。 これらのチームが、パナソニックや神戸製鋼に勝利すれば、また戦局が変わって楽しめるのではないかと思います。 今季は下位チームががんばって上位チームに食い込みを見せていて、ファンとしては混戦が見たいわけなんですが、第2節までを見てくると、パナソニックと神戸製鋼の2強時代がきちゃうんじゃないかと言うぐらいの強さを感じたので今日のトピックスとして選ばさせてもらいました。 トップリーグは、ほんと楽しいですよ。 毎週・毎週、好カードが眠りまくっているんで、ぜひ、皆様も好きなチームだったり会場に足を運んで見て頂ければと思います。 それでは!「レッツラグビー!!」.

次の