唐衣きつつなれにしつましあれば。 『三河八橋の無量寿寺:在原業平「唐衣きつつなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ」の歌枕』刈谷・知立(愛知県)の旅行記・ブログ by ハンクさん【フォートラベル】

洛北の新緑とカキツバタ―唐衣(からころも)末富[京の暮らしと和菓子 #12]

唐衣きつつなれにしつましあれば

【東下りの概要】 昔、ある男が、自分は必要ないと思い込み友人と東国へ旅に出た。 三河の国の八橋でカキツバタが美しく咲いているのを見て、男は妻を思う歌を詠んで皆その歌に涙した。 その男、身を要なきものに思ひなして、 「京にはあらじ、東の方に住むべき国求めに。 」 とて行きけり。 もとより友とする人、一人二人して行きけり。 道知れる人もなくて、惑ひ行きけり。 三河の国、八橋といふ所にいたりぬ。 そこを八橋といひけるは、水ゆく河の蜘蛛手なれば、橋を八つ渡せるによりてなむ、八橋といひける。 その沢のほとりの木の陰に下りゐて * 、乾飯 かれいひ 食ひけり。 その沢にかきつばたいとおもしろく咲きたり。 それを見て、ある人のいはく、 「かきつばたといふ五文字 いつもじ を、句の上 かみ に据ゑて、旅の心を詠め。 」 と言ひければ、詠める。 [時知らぬ山は富士の嶺 ね いつとてか 鹿の子まだらに雪の降るらむ] その山は、ここにたとへば、比叡の山を二十ばかり重ね上げたらむほどして、なりは塩尻のやうになむありける。 それをすみだ川といふ。 その川のほとりに群れゐて、 「思ひやれば、限りなく遠くも来にけるかな。 」 とわび合へるに、渡し守、 「はや舟に乗れ。 日も暮れぬ。 」 と言ふに、乗りて渡らむとするに、みな人ものわびしくて、京に思ふ人なきにしもあらず。 さる折しも、白き鳥の嘴 はし と脚と赤き、鴫 しぎ の大きさなる、水の上に遊びつつ魚 いを を食ふ。 京には見えぬ鳥なれば、みな人見知らず。 渡し守に問ひければ、 「これなむ都鳥」 と言ふを聞きて、 [名にし負はばいざこと問はむ都鳥 わが思ふ人はありやなしやと] と詠めければ、舟こぞりて泣きにけり。 その男は、我が身を役に立たないものに思い込んで、 「京にはおるまい、東国の方に済むふさわしい国を探しに 行こう。 」 と思って出かけた。 以前から友とする一人二人とともに出かけた。 一行の中に 道を知っている人もなくて、迷いながら行った。 三河の国、八橋という所に着いた。 そこを八橋といったのは、水の流れる川がクモの足のように八方に分かれているので、橋を八つ渡してあることによって、八橋といった。 その沢のほとりの木の陰に 馬から 下りて座って、乾飯を食べた。 その沢にかきつばたがたいそう趣深く咲いていた。 それを見て、ある人が言うには、 「かきつばたという五文字を 和歌の 各句の頭において、旅の思いを詠め。 」 と言ったので、 その男が 読んだ 歌。 [唐衣を着ているうちにやわらかく見になじんでくる褄のように、なれ親しんだ妻が 都に いるので、 その妻を残して はるばると遠くまでやって来た旅を、しみじみと 悲しく 思うことだよ。 ] と詠んだので、一行の人は皆、乾飯の上に涙を落として 乾飯が涙で ふやけてしまった。 宇津の山に着いて、自分が分け入ろうとする道は、 木々が茂り たいそう暗く 道も 細い上に、蔦・楓は茂り、なんとなく心細く、思いがけない つらい めを見ることだと思っていると、修行者が やってきて一行に 出会った。 「このような道を、どうしていらっしゃるのですか。 」 という人を見ると、見知った人であった。 京に、あの 恋しい 人の御もとにと言って、手紙を書いてことづける。 [時節を知らない山は富士の嶺だよ。 いったい今をいつだと思って、鹿の子まだらに雪が降り積もっているのだろうか。 ] その 富士の 山は、ここ 都 でたとえるならば、比叡山を二十くらい重ね上げたような高さで、形は塩尻のようであった。 それをすみだ川という。 その川のほとりに 一行が 集まって座って、 「 都のことを 思いやると、限りなく遠くまで来てしまったものだなあ。 」 と互いに嘆き合っていると、渡し守が、 「早く舟に乗れ。 日も暮れてしまう。 」 と言うので、乗って渡ろうとするが、一行の人は皆なんとなく心細くて、 というのも 京に 恋しく 思う人がいないわけでもない。 ちょうどそんな折、白い鳥でくちばしと脚とが赤い、鴫ほどの大きさである 鳥 が、水の上で遊びながら魚を食べている。 京では見かけない鳥なので、一行の人は誰も見知らない。 渡し守に尋ねたところ、 「これこそが都鳥 だよ。 」 と言うのを聞いて、 [思ひなして] 思い込んで。 [求めに] 求めに 行こう。 下に「行かむ」が省略されている。 [もとより] 以前から。 前々から。 [一人二人して] 一人二人とともに。 「して」は動作を共にする人数・範囲などを表す格助詞。 [おもしろく咲きたり] 趣深く咲いていた。 「おもしろし」で趣がある。 風情がある。 [いはく] 「いふ」の未然形「いは」に接尾語「く」が付いて名詞化したもの。 [句の上 かみ に据ゑて] 和歌の 五七五七七の各句の初めに置いてという意味。 [詠める] 詠んだ 歌。 下に「歌」が省略されている。 [唐衣きつつ] 「なれ」を導き出す序詞。 [なれ] 「馴れ 親しくなる 」と「萎れ 着古してくたくたになる 」の掛詞。 [つま] 「妻」と「褄 着物の裾の両端 」の掛詞。 [き] 「来」と「着」の掛詞。 [ほとびにけり] 涙で ふやけてしまった。 [わび合へるに] 互いに嘆き合っていると。 [日も暮れぬ] 日も暮れてしまう。 「も」は強意の係助詞。 [なきにしもあらず] ないわけでもない。 「しも」は強意の副助詞。 [遊びつつ] 遊びながら。 [名にし負はば] 名にもっているのならば。 答え:馬から下りて座った。 答え: 「唐衣…」の歌=都に残した妻への思いと旅の思い。 「駿河なる…」の歌=都の妻を思い、自分のことを忘れたのかと嘆く思い。 「時知らぬ…」の歌=五月の終わりというのに、雪が白く降り積もっている富士山への驚きと感動。 「名にし負はば…」の歌=都に残した妻への思いと望郷の思い。 まとめ いかがでしたでしょうか。 今回は伊勢物語の「東下り」についてご紹介しました。 その他については下記の関連記事をご覧下さい。

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東くだり・伊勢物語 現代語訳・原文

唐衣きつつなれにしつましあれば

伊勢物語「東くだり」の八橋・駿河の国・都鳥です。 長文になるので現代語訳・原文だけを掲載しています。 昔、男ありけり。 昔、男がいた。 その男、身を要なきものに思ひなして、京にはあらじ、 その男は、自分を必要のないものと思い込んで、京にはおるまい、 東の方に住むべき国求めにとて行きけり。 東国の方に住むのにふさわしい国を探しにと思って出かけた。 もとより友とする人、一人二人して行きけり。 以前から友人である人、一人二人とともに出かけた。 道知れる人もなくて、惑ひ行きけり。 道を知っている人もいなくて、迷いながら行った。 三河の国八橋といふ所に至りぬ。 三河の国の八橋という所に着いた。 そこを八橋といひけるは、水行く川の蜘蛛手なれば、 そこを八橋といったのは、水の流れる川がクモの足のようなので、 橋を八つ渡せるによりてなむ、八橋といひける。 橋を八つ渡してあることによって、八橋といったのだ。 その沢のほとりの木の陰に下りゐて、乾飯食ひけり。 その沢のほとりの木の陰に降りて座って、乾飯を食べた。 その沢にかきつばたいとおもしろく咲きたり。 その沢にかきつばたがたいそうすばらしく咲いていた。 それを見て、ある人のいはく、 それを見て、ある人が言うには、 「かきつばたといふ五文字を句の上に据ゑて、 「かきつばたという五文字を和歌の各句の頭に置いて、 旅の心を詠め。 」と言ひければ、詠める。 旅の気持ちを詠め。 」と言ったので、詠んだ。 唐衣きつつなれにしつましあれば 着なれた衣の褄のように、なれ親しんだ妻が都にいるので、 はるばるきぬる旅をしぞ思ふ はるばるやって来た旅をしみじみ思うことだ。 と詠めりければ、みな人、 と詠んだので、その場にいた人は皆、 乾飯の上に涙落として、ほとびにけり。 乾飯の上に涙を落として、ふやけてしまったのだった。 行き行きて、駿河の国に至りぬ。 どんどん行って、駿河の国に着いた。 宇津の山に至りて、わが入らむとする道は、 宇津の山まで行って、自分が分け入ろうとする道は、 いと暗う細きに、蔦・楓は茂り、もの心細く、 ひどく暗く細い上に、蔦や楓が茂り、なんとなく心細く、 すずろなるめを見ることと思ふに、修行者会ひたり。 思いがけない辛いめに会うことだと思っていると、修行者が出会った。 「かかる道は、いかでかいまする。 」と 「このような道に、どうしていらっしゃるのですか。 」と 言ふを見れば、見し人なりけり。 言うのを見ると、見知っている人だった。 京に、その人の御もとにとて、文書きてつく。 京に、あの人の御もとにと思って、手紙を書いてことづける。 駿河なる宇津の山べのうつつにも 駿河の国の宇津の山の辺りにいますが、宇津の山といえば、うつつにも、 夢にも人にあはぬなりけり 夢にもあなたに会わないことだよ。 富士の山を見れば、五月のつごもりに、雪いと白う降れり。 富士の山を見ると、五月の末に、雪がたいそう白く降り積もっている。 時知らぬ山は富士の嶺 時節をわきまえない山は富士の嶺だ。 いつとてか鹿の子まだらに雪の降るらむ 今をいつだと思って鹿の子まだらに雪が降っているのだろうか。 その山は、ここにたとへば、比叡の山を二十ばかり重ね上げたらむほどして、 その山は、都で例えるならば、比叡山を二十くらい重ね上げたような高さで、 なりは塩尻のやうになむありける。 形は塩尻のようだった。 なほ行き行きて、武蔵の国と下総の国との中に、 さらにどんどん行って、武蔵の国と下総の国との間に、 いと大きなる川あり。 それをすみだ川といふ。 たいへん大きな川がある。 それをすみだ川という。 その川のほとりに群れゐて、思ひやれば、 その川のほとりに集まり座って、思いをはせると、 限りなく遠くも来にけるかなとわび合へるに、渡し守、 はるばると遠くにやって来たものだなあと心細く感じ合っていると、渡し守が、 「はや舟に乗れ。 日も暮れぬ。 」と言ふに、乗りて渡らむとするに、 「はやく舟に乗れ。 日も暮れてしまう。 」と言うので、乗って渡ろうとするが、 みな人ものわびしくて、京に思ふ人なきにしもあらず。 一行の人は皆なんとなく悲しくなって、京に思う人がいないわけではない。 さる折しも、白き鳥の嘴と脚と赤き、 ちょうどそんな折、白い鳥でくちばしと脚とが赤い、 鴫の大きさなる、水の上に遊びつつ、魚を食ふ。 鴫の大きさくらいの鳥が、水の上で遊びながら魚を食べている。 京には見えぬ鳥なれば、みな人見知らず。 京では見かけない鳥なので、一行の人は誰も見知らない。 渡し守に問ひければ、「これなむ都鳥。 」と言ふを聞きて、 渡し守に尋ねたところ、「これが都鳥だ。 」と言うのを聞いて、 名にし負はばいざこと問はむ都鳥 都という名前を持っているのならば、さあ尋ねてみよう、都鳥よ、 わが思ふ人はありやなしやと 私がいとしく思っている人は無事でいるのかどうかと。 と詠めりければ、舟こぞりて泣きにけり。 と詠んだので、舟の中の人はみんな泣いてしまった。

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「東下り」での「唐衣きつつなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ...

唐衣きつつなれにしつましあれば

折句(おりく)とは、ある一つの文章や詩の中に、別の意味を持つ言葉を折り込む言葉遊びの一種で、和歌の各句の頭にある言葉を折り込む形が有名です。 たとえば、伊勢物語の「東下り」では、「『かきつばた』を用いて歌を詠め」と言われて、次のような和歌を詠みます。 唐衣着つつなれにしつましあれば はるばるきぬる旅をしぞ思ふ (着なれた衣の褄のように慣れ親しんだ妻が都にいるので、 はるばる遠くに旅に来たことをしみじみ思う。 ) これを各句に分けて、その句頭の文字をみてみましょう。 からころも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞ思ふ この時代においては、濁点と言う符号はなかったので「は」という清音と「ば」という濁音の区別はありませんから、みごとに各句の頭に「かきつばた」が折り込まれ、都に残した妻を想う和歌となっています。 さらに、この折句の一種で、各句の頭(冠)と、各句の末(沓<くつ>)にある言葉を折り込んだものが沓冠です。 徒然草で有名な吉田兼好と友人の頓阿との間でやり取りされた和歌が有名です。 夜も涼し寝覚めの仮庵手枕も 真袖も秋に隔てなき風 (兼好) (秋の夜に涼しさで目が覚めると、腕枕した袖の間から冷たい風が吹き込んできました。 ) 夜も憂し妬たく我が背子果ては来ず なほざりにだに暫し訪ひませ (頓阿) (秋の夜は長いが、残念なことに君は来なかった。 少しでもいいから顔を見せればよかったのに。 ) この二人は、何を言っているのでしょか? よもすず し ねざめのかり ほ たまくら も まそでもあき に へだてなきか ぜ よるもう し ねたくわがせ こ はてはこ ず なほざりにだ に しばしとひま せ 兼好は頓阿への和歌で「冠」(各句の頭)は、初句から結句にむかって「 よねたまへ」=「米給へ」=「お米を下さい」になります。 また「沓」(各句の末)は、結句から初句にむかって「 ぜにもなし」=「銭も欲し」=「お金も欲しいです」になります。 一方頓阿は兼好に対する返事の和歌で「冠」(各句の頭)は、初句から結句にむかって「 よねはなし」=「米は無し」=「お米はありません」になります。 また「沓」(各句の末)は、結句から初句にむかって「 ぜにすこし」=「銭少し」=「お金は少しあります」になります。

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