心 開い てく 黒船 来航。 ウクライナの内紛と日本(クリミア戦争と黒船来航)

[抜書き]『黒船以前 パックス・トクガワーナの時代』

心 開い てく 黒船 来航

1冊あたりが分厚い上に4冊あるので躊躇っていた再読に着手。 木戸孝允(桂小五郎)主人公というだけで大変レアだけれど、本書は小説というよりはむしろ幕末史の教科書として有効。 フィクション部分がほぼなく、とにかく丹念に史料を拾い、当時の日本が置かれていた状況から、ペリーの評判(『緋文字』のホーソーン宅にペリーが来訪した際の談話あり)まで詳細に解説。 で、えっと、小五郎どこいった?というくらい、枝葉の部分のほうが多いのだけど、読み応え抜群、とにかくおたくは一度はこれを読むべし。 ところで俗に「維新三傑」と言われるのは西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允(桂小五郎)の三人ですが、ぶっちゃけ理由は、明治になっても生き残ってたから、というだけで、人気は西郷さんの一人勝ち。 大河ドラマも、坂本竜馬や西郷隆盛は主人公になるけれど、桂小五郎、知名度のわりには人気がないのかドラマ主役はおろか、小説でも彼が主人公のものはほぼ見かけない(まあ大久保利通もそうだけど)。 同じ長州なら多分、高杉晋作が圧倒的に人気でしょう。 なんでか、と考えたときに、日本人は(いや世界的にかもしれんけど)どうも歴史上の人物というと自由奔放、豪傑タイプが好まれる傾向があり(あとは義経のように判官贔屓か)、文官より武官、真面目より破天荒なほうが、凡人のわが身と比較していかにも英雄然として憧れるという心理があるのだと思う。 加えて、若くして亡くなった人のほうが生き残った人間よりも美化されるし(これは俳優やアーティストなんかも一緒)こつこつ地味に頑張りましたは逆に評価されにくいんだろうなあと。 そんな報われない桂(木戸)ファンのバイブルがこちら。 『醒めた炎』って、タイトルだけでもう木戸さんの本質を突いていて秀逸! とまあ、うざい前置きはさておき。 本書では前述のとおり、1853年ペリーが浦賀に来た頃(小五郎19歳)から、時代背景を解き明かしつつ彼が頭角を現し藩の重鎮となっていく過程をほぼノンフィクションで描き出していきます。 1巻ではひとまず安政の大獄、吉田松陰の死などを経て、文久2年、年上の義弟・来原良蔵が切腹するあたりまで。 長州藩の主要人物はほぼ出そろっています。 これが司馬さんだったら序盤でがつんと小五郎の人となりがわかるような創作エピソードをぶちこんでくるところだけれど、村松剛は一切それをしないどころか、世間に流布している通説・伝説ですら覆してくる。 たとえば『竜馬がゆく』でも序盤のエピソードとして挿入されていた、江戸三大道場の撃剣会で竜馬と小五郎が対決して小五郎が負けたというあれ、実は史料としては武市半平太の手紙にあるだけで、しかもその手紙が後世の偽書だったため、まったく史実ではない(その当時、竜馬も武市も土佐に帰っていた) さらに『燃えよ剣』で使われていた、試衛館に道場破りが来て助っ人に小五郎が呼ばれてくるエピソード、あれも実際にその話を語っているのは小五郎の後に練兵館の塾頭になった渡辺昇で、彼自身のエピソードであり、小五郎の話ではない。 もちろん、可能性としてゼロではないし、試衛館時代に新選組一派と小五郎に面識があったら・・・と想像するのは楽しいけれど、どこまでが史実でどこから創作かを知る作業もまた興味深い。 1853年のペリー来航から尊皇攘夷が始まり、次第に公武合体が叫ばれ、そのうち倒幕運動に至り、1867年の五ヶ条の御誓文と王政復古により1868年に明治政府が誕生する。 この間、わずか15年。 その間、政策がいったりきたりし、プレーヤーも誕生したり、去っていったりと目まぐるしい。 しかし、一貫して真ん中に居続けたのが、維新の三傑の中でも木戸孝允 桂小五郎 だろう。 長州藩のエリートとして期待され、最後までやりきった。 本書の著者は仏文学者。 なぜこのバックグラウンドを持った人が木戸孝允を書こうとしているのか、まだ、一巻目では背景はわからないが、きっと最終巻のあとがきにあるにちがいなくそこまでの楽しみとしたい。 海外の文献にも丁寧にあたっているので、日本へ開国を迫る欧米列強の内部事情が詳しく調べられている。 ペリー以前の各国の交渉人は非常に丁寧に日本人と接したばかりに、徳川幕府はなめてかかり不成立。 その失敗を分析して挑んだペリーは、超強硬手段で相手のことなど構わず押し込んでみたら、日米修交通商条約に至る。 なんだか、ここのところの国際情勢などが彷彿とさせられる。 本書を読んで気がついたのは、「征夷大将軍」と「攘夷」は同じ「夷」の字があるということだ。 つまり、武士の棟梁とは「夷を征する」役職を朝廷から頂いているのに、欧米列強という「夷」を征さないなら徳川幕府は無用ではないか、という思いが孝明天皇や公家たちに、あったのであろう。 一方、幕府は隣国の清が1840年のアヘン戦争でイギリス、フランスに負けたことによりどんどん植民地化されていく様を知っていたので、国力がつくまでは戦ってはいけないことを知っていた。 結果的には、封建制度の幕藩体制から近代国家に代わり、日本はアジアで唯一の地位を占めることになる。 今年はその明治維新から150年。 また、トランスフォーメーションとしての維新が必要なのではないか、と教育の現場にいると強く思う。 明治維新、戦後と日本が大きく変わった時は何がどうあったのかをもう一度頭で整理しながら丁寧に学んでおきたい。 そうそう、松下村塾門下生は、自分のことを「僕」と呼んでいたそうだ。 僕も大学生くらいから、「僕」を使い始めたことを思い出した。 いまでも、僕は「僕」だ。 優読書 2015. 01読了 1990. 21購入 副題「木戸孝允」 最初、日本経済新聞の日曜版に連載されました。 その後、1987年に中央公論社から上・下二巻の単行本として刊行され、1990年に四巻の文庫版になりました。 「花燃ゆ」関連で、「世に棲む日日」司馬遼太郎著、全四巻を読んだついでに、長州藩関連で、この本に取り掛かりました。 一巻500頁ほどで、4冊ありますので、なかなか取りかかれなかったのですが、この機会に読破できればと思います。 小説かなと思って読み始めたのですが、幕末史という感じです。 「ユダヤ人」「ジャンヌ・ダルク」という著作もあるので、日本だけでなく、アメリカやヨーロッパのことにまで触れながら書いています。 中心軸は、長州藩と桂小五郎にあるのですが、必要に応じて、水戸藩や薩摩藩、その他の藩 土佐藩、福井藩、等 にも触れて行きます。 なかなかに興味深い本です。 1987年に菊池寛賞を受賞しているというのももっともかなと思います。 この巻では、「黒船」来航のころから「久光東上」「生麦事件」のあたりまで、述べています。 「花燃ゆ」では、詳しく触れていないあたりも、詳しく触れています。 詳しくなれば、わかりやすくなるというわけではないのは残念ですが、幕末の京都、江戸の情勢は、複雑怪奇ということなのでしょう。 五尺八寸は、百七十四センチである。 北辰一刀流千葉道場の塾頭だった坂本竜馬は長身で知られ、これは剣客とはいえないながら久坂玄瑞も大男だった。 専門は、眼科と外科とである。 小五郎は満六歳のとき、近くに住んでいた大組 馬廻り 士の桂九兵衛孝古の養子となる。 桂孝古は、知行百五十石。 大名の抱え医師が坊主頭にする習慣は、そこから出たらしい。 舟の櫓をはずして押流し、船頭が慌てるのを見てよろこんだり、船端に手をかけて舟をひっくりかえしたりする。 当時もいまも日本ではあまり知られていないことだが、この国は金、銀、銅、ダイヤモンドなどの地下資源を無尽蔵にもっていると、欧米では信じられていた。 議会がこれを拒否すると、彼は植物学者、画家、写真技師などを臨時の軍人として採用し、軍人のなかからも地質学、天文学などの知識をもつものを、つとめて艦隊に集めるようにした。 オランダの独占貿易権を排除してこれらの天然資源を世界市場に放出させ、あわせて「仏教や神道のような腐敗した教義」から日本人の魂を救い出すことが、すなわちプロテスタント教会の発する「純粋な福音の神聖な光をもって東方の列島を照らすこと」が、ペリイ艦隊の使命であると彼はいう。 松陰の日記、書簡を通読すると、彼は松下村塾の弟子たち以外では小五郎と來原良蔵とをいちばん深く信頼していた。 維新以後の行動を見ても、「五箇條の御誓文」の完成稿をつくり、公卿たちの抵抗を排してこれを明治新政の基礎にすえたのは木戸だったし、廃藩置県を西郷に説いて強引に遂行したのも彼だった。 木戸はこの時、殺される覚悟でいた。 三権分立と地方自治の確立とを、廟堂でだれよりも熱心に主張したのは木戸である。 「人民のための政府」という言葉が、彼の日記、書簡のなかにはくりかえし出て来る。 大砲の威力が大きくなれば、天守閣のような塔は単に敵に格好の標的を提供するだけである。 異例の抜擢、といってよい。 大検使は江戸藩邸の財務主任であり、機密費として毎年銀二百五十匁を「拝借」の名目で支給される。 久坂は村田臧六 大村益次郎 が江戸麹町の下六番町に開いていた学塾、鳩居堂に十月に入門し、さらに蕃書調所にはいった。 ところが玄瑞には蘭書の素養がなく、外国語の書籍購読について行けない。 長州に新しくつくられた洋学所で勉強しなおすことが、彼の帰藩の目的である。 直弼は駕籠の外から刺され、負傷した身体をひきずり出されて有村次左衛門に首を斬られた。 ひとりは島原のお辰 井筒タツ で、そのまえに愛妓にしていたのが祇園の秀勇である。 18 「古代の光を求めて」村松剛著、角川新書、1964. 15 「ジャンヌ・ダルク」村松剛著、中公新書、1967. 25 「花燃ゆ 二 」大島里美・宮村優子・金子ありさ作・五十嵐佳子著、NHK出版、2015. 30 「久坂玄瑞の妻」田郷虎雄著、河出文庫、2014. 20 「世に棲む日日 1 」司馬遼太郎著、文春文庫、2003. 10 「世に棲む日日 2 」司馬遼太郎著、文春文庫、2003. 10 「世に棲む日日 3 」司馬遼太郎著、文春文庫、2003. 10 「世に棲む日日 4 」司馬遼太郎著、文春文庫、2003. 10 「高杉晋作と奇兵隊」田中彰著、岩波新書、1985. 21 2015年8月7日・記 (「BOOK」データベースより)amazon ペリーが浦賀に来たとき、桂小五郎 木戸孝允 は江戸で剣の修業中だった。 黒船の日本来航は「黄金の国」日本の幻影と、パルマーという人物の熱心な運動とに、アメリカの議会が動かされたためである。 欧米の未発表史料や幕府隠密の報告までも駆使して、本書は、小五郎を中心に幕末、維新の歴史を活写する。 昭和62年度菊池寛賞受賞の大作。 「明治三傑」の一人、木戸孝允(桂小五郎)の事が物凄くよくわかる伝記です。 「あとがき」にある、「~創作ではない以上、架空のことがらは書けない~」の通り、所謂、小説とは違います。 私自身、司馬遼太郎の小説を好んで読んでいたので、最初の方はなかなか読み進まなかったのですが、段々と木戸孝允の人物に魅せられながら面白く読むことが出来ました。 元々、西郷・大久保の本を読んでいたのもあり、長州系の人物を詳しく知らなかったので、吉田松陰、周布政之助、来原良蔵、高杉晋作、久坂玄瑞、などなど木戸孝允が時代背景を通じてどのように変わって行ったのかがよくわかりました。 幕末に興味のある人は、読んでおいて損はないと思います! また、よくある言い伝えなども丁寧に考証してあったりするので、それも面白く感じました。 (文庫版1~4を通じての感想).

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「成長記録」って単語はありますか?

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3,622,470アクセス• 長州藩は、明治維新の立役者。 薩長の雄であり、藩主からして過激な尊王攘夷の思想の持ち主だったのですが、これは実は稀有なこと。 しかし、その流れはけっこう複雑なので、名残りをどこに求めるかでも景色は全く変わってくように思います。 例えば、萩はこれまで二度訪ねているのですが、松陰神社から古い武家屋敷の勤王志士の生家を回っても、ただ穏やかな風景が印象に残っているだけ。 むしろ、それ以降に回った山口市や特に下関市の方が新しい時代を切り開いた事件が生々しい。 例えば、下関で起きた高杉晋作の功山寺の挙兵は、これがなければ明治維新はなかったとも言えるほどの快挙。 諸隊を巻き込んで、守旧派、俗論党の根拠地、萩を攻めるのですが、私の中では薩長同盟のような理性で判断できる行動の対極ですね。 山口市から湯田温泉もしかり。 藩主自らが萩から情報の得やすい山口市に居を移し、新たな時代を模索する。 熱い思いが感じられました。 萩、下関、山口市。 私の中での整理は、おおよそこのようなものであったのですが、今回、それでもと思って、おさらいしてみた萩の印象はまさに一変。 明治維新への原動力の始まりはやはり萩、松陰先生で育まれたものだということを痛感しました。 ただ、その思いはあまりにも純粋であり、驚愕なほどに的を得ている。 偉大さを比較することにどれだけ意味があるか分かりませんが、坂本龍馬や西郷隆盛らを5とすれば、間違いなく高杉晋作は7、松陰先生は10以上。 高杉晋作や松陰先生のレベルになると凡人には理解できないサプライズの領域に入る気がします。 さらに、松陰先生は日本にとっての貢献に計り知れないものがあった一方で、その心の内を思うと激しい危機感と限りない使命感は孤独や絶望感と隣り合わせ。 その深さは他の追従を許しません。 というのも、尊皇攘夷が最も高揚した文久3年の頃でさえ、尊皇攘夷は幕府の変革を迫るものであり、求める理想は朝廷に従う幕府の姿。 結局、攘夷を実行するのも幕府であるとしていて、それでは施政の中心はやっぱり幕府であるという考え方にしか過ぎません。 幕府なんかなくしてしまえというのだって、単に勇ましい掛け声の域は出ていなかったのだと思います。 大政奉還は倒幕の動きを押し戻したものと言われますが、薩摩藩ですら、本当に倒幕の腹を固めたのはやっとこの頃だったような。 それも岩倉具視や大久保利通の強い意思がなかったら、かなり怪しかったように思います。 それに対し、松蔭先生は早くから倒幕の思想を持ち、草莽崛起論に行き着く。 その先見性から見た時代の有り様は、泣きたくなるような風景だったはず。 しかし、それでもそこに諦めの言葉はない。 ひたすら、人を信じ、未来を信じるその姿勢こそが松蔭先生。 志士たちの心を動かす根本だったのだと思います。 ふと気がつくと感謝の気持ちがあふれてきて、胸がいっぱい。 涙が止まらなくなってしまいました。 一方、その感謝の気持ちや尊敬の気持ちはまだしっかり地元に息づいていることが確認できたことも嬉しい収穫。 幕末の長州藩の原点は萩にあり。 かなり回り道になりましたが、妥当なところにようやく帰ることができたかなと思います。 さて、萩の街歩きはこれから二日間。 どこにどんなものが眠っているか。 例によって、しらみつぶしでどんどん回る旅の始まりです。 <山口県内の維新関係の旅(参考まで)> 山口市 下関市 岩国市 伝馬町の獄に繋がれ、とうとう斬首刑に処される。 安政6年(1859年)10月27日。 松陰、享年30歳のことでした。 ところで、死罪は老中間部詮勝の暗殺を謀ったというのが大きな理由。 自ら自白したということが松陰の純粋さを表しているといった評価もありますが、いずれにいしても、それを聞いて幕府としてこれを許すことはできない。 強引な判断ではないように思います。 ただ、私はなぜ松陰が間部詮勝に狙いを付けたのかがよく分からない。 間部詮勝は日米和親条約の勅許を朝廷から得るのに成功しますが、その論旨は極めて明快。 もともと、勅許を得ずに条約締結をしたというのは尊王攘夷派の言いがかりであり、そこから先に高邁な思想があったわけではないんですよね。 モヤモヤが残ります。 これは、鯖江で間部詮勝に触れた時の旅行記です。 参考まで。 最近、萩では反射炉とか造船所とかが世界遺産の登録となり、長州藩では近代技術の導入についても相応の取り組みがあったという視点がクローズアップされてきているようです。 それと合わせてでしょうか。 至誠館でも松陰先生関連の展示として、松陰が西洋の機械技術に関する書物を写したものを展示していました。 驚くほど細かなところまで正確に写し取っていて、これは几帳面な性格というだけでなく、一方では危機意識のなせるもの。 松陰は人を育てただけではなくて、旺盛な知識欲も傑出していたことが窺われました。 また、アヘン戦争後の中国では中国を破った英国の歴史や文化、科学技術や社会体制など広範囲に渡った膨大な報告書が出ていて、これもいち早く入手し研究している。 松蔭先生は想像以上に正確な知識や情報を持っていたんですね。 松陰先生の知らなかった側面を知り、ぼんやりしていたイメージが急に鮮やかなものに変わった気がしました。

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黒船来航がなければ、日本はどうなっていましたか?

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ママのお母さん(ショウコちゃんとユウ君のおばあちゃん)の新年のお墓参り。 そのあと、新年のご挨拶にママの実家に行きました。 遅めのお昼を食べた後、「」が観れました。 の想い、パパも同感なので以下引用させていただきます。 ちなみに、パパが参加したハマショーのツアーは(大阪城ホール)だったと記憶。 勿論、大阪城ホールのライブは最高でした。 12年ぶりにテレビに出演。 (中略) ********** 浜田省吾ライブスペシャル~僕と彼女と週末に~ (浜田省吾) 浜田省吾です。 2010年から2012年にかけて、どうして我々はいまこうして、この状況の中にいるのか、というテーマで、自分自身のライブ映像と、ニュース素材や、記録映像を使って、「僕と彼女と週末に」という映像作品を制作し、そしてそれを元にしたコンサートツアーを行いました。 これからご覧いただくプログラムは、そのツアーの、ステージの模様です。 楽しんでいただけたら、幸いです。 3月11日以降は、皆さん本当にいろんな想いを胸に抱いて、暮らしておられるのではないかと思いますが、今日はその厳しい現実や状況を束の間、忘れるというのではなくて、また明日からそれらのものと闘っていける、英気を養ってもらえるような、元気になってもらえるような、ステージをやりたいと思ってます。 この On The Road 2011は、俺達ミュージシャンにとっても、スタッフにとっても、特別なツアーになりました。 ベストを尽くして、いい夜にしたいと思います。 浜田さんは先ごろ、「僕と彼女と週末に」というタイトルで、日本の近代から現代へという時代の流れを、記録写真や、映像、そして、ニュース素材を使って見せるという、ユニークな映像作品を発表されました。 今日は、どうしてあのような作品をお作りになろうと思ったのか、その意図をですね、伺えたらという風に思ってるんですが。 どうしてあのような作品を? 浜田) えっとですね・・・うん。 田家) 始まりがですね。 浜田) はい。 田家) 明治維新とか黒船の来航とか、かなり古いところから始まりました。 浜田) そうですね、うん。 そうでした。 田家) しかもその、ご自身の未発表のライブ映像も使われていて、ミュージックビデオ的な構成になっているというのも、とってもユニークな点でした。 浜田) あ、そうですか。 田家) 浜田さん、どうされました? 大丈夫ですか? 浜田) どうして我々は、ここにこうして、この状況の中に、いるのか、このテーマは、どっから始めればいいのか、やはり明治維新からだろうなあと考えました。 それ以降、日本は急速に近代化され、内外にとって悲劇的な戦争の時代があり、敗戦後の混乱や貧困から立ち上がり、そして、今がある。 と同時に、世界も同じく、時を刻んでいる。 つい、十数年前までは、歴史の中の事件や出来事を調べようと思ったら、図書館に通って文献を一つ一つ一つ、探さなければいけなかった。 しかし今は、インターネットがあります。 一つの事件に関しても、幅広ーい翼の中から、映像も含めて、いろいろと検索することができます。 ミュージックビデオ的な音楽作品を入り口にして、俺達はどうしてここにこうしているのか、そのようなことを考えるきっかけになれば、と思って、制作しました。 この歌を作りました。 80年代半ば、戦争が終わって40年。 ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われ、アメリカを抜いて、世界一の経済大国になる。 そう、まさにバブル経済、これから頂点に向かっていく、そんな時代でした。 でも、その頃俺が感じたのは、そんな中で、少しずつ、日本人の持ってた慎ましさや、謙虚さや、勤勉さ、そのようなものが、失われていってる。 そんな風に感じました。 そして90年代。 バブルは崩壊し、国の財政赤字は、瞬く間に膨らみ、格差は広がり、あっという間に10年が失われました。 21世紀になって、明るい未来が待っているのか、そんな風に思ってた矢先、9月11日、同時多発テロで、世界は全く違う、扉を開いてしまった。 そしてつい最近、世界的な金融危機、あっという間に20年が失われた。 そして今年、3月11日、間違いなく、戦後最も、困難な時期に、この国はあると思います。 しかしこれを乗り越えて、いつの日か、多くの事を教訓にして、次の世代に、そのまた次の世代に、何かを残していけるのかどうか、そんな事を考えなきゃいけない、2011年だったような気がします。 そして25年前に、自分自身に問いかけた、言葉が、あの頃よりもっと、深い意味になって、自分に返ってきました。 Boy」 (浜田省吾) 生れたところをかなり、遠く離れたところにいます。 ひょっとしたら、いろんなとこ旅行したけど、今いるとこが一番遠いとこかもしれないなあ。 今日はですね、2010年の、9月の2日の、木曜日です。 えー今、俺がいるところは寒いですけど、聞くところによると東京は、今日は、9月にも関わらず35度だそうです。 もちろんその暑さは俺知ってて、ずーっとこの夏、CD、DVDの編集をやってたので、あの、強力な、暑さはよーく知ってます。 そして今年の夏は、パキスタンの洪水、中国の洪水、あとヨーロッパの乾燥、特にモスクワあたりの森林火災とか、本当に、地球の温暖化っていうのをリアルに感じた、夏です。 でも、俺は今、とても寒いです。 俺は黙ってたんだけど、実は君たちは、もう既に2011年の10月30日の世界にいるんだよね、日曜日という、埼玉スーパーアリーナ。 わ~後1年以上先なんだな、これより。 てことは、俺の知らない事をみんなは一杯知ってんだね。 今、俺が知らなくてこれから1年半ぐらい後の事を、全部君たちは知ってるんだ。 でも一つだけ、確かな事があって、もし、君がこれを見てるとしたら、俺はそれまで、元気で音楽をやってて、これから、センターステージで一緒に盛り上がる。 盛り上がっていこう。 ピース。 と、これをライブ会場で、もしくはブルーレイやDVDで、既に観てしまっている方たち。 今はもう2013年の世界に生きていて、この後に起こった出来事を、全部知っているんだよね。 そして、俺も2013年の春、この番組を作っています。 でも、この放送を今、あなたが観ているという事は、この番組は、無事に制作され、オンエアされているって事だよね。 つまり、世界は、存在しているって事だね。 さあ、こっからアンコール、センターステージの模様を一緒に観ようって、場面だね。 盛り上がっていこう。 ピース。 このテレビプログラムの制作に、携わって下さったスタッフ、コンサートツアースタッフ、映像音楽制作のスタッフ、全てのスタッフの方々に、感謝します。 そして誰よりも、コンサートに来て下さった、オーディエンスの方たち、更に、今この番組をご覧になって下さっている、あなたに、心から感謝します。 ありがとうございました。 遠く街を逃れて、浜辺に寝転んで、 彼女の作ったサンドイッチを食べ、ビールを飲み、 夜空や水平線を眺めて、僕らいろんな話をした。 彼女は、彼女の勤めている会社の、 嫌な上役の事や、先週読んだ、 J・D・サリンジャーの短編小説の事を僕に話し、 僕は、今度買おうと思ってる、新しい車の事や、 二人の将来の事を、話した。 そして、誰もいない、静かな夜の海を、 二人で、泳いだ。 あくる日、僕は吐き気がして目が覚めた。 彼女もひどく気分が悪いと、言い始めた。 それで、僕らは朝食を取らず、 浜辺を歩く事にした。 そしてそこで、その浜辺で、 とても奇妙な、情景に出会った。 数え切れないほどの、銀色の魚が、 波打ち際に、打ち上げられてたんだ。 サリンジャーと、吐き気がして目が覚めたというセリフ。 どこか、遠い国の話のようで、どこか不安な未来のようで、胸がザワザワしたそんな記憶。 「PAIN」の言葉が、深く、胸に響いた。

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