おる た な ハギー。 【不倫解説】Mリーグ実況【ハギーあり】 Part.7

【ポケモンGO】秋葉原行ってきた。【ハギー】【タピオカ】

おる た な ハギー

深夜の1時、俺はかなりイライラしていた。 新しい編集を担当してくれた会社から上がってきた動画の修正をしながらかなり苛立っていた。 手直しをするところだらけで修正だけで4時間は超えている。 もちろん動画編集をした経験があっても、いきなりおるたなの編集に合わせて一発目から満足いくクオリティの動画を提出できる人はなかなかいないだろう。 そうとは頭で分かりながらも俺はかなりイライラしていた。 はじめは「自分はこの修正の多さにイライラしているのだ。 」そう思っていた。 もちろんそれもあるのだが、冷静に自分の苛立ちの声を分析してみるとどうも様子が違う。 「こんなところにテロップ置いたら視聴者が見づらいでしょ!」 「ここのカットもっとしっかり繋がなきゃ見てる人に意味伝わらないじゃん!!」 「ここだけ音楽入れないと見てる人不自然だと思うじゃん!!」 冷静に心のイライラの声を聞いてみると修正の多さにイラついていたのではない。 「視聴するユーザーの目線に立っていない雑さ」にイライラしていたのである。 なんでこんな自分本位の編集なんだろう。 イライラの本質はそこにあった。 別に編集のティストが違くてもユーザーのことを考えた編集かどうかは見てて一発で分かる。 美容室行って注文と多少違くても丁寧に似合わせようと思ってカットしてくれたのか、それとも雑に終わらせたのか、一発で分かるように編集というのもそれと同じである。 (まぁ、いくら丁寧でも注文と違ったらそれはそれで嫌ではあるが。 笑) だからそう言う思いやりが欠けてる作品を見て俺はイライラしていたのだと気づいた。 ありがたいことに今は自分の手での編集以外でも、ハギーやタイガが自分の編集の意図を汲んでユーザー視点の素晴らしい編集してくれるので気づかなかったのである。 普段自分が無意識に何を考えて動画を作っているかということに。 今回久しぶりに自分の手で作ったものとかけ離れた動画を手にしたときに、意識してなかった自分の気持ちに気づいたのである。 あぁ、「俺は視聴者目線の動画を作りたがってるんだ」と。 これには俺も驚いた。 だって今までずっと「自分がやりたいことをやる、それが俺の好きなこと」と思っていた男だもの。 言うならば自分の自己顕示欲を満たすために、人から認められるために動画を作ってきた。 そう思っていた。 でも今日のふとした瞬間に気づいたのは「あぁ、俺はもう充分満たされたんだな。 みんなが満たしてくれたんだな。 」ということ。 確かに昔は「成り上がってやる!」「多くの人に自分の存在を認めさせてやる!」そう意気込んで毎日戦ってた。 YouTubeは自分を認めさせる手段だと思っていた。 でも、最近は全然その思いでは馬力が働かないのである。 昔はよく動いていたエンジンがそのエネルギーを注いでもまるで動かない。 これにはほとほと困っていた。 あんなに情熱的に燃えていたのに急に落ち着いてしまった。 まずい、なんとかしなくては。 前のギラギラしていた自分を取り戻さなくては。 そう思って無理矢理に体にも心にもムチを打って動いていた。 自分のためにもっと頑張らなくては、と。 でも、今日ふと気づいたのだ。 「あぁ、俺は充分満たされてたんだ。 自分が欲しかったものを充分周りから貰えたんだと。 だからもう体が無理しなくても良いと言っていたんだと。 これはとってもとっても嬉しいことです。 そう、とてもとても嬉しいことです。 だって俺はまだまだ自分を満足させるには足りないと勘違いしてたのだから。 でももうその自分という器は大きく満たされていて、その原動力じゃもうエンジンは動かない、次のステージに行けという合図だったんだと気づけたのだから。 そして、その次のステージは自分でなく、「誰かのために」それが原動力になるんだと。 昔だったら「人のために」とか「世の中のために」なんて「嘘つけ!全部自分のためにだろ!!」と世を斜めから見てる天邪鬼な人間でした。 でも、今日ふと自分が何のために夜中まで何時間もかけて動画を修正してるのか、それを心に問いかけたときには、もう「自分のため」ではなく「誰かに喜んで欲しくて」と自然になってることに気づいたのです。 あぁ、もう次のステージに自分は行くときなんだなとようやく体からだいぶ遅れて頭で理解しました。 俺はこの先なんで動画を、そしてコンテンツを作っていくのか、その意味は本当にありふれた言葉だけど「人に喜んでほしいから。 」 これなんだなと。 ようやくここ何年間の迷いの答えが出た気がしました。 ものすごく単純すぎて笑ってしまうような答えだけど、最終的にはそこになっていくんだなと。 自分のためにから世のため、人のためにへと。 もちろん自分のやりたいことと人から求められることが表裏一体のエンターテイメントの世界なので明確な線引きはないけど、 「なんでおるたなchやってるの?」と言われたら今は「楽しんでくれる人のため。 」と答えるでしょう。 自分が誰かを幸せにできるなら頑張りたい。 それがこの先も続ける意味で、そして原動力になる。 頑張る意味になる。 そんなことをふと思った深夜2時でした。 と言っても!!! まだまだそこまで聖人にはなりきれんがな!! 前よりも歳を重ねて少しそんな思いが出てきたと言うお話です!!! それに気づかせてくれたあの修正動画には感謝ですね。 優しく丁寧にフィードバックを送りたいと思います!笑 まだまだ出来ることが僕にはたくさんありそうです。 苛立ちから自分のことを客観的に考えて分析して自分を見つめ直す機会に切り替えるないとーさんハイパーポジティブすぎません? 私なら4時間も超える編集を任されてそれもぶっ続けでやってるとそんなの考える余裕もないですね😅 視聴者のことを1番に考えて喜んでもらいたくて毎日動画を作り上げてる、誰かのために毎日頑張るっていう気持ちは三十路手前になったら私も考えるようになるんですかね〜。

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#5 ギーヴの底力

おる た な ハギー

隠遁者ギー ギー兄さん (さきのギー兄さん) 新しいギー兄さん ギー少年 登場作品 核時代の森の隠遁者(『』所収) 『』 『』 『』 人物紹介 谷間でもっとも高い教育を受けた人間のひとりでありながら、数十年にわたり森の奥深くに住み、ただ夜になってからのみ谷間に降りてくるという生活を続けた。 ある年の御霊祭の期間、野に叫ぶ説教者となり核の危機を訴える。 森の御霊の扮装に燃え移った火によって焼死する。 谷間の村随一の山林地主の屋敷に生まれる。 「僕」(Kちゃん)の子供時代からの師匠。 ダンテ研究を続けながら、若者たちを集めての根拠地運動に取り組むが、 強姦殺人により10年に及ぶ獄中生活を送り、出所後、世界観照モデルとして自ら建設した人造湖で変死する。 「屋敷」出身の総領事の息子。 カリフォルニア生まれ。 デュッセルドルフにいたことも。 大学で新左翼グループの活動を経験したのち、「魂のことをしたい」と考え、父や伯父(K)の故郷の谷間の村へ住 む。 「屋敷」のオーバーの死をきっかけに、オーバーの治癒能力を受け継いだ存在として村人に信じられ、「救い主」と奉られる。 ・本当に魂が森に昇るのなら、谷間からでも「在」からでも、東京からでも長崎からでも、おなじやないのかな? ・デタラメでもな、わしは全部自分の責任で、「千里眼」をしておるのじゃが! ・自分のように横のつながりも・縦のつながりもない者が、個として実効性のある力をたくわえようとするとね、まず根拠地がいると感じたんだよ。 ・夢で小舟に乗っていて、その自分の合図で、堰堤が爆破される。 川下の反対派がおそれたとおりにね。 そこで真黒い水ともども、自分が鉄砲水になって突き出す。 その黒ぐろとしてまっすぐな線が、つまり自分の生涯の実体でね、世界中のあらゆる人びとへの批評なんだよ。 愛とはまさに逆の……。 (中略)自分が生まれて来たことに意味があるとすれば、その言葉を発するためであったように感じる。 ・僕ハ、ズット、コノヨウナ性交ヲ夢見テイタヨ、コレマデズット、ズット…… スバラシイ男トスバラシイ女ガ性交シテイテ、僕ガソコニ迎エイレラレル。 ソレモ性ノ三位一体ヲ実現スル者トシテ…… ソノヨウナ性交ハアリエナイト知ッテイナガラ、ズット、夢見テイタンダ。 コノヨウナ性交ヲ…… 第二部より ・子供の自分から大学に入ってまで、私は死の恐怖を逃れることができずに、ずっと苦しんできた。 それが私の、魂のことをやらねばと思い立つ、一番の動機でもあったんですから…… 外見 ・色の枯れ葉のついた乾いた柴の小枝を体中にまといつけた「森」の御霊の扮装をしている 多くの女性たちに愛されたことからも容姿にすぐれていることがわかる。 若い頃は「Sさんの青春映画のどんな相手役よりキレイだし、もっと幼い頃の、女の子に扮装している着色写真を見ると、Sさんの美しさには及ばぬにしても、やはり相当なもの」 だった。 中年期以降は「海員のような黒いコール天の帽子とやはり海員風の半外套を着て、深いポケットに両手を入れた頑丈な首から肩の中年男」 というように男らしさが増し、場合によっては「半白の剛毛を短く刈り込んだ頭」は「戦時の右翼の国文学者とでもいうふうに見えた」とのこと。 「頭ひとつ周りの人の輪よりも背の高いギー兄さん」ということなので、身長が高い。 そして「横たわっているギー兄さんの身体は、小柄なカジが寝ていたベッドを覆いつくす感じだった。 とくにその嵩は奇怪なほど堆く〜」 ということでもあるから、背が高いだけではなく、かなりがっしりとした体型でもあるようだ。 カリフォルニア生まれということだから、米国式の食生活によって育まれた立派な肉体の持ち主なのだろう。 趣味 ダンテ研究 学歴 谷間でもっとも高い教育を受けた人間のひとりとのことなので、大卒か 東京の新制大学卒業 千葉大中退、東大農学部卒 職歴 森林組合の書記 紙漉き工場経営、山林経営 千葉大中退後、群馬の開拓村にて農場で三年間働く。 東大農学部に入りなおし、卒業後、東京の出版社で二年間働いたのち、谷間の村へ。 政治活動歴 日比谷の反・安保デモに参加し、頭に大怪我を負う 千葉大の寮生活時代に新左翼グループに1年間だけ所属 業績 根拠地運動(事件により頓挫) 美しい村の建設 人造湖建設 「森の会」を組織し、農学の知識や群馬での農場運営の経験に基づき、谷間に新しい生産システムを確立 このページはの一部です。

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この企画は凄い。|YouTuberないとー【おるたな】|note

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深夜の1時、俺はかなりイライラしていた。 新しい編集を担当してくれた会社から上がってきた動画の修正をしながらかなり苛立っていた。 手直しをするところだらけで修正だけで4時間は超えている。 もちろん動画編集をした経験があっても、いきなりおるたなの編集に合わせて一発目から満足いくクオリティの動画を提出できる人はなかなかいないだろう。 そうとは頭で分かりながらも俺はかなりイライラしていた。 はじめは「自分はこの修正の多さにイライラしているのだ。 」そう思っていた。 もちろんそれもあるのだが、冷静に自分の苛立ちの声を分析してみるとどうも様子が違う。 「こんなところにテロップ置いたら視聴者が見づらいでしょ!」 「ここのカットもっとしっかり繋がなきゃ見てる人に意味伝わらないじゃん!!」 「ここだけ音楽入れないと見てる人不自然だと思うじゃん!!」 冷静に心のイライラの声を聞いてみると修正の多さにイラついていたのではない。 「視聴するユーザーの目線に立っていない雑さ」にイライラしていたのである。 なんでこんな自分本位の編集なんだろう。 イライラの本質はそこにあった。 別に編集のティストが違くてもユーザーのことを考えた編集かどうかは見てて一発で分かる。 美容室行って注文と多少違くても丁寧に似合わせようと思ってカットしてくれたのか、それとも雑に終わらせたのか、一発で分かるように編集というのもそれと同じである。 (まぁ、いくら丁寧でも注文と違ったらそれはそれで嫌ではあるが。 笑) だからそう言う思いやりが欠けてる作品を見て俺はイライラしていたのだと気づいた。 ありがたいことに今は自分の手での編集以外でも、ハギーやタイガが自分の編集の意図を汲んでユーザー視点の素晴らしい編集してくれるので気づかなかったのである。 普段自分が無意識に何を考えて動画を作っているかということに。 今回久しぶりに自分の手で作ったものとかけ離れた動画を手にしたときに、意識してなかった自分の気持ちに気づいたのである。 あぁ、「俺は視聴者目線の動画を作りたがってるんだ」と。 これには俺も驚いた。 だって今までずっと「自分がやりたいことをやる、それが俺の好きなこと」と思っていた男だもの。 言うならば自分の自己顕示欲を満たすために、人から認められるために動画を作ってきた。 そう思っていた。 でも今日のふとした瞬間に気づいたのは「あぁ、俺はもう充分満たされたんだな。 みんなが満たしてくれたんだな。 」ということ。 確かに昔は「成り上がってやる!」「多くの人に自分の存在を認めさせてやる!」そう意気込んで毎日戦ってた。 YouTubeは自分を認めさせる手段だと思っていた。 でも、最近は全然その思いでは馬力が働かないのである。 昔はよく動いていたエンジンがそのエネルギーを注いでもまるで動かない。 これにはほとほと困っていた。 あんなに情熱的に燃えていたのに急に落ち着いてしまった。 まずい、なんとかしなくては。 前のギラギラしていた自分を取り戻さなくては。 そう思って無理矢理に体にも心にもムチを打って動いていた。 自分のためにもっと頑張らなくては、と。 でも、今日ふと気づいたのだ。 「あぁ、俺は充分満たされてたんだ。 自分が欲しかったものを充分周りから貰えたんだと。 だからもう体が無理しなくても良いと言っていたんだと。 これはとってもとっても嬉しいことです。 そう、とてもとても嬉しいことです。 だって俺はまだまだ自分を満足させるには足りないと勘違いしてたのだから。 でももうその自分という器は大きく満たされていて、その原動力じゃもうエンジンは動かない、次のステージに行けという合図だったんだと気づけたのだから。 そして、その次のステージは自分でなく、「誰かのために」それが原動力になるんだと。 昔だったら「人のために」とか「世の中のために」なんて「嘘つけ!全部自分のためにだろ!!」と世を斜めから見てる天邪鬼な人間でした。 でも、今日ふと自分が何のために夜中まで何時間もかけて動画を修正してるのか、それを心に問いかけたときには、もう「自分のため」ではなく「誰かに喜んで欲しくて」と自然になってることに気づいたのです。 あぁ、もう次のステージに自分は行くときなんだなとようやく体からだいぶ遅れて頭で理解しました。 俺はこの先なんで動画を、そしてコンテンツを作っていくのか、その意味は本当にありふれた言葉だけど「人に喜んでほしいから。 」 これなんだなと。 ようやくここ何年間の迷いの答えが出た気がしました。 ものすごく単純すぎて笑ってしまうような答えだけど、最終的にはそこになっていくんだなと。 自分のためにから世のため、人のためにへと。 もちろん自分のやりたいことと人から求められることが表裏一体のエンターテイメントの世界なので明確な線引きはないけど、 「なんでおるたなchやってるの?」と言われたら今は「楽しんでくれる人のため。 」と答えるでしょう。 自分が誰かを幸せにできるなら頑張りたい。 それがこの先も続ける意味で、そして原動力になる。 頑張る意味になる。 そんなことをふと思った深夜2時でした。 と言っても!!! まだまだそこまで聖人にはなりきれんがな!! 前よりも歳を重ねて少しそんな思いが出てきたと言うお話です!!! それに気づかせてくれたあの修正動画には感謝ですね。 優しく丁寧にフィードバックを送りたいと思います!笑 まだまだ出来ることが僕にはたくさんありそうです。 苛立ちから自分のことを客観的に考えて分析して自分を見つめ直す機会に切り替えるないとーさんハイパーポジティブすぎません? 私なら4時間も超える編集を任されてそれもぶっ続けでやってるとそんなの考える余裕もないですね😅 視聴者のことを1番に考えて喜んでもらいたくて毎日動画を作り上げてる、誰かのために毎日頑張るっていう気持ちは三十路手前になったら私も考えるようになるんですかね〜。

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