今日 も 拒 まれ て ます さい な らっきょ。 どうなってるんだろう? 子どもの法律

うめじいのたんじょうび (講談社の創作絵本)

今日 も 拒 まれ て ます さい な らっきょ

スマホのゲームを「今日はここらへんでそろそろ終わりにしようかな」と自分で思ってるときに限って,親が「やめろ」と言ってくるのがむかつくんですが,最近,「1日1時間以上のゲームは法律で禁止された」と親が言い出してます。 ニュースで見たような気もするけど,それってほんとですか? 違反したら罰があったりするんですか? ゲームの時間を法律で決めるのって,なんかおかしくないですか? 長時間のゲームを禁止する「法律」は,ありません。 法律という国のルールではなく,条例という地方のルールで, 「子どもたちに長時間ゲームをさせないようにしよう」と決めた県が,最近あります。 でも,その県の条例も, 長時間のゲームを禁止したのではありません。 長時間ゲームをした子どもが処罰されることも,ありません。 人は,他の人の迷惑にならないかぎり何をしてもいい,という自由があります。 だから,ゲームに熱中するのは,ほんらい自由なことです。 他方で,子どもは,心と体が成長するとても大切な時期にあります。 私たちの社会は,子どもたちのことを大切に思っています。 子どもたちに自分自身を大切にしてもらいたい, その子の「自由」の結果で,その子の心と体が傷つかないようにしてほしい, そう願っています。 だから,その子の心や体を傷つけてしまうことは, まったく自由のままにしないで,できるだけ防いでいこう。 私たちの社会は,そういう考えから法律や条例のルールを作ることがあります。 例えば, たばこを吸ったり,お酒を飲んだりしても,他の人の迷惑にはなりません。 でも,たばこやお酒は,体の成長にマイナスです。 アダルトサイトを見ることも,他の人の迷惑にはなりません。 でも,心と体が大人の仲間入りを始める子どものときには, 性についてきちんと学び,アダルトものが作り物だと理解できるまで距離をおくことが必要です。 ネットのゲームは,どうでしょうか。 世の中にあるさまざまな遊び・娯楽(ごらく)・趣味と同じように, ネットのゲームも, 適度に楽しむぶんには, プレイヤーの心や体を傷つけるものではありませんし, むしろ,生活や人生を豊かなものにしてくれます。 ところが,ネットのゲームは, どんどんとハマってしまった結果, その人の心や体を傷つけ, 生活や人生にマイナスになってしまうことがあります。 の記事にも書きましたが, 何かにハマって生活がおかしくなることを,「依存(いぞん)」と言います。 依存は, 薬物やお酒のような,物にハマるものだけではありません。 例えば,パチンコやカジノなど,賭(か)けごと・ギャンブルに依存するということもあります。 そして,ゲームの依存も,以前からずっと社会的な問題になっていました。 薬物・お酒・ギャンブルなどの依存も,このリストに載っています。 いままでもゲーム依存を治す取り組みをしている病院はありましたが, 今回,ICDに病気の名前が載ったことで, 今後よりいっそう,世界中で研究や調査が進んでいきます。 さっき書いたように, 「子どもたちが自由の結果で心と体を傷つけることのないように」という考えでルールを作ることじたいは,ありうることです。 香川県の条例も,子どもを守るための「大人たちの責任」を取り決めたものです。 子どもたちに向かって直接「ゲームをやりすぎてはダメ」と禁止する規定はありませんし, ゲームをしすぎた子どもを処罰する規定もありません。 ただ,香川県の条例は,その中身や作り方に問題があって,多くの批判があります。 ゲームの時間を何十分・何時間にするかは,それぞれの家が,それぞれの事情をもとに決めればよいことです。 「箸(はし)の上げ下ろし」という慣用句がありますが, 議会が多数決でそれぞれの家の「箸の上げ下ろし」のようなことまで口を出すのは, いくら「子どもの心と体を傷つけないため」という目的があったとしても, それぞれが持っているだいじな自由に対して,あきらかに踏み込みすぎです。 なので, あなたが「おかしい」と感じるのは,法律的な考え方からして,もっともなことです。 親が子どもに注意するとき, 「法律だから/ルールで決まっているから」,「こうしなさい/やめなさい」 という言い方をすることが,多くありますね。 でも,私は,そういう注意のしかたはおかしいと,いつも思います。 なぜ法律やルールがそうなっているのか,という理由をいっしょに考え,話し合うことのほうがとてもだいじです。 もし,おかしなルールがあったとして, その理由も考えずに,「上がそう決めたから」とそのまま黙(だま)って従うとしたら, それは,上の人から奴隷(どれい)のように支配されているのといっしょです。 自分の人生は,自分が主人公です。 ネットのゲームの中には,主人公のキャラクターを動かして進んでいくものが,多くありますね。 人生も,ネットのゲームと同じように,あるいはそれ以上に, 自分が主人公として,自分自身で考え,選び,進んでいくものです。 だから, 「条例でそう決まった」という理由を持ち出してゲームの時間を制限しようとする親に, そのまま黙って従わないあなたの姿勢は,だいじだと思います。 自分の頭でよく考え,親ときちんとよく話し合って,ゲームの時間を決めていくこと。 それが,自分の人生を自分が主人公として歩んでいくことそのものなのです。 そして,私はあなたに, 「時間を制限しようとしてくる条例や親」に対してしっかり向き合うのと同じように, 「ゲームの依存がどういうものか」についても,しっかり向き合ってほしいと,強く願っています。 ネットのゲームは,他の遊び・娯楽・趣味とは,ちがう点があります。 自分の人生は自分が主人公だと書きましたが, ネットのゲームは,「自分がしたいからしている」もののように見えて, 実際は,「ゲームをしたい気持ちにさせられている」ことが多くあります。 ネットのゲームに,人が支配され,コントロールされてしまう。 自分で自分自身をコントロールできなくなるのが,依存なのです。 あなたも, 親が注意してくるほどゲームを長い時間していて, 「そろそろやめようかな」と思っても,親が注意するまで,まだやめていなかったことが多いのですよね。 あなたがゲームをコントロールしているのではなく, ゲームがあなたをコントロールしている, あなたがゲームにコントロールされている,ということはありませんか。 自分の人生を,自分で生きていくこと。 力を持った他の人に,おかしな支配やコントロールをされないこと。 そして,薬物やギャンブル・ゲームなどに,依存せずに暮らせること。 それらは,すべてがつながっている,とてもだいじなことです。 条例の問題をきっかけにして, 自分が自分の主人公として生きること, そして,楽しいゲームとのうまい付き合い方を, ぜひ,考えてみてください。 なお,成人年齢が18歳に引き上げられても,たばこ・お酒の禁止の年齢は20歳のままで変わりません。 法律の名前は「20歳未満ノ者ノ飲酒ノ禁止ニ関スル法律」「20歳未満ノ者ノ喫煙ノ禁止ニ関スル法律」に変わります。 一 青少年に対し,性的感情を刺激し,残虐性(ざんぎゃくせい)を助長(じょちょう)し,又は自殺若しくは犯罪を誘発し,青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの 二 漫画,アニメーションその他の画像 実写を除く。 で,刑罰法規に触れる性交若しくは性交類似行為又は婚姻を禁止されている近親者間における性交若しくは性交類似行為を,不当に賛美(さんび)し又は誇張(こちょう)するように,描写(びょうしゃ)し又は表現することにより,青少年の性に関する健全な判断能力の形成を妨(さまた)げ,青少年の健全な成長を阻害(そがい)するおそれがあるもの」 同条例8条1項 「知事は,次に掲(かか)げるものを青少年の健全な育成を阻害するものとして指定することができる。 一 販売され,若しくは頒布され,又は閲覧若しくは観覧に供(きょう)されている図書類又は映画等で,その内容が,青少年に対し,著しく性的感情を刺激し,甚(はなは)だしく残虐性を助長し,又は著(いちじる)しく自殺若しくは犯罪を誘発するものとして,東京都規則で定める基準に該当し,青少年の健全な成長を阻害するおそれがあると認められるもの 二 販売され,若しくは頒布され,又は閲覧若しくは観覧に供されている図書類又は映画等で,その内容が,第7条第二号に該当するもののうち,強姦(ごうかん)等の著しく社会規範に反する性交又は性交類似行為を,著しく不当に賛美し又は誇張するように,描写し又は表現することにより,青少年の性に関する健全な判断能力の形成を著しく妨げるものとして,東京都規則で定める基準に該当し,青少年の健全な成長を阻害するおそれがあると認められるもの (略)」 同条例9条1項 「図書類の販売又は貸付けを業とする者及びその代理人,使用人その他の従業者並びに営業に関して図書類を頒布する者及びその代理人,使用人その他の従業者 以下「図書類販売業者等」という。 は,前条第1項第一号又は第二号の規定により知事が指定した図書類 以下「指定図書類」という。 を青少年に販売し,頒布し,又は貸し付けてはならない。 」 同条2項 「図書類の販売又は貸付けを業とする者及び営業に関して図書類を頒布する者は,指定図書類を陳列するとき…は,青少年が閲覧できないように東京都規則で定める方法により包装(ほうそう)しなければならない。 」 同条3項 「図書類販売業者等は,指定図書類を陳列(ちんれつ)するときは,東京都規則で定めるところにより当該指定図書類を他の図書類と明確に区分し,営業の場所の容易に監視することのできる場所に置かなければならない。 」 同条4項 「何人(なんぴと)も,青少年に指定図書類を閲覧(えつらん)させ,又は観覧させないように努めなければならない。 久里浜医療センターを受診したゲーム障害患者の場合は次の通りです(複数回答あり)。 欠席・欠勤(58%),成績低下・仕事のパフォーマンス低下(43%),引きこもり(42%),物に当たる・壊す(48%),家族に対する暴力(22%),朝起きられない(76%),昼夜逆転(54%),食事をとらない(27%)。 以上は,受診前1ヶ月の状況です。 その結果,12%が退学・放校となり,7%が失職しています。 これまでは1992(平成4)年に作られた第10版が用いられていましたが,2019(令和元)年5月に第11版が採択されました。 発効は2022(令和4)年1月です。 日本でICD11が導入されるまでには時間がかかり,この記事を書いている時点では,日本ではまだ導入されていません。 6C51 Gaming disorder Description Gaming disorder is characterized by a pattern of persistent or recurrent gaming behaviour 'digital gaming' or 'video-gaming' , which may be online i. , over the internet or offline, manifested by: 1. impaired control over gaming e. , onset, frequency, intensity, duration, termination, context ; 2. increasing priority given to gaming to the extent that gaming takes precedence over other life interests and daily activities; and 3. continuation or escalation of gaming despite the occurrence of negative consequences. The behaviour pattern is of sufficient severity to result in significant impairment in personal, family, social, educational, occupational or other important areas of functioning. The pattern of gaming behaviour may be continuous or episodic and recurrent. The gaming behaviour and other features are normally evident over a period of at least 12 months in order for a diagnosis to be assigned, although the required duration may be shortened if all diagnostic requirements are met and symptoms are severe. ゲーム側のしくみとは,メーカー側がプレイヤーを楽しませて,ゲームをさせるための戦略で,ゲームに引き込み,得点が得られるお得感やクリアしていく達成感などを利用したものです。 (略)対人関係の要素とは,1人でのゲームとは違い,ネットを介(かい)した仲間と一緒に行うので,それぞれの役割が決まっているため,勝手に抜けられないのです。 そして,活躍するとヒーローになれて,たくさんの人が自分を認めてくれます。 (略)無料から課金へとかけた時間とお金によって必ず成果がついてくるしくみになっています」(樋口進「Q&Aでわかる 子どものネット依存とゲーム障害」26頁) 公立の高校生です。 先日いきなり,全校集会で校長が新しい校則として,髪型は「ツーブロック禁止」だと発表しました。 「高校生らしくない」っていうのが理由だっていうんですが,将来美容師になりたい自分は,全然納得いかないです。 突然ですが,「慶安(けいあん)の御触書(おふれがき)」というものを,聞いたことがありますか。 私が子どもの頃には,こう習いました。 そして,こういうルールが作られた背景には, 「農民たちは愚(おろ)かだ」という考え方があった,とも習いました。 私は,校則がこの御触書と似ている,と感じます。 力をもった上の人間が,一方的に,一人ひとりの生き方を縛るルールを勝手に決めてしまう。 それが,まるで同じだと思うのです。 でも,21世紀の今の日本の学校の校則が, 400年も昔の御触書と同じであってはいけません。 ルールの中身についても,そして,ルールの作られかたについてもです。 ルールの中身の問題について考えましょう。 髪は,体の一部です。 そして,顔という,その人らしさに直結する部分にあります。 ただし,罪を犯して刑務所にいる人には,髪型の自由がありません。 でも,学校で学んでいる子どもたちに, 刑務所にいる人と同じりくつは,あてはまりません。 髪型の校則について,裁判で争われたことが,いくつかあります。 でも,これらの判決の考え方は,まちがっています。 髪型の自由は,憲法が守っている,だいじなものです。 それほどだいじな髪型の自由を,安易に校則で縛ることは許されません。 ツーブロックが「高校生らしくない」という理由で禁止されたということですが, 「高校生らしい髪型」というもの自体,とてもあいまいです。 一人ひとりを大切にせずに, 学校が勝手に想像する「らしさ」を押しつけて管理するのは, 支配であって,教育ではありません。 私は,ツーブロックが「高校生らしくない」とは少しも考えませんし, 仮に「高校生らしくない」と考える大人がいたとしても, その髪型での通学を禁止しなければならないよっぽどの理由も,見当たりません。 ルールの中身だけでなく,ルールの作られかたも問題です。 ツーブロック禁止を,ある日突然校長が発表した,ということでしたね。 私が10代の子どもたちと話をしていると, 子どもたちはみんな, ルールは,上の人たちが勝手に決めて,自分たちを縛るもの, そのルールを破ったら罰(ばつ)やペナルティがあるもの,と思っています。 私が, 「そうじゃないよ。 ルールは,一人ひとりを守るためのもの。 ルールには必ず理由があるし,おかしいルールには,『おかしい』と声を上げて,変えていっていいんだよ」 と話すと,多くの子どもたちが驚きます。 ところが,文部科学省は, 「条約があっても,子どもの意見を聞きすぎないように。 学校生活は数年ガマンすればいいから,声を上げないで時が過ぎるのを待つ,という人も多くいます。 でも,かけがえのない学校生活は,今の時期しかありません。 これから歩んでいく複雑な社会について学ぶ,今の時期にこそ, ルールが何のためにあり,どうやって定められるべきかを,学んでほしいのです。 妻子同前の事」「一,百姓は分別もなく,末の考へもなき者に候ゆへ,秋に成候得ば,米雑穀をばむざと妻子にもくはせ候。 いつも正月,二月,三月時分之心をもち,食物を大切に仕るべく候に付,雑穀専一に候間,麦・粟(あわ)・稗(ひえ)・菜・大根,其の外何にても雑穀を作り,米を多く喰ひつぶし候はぬ様に仕るべく候。 熊本地裁昭和60年11月13日判決・判例時報1174号48頁(熊本男子中学生丸刈り校則事件) 「原告らは,本件校則は,個人の感性,美的感覚あるいは思想の表現である髪形の自由を侵害するものであるから憲法21条に違反すると主張するが,髪形が思想等の表現であるとは特殊な場合を除き,見ることはできず,特に中学生において髪形が思想等の表現であると見られる場合は極めて希有(けう)であるから,本件校則は,憲法21条に違反しない」 「確かに,髪型も人の表現方法の一つであるとみることはできよう。 …しかしながら,そこからストレートに髪型の自由を憲法21条に根拠づけることには,なお問題がある。 …髪型が一定の思想・意見の伝達的意図をもっていることが立証されない限り,髪型の自由を憲法21条に直接根拠づけることは困難であろう。 …今日の学説は,髪型の自由の根拠を憲法13条に求める点でほぼ一致している」(広沢明「憲法と子どもの権利条約」48頁) 「一般に髪型が特定思想の表現であるとは考えられない。 髪型は言葉に比べれば表現の手段としてはあまりにも単純・固定的で,具体的な思想を表現するには役立たないのは事実だろう。 しかし,だからといって個人の表現と無関係と断定するのは誤りである。 …人格の表現がなければ人格と人格との関わりはないし,個性ということもありえない。 髪型や服装が人格・個人の表現であることは明らかである。 とくに髪型は顔の一部であり,表情の額縁である。 だから髪型を制限されれば表情も制限されるということは子どもでも知っている。 特に子どもの場合,言葉として表現されるような形での思想が確立していない。 思想はピアジェの説を引くまでもなく,人間の行動,感情を言葉の上に移しかえたものである。 思想を表現する前の段階として行動・態度・表情・服装などによる人格表現がある,ということは重要な事実である。 この見地から受刑者の頭髪を翦剃することの必要性ないし合理的根拠を検討してみると,…まず第一に考えられることは衛生の必要性があるということである。 …第二の理由として考えられることは,外観上の斉一性を保つ必要があるということであ(る)…第三の理由としては,頭髪を翦剃することの方が、長髪を許し,これを調髪する場合よりも施設,器具等の上で財政上の負担がいっそう軽く受刑者の管理上もいっそう容易であるということである。 もっとも,中学校長の有する右権能は無制限なものではありえず,中学校における教育に関連し,かつ,その内容が社会通念に照らして合理的と認められる範囲においてのみ是認されるものである…生徒の服装等について規律する校則が中学校における教育に関連して定められたもの,すなわち,教育を目的として定められたものである場合には,その内容が著しく不合理でない限り,右校則は違法とはならないというべきである。 そこでまず本件校則の制定目的についてみると…被告校長は,本件校則を教育目的で制定したものと認めうる。 次に,本件校則の内容が著しく不合理であるか否かを検討する。 確かに,原告ら主張のとおり,丸刈が,現代においてもっとも中学生にふさわしい髪形であるという社会的合意があるとはいえず,スポーツをするのに最適ともいえず,又,丸刈にしたからといって清潔が保てるというわけでもなく,髪形に関する規制を一切しないこととすると当然に被告町の主張する本件校則を制定する目的となった種々の弊害が生じると言いうる合理的な根拠は乏しく,又,頭髪を規制することによって直ちに生徒の非行が防止されると断定することもできない。 …本件校則の合理性については疑いを差し挾む余地のあることは否定できない。 しかしながら,本件校則の定めるいわゆる丸刈は,前示認定のとおり時代の趨勢に従い特に都市部では除々に姿を消しつつあるとはいえ,今なお男子児童生徒の髪形の一つとして社会的に承認され,特に郡部においては広く行われているもので,必らずしも特異な髪形とは言えないことは公知の事実であり…本件中学において昭和40年の創立以来の慣行として行われてきた男子丸刈について昭和56年4月9日に至り初めて校則という形で定めたものであること,本件校則には,本件校則に従わない場合の措置については何らの定めもなく,かつ,被告校長らは本件校則の運用にあたり,身体的欠陥等があって長髪を許可する必要があると認められる者に対してはこれを許可し,それ以外の者が違反した場合は,校則を守るよう繰り返し指導し,あくまでも指導に応じない場合は懲戒処分として訓告の措置をとることとしており,たとえ指導に従わなかったとしてもバリカン等で強制的に丸刈にしてしまうとか,内申書の記載や学級委員の任命留保あるいはクラブ活動参加の制限といった措置を予定していないこと、被告中学の教職員会議においても男子丸刈を維持していくことが確認されていることが認められ,…現に唯一人の校則違反者である原告に対しても処分はもとより直接の指導すら行われていないことが認められる。 右に認定した丸刈の社会的許容性や本件校則の運用に照らすと,丸刈を定めた本件校則の内容が著しく不合理であると断定することはできないというべきである。 右のとおり,一方,在学関係設定の目的の実現のために右校則を制定する必要性を否定できず,他方で,右校則は髪型決定の自由を不当に制限するものとまではいえないのであるから,これを無効ということはできない」 最高裁第一小法廷平成8年7月18日判決・判例時報1176号1頁(淑徳高校パーマ退学訴訟上告審判決) 「憲法上のいわゆる自由権的基本権の保障規定は,国又は公共団体と個人との関係を規律するものであって,私人相互間の関係について当然に適用ないし類推適用されるものではないことは,当裁判所の判例…の示すところである。 したがって,私立学校である修徳高校の本件校則について,それが直接憲法の右基本的保障規定に違反するかどうかを論ずる余地はない。 所論違憲の主張は採用することができない。 私立学校は,建学の精神に基づく独自の伝統ないし校風と教育方針によって教育方針によって教育活動を行うことを目的とし,生徒もそのような教育を受けることを希望して入学するものである。 なぜならそれは,その前段部分で『(中学校長の校則制定権能は)その内容が社会通念に照らして合理的と認められる範囲においてのみ是認される』と判示されていることと整合性を欠いていると言えるほか,実質的に考えても,生徒,教師および親の間の信頼関係の上に成り立つべき教育現場において,『(著しく不合理でなければ)合理性を欠く校則も適法である』というのでは納得がいかないからである。 パーマはかけないようにといういわば学校側の好みを表明すること自体まではよいとしても,これに違反した場合を退学処分や自主退学勧告といった学習権を侵害するような制裁にかからせることには,大きな問題があると言わざるをえない。 教育法学会の多数説である。 …在学契約説では,学校・教師と生徒との関係は,憲法で保障されている子どもの成長発達と学習権を保障すべき法律関係であって,生徒や親は学校・教師に従属するものではなく対等な権利義務関係に立つことになり,校則は,学校・教師と生徒・親との契約内容を示すものとなる。 したがって,校則の内容について両契約当事者の合意が不可欠であるということになり,校則を制定・改変するにあたり,生徒・親の参加は当然のことである。 …校則は在学契約の内容の一つであるという立場では,権利の主体である契約当事者の一方の意思が反映されない契約はそもそもあり得ない。 校則は,児童生徒等が健全な学校生活を営みよりよく成長発達していくための一定のきまりであり,これは学校の責任と判断において決定されるべきものであること。 なお,校則は,日々の教育指導に関わるものであり,児童生徒等の実態,保護者の考え方,地域の実情等を踏まえ,より適切なものとなるよう引き続き配慮すること。 5.本条約第12条1の意見を表明する権利については,表明された児童の意見がその年齢や成熟の度合いによって相応に考慮されるべきという理念を一般的に定めたものであり,必ず反映されるということまでをも求めているものではないこと。 これまでも,各地の弁護士会や日弁連が,この手続で弁護士会から学校や教育委員会に髪型の規制を廃止するよう警告や要望などを出しています。 たった『一人』の若者による問題提起である。 それがいま,本書の出版を含め多方面に影響を与えている。 その背後には,きっと声をあげながらも,かき消されていったケースがたくさんあることだろう。 そして,声さえあげられずに耐え忍んだというケースは,さらに多いことだろう。 それを考えると,『ブラック校則』を見直す機運が高まっているいまこそ,私たちは知恵を出し合い,声を上げていかなければならない。 教育委員会が音頭を取り,教師や生徒,保護者のみならず,弁護士らが参加して校則の見直しを考える機会を設けたり,大学生と高校生が協働し,夏休みなどに校則を語るプロジェクトを催したりすることも一案です。 子どもたちも,校則について検討する過程で,社会規範とは何かを考え,おかしなことに黙っていてはいけないのだと実感できるはずです」(朝日新聞2018年9月4日記事) 首都大学東京特任教授・宮下与兵衛氏「私は今から20年前,長野県立辰野高校の教員だったときに,学校運営を教職員,保護者,生徒が対等に話し合って決める『三者協議会』という仕組みを作りました。 校則も3者で話会い,合意できたら変わります。 …ここでは子どもたちは主権者です。 自分たちが校則の見直しにかかわれば,必ず責任感も生まれます。 2ヶ月前,ネットで誰でも見られる掲示板にあった,小学生が大人と(セックスを)やってる画像をスマホに保存しちゃったんですが,1週間くらい後に「そういう画像を持ってたら犯罪」って知って,あわててスマホの保存データから消しました。 このことで逮捕されるんじゃないかと毎日不安で寝られなくて,だけど恥ずかしくて誰にも相談できません。 毎日寝られないほど不安だったのは,つらかったですね。 あなたが,小学生が大人とセックスをしている画像をスマホに保存したのは,犯罪にあたります。 でも,「犯罪をしたら必ず逮捕される」ということではありません。 そして,子どもはなるべく逮捕しないことになっています。 あなたの場合, あなたがまだ中学生であること。 画像に写っている子どもを,あなた自身が直接苦しめた犯罪ではないこと。 今回初めてのことで,あなたが犯罪を何度も繰り返してはいないこと。 会員制サイトに登録してお金を払ったというような情報が残るわけではなく, 誰でもアクセスできるサイトから画像を保存しただけだったこと。 保存したのは2ヶ月も前のことで, わずか1週間でスマホから画像を消したこと。 それらのいろんな事情を考えれば,あなたが逮捕される可能性は,かぎりなく低いと思います。 不安であれば,弁護士に詳しい事情を話して相談してください。 相談先は,の記事を見てください。 幼い子どもは,まだ性的なことの意味がわかりません。 また,10代の子どもは,心と体が大人の仲間入りをしたばかりで, 自分自身との付き合い方を身につけるための,大事な時期にあります。 そういう子どもたちに,セックスやセックスっぽいことをさせて画像・動画を作ったり, そういう子どもたちの,性的な部分を強調した裸の画像・動画を作ったりすることは, 子どもを性的に傷つける,決して許されないことです。 ただ, 児童ポルノをただ持っているだけの,いわゆる「単純所持」は, 犯罪とはされていませんでした。 でも,世界では, 「児童ポルノを作ったり,売ったり,配ったりすることを禁止するだけでは,子どもを守るには足りない。 そして日本も, 最初に法律を作ってから15年後の2014(平成26)年に, 児童ポルノの単純所持も,犯罪として取り締まるよう,法律を改正しました。 ただこのとき, 「どうしてただ持っているだけで犯罪になってしまうのか」という大事な議論が, 十分にはされていませんでした。 児童ポルノを禁止するのは, ポルノに使われる/使われた子どもたちを守るためです。 ところが,児童ポルノの議論は,よく気をつけなければ, 本来の「子どもを守るため」という目的がそっちのけになり, 「社会にとって好ましくないから禁止する」という考え方に傾いてしまいがちです。 しかも,それが犯罪として,警察に捜査されたり,刑務所に入れられたりすることになれば, 一人ひとりが自由に生きられない,とても窮屈(きゅうくつ)な社会になってしまう危険があります。 児童ポルノの単純所持の規制のあり方は,社会がこれからも議論をしっかり続けていく必要があります。 そして,あなたにも今,しっかりと考えてほしいことがあります。 あなたは今回,自分が逮捕されるのではないかと,2ヶ月間も眠れない不安な日々を送っていたのですよね。 想像してみてください。 もしあなたが,その児童ポルノに写されている子どものほうだったら。 まだ性的なことをよく知らない幼いときに, あなたが大切な一人の人間として扱われず,まるで物や人形や奴隷(どれい)のように扱われて, 性的な写真を作られること。 そして,そうやって作られた写真が,何年も何十年も,ネットを通して世界中のあちこちに拡散し, 見ず知らずの人たちに性的に消費され続けること。 その不安,悲しさ,悔しさ,怒り,恥ずかしさ,絶望感を, 2ヶ月だけでなく,生涯(しょうがい)ずっと抱えて生きていかなければいけないこと。 あなたが今回感じた不安より,もっと大きな苦しみを抱える子どもがいることに,ぜひ思いをめぐらせてください。 そしてこれからは,児童ポルノを持たないようにするのはもちろんのこと, 児童ポルノをなくそうと取り組むこの社会の素敵なメンバーの一人になってほしいと,私は強く願っています。 なお,18歳になる前は, 児童ポルノにかぎらず,性的な画像・動画には接しないで, 今のうちから,性についてきちんと学んで欲しいと思います。 の記事も,ぜひあわせて読んでください。 一 児童を相手方とする又は児童による性交又は性交類似(るいじ)行為(こうい)に係る児童の姿態 二 他人が児童の性器等を触る行為又は児童が他人の性器等を触る行為に係る児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するもの 三 衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって,殊更(ことさら)に児童の性的な部位(性器等若(も)しくはその周辺部,臀(でん)部又は胸部をいう。 )は,1年以下の懲役(ちょうえき)又は100万円以下の罰金に処する。 自己の性的好奇心を満たす目的で,第2条第3項各号のいずれかに掲(かか)げる児童の姿態を視覚により認識することができる方法により描写した情報を記録した電磁的記録を保管した者(自己の意思に基づいて保管するに至った者であり,かつ,当該者であることが明らかに認められる者に限る。 ただし,30万円(刑法,暴力行為等処罰に関する法律及び経済関係罰則の整備に関する法律の罪以外の罪については,当分の間,2万円)以下の罰金,拘留(こうりゅう)又は科料(かりょう)に当たる罪については,被疑者が定まった住居を有(ゆう)しない場合又は正当な理由がなく前条の規定による出頭の求めに応じない場合に限る」 同条2項 「裁判官は,被疑者が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由があると認めるときは,検察官又は司法警察員…の請求により,前項の逮捕状を発する。 … b いかなる児童も,不法に又は恣意的(しいてき)にその自由を奪われないこと。 このため,締約国は,特に,次のことを防止するためのすべての適当な国内,二国間及び多数国間の措置をとる。 「この会議で…無策の日本に対する批判と早急な対応を求める声が強く出されたのです。 特に批判されたのは,日本で製造,販売されていた児童ポルノです。 1970年代には,米国製の児童ポルノが大きな社会問題となり法改正により規制が厳しくなりました。 1980年代になると,児童ポルノの主な輸出国であった欧州諸国が法律による規制を強化して児童ポルノの製造は減少していきました。 そのために,児童ポルノの規制のない日本が世界の製造拠点になってきました」(森山眞弓・野田聖子「よくわかる改正児童売春・児童ポルノ禁止法」10頁) 「会議の場では日本人男性による東南アジア諸国で行われる買春(かいしゅん)ツアーの横行(おうこう),諸外国に代わって日本が児童ポルノの国際的な発信源と化していることに批判が集中した。 このような国際的批判を受けた結果,日本政府は,児童買春とともに,児童ポルノを規制するための国内法整備を取締りの強化を約束する」(西垣真知子「子どもの性的保護と刑事規制-児童ポルノ単純所持規制条例の意義と課題-」龍谷大学大学院法学研究15号,72頁) 「日本では1999年に児童ポルノ禁止法が成立した。 しかし,本文に書いたとおり,単純所持は禁止・処罰の対象外でした。 …単純所持の保護法益はどれに該当するのだろうか。 しかし…改正前のように提供目的の所持のみを禁止する場合には,児童ポルノの流通によって被害児童に損害が生じると考えることになる。 一方,改正後の場合,単純所持も規制されるので,児童ポルノが流通するおそれがある前の段階,すなわち児童ポルノの作成または所持の時点から損害が生じると考えることになる。 また,所持概念が事実上の支配という曖昧(あいまい)な概念であることから,所持の対象も広がる可能性を秘めており,規制を広範に及ぼすこともできる。 …単純所持規制が一定の社会道徳的見地から特定の情報を制約する性質を帯びるとき,私的介入性や広範性とあいまって,表現の自由に対する制約となろう」(大林啓吾「第3章 単純所持規制の憲法上の論点」「改正児童ポルノ禁止法を考える」50頁,61頁) 「児童ポルノは児童を性的な対象として見る風潮を助長するものであるから禁圧すべきだという主張も根強く,裁判例の中にも,このような立場を採用するものがある。 だが,…『風潮』によって児童に対する性的加害が増加するわけではない。 これはホラー映画やミステリー小説が殺人を肯定する風潮を助長するわけではないのと同様である。 …より根強いのは,実在児童そのものではなく,社会感情を保護するとする考え方である。 『自己の性的好奇心を満たす目的』での所持・保管の処罰は,憲法上の権利を過度に制約するばかりでなく,児童保護のために逆効果となるおそれがある。 ただし,犯罪化することには,反対する」 「児童ポルノの定義を改正して,この定義が客観的に明確化し,かつ限定的にしたうえで,児童ポルノの単純所持を,違法行為であることを法律上明文で宣言し,これを禁止することが必要であると考える。 …ただし,児童ポルノの『取得』という外部的な行為と離れて,個人がいかなる情報を所持するかどうかは,個人の内心にも通じる私的領域に属するものである。 そのような私的領域に対して違法の宣言をすることや公的権力の介入を認めることは,極めて慎重でなければならない。 したがって,児童ポルノの単純所持を禁止し,それが違法であると宣言することの効果は,社会全体の認識の変化により起こる個々人の自発的な行為(所持するに至ってしまった児童ポルノを廃棄する等)に待つべきであって,公権力の私的領域への介入を招くものであってはならないことに留意すべきである」(日本弁護士連合会2010年(平成22年)3月18日「『児童買春,児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律』の見直し(児童ポルノの単純所持の犯罪化)に関する意見書」() 「児童ポルノ私的所持の行為規範のレベルでは,…規制することは許されると考えている。 …しかし,制裁規範のレベルでは,私的所持が侵害する性的自己決定権は観念的なものと受けとめられ得るものであり,見た目上も所持は静的な状態であることが問題となる。 そのような場合,制裁賦課によって発せられる非難のメッセージは,私的所持という非難に値する行為に対するものではなく,児童性愛者という所持者の属性に対する非難として誤解される可能性が非常に高い。 また,非難を伴わない行政的な没収措置等(制裁としての没収ではない)によっても,<児童ポルノは所持してはならない>というメッセージは発せられ得ると考えられる。 この疑念は,児童ポルノ法が,立法者のいわば感情的な(しかも諸外国からのものを含む)処罰要求に応えた合理性を欠く立法であり,抜本的に改められるべきであるとの問題提起を行うものである」(石井徹哉「個人の尊重に基づく児童ポルノの刑事規制」「川端博先生古稀記念論文集[下巻]」379頁) 絵を描くのが好きで,他の人にあまり知られてない最近の大好きなアニメのキャラクターを,いつもノートに模写(もしゃ)してます。 友だちから好評なので,SNSにもアップしてたくさんの人に見てもらいたいんですが,やっぱり法律上問題になりますか。 トレースじゃなくて模写だから大丈夫かなとも思うんですが,どうですか。 絵を描くのが好きなんですね。 私は,あなたのように絵を描ける人が,とてもうらやましいです。 「絵を描くのが苦手だ」と話すと,必ずと言っていいほど,子どもたちから「試しに描いてみて」と言われます。 しぶしぶながら私が描くと,案の定,とんでもないものができあがります。 そして,それを見た子どもたちは,楽しそうに笑い転げます。 あなたが,大好きなアニメのキャラクターを自分のノートに模写したり, そのノートを友だちに見せたりすることは, 法律上問題はありません。 でも,それをSNSにアップするのには,注意が必要です。 他の人が勝手にコピーを作ってはいけません。 作品をテレビやネットなどで流せるのは, 著作権を持っている人か,その人がOKした人だけです。 他の人が勝手に流してはいけません。 あなたがアニメのキャラクターを模写したのは,「作品のコピーを作ること」にあたります。 トレースが,もとの作品を下に敷いて上からなぞって描くのに対して, 模写は,作品を見ながら自分で描き写すものなので, トレースほど正確なコピーにはなりませんね。 なので,模写であっても,コピーです。 原則として,著作権を持っている人からOKをもらう必要があります。 だから,あなたの場合, 自分のノートに模写したり,そのノートを友だちに見せたりするのは, 法律上問題ありません。 しかし,多くの人に見てもらうのは,さっきの例外を超えています。 原則にもどって,模写は「勝手なコピー」としてアウトになります。 いろんな表現が行き交い,混じり合うことで, 私たちひとり一人の人生と,私たちの社会とが,豊かなものになるからです。 他方で,素晴らしい作品や素敵な作品が「独(ひと)り占(じ)め」されているよりも, 他の人とシェアできることもあったほうが,社会は豊かになります。 著作権は,大切な財産です。 汗水垂らして働いて得たお金や, 一生懸命育てた野菜や果物や花, がんばって建てた立派な家や, 長年かけて苦労して集めた趣味のコレクション, それらが財産であるのと同じように, アニメなどの作品も,その人が創意工夫をこらして作り上げた,大切な財産なのです。 あなたは,模写をSNSにアップして,多くの人に見てもらいたいのですよね。 そのアニメを作った人に,「模写をSNSにアップしてもいいですか」と連絡してみてください。 あなたがその作品のファンで,とても好きだということ。 その作品を心から応援していて,広くたくさんの人に知ってもらいたいと願っていること。 その気持ちをしっかりと伝えて,自分の模写をSNSにアップしてOKかどうかを聞いてみるとよいと思います。 私は,「山下弁護士の記事だ」とはっきりわかるようにして使うことと,私の記事でお金もうけをしないことを条件に,使うことをOKしています。 私の記事が使われ,メッセージが広く届くことが嬉しいですし, そうやっていろんな人から連絡をもらうことで, 「またブログをがんばって書こう」と前向きな気持ちになります。 あなたが模写したアニメの作者も,同じように思ってくれるかもしれません。 あなたが模写を続けて,絵がますます上達し, やがて,今度はあなたがオリジナルの作品を描くようになったら, その作品の著作権を持つのは,あなたです。 そして,あなたの作品を好きになった子どもたちから, 「模写してみんなに見てもらってもいいですか」と連絡が来たときに, 素敵な対応ができる大人になっていてほしいと思います。 …この定義に列挙された個々の条項に『含まれる権利の種類』の各々(おのおの)を,支分権(しぶんけん)という。 著作権法23条1項 「著作者は,その著作物について,公衆送信(自動公衆送信の場合にあっては,送信可能化を含む。 サザエさんのキャラクターの顔をバスの車体に描いたケース(特定のマンガのコマを写したものではない)で著作権侵害とした判例(東京地裁昭和51年5月26日判決・判例時報815号27頁)は,キャラクター自体が著作物かどうかはっきり判断されていませんが,その後,ポパイのキャラクターがネクタイの柄に使われたケースで,最高裁は,キャラクターそのものは著作物ではなく,キャラクターが描かれたマンガが著作物だ,としたうえで,ネクタイは第1回目のポパイ作品(1929年)の著作権を侵害しているけれども,保護期間が1990年に満了しているので,ネクタイ販売の差し止めは認められない,としました(最高裁第一小法廷平成9年7月17日判決・民集51巻6号2714頁)。 もっとも,キャラクター自体が著作物でなくても,そのキャラクターが出てくるマンガが著作物として保護されていますから,実際のマンガのコマを写さずにキャラクターを描くことも著作権の侵害にあたりうることに注意が必要です。 「自動公衆送信とは,公衆送信のうち,公衆からの求めに応じて自動的に行うものをいう…。 (略)公衆からの求めに応じたものに限る。 したがって,特定少数のみの求めに応じるもの,一方的に送り付けるものは,自動公衆送信に該当しない」(奥村久道「著作権法第3版」169頁) 「著作権でも肖像権(しょうぞうけん)でも,『つぶやきや投稿の公開範囲』は重要な要素です。 著作権法では,ある程度の人数が見たりシェアできる以上,どんな範囲で公開しようが権利侵害になる可能性はあるのですが,現実には,広く一般に見られる場へのアップではより慎重さが求められます。 逆に,数十人の仲間しか見ないような場では,多少は自由にふるまう人が多いでしょう。 著作権法32条1項 「公表された著作物は,引用して利用することができる。 この場合において,その引用は,公正な慣行に合致するものであり,かつ,報道,批評,研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行われるものでなければならない」 自転車で予備校から帰る途中,警察に呼び止められました。 「なんすか?」って聞いたら「サドルがずいぶん高いけど,本当に君の自転車?」って言われて,別にそんなに高くないじゃんと思いながら防犯登録を確認したのに,今度は「カバンの中を見せろ」って言われて,あんまり他の人に見られたくないものを持ってたんで,「どうしても見せなきゃいけないんすか?」って聞いたら,「何もやましくないなら見せられるだろ。 見せないなら警察署まで来てもらう」って迫(せま)られて,結局見せました。 犯罪者扱いしてくる警察の態度にまじむかついたんですけど,これって警察を訴えることはできますか? まるで犯罪をしたかのように警察に疑われたのは,本当に気分が悪いことですよね。 警察の職務質問は,私たちの社会を犯罪から守るために,重要な役割を果たしています。 しかし,だからといって, 犯罪とは無縁に暮らしている市民に対しても, 警察が,思うままに呼び止めて質問し,しかも犯罪者扱いするような態度なのは, まったくおかしなことです。 警察が,とても大きな力を持っていたのです。 職務質問のルールは,「警察官職務執行(しっこう)法」という法律が決めています。 その法律には,「警察はだれでも呼び止めて質問していい」とは,書かれていません。 警察官が,「警察がそう思えば職務質問していいんだ」などと言うことがあります。 しかし,その警察官の言うことは,まちがいです。 警察の人たちが仕事で読む本を,たくさん作っている出版社があります。 「合理的に判断」するというのは,「きちんとした理由やりくつがある」ということです。 あなたの自転車のサドルの高さが何センチだったのか,正確な情報がわかりませんが, 「そんなに高くないのに」とあなた自身が思うくらいの,ふつうの高さだったのですよね。 今回,警察があなたに職務質問をした理由, 言い換えれば, あなたがなにか犯罪をしてそうだとか,これからしそうだ,と警察が思った理由が, 単にサドルの高さだけだったのなら, 警察の判断が「合理的」だとは言えません。 その警察があなたに職務質問をするのは,おかしなことです。 きちんとした職務質問であっても,あなたが答えるか答えないかは,あなたの自由です。 ましてや,今回のように,職務質問をするのがおかしい時なら, なおのこと,あなたが答える必要はありません。 あなたは,警察からカバンの中を見せるようにも言われたのですね。 そして, 「警察が勝手に持ち物をチェックしたんじゃない,本人が見せることをOKしたんだ」 という形を作るために, 「やましくないなら見せられるだろう」 などと言って,あなたを説得するのです。 でも,持ち物を見せなくていいのが憲法の原則なのですから, 警察の言うことは,考え方が逆さまです。 おかしいことにおかしいと声を上げることは大切です。 ただ, 裁判で勝つハードルはけっして低くないですし, 職務質問のときの様子を残した証拠がないことが多いので, 費用と時間と労力をかけて裁判所に訴えるかどうかは,弁護士とよく相談してください。 特に,あなたが未成年であれば,裁判を起こすには親の協力が必要ですから, 親ともよく話し合うことが必要です。 「できるかぎりのことをやってみる」という姿勢からは, 裁判のほかに, 都道府県の公安委員会に連絡する方法があります。 裁判にしても,苦情申出にしても, その警察官が誰で,どういう職務質問だったかが,わかるようにしておくと良いです。 「おかしな職務質問だ」と感じて,後で裁判や苦情申出をすることがありえるなら, 警察官に警察手帳を出すように求めて,名前を確認してください。 こういった 身分確認や動画撮影は, 後の裁判や苦情申出の証拠として役立つだけでなく, おかしな職務質問が行われるのを防ぐことにもつながります。 あなたに「やましいことがないなら持ち物を見せられるはずだ」と警察官が言ったのと同じように, 警察官も,やましいことがないのなら,身分証を見せたり,動画撮影をされたりすることを,断れないのです。 職務質問は, 私たちの社会を犯罪から守ることと, 私たち一人ひとりの自由,人として大切に扱われること, そのどちらもだいじなことを両立させるための,難しいバランスの上に成り立っています。 あなたのような嫌な思いをする人が出ないようにしながら, 私たちの社会を犯罪からきちんと守る。 警察の職務質問は,そういうものでなければいけません。 npa. xls 職務質問がきっかけで検挙につながるのは,全体の約1割です。 刑法犯総数(交通業過を除く)総数31万6142件のうち職務質問によるものは4万0083件,凶悪犯総数4007件のうち職務質問によるものは371件です(殺人事件75件/846件,強盗事件183件/1500件,放火事件82件/684件,強制性交等事件31件/977件)。 もっとも,4万0083件のうち,「乗り物盗」が7499件,占有離脱物横領(せんゆうりだつぶつおうりょう)が1万4741件です。 職務質問で検挙される刑法犯の半分近くは,「自転車泥棒」と考えられます(刑法犯だけの統計ですので,薬物犯罪などは含まれていません)。 また,この規則は,不審者の『連行』をも認めた。 そのほか,旧憲法のもとでは,治安警察法,行政執行法などがあって,警察権は強力に行使されていた。 現行の警察官職務執行法は,日本国憲法に適合するよう旧法令を全面的に修正し,アメリカ法をも参考にして制定されたものである。 判断が『合理的』であるというためには,警察官の主観的又は恣意的(しいてき)な判断ではなく,社会通念に照らして客観的に合理的があると認められる判断がなされなければならない。 なお刑訴220条参照)。 具体的には,銀行強盗の疑いが強い人のバックのチャックを開けて中をちらっと見たケースをOK,覚せい剤所持の疑いが強い人の服のポケットに手を入れて所持品を取り出したケースをNGとしています。 最高裁判所第三小法廷1978年(昭和53年)6月20日判決・刑集32巻4号670頁 「警職法は,その2条1項において同項所定の者を停止させて質問することができると規定するのみで,所持品の検査については明文の規定を設けていないが,所持品の検査は,口頭による質問と密接に関連し,かつ,職務質問の効果をあげるうえで必要性,有効性の認められる行為(こうい)であるから,同条項による職務質問に附随(ふずい)してこれを行うことができる場合があると解するのが,相当である。 所持品検査は,任意手段である職務質問の附随行為として許容されるのであるから,所持人の承諾(しょうだく)を得て,その限度においてこれを行うのが原則であることはいうまでもない。 しかしながら,職務質問ないし所持品検査は,犯罪の予防,鎮圧(ちんあつ)等を目的とする行政警察上の作用であって,流動する各般の警察事象に対応して迅速適正にこれを処理すべき行政警察の責務にかんがみるときは,所持人の承諾のない限り所持品検査は一切許容されないと解(かい)するのは相当でなく,捜索に至らない程度の行為は,強制にわたらない限り,所持品検査においても許容される場合があると解すべきである。 そして,警察官が職務質問を行うに当たって相手から警察手帳の提示を求められた場合,常に右にいう警察官であることを示す必要があるときに当たるとは解されない。 …後日等に,これらの職務質問に対する苦情がない。 なぜか? プロ達は,職務質問の打ち切りが上手であった。 職務質問を実施したこと(質問を受けたこと)を,相手方に十分に説明し,納得を得て質問を打ち切っていた。 プロはいずれも『質問上手で,締めくくり上手』であった。 『新宿の治安を守りたいんです。 民法で大人として扱われるということの意味は, 「法律的なことを,自分一人でする」,ということです。 社会のしくみは複雑なので,子どもを親が守ることになっているのです。 《 参考記事 : 》 大人になれば, そういった親や未成年後見人からのサポートを受けることなく, 法律的なことを自分一人ですることになります。 スマホの契約は,親のハンコなしで自分一人で好きにできるようになりますし, 《 》 深夜のアルバイトも,親が認めてくれなくても,自分の判断でできるようになります。 《 》 どこかからお金を借りることも,親のOKなくできるようになりますし, 《 》 貸したお金を返してもらう裁判も,親をかかわらせずに起こせるようになります。 《 》 自分のことを自分で決められるのは,とてもだいじです。 特に,親から虐待を受けてきた子どもにとって, 成人することは,親権という強い力から離れられる,だいじなことです。 大人になる歳が18歳に下がるのは,20歳まで待たずに早く親権から離れられるということですから,とてもプラスです。 《 》 でも,大人になる歳が下がるのは,良いことばかりではありません。 未成年のうちは, 大きな買い物や,お金の貸し借りなど, 法律的なことでトラブルに巻き込まれてしまったとき, 「親がOKしていなかった」という理由で, 買い物やお金の貸し借りをキャンセルして,初めからなかったことにできます。 《 》 でも,大人になると,その武器が使えなくなってしまいます。 だから,私たち大人は,子どもたちに, 18歳で独り立ちをする前に, 法律のしくみをきちんと伝えておく必要があります。 そして,みなさんも, 18歳で大人になった後でも, 法律的なことをしようとする時には,身近な家族や信頼できる人に相談してください。 そして,少しでもトラブルになりかけたら,早めに弁護士に相談するようにしてください。 民法という法律で,年齢について,もう一つ変わることがあります。 結婚することができる歳です。 (今後は18歳で大人になりますから,18歳・19歳の人が結婚するのに,親のOKは必要ありません) 逆に,民法で,年齢について,変わらないことが一つあります。 養子縁組で親になれる歳です。 今後,大人になる歳が18歳になるのなら,養子縁組で親になれるのも18歳からとなりそうにも思えます。 でも,今回,大人になる歳が18歳に下がるのは, 「自分のこと」を自分で決められる歳だから,というのが理由です。 養子縁組をして親になり,他の人の子どもを育てていくのは,「自分のこと」以上に,とても大変です。 (ふつうの養子縁組は20歳以上,特別養子縁組は25歳以上です。 ふつうの養子縁組と特別養子縁組のちがいは,を見てください) 民法の「大人になる歳」が変わるのに合わせて, 他の法律でも,18歳からできることが増えました。 (「帰化」ではなく,未成年のうちに「届出」という簡単な手続で日本国籍を取れるのは,17歳までに下がってしまいますから,要注意です。 自分で自分のことが決められる大人の線引きが,法律によってちがうのが, 不思議に感じる人もいるかもしれませんね。 特に今,犯罪をしてしまった子どもを,処罰ではなく教育で立ち直らせる「少年法」を, いままでの20歳未満ではなく,18歳未満の子までとするべきかどうか,議論されています。 18歳未満に下げるべきという主張は, 民法の「大人になる歳」が下がるのだし,少年法は甘いから厳しくするべきだ, というのが,その理由のようです。 でも,本当にそれで良いのか,少年法についてきちんと詳しく知り,じっくりと考える必要があります。 それまでの日本では,15歳くらいで大人として扱われていました。 憲法はいままで一度も改正されたことはなく,そもそも国民投票のやり方自体が決められていませんでした。 そして,2016年(平成28年)から,普通の選挙も18歳以上から投票できるようになり, 続けて今回,2022年から民法の大人になる歳が18歳になった,というわけです。 私は,大人になる歳の法律の線引きを変えるのに, 主人公となる10代の人たちの意見を十分に尊重した,というよりも, 大人たちが自分たちで勝手に決めていったような印象を持っています。 この記事を読んでいる10代の皆さんは,どのように感じたでしょうか。 そして私は, そうやって決まっていった「18歳成人」だからこそ, 今後18歳で大人になる人たちにはぜひ, 子どもの頃に感じていた,大人や社会に対する問題意識を,いつまでも忘れることなく, 自分自身できちんと考え,次の世代の子どもたちのために行動できる, そして,子どもたちの意見をきちんと尊重できる, そんな素敵な大人,素敵な社会のメンバーになってほしい,と思っています。 一 未成年者に対して親権を行う者がないとき,又は親権を行う者が管理権を有しないとき。 二 後見開始の審判があったとき。 」 民法839条1項 「未成年者に対して最後に親権を行う者は,遺言(いごん)で,未成年後見人を指定することができる。 …」 民法840条1項 「前条の規定により未成年後見人となるべき者がないときは,家庭裁判所は,未成年被後見人(みせいねんひこうけんにん)又(また)はその親族その他の利害関係人の請求によって,未成年後見人を選任する。 未成年後見人が欠けたときも,同様とする。 」 民法第857条 「未成年後見人は,第820条から第823条までに規定する事項について,親権を行う者と同一の権利義務を有(ゆう)する。 父母の一方が知れないとき,死亡したとき,又はその意思を表示することができないときも,同様とする」 この条文は今回の法改正で削除されます。 …委員会は,男女共に婚姻適齢(こんいんてきれい)を18歳に設定すること…を内容とする民法改正のために早急な対策を講じるよう締約国(ていやくこく)に要請する」 2010年6月20日児童の権利委員会の最終見解パラグラフ31,32「委員会は前回の最終見解において,婚姻適齢につき少年(18歳)と少女(16歳)の差異をなくすことを勧告したにもかかわらず,この不平等が残っていることに懸念を表明する。 委員会は,締約国が現在の立場を変え,両性ともに婚姻適齢を18歳とすることを勧告する」 2016年3月7日女子差別撤廃委員会の最終見解パラグラフ12,13「委員会は,既存の差別的な規定に関する委員会のこれまでの勧告への対応がなかったことを遺憾(いかん)に思う。 委員会は特に以下について懸念する。 ただし,当該発給の申請をする者が次の各号に掲げる場合のいずれかに該当(がいとう)するときは,有効期間を5年とする。 そして,民法の成年年齢の引き下げを行った場合に,その他の法律の年齢要件をどうするかについては,それぞれの法律の趣旨に基づき,それぞれの所管官庁において個別に引下げの要否(ようひ)を検討したものであり,必ずしも一律の基準があるわけではありません。 …健康被害の防止や青少年の保護の観点から定められた年齢要件については,必ずしも民法上の成年年齢と一致させる必要はないため,20歳を維持することとしているものがあります。 例えば,飲酒・喫煙に関する年齢要件については,健康面への影響や非行防止の観点から20歳以上という年齢要件を維持することとされました。 そうすると,1~2年に1度,この質問を受けることがあります。 私は弁護士なので,法律の視点から答えています。 人は,他の人の迷惑にならないかぎり,何をしてもいいという自由があります。 あなたが私に包茎かどうかを聞くことは, 私や他の人の迷惑にはなりません。 だから,私に包茎かどうかを聞く自由が,あなたにはあります。 他方で, 私がその質問に対して答えなくても, あなたや他の人の迷惑にはなりません。 なので,その質問に答えないという自由が,私にはあります。 私に聞く自由があなたにある,と書きました。 でもそれは, 10代を支援し,10代からの質問に答えている弁護士の私に, 10代のあなたが質問しているから, 法律的には問題がない,というだけです。 相手や場所によっては,そういう質問は, 他の人の迷惑となり,法律的にアウトになるので,注意が必要です。 職場から処分を受けたり,被害者から訴えられたりすることがありえます。 また,たとえ法律的にアウトにまではならない場合でも, 性はとてもデリケートなことなので, 相手の個人的なことを聞くのは,やはり,やめるべきです。 なので, 今回私に聞いたのを最後にして, 今後は,他の人に包茎かどうかを,聞かないようにしてください。 10代は,心と体が,大人の仲間入りをする時期です。 今回,あなたが私に包茎かどうかを聞いたのは, 大人の体がどうなっているのか,興味・関心があるからだと思います。 しかし,ほんとうはそれだけでなく, 「包茎は恥ずかしいもの」という意識をあなたが持っているから, 私に聞いたのではありませんか。 また,包皮が手でめくれる,いわゆる「仮性包茎」は, 清潔にしているかぎり,医学的にはまったく何の問題もありません。 (包皮が亀頭部にひっかかって元に戻らず,包皮がむくんでしまう「カントン包茎」には注意が必要ですが,包皮が元に戻る仮性包茎であれば何の問題もありません。 もちろん,ほんらい必要のない包茎手術も, 本人が納得できる費用で,心理的にも満足できる結果が得られるのなら, 他の人からとやかく言われることではない,受けるかどうかは自由なことです。 ところが, 包茎手術は,法的なトラブルになってしまうケースも多いのです。 包皮を切り取る手術は,医学的には必要がないので, 健康保険を使うことができず,費用が高くなります。 性とは,自分の心と体を大切にし,相手の心と体を大切にすること。 人が人として生きていくうえで,とても大切なことです。 誰かが包茎かというような個人的なことは聞くべきではありませんが, 広く性について大人たちと話し合うことは,とても大切です。 ぜひ,あなたの親や,学校の先生と, 「今日,弁護士からこんな話を聞いたよ」,と話し合ってみてください。 そして,やがてあなたが大人になったとき, 包茎かどうか聞いてくる子どもたちや, 包茎で思い悩んでいる子どもたちに, きちんと性について伝えることができる, そういう素敵な大人に,ぜひなってください。 )であって,当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じているものをいう」 平成25年10月11日文部科学大臣決定「いじめの防止等のための基本的な方針」「5 いじめの定義」「具体的ないじめの態様は,以下のようなものがある。 …外国人の包茎を見てあざ笑ったというところだろうね。 それは裏返せば,日本人のペニスは通常,皮をかぶっていないと篤胤が信じていたことを示している,と足立博士は書いている。 少なくとも江戸時代の後期には,包茎を恥と思う日本男児のペニス観は出来上がっていたといえるんじゃないかな。 麻酔術で知られる華岡青洲の手術の記録にも,ある僧侶の包茎を治してやったところ,『これでもう包茎と謗(そし)られることもない』と大喜びしたという記載がある。 com判例体系 「本件各記事は,原告が…包茎であるなどというもの…である。 でも,このうちの170~190人ほどはステロイド軟膏…を塗ることで,状態が改善する。 …かりにステロイド軟膏が効かないばあいでも,それがすぐに切除手術につながるわけじゃない。 …人工的な張力をあたえて,包皮をのばし,開口部をひろげてやる。 10000人のうち軟膏を使ってもムケなかった人が10~30人ほどいたわけだけど,そのうち4分の3くらいは,この治療法で反転可能になる。 〔それでもダメな場合は〕手術をすることになるけど,それが必要になるケースは10000人のうち7人くらい。 全体の0.07パーセントだね。 戻せない,戻さないでいると包皮がむくんで腫(は)れてきます。 これを嵌頓(かんとん)包茎といいます。 見た目にも痛そうですが,なにより早く戻しましょう。 嵌頓包茎を起こしたことがあれば手術をしたほうがいいという先生がいます。 しかし,『狭いなら,広げてしまえば問題なし』です」(飛波玄馬,岩室紳也,山本直英「まちがいだらけの包茎知識」69頁) 「開口部が狭いのにもかかわらず,包皮を無理やりムクと,反転した包皮が亀頭の頸(くび)のところを締めつけて,もとにもどらなくなってしまうことがある。 これが『嵌頓包茎』で,亀頭に血液がたまって膨(ふく)れあがり,ますます包皮がもとの位置にもどらなくなる。 …長引くと危険なこともあるから,処置は早いほうがいい。 亀頭を親指と人差し指で強く挟んで先端部にたまった血液を追いだし,体積が小さくなったところで包皮をもとにもどす。 氷で冷やしたり,病院では酵素を注射して腫(は)れを抑えることもある。 しかし,アンケートでは受診したその日に契約(即日契約)したという回答が多く,なかには,その日のうちに施術されたという回答も多くみられます。 さらに,『状態がひどい』『この方法では仕上がりが良くない』などと説明され,不安をあおられて高額な施術を勧められたほか,すぐに手術を受けるように迫られた事例や,断っているにもかかわらず何時間も勧誘されている事例もみられました。 今後私のような者がない様にしてもらって下さい」と書いていました。 包括的な性教育は,年齢に対して適切で,科学的に正しく,文化的能力に相応し,人権,ジェンダーの平等,セクシュアリティや快楽に対して肯定的なアプローチをその基礎に置くものでなければならない」 ツイッターやインスタで私になりすましたアカウントが作られてて,私の友だちをフォローして,他の人をバカにしたり性的なことを書いたりした投稿を繰り返されてます。 3ヶ月くらい前から始まってて,ちょうどその直前に別れた元彼が嫌がらせでやってるんじゃないかと思うけど,はっきりした証拠もないし,このままずっとがまんするしかないですか。 あなたが「他人の悪口を投稿したりするようなひどい人だ」と周りから誤解されてしまうのは,ほんとうにくやしいですよね。 現実の世界でも,「なりすまし」は,大きな問題です。 他の人になりすまして裁判をすることの問題は,むかしからありましたし, 家族になりすました振り込め詐欺・オレオレ詐欺の被害も,なかなかなくなりません。 (今,少年院には,振り込め詐欺・オレオレ詐欺にかかわった子どもたちが,多く入所しています) そういう現実の世界と比べて,人間の姿かたちが見えづらいインターネットは, なりすましがもっと簡単にできてしまいますし, 情報が一気に広がってしまうので,被害も大きくなります。 SNSの運営会社は,なりすましの問題に取り組んでいます。 SNSの運営会社がきちんと対応してくれない場合は,どうすればよいでしょうか。 国の役所である,法務局というところがあります。 相談先の電話番号は, 0570-003-110 です。 そして 裁判所も,「なりすまし」の被害を受けている人たちを守る判断をしています。 損害賠償が命じられた裁判は,こういうケースでした。 SNSで,Aさんの顔写真を使ってAさんになりすまし,他の人たちの悪口を書いていたBさんがいました。 なりすましの被害を受けたAさんを,裁判所が守ったのです。 ただ,裁判所のその理屈(りくつ)だと, もしBさんが,Aさんになりすましたアカウントで, 他の人の悪口を書かなかったり, Aさんの顔写真を使わなかったりしたら, 違法とは言えないかのようにも思えますね。 でも,たとえ悪口がなかったり,顔写真が使われていなかったりしても, 他の人になりすますこと自体,あってはならないことです。 法律は,一人ひとりを大切な存在として扱っています。 「自分がどういう人間なのか」ということを,他の人がなりすまして混乱させるのは, 一人ひとりが大切に扱われることとまったく真逆で,けっして許されないことです。 それは,現実の世界だけでなく,インターネットの中でも,同じです。 「自分がどんな人間なのか」ということを,難しい言葉で,アイデンティティと言います。 Aさんは,悪口や顔写真のことだけでなく, なりすましそのものがAさんを傷つけている,として, 「アイデンティティ権」という新しい考え方を,裁判で主張しました。 そうやって一歩一歩, インターネットでの被害をなくしていくために, 社会は前に進んでいます。 これから先も,私たちみんなで,被害を受けている人たちといっしょに声を上げて, 裁判所の考え方をもっと前に進めさせたり, 国会で法律が作られるようにしたり, SNSの運営会社にもっときちんと対応するように求めたりして, なりすましを許さず,一人ひとりが大切にされるネット社会を築いていくことが必要だと,私は思います。 ぜひあきらめずに, あなたの親や信頼できる大人,そして私たち弁護士に,相談してください。 なお,誰がなりすましをしているのかが分からないときには, さっきのAさんのように, なりすましているのが誰かを調べるための裁判所の手続を取る必要がありますし,その費用や労力もかかります。 未成年なら,法律的な手続をとるためには,親の協力も必要です。 しかし,ケースによっては,裁判所の手続を取らなくても,なりすましている人を特定して,解決に結びつく場合もあります。 あなたも,なりすましているのが元彼なのかどうかという点も含めて,一度弁護士に相談してみてください。 法務局で調査した結果,当該画像は被害者のプライバシーを侵害するものと認められたため,法務局からSNSの運営会社に対し削除要請を行ったところ,本件アカウントは削除されるに至った。 このようなアカウント全体が不法行為を目的とすることが明白であり,これにより重大な権利侵害がされている場合には,権利救済のためにアカウント全体の削除をすることが真にやむを得ないものというべきであり,例外的にアカウント全体の削除を求めることができると解するのが相当である。 大阪地裁平成29年8月30日判決・判例時報2364号58頁 「〔Bによる〕これらの投稿は,いずれも他者を侮辱(ぶじょく)や罵倒(ばとう)する内容であると認められ,…原告〔=A〕による投稿であると誤認(ごにん)されるものであることと併(あわ)せ考えれば,第三者に対し,原告が他者を根拠なく侮辱や罵倒して本件掲示板の場を乱す人間であるかのような誤解を与えるものであるといえるから,原告の社会的評価を低下させ,その名誉権を侵害しているというべきである。 大阪地裁平成29年8月30日判決・判例時報2364号58頁 「肖像は,個人の人格の象徴(しょうちょう)であるから,当該(とうがい)個人は,人格権に由来するものとして,これをみだりに利用されない権利を有(ゆう)すると解(かい)される(最高裁平成24年2月2日判決・民集66巻2号89頁参照)。 他方,他人の肖像の使用が正当な表現行為等として許容されるべき場合もあるというべきであるから,他人の肖像の使用が違法となるかどうかは,使用の目的,被侵害利益の程度や侵害行為の態様等を総合考慮して,その侵害が社会生活上受忍(じゅにん)の限度を超えるかどうかを判断して決すべきである(最高裁平成17年11月10日判決・民集59巻9号2428頁参照)。 …被告〔=B〕は,原告〔=A〕の顔写真を本件アカウントのプロフィール画像として使用し,原告の社会的評価を低下させるような投稿を行ったことが認められ,被告による原告の肖像の使用について,その目的に正当性を認めることはできない。 ごめんなさい』…などと投稿したことは,原告を侮辱し,原告の肖像権に結びつけられた利益のうち名誉感情に関する利益を侵害したと認めるのが相当である。 そうすると,被告〔=B〕による原告〔=A〕の肖像の使用は,その目的や原告に生じた不利益等に照らし,社会生活上受忍すべき限度を超えて,原告の肖像権を違法に侵害したものと認められる。 )に対し,当該開示関係役務提供者が保有する当該権利の侵害に係る発信者情報(氏名、住所その他の侵害情報の発信者の特定に資する情報であって総務省令で定めるものをいう。 以下同じ。 )の開示を請求することができる。 一 侵害情報の流通によって当該開示の請求をする者の権利が侵害されたことが明らかであるとき。 …個人が,自己同一性を保持することは人格的生存の前提となる行為であり,社会生活の中で自己実現を図ることも人格的生存の重要な要素であるから,他者との関係における人格的同一性を保持することも,人格的生存に不可欠というべきである。 したがって,他者から見た人格の同一性に関する利益も不法行為法上保護される人格的な利益になり得ると解される。 もっとも,他者から見た人格の同一性に関する利益の内容,外延は必ずしも明確ではなく,氏名や肖像を冒用されない権利・利益とは異なり,その性質上不法行為法上の利益として十分に強固なものとはいえないから,他者から見た人格の同一性が偽られたからといって直ちに不法行為が成立すると解すべきではなく,なりすましの意図・動機,なりすましの方法・態様,なりすまされた者がなりすましによって受ける不利益の有無・程度等を総合考慮して,その人格の同一性に関する利益の侵害が社会生活上受忍の限度を超えるものかどうかを判断して,当該行為が違法性を有するか否かを決すべきである」 ただし,裁判所は,Aさんのケースへのあてはめでは,Bさんによるなりすましが正当な意図,動機によるものとは認められないとしながら,なりすましの方法・態様と,なりすましによって受けた不利益の程度から,名誉権侵害と肖像権侵害以外のなりすまし行為についてはAさんの人格的な利益の侵害が社会生活上受忍の限度を超えるものとまでは認められない,としました。 1年前,週2でバイトを始めたんですが,最初は半年間の約束だったのが,そのまま特に職場と話もなく,その後もずるずると働いてました。 最近,シフトを週3,週4と次々に入れられて,部活やテスト勉強の時間がとれなくなってきたので,バイトをやめようとしたら,店長から「代わりの人を探してこなければやめられない」,「やめるなら求人広告代のお金を払え」,「それでもやめるならこれまでのミスを理由に懲戒解雇にする。 そしたら将来,まともな就職ができなくなるぞ」と言われて,怖くてやめられません。 店長の言っていることは,すべて法律的にまちがいです。 あなたはそのバイトをやめることができますし,やめても問題ありません。 一刻も早くやめられるよう,弁護士に相談してください。 社会の中でいちばん多い職場のやめかたは, あなたと職場が話し合って,おたがいに納得して終わりにする方法です。 「合意解約(ごういかいやく)」,または,「合意退職」と言います。 でも,あなたの場合, あなたの「やめたい」という申込みに,職場がOKしてくれないのですよね。 働くがわは,雇(やと)うがわよりも,弱い立場にあります。 あなたがやめたいと思っているのに, 職場がOKしなければずっと働き続けないといけない,というのでは, つらい生活が続くことになってしまいます。 だから 法律は, 職場がOKしなくても,あなたから一方的にやめられるルールを, きちんと作っています。 国のおおもとのルールである憲法も,はっきりそう言っています。 正社員は,「いつまで働く」という期間を,決めていないことが多いです。 (「」の記事も,読んでみてください。 ) アルバイトは,「いつまで働く」という期間を, 決めている場合もあれば,決めていない場合もあります。 あなたは,最初は半年間働く約束だったのが, そのまま特に職場と話がなく,ずるずると働き続けている,ということでしたね。 「やめます」と一方的に言ってやめるこの方法を,「辞職(じしょく)」と言います。 「やめさせてほしい」というお願い(合意解約の申込み)ではなく, 「やめます」と言い切るのです。 職場が「認めない」と言ったとしても,自動的にやめられます。 あなたが代わりの人を探す必要は,まったくありません。 あなたが求人広告の費用を払う必要も,まったくありません。 懲戒解雇は,仕事で悪いことをしたときに罰として受ける処分の1つですが, とてもハードルが高く,かんたんには認められません。 店長があなたに言っていることは,すべて法律的にまちがいです。 「ここで自分がやめるのは,身勝手で ,社会人として失格かもしれない。 」 あなたがそう思い悩む必要はありません。 働く人が減ってしまうと,店が回らなくなってしまう。 だから店長は,法律的にまちがっていることを言いながらあなたを脅(おど)し, あなたをやめさせないようにしているのです。 そんな店長のほうこそ,身勝手ですし,社会人として失格です。 法律は,そんな店長からあなたを守る,強い武器になります。 「やめます」と言ったあと,まだ2週間は働き続けないといけない,というのは,しんどいですよね。 有給休暇の日数は,法律で決まっています。 週2日で1年間働いてきたあなたは,3日間の有給休暇が使えますから, 残りの2週間の勤務日の4日のうち,1日だけ出勤すればOKです。 最初の約束の期間の後も働き続けていたあなたの場合は, 上に書いたやり方で,一方的にやめることができます。 参考までに,働く期間がきちんと決まっていて,その途中でやめる場合についても,説明しておきます。 働く期間が決まっていたのなら, その期間が終わるまでは,やめられないのが基本です。 でも,期間の途中でやめられる,例外があります。 ただ,ふつうのアルバイトでは,最初から1年を超える期間を決めていることは,あまりないかもしれません。 2週間待つ必要はありません。 どういう時に「どうしてもしかたがない理由」があってやめられるのかは,ケースによります。 あなたと同じような状況にある人なら, 週2の勤務という,働く条件のだいじな部分を職場が守らず,そのせいで学校生活に大きな影響が出ていますし, 代わりの人を探さなければやめられないとか, 求人広告代の費用 を払えとか, 懲戒解雇にしたら将来まともな就職ができない,などと, 店長が法律的にまちがったことを言いながら脅すことまでしているのですから, 「どうしてもしかたがない理由」は,じゅうぶんにあります。

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彼氏を激怒させてしまいました

今日 も 拒 まれ て ます さい な らっきょ

慶應義塾の社中にては、西洋の学者に往々 自 ( みず )から伝記を記すの例あるを 以 ( もっ )て、兼てより福澤先生自伝の著述を希望して、親しく 之 ( これ )を勧めたるものありしかども、先生の平生 甚 ( はなは )だ多忙にして執筆の閑を得ずその 儘 ( まま )に経過したりしに、一昨年の秋、 或 ( あ )る外国人の 需 ( もとめ )に応じて維新前後の実歴談を述べたる折、 風 ( ふ )と思い立ち、幼時より老後に至る経歴の概略を速記者に口授して筆記せしめ、 自 ( みず )から校正を加え、福翁自伝と題して、昨年七月より本年二月までの時事新報に掲載したり。 本来この筆記は単に記憶に存したる事実を思い出ずるまゝに語りしものなれば、 恰 ( あたか )も一場の談話にして、 固 ( もと )より事の詳細を 悉 ( つ )くしたるに 非 ( あら )ず。 左 ( さ )れば先生の 考 ( かんがえ )にては、新聞紙上に掲載を終りたる後、 更 ( さ )らに 自 ( みず )から筆を 執 ( とり )てその 遺漏 ( いろう )を補い、又後人の参考の 為 ( た )めにとて、幕政の当時親しく見聞したる事実に 拠 ( よ )り、我国開国の次第より幕末外交の始末を記述して別に一編と 為 ( な )し、自伝の後に付するの計画にして、 既 ( すで )にその腹案も成りたりしに、昨年九月中、 遽 ( にわか )に大患に 罹 ( かか )りてその事を果すを得ず。 誠に遺憾なれども、今後先生の病いよ/\全癒の上は、兼ての腹案を筆記せしめて世に 公 ( おおやけ )にし、以て今日の遺憾を償うことあるべし。 福澤諭吉の父は 豊前 ( ぶぜん )中津 奥平 ( おくだいら )藩の士族福澤 百助 ( ひゃくすけ )、母は同藩士族、 橋本浜右衛門 ( はしもとはまえもん )の長女、名を 於順 ( おじゅん )と申し、父の身分はヤット藩主に 定式 ( じょうしき )の謁見が出来ると 云 ( い )うのですから 足軽 ( あしがる )よりは数等 宜 ( よろ )しいけれども士族中の下級、今日で云えば 先 ( ま )ず判任官の家でしょう。 藩で云う 元締役 ( もとじめやく )を勤めて大阪にある中津藩の 倉屋敷 ( くらやしき )に長く勤番して居ました。 夫 ( そ )れゆえ家内残らず大阪に 引越 ( ひきこ )して居て、 私共 ( わたしども )は皆大阪で生れたのです。 兄弟五人、総領の兄の次に女の子が三人、私は 末子 ( ばっし )。 私の生れたのは天保五年十二月十二日、父四十三歳、母三十一歳の時の誕生です。 ソレカラ天保七年六月、父が不幸にして病死。 跡に 遺 ( のこ )るは母一人に子供五人、兄は十一歳、私は 数 ( かぞ )え年で三つ。 斯 ( か )くなれば大阪にも居られず、兄弟残らず母に連れられて藩地の中津に帰りました。 扨 ( さて )中津に帰てから私の覚えて居ることを申せば、私共の兄弟五人はドウシテも中津人と 一所 ( いっしょ )に 混和 ( こんか )することが出来ない、その出来ないと云うのは深い由縁も何もないが、 従兄弟 ( いとこ )が 沢山 ( たくさん )ある、 父方 ( ててかた )の従兄弟もあれば 母方 ( ははかた )の従兄弟もある。 マア何十人と云う従兄弟がある。 又近所の小供も 幾許 ( いくら )もある、あるけれどもその 者等 ( ものら )とゴチャクチャになることは出来ぬ。 第一言葉が 可笑 ( おか )しい。 私の兄弟は皆大阪言葉で、中津の人が「そうじゃちこ」と 云 ( い )う所を、私共は「そうでおます」なんと云うような 訳 ( わ )けで、お互に 可笑 ( おか )しいから 先 ( ま )ず話が少ない。 夫 ( そ )れから又母は 素 ( も )と中津生れであるが、長く大阪に居たから大阪の 風 ( ふう )に慣れて、小供の髪の 塩梅式 ( あんばいしき )、着物の塩梅式、一切大阪風の着物より 外 ( ほか )にない。 有合 ( ありあい )の着物を着せるから自然中津の風とは違わなければならぬ。 着物が違い言葉が違うと云う外には何も原因はないが、子供の事だから何だか 人中 ( ひとなか )に出るのを気恥かしいように 思 ( おもっ )て、自然、内に引込んで兄弟同士遊んで居ると云うような風でした。 夫れから 最 ( も )う一つ 之 ( これ )に加えると、私の父は学者であった。 普通 ( あたりまえ )の漢学者であって、大阪の藩邸に在勤してその仕事は何かというと、大阪の 金持 ( かねもち )、 加島屋 ( かじまや )、 鴻 ( こう )ノ 池 ( いけ )というような者に交際して藩債の事を 司 ( つかさ )どる役であるが、元来父はコンナ事が不平で 堪 ( たま )らない。 金銭なんぞ取扱うよりも読書一偏の学者になって居たいという 考 ( かんがえ )であるに、 存 ( ぞん )じ 掛 ( かけ )もなく 算盤 ( そろばん )を 執 ( とっ )て金の数を数えなければならぬとか、 藩借 ( はんしゃく )延期の談判をしなければならぬとか 云 ( い )う仕事で、今の洋学者とは 大 ( おおい )に違って、昔の学者は銭を見るも 汚 ( けが )れると云うて居た純粋の学者が、純粋の俗事に当ると云う 訳 ( わ )けであるから、不平も無理はない。 ダカラ子供を育てるのも全く儒教主義で育てたものであろうと思うその一例を申せば、 斯 ( こ )う云うことがある。 私は 勿論 ( もちろん )幼少だから 手習 ( てならい )どころの話でないが、 最 ( も )う十歳ばかりになる兄と七、八歳になる姉などが手習をするには、 倉屋敷 ( くらやしき )の中に手習の師匠があって、 其家 ( そこ )には 町家 ( ちょうか )の小供も来る。 其処 ( そこ )でイロハニホヘトを教えるのは 宜 ( よろ )しいが、大阪の事だから九々の声を教える。 二二が四、二三が六。 これは 当然 ( あたりまえ )の話であるが、その事を父が聞て、 怪 ( け )しからぬ事を教える。 幼少の小供に勘定の事を知らせると 云 ( い )うのは 以 ( もっ )ての 外 ( ほか )だ。 斯 ( こ )う 云 ( い )う処に小供は 遣 ( やっ )て置かれぬ。 何を教えるか知れぬ。 早速 ( さっそく )取返せと 云 ( いっ )て取返した事があると云うことは、 後 ( のち )に母に聞きました。 何でも大変 喧 ( やか )ましい人物であったことは推察が出来る。 その 書遺 ( かきのこ )したものなどを見れば真実 正銘 ( しょうみょう )の漢儒で、 殊 ( こと )に 堀河 ( ほりかわ )の 伊藤東涯 ( いとうとうがい )先生が 大信心 ( だいしんじん )で、誠意誠心、 屋漏 ( おくろう )に 愧 ( は )じずということ 許 ( ばか )り 心掛 ( こころがけ )たものと思われるから、その遺風は 自 ( おのず )から私の家には存して居なければならぬ。 一母五子、他人を交えず世間の 附合 ( つきあい )は少く、 明 ( あけ )ても暮れても 唯 ( ただ )母の話を聞く 許 ( ばか )り、父は死んでも生きてるような者です。 ソコデ中津に居て、言葉が違い着物が違うと同時に、私共の兄弟は自然に一団体を成して、言わず語らずの間に高尚に構え、中津人は俗物であると 思 ( おもっ )て、 骨肉 ( こつにく )の 従兄弟 ( いとこ )に対してさえ、心の中には何となく 之 ( これ )を 目下 ( めした )に 見下 ( みくだ )して居て、 夫等 ( それら )の者のすることは一切 咎 ( とがめ )もせぬ、 多勢 ( たぜい )に 無勢 ( ぶぜい )、 咎立 ( とがめだて )をしようと 云 ( いっ )ても及ぶ話でないと 諦 ( あき )らめて居ながら、心の底には丸で 歯牙 ( しが )に掛けずに、 云 ( い )わば人を馬鹿にして居たようなものです。 今でも覚えて居るが、私が少年の時から家に居て、 能 ( よ )く 饒舌 ( しゃべ )りもし、飛び 廻 ( ま )わり 刎 ( は )ね廻わりして、 至極 ( しごく )活溌にてありながら、木に登ることが 不得手 ( ふえて )で、水を泳ぐことが 皆無 ( かいむ )出来ぬと云うのも、 兎角 ( とかく )同藩中の子弟と 打解 ( うちと )けて遊ぶことが出来ずに孤立した 所為 ( せい )でしょう。 今申す通り私共の兄弟は、幼少のとき中津の人と言語風俗を 殊 ( こと )にして、他人の知らぬ処に随分 淋 ( さび )しい思いをしましたが、その淋しい 間 ( あいだ )にも家風は 至極 ( しごく )正しい。 厳重な父があるでもないが、母子 睦 ( むつま )じく暮して兄弟喧嘩など 唯 ( ただ )の一度もしたことがない。 のみか、 仮初 ( かりそめ )にも俗な 卑陋 ( びろう )な事はしられないものだと育てられて、別段に教える者もない、母も決して 喧 ( やかま )しい 六 ( むず )かしい人でないのに、自然に 爾 ( そ )うなったのは、 矢張 ( やは )り父の遺風と母の感化力でしょう。 その事実に現われたことを申せば、 鳴物 ( なりもの )などの一条で、 三味線 ( しゃみせん )とか何とか 云 ( い )うものを、聞こうとも思わなければ何とも思わぬ。 斯様 ( かよう )なものは全体私なんぞの聞くべきものでない、 矧 ( いわん )や 玩 ( もてあそ )ぶべき者でないと云う 考 ( かんがえ )を持て居るから、 遂 ( つい )ぞ芝居見物など念頭に浮んだこともない。 例えば、夏になると中津に芝居がある。 祭の時には七日も芝居を興行して、田舎役者が芸をするその時には、藩から 布令 ( ふれ )が出る。 芝居は 何日 ( なんか )の 間 ( あいだ )あるが、藩士たるものは決して立寄ることは 相成 ( あいな )らぬ、 住吉 ( すみよし )の 社 ( やしろ )の石垣より以外に行くことならぬと云うその布令の文面は、 甚 ( はなは )だ厳重なようにあるが、 唯 ( ただ ) 一片 ( いっぺん )の 御 ( お )布令だけの事であるから、俗士族は 脇差 ( わきざし )を一本 挟 ( さ )して 頬冠 ( ほほかむ )りをして 颯々 ( さっさつ )と芝居の 矢来 ( やらい )を 破 ( やぶっ )て 這入 ( はい )る。 若 ( も )しそれを 咎 ( とが )めれば 却 ( かえっ )て 叱 ( しか )り飛ばすと云うから、誰も怖がって咎める者はない。 町の者は金を 払 ( はらっ )て行くに、士族は 忍姿 ( しのびすがた )で却て 威張 ( いばっ )て 只 ( ただ ) 這入 ( はいっ )て 観 ( み )る。 然 ( しか )るに中以下 俗士族 ( ぞくしぞく )の多い中で、その芝居に行かぬのは 凡 ( およ )そ私のところ一軒 位 ( ぐらい )でしょう。 決して行かない。 此処 ( ここ )から 先 ( さ )きは行くことはならぬと 云 ( い )えば、 一足 ( ひとあし )でも行かぬ、どんな事があっても。 私の母は女ながらも 遂 ( つい )ぞ 一口 ( ひとくち )でも芝居の事を子供に云わず、兄も 亦 ( また )行こうと云わず、 家内中 ( かないじゅう ) 一寸 ( ちょいと )でも話がない。 夏、暑い時の事であるから 凉 ( すずみ )には行く。 併 ( しか )しその近くで芝居をして居るからと 云 ( いっ )て見ようともしない、どんな芝居を 遣 ( やっ )て居るとも噂にもしない、平気で居ると云うような家風でした。 前 ( ぜん )申す通り、 亡父 ( ぼうふ )は 俗吏 ( ぞくり )を勤めるのが不本意であったに違いない。 左 ( さ )れば中津を 蹴飛 ( けとば )して外に出れば 宜 ( い )い。 所が決してソンナ気はなかった様子だ。 如何 ( いか )なる事にも不平を 呑 ( の )んで、チャント 小禄 ( しょうろく )に 安 ( やす )んじて居たのは、時勢の 為 ( た )めに進退不自由なりし故でしょう。 私は今でも 独 ( ひと )り気の毒で残念に思います。 例えば父の生前に 斯 ( こ )う云う事がある。 今から推察すれば父の 胸算 ( きょうさん )に、福澤の家は総領に相続させる 積 ( つも )りで 宜 ( よろ )しい、所が子供の五人目に私が生れた、その生れた時は大きな 療 ( や )せた 骨太 ( ほねぶと )な子で、 産婆 ( さんば )の申すに、この子は乳さえ 沢山 ( たくさん )呑ませれば必ず見事に育つと云うのを聞て、父が 大層 ( たいそう )喜んで、 是 ( こ )れは 好 ( い )い子だ、この子が段々成長して 十 ( とお )か十一になれば寺に 遣 ( やっ )て坊主にすると、毎度母に語ったそうです。 その事を母が又私に話して、アノ時 阿父 ( おとっ )さんは 何故 ( なぜ )坊主にすると 仰 ( お )っしゃったか 合点 ( がてん )が行かぬが、今 御存命 ( ごぞんめい )なればお前は寺の 坊様 ( ぼうさま )になってる 筈 ( はず )じゃと、何かの話の 端 ( はし )には母が 爾 ( そ )う申して居ましたが、私が成年の 後 ( のち )その父の言葉を推察するに、中津は封建制度でチャント物を箱の中に詰めたように秩序が立て居て、何百年 経 ( たっ )ても 一寸 ( ちょい )とも動かぬと云う有様、家老の家に生れた者は家老になり、 足軽 ( あしがる )の家に生れた者は足軽になり、先祖代々、家老は家老、足軽は足軽、その 間 ( あいだ )に 挟 ( はさ )まって居る者も同様、何年経ても 一寸 ( ちょい )とも変化と 云 ( い )うものがない。 ソコデ私の父の身になって考えて見れば、到底どんな事をしたって名を成すことは出来ない、世間を見れば 茲 ( ここ )に坊主と云うものが一つある、何でもない 魚屋 ( さかなや )の息子が大僧正になったと云うような者が 幾人 ( いくら )もある話、それゆえに父が私を坊主にすると 云 ( いっ )たのは、その意味であろうと推察したことは間違いなかろう。 如斯 ( こん )なことを思えば、父の生涯、四十五年のその間、封建制度に束縛せられて何事も出来ず、 空 ( むな )しく不平を 呑 ( の )んで世を去りたるこそ遺憾なれ。 又 初生児 ( しょせいじ )の 行末 ( ゆくすえ )を 謀 ( はか )り、 之 ( これ )を坊主にしても名を成さしめんとまでに決心したるその心中の苦しさ、その愛情の深さ、私は毎度この事を思出し、封建の門閥制度を 憤 ( いきどお )ると共に、 亡父 ( ぼうふ )の心事を察して 独 ( ひと )り泣くことがあります。 私の 為 ( た )めに門閥制度は親の 敵 ( かたき )で御座る。 私は坊主にならなかった。 坊主にならずに家に居たのであるから学問をすべき筈である。 所が誰も世話の 為人 ( して )がない。 私の兄だからと 云 ( いっ )て兄弟の長少 僅 ( わず )か十一しか違わぬので、その間は皆女の子、母も 亦 ( また )たった 一人 ( ひとり )で、下女下男を置くと 云 ( い )うことの出来る家ではなし、母が一人で 飯 ( めし )を 焚 ( た )いたりお 菜 ( さい )を 拵 ( こしら )えたりして五人の小供の世話をしなければならぬから、中々教育の世話などは存じ 掛 ( がけ )もない。 云わばヤリ 放 ( はな )しである。 藩の 風 ( ふう )で幼少の時から論語を続むとか大学を読む 位 ( くらい )の事は 遣 ( や )らぬことはないけれども、奨励する者とては一人もない。 殊 ( こと )に誰だって本を読むことの 好 ( すき )な子供はない。 私一人本が嫌いと云うこともなかろう、天下の小供みな嫌いだろう。 私は 甚 ( はなは )だ嫌いであったから 休 ( やすん )でばかり居て何もしない。 手習 ( てならい )もしなければ本も読まない。 根 ( ね )っから何にもせずに居た所が、十四か十五になって見ると、 近処 ( きんじょ )に 知 ( しっ )て居る者は皆な本を 読 ( よん )で居るのに、自分 独 ( ひと )り読まぬと云うのは 外聞 ( がいぶん )が悪いとか恥かしいとか 思 ( おもっ )たのでしょう。 夫 ( そ )れから自分で本当に読む気になって、田舎の塾へ 行始 ( ゆきはじ )めました。 どうも十四、五になって始めて学ぶのだから甚だきまりが悪い。 外 ( ほか )の者は 詩経 ( しきょう )を読むの 書経 ( しょきょう )を読むのと 云 ( い )うのに、私は 孟子 ( もうし )の 素読 ( そどく )をすると云う次第である。 所が 茲 ( ここ )に 奇 ( き )な事は、その塾で 蒙求 ( もうぎゅう )とか孟子とか論語とかの 会読 ( かいどく )講義をすると云うことになると、私は 天禀 ( てんりん )、少し文才があったのか知らん、 能 ( よ )く 其 ( そ )の意味を 解 ( げ )して、朝の素読に教えて 呉 ( く )れた人と、昼からになって蒙求などの会読をすれば、必ず私がその先生に勝つ。 先生は文字を読む 許 ( ばか )りでその意味は 受取 ( うけとり )の悪い書生だから、 之 ( これ )を相手に会読の勝敗なら 訳 ( わ )けはない。 その中、塾も二度か三度か 更 ( か )えた事があるが、最も多く漢書を 習 ( ならっ )たのは、 白石 ( しらいし )と云う先生である。 其処 ( そこ )に四、五年ばかり通学して漢書を学び、その意味を 解 ( げ )すことは何の苦労もなく 存外 ( ぞんがい )早く上達しました。 白石の塾に居て漢書は 如何 ( いか )なるものを 読 ( よん )だかと申すと、 経書 ( けいしょ )を専らにして論語、孟子は 勿論 ( もちろん )、すべて 経義 ( けいぎ )の研究を 勉 ( つと )め、 殊 ( こと )に先生が好きと見えて詩経に書経と云うものは本当に講義をして 貰 ( もらっ )て 善 ( よ )く読みました。 ソレカラ蒙求、 世説 ( せせつ )、 左伝 ( さでん )、 戦国策 ( せんごくさく )、 老子 ( ろうし )、 荘子 ( そうし )と云うようなものも 能 ( よ )く講義を聞き、その 先 ( さ )きは私 独 ( ひと )りの勉強、歴史は史記を始め 前後漢書 ( ぜんごかんしょ )、 晋書 ( しんしょ )、 五代史 ( ごだいし )、 元明史略 ( げんみんしりゃく )と云うようなものも読み、殊に私は左伝が得意で、大概の書生は左伝十五巻の内三、四巻で 仕舞 ( しま )うのを、私は全部通読、 凡 ( およ )そ十一 度 ( た )び読返して、面白い処は暗記して居た。 夫 ( そ )れで 一 ( ひ )ト通り漢学者の前座ぐらいになって居たが、一体の学流は 亀井 ( かめい ) 風 ( ふう )で、私の先生は亀井が 大信心 ( だいしんじん )で、余り詩を作ることなどは教えずに 寧 ( むし )ろ冷笑して居た。 広瀬淡窓 ( ひろせたんそう )などの事は、 彼奴 ( あいつ )は 発句師 ( ほっくし )、俳諧師で、詩の題さえ出来ない、書くことになると漢文が書けぬ、何でもない 奴 ( やつ )だと 云 ( いっ )て居られました。 先生が 爾 ( そ )う 云 ( い )えば 門弟子 ( もんていし )も 亦 ( また )爾う云う気になるのが不思議だ。 淡窓ばかりでない、 頼山陽 ( らいさんよう )なども 甚 ( はなは )だ信じない、誠に 目下 ( めした )に 見下 ( みくだ )して居て、「何だ粗末な文章、 山陽 ( さんよう )などの書いたものが文章と 云 ( い )われるなら誰でも文章の出来ぬ者はあるまい。 仮令 ( たと )い舌足らずで 吃 ( どもっ )た所が意味は通ずると云うようなものだなんて 大造 ( たいそう )な剣幕で、先生から 爾 ( そ )う 教込 ( おしえこ )まれたから、私共も山陽外史の事をば軽く見て居ました。 白石 ( しらいし )先生ばかりでない。 私の父が又その通りで、父が大阪に居るとき山陽先生は京都に居り、 是非 ( ぜひ )交際しなければならぬ 筈 ( はず )であるに 一寸 ( ちょい )とも付合わぬ。 野田笛浦 ( のだてきほ )と云う人が父の親友で、野田先生はどんな人か知らない、けれども山陽を 疎外 ( そがい )して笛浦を親しむと云えば、笛浦先生は浮気でない学者と云うような意味でしたか、 筑前 ( ちくぜん )の 亀井 ( かめい )先生なども朱子学を取らずに 経義 ( けいぎ )に一説を立てたと云うから、その 流 ( りゅう )を汲む人々は何だか山陽流を面白く思わぬのでしょう。 以上は学問の話しですが、 尚 ( な )お 此 ( こ )の 外 ( ほか )に申せば、私は旧藩士族の小供に 較 ( くら )べて見ると手の 先 ( さ )きの器用な 奴 ( やつ )で、物の工夫をするような事が得意でした。 例えば井戸に物が 墜 ( お )ちたと云えば、 如何 ( どう ) 云 ( い )う 塩梅 ( あんばい )にして 之 ( これ )を 揚 ( あ )げるとか、 箪笥 ( たんす )の 錠 ( じょう )が 明 ( あ )かぬと云えば、 釘 ( くぎ )の 尖 ( さき )などを色々に 抂 ( ま )げて遂に見事に之を明けるとか云う 工風 ( くふう )をして面白がって居る。 又 ( ま )た障子を張ることも器用で、自家の障子は 勿論 ( もちろん )、親類へ 雇 ( やと )われて張りに行くこともある。 兎 ( と )に 角 ( かく )に何をするにも手先が器用でマメだから、自分にも面白かったのでしょう。 ソレカラ段々 年 ( とし )を取るに従て仕事も多くなって、 固 ( もと )より 貧士族 ( ひんしぞく )のことであるから、自分で色々工風して、 下駄 ( げた )の 鼻緒 ( はなお )もたてれば 雪駄 ( せった )の 剥 ( はが )れたのも縫うと 云 ( い )うことは私の 引受 ( ひきう )けで、自分のばかりでない、母のものも兄弟のものも 繕 ( つくろ )うて 遣 ( や )る。 或 ( あるい )は 畳針 ( たたみばり )を 買 ( かっ )て来て畳の 表 ( おもて )を 附 ( つ )け 替 ( か )え、又或は竹を割って 桶 ( おけ )の 箍 ( たが )を入れるような事から、その 外 ( ほか )、 戸 ( と )の破れ屋根の 漏 ( も )りを繕うまで 当前 ( あたりまえ )の仕事で、皆私が 一人 ( ひとり )でして居ました。 ソレカラ進んで本当の内職を始めて、下駄を 拵 ( こしら )えたこともあれば、刀剣の細工をしたこともある。 刀の 身 ( み )を 磨 ( と )ぐことは知らぬが、 鞘 ( さや )を塗り 柄 ( つか )を巻き、その外、 金物 ( かなもの )の細工は田舎ながらドウヤラコウヤラ形だけは出来る。 今でも私の 塗 ( ぬっ )た 虫喰塗 ( むしくいぬ )りの 脇差 ( わきざし )の鞘が宅に一本あるが、随分不器用なものです。 都 ( すべ )てコンナ事は 近処 ( きんじょ )に内職をする士族があってその人に習いました。 金物 ( かなもの )細工をするに 鑢 ( やすり )は第一の道具で、 是 ( こ )れも手製に作って、その製作には随分苦心して居た所が、その 後 ( のち )、 年経 ( としへ )て私が江戸に来て 先 ( ま )ず大に驚いたことがある、と申すは 只 ( ただ )の鑢は 鋼鉄 ( はがね )を 斯 ( こ )うして斯う遣れば私の手にもヲシ/\出来るが、 鋸 ( のこぎり ) 鑢 ( やすり )ばかりは 六 ( むず )かしい。 ソコデ江戸に 這入 ( はいっ )たとき、今思えば芝の 田町 ( たまち )、処も覚えて居る、江戸に這入て往来の右側の家で、小僧が 鋸 ( のこぎり )の 鑢 ( やすり )の目を 叩 ( たたい )て居る。 皮を鑢の下に敷いて 鏨 ( たがね )で刻んで 颯々 ( さっさつ )と出来る様子だから、私は 立留 ( たちどまっ )て 之 ( これ )を見て、心の中で 扨々 ( さてさて )大都会なる 哉 ( かな )、途方もない事が出来るもの哉、自分等は夢にも思わぬ、鋸の鑢を 拵 ( こしら )えようと 云 ( い )うことは全く考えたこともない、 然 ( しか )るに小供がアノ通り 遣 ( やっ )て居るとは、途方もない工芸の進んだ場所だと思て、江戸に這入たその日に感心したことがあると云うような 訳 ( わ )けで、少年の時から読書の 外 ( ほか )は俗な事ばかりして俗な事ばかり考えて居て、年を 取 ( とっ )ても 兎角 ( とかく ) 手先 ( てさ )きの 細工事 ( さいくごと )が面白くて、 動 ( やや )もすれば 鉋 ( かんな )だの 鑿 ( のみ )だの 買集 ( かいあつ )めて、何か作って見よう、 繕 ( つくろ )うて見ようと思うその物は 皆 ( み )な俗な物ばかり、 所謂 ( いわゆる )美術と云う思想は少しもない。 平生 ( へいぜい )万事 至極 ( しごく )殺風景で、衣服住居などに一切 頓着 ( とんじゃく )せず、 如何 ( どう )いう家に居てもドンナ着物を着ても何とも思わぬ。 着物の上着か下着かソレモ構わぬ。 況 ( ま )して流行の縞模様など考えて見たこともない程の 不風流 ( ぶふうりゅう )なれども、何か私に得意があるかと云えば、 刀剣 ( とうけん )の 拵 ( こしら )えとなれば、 是 ( こ )れは 善 ( よ )く出来たとか、小道具の 作柄 ( さくがら ) 釣合 ( つりあい )が 如何 ( どう )とか云う 考 ( かんがえ )はある。 是れは田舎ながら手に少し覚えのある芸から自然に養うた意匠でしょう。 夫 ( そ )れから私が世間に 無頓着 ( むとんちゃく )と云うことは少年から 持 ( もっ )て生れた性質、周囲の事情に 一寸 ( ちょい )とも感じない。 藩の小士族などは酒、油、醤油などを買うときは、自分 自 ( みず )から町に 使 ( つかい )に行かなければならぬ。 所がその頃の士族一般の 風 ( ふう )として、 頬冠 ( ほほかむり )をして 宵 ( よる ) 出掛 ( でかけ )て行く。 私は頬冠は大嫌いだ。 生れてからしたことはない。 物を買うに何だ、 銭 ( ぜに )を 遣 ( やっ )て買うに少しも構うことはないと 云 ( い )う気で、顔も頭も丸出しで、士族だから大小は 挟 ( さ )すが、 徳利 ( とくり )を 提 ( さげ )て、夜は 扨置 ( さてお )き白昼公然、町の店に行く。 銭は 家 ( うち )の銭だ、盗んだ銭じゃないぞと云うような 気位 ( きぐらい )で、 却 ( かえっ )て藩中者の頬冠をして 見栄 ( みえ )をするのを 可笑 ( おか )しく 思 ( おもっ )たのは少年の血気、自分 独 ( ひと )り 自惚 ( うぬぼれ )て居たのでしょう。 ソレカラ又家に客を招く時に、大根や 牛蒡 ( ごぼう )を煮て 喫 ( くわ )せると云うことに 就 ( つい )て、必要があるから母の 指図 ( さしず )に従て働て居た。 所で私は客などがウヂャ/\酒を 呑 ( の )むのは大嫌い。 俗な奴等だ、呑むなら早く 呑 ( のん )で 帰 ( かえっ )て 仕舞 ( しま )えば 宜 ( い )いと思うのに、中々帰らぬ。 家は狭くて 居処 ( いどころ )もない。 仕方 ( しかた )ないから客の呑でる 間 ( あいだ )は、私は押入の中に 這入 ( はいっ )て寝て居る。 何時 ( いつ )でも客をする時には、客の来る 迄 ( まで )は働く、けれども夕方になると、自分も酒が 好 ( すき )だから 颯々 ( さっさつ )と酒を呑で 飯 ( めし )を 喰 ( くっ )て 押入 ( おしいれ )に 這入 ( はいっ )て仕舞い、客が帰た跡で押入から出て、 何時 ( いつ )も寝る処に寝直すのが常例でした。 夫 ( そ )れから私の兄は年を取て居て色々の朋友がある。 時勢論などをして居たのを聞たこともある、けれども私は夫れに就て 喙 ( くちばし )を 容 ( い )れるような地位でない。 只 ( ただ ) 追使 ( おいつかわ )れる 許 ( ばか )り。 その時、中津の 人気 ( にんき )は 如何 ( どう )かと 云 ( い )えば、学者は 挙 ( こぞっ )て水戸の 御隠居様 ( ごいんきょさま )、 即 ( すなわ )ち 烈公 ( れっこう )の事と、越前の 春嶽 ( しゅんがく )様の話が多い。 学者は水戸の 老公 ( ろうこう )と云い、俗では水戸の御隠居様と云う。 御三家 ( ごさんけ )の事だから 譜代 ( ふだい )大名の家来は大変に 崇 ( あが )めて、 仮初 ( かりそめ )にも隠居などゝ 呼棄 ( よびすて )にする者は 一人 ( ひとり )もない。 水戸の御隠居様、水戸の老公と尊称して、天下一の人物のように話して居たから、私も 左様 ( そう ) 思 ( おもっ )て居ました。 ソレカラ 江川太郎左衛門 ( えがわたろうざえもん )も幕府の 旗本 ( はたもと )だから、江川様と 蔭 ( かげ )でも 屹 ( きっ )と 様付 ( さまづけ )にして、 之 ( これ )も中々評判が高い。 或時 ( あるとき )兄などの話に、江川太郎左衛門と云う人は近世の英雄で、寒中 袷 ( あわせ )一枚着て居ると云うような話をして居るのを、私が 側 ( そば )から 一寸 ( ちょい )と聞て、 何 ( な )にその 位 ( くらい )の事は誰でも出来ると云うような気になって、ソレカラ私は誰にも相談せずに、毎晩 掻巻 ( かいまき ) 一枚 ( いちまい ) 着 ( き )て 敷蒲団 ( しきぶとん )も敷かず畳の上に寝ることを始めた。 スルト母は之を見て、何の真似か、ソンナ事をすると風邪を引くと 云 ( いっ )て、 頻 ( しき )りに 止 ( と )めるけれども、トウ/\聴かずに 一冬 ( ひとふゆ )通したことがあるが、 是 ( こ )れも十五、六歳の頃、 唯 ( ただ )人に負けぬ気で 遣 ( やっ )たので 身体 ( からだ )も丈夫であったと思われる。 又当時世間一般の事であるが、学問と 云 ( い )えば漢学ばかり、私の兄も 勿論 ( もちろん )漢学 一方 ( いっぽう )の人で、 只 ( ただ )他の学者と違うのは、 豊後 ( ぶんご )の 帆足万里 ( ほあしばんり )先生の 流 ( りゅう )を 汲 ( く )んで、数学を学んで居ました。 帆足先生と云えば中々 大儒 ( だいじゅ )でありながら数学を 悦 ( よろこ )び、先生の説に、鉄砲と 算盤 ( そろばん )は士流の重んずべきものである、その算盤を 小役人 ( こやくにん )に任せ、鉄砲を 足軽 ( あしがる )に任せて置くと云うのは大間違いと云うその説が中津に流行して、士族中の有志者は数学に心を寄せる人が多い。 兄も 矢張 ( やは )り先輩に 傚 ( なら )うて 算盤 ( そろばん )の高尚な所まで進んだ様子です。 この辺は世間の儒者と少し違うようだが、その他は 所謂 ( いわゆる ) 孝悌 ( こうてい )忠信で、純粋の漢学者に相違ない。 或時 ( あるとき )兄が私に 問 ( とい )を掛けて、「お前は 是 ( こ )れから先き何になる積りかと 云 ( い )うから、私が答えて、「 左様 ( さよう )さ、 先 ( ま )ず日本一の 大金持 ( おおがねもち )になって思うさま金を使うて見ようと思いますと云うと、兄が苦い顔して 叱 ( しか )ったから、私が 返問 ( はんもん )して、「 兄 ( にい )さんは 如何 ( どう )なさると尋ねると、 真面目 ( まじめ )に、「死に至るまで孝悌忠信と 唯 ( ただ ) 一言 ( いちごん )で、私は「ヘーイと 云 ( いっ )た切りそのまゝになった事があるが、 先 ( ま )ず兄はソンナ人物で、又妙な処もある。 或時 ( あるとき )私に 向 ( むかっ )て、「 乃公 ( おれ )は総領で家督をして居るが、 如何 ( どう )かして 六 ( むず )かしい家の養子になって見たい。 何とも 云 ( い )われない頑固な、ゴク 喧 ( やかま )しい養父母に 事 ( つか )えて見たい。 決して 風波 ( ふうは )を起させないと云うのは、 畢竟 ( ひっきょう )養父母と養子との 間柄 ( あいだがら )の悪いのは養子の方の 不行届 ( ふゆきとどき )だと説を極めてたのでしょう。 所が私は正反対で、「養子は 忌 ( いや )な事だ、大嫌いだ。 親でもない人を誰が親にして事える者があるかと云うような調子で、折々は互に説が 違 ( ちがっ )て居ました。 是 ( これ )れは [#「 是 ( これ )れは」はママ]私の十六、七の頃と思います。 母も 亦 ( また )随分妙な事を 悦 ( よろこ )んで、 世間並 ( せけんなみ )には少し変わって居たようです。 一体下等社会の者に 附合 ( つきあ )うことが 数寄 ( すき )で、出入りの百姓町人は 無論 ( むろん )、 穢多 ( えった )でも乞食でも 颯々 ( さっさつ )と近づけて、軽蔑もしなければ 忌 ( いや )がりもせず言葉など 至極 ( しごく )丁寧でした。 又宗教に 就 ( つい )て、 近処 ( きんじょ )の老婦人達のように普通の信心はないように見える。 例えば家は真宗でありながら説法も聞かず、「私は寺に参詣して阿弥陀様を拝むこと 許 ( ばか )りは 可笑 ( おか )しくてキマリが悪くて出来ぬと常に私共に 云 ( い )いながら、毎月米を袋に入れて寺に 持 ( もっ )て 行 ( いっ )て墓参りは欠かしたことはない(その袋は今でも大事に保存してある)。 阿弥陀様は拝まぬが坊主には懇意が多い。 旦那寺 ( だんなでら )の和尚は 勿論 ( もちろん )、又私が漢学塾に修業して、その塾中に諸国諸宗の書生坊主が居て、毎度私処に遊びに来れば、母は悦んで 之 ( これ )を 取持 ( とりもっ )て 馳走 ( ちそう )でもすると云うような 風 ( ふう )で、コンナ所を見れば 唯 ( ただ )仏法が嫌いでもないようです。 兎 ( と )に 角 ( かく )に慈善心はあったに違いない。 茲 ( ここ )に誠に 穢 ( きたな )い奇談があるから話しましょう。 中津に 一人 ( ひとり )の女乞食があって、馬鹿のような 狂者 ( きちがい )のような 至極 ( しごく )の 難渋者 ( なんじゅうもの )で、自分の名か、人の付けたのか、チエ/\と 云 ( いっ )て、毎日市中を 貰 ( もらっ )て 廻 ( ま )わる。 所が 此奴 ( こいつ )が 穢 ( きたな )いとも臭いとも 云 ( い )いようのない女で、着物はボロ/\、髪はボウ/\、その髪に 虱 ( しらみ )がウヤ/\して居るのが見える。 母が毎度の事で天気の 好 ( い )い日などには、おチエ 此方 ( こっち )に 這入 ( はいっ )て来いと云て、表の庭に 呼込 ( よびこ )んで 土間 ( どま )の草の上に坐らせて、自分は 襷掛 ( たすきが )けに身構えをして乞食の 虱狩 ( しらみがり )を始めて、私は加勢に 呼出 ( よびだ )される。 拾うように取れる虱を 取 ( とっ )ては庭石の上に置き、マサカ 爪 ( つめ )で 潰 ( つぶ )すことは出来ぬから、私を 側 ( そば )に置いて、この石の上のを石で潰せと申して、私は小さい手ごろな石を 以 ( もっ )て構えて居る。 母が 一疋 ( いっぴき )取て 台石 ( だいいし )の上に置くと私はコツリと 打潰 ( うちつぶ )すと云う役目で、五十も百も 先 ( ま )ずその時に取れる 丈 ( だ )け取て 仕舞 ( しま )い、ソレカラ母も私も着物を払うて 糠 ( ぬか )で手を洗うて、乞食には虱を取らせて 呉 ( く )れた 褒美 ( ほうび )に 飯 ( めし )を 遣 ( や )ると云う 極 ( きま )りで、 是 ( こ )れは母の 楽 ( たのし )みでしたろうが、私は 穢 ( きた )なくて穢なくて 堪 ( たま )らぬ。 今 思出 ( おもいだ )しても胸が悪いようです。 又私の十二、三歳の頃と思う。 兄が何か 反古 ( ほご )を 揃 ( そろ )えて居る処を、私がドタバタ踏んで通った所が兄が 大喝 ( たいかつ )一声、コリャ待てと 酷 ( ひど )く 叱 ( しか )り付けて、「お前は眼が見えぬか、 之 ( これ )を見なさい、何と書いてある、 奥平大膳大夫 ( おくだいらだいぜんのたいふ )と 御名 ( おな )があるではないかと 大造 ( たいそう )な権幕だから、「アヽ 左様 ( そう )で 御在 ( ござい )ましたか、私は知らなんだと 云 ( い )うと、「知らんと 云 ( いっ )ても 眼 ( め )があれば見える 筈 ( はず )じゃ、御名を足で踏むとは 如何 ( どう )云う心得である、 臣子 ( しんし )の道はと、 何 ( なに )か 六 ( むず )かしい事を並べて厳しく叱るから謝らずには居られぬ。 「私が誠に悪う御在ましたから 堪忍 ( かんにん )して下さいと 御辞儀 ( おじぎ )をして謝ったけれども、心の中では謝りも何もせぬ。 「何の事だろう、殿様の頭でも踏みはしなかろう、名の書いてある紙を踏んだからッて構うことはなさそうなものだと 甚 ( はなは )だ不平で、ソレカラ子供心に 独 ( ひと )り思案して、 兄 ( にい )さんの云うように殿様の名の書いてある反古を踏んで悪いと云えば、神様の名のある 御札 ( おふだ )を踏んだら 如何 ( どう )だろうと 思 ( おもっ )て、人の見ぬ処で御札を踏んで見た所が何ともない。 「ウム何ともない、コリャ面白い、今度は之を 洗手場 ( ちょうずば )に 持 ( もっ )て 行 ( いっ )て 遣 ( や )ろうと、一歩を進めて便所に試みて、その時は 如何 ( どう )かあろうかと少し怖かったが、 後 ( あと )で何ともない。 「ソリャ見たことか、兄さんが余計な、あんな事を云わんでも 宜 ( い )いのじゃと独り発明したようなものだが、 是 ( こ )れ 許 ( ばか )りは母にも云われず姉にも云われず、云えば 屹 ( きっ )と叱られるから、 一人 ( ひとり )で 窃 ( そっ )と黙って居ました。 ソレカラ一つも二つも年を取れば 自 ( おのず )から度胸も 好 ( よ )くなったと見えて、 年寄 ( としより )などの話にする 神罰 ( しんばつ ) 冥罰 ( みょうばつ )なんと 云 ( い )うことは 大嘘 ( だいうそ )だと 独 ( ひと )り 自 ( みず )から信じ 切 ( きっ )て、今度は一つ 稲荷 ( いなり )様を見て 遣 ( や )ろうと云う野心を起して、私の養子になって居た 叔父様 ( おじさま )の家の稲荷の 社 ( やしろ )の中には何が 這入 ( はいっ )て居るか知らぬと 明 ( あ )けて見たら、石が這入て居るから、その石を 打擲 ( うちや )って 仕舞 ( しまっ )て代りの石を拾うて入れて置き、又隣家の 下村 ( しもむら )と云う屋敷の稲荷様を明けて見れば、神体は何か木の 札 ( ふだ )で、 之 ( これ )も 取 ( とっ )て 棄 ( す )てゝ 仕舞 ( しま )い平気な顔して居ると、 間 ( ま )もなく 初午 ( はつうま )になって、 幟 ( のぼり )を立てたり 大鼓 ( たいこ )を叩いたり 御神酒 ( おみき )を上げてワイ/\して居るから、私は 可笑 ( おか )しい。 「馬鹿め、 乃公 ( おれ )の入れて置いた石に御神酒を上げて拝んでるとは面白いと、 独 ( ひと )り嬉しがって居たと云うような 訳 ( わ )けで、幼少の時から神様が怖いだの仏様が 有難 ( ありがた )いだの云うことは 一寸 ( ちょい )ともない。 卜筮 ( うらない ) 呪詛 ( まじない )一切不信仰で、 狐狸 ( きつねたぬき )が付くと云うようなことは初めから馬鹿にして少しも信じない。 小供ながらも精神は誠にカラリとしたものでした。 或時 ( あるとき )に大阪から妙な女が来たことがあるその女と云うのは、私共が大阪に居る時に 邸 ( やしき )に 出入 ( でいり )をする 上荷頭 ( うわにかしら )の 伝法寺屋松右衛門 ( でんぽうじやまつえもん )と云うものゝ娘で、年の頃三十 位 ( ぐらい )でもあったかと思う。 その女が中津に来て、お 稲荷様 ( いなりさま )を使うことを 知 ( しっ )て居ると 吹聴 ( ふいちょう )するその次第は、誰にでも 御幣 ( ごへい )を持たして置て何か祈ると、その人に稲荷様が 憑拠 ( とっつ )くとか何とか 云 ( いっ )て、 頻 ( しき )りに私の 家 ( うち )に来て 法螺 ( ほら )を 吹 ( ふい )て居る。 夫 ( そ )れからその時に私は十五、六の時だと思う。 「今誰にでもと云たじゃないか、サア遣て見せろと、 酷 ( ひど )くその女を弱らして面白かった事がある。 ソレカラ私が幼少の時から中津に居て、 始終 ( しじゅう )不平で 堪 ( たま )らぬと云うのは無理でない。 一体中津の藩風と云うものは、士族の 間 ( あいだ )に門閥制度がチャンと 定 ( き )まって居て、その門閥の堅い事は 啻 ( ただ )に藩の公用に 就 ( つい )てのみならず、今日 私 ( わたくし )の交際上、小供の 交際 ( つきあい )に至るまで、貴賤上下の区別を成して、上士族の子弟が私の 家 ( うち )のような下士族の者に 向 ( むかっ )ては丸で言葉が違う。 私などが上士族に対して、アナタが 如何 ( どう )なすって、 斯 ( こ )うなすってと云えば、 先方 ( むこう )では貴様が 爾 ( そ )う 為 ( し )やって、斯う為やれと云うような風で、万事その通りで、何でもない 只 ( ただ )小供の戯れの遊びにも門閥が付て廻るから、 如何 ( どう )しても不平がなくては居られない。 その 癖 ( くせ )今の貴様とか何とか 云 ( い )う上士族の子弟と学校に 行 ( いっ )て、読書 会読 ( かいどく )と云うような事になれば、 何時 ( いつ )でも 此方 ( こっち )が勝つ。 学問ばかりでない、腕力でも負けはしない。 夫 ( そ )れがその 交際 ( つきあい )、 朋友 ( ほういう )互に交って遊ぶ 小供遊 ( こどもあそび )の 間 ( あいだ )にも、ちゃんと門閥と云うものを 持 ( もっ )て 横風 ( おうふう ) 至極 ( しごく )だから、小供心に腹が 立 ( たっ )て堪らぬ。 況 ( ま )して 大人同士 ( おとなどうし )、藩の御用を勤めて居る人々に貴賤の区別は中々 喧 ( やかま )ましいことで、私が覚えて居るが、 或時 ( あるとき )私の兄が家老の処に手紙を 遣 ( やっ )て、少し学者風でその 表書 ( うわがき )に何々様 下執事 ( かしつじ )と書いて 遣 ( やっ )たら 大 ( おおい )に 叱 ( しか )られ、下執事とは何の事だ、 御取次衆 ( おとりつぎしゅう )と 認 ( したた )めて来いと 云 ( いっ )て、手紙を 突返 ( つきかえ )して来た。 私は 之 ( これ )を見ても 側 ( そば )から 独 ( ひと )り立腹して 泣 ( ない )たことがある。 馬鹿々々しい、こんな処に誰が居るものか、 如何 ( どう )したって 是 ( こ )れはモウ出るより 外 ( ほか )に 仕様 ( しよう )がないと、 始終 ( しじゅう )心の中に思て居ました。 ソレカラ私も次第に成長して、少年ながらも少しは世の中の事が 分 ( わか )るようになる中に、私の 従兄弟 ( いとこ )などにも随分 一人 ( ひとり )や 二人 ( ふたり )は学者がある。 能 ( よ )く書を読む男がある。 固 ( もと )より下士族の仲間だから、兄なぞと話のときには藩風が 善 ( よ )くないとか何とかいろ/\不平を 洩 ( も )らして居るのを聞いて、私は始終ソレを 止 ( と )めて居ました。 「よしなさい、馬鹿々々しい。 この中津に居る限りは、そんな愚論をしても役に立つものでない。 不平があれば出て 仕舞 ( しまう )が 宜 ( よ )い、出なければ不平を 云 ( い )わぬが 宜 ( よい )と、毎度 止 ( とめ )て居たことがあるが、 是 ( こ )れはマア私の 生付 ( うまれつ )きの性質とでも云うようなものでしょう。 或時 ( あるとき )私が何か漢書を読む中に、喜怨 色 ( いろ )に 顕 ( あらわ )さずと云う一句を 読 ( よん )で、その時にハット思うて 大 ( おおい )に自分で 安心決定 ( あんしんけつじょう )したことがある。 「是れはドウモ 金言 ( きんげん )だと思い、始終忘れぬようにして 独 ( ひと )りこの 教 ( おしえ )を守り、ソコデ誰が何と 云 ( いっ )て 賞 ( ほ )めて 呉 ( く )れても、 唯 ( ただ ) 表面 ( うわべ )に 程 ( ほど )よく受けて心の中には決して喜ばぬ。 又何と軽蔑されても決して 怒 ( おこ )らない。 どんな事があっても怒った事はない。 矧 ( いわん )や朋輩同士で喧嘩をしたと云うことは 只 ( ただ )の一度もない。 ツイゾ人と 掴合 ( つかみあ )ったの、打ったの、打たれたのと云うことは 一寸 ( ちょい )ともない。 是れは少年の時ばかりでない。 少年の時分から老年の今日に至るまで、私の手は 怒 ( いかり )に乗じて人の 身体 ( からだ )に触れたことはない。 その時 跡 ( あと )で 独 ( ひと )り考えて、「コリャ悪い事をした、 乃公 ( おれ )は生涯、人に 向 ( むかっ )て 此方 ( こっち )から腕力を 仕掛 ( しか )けたようなことはなかったに、今夜は気に済まぬ事をしたと 思 ( おもっ )て、何だか坊主が戒律でも 破 ( やぶっ )たような 心地 ( こころもち )がして、今に忘れることが出来ません。 その 癖 ( くせ )私は少年の時から 能 ( よ )く 饒舌 ( しゃべ )り、 人並 ( ひとなみ )よりか 口数 ( くちかず )の多い程に饒舌って、 爾 ( そ )うして何でも 為 ( す )ることは 甲斐々々 ( かいがい )しく遣て、決して人に負けないけれども、書生流儀の議論と 云 ( い )うことをしない。 似合 ( たと )い議論すればと 云 ( いっ )ても、ほんとうに顔を 赧 ( あから )めて 如何 ( どう )あっても勝たなければならぬと云う議論をしたことはない。 何か議論を始めて、ひどく相手の者が 躍起 ( やっき )となって来れば、 此方 ( こちら )はスラリと流して 仕舞 ( しま )う。 「 彼 ( あ )の馬鹿が何を馬鹿を云て居るのだと 斯 ( こ )う思て、 頓 ( とん )と深く立入ると云うことは決して遣らなかった。 ソレでモウ自分の一身は 何処 ( どこ )に行て 如何 ( どん )な 辛苦 ( しんく )も 厭 ( いと )わぬ、 唯 ( ただ )この中津に居ないで 如何 ( どう )かして出て 行 ( ゆ )きたいものだと、独り 夫 ( そ )ればかり祈って居た処が、とうと長崎に行くことが出来ました。 それから長崎に出掛けた。 頃は安政元年二月、 即 ( すなわ )ち私の年二十一歳( 正味 ( しょうみ )十九歳三箇月)の時である。 その時分には中津の藩地に横文字を読む者がないのみならず、横文字を見たものもなかった。 都会の地には洋学と 云 ( い )うものは百年も前からありながら、中津は田舎の事であるから、原書は 扨置 ( さてお )き、横文字を見たことがなかった。 所がその頃は 丁度 ( ちょうど )ペルリの来た時で、 亜米利加 ( アメリカ )の軍艦が江戸に来たと云うことは田舎でも皆 知 ( しっ )て、同時に砲術と云うことが大変 喧 ( やかま )しくなって来て、ソコデ砲術を学ぶものは皆 和蘭 ( オランダ )流に 就 ( つい )て学ぶので、その時私の兄が申すに、「和蘭の砲術を取調べるには 如何 ( どう )しても原書を読まなければならぬと云うから、私には 分 ( わか )らぬ。 「原書とは何の事ですと兄に質問すると、兄の答に、「原書と云うは、和蘭出版の横文字の書だ。 今、日本に飜訳書と云うものがあって、西洋の事を書いてあるけれども、真実に事を調べるにはその 大本 ( おおもと )の蘭文の書を読まなければならぬ。 夫 ( そ )れに就ては貴様はその原書を読む気はないかと云う。 所が私は 素 ( も )と漢書を学んで居るとき、同年輩の朋友の中では 何時 ( いつ )も出来が 好 ( よ )くて、読書講義に苦労がなかったから、自分にも自然 頼 ( たのみ )にする気があったと思われる。 「人の読むものなら横文字でも何でも読みましょうと、ソコデ兄弟の相談は出来て、その時 丁度 ( ちょうど )兄が長崎に行く 序 ( ついで )に任せ、兄の供をして参りました。 長崎に 落付 ( おちつ )き、始めて横文字の abc と 云 ( い )うものを習うたが、今では日本国中到る処に、 徳利 ( とくり )の 貼紙 ( はりがみ )を見ても横文字は 幾許 ( いくら )もある。 目に慣れて珍しくもないが、始めての時は中々 六 ( むず )かしい。 廿六文字を習うて覚えて 仕舞 ( しま )うまでには三日も掛りました。 けれども段々読む中には又 左程 ( さほど )でもなく、次第々々に 易 ( やす )くなって来たが、その蘭学修業の事は 扨置 ( さてお )き、 抑 ( そ )も私の長崎に 往 ( いっ )たのは、 唯 ( ただ )田舎の中津の窮屈なのが 忌 ( いや )で/\ 堪 ( たま )らぬから、文学でも武芸でも何でも外に出ることが出来さえすれば 難有 ( ありがた )いと云うので出掛けたことだから、故郷を去るに少しも未練はない、 如斯 ( こんな ) 処 ( ところ )に誰が居るものか、 一度 ( いちど )出たらば鉄砲玉で、再び 帰 ( かえっ )て来はしないぞ、今日こそ 宜 ( い )い 心地 ( こころもち )だと 独 ( ひと )り心で喜び、 後向 ( うしろむ )て 唾 ( つばき )して 颯々 ( さっさつ )と 足早 ( あしばや )にかけ出したのは今でも覚えて居る。 夫 ( そ )れから長崎に 行 ( いっ )て、そうして 桶屋町 ( おけやまち )の 光永寺 ( こうえいじ )と 云 ( い )うお寺を 便 ( たよ )ったと云うのは、その時に私の藩の家老の 倅 ( せがれ )で 奥平壹岐 ( おくだいらいき )と云う人はそのお寺と親類で、 其処 ( そこ )に寓居して居るのを幸いに、その人を使ってマアお寺の 居候 ( いそうろう )になって居るその中に、 小出町 ( おいでまち )に 山本物次郎 ( やまもとものじろう )と云う長崎 両組 ( りょうぐみ )の 地 ( じ )役人で砲術家があって、 其処 ( そこ )に奥平が砲術を学んで居るその縁を 以 ( もっ )て、奥平の世話で山本の 家 ( いえ )に 食客 ( しょっかく )に 入込 ( いりこ )みました。 抑 ( そ )も 是 ( こ )れが私の 生来 ( しょうらい )活動の始まり。 有らん限りの仕事を働き、何でもしない事はない。 その先生が 眼 ( め )が悪くて書を読むことが出来ないから、私が色々な時勢論など、漢文で書いてある諸大家の書を読んで先生に聞かせる。 又その家に十八、九の倅が 在 ( あっ )て 独息子 ( ひとりむすこ )、余りエライ少年でない、けれども本は読まなければならぬと云うので、ソコでその倅に漢書を教えて 遣 ( や )らなければならぬ。 是れが仕事の一つ。 それから家は貧乏だけれども 活計 ( くらし )は大きい。 借金もある様子で、その借金の 云延 ( いいのば )し、 新 ( あらた )に借用の申込みに行き、又 金談 ( きんだん )の手紙の代筆もする。 其処 ( そこ )の家に 下婢 ( かひ )が一人に下男が一人ある。 〔所で〕 動 ( やや )もするとその男が病気とか何とか 云 ( い )う時には、男の 代 ( だい )をして水も汲む。 朝夕 ( あさゆう )の掃除は 勿論 ( もちろん )、先生が湯に 這入 ( はい )る時は 背中 ( せなか )を流したり湯を 取 ( とっ )たりして 遣 ( や )らなければならぬ。 又その 内儀 ( おかみ )さんが猫が大好き、 狆 ( ちん )が大好き、 生物 ( いきもの )が好きで、猫も狆も犬も居るその 生物 ( いきもの )一切の世話をしなければならぬ。 上中下一切の仕事、私一人で引受けて 遣 ( やっ )て居たから、 酷 ( ひど )く調法な男だ、何とも 云 ( い )われない調法な血気の少年であり 乍 ( なが )ら、その少年の行状が 甚 ( はなは )だ 宜 ( よろ )しい、甚だ宜しくて 甲斐々々 ( かいがい )しく働くと云うので、ソコデ 以 ( もっ )て段々その山本の家の気に 入 ( いっ )て、 仕舞 ( しまい )には先生が養子にならないかと云う。 私は 前 ( まえ )にも云う通り中津の士族で、 遂 ( つい )ぞ自分は知りはせぬが 少 ( ちい )さい時から 叔父 ( おじ )の家の養子になって居るから、その事を云うと、先生が 夫 ( そ )れなら 尚更 ( なおさ )ら 乃公 ( おれ )の家の養子になれ、 如何 ( どう )でも 乃公 ( おれ )が世話をして 遣 ( や )るからと 度々 ( たびたび )云われた事がある。 その時の一体の砲術家の有様を申せば、写本の蔵書が秘伝で、その本を貸すには相当の 謝物 ( しゃもつ )を 取 ( とっ )て貸す。 写したいと 云 ( い )えば、写す 為 ( た )めの謝料を取ると云うのが、 先 ( ま )ず山本の家の臨時収入で、その一切の砲術書を貸すにも写すにも、先生は 眼 ( め )が悪いから皆私の手を 経 ( へ )る。 それで私は砲術家の一切の 元締 ( もとじめ )になって、何もかも私が一切 取扱 ( とりあつかっ )て居る。 その時分の諸藩の西洋家、例えば 宇和島 ( うわじま )藩、 五島 ( ごとう )藩、 佐賀 ( さが )藩、 水戸 ( みと )藩などの人々が来て、 或 ( あるい )は 出島 ( でじま )の 和蘭 ( オランダ )屋敷に 行 ( いっ )て見たいとか、或は大砲を 鋳 ( い )るから図を見せて 呉 ( く )れとか、そんな世話をするのが山本家の仕事で、その実は皆私が 遣 ( や )る。 私は本来 素人 ( しろうと )で、鉄砲を打つのを見た事もないが、図を引くのは 訳 ( わ )けはない。 颯々 ( さっさつ )と図を引いたり、説明を書いたり、諸藩の人が来れば何に付けても 独 ( ひと )り 罷 ( まか )り 出 ( で )て、丸で十年も砲術を学んで立派に砲術家と見られる 位 ( くらい )に挨拶をしたり世話をしたりすると 云 ( い )う調子である。 処 ( ところ )で私を山本の 居候 ( いそうろう )に世話をして入れて呉れた人、 即 ( すなわ )ち 奥平壹岐 ( おくだいらいき )だ。 壹岐と私とは 主客 ( しゅかく ) 処 ( ところ )を 易 ( か )えて、私が主人見たようになったから 可笑 ( おか )しい。 壹岐は元来漢学者の才子で局量が狭い。 小藩でも 大家 ( たいけ )の子だから 如何 ( どう )も 我儘 ( わがまま )だ。 もう一つは私の目的は原書を読むに 在 ( あっ )て、蘭学医の家に通うたり和蘭 通詞 ( つうじ )の家に行ったりして 一意専心 ( いちいせんしん )原書を学ぶ。 原書と云うものは始めて見たのであるが、五十日、百日とおい/\日を 経 ( ふ )るに従て、次第に意味が 分 ( わか )るようになる。 所が奥平壹岐はお坊さん、貴公子だから、緻密な原書などの読める 訳 ( わ )けはない。 その中に 此方 ( こちら )は余程エラクなったのが主公と不和の始まり。 全体奥平と云う人は決して深い 巧 ( たくら )みのある悪人ではない。 唯 ( ただ ) 大家 ( たいけ )の我儘なお坊さんで智恵がない度量がない。 その時に 旨 ( うま )く私を 籠絡 ( ろうらく )して 生捕 ( いけど )って 仕舞 ( しま )えば 譜代 ( ふだい )の家来同様に使えるのに、 却 ( かえっ )てヤッカミ出したとは馬鹿らしい。 歳は私より 十 ( とお )ばかり上だが、 何分 ( なにぶん )気分が子供らしくて、ソコデ私を中津に 還 ( か )えすような計略を 運 ( めぐ )らしたのが、私の身には一大災難。 ソリャ 斯 ( こ )う 云 ( い )う次第になって来た。 その 奥平壹岐 ( おくだいらいき )と云う人に 与兵衛 ( よへえ )と云う 実父 ( じっぷ )の隠居があって、私共は 之 ( これ )を御隠居様と 崇 ( あが )めて居た。 ソコデ私の父は二十年前に死んで居るのですけれども、私の兄が成長の 後 ( のち )に父のするような事をして、又大阪に 行 ( いっ )て 勤番 ( きんばん )をして居て、中津には母一人で何もない。 姉は皆 嫁 ( かたず )いて居て、身寄りの若い者の中には私の 従兄 ( いとこ )の 藤本元岱 ( ふじもとげんたい )と云う医者が 唯 ( ただ )一人、 能 ( よ )く事が 分 ( わか )り書も能く読める学者であるが、そこで中津に在る 彼 ( か )の御隠居様が無法な事をしたと云うは、 何 ( いず )れ長崎の 倅 ( せがれ )壹岐の方から 打合 ( うちあわせ )のあったものと見えて、その隠居が従兄の藤本を 呼 ( よび )に来て、隠居の申すに、諭吉を 呼還 ( よびかえ )せ、アレが居ては倅壹岐の妨げになるから 早々 ( そうそう )呼還せ、但しソレに 就 ( つい )ては母が病気だと 申遣 ( もうしつか )わせと云う 御直 ( おじき )の厳命が 下 ( くだ )ったから、 固 ( もと )より 否 ( いな )むことは出来ず、 唯 ( ただ ) 畏 ( かしこま )りましたと答えて、母にもそのよしを話して、ソレカラ従兄が私に手紙を 寄送 ( よこ )して、母の病気に付き早々帰省致せと云う 表向 ( おもてむき )の手紙と、又別紙に、実は隠居から 斯 ( こ )う/\云う次第、余儀なく手紙を出したが、決して母の身を案じるなと 詳 ( つまびらか )に事実を書いて 呉 ( く )れたから、私は 之 ( これ )を見て実に腹が立った。 何だ、 鄙劣 ( ひれつ )千万な、計略を 運 ( めぐ )らして母の病気とまで 偽 ( うそ )を 云 ( い )わせる、ソンナ奴があるものか、モウ 焼 ( や )けだ、大議論をして 遣 ( や )ろうかと 思 ( おもっ )たが、イヤ/\ 左様 ( そう )でない、今アノ家老と喧嘩をした所が、負けるに 極 ( きま )って居る、戦わずして勝負は見えてる、一切喧嘩はしない、アンナ奴と喧嘩をするよりも自分の身の始末が大事だと 思直 ( おもいなお )して、 夫 ( そ )れからシラバクレて 胆 ( きも )を 潰 ( つぶ )した 風 ( ふう )をして奥平の処に行て、 扨 ( さて )中津から 箇様 ( かよう )申して参りました、母が 俄 ( にわか )に病気になりました、 平生 ( へいぜい ) 至極 ( しごく )丈夫な 方 ( ほう )でしたが、実に分らぬものです、今頃は 如何 ( どう )云う 容体 ( ようだい )でしょうか、 遠国 ( えんごく )に居て気になりますなんて、心配そうな顔してグチャ/\ 述立 ( のべた )てると、奥平も 大 ( おおい )に驚いた 顔色 ( がんしょく )を作り、 左様 ( そう )か、ソリャ気の毒な事じゃ、 嘸 ( さぞ )心配であろう、 兎 ( と )に 角 ( かく )に早く帰国するが 宜 ( よ )かろう、 併 ( しか )し母の病気全快の上は又 再遊 ( さいゆう )の出来るようにして遣るからと、 慰 ( なぐ )さめるように云うのは、狂言が 旨 ( うま )く行われたと心中得意になって居るに違いない。 ソレカラ又私は言葉を続けて、 唯今 ( ただいま ) 御指図 ( おさしず )の通り早々帰国しますが、御隠居様に御伝言は 御在 ( ござい )ませんか、 何 ( いず )れ帰れば 御目 ( おめ )に掛ります、又何か 御品 ( おしな )があれば何でも 持 ( もっ )て帰りますと 云 ( いっ )て、 一 ( ひ )ト 先 ( ま )ず別れて 翌朝 ( よくあさ )又 行 ( いっ )て見ると、主公が家に 遣 ( や )る手紙を出して、之を屋敷に届けて呉れ、 親仁 ( おやじ )に 斯 ( こ )う/\伝言をして呉れと云い、又別に私の母の 従弟 ( いとこ )の 大橋六助 ( おおはしろくすけ )と云う男に遣る手紙を渡して、これを六助の処に持て行け、 爾 ( そ )うすると貴様の再遊に都合が 宜 ( よ )かろうと 云 ( いっ )て、 故意 ( わざ )とその手紙に封をせずに 明 ( あ )けて見よがしにしてあるから、何もかも 委細 ( いさい )承知して丁寧に告別して、宿に 帰 ( かえっ )て封なしの手紙を 開 ( ひらい )て見れば、「諭吉は母の病気に付き 是非 ( ぜひ )帰国と 云 ( い )うからその意に任せて 還 ( かえ )すが、修業勉強中の事ゆえ再遊の出来るようその 方 ( ほう )にて 取計 ( とりはか )らえと云う文句。 私は 之 ( これ )を見てます/\ 癪 ( しゃく )に 障 ( さわ )る。 「この 猿松 ( さるまつ )め馬鹿野郎めと 独 ( ひと )り心の中で 罵 ( ののし )り、ソレカラ山本の家にも事実は云われぬ、 若 ( も )し 是 ( こ )れが 顕 ( あら )われて奥平の 不面目 ( ふめんもく )にもなれば、 禍 ( わざわい )は 却 ( かえっ )て私の身に 降 ( ふっ )て来て 如何 ( どん )な目に逢うか知れない、ソレガ怖いから 唯 ( ただ )母の病気とばかり云て 暇乞 ( いとまごい )をしました。 丁度 ( ちょうど )そのとき中津から 鉄屋惣兵衛 ( くろがねやそうべえ )と云う商人が長崎に来て居て、幸いその男が中津に帰ると云うから、 兎 ( と )も 角 ( かく )も之と同伴と約束をして 置 ( おい )て、ソコデ私の 胸算 ( きょうさん )は 固 ( もと )より中津に帰る気はない。 何でも人間の行くべき処は江戸に限る、 是 ( こ )れから 真直 ( まっすぐ )に江戸に行きましょうと決心はしたが、この事に 就 ( つい )ては誰かに話して相談をせねばならぬ。 所が江戸から来た 岡部同直 ( おかべどうちょく )と云う蘭学書生がある。 是れは医者の子で 至極 ( しごく )面白い 慥 ( たし )かな人物と見込んだから、この男に 委細 ( いさい )の内情を打明けて、「 斯 ( こ )う/\ 云 ( い )う次第で僕は長崎に 居 ( お )られぬ、余り 癪 ( しゃく )に 障 ( さわ )るからこのまゝ江戸に 飛出 ( とびだ )す 積 ( つも )りだが、実は江戸に知る人はなし、方角が分らぬ。 君の家は江戸ではないか、 大人 ( おとっさん )は開業医と開いたが、君の家に 食客 ( しょっかく )に置て 呉 ( く )れる事は出来まいか。 僕は医者でないが 丸薬 ( がんやく )を丸める 位 ( ぐらい )の事は 屹 ( きっ )と出来るから、 何卒 ( どうか )世話をして 貰 ( もら )いたいと云うと、岡部も私の身の有様を気の毒に思うたか、私と一緒になって腹を立てゝ 容易 ( たやす )く私の云う事を 請合 ( うけあ )い、「ソレは出来よう、何でも江戸に行け。 僕の 親仁 ( おやじ )は日本橋 檜物 ( ひもの )町に開業して 居 ( お )るから、手紙を書いて 遣 ( や )ろうと 云 ( いっ )て、親仁 名当 ( なあて )の一封を呉れたから私は喜んで 之 ( これ )を 請取 ( うけと )り、「ソコデ今この事が知れると大変だ、中津に帰らなければならぬようになるから、 是 ( こ )ればかりは奥平にも山本にも一切 誰 ( たれ )にも云わずに、君 一人 ( ひとり )で 呑込 ( のみこ )んで居て 外 ( ほか )に 洩 ( も )らさぬようにして、僕は是れから下ノ関に出て船に 乗 ( のっ )て 先 ( ま )ず大阪に行く、 凡 ( およ )そ十日か十五日も 掛 ( かか )れば着くだろう。 その時を 見計 ( みはか )ろうて中村(諭吉、当時は中村の姓を 冒 ( おか )す)は初めから中津に帰る気はなかった、江戸に行くと云て長崎を出たと、奥平にも話して呉れ。 是れも 聊 ( いささか )か 面当 ( つらあて )だと互に 笑 ( わらっ )て、朋友と 内々 ( ないない )の打合せは出来た。 それから奥平の伝言や何かをすっかり手紙に 認 ( したた )めて 仕舞 ( しま )い、 是 ( こ )れは例の御隠居様に 遣 ( や )らなければならぬ。 「私は長崎を 出立 ( しゅったつ )して中津に帰る 所存 ( つもり )で 諫早 ( いさはや )まで参りました処が、その途中で 不図 ( ふと )江戸に 行 ( ゆ )きたくなりましたから、是れから江戸に参ります。 就 ( つい )ては 壹岐 ( いき )様から 斯様 ( かよう )々々の 御 ( ご )伝言で、お手紙は 是 ( こ )れですからお届け申すと丁寧に 認 ( したた )めて 遣 ( や )って、ソレカラ封をせずに渡した 即 ( すなわ )ち 大橋六助 ( おおはしろくすけ )に 宛 ( あて )た手紙を本人に届ける 為 ( た )めに、私が手紙を 書添 ( かきそ )えて、「この通りに封をせぬのは 可笑 ( おか )しい、こんな馬鹿な事はないがこの 儘 ( まま ) 御届 ( おとど )け申します。 原 ( もと )はと 云 ( い )えば自分の方で 呼還 ( よびかえ )すように 企 ( くわだ )てゝ置きながら、 表 ( うわ )べに人を 欺 ( あざむ )くと云うのは 卑劣 ( ひれつ )至極な 奴 ( やつ )だ。 丁度 ( ちょうど )夕方 着 ( つい )たが何でも三月の中旬、月の明るい晩であった。 「 扨 ( さて )鉄屋、 乃公 ( おれ )は長崎を出る時は中津に帰る 所存 ( つもり )であったが、是れから中津に帰るは 忌 ( いや )になった。 貴様の荷物と一処に 乃公 ( おれ )のこの 葛籠 ( つづら )も 序 ( ついで )に 持 ( もっ )て 帰 ( かえっ )て 呉 ( く )れ。 乃公 ( おれ )はもう 着換 ( きがえ )が一、二枚あれば 沢山 ( たくさん )だ。 是れから下ノ関に出て大阪へ行て、 夫 ( そ )れから江戸に行くのだと云うと、惣兵衛殿は 呆 ( あき )れて 仕舞 ( しま )い、「それは途方もない、お前さんのような年の若い旅慣れぬお坊さんが一人で行くと云うのは。 「馬鹿云うな、口があれば京に 上 ( のぼ )る、長崎から江戸に一人行くのに何のことがあるか。 「けれども私は中津に 帰 ( かえっ )てお 母 ( ふくろ )さんにいい 様 ( よう )がない。 「なあに構うものか、 乃公 ( おれ )は 死 ( しに )も何もせぬから 内 ( うち )のおッ 母 ( か )さんに 宜 ( よろ )しく 云 ( いっ )て 呉 ( く )れ、 唯 ( ただ )江戸に参りましたと 云 ( い )えば 夫 ( そ )れで分る。 鉄屋 ( くろがねや )も何とも云うことが出来ぬ。 「時に鉄屋、 乃公 ( おれ )は是から下ノ関に行こうと思うが、実は下ノ関を知らぬ。 貴様は諸方を歩くが下ノ関に 知 ( しっ )てる 船宿 ( ふなやど )はないか。 「私の懇意な内で 船場屋寿久右衛門 ( せんばやすぐえもん )と云う船宿があります、 其処 ( そこ )へお 入来 ( いで )なされば宜しいと云う。 抑 ( そ )もこの事を 態々 ( わざわざ )鉄屋に聞かねばならぬと云うのは、実はその時私の 懐中 ( かいちゅう )に金がない。 内から呉れた金が一 歩 ( ぶ )もあったか、その 外 ( ほか )に 和蘭 ( オランダ )の字引の 訳鍵 ( やくけん )と云う本を 売 ( うっ )て、 掻集 ( かきあつ )めた所で二 歩 ( ぶ )二 朱 ( しゅ )か三朱しかない。 それで大阪まで行くには 如何 ( どう )しても船賃が足らぬと云う 見込 ( みこみ )だから、そこで 一寸 ( ちょい )と船宿の名を 聞 ( きい )て 置 ( おい )て、 夫 ( そ )れから鉄屋に別れて、 諫早 ( いさはや )から 丸木船 ( まるきぶね )と云う船が 天草 ( あまくさ )の海を渡る。 五百八十 文 ( もん )出してその船に乗れば 明日 ( あした )の朝佐賀まで着くと云うので、その船に 乗 ( のっ )た所が、 浪風 ( なみかぜ )なく朝佐賀に 着 ( つい )て、佐賀から歩いたが、案内もなければ何もなく真実一身で、道筋の村の名も知らず 宿々 ( しゅくじゅく )の順も知らずに、 唯 ( ただ )東の方に 向 ( むい )て、 小倉 ( こくら )には 如何 ( どう )行くかと道を聞て、筑前を通り抜けて、多分 太宰府 ( だざいふ )の近所を通ったろうと思いますが、小倉には三日めに 着 ( つい )た。 その 間 ( あいだ )の道中と云うものは随分困りました。 一人旅、 殊 ( こと )に 何処 ( どこ )の者とも知れぬ貧乏そうな若侍、 若 ( も )し 行倒 ( ゆきだおれ )になるか暴れでもすれば宿屋が迷惑するから容易に泊めない。 もう宿の 善悪 ( よしあし )は 択 ( えら )ぶに 暇 ( いとま )なく、 只 ( ただ )泊めて呉れさえすれば宜しいと 云 ( い )うので 無暗 ( むやみ )に 歩行 ( ある )いて、 何 ( どう )か 斯 ( こう )か二晩 泊 ( とま )って三日目に小倉に着きました。 その道中で私は手紙を書いて 即 ( すなわ )ち 鉄屋 ( くろがねや )惣兵衛の 贋 ( にせ )手紙を 拵 ( こしら )えて、「この 御方 ( おかた )は中津の 御家中 ( ごかちゅう )、中村何様の若旦那で、自分は始終そのお屋敷に 出入 ( でいり )して決して 間違 ( まちがい )なき 御方 ( おんかた )だから厚く頼むと 鹿爪 ( しかつめ )らしき手紙の文句で、下ノ関 船場屋寿久右衛門 ( せんばやすぐえもん )へ宛て鉄屋惣兵衛の名前を書いてちゃんと封をして、 明日 ( あす )下ノ関に渡てこの手紙を用に立てんと思い、 小倉 ( こくら )までたどり付て 泊 ( とま )った時はおかしかった。 彼方此方 ( あっちこっち )マゴマゴして、小倉 中 ( じゅう )、宿を 捜 ( さが )したが、 何処 ( どこ )でも泊めない。 ヤット一軒泊めて 呉 ( く )れた所が薄汚ない宿屋で、 相宿 ( あいやど )の 同間 ( どうま )に人が寝て居る。 スルト 夜半 ( よなか )に 枕辺 ( まくらもと )で小便する音がする。 何だと思うと 中風病 ( ちゅうふうやみ )の 老爺 ( おやじ )が、しびんに 遣 ( やっ )てる。 実は客ではない、その家の病人でしょう。 その病人と並べて寝かされたので、汚くて 堪 ( たま )らなかったのは 能 ( よ )く覚えて居ます。 それから下ノ関の 渡場 ( わたしば )を渡て、 船場屋 ( せんばや )を 捜 ( さが )し出して、兼て用意の 贋 ( にせ )手紙を 持 ( もっ )て 行 ( いっ )た所が、 成程 ( なるほど ) 鉄屋 ( くろがねや )とは懇意な家と見える、手紙を一見して 早速 ( さっそく )泊めて 呉 ( く )れて、万事 能 ( よ )く世話をして呉れて、大阪まで船賃が 一分二朱 ( いちぶにしゅ )、 賄 ( まかない )の代は一日 若干 ( いくら )、ソコデ船賃を払うた 外 ( ほか )に二百文か三百文しか残らぬ。 併 ( しか )し大阪に行けば中津の倉屋敷で賄の代を払う事にして、 是 ( こ )れも 船宿 ( ふなやど )で 心能 ( こころよ )く承知して呉れる。 悪い事だが全く贋手紙の功徳でしょう。 小倉 ( こくら )から下ノ関に船で来る時は怖い事がありました。 途中に出た所が少し荒く風が 吹 ( ふい )て 浪 ( なみ )が 立 ( たっ )て来た。 スルトその 纜 ( つな )を 引張 ( ひっぱっ )て呉れ、 其方 ( そっち )の処を 如何 ( どう )して呉れと、 船頭 ( せんどう )が何か騒ぎ立て 乗組 ( のりくみ )の私に頼むから、ヨシ来たと 云 ( い )うので纜を引張たり柱を起したり、面白半分に様々 加勢 ( かせい )をして 先 ( ま )ず 滞 ( とどこお )りなく下ノ関の宿に 着 ( つい )て、「今日の船は 如何 ( どう )したのか、 斯 ( こ )う/\云う 浪風 ( なみかぜ )で、斯う云う目に 遇 ( あっ )た、 潮 ( しお )を 冠 ( かぶ )って着物が濡れたと云うと、宿の 内儀 ( かみ )さんが「それはお危ない事じゃ、 彼 ( あ )れが船頭なら 宜 ( よ )いが実は百姓です。 この節 暇 ( ひま )なものですから内職にそんな事をします。 百姓が農業の 間 ( あいだ )に慣れぬ事をするから、少し浪風があると毎度大きな間違いを 仕出来 ( しでか )しますと云うのを 聞 ( きい )て、実に怖かった。 成程 奴等 ( やつら )が一生懸命になって私に加勢を頼んだのも道理だと思いました。 夫 ( そ )れから 船場屋寿久右衛門 ( せんばやすぐえもん )の処から 乗 ( のっ )た船には、三月の事で皆 上方 ( かみがた )見物、夫れは/\ 種々 ( しゅじゅ )様々な奴が乗て居る。 間抜 ( まぬ )けな若旦那も乗て居れば、頭の 禿 ( はげ )た 老爺 ( じじい )も乗て居る、 上方辺 ( かみがたへん )の 茶屋女 ( ちゃやおんな )も居れば、下ノ関の 安女郎 ( やすじょろう )も居る。 坊主も、百姓も、有らん限りの動物が 揃 ( そろ )うて、 其奴等 ( そいつら )が狭い船の中で、酒を飲み、 博奕 ( ばくち )をする。 下 ( くだ )らぬ事に大きな声をして、聞かれぬ話をして、面白そうにしてる中に、私一人は真実無言、丸で 取付端 ( とっつきは )がない。 船は 安芸 ( あき )の 宮島 ( みやじま )へ 着 ( つい )た。 私は宮島に用はない。 唯 ( ただ )来たから唯島を見に 上 ( あが )る。 外 ( ほか )の 連中 ( れんじゅう )はお互に朋友だから 宜 ( い )いだろう。 皆酒を飲む。 私も飲みたくて 堪 ( たま )らぬけれども、金がないから 只 ( ただ )宮島を見たばかりで、船に 帰 ( かえっ )て来てむしゃ/\船の 飯 ( めし )を 喰 ( くっ )てるから、 船頭 ( せんどう )もこんな客は 忌 ( い )やだろう、妙な顔をして私を 睨 ( にら )んで居たのは今でも覚えて居る。 その前に岩国の 錦帯橋 ( きんたいばし )も 余儀 ( よぎ )なく見物して、夫れから宮島を出て讃岐の 金比羅 ( こんぴら )様だ。 多度津 ( たどつ )に船が着て金比羅まで三里と云う。 行きたくないことはないが、金がないから行かれない。 外 ( ほか )の奴は皆船から出て行て、私一人で船の番をして居る。 爾 ( そ )うすると 一晩 ( ひとばん ) 泊 ( とまっ )て、どいつもこいつもグデン/\に 酔 ( よっ )て陽気になって帰て来る。 癪 ( しゃく )に 障 ( さわ )るけれども何としても 仕様 ( しよう )がない。 爾 ( そ )う 云 ( い )う不愉快な船中で、 如何 ( どう )やら 斯 ( こ )うやら十五日目に播州 明石 ( あかし )に 着 ( つい )た。 朝五ツ時、今の八時頃、 明旦 ( あした )順風になれば船が出ると云う、けれどもコンナ 連中 ( れんじゅう )のお供をしては際限がない。 是 ( こ )れから大阪までは何里と聞けば、十五里と云う。 「ヨシ、それじゃ 乃公 ( おれ )は 是 ( こ )れから大阪まで歩いて行く。 就 ( つい )ては 是迄 ( これまで )の 勘定 ( かんじょう )は、大阪に着たら中津の倉屋敷まで取りに来い、この荷物だけは預けて行くからと云うと、 船頭 ( せんどう )が中々聞かない。 「爾う 旨 ( うま )くは行かぬ、一切勘定を 払 ( はらっ )て行けと云う。 云われても払う金は懐中にない。 その時に私は 更紗 ( さらさ )の着物と 絹紬 ( けんちゅう )の着物と二枚あって、それを風呂敷に包んで 持 ( もっ )て居るから、「 茲 ( ここ )に着物が二枚ある、是れで 賄 ( まかない )の代 位 ( ぐらい )はあるだろう、 外 ( ほか )に 書籍 ( ほん )もあるが、是れは何にもならぬ。 この着物を売ればその位の金にはなるではないか。 大小を 預 ( あず )ければ 宜 ( よ )いが、是れは 挟 ( さ )して行かねばならぬ。 何時 ( いつ )でも 宜 ( よろ )しい、船が大阪に 着 ( ちゃく ) 次第 ( しだい )に中津屋敷で払て 遣 ( や )るから取りに来いと云うも、船頭は 頑張 ( がんばっ )て承知しない。 「中津屋敷は 知 ( しっ )てるが、お前さんは知らぬ人じゃ。 何でも船に 乗 ( のっ )て行きなさい。 賄の代金は大阪で 請取 ( うけと )ると云う約束がしてあるからそれは宜しい。 何日 ( なんか ) 掛 ( かかっ )ても構わぬ、途中から 上 ( あが )ることは出来ぬと云う。 此方 ( こっち )は 只管 ( ひたすら )頼むと小さくなって 訳 ( わ )けを云えば、船頭は何でも聞かぬと剛情を 張 ( はっ )て段々声が大きくなる。 喧嘩にもならず実に当惑して居た処に、同船中、下ノ関の 商人 ( あきんど )風の男が出て来て、乃公が 請合 ( うけあ )うと 先 ( ま )ず発言して船頭に向い、「コレお前も 爾 ( そ )う、いんごうな事を 云 ( い )うものじゃない。 賄代 ( まかないだい )の 抵当 ( かた )に着物があるじゃないか。 このお方はお侍じゃ、貴様達を 騙 ( だま )す 所存 ( つもり )ではないように見受ける。 若し騙したら 乃公 ( おれ )が払う、サアお 上 ( あが )りなさいと 云 ( いっ )て、船頭も 是 ( こ )れに安心して無理も云わず、ソレカラ私はその下ノ関の男に厚く礼を 述 ( のべ )て船を飛出し、地獄に仏と心の中にこの男を拝みました。 そこで明石から大阪まで十五里の 間 ( あいだ )と云うものは、私は泊ることが出来ぬ。 財布の中はモウ六、七十文、百に足らぬ銭で 迚 ( とて )も一晩 泊 ( とま )ることは出来ぬから、何でも歩かなければならぬ。 爾 ( そ )うして大阪近くなると、今の鉄道の道らしい川を 幾川 ( いくつ )も 渡 ( わたっ )て、 有難 ( ありがた )い事にお侍だから船賃は 只 ( ただ )で 宜 ( よ )かったが、日は暮れて 暗夜 ( やみよ )で 真暗 ( まっくら )、人に逢わなければ道を聞くことが出来ず、 夜中 ( やちゅう ) 淋 ( さび )しい処で変な奴に逢えば 却 ( かえっ )て気味が悪い。 その時私の指してる大小は、 脇差 ( わきざし )は 祐定 ( すけさだ )の丈夫な 身 ( み )であったが、刀は 太刀作 ( たちづく )りの 細身 ( ほそみ )でどうも役に立ちそうでなくて心細かった。 実を 云 ( い )えば大阪近在に人殺しの 無暗 ( むやみ )に出る 訳 ( わ )けもない、ソンナに怖がる事はない 筈 ( はず )だが、 独 ( ひとり )旅の夜道、真暗ではあるし 臆病神 ( おくびょうがみ )が付いてるから、ツイ腰の物を便りにするような気になる。 後で考えれば 却 ( かえっ )て危ない事だと思う。 ソレカラ 始終 ( しじゅう )道を聞くには、幼少の時から中津の倉屋敷は大阪 堂島 ( どうじま ) 玉江橋 ( たまえばし )と 云 ( い )うことを 知 ( しっ )てるから、 唯 ( ただ )大阪の玉江橋へはどう行くかとばかり尋ねて、ヤット夜十時過ぎでもあろう、中津屋敷に 着 ( つい )て兄に 逢 ( あっ )たが、大変に足が痛かった。 大阪に着て 久振 ( ひさしぶり )で兄に逢うのみならず、屋敷の内外に幼ない時から私を知てる者が 沢山 ( たくさん )ある。 私は三歳の時に国に 帰 ( かえっ )て二十二歳に再び 行 ( いっ )たのですから、私の生れた時に知てる者は沢山。 私の 面 ( かお )が 何処 ( どこ )か 幼顔 ( おさながお )に 肖 ( に )て居ると云うその 中 ( うち )には、私に乳を 呑 ( の )まして 呉 ( く )れた 仲仕 ( なかし )の 内儀 ( かみ )さんもあれば、又 今度 ( こんど )兄の供をして中津から来て居る 武八 ( ぶはち )と云う 極 ( ごく )質朴な 田舎男 ( いなかおとこ )は、先年も大阪の私の家に奉公して私のお 守 ( もり )をした者で、私が大阪に着た翌日、この男を連れて堂島三丁目か四丁目の処を通ると、男の云うに、お前の生れる時に 我身 ( おりゃ ) 夜中 ( よなか )にこの 横町 ( よこちょう )の 彼 ( あ )の 産婆 ( ばば )さんの処に迎いに行たことがある、その産婆さんは今も達者にし居る、それからお前が段々大きくなって、 此身 ( おりゃ )お前をだいて毎日々々 湊 ( みなと )の部屋( 勧進元 ( かんじんもと ))に相撲の稽古を見に 行 ( いっ )た、その産婆さんの 家 ( うち )は 彼処 ( あすこ )じゃ湊の稽古場は 此処 ( こっち )の方じゃと、指をさして見せたときには、私も 旧 ( むかし )を 懐 ( おも )うて胸一杯になって思わず涙をこぼしました。 都 ( すべ )て 如斯 ( こん )な 訳 ( わ )けで私はどうも旅とは思われぬ、真実故郷に 帰 ( かえっ )た通りで誠に 宜 ( い )い 心地 ( こころもち )。 それから兄が私に 如何 ( どう )して 貴様 ( きさま )は出し抜けに 此処 ( ここ )に来たのかという。 兄の事であるから構わず 斯 ( こ )う 云 ( い )う次第で参りましたと 云 ( いっ )たら、「 乃公 ( おれ )が居なければ宜いが、道の順序を云て見れば貴様は長崎から来るのに中津の方が順路だ。 その中津を横に見ておッ 母 ( か )さんの処を 避 ( よけ )て来たではないか。 それも 乃公 ( おれ )が此処に居なければ 兎 ( と )も 角 ( かく )、乃公が此処で貴様に面会しながら 之 ( これ )を 手放 ( てばな )して江戸に 行 ( ゆ )けと云えば兄弟共謀だ。 如何 ( いか )にも済まぬではないか。 おッ母さんは 夫程 ( それほど )に思わぬだろうが、 如何 ( どう )しても乃公が済まぬ。 それよりか大阪でも先生がありそうなものじゃ、大阪で蘭学を学ぶが宜いと云うので、兄の処に居て先生を 捜 ( さが )したら 緒方 ( おがた )と云う先生のある事を 聞出 ( ききだ )した。 鄙事多能 ( ひじたのう )は私の 独得 ( どくとく )、長崎に居る 間 ( あいだ )は山本先生の家に 食客生 ( しょっかくせい )と 為 ( な )り、 無暗 ( むやみ )に勉強して蘭学も 漸 ( ようや )く方角の分るようになるその片手に、有らん限り先生 家 ( か )の家事を勤めて、上中下の仕事なんでも 引請 ( ひきう )けて、 是 ( こ )れは出来ない、 其 ( そ )れは 忌 ( いや )だと 云 ( いっ )たことはない。 吹出 ( ふきだ )しそうに 可笑 ( おか )しい。 又その和尚が正月になると 大檀那 ( だいだんな )の家に 年礼 ( ねんれい )に行くそのお供をすれば、坊さんが奥で酒でも 飲 ( のん )でる 供待 ( ともまち )の 間 ( あいだ )に、供の者にも膳を出して 雑煮 ( ぞうに )など 喰 ( く )わせる。 是れは 難有 ( ありがた )く 戴 ( いただ )きました。 又 節分 ( せつぶん )に 物貰 ( ものもら )いをしたこともある。 長崎の 風 ( ふう )に、節分の晩に 法螺 ( ほら )の貝を 吹 ( ふい )て何か 経文 ( きょうもん )のような事を 怒鳴 ( どな )って 廻 ( ま )わる、東京で 云 ( い )えば 厄払 ( やくはら )い、その厄払をして市中の家の 門 ( かど )に立てば、 銭 ( ぜに )を 呉 ( く )れたり米を呉れたりすることがある。 所が私の居る山本の 隣家 ( りんか )に 杉山松三郎 ( すぎやままつさぶろう )(杉山 徳三郎 ( とくさぶろう )の実兄)と云う若い男があって、面白い人物。 「どうだ今夜行こうじゃないかと私を誘うから、 勿論 ( もちろん )同意。 ソレカラ 何処 ( どこ )かで 法螺 ( ほら )の貝を借りて来て、 面 ( かお )を隠して 二人 ( ふたり )で出掛けて、杉山が貝を吹く、お経の文句は、私が少年の時に 暗誦 ( あんしょう )して 居 ( い )た 蒙求 ( もうぎゅう )の表題と 千字文 ( せんじもん )で 請持 ( うけも )ち、 王戎簡要 ( おうじゅうかんよう ) 天地玄黄 ( てんちげんこう )なんぞ 出鱈目 ( でたらめ )に 怒鳴 ( どな )り立てゝ、誠に上首尾、 銭 ( ぜに )だの米だの随分相応に 貰 ( もらっ )て来て、餅を買い鴨を買い 雑煮 ( ぞうに )を 拵 ( こしら )えてタラフク 喰 ( くっ )た事がある。 私が始めて長崎に来て始めて横文字を習うと 云 ( い )うときに、薩州の医学生に 松崎鼎甫 ( まつざきていほ )と云う人がある。 その時に藩主 薩摩守 ( さつまのかみ )は名高い西洋流の人物で、藩中の医者などに蘭学を引立て、松崎も蘭学修業を命ぜられて長崎に出て来て下宿屋に居るから、その人に頼んで教えて 貰 ( もら )うが 宜 ( よ )かろうと云うので 行 ( いっ )た所が、松崎が abc を書いて仮名を附けて 呉 ( く )れたのには 先 ( ま )ず驚いた。 是 ( こ )れが文字とは 合点 ( がてん )が 行 ( ゆ )かぬ。 二十 何字 ( なんじ )を覚えて 仕舞 ( しま )うにも余程手間が 掛 ( かかっ )たが、学べば進むの道理で、次第々々に蘭語の 綴 ( つづり )も 分 ( わか )るようになって来た。 ソコデ松崎と云う先生の 人相 ( にんそう )を見て応対の様子を察するに、決して絶倫の才子でない。 依 ( よっ )て私の心中 窃 ( ひそか )に、「 是 ( こ )れは 高 ( たか )の知れた人物だ。 今でも漢書を 読 ( よん )で見ろ、自分の方が数等上流の先生だ。 漢蘭 等 ( ひと )しく字を読み義を解することゝすれば、 左 ( さ )までこの先生を恐るゝことはない。 如何 ( どう )かしてアベコベにこの男に蘭書を教えて呉れたいものだと、 生々 ( なまなま )の初学生が無鉄砲な野心を起したのは全く少年の血気に違いない。 ソレはそれとしてその後私は大阪に行き、是れまで長崎で一年も勉強して居たから緒方でも上達が 頗 ( すこぶ )る速くて、両三年の 間 ( あいだ )に同窓生八、九十人の上に 頭角 ( あたま )を現わした。 所が人事の 廻 ( まわ )り合せは不思議なもので、その松崎と云う男が九州から出て来て緒方の塾に 這入 ( はい )り、私はその時ズット上級で、下級生の 会頭 ( かいとう )をして居るその 会読 ( かいどく )に、松崎も出席することになって、三、四年の 間 ( あいだ )に 今昔 ( こんせき )の師弟アベコベ。 私の無鉄砲な野心が本当な事になって、 固 ( もと )より人には 云 ( い )われず、又云うべきことでないから 黙 ( だまっ )て居たが、その時の愉快は 堪 ( たま )らない。 独 ( ひと )り酒を 飲 ( のん )で得意がって居ました。 左 ( さ )れば軍人の 功名 ( こうみょう )手柄、政治家の立身出世、金持の財産蓄積なんぞ、 孰 ( いず )れも熱心で、 一寸 ( ちょい )と見ると俗なようで、深く考えると馬鹿なように見えるが、決して笑うことはない。 ソンナ事を議論したり理窟を述べたりする学者も、 矢張 ( やは )り同じことで、世間 並 ( なみ )に俗な 馬鹿毛 ( ばかげ )た野心があるから 可笑 ( おか )しい。 兄の申すことには私も 逆 ( さか )らうことが出来ず、大阪に足を 止 ( と )めまして、 緒方 ( おがた )先生の塾に入門したのは安政二年 卯歳 ( うどし )の三月でした。 その前長崎に居る時には 勿論 ( もちろん )蘭学の稽古をしたので、その稽古をした所は 楢林 ( ならばやし )と云う 和蘭 ( オランダ ) 通詞 ( つうじ )の 家 ( うち )、同じく楢林と云う医者の 家 ( うち )、それから 石川桜所 ( いしかわおうしょ )と云う 蘭法 ( らんぽう )医師、この人は長崎に開業して居て立派な門戸を 張 ( はっ )て居る 大家 ( たいか )であるから、中々入門することは出来ない。 ソコで 其処 ( そこ )の玄関に 行 ( いっ )て 調合所 ( ちょうごうじょ )の人などに習って居たので、 爾 ( そ )う云うように 彼方此方 ( あちこち )にちょい/\と教えて 呉 ( く )れるような人があれば 其処 ( そこ )へ行く。 何処 ( どこ )の 何某 ( なにがし )に便り誰の門人になってミッチリ蘭書を 読 ( よん )だと云うことはないので、ソコで大阪に来て緒方に入門したのは 是 ( こ )れが本当に蘭学修業の始まり、始めて規則正しく書物を教えて 貰 ( もら )いました。 その時にも私は学業の進歩が随分速くて、塾中には 大勢 ( おおぜい )書生があるけれども、その中ではマア出来の 宜 ( よ )い方であったと思う。 ソコで安政二年も終り三年の春になると、新春早々 茲 ( ここ )に大なる 不仕合 ( ふしあわせ )な事が起って来たと申すは、大阪の倉屋敷に勤番中の兄が 僂麻質斯 ( リューマチス )に 罹 ( かか )り病症が 甚 ( はなは )だ軽くない。 トウ/\手足も 叶 ( かな )わぬと云う程になって、 追々 ( おいおい )全快するが 如 ( ごと )く全快せざるが如くして居る 間 ( あいだ )に、右の手は使うことが出来ずに左の手に筆を 持 ( もっ )て書くと云うような 容体 ( ようだい )。 ソレと同時にその歳の二月頃であったが、緒方の塾の同窓、私の先輩で、 予 ( かね )て世話になって居た加州の 岸直輔 ( きしなおすけ )と云う人が、 腸 ( ちょう ) 窒扶斯 ( チブス )に罹って中々の難症。 ソコデ私は 平生 ( へいぜい )の恩人だから、コンナ時に看病しなければならぬ。 又加州の書生に 鈴木儀六 ( すずきぎろく )と云う者があって、 是 ( こ )れも岸と同国の縁で、私と鈴木と両人、昼夜看病して、 凡 ( およ )そ三週間も手を尽したけれども、 如何 ( どう )しても悪症でとう/\助からぬ。 一体この人は加賀人で宗旨は真宗だから、火葬にしてその遺骨を親元に 送 ( おくっ )て 遣 ( や )ろうと両人相談の上、遺骸を大阪の 千日 ( せんにち )の火葬場に 持 ( もっ )て 行 ( いっ )て 焼 ( やい )て、骨を本国に送り、 先 ( ま )ず事は済んだ所が、私が千日から帰て三、四日経つとヒョイと 煩 ( わずら )い 付 ( つい )た。 容体 ( ようだい )がドウも 只 ( ただ )の風邪でない。 熱があり気分が 甚 ( はなは )だ悪い。 ソコデ私の同窓生は皆医者だから、誰かに見て 貰 ( もらっ )た所が、 是 ( こ )れは 腸窒扶斯 ( ちょうチブス )だ、岸の熱病が伝染したのだと 云 ( いっ )て居る 間 ( あいだ )に、その事が先生に聞えて、その時私は堂嶋の倉屋敷の長屋に寝て居た所が、先生が見舞に見えまして、 愈 ( いよい )よ腸窒扶斯に違いない、本当に 療治 ( りょうじ )しなければ是れは馬鹿にならぬ病気であると 云 ( い )う。 夫 ( そ )れから私はその時に今にも忘れぬ事のあると云うのは、緒方先生の深切。 「 乃公 ( おれ )はお前の病気を 屹 ( きっ )と 診 ( み )て 遣 ( や )る。 診て遣るけれども乃公が自分で処方することは出来ない。 何分にも迷うて 仕舞 ( しま )う。 此 ( こ )の薬 彼 ( あ )の薬と迷うて、 後 ( あと )になって 爾 ( そ )うでもなかったと 云 ( いっ )て又薬の加減をすると 云 ( い )うような 訳 ( わ )けで、 仕舞 ( しまい )には何の療治をしたか 訳 ( わ )けが 分 ( わか )らぬようになると云うのは人情の 免 ( まぬか )れぬ事であるから、病は 診 ( み )て 遣 ( や )るが 執匙 ( しっぴ )は 外 ( ほか )の医者に頼む。 そのつもりにして 居 ( お )れと云て、先生の朋友、 梶木町 ( かじきまち )の 内藤数馬 ( ないとうかずま )と云う医者に執匙を託し、内藤の 家 ( うち )から薬を 貰 ( もらっ )て、先生は 只 ( ただ )毎日来て容体を診て病中の摂生法を 指図 ( さしず )するだけであった。 マア今日の学校とか学塾とか云うものは、人数も多く 迚 ( とて )も手に及ばない事で、その師弟の 間 ( あいだ )は 自 ( おのず )から 公 ( おおやけ )なものになって居る、けれども昔の学塾の師弟は 正 ( まさ )しく親子の通り、 緒方 ( おがた )先生が私の病を見て、どうも薬を 授 ( さずけ )るに迷うと云うのは、自分の 家 ( うち )の子供を療治して 遣 ( や )るに迷うと同じ事で、その 扱 ( あつかい )は 実子 ( じっし )と少しも違わない有様であった。 後世段々に世が開けて進んで来たならば、こんな事はなくなって 仕舞 ( しまい )ましょう。 私が緒方の塾に居た時の 心地 ( こころもち )は、今の日本国中の塾生に 較 ( くら )べて見て大変に 違 ( ちが )う。 私は真実緒方の 家 ( うち )の者のように思い 又 ( また )思わずには 居 ( お )られません。 ソレカラ 唯今 ( ただいま )申す通り 実父 ( じっぷ )同様の緒方先生が 立会 ( たちあい )で、内藤数馬先生の執匙で有らん限りの療治をして貰いましたが、私の病気も中々軽くない。 煩 ( わずら )い付て四、五日目から人事 不省 ( ふせい )、 凡 ( およ )そ一週間ばかりは何も知らない程の容体でしたが、 幸 ( さいわい )にして全快に及び、衰弱はして居ましたれども、歳は若し、 平生 ( へいぜい ) 身体 ( からだ )の強壮なその 為 ( た )めでしょう、 恢復 ( かいふく )は中々早い。 モウ四月になったら外に出て歩くようになり、その 間 ( あいだ )に兄は 僂麻質斯 ( レウマチス )を 煩 ( わずらっ )て 居 ( お )り、私は熱病の大病後である、 如何 ( どう )にも始末が付かない。 その中に 丁度 ( ちょうど )兄の年期と 云 ( い )うものがあって、二ヶ年居れば国に帰ると云う約束で、今年の夏が二年目になり、私も 亦 ( また )病後大阪に居て書物など読むことも出来ず、 兎 ( と )に 角 ( かく )に帰国が 宜 ( よ )かろうと云うので、兄弟一緒に船に 乗 ( のっ )て中津に帰ったのがその歳の五、六月頃と思う。 所が私は病後ではあるが日々に 恢復 ( かいふく )して、兄の 僂麻質斯 ( リューマチス )も全快には及ばないけれども別段に危険な病症でもない。 夫 ( そ )れでは私は又大阪に参りましょうと 云 ( いっ )て出たのがその歳、 即 ( すなわ )ち安政三年の八月。 モウその時は病後とは云われませぬ、中々元気が 能 ( よ )くて、大阪に 着 ( つい )たその時に、私は中津屋敷の 空長屋 ( あきながや )を借用して独居自炊、 即 ( すなわ )ち土鍋で 飯 ( めし )を 焚 ( たい )て 喰 ( くっ )て、毎日朝から夕刻まで緒方の塾に通学して居ました。 所が又不幸な話で、九月の十日頃であったと思う。 国から手紙が来て、九月三日に兄が病死したから即刻 帰 ( かえっ )て来いと云う急報。 どうも驚いたけれども 仕方 ( しかた )がない。 取るものも取り 敢 ( あ )えずスグ船に乗て、この 度 ( たび )は誠に順風で、 速 ( すみやか )に中津の港に 着 ( つい )て、 家 ( うち )に帰て見ればモウ葬式は 勿論 ( もちろん )、何も 斯 ( か )も 片 ( かた )が 付 ( つい )て 仕舞 ( しまっ )た後の事で、ソレカラ私は 叔父 ( おじ )の処の養子になって居た、所が自分の本家、 即 ( すなわ )ち里の主人が死亡して、娘が 一人 ( ひとり )あれども女の子では家督相続は出来ない、 是 ( こ )れは弟が相続する、 当然 ( あたりまえ )の順序だと 云 ( い )うので、親類相談の上、私は知らぬ 間 ( ま )にチャント福澤の主人になって居て、当人の帰国を 待 ( まっ )て相談なんと云うことはありはしない。 貴様は福澤の主人になったと知らせて 呉 ( く )れる 位 ( くらい )の事だ。 扨 ( さ )てその跡を 襲 ( つい )だ以上は、実は兄でも親だから、五十日の 忌服 ( きふく )を勤めねばならぬ。 夫 ( そ )れから家督相続と云えば 其 ( そ )れ相応の 勤 ( つとめ )がなくてはならぬ、藩中 小士族 ( こしぞく )相応の勤を命ぜられて居る、けれども私の心と云うものは 天外万里 ( てんがいばんり )、何もかも 浮足 ( うきあし )になって 一寸 ( ちょい )とも 落付 ( おちつ )かぬ。 何としても中津に居ようなど云うことは思いも寄らぬ事であるけれども、藩の正式に依ればチャント勤をしなければならぬから、その命を 拒 ( こば )むことは出来ない。 唯 ( ただ )言行を謹み、何と云われてもハイ/\と答えて勤めて居ました。 自分の内心には 如何 ( どう )しても再遊と決して居るけれども、周囲の有様と云うものは中々 寄付 ( よりつ )かれもしない。 藩中一般の説は 姑 ( しばら )く 差措 ( さしお )き、近い親類の者までも西洋は 大嫌 ( だいきらい )で、何事も話し出すことが出来ない。 ソコデ私に叔父があるから、 其処 ( そこ )に 行 ( いっ )て何か話をして、 序 ( ついで )ながら夫れとなく再遊の事を少しばかり 言掛 ( いいか )けて見ると、夫れは/\恐ろしい剣幕で頭から 叱 ( しか )られた。 「 怪 ( けし )からぬ事を申すではないか。 兄の不幸で貴様が家督相続した上は、御奉公大事に勤をする 筈 ( はず )のものだ。 ソレに 和蘭 ( オランダ )の学問とは何たる 心得 ( こころえ )違いか、 呆返 ( あきれかえ )った話だとか何とか叱られたその言葉の中に、叔父が私を 冷 ( ひや )かして、貴様のような 奴 ( やつ )は 負角力 ( まけずもう )の 瘠錣 ( やせしこ )と 云 ( い )うものじゃと 苦々 ( にがにが )しく 睨 ( にら )み付けたのは、身の程知らずと云う意味でしょう。 迚 ( とて )も叔父さんに賛成して 貰 ( もら )おうと云うことは出来そうにもしないが、私が心に思って居れば 自 ( おのず )から口の 端 ( はし )にも出る。 出れば狭い所だから 直 ( す )ぐ分る。 近処 ( きんじょ ) 辺 ( あた )りに 何処 ( どこ )となく評判する。 平生 ( へいぜい )私の処に 能 ( よ )く来るお 婆 ( ばば )さんがあって、私の母より少し年長のお婆さんで、お 八重 ( やえ )さんと云う人。 今でも 其 ( そ )の人の 面 ( かお )を覚えて居る。 つい向うのお婆さんで、 或 ( あ )るとき私方に来て、「何か聞けば諭吉さんは又大阪に行くと云う話じゃが、マサカお順さん(私の母)そんな事はさせなさらんじゃろう、再び出すなんと云うのはお前さんは気が違うて居はせぬかと云うような、世間一般 先 ( ま )ずソンナ 風 ( ふう )で、その時の私の身の上を申せば 寄辺汀 ( よるべなぎさ )の 捨小舟 ( すておぶね )、まるで 唄 ( うた )の文句のようだ。 ソコデ私は 独 ( ひと )り考えた。 「 是 ( こ )れは 迚 ( とて )も 仕様 ( しよう )がない。 唯 ( ただ )頼む所は母一人だ。 母さえ承知して 呉 ( くれ )れば誰が何と云うても怖い者はないと。 ソレカラ私は母にとっくり話した。 「おッ 母 ( か )さん。 今私が修業して居るのは 斯 ( こ )う 云 ( い )う有様、斯う云う 塩梅 ( あんばい )で、長崎から大阪に 行 ( いっ )て修業して 居 ( お )ります。 自分で考えるには、 如何 ( どう )しても修業は出来て何か物になるだろうと思う。 この藩に居た所が何としても頭の 上 ( あが )る 気遣 ( きづかい )はない。 真 ( しん )に 朽果 ( くちは )つると云うものだ。 どんな事があっても私は中津で朽果てようとは思いません。 アナタはお淋しいだろうけれども、 何卒 ( どうぞ )私を手放して下さらぬか。 私の産れたときにお父ッさんは坊主にすると 仰 ( おっ )しゃったそうですから、私は今から寺の小僧になったと 諦 ( あきら )めて下さい」。 その時私が出れば、母と死んだ兄の娘、産れて三つになる女の子と五十有余の老母と 唯 ( ただ )の 二人 ( ふたり )で、淋しい心細いに違いないけれども、とっくり話して、「どうぞ二人で留主をして下さい、私は大阪に行くから」と 云 ( いっ )たら、母も中々 思切 ( おもいき )りの 宜 ( よ )い性質で、「ウム 宜 ( よろ )しい。 「アナタさえ 左様 ( そう )云て下されば、誰が何と云ても怖いことはない。 「オーそうとも。 兄が死んだけれども、死んだものは 仕方 ( しかた )がない。 お前も 亦 ( また ) 余所 ( よそ )に出て死ぬかも知れぬが、 死生 ( しにいき )の事は一切言うことなし。 何処 ( どこ )へでも出て行きなさい」。 ソコデ母子の 間 ( あいだ )と云うものはちゃんと 魂胆 ( こんたん )が出来て 仕舞 ( しまっ )て、ソレカラ 愈 ( いよい )よ出ようと云うことになる。 出るには金の始末をしなければならぬ。 その金の始末と云うのは、兄の病気や勤番中の 其 ( そ )れ 是 ( こ )れの 入費 ( にゅうひ )、 凡 ( およ )そ四十両借金がある。 この四十両と 云 ( い )うものは、その時代に私などの家に 取 ( とっ )ては途方心ない 大借 ( だいしゃく )。 これをこの 儘 ( まま )にして置ては 迚 ( とて )も始末が付かぬから、何でも片付けなければならぬ。 如何 ( どう )しよう。 外 ( ほか )に仕方がない。 何でも売るのだ。 一切万物売るより外なしと考えて、 聊 ( いささ )か頼みがあると云うのは、私の父は学者であったから、藩中では中々蔵書を 持 ( もっ )て居る。 凡そ冊数にして千五百冊ばかりもあって、中には随分世間に 類 ( るい )の少ない本もある。 その他はごた/\した 雑物 ( ぞうもつ )ばかり。 覚えて居るのは 大雅堂 ( たいがどう )と 山陽 ( さんよう )。 刀は 天正祐定 ( てんしょうすけさだ )二尺五寸 拵付 ( こしらえつき )、 能 ( よ )く出来たもので四両。 ソレカラ蔵書だ。 中津の人で買う者はありはせぬ。 如何 ( どう )したって何十両と 云 ( い )う金を出す藩士はありはせぬ。 所で私の先生、 白石 ( しらいし )と云う漢学の先生が、藩で何か議論をして中津を 追出 ( おいだ )されて豊後の 臼杵 ( うすき )藩の儒者になって居たから、この先生に 便 ( たよ )って行けば売れるだろうと 思 ( おもっ )て、臼杵まで 態々 ( わざわざ )出掛けて 行 ( いっ )て、先生に話をした処が、先生の世話で残らずの蔵書を代金十五両で臼杵藩に 買 ( かっ )て 貰 ( もら )い、 先 ( ま )ず 一口 ( ひとくち )に 大金 ( たいきん )十五両が手に入り、その他有らん限り皿も茶碗も丼も 猪口 ( ちょく )も一切 売 ( うっ )て、 漸 ( ようや )く四十両の金が 揃 ( そろ )い、その金で借金は奇麗に 済 ( すん )だが、その蔵書中に 易経集註 ( えききょうしっちゅう )十三冊に伊藤東涯先生が自筆で 細々 ( こまごま )と 書入 ( かきいれ )をした見事なものがある。 是 ( こ )れは 亡父 ( ぼうふ )が存命中大阪で 買取 ( かいとっ )て 殊 ( こと )の 外 ( ほか )珍重したものと見え、蔵書目録に父の筆を 以 ( もっ )て、この東涯先生書入の易経十三冊は天下 稀有 ( けう )の書なり、子孫 謹 ( つつしん )で福澤の家に 蔵 ( おさ )むべしと、 恰 ( あたか )も遺言のようなことが害いてある。 私も 之 ( これ )を見ては何としても売ることが出来ません。 是れ 丈 ( だ )けはと思うて残して 置 ( おい )たその十三冊は今でも私の家にあります。 夫 ( そ )れと今に残って居るのは 唐焼 ( とうやき )の丼が二つある。 是れは例の雑物 売払 ( うりはらい )のとき道具屋が 直 ( ね )を付けて丼二つ 三分 ( さんぶん )と云うその三分とは中津の 藩札 ( はんさつ )で 銭 ( ぜに )にすれば十八 文 ( もん )のことだ。 余り馬鹿々々しい、十八文ばかり 有 ( あっ )ても無くても同じことだと思うて売らなかったのが、その後四十何年無事で、今は 筆洗 ( ふであらい )になって居るのも 可笑 ( おか )しい。 夫 ( そ )れは夫れとして、私が今度不幸で中津に 帰 ( かえっ )て居るその 間 ( あいだ )に一つ仕事をしました、と 云 ( い )うのはその時に 奥平壹岐 ( おくだいらいき )と云う人が長崎から帰て居たから、 勿論 ( もちろん )私は 御機嫌伺 ( ごきげんうかがい )に出なければならぬ。 或日 ( あるひ )奥平の屋敷に 推参 ( すいさん )して久々の面会、 四方山 ( よもやま )の話の 序 ( ついで )に、主人公が一冊の原書を出して、「この本は 乃公 ( おれ )が長崎から 持 ( もっ )て来た 和蘭 ( オランダ )新版の築城書であると云うその書を見た所が、勿論私などは大阪に居ても緒方の塾は医学塾であるから、医書、 窮理 ( きゅうり )書の 外 ( ほか )に 遂 ( つい )ぞそんな原書を見たことはないから、随分珍書だと 先 ( ま )ず私は感心しなければならぬ、と 云 ( い )うのはその時は 丁度 ( ちょうど )ペルリ渡来の当分で、日本国中、海防軍備の話が中々 喧 ( やかま )しいその最中に、この築城書を見せられたから誠に珍しく感じて、その原書が 読 ( よん )で見たくて 堪 ( たま )らない。 けれども 是 ( こ )れは貸せと 云 ( いっ )た所が貸す 気遣 ( きづかい )はない。 夫 ( そ )れからマア色々話をする中に、主人が「この原書は安く買うた。 二十三両で買えたから」なんと 云 ( い )うたのには、実に貧書生の 胆 ( きも )を 潰 ( つぶ )すばかり。 迚 ( とて )も自分に買うことは出来ず、 左 ( さ )ればとてゆるりと貸す気遣はないのだから、私は 唯 ( ただ )原書を眺めて心の底で 独 ( ひと )り貧乏を歎息して居るその中に、ヒョイと胸に浮んだ一策を 遣 ( やっ )て見た。 「 成程 ( なるほど )是れは結構な原書で 御在 ( ござい )ます。 迚も 之 ( これ )を 読 ( よん )で 仕舞 ( しま )うと云うことは急な事では出来ません。 責 ( せ )めては図と目録とでも 一通 ( ひととお )り拝見したいものですが、四、五日拝借は 叶 ( かな )いますまいかと手軽に 触 ( あた )って見たらば、「よし貸そう」と云て貸して 呉 ( く )れたこそ天与の 僥倖 ( ぎょうこう )、ソレカラ私は 家 ( うち )に 持 ( もっ )て 帰 ( かえっ )て、即刻 鵞筆 ( がペン )と墨と紙を用意してその原書を 初 ( はじめ )から 写 ( うつし )掛けた。 凡 ( およ )そ二百 頁 ( ページ ) 余 ( よ )のものであったと思う。 それを写すに 就 ( つい )ては誰にも言われぬのは 勿論 ( もちろん )、写す処を人に見られては大変だ。 家の奥の方に 引込 ( ひきこ )んで一切客に 遇 ( あ )わずに、昼夜 精切 ( せいぎ )り一杯、 根 ( こん )のあらん限り写した。 そのとき私は藩の御用で城の門の番をする 勤 ( つとめ )があって、二、三日目に一昼夜当番する順になるから、その時には昼は写本を休み、夜になれば 窃 ( そっ )と 写物 ( うつしもの )を 持出 ( もちだ )して、朝、城門の 明 ( あ )くまで写して、 一目 ( ひとめ )も眠らないのは毎度のことだが、又この通りに勉強しても、人間世界は壁に耳あり 眼 ( め )もあり、 既 ( すで )に人に悟られて今にも原書を返せとか何とか 云 ( いっ )て来はしないだろうか、いよ/\ 露顕 ( ろけん )すれば 唯 ( ただ )原書を返したばかりでは済まぬ、御家老様の剣幕で中々 六 ( むず )かしくなるだろうと思えば、その心配は 堪 ( たま )らない。 生れてから 泥坊 ( どろぼう )をしたことはないが、泥坊の心配も 大抵 ( たいてい )こんなものであろうと推察しながら、とう/\写し終りて、図が二枚あるその図も写して 仕舞 ( しまっ )て、サア出来上った。 出来上ったが 読合 ( よみあわ )せに困る。 是 ( こ )れが出来なくては大変だと 云 ( い )うと、妙な事もあるもので、中津に 和蘭 ( オランダ )のスペルリングの読めるものが 只 ( たっ )た 一人 ( ひとり )ある。 それは 藤野啓山 ( ふじのけいざん )と云う医者で、この人は 甚 ( はなは )だ私の処に縁がある、と云うのは私の父が大阪に居る時に、啓山が医者の書生で、私の 家 ( うち )に寄宿して、母も常に世話をして 遣 ( やっ )たと云う縁故からして、 固 ( もと )より信じられる人に違いないと見抜いて、私は藤野の処に行て、「 大 ( だい )秘密をお前に語るが、実は 斯 ( こ )う/\云うことで、奥平の原書を写して仕舞た。 所が困るのはその読合せだが、お前はどうか原書を見て居て 呉 ( く )れぬか、私が写したのを読むから。 実は昼 遣 ( や )りたいが、昼は出来られない。 ヒョッと 分 ( わか )っては大変だから、夜分私が来るから御苦労だが見て居て呉れよと頼んだら、藤野が 宜 ( よろ )しいと快く 請合 ( うけあ )って呉れて、ソレカラ私は 其処 ( そこ )の家に三晩か四晩 読合 ( よみあわ )せに 行 ( いっ )て、ソックリ出来て 仕舞 ( しまっ )た。 モウ 連城 ( れんじょう )の 璧 ( たま )を手に握ったようなもので、 夫 ( そ )れから原書は大事にしてあるから 如何 ( どう )にも 気遣 ( きづかい )はない。 しらばくれて 奥平壹岐 ( おくだいらいき )の家に行て、「誠に 難有 ( ありがと )うございます。 お蔭で始めてこんな兵書を見ました。 斯 ( こ )う 云 ( い )う新舶来の原書が翻訳にでもなりましたら、 嘸 ( さぞ )マア海防家には有益の事でありましょう。 併 ( しか )しこんな結構なものは貧書生の手に得らるゝものでない。 有難 ( ありがと )うございました。 返上致しますと 云 ( いっ )て奇麗に済んだのは嬉しかった。 この書を写すに幾日かゝったか 能 ( よ )く覚えないが、何でも二十日以上三十日足らずの 間 ( あいだ )に写して 仕舞 ( しま )うて、原書の主人に 毛頭 ( もうとう )疑うような 顔色 ( がんしょく )もなく、マンマとその 宝物 ( ほうもつ )の 正味 ( しょうみ )を 偸 ( ぬす )み 取 ( とっ )て私の物にしたのは、 悪漢 ( わるもの )が宝蔵に忍び 入 ( いっ )たようだ。 その時に母が、「お前は何をするのか。 そんなに毎晩 夜 ( よ )を 更 ( ふ )かして 碌 ( ろく )に 寝 ( ね )もしないじゃないか。 何の事だ。 風邪 ( かぜ )でも引くと 宜 ( よ )くない。 勉強にも程のあったものだと 喧 ( やかま )しく云う。 「なあに、おッ 母 ( か )さん、大丈夫だ。 私は写本をして居るのです。 この 位 ( くらい )の事で私の 身体 ( からだ )は何ともなるものじゃない。 御安心下さい。 決して 煩 ( わずら )いはしませぬと云うたことがありましたが、ソレカラ 愈 ( いよい )よ大阪に出ようとすると、 茲 ( ここ )に 可笑 ( おか )しい事がある。 今度出るには藩に願書を出さなければならぬ。 可笑しいとも何とも云いようがない。 是 ( こ )れまで私は 部屋住 ( へやずみ )だから 外 ( ほか )に出るからと云て 届 ( とどけ )も 願 ( ねがい )も 要 ( い )らぬ、 颯々 ( さっさつ )と 出入 ( でいり )したが、今度は 仮初 ( かりそめ )にも一家の主人であるから願書を出さなければならぬ。 夫 ( そ )れから私は 兼 ( かね )て母との相談が済んで 居 ( い )るから、 叔父 ( おじ )にも 叔母 ( おば )にも相談は要りはしない。 出抜 ( だしぬ )けに蘭学の修業に参りたいと願書を出すと、懇意なその筋の人が 内々 ( ないない )知らせて 呉 ( く )れるに、「それはイケない。 蘭学修業と 云 ( い )うことは 御家 ( おいえ )に先例のない事だと云う。 「そんなら 如何 ( どう )すれば 宜 ( よ )いかと尋れば、「 左様 ( さよう )さ。 砲術修業と書いたならば済むだろうと云う。 「けれども 緒方 ( おがた )と云えば大阪の開業医師だ。 お医者様の処に鉄砲を習いに行くと云うのは、世の中に余り例のない事のように思われる。 是 ( こ )れこそ 却 ( かえっ )て不都合な話ではござらぬか。 「イヤ、それは何としても 御例 ( ごれい )のない事は仕方がない。 事実相違しても 宜 ( よろ )しいから、 矢張 ( やは )り砲術修業でなければ済まぬと云うから、「エー宜しい。 如何 ( どう )でも 為 ( し )ましょうと 云 ( いっ )て、ソレカラ 私儀 ( わたくしぎ )大阪 表 ( おもて )緒方 洪庵 ( こうあん )の 許 ( もと )に砲術修業に 罷越 ( まかりこ )したい 云々 ( うんぬん )と願書を出して 聞済 ( ききずみ )になって、大阪に出ることになった。 大抵 ( たいてい )当時の世の中の 塩梅式 ( あんばいしき )が分るであろう、と云うのは 是 ( こ )れは必ずしも中津一藩に限らず、日本国中 悉 ( ことごと )く漢学の世の中で、西洋流など云うことは 仮初 ( かりそめ )にも通用しない。 俗に云う 鼻掴 ( はなつま )みの世の中に、 唯 ( ただ )ペルリ渡来の一条が人心を動かして、砲術だけは西洋流儀にしなければならぬと、 云 ( い )わば 一線 ( いっせん )の 血路 ( けつろ )が開けて、ソコで砲術修業の願書で 穏 ( おだやか )に事が済んだのです。 願 ( ねがい )が済んで 愈 ( いよい )よ船に 乗 ( のっ )て出掛けようとする時に母の病気、誠に困りました。 ソレカラ私は一生懸命、 此 ( こ )の医者を頼み 彼 ( あ )の医者に相談、様々に介抱した所が虫だと 云 ( い )う。 虫なれぼ 如何 ( いか )なる薬が一番の良剤かと医者の話を聞くと、その時にはまだサントニーネと云うものはない、セメンシーナが妙薬だと云う。 この薬は 至極 ( しごく ) 価 ( あたい )の高い薬で田舎の薬店には容易にない。 中津に 只 ( たっ )た一軒ある 計 ( ばか )りだけれども、母の病気に薬の 価 ( ね )が高いの安いのと 云 ( いっ )て 居 ( お )られぬ。 私は今こそ借金を払った 後 ( あと )でなけなしの金を何でも 二朱 ( にしゅ )か 一歩 ( いちぶ )出して、そのセメンシーナを 買 ( かっ )て母に服用させて、 其 ( そ )れが 利 ( き )いたのか何か 分 ( わか )らぬ、 田舎 ( いなか )医者の言うことも 固 ( もと )より信ずるに足らず、私は 唯 ( ただ )運を天に任せて看病大事と昼夜番をして居ましたが、 幸 ( さいわい )に難症でもなかったと見えて 日数 ( ひかず ) 凡 ( およ )そ二週間ばかりで快くなりましたから、 愈 ( いよい )よ大阪へ出掛けると日を 定 ( き )めて、 出立 ( しゅったつ )のとき 別 ( わかれ )を惜しみ無事を祈って 呉 ( く )れる者は母と姉とばかり、知人朋友、 見送 ( みおくり )は 扨置 ( さてお )き見向く者もなし、逃げるようにして船に乗りましたが、兄の死後、 間 ( ま )もなく家財は残らず 売払 ( うりはろ )うて諸道具もなければ金もなし、 赤貧 ( せきひん )洗うが 如 ( ごと )くにして、他人の来て 訪問 ( おとずれ )て呉れる者もなし、 寂々寥々 ( せきせきりょうりょう )、 古寺 ( ふるでら )見たような家に老母と小さい 姪 ( めい )とタッタ二人残して出て行くのですから、 流石 ( さすが ) 磊落 ( らいらく )書生も 是 ( こ )れには弱りました。 船中無事大阪に 着 ( つい )たのは 宜 ( よろ )しいが、 唯 ( ただ )生きて 身体 ( からだ )が 着 ( つい )た 計 ( ばか )りで、 扨 ( さ )て修業をすると 云 ( い )う手当は何もない。 ハテ 如何 ( どう )したものかと 思 ( おもっ )た所が 仕方 ( しかた )がない。 何 ( なに )しろ先生の処へ 行 ( いっ )てこの通り言おうと思て、 夫 ( それ )から、大阪 着 ( ちゃく )はその歳の十一月頃と思う、その足で 緒方 ( おがた )へ行て、「私は兄の不幸、 斯 ( こ )う/\云う次第で 又 ( また )出て参りましたと 先 ( ま )ず話をして、夫から私は先生だからほんとうの親と同じ事で何も隠すことはない、 家 ( うち )の借金の始末、家財を売払うた事から、一切万事何もかも 打明 ( うちあ )けて、 彼 ( か )の原書写本の一条まで真実を話して、「実は斯う云う築城書を 盗写 ( ぬすみうつ )してこの通り 持 ( もっ )て参りましたと 云 ( いっ )た所が、先生は 笑 ( わらっ )て、「 爾 ( そ )うか、ソレは 一寸 ( ちょい )との 間 ( あいだ )に 怪 ( け )しからぬ悪い事をしたような又 善 ( よ )い事をしたような事じゃ。 何は 扨置 ( さてお )き貴様は 大造 ( たいそう )見違えたように丈夫になった。 「 左様 ( さよう )で 御在 ( ござい )ます。 身体 ( からだ )は病後ですけれども、 今歳 ( ことし )の春 大層 ( たいそう )御厄介になりましたその時の事はモウ覚えませぬ。 元の通り丈夫になりました。 「それは結構だ。 ソコデお前は一切 聞 ( きい )て見ると 如何 ( いかに )しても学費のないと云うことは明白に分ったから、私が世話をして 遣 ( や )りたい、けれども 外 ( ほか )の書生に対して何かお前一人に 贔屓 ( ひいき )するようにあっては 宜 ( よ )くない。 待て/\。 その原書は面白い。 就 ( つい )ては 乃公 ( おれ )がお前に 云付 ( いいつ )けてこの原書を訳させると、 斯 ( こ )う 云 ( い )うことに 仕 ( し )よう、そのつもりで 居 ( い )なさいと 云 ( いっ )て、ソレカラ私は緒方の 食客生 ( しょっかくせい )になって、医者の 家 ( うち )だから食客生と云うのは調合所の者より 外 ( ほか )にありはしませぬが、私は医者でなくて 只 ( ただ )飜訳と云う名義で医家の食客生になって居るのだから、その意味は全く先生と奥方との恩恵好意のみ、実際に飜訳はしてもしなくても 宜 ( よ )いのであるけれども、嘘から出た誠で、私はその原書を飜訳して 仕舞 ( しま )いました。 私は 是 ( こ )れまで緒方の塾に 這入 ( はい )らずに屋敷から 通 ( かよ )って居たのであるが、安政三年の十一月頃から塾に 這入 ( はいっ )て 内 ( ない )塾生となり、是れが 抑 ( そもそ )も私の書生生活、活動の始まりだ。 元来緒方の塾と云うものは真実日進々歩主義の塾で、その中に這入て居る書生は皆活溌 有為 ( ゆうい )の人物であるが、一方から見れば血気の壮年、乱暴書生ばかりで、中々 一筋縄 ( ひとすじなわ )でも二筋縄でも始末に行かぬ人物の 巣窟 ( そうくつ )、その中に私が 飛込 ( とびこん )で共に活溌に乱暴を働いた、けれども又 自 ( おのず )から 外 ( ほか )の者と少々違って居ると云うこともお話しなければならぬ。 先 ( ま )ず第一に私の悪い事を申せば、 生来 ( せいらい )酒を 嗜 ( たしな )むと云うのが一大欠点、成長した 後 ( のち )には 自 ( みず )からその悪い事を 知 ( しっ )ても、悪習 既 ( すで )に 性 ( せい )を成して 自 ( みず )から禁ずることの出来なかったと云うことも、 敢 ( あえ )て包み隠さず明白に自首します。 自分の悪い事を 公 ( おおや )けにするは余り面白くもないが、 正味 ( しょうみ )を言わねば事実談にならぬから、 先 ( ま )ず 一 ( ひ )ト通り幼少以来の飲酒の歴史を語りましょう。 抑 ( そもそ )も私の 酒癖 ( しゅへき )は、年齢の次第に成長するに 従 ( したがっ )て 飲 ( のみ )覚え、飲慣れたと 云 ( い )うでなくして、 生 ( うま )れたまゝ 物心 ( ものごころ )の出来た時から自然に 数寄 ( すき )でした。 今に記憶して 居 ( い )る事を申せば、幼少の頃、 月代 ( さかいき )を 剃 ( そ )るとき、頭の 盆 ( ぼん )の 窪 ( くぼ )を剃ると痛いから嫌がる。 スルト 剃 ( そっ )て 呉 ( く )れる母が、「酒を 給 ( た )べさせるから 此処 ( ここ )を剃らせろと 云 ( い )うその酒が飲みたさ 計 ( ばか )りに、痛いのを我慢して泣かずに剃らして居た事は 幽 ( かすか )に覚えて居ます。 天性の悪癖、誠に 愧 ( は )ずべき事です。 その後、次第に年を重ねて弱冠に至るまで、 外 ( ほか )に何も法外な事は働かず行状は 先 ( ま )ず正しい 積 ( つも )りでしたが、俗に云う酒に目のない少年で、酒を見ては 殆 ( ほと )んど 廉恥 ( れんち )を忘れるほどの 意気地 ( いくじ )なしと申して 宜 ( よろ )しい。 ソレカラ長崎に出たとき、二十一歳とは 云 ( い )いながらその実は十九歳余り、マダ 丁年 ( ていねん )にもならぬ身で立派な 酒客 ( しゅかく )、 唯 ( ただ )飲みたくて 堪 ( たま )らぬ。 所が 兼 ( かね )ての宿願を達して学問修業とあるから、自分の本心に訴えて何としても飲むことは出来ず、滞留一年の 間 ( あいだ )、死んだ気になって禁酒しました。 山本先生の 家 ( うち )に 食客 ( しょっかく )中も、大きな宴会でもあればその時に盗んで飲むことは出来る。 又 銭 ( ぜに )さえあれば町に出て 一寸 ( ちょい )と 升 ( ます )の 角 ( すみ )から 遣 ( や )るのも 易 ( やす )いが、 何時 ( いつ )か一度は 露顕 ( ろけん )すると 思 ( おもっ )て、トウ/\ 辛抱 ( しんぼう )して一年の 間 ( あいだ )、正体を現わさずに、翌年の春、長崎を 去 ( さっ )て 諫早 ( いさはや )に来たとき始めてウント飲んだ事がある。 その後 程経 ( ほどへ )て文久元年の冬、洋行するとき、長崎に寄港して二日ばかり滞在中、山本の家を尋ねて先年中の礼を述べ、今度洋行の次第を語り、そのとき始めて酒の事を 打明 ( うちあ )け、 下戸 ( げこ )とは 偽 ( いつわ )り実は 大酒飲 ( おおざけのみ )だと白状して、飲んだも飲んだか、恐ろしく飲んで、先生夫婦を驚かした事を覚えて居ます。 この通り幼少の時から酒が 数寄 ( すき )で酒の 為 ( た )めには 有 ( あ )らん限りの悪い事をして随分不養生も 犯 ( おか )しましたが、又一方から見ると私の性質として品行は正しい。 是 ( こ )れだけは少年時代、乱暴書生に 交 ( まじわ )っても、家を成して 後 ( のち )、世の中に交際しても、少し人に変って大きな口が 利 ( き )かれる。 滔々 ( とうとう )たる 濁水 ( どろみず )社会にチト変人のように窮屈なようにあるが、 左 ( さ )ればとて実際 浮気 ( うわき )な 花柳談 ( かりゅうだん )と 云 ( い )うことは 大抵 ( たいてい ) 事細 ( ことこまか )に 知 ( しっ )て居る。 何故 ( なぜ )と云うに他人の夢中になって汚ない事を話して居るのを 能 ( よ )く注意して 聞 ( きい )て心に 留 ( と )めて置くから、何でも分らぬことはない。 ソコデ私は中々囲碁が強いように見えて、「福澤一番 遣 ( や )ろうかと云われると、「馬鹿云うな、君達を相手にするのは 手間潰 ( てまつぶ )しだ、そんな 暇 ( ひま )はないと、高くとまって 澄 ( すま )し込んで居るから、いよ/\ 上手 ( じょうず )のように思われて 凡 ( およ )そ一年ばかりは 胡摩化 ( ごまか )して居たが、何かの 拍子 ( ひょうし )にツイ 化 ( ばけ )の皮が現われて 散々 ( さんざん ) 罵 ( のの )しられたことがある、と云うようなもので、花柳社会の事も他人の話を聞きその様子を見て大抵こまかに 知 ( しっ )て居る、知て居ながら自分一身は 鉄石 ( てっせき )の 如 ( ごと )く大丈夫である。 マア申せば血に交わりて赤くならぬとは私の事でしょう。 自分でも不思議のようにあるが、 是 ( こ )れは 如何 ( どう )しても私の家の 風 ( ふう )だと思います。 幼少の時から兄弟五人、他人まぜずに母に育てられて、次第に成長しても、汚ない事は 仮初 ( かりそめ )にも 蔭 ( かげ )にも 日向 ( ひなた )にも家の中で 聞 ( きい )たこともなければ話した事もない。 清浄 ( しょうじょう )潔白、 自 ( おのず )から同藩普通の家族とは 色 ( いろ )を 異 ( こと )にして、ソレカラ家を 去 ( さっ )て他人に交わっても、その 風 ( ふう )をチャント 守 ( まもっ )て、別に 慎 ( つつし )むでもない、 当然 ( あたりまえ )な事だと 思 ( おもっ )て居た。 ダカラ緒方の塾に居るその 間 ( あいだ )も、 遂 ( つい )ぞ 茶屋遊 ( ちゃやあそび )をするとか 云 ( い )うような事は決してない、と云いながら 前 ( まえ )にも云う通り何も偏屈で 夫 ( そ )れを嫌って恐れて逃げて廻って蔭で理屈らしく不平な顔をして居ると云うような事も 頓 ( とん )としない。 茶屋に 行 ( いっ )てフラレて来ると云うような馬鹿があるか。 僕は 登楼 ( とうろう )は 為 ( し )ない。 為ないけれども、僕が 一度 ( ひとた )び奮発して楼に登れば、君達の百倍 被待 ( もて )て見せよう。 君等のようなソンナ野暮な事をするなら 止 ( よ )して 仕舞 ( しま )え。 ドウセ登楼などの出来そうな 柄 ( がら )でない。 田舎者 ( いなかもの )めが、都会に出て来て茶屋遊の ABC を学んで居るなんて、ソンナ鈍いことでは生涯役に立たぬぞと云うような調子で 哦鳴 ( がな )り廻って、実際に 於 ( おい )てその哦鳴る本人は決して浮気でない。 ダカラ人が私を馬鹿にすることは出来ぬ。 能 ( よ )く世間にある徳行の君子なんて云う学者が、ムヅ/\してシント考えて、他人の 為 ( す )ることを悪い/\と心の中で思て不平を 呑 ( のん )で居る者があるが、私は人の言行を見て不平もなければ心配もない、一緒に 戯 ( たわぶ )れて 洒蛙々々 ( しゃあしゃあ )として居るから 却 ( かえっ )て面白い。 酒の話は 幾 ( いく )らもあるが、安政二年の春、始めて長崎から出て緒方の塾に入門したその 即日 ( そくじつ )に、在塾の一書生が始めて私に 遇 ( あっ )て 云 ( い )うには、「君は 何処 ( どこ )から来たか。 「長崎から来たと 云 ( い )うのが話の始まりで、その書生の云うに、「 爾 ( そ )うか、以来は懇親にお 交際 ( つきあい )したい。 就 ( つい )ては酒を 一献 ( いっこん ) 酌 ( く )もうではないかと云うから、私が 之 ( これ )に答えて、「始めてお目に 掛 ( かかっ )て自分の事を云うようであるが、私は元来の 酒客 ( しゅかく )、 然 ( し )かも 大酒 ( たいしゅ )だ。 一献酌もうとは 有難 ( ありがた )い、 是非 ( ぜひ )お 供 ( とも ) 致 ( いた )したい、 早速 ( さっそく )お供致したい。 だが念の 為 ( た )めに申して置くが、私には金はない、実は長崎から出て末たばかりで、塾で修業するその学費さえ 甚 ( はなは )だ怪しい。 有るか無いか分らない。 矧 ( いわん )や酒を飲むなどゝ云う金は一銭もない。 是 ( こ )れだけは念の為めにお話して置くが、酒を飲みにお 誘 ( さそい )とは誠に 辱 ( かたじけ )ない。 是非お供致そうと 斯 ( こ )う出掛けた。 所がその書生の云うに、「そんな馬鹿げた事があるものか、酒を飲みに行けば金の 要 ( い )るのは 当然 ( あたりまえ )の話だ。 夫 ( そ )ればかりの金のない 筈 ( はず )はないじゃないかと云う。 「何と云われても、ない金はないが、 折角 ( せっかく )飲みに行こうと云うお誘だから是非行きたいものじゃと云うのが 物分 ( ものわか )れでその日は 仕舞 ( しま )い、翌日も屋敷から通って塾に行てその男に 出遇 ( であ )い、「昨日のお話は 立消 ( たちぎえ )になったが、 如何 ( どう )だろうか。 私は今日も酒が飲みたい連れて 行 ( いっ )て 呉 ( く )れないか、どうも行きたいと 此方 ( こっち )から 促 ( うなが )した処が、馬鹿 云 ( い )うなと 云 ( い )うような事で、お別れになって 仕舞 ( しまっ )た。 ソレカラ 一月 ( ひとつき ) 経 ( た )ち 二月 ( ふたつき )、 三月 ( みつき )経って、 此方 ( こっち )もチャント塾の勝手を心得て、人の名も知れば顔も知ると云うことになって当り前に勉強して居る。 一日 ( あるひ )その今の男を 引捕 ( ひっつか )まえた。 引捕まえて面談、「お前は覚えて 居 ( い )るだろう、 乃公 ( おれ )が長崎から来て始めて入門したその日に何と 云 ( いっ )た、酒を飲みに行こうと云たじゃないか。 その意味は新入生と云うものは多少金がある、 之 ( これ )を 誘出 ( さそいだ )して酒を飲もうと 斯 ( こ )う云う 考 ( かんがえ )だろう。 言わずとも 分 ( わかっ )て居る。 彼 ( あ )の時に乃公が何と云た、乃公は酒は飲みたくて 堪 ( たま )らないけれども金がないから飲むことは出来ないと 刎付 ( はねつ )けて、その翌日は又 此方 ( こっち )から促した時に、お前は半句の言葉もなかったじゃないか。 能 ( よ )く考えて見ろ。 憚 ( はばか )り 乍 ( なが )ら諭吉だからその 位 ( くらい )に強く云たのだ。 乃公はその時には 自 ( みず )から決する処があった。 お前が 愚図々々 ( ぐずぐず )云うなら即席に 叩倒 ( たたきたお )して先生の処に 引摺 ( ひきずっ )て 行 ( いっ )て 遣 ( や )ろうと思ったその決心が 顔色 ( がんしょく )に 顕 ( あらわ )れて怖かったのか何か知らぬが、お前はどうもせずに 引込 ( ひきこ )んで 仕舞 ( しまっ )た。 如何 ( いか )にしても済まない 奴 ( やつ )だ。 斯う云う奴のあるのは塾の 為 ( た )めには 獅子 ( しし ) 身中 ( しんちゅう )の虫と云うものだ。 こんな奴が居て塾を卑劣にするのだ。 以来新入生に 遇 ( あっ )て 仮初 ( かりそめ )にも 左様 ( さよう )な事を云うと、乃公は他人の事とは思わぬぞ。 直 ( す )ぐにお前を 捕 ( つか )まえて、誰とも云わず先生の前に連れて行て、先生に裁判して 貰 ( もら )うが 宜 ( よろ )しいか。 心得て居ろと 酷 ( ひど )く 懲 ( こら )しめて 遣 ( やっ )た事があった。 その後私の学問も少しは進歩した 折柄 ( おりから )、先輩の人は国に帰る、塾中無人にて 遂 ( つい )に私が塾長になった。 扨 ( さて )塾長になったからと 云 ( いっ )て、元来の塾風で塾長に何も権力のあるではなし、 唯 ( ただ )塾中一番 六 ( むず )かしい原書を 会読 ( かいどく )するときその 会頭 ( かいとう )を勤める 位 ( くらい )のことで、同窓生の 交際 ( つきあい )に少しも 軽重 ( けいじゅう )はない。 塾長殿も以前の通りに読書勉強して、勉強の 間 ( あいだ )にはあらん限りの活動ではないどうかと 云 ( い )えば 先 ( ま )ず乱暴をして面白がって居ることだから、その乱暴生が徳義を 以 ( もっ )て人を感化するなど云う 鹿爪 ( しかつめ )らしい事を考える 訳 ( わ )けもない。 又塾風を 善 ( よ )くすれば先生に対しての御奉公、 御恩報 ( ごおんほう )じになると、そんな老人めいた心のあろう 筈 ( はず )もないが、唯私の本来 仮初 ( かりそめ )にも弱い者いじめをせず、仮初にも人の物を 貪 ( むさぼ )らず、人の金を借用せず、唯の 百文 ( ひゃくもん )も借りたることはないその上に、品行は 清浄 ( しょうじょう )潔白にして 俯仰 ( ふぎょう )天地に 愧 ( はじ )ずと云う、 自 ( おのず )から 外 ( ほか )の者と違う処があるから、一緒になってワイ/\云て居ながら、マア 一口 ( ひとくち )に云えば、同窓生一人も残らず自分の通りになれ、又自分の通りにして 遣 ( や )ろうと云うような血気の 威張 ( いば )りであったろうと今から思うだけで、決して道徳とか仁義とか又 大恩 ( だいおん )の先生に忠義とか、そんな奥ゆかしい事は 更 ( さ )らに覚えはなかったのです。 併 ( しか )し何でも 爾 ( そ )う威張り廻って暴れたのが、塾の 為 ( た )めに悪い事もあろう、又 自 ( おのず )から役に 立 ( たっ )たこともあるだろうと思う。 若 ( も )し役に立て居れば 夫 ( そ )れは偶然で、決して私の手柄でも何でもありはしない。 左様 ( そう ) 云 ( い )えば何か私が緒方塾の塾長で 頻 ( しき )りに 威張 ( いばっ )て自然に塾の 風 ( ふう )を 矯正 ( きょうせい )したように 聞 ( きこ )ゆるけれども、又一方から見れば酒を飲むことでは随分塾風を荒らした事もあろうと思う。 衣服 ( きもの )は国の母が 手織木綿 ( ておりもめん )の 品 ( しな )を 送 ( おくっ )て 呉 ( く )れて 夫 ( そ )れには心配がないから、少しでも 手許 ( てもと )に金があれば 直 ( すぐ )に飲むことを考える。 是れが 為 ( た )めには同窓生の中で私に誘われてツイ/\ 飲 ( のん )だ者も多かろう。 扨 ( さて )その飲みようも 至極 ( しごく )お租末、殺風景で、 銭 ( ぜに )の乏しいときは酒屋で 三合 ( さんごう )か五合 買 ( かっ )て来て塾中で 独 ( ひと )り飲む。 夫 ( そ )れから少し都合の 宜 ( よ )い時には一朱か二朱 以 ( もっ )て 一寸 ( ちょい )と料理茶屋に行く、是れは最上の 奢 ( おごり )で容易に出来兼ねるから、 先 ( ま )ず 度々 ( たびたび ) 行 ( ゆ )くのは 鶏肉屋 ( とりや )、夫れよりモット便利なのは牛肉屋だ。 その時大阪中で 牛鍋 ( うしなべ )を 喰 ( く )わせる処は 唯 ( ただ )二軒ある。 一軒は 難波橋 ( なにわばし )の 南詰 ( みなみづめ )、一軒は 新町 ( しんまち )の 廓 ( くるわ )の 側 ( そば )にあって、最下等の店だから、 凡 ( およ )そ人間らしい人で 出入 ( でいり )する者は決してない。 文身 ( ほりもの )だらけの町の 破落戸 ( ごろつき )と緒方の書生ばかりが得意の 定客 ( じょうきゃく )だ。 何処 ( どこ )から取寄せた肉だか、殺した牛やら、病死した牛やら、そんな事には 頓着 ( とんじゃく )なし、 一人前 ( ひとりまえ )百五十文ばかりで牛肉と酒と飯と十分の飲食であったが、牛は随分硬くて臭かった。 当時は士族の世の中だから皆大小は 挟 ( さ )して居る、けれども 内塾生 ( ないじゅくせい )五、六十人の中で、私は元来物を質入れしたことがないから、 双刀 ( そうとう )はチャント 持 ( もっ )て居るその 外 ( ほか )、塾中に 二腰 ( ふたこし )か 三 ( み )腰もあったが、 跡 ( あと )は皆質に 置 ( おい )て 仕舞 ( しまっ )て、塾生の 誰 ( たれ )か所持して居るその刀が 恰 ( あたか )も共有物で、 是 ( こ )れでも 差支 ( さしつかえ )のないと云うは、 銘々 ( めいめい )倉屋敷にでも行くときに二本挟すばかりで、不断は 脇差 ( わきざし )一本、たゞ丸腰にならぬ 丈 ( だ )けの事であったから。 夫 ( そ )れから大阪は 暖 ( あったか )い処だから冬は難渋な事はないが、夏は真実の 裸体 ( はだか )、 褌 ( ふんどし )も 襦袢 ( じゅばん )も何もない 真裸体 ( まっぱだか )。 勿論 ( もちろん )飯を 喫 ( く )う時と 会読 ( かいどく )をする時には 自 ( おのず )から遠慮するから何か一枚ちょいと 引掛 ( ひっか )ける、中にも 絽 ( ろ )の羽織を真裸体の上に着てる者が多い。 是 ( こ )れは余程おかしな 風 ( ふう )で、今の人が見たら、さぞ笑うだろう。 食事の時には 迚 ( とて )も座って 喰 ( く )うなんと 云 ( い )うことは出来た話でない。 足も 踏立 ( ふみた )てられぬ 板敷 ( いたじき )だから、皆 上草履 ( うわぞうり )を 穿 ( はい )て 立 ( たっ )て喰う。 一度は銘々に 別 ( わ )けてやったこともあるけれども、 爾 ( そ )うは続かぬ。 お鉢が 其処 ( そこ )に出してあるから、銘々に茶碗に 盛 ( もっ )て 百鬼 ( ひゃくき ) 立食 ( りっしょく )。 ソンナ 訳 ( わ )けだから 食物 ( しょくもつ )の 価 ( ね )も勿論安い。 お 菜 ( さい )は一六が 葱 ( ねぎ )と薩摩芋の 難波煮 ( なんばに )、五十が 豆腐汁 ( とうふじる )、三八が 蜆汁 ( しじみじる )と云うようになって居て、今日は何か出ると云うことは 極 ( きま )って居る。 裸体 ( はだか )の事に 就 ( つい )て奇談がある。 或 ( あ )る夏の夕方、私共五、六名の中に飲む酒が出来た。 すると 一人 ( ひとり )の 思付 ( おもいつき )に、この酒を 彼 ( あ )の高い 物干 ( ものほし )の上で飲みたいと云うに、全会一致で、サア屋根づたいに 持出 ( もちだ )そうとした処が、物干の上に 下婢 ( げじょ )が三、四人涼んで居る。 是 ( こ )れは 困 ( こまっ )た、今 彼処 ( あそこ )で飲むと 彼奴等 ( きゃつら )が奥に 行 ( いっ )て何か 饒舌 ( しゃべ )るに違いない、邪魔な奴じゃと云う中に、長州 生 ( せい )に 松岡勇記 ( まつおかゆうき )と云う男がある。 至極 ( しごく )元気の 宜 ( い )い活溌な男で、この松岡の云うに、僕が見事に 彼 ( あ )の女共を物干から 逐払 ( おいはらっ )て見せようと云いながら、 真裸体 ( まっぱだか )で一人ツカ/\と物干に出て行き、お松どんお竹どん、暑いじゃないかと言葉を掛けて、そのまゝ 傾向 ( あおむ )きに大の字なりに 成 ( なっ )て倒れた。 この 風体 ( ふうてい )を見ては 流石 ( さすが )の 下婢 ( げじょ )も 其処 ( そこ )に居ることが出来ぬ。 気の毒そうな顔をして皆 下 ( お )りて 仕舞 ( しまっ )た。 すると松岡が物干の上から蘭語で上首尾早く来いと 云 ( い )う合図に、塾部屋の酒を持出して涼しく愉快に 飲 ( のん )だことがある。 又 或 ( あ )るとき 是 ( こ )れは私の大失策、或る 夜 ( よ )私が二階に寝て居たら、下から女の声で福澤さん/\と呼ぶ。 私は夕方酒を 飲 ( のん )で今寝たばかり。 うるさい下女だ、今ごろ何の用があるかと思うけれども、呼べば起きねばならぬ。 夫 ( そ )れから 真裸体 ( まっぱだか )で飛起て、 階子段 ( はしごだん )を 飛下 ( とびお )りて、何の用だとふんばたかった所が、案に相違、下女ではあらで奥さんだ。 何 ( ど )うにも 斯 ( こ )うにも逃げようにも逃げられず、 真裸体 ( まっぱだか )で座ってお辞儀も出来ず、進退 窮 ( きゅう )して実に身の 置処 ( おきどころ )がない。 奥さんも気の毒だと思われたのか、物をも云わず奥の方に 引込 ( ひきこん )で 仕舞 ( しまっ )た。 翌朝 御託 ( おわび )に出て昨夜は誠に失礼 仕 ( つかまつ )りましたと 陳 ( の )べる 訳 ( わ )けにも行かず、 到頭 ( とうとう ) 末代 ( まつだい )御挨拶なしに 済 ( すん )で仕舞た事がある。 是ればかりは生涯忘れることが出来ぬ。 先年も大阪に 行 ( いっ )て緒方の家を尋ねて、この 階子段 ( はしごだん )の 下 ( した )だったと四十年 前 ( ぜん )の事を思出して、独り心の中で赤面しました。 塾員は不規則と 云 ( い )わんか不整頓と云わんか乱暴 狼藉 ( ろうぜき )、丸で物事に 無頓着 ( むとんじゃく )。 その無頓着の 極 ( きょく )は世間で 云 ( い )うように潔不潔、汚ないと云うことを気に 止 ( と )めない。 例えば、塾の事であるから 勿論 ( もちろん ) 桶 ( おけ )だの 丼 ( どんぶり )だの皿などの、あろう 筈 ( はず )はないけれども、緒方の塾生は学塾の中に居ながら 七輪 ( しちりん )もあれば鍋もあって、物を煮て 喰 ( く )うと云うような事を不断 遣 ( やっ )て居る、その 趣 ( おもむき )は 恰 ( あたか )も手鍋 世帯 ( じょたい )の台所見たような事を机の 周囲 ( まわり )で 遣 ( やっ )て居た。 けれども道具の足ると云うことのあろう筈はない。 ソコで 洗手盥 ( ちょうずだらい )も 金盥 ( かなだらい )も一切 食物 ( しょくもつ )調理の道具になって、暑中など 何処 ( どこ )からか 素麺 ( そうめん )を貰うと、その素麺を奥の台所で 湯煮 ( ゆで )て貰うて、その素麺を冷すには、毎朝、顔を洗う洗手盥を 持 ( もっ )て来て、その中で 冷 ( ひや )素麺にして、 汁 ( つゆ )を 拵 ( こしら )えるに調合所の砂糖でも盗み出せば上出来、その 外 ( ほか )、 肴 ( さかな )を拵えるにも野菜を洗うにも洗手盥は唯一のお道具で、ソンナ事は少しも汚ないと思わなかった。 夫 ( そ )れ 所 ( どころ )ではない。 虱 ( しらみ )は塾中永住の動物で、 誰 ( た )れ一人も 之 ( これ )を 免 ( まぬ )かれることは出来ない。 一寸 ( ちょい )と 裸体 ( はだか )になれば 五疋 ( ごひき )も十疋も 捕 ( と )るに 造作 ( ぞうさ )はない。 春先 ( はるさ )き少し暖気になると羽織の襟に 匍出 ( はいだ )すことがある。 或 ( あ )る書生の説に、ドウダ、 吾々 ( われわれ )の虱は大阪の焼芋に似て居る。 冬中 ( ふゆじゅう )が 真盛 ( まっさか )りで、春になり夏になると次第に衰えて、暑中二、三箇月 蚤 ( のみ )と交代して 引込 ( ひっこ )み、九月頃 新芋 ( しんいも )が町に出ると吾々の虱も 復 ( ま )た出て来るのは 可笑 ( おか )しいと 云 ( いっ )た事がある。 私は一案を 工風 ( くふう )し、 抑 ( そ )も虱を殺すに熱湯を用うるは 洗濯婆 ( せんたくばばあ )の旧筆法で面白くない、 乃公 ( おれ )が一発で殺して見せようと云て、厳冬の 霜夜 ( しもよ )に 襦袢 ( じゅばん )を 物干 ( ものほし )に 洒 ( さら )して虱の親も玉子も一時に枯らしたことがある。 この工風は私の新発明ではない、 曾 ( かつ )て 誰 ( だ )れかに 聞 ( きい )たことがあるから 遣 ( やっ )て見たのです。 そんな 訳 ( わ )けだから塾中の書生に身なりの立派な者は 先 ( ま )ず少ない。 そのくせ市中の縁日など 云 ( い )えば夜分 屹度 ( きっと )出て行く。 行くと往来の群集、 就中 ( なかん.

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どうなってるんだろう? 子どもの法律

今日 も 拒 まれ て ます さい な らっきょ

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