デニス レイダー。 「マインドハンター シーズン2」ラストの殺人鬼の正体は…?

BTK絞殺魔 デニス・レイダーとは

デニス レイダー

1976年の夏、ニューヨークシティで6人を殺した、"サムの息子"の異名をもつ。 夜、停めた車の中にいた女性たちを一緒にいたボーイフレンド共々、銃で次々に殺した。 バーコウィッツは、17歳でアメリカ陸軍に入隊するときに、初めて出生証明書を見て、自分が養子だったことを知った。 のちに生母と再会しようとしたが、母親がそれを拒絶した。 6歳のとき、バーコウィッツは養母の飼っていた魚の水槽に車の潤滑油を入れて、全滅させ、遺骸にピンを突き刺した。 さらに、彼女のペットの鳥に毒を盛り、苦しみながら徐々に死んでいくのを見て楽しんだという。 FBIのプロファイラー、ロバート・K・レスラーとの面談で、バーコウィッツは養母が愛するペットを必死に生き返らせようとしたが救えなかった光景を見て、快感を覚えたと語っている。 危険な罠をこしらえたテッド・バンディ 1946年11月、ルイーズ・カウエルは、未婚の母親たちのための家で生んだ息子にセオドア・ロバート・バンディと名づけた。 私生児であることを恥じて、ルイーズはバンディを末っ子の弟として自分の両親にあずけた。 心理学者の多くは、両親だと思っていた人たちが実は祖父母で、姉だと信じていた人が母親だった事実がわかったことが、と考えている。 バンディはその後、1974年から78年の間に30人以上の女性たちを殺すことになる。 家族ぐるみの友人で、バンディと一緒に育ったサンディ・ホルトは、幼いころからバンディには、近所の森に"トラの罠"を作るような異常な傾向があったことを覚えている。 「彼は短気ですぐにかんしゃくを起こし、人々を怖がらせるのが好きでした。 小さな女の子が、彼が作った"トラの罠"にはまって、下から突き出ていた鋭く尖った棒の上に落ち、足がざっくり裂けてしまったのです」これが、女性たちを傷つけるバンディの歴史の始まりだった。 母親が恐怖にかられるのを楽しんだデニス・レイダー(BTK) は、自分のことを献身的な夫、愛情深い父親、カンサス州ウィチタの教会に熱心に通う、きちんとした人間だとまわりに信じ込ませていた。 そんな彼が10人を拷問して殺したBTK絞殺魔(BTKは"縛って(Bind 、拷問して(Torture 、殺す(Kill "の意)だったとは、家族はもちろんのこと、誰もがとても信じられずにかなりのショックを受けた。 テレビレポーター、ラリー・ハッテバーグとので、レイダーは幼い頃から、女性を脅かす異様な衝動にとりつかれていたことを明らかにした。 レイダーはこう回想している。 「母はいつも幸せだったわけではないけこうれど、ぼくはずっと母を愛していた。 でも、多少の恨みもあった」 子供の頃、こんなことがあったと語った。 母親がソファのスプリングに手をはさまれてしまい、レイダーに向かって助けを求めて叫んでいた。 その母親の姿が彼の原点だという。 恐怖に苛まれた目で、なす術もなく息子を見つめる母親に、彼は言いようのない高揚感を感じ、それからというもの、その快感を追い求めるようになったという。 骨で遊ぶのが好きだったジェフリー・ダーマー 1991年、ジェフリー・ダーマーの恐怖の家が明らかになり、彼は"ミルウォーキーの食人鬼"と呼ばれるようになった。 複数の犠牲者のバラバラ遺体が発見され、切断された頭部が冷蔵庫の中から見つかった。 1978年から1991年にかけて、彼は少年を含む17人を殺して遺体を切断した。 ダーマーは幼いころから骨に異様な関心があったという。 父親のライオネル・ダーマーは回顧録『』の中でこう書いている。 息子が4歳のときのことだった。 家の床下から異様なにおいがしてくるのに気がついた。 そこには大量の骨、さまざまな小さな齧歯類の遺骸が山と積まれていたのだ。 わたしはバケツにそれらを拾い集めて始末しようとしたが、ジェフは少し離れた地面に座って、バケツに入れた骨を拾い出してはしげしげと眺め、それらを地面に積まれている骨の山に何度も戻していた。 そのときの音に異様に魅了され、うっとりしているように見えた ・6. イアン・ブレイディ(ムーアズ殺人事件) の犯人。 パートナーのマイラ・ヒンドリーと共に10歳から17歳の子どもたち5人を殺し、イングランド北西部、サドルワース・ムーアの荒野に埋めた。 ブレイディは、生後4か月で養子に出され、早い時期からを見せていた。 極度な癇癪もちで、自分の頭を床に何度もたたきつたり、自分の里親のことを"蛆虫"と呼んでいた。 10歳になると、ウサギの首を切断したり、猫を生きたまま焼き殺したりして、小動物を殺して楽しむようになったという。 ブレイディとヒンドリーは、17歳のデヴィッド・スミスを殺人の仲間に引き入れようとしたが、スミスが警察へ駆けこんだため、ついにふたりは逮捕された。 鳥を生きたまま丸焼きにしたジョン・ゲイシー ジョン・ゲイシーは、イリノイ州シカゴの中流家庭に生まれた利発な子どもだった。 母親を溺愛していたが、家庭内は暴力にまみれていた。 過度のアルコール依存症だった父親が、幼いゲイシーに対して非常に厳しくあたり、少しでも男らしくないことがあると殴り、女々しいと罵った。 そのはけ口として、ゲイシーは小動物をいじめて楽しんだ。 ガソリンを満たした風船を鳥に投げつけて破裂させ、火をつけて生きたまま焼き殺したりした。 逮捕されてからの尋問で、ゲイシーは、炎に包まれて逃げ惑う動物を見るのはとてもおもしろかったと、精神科医に話している。 ゲイシーは、誕生日パーティなどで子どもたちを楽しませる"ピエロのポゴ"を自分の分身とした。 1978年、ついに彼は少なくとも30人は殺したことを自白した。 そのうち27人は、彼の家の床下から見つかり、あとの3人は近くのデイ・プレインズ川に遺棄されていた。 "シガレット・ピッグ"と呼ばれたアイリーン・ウォーノス が、悲惨な人生を歩んできたのは間違いない。 血のつながった父親は、未成年への性的虐待で服役、産みの母にはわずか3歳のときに捨てられた。 祖父母と暮らしたが、長年にわたって祖父から虐待を受けていた。 自身の著書『』の中で、ウォーノスは書いている。 母は自分の腹からわたしを引っ張り出して、祖父母に押しつけた。 母に会ったのは彼女の葬式のときだけ。 彼女は地獄行きだろう。 祖父は、放課後や帰宅が遅くなったときに、たびたびわたしを殴った。 わたしに柳の枝を切らせ、それを使って殴った。 すぐに、枝が太いほど、痛みを感じないことを知った 13歳のとき、ウォーノスは学校の男子たちから、"シガレット・ピッグ"として知られるようになった。 タバコと性を交換することで有名だったからだ。 2002年、フロリダで売春婦をしていたときに7人の男性を殺害したとして、薬物注射によって死刑になった。 頭の怪我の後、人格が変わったアレクサンドル・ピチュシキン ロシアの連続殺人鬼。 チェスのボードになぞらえて64人を目指して殺人を犯したとされているため、""と呼ばれている。 1992年から殺人に手を染め、52人の殺害、遺体損壊容疑で2006年に有罪判決を受け、服役中。 良心の呵責などまったくなく、「ぼくにとって、殺人のない人生など、食事のない人生と同じだ。 ぼくは犠牲者たちの父親のような気分なんだよ。 だって、彼らに別の世界のドアを開いてやったのは、ぼくなのだからね」と豪語している。 ピチュシキンは4歳のとき、頭部に怪我を負い、それから。 母親によると、彼はバットのスウィングに直撃されて、前頭前野皮質にダメージを受けたという。 グラスゴー大学の研究者が、殺人者の21%は過去に頭部に怪我を追っているというデータをはじき出した。 とくに脳の前頭前野皮質は、共感や寛容性と関わっていて、ここが損傷すると人格が変わってしまい、危険な行動に結びつく可能性があるという。 恐怖の家で育ったエド・ゲイン の母親は、史上最悪の母親のひとりとして歴史に残るだろう。 そんな母親のせいで、ゲインは映画『サイコ』(1960)のノーマン・ベイツや、『悪魔のいけにえ』(1974年)のレザーフェイス、『羊たちの沈黙』(1991年)のバッファロー・ビルなど、数多くのホラー映画の殺人犯のヒントとなった。 母への異常な執着が、墓をあばいて掘り出した女性の遺体から、不気味な衣服を作り出すおぞましい犯行につながった。 ウィスコンシン州プレインフィールドの人里離れた農場で、子ども時代を過ごしたゲインは、横暴な母親から外の世界は邪悪で、とくに女性は悪魔だと教わって育った。 母親の死後、ゲインがこの農場を相続したが、地元の人たちからは、不気味な家だと怖れられた。 元レポーターのディック・レオナルドは回想する。 「あの家は、ハロウィンパーティをするのに、まさにうってつけの場所だ。 町のはずれにある暗くて気味の悪い家で、生きているものが住んでいるとは思えないような家だった」 おぞましい墓荒しを育てるにはうってつけの環境だったということだろう。 10歳のときに片目を失ったヘンリー・リー・ルーカス 逮捕され尋問を受けたとき、100人以上を殺したと自白し、一時はこれが真剣に受け止められた。 実際の被害者は3人から41人といわれているが、本当のところはわからない。 1936年、バージニア州ブラックスバーグで生まれたは、母親から肉体的、精神的に虐待を受けて育った。 「自分の人生すべて嫌だった。 家族の中で犬のように扱われ、しょっちゅう殴られ、人がやりたがらないことを無理やりやらされた」は回想している。 母親は彼に女の子の格好をさせたり、目の前でわざと恋人たちと性交渉したりした。 ルーカスが8歳のとき、母親に木の板で頭をひどく殴られ、3日間昏睡状態になった。 その2年後、今度は兄から目を切りつけられ、治療せずにいたため感染症を起こし、片目の眼球を摘出しなくてはならなくなった。 ガラスの義眼を入れた幼い頃のルーカスの写真を見ると、彼にとって世界がいかに残酷だったかがよくわかる。

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殺人博物館〜BTK

デニス レイダー

BTK 絞殺魔 デニス・レイダー(59歳)1945年生まれ 妻と成人した子ども2人がいる。 ウィチタ州立大学で司法行政の学位を修めている。 パークシティーの市職員で、法令順守監督として 野犬収容や市民の迷惑対策などを担当していた。 またルター派教会の信者会長を務めたこともある。 自らBTK絞殺魔(初めはsearch&destroyer)と名乗り 地元TVに小包みや手紙を送りつけた。 トマス・ハリス「レッド・ドラゴン」ダラハイドのモデルとしても有名。 被 害 者 ジョセフ・オテロ(38歳) 1974年1月15日 自宅で黒いテープ&ブラインドの紐にて手足を縛られ その紐にて絞殺される。 (殺される前に)殴られた痕があり。 彼は、20年以上間軍に所属し 駐屯地ドイツの陸軍を除隊後、カンザス州の小さな飛行場で飛行インストラクター・・機械工として勤めていた。 腕時計が持ち去られている。 ジュリー・オテロ(34才) (殺される前に)殴られた痕があり、猿轡を噛まされ、縛られていた。 (窒息死) 彼女は、コールマン社、キャンプ用品の製造業者で働いていた。 デニス・レーダーが 1970年代の初期に働いていた会社である。 ジョセフィーヌ・オテロ(11歳) 地下室の下水管にロープで吊り下げられた状態で発見される。 半裸状態で口にはタオルの猿轡をはめられていた。 (窒息死) ダニエル・オテロ(9歳) 手足を縛られ、頭にはフードを被せられていた。 (窒息死) 各部屋に マスターベーション後の精液が残されていた キャサリン・ブライト 21歳 1974年4月4日 弟ケビンと自宅に戻ったキャサリンは 潜んでいた犯人に腹部を刺され病院にて死亡。 ケビンも犯人に拘束され猿轡を噛まされロープで絞殺されそうになったが どうにか逃げ出し警察に通報。 キャサリンは半裸状態で コードで縛られ 首を絞めたあとが残っていたが、このとき 警察はBTK事件と同一犯人とは思ってもいなかった。 シャーリー・ヴィアン 26歳 1977年3月18日 自宅の彼女のベットで 頭にビニール袋を被せられ 半裸状態 手の指は折られ背中にテープで貼り付けられて 首にはコードが巻きつけられ 窒息死状態で発見された。 3人の子どもたちは犯人に浴槽に閉じ込められたが 自力で脱出、警察に通報しした。 子どものレルフォード氏は 「帰宅途中見知らぬ男に写真を見せられ「この家族を知らないか」ときかたが「知らない」と答えたところ 近隣の家に向かったため そのまま帰宅した。 その後 玄関がノックされ兄弟で競い合ってドアを開けてしまった」と重々しく語った。 ナンシー・フォックス 25歳 1977年12月9日 自宅にて 服は来たままナイロンのストッキングが首に巻きつけられ窒息死。 免許証がなくなっていた。 部屋には マスターベーション後の精液が残されていた。 (レイプはされていない) 犯人は公衆電話から非常時ホットラインに「今から この住所に行く。 あなたはナンシーフォックスの殺害を見ることができるでしょう」と電話をかけている。 彼女は建設会社の秘書 ・宝石店にパートタイマーで働いていた。 マリーン・ヘッジ (53歳) 1985年4月27日(行方不明8日後) パークシティの砂利道で絞殺死体で発見される。 近くに結び目のついたパンストも見つかった。 (レイダーの通りに住んでいた) 2005年2月にBTK事件のリストに加えられる ビッキー・ウェガリー 28歳 1986年9月16日 自宅ベットで絞殺されているところを 彼女の夫により発見される。 家にいた2歳の息子は無事。 デロアース・デイビス 62歳 1991年1月19日(行方不明 13日後) パークシテイの橋の下で 手足膝をパンストで縛られた 彼女の絞殺死体が発見される。 2005年2月にBTK事件のリストに加えられる。 -----------事件内容----------- 1974年1月 カンザス州 オテロ一家の無残な絞殺死体は帰宅した15歳の息子によって発見される。 その異常さに調査員たちも息を呑んだ。 同年4月キャサリンが自宅にて弟と襲われるが 死因が刺殺だったため 別件として扱われた。 10月ごろから 地元新聞社 編集長宛てに 公立図書館本館の本を調べるようにと電話がかかってくる。 その本を調べたところ 犯人からのメッセージと思われるメモが挟んであった。 1978年2月詩を1編新聞社に送ってきたが たらいまわしにされたあげく相手にされなかった為 地元TV局KAKEにジョセフ一家と他2件の事件を自分の犯行だと告げた手紙を送ってきた。 それからも 度々手紙や被害者の遺品や現場写真など入った小包みがおくられてきた。 1979年までそれは続いたが そのあと ばったりと途絶える。 BTKは死亡したかに思われていたが 2004年3月に再び 挑発的な手紙がマスコミや警察に届いた為 BTKへの注目が再燃された。 その時に送られてきたものの中にはナンシーの免許書のコピーもあった。 ----------- 逮捕までの経緯 ----------- レイダーをBTKと特定した経緯は公表していないが 地方TV局KSASに送られてきたコンピューターディスクに消しきれていない レイダー被告の属する教会のデータが残されていた為だといわれている。 警察は レイダー被告の娘のDNAを調べ デニス・レイダー被告にたどり着き 2月26日 正午過ぎパークシティにて 彼に職務質問したのが逮捕のきっかけとなった。 また 逮捕直後 パークシティー市の公立図書館からコンピューター端末も押収している ---------逮捕後------------- 現在 レイダー被告はセジウィック郡刑務所の留置施設に収容されており 保釈金は1000万ドルに設定された。 検察側は レイダー被告を 第1級殺人8件と殺人2件で起訴する方針。 ------------------------- 供述 ------------------------------- 2005年6月28日 10件の殺害を認める。 裁判官の質問に1件ずつ犯行の詳細を述べた。 動機は 性的夢想(sexual fantasies)の実現だと答えた。 しかし カンザス州に死刑執行が再開したのは 1994年以降であり 全て有罪となっても レイダー被告に死刑は適応されない。 --------------------------- 判決 --------------------------- 2005. 18 米カンザス州セジウィック地裁は デニス・レイダー被告に対し 175年の禁固刑を言い渡した。 事実上仮釈放なしの (少なくとも40年間仮釈放は認められない) 終身刑となる。 ここで J・ダグラスのプロファイルを見てみよう ・犯人は20代〜30代はじめの白人男性。 当時29歳 〜当たっている ・結婚していても人格や性的嗜好に問題をかかえている。 そりゃそうだろう ・疎外されて孤独で引っ込み思案 ? ・母子家庭の確率が高い。 里親に育てられたかもしれない。 ? ・軍隊に属していたかもしれない ? ・殺人現場の近辺に住んでいる。 当たり ・警官に憧れている。 ・犯行後 州立大学の司法学部の講義を受けている。 同じ大学かは謎だが司法学の学位を修めている。 ・途中犯行が止んだのは 別件で刑務所行きになったか 精神病院に入院したか 軍に入隊したかのどれかである。 ?宗教にはまってしばし改心していたのかもしれない ・自己顕示欲が強い為 自滅して捕まる。 半分当たり 自滅ってところが.. ジョン・ダグラスも著書(OBSESSION〜妄想〜)にて失意を語っていたが 今回の逮捕により 胸をなで下ろしている事だろう。 高値購入の理由は 「デニス・レーダーの家族の為に.. 」と語っている。

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デニス・レイダー

デニス レイダー

2005年2月25日、一人の男が逮捕された。 デニス・レイダー60歳。 彼こそが31年前にマスコミに犯行声明を送りつけた連続殺人犯、BTKの正体だった。 どうして今頃になって逮捕されたのか不思議に思って調べたら、自ら墓穴を掘ったようだ。 再びマスコミに接触したことが命取りになったのである。 それではBTKについておさらいをしよう。 1974年1月15日、ジョセフ・オテロと妻のジュリー、そして娘のジョセフィーヌ(11)と息子のジョセフ(9)の一家4人が、カンザス州ウィチタの自宅で絞殺された。 一家は縛られて、猿轡を噛まされていたが、中でも特にジョセフィーヌの扱いが酷かった。 裸にされて地下室の天井から吊るされていたのだ。 警察は容疑者の似顔絵を公表したが、手掛かりは一向に掴めなかった(今だから判ることだが、その似顔絵は似ていない)。 そして、事件から9ケ月後、地元の新聞社に犯行声明が届けられた。 現場の正確な描写から、犯人が書いたものに間違いなかった。 彼は自らをBTKと名乗っていた。 BTKとはすなわち「縛る(bind)」「拷問する(torture)」「殺す(kill)」の頭文字である。 なお、オテロ一家殺害から3ケ月後の4月4日、BTKは21歳のキャサリン・ブライトを刺殺していたが、当時はBTKの犯行であるかは不明だった。 その後、BTKはしばらく沈黙した。 活動を再開したのは3年後の1977年3月17日になってからだ。 26歳の主婦シャーリー・ヴィアンが絞殺されたわけだが、意外にもBTKは3人の子供には手を出さなかった。 そのうちの一人、スティーヴン・レルフォードは後にこのように語っている。 「『両親はいるか?』と訊かれて『お母さんがいる』と答えたら、そいつがいきなり家に入ってきたんだ。 母は裸にされて、両手を後ろ手に縛られた。 そして、頭にビニール袋をかぶせて、ロープで首を絞めたんだ」 彼はその後の2年間、トラウマの余りに誰とも会話をすることが出来なかったという。 同年12月8日、25歳のナンシー・フォックスを絞殺した時には大胆にも自ら警察に通報した。 そして2ケ月後、地元のテレビ局に再び犯行声明を送りつけた。 「俺は自分自身をコントロールできないんだ。 怪物が俺の脳ミソに入ってくると、何が何だか判らなくなる。 あんたたちなら奴を止めることができるかも知れない。 俺には無理だ。 奴は既に次の犠牲者を決定した」 ウィチタはパニックに見舞われた。 ところが、BTKの犯行はそれで終わった。 そして、長い間、未解決事件の一つとして語り草になっていたのである。 手元の資料の記述も、ここで終わっている。 ここまでの彼の犯行を振り返って思うことは「出たがり」だということだ。 自己顕示欲が旺盛なのだ。 ボストン・ストラングラーよりも、ゾディアックよりも、サムの息子よりも有名になりたいという野心が透けて見える。 そう、コピーキャットの臭いがするのだ。 私がこれまでこの事件にあまり興味を抱かなかったのはそういうわけだ。 オリジナリティが感じられなかったのである。 彼がどうしてBTKをやめて、どうしてまた始めたのかはよく判らない。 判らないが、大して売れなかったので引退した往年のアイドルが、また有名になりたくてヌード写真集を出版した。 そんな感じがするのだ。 犠牲になった方々には申し訳ないが。 BTKが再び犯行声明をウィチタの新聞社に送りつけたのは、2004年3月のことである。 それによれば、1986年9月16日にヴィッキー・ウェガリーが絞殺された事件も彼の犯行だという。 手紙には彼女の免許証のコピーが同封されていた。 模倣犯の可能性もあったが、同年12月、市内の公園でナンシー・フォックスの免許証が発見されて、BTKのカムバックが証明された。 フォックスは1977年にBTK自らが警察に通報した時の犠牲者である。 その免許証を持っているのはBTK以外にあり得ないのだ。 しかも、BTKは警察を挑発するかのように、不気味な人形を現場に残していた。 その人形は後ろ手に縛られ、頭にビニール袋をかぶされていたのだ。 まったく「出たがり」である。 「出たがり」の極みはパズルである。 彼は地元のテレビ局に不可解な文字の羅列を送りつけた。 そこには様々なキーワードが隠されていたが、なんと、BTKの本名「RADER」まで隠されていたのだ(このことはもちろん、レイダーの逮捕後に判ったことではあるのだが) そんな「出たがり」BTKが逮捕されたのは、一枚のフロッピーディスクが切っ掛けだった。 彼がテレビ局に送りつけたディスクに、それを書き込んだコンピューターの情報が残されていたのだ。 捜査の結果、それは市内の教会が所有するものであることが判明した。 そして、ここに通うデニス・レイダーが容疑者として浮上し、逮捕されるに至ったのである。 BTKの正体を知った地元の市民は驚いた。 レイダーは1974年、すなわち犯行を始めた年から警備会社に勤務し、警報機の設置や作動の状況などを調べてまわる仕事に従事していたのだ。 その後、1991年にはウィチタ郊外のパークシティで法令順守員の仕事をしていた。 つまり、市民を守る側の人間が犯人だったのである。 しかも、彼は法令順守員としてエラそうに地元のテレビにも出演していた。 素顔の彼も「出たがり」だったのだ。 レイダーは1985年9月16日のマリン・ヘッジ殺し、1991年1月19日のドロレス・デイヴィス殺しも自供し、合計10件の殺人容疑で起訴された。 法廷では一切争わず、全てを認めた上で、2005年8月18日に終身刑を宣告された。 カンザス州では1994年に死刑制度が復活されたが、BTKの犯行は全てそれ以前のことである。 彼が素直に自供したのは、死刑にならないことを知っていたからだろう。 ひょっとしたら、捕まって有名になりたかったのかも知れない。 BTKももう60歳だ。 残りの人生をデヴィッド・バーコウィッツ(サムの息子の正体)のように有名人として過ごしたい。 「出たがり」の彼がそう思ったとしても、何ら不思議ではない。 【下記より引用】 2005年逮捕まで、その後の裁判 2005年、警察にフロッピー・ディスクを送ったら、追跡されてしまうかを尋ね、警察は地元新聞に追跡されないとの回答を新聞に掲載。 2月、テレビ局にディスクを送り、FBIのForensic (犯罪科学捜査)分析により、出所が判明。 彼の教会で使用された事、又、Dennisという名前までも判明し、レーダーへの調査が始まり、逮捕へと繋がる。 警察は、娘のカルテ(医療記録)の召喚状を取り、犯行現場に残された精液がDNA鑑定にてマッチする事を確認、次々と、逮捕の為のprobable cause(相当な理由・根拠)を集めた。 普段の顔 ウィチタで起こった惨劇、長らく住民を恐怖に陥れた正体が普通の妻子持ちと判明し、アメリカ中を驚かせた。 2004年から又、手紙を出し始めた理由として、彼の事を書いた本が出版され、自分自身で、自分の事を語りたかった、という事を1つの理由としていた。 又、自分達の子供が大きくなり、ヒマだった、とも言っていたらしい・・。 カレッジに1年在籍後、空軍でのヴェトナム 65-69 、アメリカに戻った後、スーパーで働く間に結婚、75年に息子、78年に娘が産まれる。 短大を経て、6 年かけて大学を卒業、学士号を取得。 1991年からは、動物管理、住宅問題、zoning(建設規制、都市区画)、迷惑行為、等の条例を管轄する市職員スーパーバイザーとして勤務していた。 この間、近所の犬を理由もなく、安楽死させたと、彼の行き過ぎな行為を非難する声も上がった。 2005年に首になったものの、市職員として、行政を管轄する立場であった他、カブ・スカウト(ボーイスカウトの幼年団員)のリーダー、ルター派(プロテスタント最大の教派)教会の地区代表でもあった。 (逮捕後、7月、離婚が成立。

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